ある未練
「もし、もし、起きてください……」
「ん……えっ、ええ!?」
「どうも、こんばんは……」
夜中、とある寺の若い住職は布団から飛び起きた。慌てて自分の頬をつねる。痛い。どうやら夢ではないらしい。
目の前に立っているのは、紛れもなく幽霊だ。
「どうも……」
「あ、こんばんは……」
住職は布団の上で正座し、ぎこちなく頭を下げた。
「夜分遅くにすみません。まあ、昼間は出てこられないもので」
「あ、は、はい……その、幽霊ですもんね?」
「はい……」
幽霊は少し苦い表情を浮かべた。どうやら死んだことを未だに受け入れきれないらしい。
住職はそんな幽霊の様子を気の毒に思い、おそるおそる訊ねた。
「あの、成仏したくてここにお越しになったんですよね……? でも、私が力になれるかどうか……まだ親の跡を継いだばかりで、不慣れですし……」
「いや、臆せず自信を持ってください。他のお寺も何軒か回りましたが、あなたが初めて私の声を聞いてくれたのです」
「そ、そうですか。でも……あなた、もう葬儀も済んでいますよね?」
「ええ、盛大にね」
「では、今さらお経を読んでも……うーん、もしかして宗教が違ったとかでしょうか?」
「まあ、キリスト教系ではありますが、それが原因ではないと思います。どうも、未練があるせいみたいで」
「ああ、それもそうか。あはは、私よりも見識が深いようで、お恥ずかしい限りです」
「まあ、幽霊ですからね。ははは」
「ははは……それで、どんな未練なんですか? あっ、まさか復讐とか……? でも、それに協力するのはちょっと……」
「いえいえ、そんな物騒な話ではありません。私はただ……」
「ただ……?」
「もっと多くの人々、特に若い世代に伝えたいことがたくさんあったんです」
幽霊は語り始めた。自分の人生で得た教訓や感じた思い、伝えきれなかった言葉。住職は時折質問を挟みつつ、幽霊の話に深く聞き入った。
そして明け方、住職はあるアイデアを思いついた。
「SNSの開設というのはどうでしょうか」
「SNS?」
「はい、きっと多くの人があなたの言葉を求めています。私もお話を聞いて、何度も胸を打たれました……」
住職はそっと胸に手を当て、目を細めた。
幽霊は少し考えたあと、満足そうに頷いた。そして、朝日が差し込む中、その姿はすっと溶けるように消えた。
住職は早速SNSのアカウントを開設し、幽霊の言葉を一つ一つ丁寧に投稿していった。幽霊は毎晩現れてはスマートフォンを覗き込み、反響に目を細め、満足げに微笑んだ。しかし……
「あの、すみません……アカウントが凍結されてしまいました……」
「え、どうして……?」
「有名人の悪質ななりすましだと……お役に立てず、申し訳ありません、総理……」
元総理大臣の幽霊は天井を仰ぎ、静かに呟いた。
「まさか二度死ぬとは……」