手紙
毎日、郵便ポストを覗くのが、私の日課でした。誰からの手紙を待っている、というわけではなかったのですが、でも、なんとなく覗きたい、そういう気分だったのです。今になって思えば、やっぱり手紙を待っていたのかな、そんな気もします。
ポストにはいろいろなものが入っていました。電気やガスなどの検針報告書、電話料金の振替報告書、選挙候補者や政党のビラ、無料配布のタブロイド、旅行ツアーのパンフレット、ツーショットダイヤルの広告が刷られているポケットティッシュ……。でも、手紙やはがきがポストに入っていることはほとんどありませんでした。筆不精であまり手紙のやり取りをしない、むしろ電話のほうがいいという私ですから、自業自得なのですが。
それでも、私はポストに何かが入っていることがうれしかったのです。なんでもいい、とにかくポストに入っていれば。
実際、何も入っていない日のほうが多かったと思います。夕方、大学から帰ってきて、アパートの部屋のドアノブに鍵を差し込む前に、必ずポストを覗きます。そこに何か入っていれば、それが何であっても気分良く部屋に入っていけます。けれど、何も入ってないときは、言いようのない寂しさに部屋へ入っていくのを少しためらってしまうのです。誰もいない部屋に一人、そこに入ることが怖くなるのです。
いえ、友達がいないわけではありません。地元の小学校以来の友人とはよく電話で話してますし、大学に行けば同じ研究室の親友もいます。それに、サークルにも入っていますから、人づきあいは他人よりは積極的なほうだと思います。たまにカラオケに行ったり、買い物に付き合ったりもします。コンパに誘われれば必ず出席しますし、つきあいが悪いとは言われたことがありません。
でも、何故かはわかりませんが、ポストに何も入ってないと無性にさみしくなるのです。一時期、真剣に悩んだこともありました。私は本当は人一倍寂しがり屋なのではないだろうかと。試しにカウンセリングをしてみたこともあります。心理学専攻の友達が被実験者を募っていたのを聞いて参加したのです。けれど、そこでは精神的な問題はないとのことでした。それだけで全てがわかったわけではないのですが、でも安心したのは確かです。悩んだのはその時期だけでした。
☆ ☆
三回生の夏のある日です。夏休みの真っ只中、今年は帰省しまいと考えてアルバイトをすることにしました。学習塾の事務や採点などの雑務のバイトです。期間はお盆までですが、午後三時から九時まで、時給も高く割りのいいバイトでした。
そのバイトを始めてから、私の周辺で不思議なことが起こりました。いえ、それは言い過ぎかもしれません。ですが、少なくともポストの中には異変がありました。
四日目だったと思います。夕方、部屋に帰っていつものようにポストを覗くと、そこには一通の手紙が入っていました。
真っ白な封筒の表には私の名前だけが書かれてあって、住所も郵便番号も書かれておらず、切手も貼られていません。そして、裏にも何も書かれていませんでした。
誰からの手紙だろう。何の変哲もない封筒ですが、私はどこか気分がよくなりました。誰でもいい、郵送されてなくてもいい、手紙が入っていたことがうれしかったのです。
部屋に入り、私は着替えもそこそこに手紙を開けました。その中には便箋が一枚だけ入っていました。薄い水色の紙の右下には小さく黄色いひまわりが描かれています。罫線の入っていない便箋ですが、書かれてある文字はきれいに真っ直ぐ書かれています。
『お疲れさまでした。また明日も頑張りましょう。』
これ以外には何も書かれていません。ますます差出人が判別できなくなりました。お疲れさま、というのは、バイトのことを言っているのでしょう。ですが、私がバイトをすることはほとんどの友達に話しています。しかも、この文面ではバイト先の誰かかもしれません。
あれこれ考えて、けれど結局思いつかず、そこで考えるのをやめました。誰でもいい、私は手紙が来たことだけでうれしい、だから。私のことを気づかってくれる人がいるだけでいいじゃない、そう思うことにしたのです。
手紙は翌日も、さらに翌日も、ポストの中に入っていました。封筒も、中身も、文面も、書き方も一緒のものです。それは決してワープロの文字ではなく、肉筆のものです。それだけに、どこか温かみがありました。
土日はバイトは休みです。手紙も合わせたようにやって来ませんでした。最初の土日は、ひどく寂しい気分になりました。不思議なもので、毎日手紙が入っていると安心できるようになっていたのです。私は一週間に五回の手紙を待つということを、全く自然な状態で受け入れてしまっていたのです。
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二週間もアルバイトを続けると、同じ職場にいる人達とも仲良くなります。私は同性のバイトの子や正社員の人達とも仲良くなり、仕事が終わってから遊ぶようにもなりました。
帰りが遅くなっても、ポストを見ることを忘れはしません。そして、いつものように白い封筒が入っています。文面も一緒です。決して、遅くなったことを責めたりしません。拘束されることがないのがまたうれしい気がしていました。
正社員の方たちから、いろんな話を聞きました。塾の生徒の傾向、変わった生徒の話、変な親の話、それから、講師の噂話も。
普段からあまり生徒にも同僚にも人気のない講師がいました。その人は特に女性に嫌われていました。気に入った女性がいたならその人にしつこく迫ってくるんだそうです。でも私はその光景を一度も見たことがありませんでした。むしろ私に親切にしてくれている人です。講師としての実力は抜群らしく、この人のクラスの私立中学の合格率はほぼ百パーセントだそうです。成績のいいのを鼻にかけてるんだ、あんな人大嫌い、と話題の締めくくりはいつもこうでした。
だから、その噂話は聞き流していました。私からはとても噂通りには見えなかったからです。それに、噂というのはどこか誇張されているのも事実ですから。
お盆も近くなったある日のことです。その日は模擬試験があり、採点や成績の処理のため勤務時間は大はばに過ぎていました。私の受け持っていた分は国語で、採点が非常に難しく人一倍時間がかかっていました。
午後十時になって私はようやく採点を終え、その答案を例の講師へ渡すためにコンピュータ室へ向かいました。
部屋には彼だけがいました。コンピュータ画面を見つめ黙々と操作を続けている姿を見れば、とても噂のような人とは思えませんでした。
私は声を掛け答案の束を渡しました。彼は振り返って笑みを浮かべ、ありがとう、遅くまで大変だったね、と返してくれました。
私はそのまま部屋を出ようとしました。
すると、彼に後ろから抱きすくめられたのです。
とっさのことで、私は身動きがとれなくなりました。彼は私の耳元に何か呟いています。しかし、そのときの私にはよく聞き取れませんでした。ただ、逃れなきゃ、その言葉だけが私の頭を回っていくのです。
もがく私を強い力で抱きしめる彼は、なおも私にささやきかけます。私はとにかく気持ち悪くて、この場から逃れようと必死でした。
その時、部屋の電話のベルが鳴りました。彼の抱きしめる力が緩んだ隙に、私は脱出し一目散に部屋から出ていきました。背後から彼の舌打ちする音がはっきりと聞こえました。
私はそれから、どうやってアパートに戻ったのか覚えていません。ともかく、帰ってきて、いつものようにポストを覗くと、同じように白い封筒が入っていました。私はまるで神様に救いを求めるような気持ちで封を開けました。
『お疲れさまでした。また明日も頑張りましょう。』
ひまわりの描かれた便箋の上の文面は全く一緒でした。予想はしていたのですが、この時ばかりは手紙を破り捨ててしまいました。そして、ベッドにうつ伏せに倒れ込んで、声を上げて泣きました。
☆ ☆
翌日は、出勤しませんでした。とても行けるわけがありません。連絡もする気になれず、携帯電話の電源を切りました。その日は一日誰とも話さず過ごそうと思っていたのです。
午後八時、ポストに何かが入れられる音がしました。こんな時間に誰が入れたのだろうか。気になりました。一日誰にも会わないことに逆にストレスを感じていた私は、そっとドアを開けました。街灯が照らす路地には人の姿はありません。私はポストの中を覗きました。
白い封筒が入っていました。いつものように、私の名前だけが書かれた封筒です。
私は封筒を手に取ると、再び破り捨てようとしました。昨日と同じ文面ならば、見たくありません。明日も頑張りましょう、という言葉があまりにも白々しく思えてくるのです。
しかし、私は破ろうとした手を止めました。中を見てから破り捨てても遅くはない、と思ったからです。ひょっとしたら今までと違う文面かもしれない、わずかな希望もありました。
封筒の中は、同じように乳白色の便箋一枚でした。一つ折られた便箋を開くと、そこには暖かないつもの文体で、でも違う言葉が綴られていました。
『明日は前へ進みましょう。あなたが信用した人は、みんな味方です。』
目頭が熱くなりました。たったこれだけの言葉なのに、不思議と涙があふれました。一日部屋の外との接触を絶って暗く過ごしてきた私をまるでずっと見ているかのように、こんな優しい言葉を送ってくれたことに、うれしくなりました。こんなに短い文章で私の気分は晴れていきました。
翌日、出勤した私はその足で塾の女性社員でいちばん古参の方に相談を持ちかけました。彼女は激しく憤慨し、女性社員全員を引き連れて塾の経営者に訴えました。あの講師は即日謹慎処分となり、のちに解雇されたそうです。
☆ ☆
アルバイトの期間を終え、夏休みも終わり、私の生活はふたたび大学へ戻りました。手紙は、アルバイトをやめた翌日から全く来なくなりました。
差出人を探してはみたのですが、結局わからずじまいでした。おそらく塾の関係者だと思ったのですが、誰も知らないようでした。第一誰も私のアパートの住所すら知らないのです。それ以上の手を思いつかず、諦めてしまいました。
今でもポストを覗くのは私の日課です。けれど、あの手紙は二度と入ることはありませんでした。最初は寂しい気分でしたが、今はもうそんなことはありません。でも、私の心を救ってくれたあの手紙は、ずっと保存しておくつもりです。
実は、あの手紙はいつも覗いていたポストが書いたものではないかと思ったこともあるんです。……いえ、聞き流してください。あまりにも幼稚すぎて、思いついたときは自分でも笑ってしまいましたから。
<了>