表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

 流される神

作者: あい太郎

 今年の夏も、異様に蒸し暑かった。

 高校二年の僕・柴田蓮は、母の実家がある山奥の村に、一人で泊まりに行くことになった。

 祖母が体調を崩したとかで、母は先に向かっており、僕は遅れて合流する形だ。


 バスを降りた時点で、電波は圏外。唯一の舗装路から分かれた細道を歩きながら、空の重さを感じた。

 空は晴れているのに、どこか湿った匂いが鼻をついた。


 村に着いたのは夕方前。迎えに来ていた祖母の家は、鬱蒼とした山裾に建つ古い木造家屋だった。家の横には小川が流れており、祖母は川を指差して言った。


「今は近づくなよ。今日は“その日”だからね」


「“その日”?」


「流し神さ。今夜はお流しの儀があるんだよ。見ても、声をかけてもいけないよ」


 祖母の言葉は、冗談ではなかった。日が沈むと、村は一変した。

 家々の軒先には提灯が吊るされ、人の気配がざわざわと動く。祭囃子も太鼓もない。代わりに、何かを慎重に包み隠すような、静かな空気が流れていた。


 僕は好奇心に負け、夜中にこっそり家を抜け出した。

 小川沿いに進むと、村人たちが白装束に身を包み、手に小さな舟を抱えているのが見えた。

 舟の上には、何か……人の形をしたものが横たわっていた。


 赤ん坊のように小さく見えたが、顔は白布で包まれていた。

 川岸には、「穢れよ流れよ、禍神帰れ」と、古い言葉を唱える声が響いていた。


 舟はそっと水に浮かべられ、下流へと押し流されていった。

 その瞬間、白布がふわりと風にめくれ――顔のようなものが、僕の方を見た。


 ――目が、合った。


 僕はその場に立ち尽くし、動けなかった。

 布の下には、笑っているような顔があった。子供のような、でも異様に伸びた口元が水の中に沈んでいく。


「見てしまったかい」


 背後から、誰かが声をかけた。

 振り返ると、村の老婆が立っていた。目は濁り、でもはっきりとこちらを見据えていた。


「あれは“流し神”。この村が、百年に一度作る神様だよ。作って、祀って、川に返す。そうすれば災いは起きんと、そう伝えられておる」


「人形……ですか?」


「人じゃよ。だが“もう人じゃなくなった子”をね」


 老婆はにたりと笑った。


「昔はね、疫病が流行るたび、村のはぐれ子を流したんだよ。山の神の怒りを沈めるために」


「今も……?」


「さぁてねぇ。でも目が合ったなら、もう“お前の穢れ”は、あの神様に移ってしまったかもしれんねぇ」


 ぞっとして、僕は逃げ帰った。



 翌朝、川辺に下りると、舟の跡も、昨夜の祭もなかったかのように静まり返っていた。

 だが、川の上流から、誰かの声が聞こえた。


「……おにい……さん……」


 水音に混じって、確かに僕を呼ぶ声があった。


 見ると、水面に小さな手が浮かんでいる。

 その手は、川下へ向かって流れながら、ゆっくりとこちらに手招きをしていた。


 僕は一歩、無意識に川へ足を踏み出し――


「戻れ!」


 祖母の怒号が背後から飛んだ。


 はっとして振り返ると、祖母の顔は蒼白だった。

 「見たのか?流し神を見たんだな?」


 僕はうなずいた。祖母は震える手で何かの札を取り出し、僕の額に貼った。


「今年の流し神は“還り子”だったんだ。流しても、時々戻ってくることがある。迎えに来るんだよ……次の神を」


「次の……?」


「次は、お前かもしれない」



 それからというもの、僕の夢にはあの顔が出るようになった。

 水の底から、白い顔が笑いながら見上げている。


 ――次は、きみだよ。


 そう言って、手を差し伸べてくる。


 夏が終わっても、夢は消えない。

 風のない日でも、耳の奥で川のせせらぎが聞こえる。


 そして今日も――僕の足元には、小さな水たまりができている。


 まるで、どこかから水神が、戻ってきているかのように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ