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アマデウスとテオドールがルネとイヴとポールに出くわすとき

「君の身の上話は?」

 意気消沈した様子でしばらく黙っていたアマデウスだったが、不意にテオドールに話しかけた。テオドールはうなずき、

「単純だ。ぼくは孤児だった」

 と言った。

「生まれたときには孤児院にいた。早く大人になりたかったよ。孤児院は豊かな寄付金で成り立っていたからひもじい思いはしなかったけれど、大勢の子供たちと一日中一緒にいるのはちょっとね。大人になって機械工になった。そういうのが得意だったみたいで、上達は早かった。あるとき同僚から劇場に誘われて行ってみた。レオノーラが登場して美しい声で歌い出したときは雷に撃たれたようだったよ。ぼくはそれから劇場のある日は毎回行くようになった。レオノーラが裏口から出てくるのを待っていたこともある。ある日レオノーラが北に逃げてしまって、ぼくは心が空っぽになってしまった。日々がモノクロだった。でも、ぼくも北に行けばいいんだと気づいたときは天啓を受けたようだったね。ぼくは早速北に向かった。次第に金が集まり始めた。ふと引いたくじが当たったり、ご婦人を助けたお礼にオープンカーをもらったりしてね。南と北で暮らしが逆になるのはどういう理屈だろうね。ぼくは持ち重りのする財産が邪魔で仕方がなくなった。レオノーラを見つけたときは舞い上がったよ。これで南に帰れるって。レオノーラを連れてね。君という男がそばにいたから少し

残念だったが、ぼくはレオノーラと一緒にいられて満足だった」

 テオドールの話が終わると、アマデウスは床を見詰めてつぶやいた。

「レオノーラは君との子供を大事にするだろうか」

 テオドールが答える。

「……正直言って、わからなくなった」

 アマデウスとテオドールはそのまま黙って、窓の外を見ていた。

 一時間ほど経ったときだ。アマデウスが立ち上がった。

「猫の街だ!」

 窓の外には木などと見比べるに鼠の街よりも大きなサイズの壮麗な住宅が遠く見えていた。その向こうにはそのような家々が集まった街。鼠の街のごちゃごちゃとした風景と比べると、裕福さが感じられる。

 テオドールが宝石箱を持って手すりに向かって走った。アマデウスがそれを見て驚く。テオドールは手すりを伝って網棚に上がったのだ。

「何をしてるんだ?」

「命が惜しければ君も網棚に登れ!」

「どうしてだよ」

「猫たちは扉や窓ではなく天井を開いてぼくらを手に入れるんだ。それくらいわかれ!」

 アマデウスは慌てて網棚に上がった。電車は猫の街に入り、猫の駅に進む。猫の駅には相応しくない小さな電車は、貨物置き場まで行ってとまる。がしゃん、と車両と車両の間の通路が塞がった。アマデウスは歯が鳴っているのに気づいた。果たして自分は屋根が開いた瞬間うまく逃げることができるだろうか?

「どれも空っぽじゃないか」

 三毛猫の大きな顔が中を覗いた。もう一匹、縞猫が目をきょろきょろさせる。

「今年は派手に逃げやがったな。冷凍装置とやらはどうなったんだ?」

「仕方がない。注文主にはこれを持って行って納得してもらうしかない」

「空っぽなのに持って行くのか?」

「だって注文書にはすし詰め電車一両と書いてあるだけなんだ。中の鼠は毎年逃げるから、鼠の数を決めるわけにはいかないんだよな」

「すし詰め電車の運営会社はボロ儲けだな。鼠がなくても金は貰えて」

「考えてるよな」

 声がやみ、車両が外される気配がした。かけ声と共に、アマデウスとテオドールの車両も浮かぶ。激しく揺れる中、テオドールは目つき鋭く天井を見詰めていた。アマデウスは怯えてはいたが、することはわかっていた。

 車両が車で運ばれる。車は清潔で美しい住宅街を進む。白を基調とした街の風景はまるで絵画のようだ。

 住宅街の外側に住むイヴとポールは、今か今かとすし詰め電車を待っていた。水色の出窓に二人で顔を並べて外を見ている。ルネは二階の自分の部屋にいて、関知しないという態度を貫いていた。

 家の前にトラックがとまった。小さな横たわった猫くらいの車両が載っている。

「来たわ!」

 イヴがホールを出て、玄関の扉を開いた。ポールがそれを追う。二匹の猫がすし詰め電車を中に運び込む。イヴとポールはそれを追いかける。

「がっかりしないでくださいね」

 運送業者のぶち猫が困った顔で言った。イヴとポールは嫌な予感がする。

「今年は全部途中で逃げてしまったようで、ほら、この通り……」

 運送業者が二人がかりで車両の天井を開いた。鼠の匂いがホールに広がる。と、そのときだった。

「あっ!」

 イヴが叫んだ。鼠が二匹、開きかけた蓋の隙間から逃げ出したのだ。

「ポール、捕まえて! 黒いのを捕まえるのよ。わたしは白いのを捕まえるから」

 絨毯の上をアマデウスとテオドールが逃げる。二手に分かれたほうが逃げやすいかと思ったが、野生の本能で目をぎらぎらさせたイヴとポール、更には二人の運送業者に追い詰められ、ホールの階段を登るしかなくなった。

「アマデウス、手すりを登って上を走れ! 階段を一段一段登っていたら捕まる!」

 テオドールが叫んだのでアマデウスはそうした。ポールが階段を駆け上がる。既に四つ足になっている。野生そのものだ。手すりのテオドールに爪を立てようとするが、テオドールはうまく先に逃げた。

「ポールの馬鹿! わたしが白いのを捕まえる邪魔をしないで!」

 イヴが興奮気味にポールに並ぶ。それがいけなかったようだ。二人は階段の同じ位置で同じ方向に向かおうとするので、ポール一人のときより進まなくなった。その間にアマデウスとテオドールは二階にたどり着き、扉が開いていた一室に飛び込んだ。

「騒がしいぞ!」

 低い声と共に、開いていた扉が閉じた。アマデウスとテオドールはぎくりとした、目の前には一匹の白いペルシャ猫が立っている!

「だってすし詰め電車から鼠が飛び出したのよ!」

 扉の向こうからイヴの声が聞こえる。

「鼠が……?」

 ルネがふと床を見た。アマデウスが一人、怯えきった顔で彼を見上げていた。テオドールは閉じた窓のほうに逃げ、黙って隠れている。

「君は逃げた鼠か」

 ルネが穏やかな声で話しかけた。アマデウスは何度もうなずく。

「君に一つ訊く。すし詰め電車に乗った理由は? こんなに危険極まりない真似を、何故するんだ?」

「あの、あの」

「落ち着け。訊いているだけだ」

「子供たちに……仕送りをしなくちゃいけないから」

 ルネはアマデウスを見下ろして、考える顔をした。

「君たちには感情があり、夢がある」

 アマデウスは逃げたかった。しかしルネがじっと彼を見詰めていて逃げられそうもない。

「時々そうしたことにほだされるよ。普段ぼくは鼠を食べるしこんなものは気まぐれでしかないが……君を助けてやろう」

 アマデウスは何を言われたのかわからなかった。猫は冗談を言っているのか?

「イヴとポールにはいいお仕置きになるだろう。奴ら勝手にすし詰め電車を注文するし、いつまでもぼくに甘えてたまらないよ。さあ、隠れて」

「あの、あの」

「何だ?」

「彼もいいですか? ぼくの友人なんです」

 と、アマデウスは窓を開けようとしていたテオドールを指差した。テオドールはぎくりとした様子だ。ルネはうなずき、

「いいさ」

 と答えた。

     *

 夕方にもなると、イヴもポールもへとへとになって鼠探しを諦めていた。いずれ出てくるだろうと二人は長椅子に座り、いつの間にか寝てしまった。

「さあ、行こうか」

 ルネは茶色い革の仕事用鞄にアマデウスとテオドールを入れた。テオドールは初め何とか逃げようとしていたが、ルネが何もしないのを見て暴れるのをやめた。ルネが二人の入った鞄を持って階下に降り、外に出た。タクシーが待っていた。

「どこまで」

 タクシーの運転手が訊くので、ルネは、

「北まで」

 と答えた。

     *

 タクシーはほとんど鼠の領域とも言うべき場所にとまった。鼠の小さな村が見える草原である。ルネは鞄を開く。黒いテオドールが宝石箱を持って飛び出した。白いアマデウスがもぞもぞと出てきて、ルネに頭を下げる。

「構わないさ」

 ルネは仏頂面だ。こんなことは慈善でも何でもなくただの気まぐれだとわかっているからだ。

「もうすし詰め電車に乗らないほうがいい。ぼくが君たちを見ても食べない猫だとは限らないからね」

「わかってます」

 アマデウスは走り出した。先でテオドールが待っている。暗くなりかけた空は、二人の背中を早く見えなくした。

「ふん」

 ルネは鼻を鳴らし、タクシーに戻った。

「今逃がしたのは鼠ですか? もったいない」

 タクシーの運転手が言う。ルネは、

「食べたくなったら今度こそ鼠で一杯のすし詰め電車を頼むからいいさ」

 と答えた。


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