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かの子でなくば Nobody's report  作者: 梅室しば
四章 史岐の父
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あれを見るたびに

「史岐さんと同じ銘柄ですか?」

 利玖はまず、それを訊ねた。煙草の事である。

「はい」熊野刑事は表情を変えずに頷く。非常に速い反応だった。利玖がその質問をした意図もわかっているのだろう。

「わかりました。……良かった。警察の方相手に作り話をするのは気が引けたのです」利玖は息をついた。「それでは、えっと、侵入者が現れた所からお話しすればよろしいですか?」

「ご協力、感謝いたします」丁寧な口調で答えながら、熊野刑事は片手を広げた。「ですが、その件は後ほど別の警察官を向かわせますので、そちらの者にお話しください。その筋に専門知識のある者を呼びますので、気を遣って証言を変えていただく必要はありません」

「え?」利玖は目を瞬かせたが、はあ、と頷くしかなかった。

 そういえば、熊野刑事は一人だ。他に警官を連れていない。刑事というものについて、あまり、単独行動をするイメージを持っていなかったので、利玖は違和感を抱いた。

「私が伺いたいのは、社の外にいたという男性についてです。史岐によく似ていたと話されていましたが、間違いないですか?」

「はい」

「史岐本人という可能性は?」

 利玖は少し考え、首を振った。

「ないと思います」

「声が違った?」

「喋っていないので、それはわかりません。でも、かなり近い距離で顔を見ました。彼には、泣きぼくろがありませんでした。史岐さんは左目の下に一つありますよね」

「そうですか……」

 言葉を切った熊野刑事は、床に目を落とし、黙り込んだ。

 おかしいな、と思う事が、その時、もう一つ増えた。熊野刑事が自分の話を書き取っている様子がないのである。

 普通、目撃情報を聴取する時は、自らの記憶に頼らず、聞きながらメモを取るものではないのか。

「あの、その方が、侵入者の女性と何か関わりがあるのですか?」

 思い切って、利玖は訊ねた。

「調べてみなければわかりませんが、現段階で、目立った繋がりがあるとは考えておりません。彼は、いくつに見えましたか?」熊野刑事はよどみのない口調で答え、話を戻した。こういう具合に話が脱線しかけた時の対応は心得ているのだろう。「つまり、おおよその年齢がいくつぐらいだったか、という事ですが」 

「史岐さんと同じくらいか、少し年上だと思いますが、服の趣味が違いましたから、史岐さんも同じような服を着れば、もう少し年齢差が縮まって見えるかもしれませんね」

「服?」

「はい。えっと、確か……」

 利玖は、社で出会った男の服装を思い出そうとしたが、このロビィで廣岡充と別れて、鶴真と二人でエレベータに乗り込んだ時の事はよく覚えているのに、その後、儀式を終えて帰ってくるまでの記憶が、靄がかかったようにぼんやりとしている。一限の講義に向かう道すがら、朝方に見ていた夢を思い出そうとしているように、ひどくおぼろげで不確かな印象が強い。

 悩んでいると、傍らで壁にもたれていた梓葉が体を起こし、近づいてきて利玖の腕を取った。

「おじさま? 申し訳ありませんけれど、お話の続きは夜が明けて、騒ぎも落ち着いた頃になさってはいかがでしょうか。利玖さんも鶴真同様、とても危険な目に遭われたのです。こんな所で立ち話をしている場合ではないと考えます」

 熊野刑事は、一度は頷きかけたが、思い直したように、きっぱりと首を振った。

「佐倉川さん。先ほど、ずいぶん長く考え込んでおられましたが、もしかすると経過した時間に比べて、不自然に、向こう側で体験した事を思い出すのが難しくなっているのではないですか?」

 利玖が頷くと、熊野刑事は「でしたら」と身を乗り出した。

「もう一言か、二言だけで構いません。彼の事について教えていただけませんか」

 利玖はたじろぎながら、首を振った。

「お伝え出来る事は、もう、すべて申し上げました。ご指摘のように、朝になればもっと多くの事を忘れてしまう可能性はあります。ですが、今はそれ以上に、疲労で思うように思考が働きません。そんな状態で不確かな情報をお伝えするような、無責任な真似は出来ません」

「あれの兄にあたる子がいたのです」

 使い物にならなくなった頭でも、その言葉の意味は一瞬で理解出来た。

 むしろ、その一言を受け止める為に、それまで他の機能が眠っていたのではないかとさえ思えた。

「……幻ですよ」声が揺れる。「我々の油断を誘う為に、虫が作り出して見せるのです。本物ではありません」

「本当にそうでしょうか? いえ、わかりました、ここでは仮に、佐倉川さんのおっしゃる通りだとしましょう。

 貴女を相手に、史岐の幻を見せたのなら、それは貴女の記憶から史岐の情報を読み取って姿を模倣した可能性が高い。しかし、それならば、どうして外見に微妙な差異があるのでしょう? 貴女がすぐに思いつくような、ほくろ一つ、当然、再現していなければおかしい」

「何をおっしゃりたいのかわかりません」

「来年以降も儀式に同行していただきたい」

 熊野刑事は目を逸らさなかった。

「儀式に加わる事が許されるのは、木によって選ばれたごく一握りの人間である事は、もうご存じでしょう。どれほど強く願っていても、私どもでは叶わない。貴女がこの先も儀式に同行し、そこで見聞きした事を教えていただけるのなら、私はこの旅館に対しても、貴女に対しても、支援を惜しまない」

 利玖は息をのんだ。

 自分が警察内部の人間であると明かした上で、この人は、そんなあからさまな事を言うのか。……それほどまでに、切実な願いなのか。

「おじさま」

 その時、怒りを殺した低い声で、梓葉が割って入った。

「どうか、それ以上は言葉になさらないで。わたしも知らぬ存ぜぬでは通せなくなります」

「私や妻のかける声が、届いているのか、いないのか、そんな事さえ、表情を見るだけではまだわからないほど幼かった」梓葉の言葉を無視して、熊野刑事は、異様に強い光を宿した目で続けた。「あれを見るたびに思わずにはいられない。何事もなく育ってくれていたら、あの子も、こんな風になったのだろうか、と──」

 それを聞いた途端、胸の底が火の粉になぜられたようにちりっと痛み、次の瞬間には沁みるような熱さとなって、喉元へせり上がってきた。その熱さが、目の裏を炙った。

「わたしが来年も儀式に同行出来る、という保証はありません」

 利玖は、静かな声で話し始めた。

「鶴真さんに訊ねても、同じ答えが返ってくるでしょう。むしろ、本来忌避すべき幻を見ようとする意思が働く事で、わたしは木に拒絶され、二度と近づく事を許されないかもしれない」

 利玖は、つかの間、目をつぶった。

「それでも、次があるのなら……。窮地を救っていただいたお礼を伝える機会が、訪れてくれたとしたら、わたしは、そこで見聞きした事を、包み隠さず貴方がたにお伝えすると約束します。

 ですが、それは見返りを求めての事ではありません。そうする事で間接的に史岐さんを助けられるとも思っていない。ただ、わたしがそうしたくて、そうするだけです」

 頭を下げて、失礼します、と告げ、利玖は梓葉に連れられてロビィを去った。

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