アマデウスがテオドールに身の上話を始めるとき
「一体全体、君はどうやって自分の街で降りる気だったんだ。茶色鼠が言っていただろう、すし詰め電車は猫の街にしか行かないと」
テオドールはアマデウスから離れた場所で宝石箱を抱き、苦々しげにつぶやいた。アマデウスは肩をすくめ、
「目的の街に着いたら君の真似をして導線を千切ればいいと思ったんだ」
とこともなげに言った。テオドールは頭を抱える。
「ぼくは必要な導線を選んで千切った。それ以外の導線を専門知識のない者が適当に千切ったりしたら何もかも台無しになる。それに然るべき導線はぼくが既に千切った。もう君には手の施しようがなかったんだ」
アマデウスが青ざめて黙る。今更自分の愚かさを知ったのだ。
「一体君はどうして馬鹿なことばかりするんだ。口数が多いのは構わないが、気分屋で軽薄で、ぼくはうんざりしてくる」
テオドールが心底疲れたように座り込む。アマデウスは怒りを覚えたが、テオドールの言うことも尤もだと思って黙ったままでいる。と、いきなりテオドールが口を開いた。
「退屈だから身の上話でもしないか。猫に食べられたとして、君の生涯や最期を知るものがいないのは寂しいだろう」
「ぼくは猫に食べられるが君は食べられないと?」
「ぼくは何としてもレオノーラたちを助けなければならないから、死なないよ」
テオドールの当然だと言わんばかりの態度にアマデウスは苛立ったが、気が変わった。話してみるのも面白いと思ったのだ。
「ぼくは小さな村の領主だった。村人が収める税金で何とか暮らしていたんだ。村は暖かくて作物もたくさん育った。ぼくは村で育つ空豆が大好きでね、毎日煎らせて食べていたよ。そこまで裕福ではなかった。少なくとも北にいたころ君を馬鹿にできるほどの金持ちではなかったね」
テオドールが静かに聞いている。アマデウスの殊勝な態度に、少し驚いていた。
「ところがぼくに結婚話が持ち上がってさ。隣の村の領主の娘を娶れと来た! 娘は悪い女ではなかったさ。けれどぼくは器量好みで……娘は不器量だった。酷い出っ歯だったんだ。断ったら隣の領主がうちに来て、何故だと訊く。ぼくはお嬢さんはぼくにはもったいないとか何とか言って誤魔化す。領主が嘘だろうと詰め寄る。それで……長いことぼくと一緒にいた君ならわかるだろう? ぽろっと本音が出たんだ。お嬢さんの出っ歯が気に食わない、とね」
テオドールは呆れたようにため息をつく。
「隣村の領主は怒った。更には皆に言いふらしたんだ。そしたら村中で一揆さ。隣村じゃない。ぼくの村で一揆が起こったんだ。隣村の領主の娘は大層な人格者でね、村人は彼女がこちらに嫁ぐのを楽しみにしていたんだよ。対してぼくには人望はなし。先代の領主、つまりぼくの父だが、彼のほうが遥かに立派だったと村人が噂をしているのは知っていたが、まさかここまで好かれてないとはね。何を言っても税を収めないし、ぼくは昼間外を出歩けなくなった。そういう日々が耐えられなくなってきたある日、領主は弟に継がせるべきではないかという話が持ち上がった。青天の霹靂だったね。ぼくは要らないってことだ。だから逃げ出した。ポケットマネーしか持ってなかった。夜中、タクシーに乗って北へと向かった。北に行けば行くほど貧乏になったけど、構わないさ。自分が嫌われている場所にいるよりはそっちがましだ。で、レオノーラに出会った」
テオドールの耳がぴくっと動いた。
「レオノーラは美人だった。ぼくの好みど真ん中だ。南で女優をやっていたそうだがぼくは知らなかった。パトロンに心中を持ちかけられて逃げてきたらしい。ぼくらは恋人になった。子供が産まれた。ぼくらは北の貧しい農家に身を寄せて、赤ん坊たちの世話をした。でもねえ、レオノーラときたら子供をあまり可愛がらないんだよ。お乳をやったらぼくや親切な農家の人たちに預けっぱなしさ。それでぼくらの仲は冷え切ってしまった。そうこうしているうちに冬が来た。貧しいぼくらは夜かける毛布もない。だから子供たちを農家に預けて南に戻ることにした。その途中で出会ったのが君だ。君は大層な金持ちだった。レオノーラはそれだけでも君を気に入った。まあ君は背も高いし軽薄ではないし、そこもよかったんだろうな。彼女、ぼくに心底うんざりしていたようだし」
アマデウスは手をひらひらさせて諦めたような笑みを浮かべた。テオドールは沈黙を守ったままだ。
「君と出会ったところまで来た。身の上話は終わりだ。君ときたらレオノーラの前では全くの無言だから頭が悪いんだと思っていた」
「……緊張していただけだ。レオノーラがあんなに簡単にぼくの恋人になるなんて思わなかったし」
「レオノーラは簡単だよ。男であればいい。金持ちであればなおいい!」
アマデウスの発言と笑みにテオドールがぴくりと怒りを見せる。
「レオノーラは違う」
「君はレオノーラをよく見てないよ。レオノーラはそんな女だ」
「君はどうしてレオノーラを悪く言うんだ」
テオドールの言葉に、アマデウスの表情が一変した。笑っていたのが怒りを表す表情に変わったのだ。
「レオノーラが子供たちを捨てたからだ!」
テオドールは初めてどきりとした。単純なことに気づいていなかった。レオノーラとアマデウスとの子供たちがどんな思いでいるかということに。
「レオノーラは最初から子供たちを可愛がっちゃいなかった。子供たちが遊んでとせがんでも化粧に余念がない。ちょっと甘えるだけでも嫌な顔をする。子供たちのレオノーラへの態度ときたら可哀想なくらいだったよ。いつもびくびくしてるんだ。ぼくと一緒のときは皆にこにこしてるんだ。お父さんお父さんと寄ってきて、それはもう可愛らしいんだ。それなのにレオノーラが現れた途端に子供らしくなくなる。急に黙って、上目遣いでレオノーラを見る。こんな女を、ぼくに尊敬しろと言うのか!」
アマデウスは立ち上がって足を踏み鳴らした。アマデウスらしくない仕草だった。テオドールはじっと動かず口を閉じている。
「子供たちだけなら親切な農家の人たちが世話してくれると言う。ぼくは身を引きちぎられる思いだったが、子供たちまでひもじい思いをするくらいならとレオノーラと共に南に行くことにした。仕送りのためだ。レオノーラの喜びようを君にも見せたかったよ。子供たちはあんなに寂しがって泣いているのに、にこにこ笑って化粧なんかしてるんだ」
アマデウスは涙ぐんでそれを指で拭った。テオドールがちらりとそれを見て、宝石箱を見詰める。
「君との間にとうとう子供ができたと知って、ぼくは悟った。ああ、子供たちは捨てられたんだ、とね」
「子供たちは、どうしてると思う?」
テオドールが訊くと、アマデウスは再び座席に座りながら答えた。
「寂しがってるさ。お父さんお父さんと呼ぶ声が今でも聞こえてきそうだ。本当に可哀想な子供たちだよ」
すし詰め電車はがたごとと進む。風景は飛ぶように過ぎていく。窓の外の風景を見ながらアマデウスはつぶやいた。
「ああ、ぼくの街は過ぎてしまった。ぼくは帰れないんだな。仕送りもできない。可哀想な子供たち」
涙を拭っていたアマデウスだが、涙は溢れ、毛並みを濡らすほどになってしまった。テオドールは向かい合わせの前の座席からそれをちらと見て、考え込んだ。




