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突然告げられた恋人の名乗りに私は激しく動揺してしまう。
心臓の鼓動が早くなり携帯を持つ手が震える。
恋人?
誰の?
彼の恋人は私じゃないの?
次々と疑問が浮かんでは消え、息苦しくなっていく。
『彼には止められてたけど、もう私我慢できないのよ。いい加減別れて!』
「な、なにを……」
『彼は親友に言われて仕方なく付き合ったみたいだけど、彼に想われてないのにいつまでも別れないなんて、いったいどういう神経してるの?』
彼女の言葉が胸を深くえぐる。
ずっと彼に想われてないことで悩んできた。
それでも彼と一緒にいたくて、恋人でいたかったのだ。
『なんで私がいつまでもこそこそと彼と付き合ってないとならないわけ? 親友を傷つけたくないって彼の優しいところは好きだけど、好きでもないあなたにまで優しいのは過ぎた優しさだと思うわ。彼をこれ以上苦しめないで! だからあなたから別れてよ』
雅輝くんと夜を過ごしたのはつい先日のことだ。
彼女が彼の恋人だとしたら恋人がいるのに私を求めるなんておかしい。
雅輝くんは誠実な人だからそんなことするようには思えなかった。
それに彼は女性を好きじゃない。
そのことは1年近くも付き合って確信があった。
「……あなたが雅輝くんの恋人だって信じられません」
だからこの人が彼の恋人だなんて思えなかったのだ。
『クリスマスよ……』
「え?」
『クリスマス、24日も25日も彼は仕事で会えないって言わなかった?』
その言葉にどくん!と心臓が大きく鼓動する。
つい先日の会話が脳裏に浮かんぶ。
「クリスマス? クリスマスはイブも両方仕事だから会えない」
「……お仕事大変だね。倒れないように体調だけは注意してね?」
「ああ。無理はしないよ」
デートの帰り、彼から告げられたクリスマスの予定。
クリスマスは恋人同士のイベント。
当然、私も楽しみにしていた。
前回のクリスマスには付き合ったばかりで、イブの日、ちょっと夕食を一緒にしたくらいだったのだ。
今度こそ恋人同士らしいクリスマスが過ごせるとひそかに楽しみにしていたし、会えないとわかってさびしかった。
けれど忙しい彼の体調の方が心配だったし仕事なのでは仕方ない。
そう思っていたのだ。
「その日は両方とも仕事だって……」
『24日はともかく25日は日曜日よ? どんなに仕事が忙しくても少しくらい会えるに決まってるじゃない。仕事だなんてあなたを傷つけないための嘘よ。24日に彼がうちに泊まりに来るからあなたとデートするなんて無理なの。嘘だと思うならその日、会社に電話して確かめなさいよ』
自信たっぷりな説得のある言葉に手が震えた。
彼の誠実さを信じているはずなのに心が揺れる。
『確かめてみて彼の嘘がわかったら別れて! 私は彼が嫌々あなたの所へ行くのはもう嫌なのよ。彼のこと少しでも好きなら自分から身を引いて!』
それだけ言うと気が済んだのか、私の返事も聞かずに電話は切れた。
携帯を持ったまましばらく放心状態だったと思う。
恋人関係は続いていたけれど、彼から一度も気持ちを告げられたことはない。
彼の気持ちが自分に向いていないことはわかっている。
周りに半ば押し付けられるように始まった交際。
彼の恋人だと言う女性の存在。
誰にもまだ話していないクリスマスの予定。
重なる事実。
彼への信頼が揺らいでいく……。
もし彼女が本当に隠された恋人なら、彼の女性に対する不信をぬぐえるほどの存在。
私なんかが勝てるはずない。
彼の周りたくさんの女性が近づいてくる。
恋人である私が彼の横にいても、彼女達は私に余裕の笑みを向けながら彼に話しかけた。
彼女達の考えていることはわかる。
彼に釣り合わない平凡な容姿。
けしておしゃれとは言えない服装。
私は女性の魅力からすると地味なのだ。
自分で自覚している。
特別なところはどこにもない。
特別なことは何も出来ない。
ただ彼への想いがあるだけ……。
そんな私が彼の横にいるのだ。
彼の気持ちが自分へ向くかもしれないと思うのは仕方のないことだろう。
綺麗でかわいい女の子達。
彼女達は彼の事を理解していないまま近づく為に、彼に見てもらうことすらしてもらえない。
でも、彼のことを理解していて近づいたなら?
彼を理解し癒すことが出来るなら、彼の気持ちがそちらへ向いてしまうのは当然に思える。
彼女はクリスマスの日に会社に電話をかけて確認してみろと言うけれど、私にはそんなことする勇気すらないのだ。
私はただ泣くことしか出来なかった……。
それからの私は不安定な状況が続いた。
彼の誠実さを信じているのに、彼女が知るはずのないクリスマスの予定を知っていたこと。
仲間との関係上、押し切られ断れなかった私との交際。
仕事が忙しいという理由でメールの数も減った。
心のない恋人関係。
想われていないということが私を苦しめる。
「七海!」
彼の呼ぶ声が聞こえて顔を上げた。
今日は久しぶりのデート。
デートと言っても夕食を一緒にするだけの短い時間だけれども。
雅輝君が少し離れた場所から軽く手を上げているのが視界に入る。
仕事帰りのスーツ姿。
黒のコート、首にはマフラーが巻かれているが、それは高級ブランド物で私がプレゼントしたものじゃない。
彼が私の編んだマフラーを付けているのを見たのはプレゼントした次のデートで見た1回だけ……。
次にはもう今のマフラーを巻いていた。
私のプレゼントしたマフラーは気に入らなかった?
それとも手編みなんて重いのは嫌だった?
どうして新しいマフラーを買ってきたの?
怖くてそんなことは聞けなかったけれど、新しいマフラーを見た時はすごく寂しく思った。
私も男性と付き合うのが初めてもあって、彼との付き合いはずっと手探りの状態だ。
どれが良くて、どれが悪いのか?
そんなことを彼の反応を見て確認する。
「店の中で待ってろって言っただろ?」
少し怒ったような顔。
久しぶりに会ったのに彼の一声はまずお説教だった。
目頭がきゅっと熱くなり鼻がツンとしたので慌てて笑顔を作る。
「ごめん、今来たばかりだったから……」
私が謝っても彼の表情は曇ったままだ。
遅れてきた謝罪も、久しぶりに会えた事にも彼は触れることなく背中を向ける。
「……じゃあ、行くか」
彼が先に歩き出すので私はその背中を追う。
手を繋ぐとか腕を絡ませるとか、恋人らしい事をしたいが私から行動することは出来ない。
彼がしてもいいと思えば手を出してくれるのだが、今の彼の手は両方ともコートのポケット中だ。
女性不信ぎみの彼に心のない恋人関係を続けさせる事は、彼が二股をかけていなくても、よくないことだと最近思うようになった。
届かない想い。
どんなに辛くても私から別れるべきなのかもしれない……。