セピア色の菫
(一応)百合小説です。過激な表現は無いです。
自分という存在がどこか曖昧で、よく分からない。小さい頃から、ずっとそうだった。いつも周りは2人の姉を見ていた。成績優秀で神童、才女誉れ高き長姉。その妹で勉強は姉に敵わないが、絵がとても上手くいつも賞を取っている次姉。そんな中で、私は完全なる「おまけ」だった。「華」という可憐な名前とは合わない、中心で決して「華」にならない存在。それでも、両親と姉たちはそんな私のことも愛してくれた。おそらく。姉たちは遊びに付き合ってくれ、両親は欲しいものはなんでも買ってくれた。それでも、どこかいつも満たされない。
私には親友がいる。百合亞。中学1年生の頃から奇跡的に同じクラスの少女。どこかの社長令嬢らしく実家は白亜の洋城のよう。振る舞いも気品があって、どこか昔見た球体関節人形を思い出す美しい人。いつも無表情でどこか気難しく、何を考えているかわからないけど、私も似たようなものだから周りからある意味似た者同士なのかもしれない。まぁ、私と似ているところなんてそんなところしかないのだけど。
今年の初夏だったか、百合亞の家に行ったことがある。立派な門があって、玄関まで石畳の道があって、扉は大きくて家令さんが開けてくれた。庭には紅い薔薇が多く咲いていて、建物の白によく映えた。香り高い品種を多く植えているのだろうか、風が馥郁とした匂いを運んできた。この家は百合亞の母が中心となって、色々設計士に注文したらしい。つまり、御伽話のような外装も内装も彼女の好みということだ。「私の服のセンスも全て彼女のものかもしれないわね」ふと百合亞が振り向いてそう言った。その時の彼女はどこか嘲笑じみた、皮肉な表情を浮かべていた。百合亞の母は厳しい人だと聞く。世界的なデザイナーらしいが気難しく、娘に対しても容赦はしなかったようだ。いや、「娘だからこそ」だろうか。百合亞は小さい頃から母の後継者として育てられた。次期社長の務めは9歳離れた兄に任せられていたそうだから、その代わりといったところだろうか。
「母は私の才能に執着したの。まだ芽吹いて間もないのに」彼女はそう言った。
羨ましいとしか言えない話だが、母のことを語る時の彼女の黒い瞳には光がなくなり、その気苦労がはっきりと分かるのだった。彼女の話を聞いていると、シャンデリアの煌びやかさも華やかな調度品も、何かを誤魔化そうとしているのではないかと思えてきて、くらくらとしてきた。
百合亞の部屋は2つに分かれていた。1つは勉強するためだけの部屋らしく、もう1つは完全にプライベートの部屋だった。どちらもざっと見て、10畳以上はありそうだった。私が通されたほうは、プライベート部屋だった。ゴスロリが趣味の百合亞らしい白と黒、そしてフリルとレースがあちこちにあしらわれていた。黒いレースの天蓋が垂れ下がったベットに百合亞は座って、猫のような切長の瞳を細め、外の景色を見ていた。ベットの斜め後ろの椅子に座った私は百合亞が何かをするのだろうか、話し始めるのだろうかと思って待っていた。しかし、そういうわけでもないと分かると、周囲に目が移った。やはりここは百合亞の洗練された趣味の結晶だった。2人の間には小さな机があり、白磁に菫が描かれたティーカップに紅茶が注がれていた。菫が紅茶を透かしてセピア色に染まり、昔の写真か古い押し花のような雰囲気を出していた。ある種の徹底した覚悟さえも感じることのできる物の選び方。ただ高いからただ安いからでは選んでいないのだろう。「訓練された」ということはこういうことなのだろうと思った。
ふと、視線を感じて見てみると百合亞がこっちを見ていた。私が目を向けたことを認めると、彼女は徐に口を開いた。
「私と華が出会ったのは中学1年生の頃だったわね」
「…………たしかにそうだったね」
私 -華 -は、頷きながら答えた。姉たちと同じ学校に中学受験をして入り、緊張していたところを百合亞が話しかけてくれたのが最初だった。以降、高校2年生の今までずっと関係が繋がっている。しかし、百合亞は遠い過去を思い出すような調子でそんなことを言い始めたのでどうしたのだろうと思っていると、彼女はこんなことを言ったのだった。
「本当にそうだったのかしら。本当に覚えてないの?」
私はドキリとした。なぜそんなふうに言う?あの時が初対面のはずなのに。私は幼稚園の頃や小学生の頃を思い出した。何度思い返しても百合亞のような少女は見当たらなかった。彼女だったら幼い時の私でもきっと印象に残るはずだから。白い肌と長い黒髪に人形のような美しさは天性のものだろうから。
「え……?分からない…………。何言っているの……?」
百合亞は溜め息をつき、本当になんで分からないのかと呆れていた。私はなにも分からずただただ困惑するだけで何も言葉を発することができなかった。
「私とあなたは小さい頃に会っているの。小さい頃にパーティみたいなのに行かなかった?あれ親戚の集まりだったの」
完全に混乱した。急にそんな記憶を思い出したのだ。それは確か6歳の頃だった。
当時、私は無邪気で強い好奇心を持ち、今よりもずっと明るい性格をしていた。よく1人でいる子に声をかけては、一緒に遊んだりしていた。人生で1番友人が多かった時かもしれない。姉たちとの関係も今のようにどこか卑屈にならず、ひたすら純粋に慕っていた。ある日、私は姉たちと両親と共に「集まり」に行った。そうだ。初めてそこで周囲に拒絶されたのだった。私は、姉よりも他の親戚の子たちよりもあまり利口にできなかったようだった。まだ6歳だからとはいえ、いつもと違うところでテンションが上がってしまったのだろう、親戚の子供たち相手に色々話しかけたのだった。しかし、相手からすればよく分からない人間で、親しみよりも不信感が勝ったのだった。知らぬ間に私は1人になっていた。遠巻きにされた結果、1人になることは初めてだった。そして、ふと1人になった時、姉たちの利口さとそつのなさに驚いた。年が離れているとはいえ、家の中での姉たちと違う姿にどこか遠くに離されてしまったように感じた。両親は「まだこの子は幼いですから」と言ってくれたが、他のよく知らない「親戚」からどう思われるのかと初めて怖くなった。しばらくその記憶だけが残っていた。しかし、次第にあの時の辛さを忘れようと遠くへ押し込めてしまったのだった。
その日から私は徐々に変わっていったのかもしれない。明朗な性格からどこか曖昧で暗く、自分が何者か分からないような感覚になったのだ。私がそんな過去の苦い記憶を思い出しているとふとあることに気がついた。あの時にあの場所に百合亞がいたということは、私とも親友などよりももっと深い関わりがあるはずだ。例えば親戚のような。
「その顔、気づいたみたいね」
百合亞がこちらに顔を向けている。どうやら私が思っていることで正解らしい。あぁ、でも、ただの親友で赤の他人なら、あの時の関わりのない人間だったら、どれほど良かっただろうか。何を思って彼女は近づいてきたのだろう。どこか恥ずかしいような泣きたくなるような気持ちになった。
百合亞は座っていたベットから降りて華の傍に歩いてきた。表情は相変わらず無表情に近いのにどこか興奮したような動揺しているような僅かな動きが感じられた。
「別に辱めたいとかそんな気持ちはないわ。私は華のことが好きだもの。ただ、気になっただけなの。だってあの時に見たあなたが凄く可愛かったから……。他の人よりもあなたのお姉様よりも……。ずっと会いたいと思っていたの。今日ようやく思い出してくれた……。」
彼女は黒い目を輝かせ、白い陶器の肌は紅潮していた。新雪と椿のような美しさと熱の帯びた言葉に華はどこかくらりときた。でも、1つ疑問が浮かぶ。
「百合亞……あなたのような美しさだったら幼い私でも印象に残るはずよ……。あなたはあの時にどこにいたの」
そう言った時、百合亞の興奮は少し止まったように見えたが、また噴き上がってきた。それはさっきまでの陶酔に似た興奮ではなく、傷を見せまいとする人間が見せる臨戦態勢の興奮だった。努めて冷静に振る舞おうとしているのだろう。それでも、隠しきれない何かが透けて見えた。
「…………私は生まれ持って美しいわけではないのよ。幼い頃は醜かったの。ずっとずっと美しかったのは兄なの」
兄は美しかった。私は似ていなかった。体型も顔の造りも平凡そのもので、私が大好きなビスク人形には程遠い存在だった。両親は特にその事に言及しなかったけど、周りの人間はうるさかった。俗悪な世間の格好のネタになってしまった。人は自然と比較をしてしまうもの。そうすれば話しやすい。どんな人間でもこの手法は使いたがる。色々な会話の犠牲として私は存在していた。あのパーティでも兄が1番の主役だった。私はやはり日陰者だった。挨拶は来るけれどもそれっきりという存在。そんな時に華を見つけた。子供らしくてまだ完成されていなくて蕾のような存在。私もあの時は幼かったけど、幼いなりにどこか惹かれた。私は華を見るだけで満足だった。あとで彼女が母方のはとこだと知った。同じように血が流れている相手でも兄や両親よりも、少し離れた親戚である華のほうがどこか近しいものを感じたのは不思議だった。でも、この一目惚れを大切にしようと十何年、私は色々考えた。美しくあろう。賢くあろう。可愛らしい笑顔も忘れずに.......全ては彼女のためだけに。
華は百合亞の独白を聞いて、急にスポットライトが当たってしまった感覚になった。今まで私は特に好かれる訳でもなく、特に嫌われる訳でもなくただ普通の平々凡々な人間として歩んできたからだろう。それと同時に華やかに一生生きていると思っていた百合亞が私と同じ「脇役」「おまけ」としての立場に甘んじていたことの衝撃。そして、私たちを縛る血縁の奇妙さ…………。
唖然としている私を真っ直ぐ見て、百合亞の冷たい白い手が私の頬に触れた。ひんやりとしていて気持ち良い。彼女の瞳は静かで凪いでいた。でもどこか熱っぽい火種のようなものが燻っているような気がして、すぐにまたあの情熱を表すような気がした。
「私たち同じなんだよ。華、あなたが私を遠い存在のように話すのが私は嫌でしょうがなかったの。こんなにも近くにいるのに?こんなにも似ているのに?どこを見ているというの?」
その瞬間、私の中で自分がいかに謙虚という美徳のふりをした卑屈に囚われているかが理解できてしまった。卑屈に振る舞い続けた結果、目の前の好意を見逃してしまっていたのだった。
「そうか……同じ……同じなんだ……」
なぜか嬉しくなってきた。久しく満たされていなかった器が水を注がれるように、鮮やかに蘇る感情が現実を隔てていた層を浮き上がらせた。
「なんで笑っているの華」
「それはそっちのセリフでもあるけどね」
2人の笑い声がカーテンから一条の光芒となって漏れた橙色の夕焼けに溶ける。私たちは今、同じ世界に立っている。




