P.01【白髪甲冑少女と転移魔法】
『起き――て、し、ろ――う。――しろ――志郎』
懐かしい声に、呼ばれてる気がした。途切れ途切れでも聞き間違う事は無い、彼女の声で。
蜜に誘われる蝶ように目を覚ますと真っ先に訪れる、頭が割れる程の頭痛。吐き気を伴う程の激痛に眉間を押さえ、頭を振った。
起き抜けでこれ程までの頭痛に襲われたのは、記憶にある限り初めてだ。寝起きは悪い方では無いし、況してや重度の低血圧でも無い。吐き気がない事が唯一の救いか。
寝転んだまま体を伸ばし、不可思議に軋む体に活を入れる。頭痛程では無いにしろ、体も不調を訴えていた。まるで固い石床で熟睡した直後のように、体の節々が痛む。しかし俺はベッドで寝ていた筈で、そんな事、万に一つも有り得ない訳だが。
「――……ベッドが固い?いや、ちょっと待て。ここは……何所だ?」
手探りで触れた床は、日頃慣れ親しんだ柔らかいベッドではなく、むしろ正反対の冷たく固い石畳。見回した視界が映した光景は自室ではなく、薄暗い石壁で覆われた広い空間。部屋の至る所に設置された、部屋を照らす為の松明。俺がベッドの中で意識を手放す前の場所とは、何もかもが違う。
普通なら衝撃のあまり戸惑い慌てふためくだろうが、先程までの酷い頭痛のお陰で無駄に冷静だ。
白昼夢でも見てるのか、感覚も本物さながら。今でも鈍痛が続いてるし、現実と間違えてしまうのも無理はないだろう。夢だと発覚した後でも、現実と見間違う程に鮮明な造形だ。
「なんか、ゲームさながらだな。白昼夢を見たのも初めてだし……実体験してみると凄いもんだ。物凄いリアルだぞ。石畳の温度まで感じるのか」
元々眠りは深い方なので、普段から全くといって夢を見れない。それが今日に限って、質感や温度を本物と見紛う程、正確に感じ取れる白昼夢。石畳に寝転んだ実体験も一切無しで、こんな精密に幻想的な空間を創り出せた自分に、拍手を送りたい気分だ。贅沢をいうならば、夢とはいえもっと良い場所で起床したかったが。
何時までも仰向けで室内を眺めている訳にもいかず、覚醒し切らない頭を振り、欠伸を交えつつ上半身を起こす。驚くべきか喜ぶべきか、先程の頭を貫かれている錯覚を覚える程の頭痛は、完璧に消えていた。むしろ、あの激痛を現実に持ち帰らない事が確定しただけでも儲け物だろう。
「夢の中でも慣れない場所で起きると、体は痛むんだな。今度夢見る時は気を付けとこう。そんで結局……夢から覚めるには、どうすれば良いんだ?なんかスイッチがあったり――」
『――……ぽんぽん』
夢から覚める為の鍵を探す為、辺りを探索しようと本腰を入れた時、気配もなく背後から突然肩を叩かた。咄嗟に喉から這い上がる悲鳴を手で押さえ切り、何とか境地を凌ぐ。一瞬でも判断に迷っていたら、情けない悲鳴が口から漏れてた所だ。
無事に悲鳴を飲み込むと、諸悪の根源の顔を拝む為、上半身のみを傾ける。
『どうか、したの……?こんな、所で寝てて。石の上だと、寝辛いし……冷たい、よ?風邪、引いちゃう……かも』
勢いを付け移動した視界が先ず映した物は、真ん中に一筋の線が延びた白い逆三角形。病的に色白い脚に挟まれた白い桃源郷を、男の性でつい凝視してしまった。思春期の男なら誰でも、唐突に下着が視界いっぱいに映ったなら茫然としてしまうだろう。
若干名残惜しくも、不自然さがないよう純白の布から視線を逸らす。
『何で、だろう。話し掛けたのに、返事がない。――……あ、そうだった。こういう時は、確か挨拶が先……だったと思う。えっと、おはよう、ございます……?』
上へ移動させた視線が捉えたのは、銀色に輝く磨き抜かれた鎧。だが世間一般の密閉型西洋鎧とは違い、若干守る面積が小さく心許無い。
上半身の部分は、腕鎧が二の腕中間までの丈しかなく色白の肩が丸出し。下半身は一応膝上までは鎧で守られているが、その下の無防備さは晒された白肌の脚が物語っている。必要最低限以外の防御を捨てた鎧は、少女の華奢さ加減と相まって、普通なら感じる物々しい雰囲気を掻き消していた。
そして更に視線を上げると映る、処女雪のように白く、屈むと地面に垂れる程長い白髪。白髪のお陰で漸く、彼女の肌にも色があるのだと実感出来る程である。加えて白一色の中で映える、宝石のような翡翠色の瞳。やる気を感じさせない半目で、御世辞にも目付きが良いとは言えないが、彼女の神秘的な雰囲気の中では唯一現実味の持てる物だ。
『挨拶は、無事完了。だけど、対象に反応無し。もしかして……召喚された時の、衝撃で……思考が混乱、してる?そういう時の、対処法は……そう、頭を強く叩いて、ショック療法』
色を失った白髪や、葉色を思わせる翡翠の瞳。現実では有り得る筈の無い硝子を思わせる儚さ。
そんな少女の現実離れ具合に驚いていると、何かを思い出したのか唐突に彼女は立ち上がる。同時に召喚やショック療法なんて言葉が聞こえた気がしたが、空耳だろうか。女性の声な事は間違いないが、目の前の彼女の口元は微動だにしていない訳だし。
『でも、肝心の叩く道具が……ない。治療は、早い方が良いけど……あ、あった。叩ける物……おいで――【翼無き天使】』
またもや脳内に響く鈴の音に似た声。同時に石造りの頑丈そうな建物内にも関わらず吹き付ける突風。
不自然な風のお陰で偶然にも体が傾き、再度彼女の純白の下着を拝んでしまう。あくまでも不可抗力な訳だが、まさかこの悪戯風に命を救われるとは。
次の瞬間、体が傾いた方とは逆の場所、固い石畳上に穿たれる小さな窪地。破砕された石片が宙を舞い、地面を抉った獲物は、華奢な腕の中で見事な半月を描く。あの細い腕の何所に、長物を軽々と振り回せる腕力が眠っているのか、甚だ疑問だ。
『避けられたら……きちんと頭を、叩けない。ごつーん……って治療出来ない。ちゃんと、頭で受けて』
蒼い布が何十にも巻き付けられた、物々しい白槍を両手で可愛らしく抱える少女。白髪や碧眼も相まって画になるとは思うが、当事者からしてみたら死神。それも死者の魂を連れて行くどころか、その場で擦り潰すような、凄く凶悪な類の。
「ばっ、無理言うな!そんな地面抉る物で殴られたら即死するに決まってるだろ!大体、ごつんって治療する時に出る音じゃないぞ!」
『――……でも治さなきゃ……痛く無ければ、良いの?』
「痛くなければってどういう意味だ!? 何所も悪い所は無いし、殴られる必要はない!」
槍の用途といえば一般的に突く事だが、石畳を凹ます程の威力の叩き付けは、頭に当たれば綺麗な花が咲く事になるだろう。
夢とはいえ、ここまで感覚も本物に近いんだ。痛覚が存在するかは判明していないが、眼前に迫る致命傷不可避の槍は恐怖を擦り込むのに十分な筈。出来れば普通に夢から覚めたい身としては、絶対に受けたくない一撃だ。
『そう、なの?なら、治療の必要は……無し。――ありがと、【翼無き天使】』
「……や、槍が消えた?」
少女が礼を述べ、蒼布で覆われた白槍から手を離す。すると槍先端から光の粒子が放出され、その輝きが槍全体を包み込むと、槍は蒼布と共に跡形も無く霧散した。
どういう原理で槍が消失したのかは全然分からないが、取り敢えず目先の危機、あの槍で頭かち割られて、現実で飛び起きる最悪の事態は回避出来たか。
『召喚による障害は、皆無と判断。ですが……召喚陣からの、召喚者の特定は――……困難。古代魔術円陣とも……大分異なる模様。一先ず、対象を安全な場所へ……移動させる』
翡翠色の瞳が、俺と地面を行き来する。それの視線を追い、自分の座る地面に目をやると、あったのは人一人分の規模の解読不可能な文字で囲まれた円陣。チョーク類で描かれた物なのか、先程まで俺の尻があった場所の文字が若干掠れている。
「召喚陣……古代魔術円陣?っていうか、今喋ってたのは、君、なのか?」
『――勘違いかと思ったけど……貴方には、せーれの声、聞こえてる……みたい。今まで、誰も聞こえた事……無かったのに。もしかして、これが召喚の影響……なの?』
先程から直接脳に響いていた、鈴の音を思わせる綺麗な声。一応、返答紛いの独り言は返って来たが、依然として彼女の口元は微動だにしていない。
もしや腹話術を極め過ぎて、普通に会話する事が面倒になったとか。それが理由ならば気力を感じさせないジト目にも説明がつく。本当に予想通りの理由ならば人間として人格が破綻してるがな。軽鎧を身に着けてる時点で常人とは言い難いけど。
「それよりも、えっと……せーれさん、で良いのか?聞きたい事が山程あるんだが」
『――……さん、要らない。せーれは……セーレセアルって、言う。呼び難いし、長いから、せーれで……良い』
顔は幼さを感じさせ、身長も立ち上がった俺の胸元までと大分低い。外見年齢通りならば、きっと小学生と言っても相違ないだろう。一人称が自身の名前でも、全く違和感はなかった。
だから脳内に響く声の中で、頻繁に登場する『セーレ』という名。それを彼女の一人称と予想し、試しに呼んでみたが、判明してみると驚く程本名が長い。彼女の言う通り、略称で呼んだ方が無難だろう。
「なら俺の事も志郎って呼んでくれ。貴方とか名前以外で呼ばれると、ちょっと反応し辛いんだ」
主に聞き慣れない脳内会話のお陰で。彼女の意思伝達で名前以外で呼ばれると、咄嗟に自分の事と判断し難い。
『……わかった、じゃぁ……しろー。話しは、また後でに……して。ここは密閉空間……召喚魔法による、高濃度の魔力灰が多い。長くいると……魔力に酔うかも知れない。結構、危険。早く……外に出ないと』
結構危険という割には、彼女の余裕の態度と表情のせいで、あまり危険な雰囲気には見えない。大体、魔力灰とは何だ。それこそ今の自分に症状が出さえすれば別だが、説明皆無で危険と言われても、危機感は一切湧かないぞ。
俺から放たれる疑心の視線を全く気にせず、彼女は足早に近付いて来て、俺の手を取る。握られた色白過ぎる手は、生気を感じさせない程冷たく、にも関わらず柔らかくて女性を感じさせた。
『空間転移魔法を使用するから、しっかり……掴まってて。じゃないと、空中に……放り出されちゃう』
槍撲殺未遂の次は、空間転移魔法。だが魔力灰よりも数倍分かり易い響きで助かる。名称的に何所かへ転移する魔法なのだろう。よく小説やゲーム等の仮想現実で登場する空間転移とはどんな感覚がするのか。夢だと理解していても、男ならば彼女の言う魔法を実体験出来るというのは心躍る。
『風陣よ、彼の者に導きを。我が示した地へ、我等を導かん』
「えっと、そういや聞き忘れたんだけど、空中に放り出されるってどういう――」
彼女が呪文らしき物を唱え終えると、突如暗転する視界。意外な事に、転移した感覚はあっても予想していた衝撃等が全く無い。だが移動先と思われる場所が、どんなに脳内で否定しようとも、足場がない空中。加えて徐々に落下速度が上昇している。一体どれ程の高度から落下しているのか、思考が絶賛停止中の機能しない頭では、皆目検討が付かない。
『震えなくても、大丈夫。暴れない限り、地面激突は……多分、しない』
「それが安心させようとしての言葉なら完全に逆効果だぞ!こっちはまだ景色が見えてすらいないんだ!神様仏様、夢なら覚めて下さいお願いしま――」
まだ転送魔法とやらで、俺を空中に飛ばした彼女に言いたい事が山程あるというのに、未だ覚めぬ視界。そして同様に脳内にも靄が掛かって行く。それは気絶というよりも、幼い頃に悪戯で睡眠薬を服用した際の眠気に酷似していた。
これが俺の、記憶に残っている限り初魔法体験。今思えばこの魔法が一番地味な物だったかも知れない。何せ転移魔法は使用者が脳内に浮かべた地点へ移動させるだけなのだから。
一話掲載完了です。楽しんで頂けたら幸いです。
自分の中二病を心行くまで出し切り、それを読者の方に気に入って頂けたら作者としては感激の限り。では次回でお会いしましょう。