P.02【放り出された無人の草原】
「――ぐはっ!?」
暗転し、深くまで沈み込んだ意識が、突然の衝撃で舞い戻る。背中を地面へ強く打ち付け、一瞬だけ呼吸が止まった。
眠気覚ましだとしても、低度から地面の上に寝たまま落下すれば、重傷になる事も有り得る訳で。何故一度の白昼夢で、二回も床に転がる事になるのか。草が下敷きになってくれる野原なので助かったが、これが石畳類の硬い素材の床だったらと思うと無意識に冷や汗が首元を伝う。気絶した事も含めて、もう魔法類は懲り懲りだ。
あまりの痛みに咳き込み、寝転がったまま宙を見上げる。視界に映る光景が、見慣れた自室の天井でなく、太陽が燦々と輝く青空な陽気を見る限り、どうやらまだ白昼夢は覚めてないらしい。
「背中が滅茶苦茶痛い。何も落とす事はないだろ、落とす事は……。しかも石畳の次は草原か。我ながらバライティに富み過ぎだろ」
転移魔法の後遺症でも残っているのか、未だに脳内が混乱中だが、落ち着くついでに一旦状況を整理しよう。
俺は自室のベッドで寝ていた筈なのに、何故か松明が薄暗く照らす不気味な建物内の石畳の上で目を覚ました。白昼夢と早々に結論付け、夢から脱出する手段を探そうとした時、不意に肩を叩かれる。飛出そうな悲鳴を堪え、振り返って見ると気配を完璧に消し、俺の傍に立っていた純白下着の鎧少女。腹話術に近い芸当で、魔法灰や召喚陣等の専門用語を連発するセーレセアルという名の彼女に、転移魔法とやらで空中へ放り出され現在に至る。
「整理してみたら尚更意味不明だった。我ながら簡略的過ぎて訳分からん。まるで御伽話だな」
野原を揺らし肌を撫でる心地良い風、セーレの下着と同色の雲が浮かぶ青空の景色は、快晴時の現実と相違無い。こんな不純物一切無い空に、邪まな思い出を重ねてしまう俺は、やはり御年頃なのか。暫くの間、あの白い太股と魅惑の逆三角は、頭から離れ無さそうだ。
「って、そうだ。セーレは何所だよ。あいつ……まさか自分で飛ばした相手を放り捨てて逃げたのか!? いやちょっと待て、もしかしたらここは既に違う夢なのかも……」
夢とはいえ、こんな場所に身一つで取り残されては堪らん。慌てて大草原へ横たわっていた体を覚醒させ、文字通り飛び起きる。
軋む節々に目を細めながら周囲を見渡すと、視線の先に広がる一面の野原。太い幹の木々が点在し、路線のように敷かれた砂利道が目を引く。運良く野原に落下したので助かったが、若干軌道がずれて砂利の上に落ちていた可能性を思うと、生きた心地がしない。
「本当に、清々しいくらい木と道以外何も無いな。街すらないし、案の定セーレもいないし――……ん?なんだこの紙」
幾ら周囲を注意深く辺りを見回そうとも、魔法への憧れを粉微塵にした張本人、セーレの姿はない。こんな絶景を拝めて、普段なら清々しい気分になれそうだが、今の俺は置き去りにされた事が衝撃的過ぎたせいで、心中で白目を剥いていた。
無駄な思考を停止させ、再び野原へ寝転がろうとした時、何かを踏みつけた感覚。
足を退けて踏んだ物を確認すると、そこには丁寧に折り畳まれた一枚の紙切れ。元からこの場にあった物としては、明らかに場違いの品物だ。足跡を付けてしまった紙を拾い上げると、破らないよう丁寧に開封する。
「うわ、何だこの文字。あの子が召還陣とか言ってた奴に書いてあったのと結構似てるな……。英語だって読めるか微妙なのに、こんな象形みたいな文字並べられても読める訳――」
紙面上に綴られた、理解不能の象形文字。日本語へ翻訳されていない理不尽具合に文句を言おうとした時、文字が虫のように紙上を這い回り、字体を変化させていく。極短い時間を掛け、虫達が表像したのは、現実世界で慣れ親しんだ漢字や平仮名。
まさか手紙に翻訳機能を付属可能とは、魔法侮り難し。異世界に召還する物や、空中に投擲される豪快な物でなく、こういう使い勝手の良い地味な魔法なら大歓迎なんだが。
『貴方がこの手紙を読んでいるなら、せーれの転移魔法は失敗したと予測する。――ごめんなさい。失敗したと言っても、貴方は出来る限り王都の方へ飛ばすように意識しておいたから、多分、平気。近くに道があったら、それを道標にして。心配だから、手紙にせーれの魔力を込めておいた。役に立つ筈だから、上手に使って』
どうやら俺を魔法で空中へ放り出したセーレという少女は、確かに存在したようだ。小奇麗な文字列が並んだ手紙が、それを証明してくれている。だがこの手紙は、まだ俺は奇想天外な魔法の存在する白昼夢に留まっていると言う事実の証明でもある訳で。
激痛や温度、挙句には感覚まで内在する精巧な白昼夢から抜け出す方法が、皆目検討も付かない。
もう一度痛みを感じれば自室のベッドで飛び起きるのではないかと推測してもみたが、全く効果無し。結局、時間が経って現実世界の自分が自然と起床する以外に、手は無い。セーレからの手紙に記されている魔力の事も全く理解出来る気配は無く、八方塞とは正にこの事。
『……しろー、しろー』
「大体王都って、まさか王国があるのか?道は確かにあるが、周りに人っ子一人いないし、本当に辿り着けるかは疑問だし……当ても無く歩いた方が危険な気がするんだが。だからって留まり続けても解決する訳でもなし……さて、どうするかな」
木々の立ち並ぶ草原と、果てし無く続くかに思える一本の砂利道。進む方向すら判断出来ない今、ここは仕切りのない迷路その物。
無論、この先に確実に王都が存在するとするなら、行かない手は無い。起床するまで白昼夢から脱出する事は叶わないのだから、好奇心が欲する方角へ気侭に進むのも一興か。
「どうせ覚める夢なら、満喫して帰るのも悪くないな。それじゃ道形に進んで――」
全て放棄した気持ちから一転し、意気込んで出発しようと試みる。だが、不可思議な事に歩を進めても体が前進しない。正確に述べると、足は地面を蹴れど前には進まず。俺は何時の間に黙劇を会得していたのだろうか。
『ここまで、したら……普通気付くと思う。それに……引っ張るの、割と大変だから、早く気付いて』
後方に引っ張られている感覚が、脳内に響く呆れた声と共に突然消える。支えを失った身体は、歩こうとした勢いを殺し切れず、前のめりに転倒。もし豪快に顔面から転んでいれば、緑の野原に少量の血が散っていたに違いない。
軽くぶつけた頬を擦りながら、不満を漏らそうと顔を上げる。そして視界が映した光景に、思わず息を呑んだ。
「うわ、妖精っ!? 魔法もあるし、もはや何でもありだな……俺って、ここまで想像力豊かだったか?」
眼前に浮遊する、それこそ妖精と形容しても違和感のない端正な容姿の小人。
膝まで届く長い白髪に、透き通った翡翠色の瞳。人間味を感じさせない色白の肌と、最低限の部位のみを覆う白銀鎧。眠気を誘う半目の瞳すら、相殺して愛らしく思わせる外見をしている。
その姿はまるで、転移魔法で俺を吹き飛ばした人物を、手の平サイズに縮小化したかのよう。
「おいおい、本当にセーレとそっくりだぞ。人恋し過ぎて終に妖精の幻覚が見え始めたか。我が事ながら末期だな」
『似てる、ではなく……せーれの魔力を、紙に宿して作成した……半身。きちんと体温もあるし……感覚もある。扱いが難しくて、本体とは……結合出来てないけど』
夢とはいえ、いきなり間近で魔法を目撃する緊急事態。きっと脳細胞が処理し切れずに短絡し、現実逃避の為に妖精を召還したのだろう。
そう結論付けようとしたが、セーレが使用していた脳に直接語り掛ける芸当と、独特の専門用語に塗れた言葉使い、更に彼女の手紙に書かれていた言葉が脳内を駆け巡る。そして『手紙にせーれの魔力を込めておいた』の文章と、容姿だけではなく中身まで瓜二つの妖精。白髪少女と無関係とは言い難い。
「――じゃぁ君は、俺を転移魔法で吹き飛ばしたセーレ、なのか!?」
『そう、そのせーれ。一応、魔法使用者が手紙を持ってた間……転移魔法を使うまでの、記憶は……ある。それと……召還魔法で発生した、魔力灰の濃度が強過ぎて……魔法が正常に、発動しなかったみたい。えと……ごめん、なさい』
妖精の大きさに縮小されても、全く変化する兆しの無い表情。淡々と言葉を紡ぐ心の声にも、感情の起伏は全く無いが、何故だろう。頭の中に響く、鈴の音の声から彼女の心苦しさが伝わって来た気がした。
「あのさ、原因は魔力灰とやらでセーレじゃないんだろ?ならセーレが謝らなくて良いじゃないか。セーレがこうして保険を掛けてくれたから、路頭に迷わずに済むし」
セーレが咄嗟に危険を予知し、俺にちびセーレを用意してくれてなければ、迷子な上に空しい一人旅。想像だけでも寒気がするのだから、実際になっていたら悲惨の一言だ。それを回避出来ただけでも上々と言えよう。
可愛い外見な妖精を引き連れて夢を旅するのも、中々良い思い出になりそうだ。
『ん……しろーが、そういうなら……わかった。それと、今のせーれは……そう、しろーの案内役と、思ってくれれば良い。本物のせーれは……また何時か会えると、思う』
途切れ途切れだが、精一杯言葉を理解し易いよう話すセーレ。つまりこの妖精セーレ、俺の白昼夢内では、ゲーム等に確実に登場する水先案内人という立ち位置なのだろう。
「まぁ夢だし、ご都合主義でも深い所は突っ込まないでおくか。それじゃセーレ、道案内頼んだ。俺だと何ヶ月掛けても王都に着けないような気がするし」
『――ここからなら……しろーが向いてる反対側へ、道に沿って……進めば良い』
やはりセーレが分身を用意してくれて良かった。俺一人ならば王都への道を逆送し、完全に迷子と化していたところ。元々方向音痴では無いし、何より世界観が広過ぎるのがいけない。誰でも突然こんな場所に放り出されたら方角どころか自分を見失うぞ。
セーレに示された方へ振り向き、道筋を確認。見る限り大分長旅になりそうだが、夢から覚めるまでに王都とやらに辿り着けるだろうか。
「そういやセーレ、転移魔法って使えないのか?使えば一瞬で飛んで行けるんじゃ――」
『……今のせーれは、存在するだけで、魔力を消費してるから……使えると言っても、小さい炎くらい。実質、使えないのと一緒』
そう言えば原理は分からないが、妖精セーレは魔力で作成された物だったか。
魔力で構成された物が、魔力を放出したら間違いなく掻き消える。そうなれば例え王都に辿り着けても一人観光。とても寂しい物になるのは火を見るよりも明らか。
やはり最後に頼れる物といえば親から賜った体のみ。
「まぁこうして立ち止まってても進まないし、結局歩いて行くしかないか」
高校二年の時行われた長距離競歩を思い出し、若干憂鬱気味に空を見上げた。
ドドメ色の感情を洗い流すような、何所までも青い空。見るだけで心を潤してくれる、セーレの下着と同色の白い雲。そんな夢だらけの大空を滑空する巨大な異形。
「おい、そこの者!突っ立っていないで早く退け!踏み潰されるぞ!」
その巨体を振り乱し飛び回る異形の背から発せられる、凛とした声。
確かに暴れ回っている化け物の背中にしがみ付く少女にも驚いたが、それ以上に度肝を抜かれた事。それは御伽噺等で時々目にする化け物の容姿。顔と羽、前足が鷹。胴体から下は馬で構成されている異形はまるで神話上の生物その物だった。
「――まさか、グリフォン!?」
少し書き直しを加え、新たに文字を多く追加し、結局4000文字オーバー。色々とやり過ぎ感が否めません。