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掌編小説集

あなたのいない世界

掲載日:2026/02/02

 

 この世界に、死んだあなたに会える場所はあるのでしょうか。


 私の目の前には、あなたのいない朝があります。

 あなたの湯気のないカップ、使われない椅子、壁に映らない影。

 何ひとつ変わっていないのに、すべてが静かすぎるのです。


 あなたが死んで、季節がいくつも通り過ぎました。

 けれど、私はまだあなたの眠りを思い出すのです。

 背を向けて寝息を立てていた夜、

 寝返りを打つたびに、あなたの体温が少しこちらに傾いてきた夜。


 もういないことは知っています。

 何度も何度も確かめました。

 写真、声、服のにおい。

 全部が過去になって、全部がこの世界のものではなくなって、

 それでも、私はときどき、あなたの視線を感じてしまうのです。


 誰もいない部屋のなかで、ふと背中があたたかくなる。

 あなたがいた場所に、目が吸い寄せられる。

 そこには何もない。

 何もないのに、私の心は、あなたを受け取ってしまう。


 どうして、こんなふうに、

 消えたはずのあなたが、

 今も私を見ているように思えるのでしょう。



 死んだあなたに会える場所があるのなら、それは世界の裏側のような場所でしょうか。


 光の届かない廊下のような時間、

 誰も見ていない隙間、言葉の届かない深い水の底、

 そのどこかにあなたは座っている気がするのです。


 けれど、この世界はあまりにも整いすぎている。

 あなたがいなくなった朝も、カーテンは同じ角度で揺れ、

 天気予報はあたりまえのように晴れを告げ、

 隣人はいつも通りの顔で犬をつれて「おはようございます」と笑った。


 あなたがいないというのに、

 世界はひとつの歪みもなく動いていた。

 食器は乾き、床は冷たく、郵便受けにはチラシが入っていた。


 私はそれを、ただ見ていた。

 見ながら、何もできずに、息をしていた。

 その呼吸が、だんだんと薄く、重く、苦しくなっていくのを感じながら、

 それでも生きていた。


「死んだ人に会える場所」があるなら、

 そんな場所より、私は今、ここに、

 あなたがいないことのすべてと向き合わされている。


 ここは地獄ではありません。

 でも、あなたのいない世界です。


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