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かの子でなくば Nobody's report  作者: 梅室しば
一章 冬至の招き
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とびっきりの柚子湯

 入り口脇の小窓から中の様子を窺って、利玖は部室の扉を開けた。

 壁際に置かれている色褪せたグリーンのソファ。そこに、平梓葉が脚を組んで座っている。一応、部室の中では、そこが最も清潔な場所なのだが、染みのついたクロスも毛玉まみれのクッションも、梓葉のそばにあるだけで、普段よりも貧相さが際立って哀れだった。

「この小説、面白いわね」

 梓葉は、ハード・カヴァーの新書を膝の上でめくっている。背表紙に書かれている作者名は『波來(ならい)(みつる)』だが、それが廣岡充のペンネームである事は、温泉同好会ではもはや周知の事実だった。

「舞台は現代。だけど、当たり前に八百万(やおよろず)の神々が人と隣り合って暮らしている。教師も、駄菓子屋のおじいさんも、果ては主人公と一つ屋根の下で育ってきた兄までが、実は神につらなる存在だった……」

 梓葉は言葉を切ると、内緒話をするようなトーンで利玖にささやいた。

「これ、初めて読んだ時、どきっとしたんじゃない?」

「そうですね……」利玖は後ろを振り返って、編森吾朗達が付いてきていない事を確かめる。「実の所、あらすじを読んだ時には、少しだけ動揺しました。ですが、読み始めると、そんな事はまったく気にならなくなりました。神々と人間の、厳しくも温かい心のふれ合い。その根底にある、静かで、揺るぎない信仰。読者を退屈させないように緩急をつけて展開する、多彩な人間模様。ぐいぐいと引き込まれて、あっという間に最後まで読んでしまいました」

「本当に、その通りね。……すごいわ。たった一人で、こんな物語を書き上げるなんて」

 梓葉は本を閉じると、そっと炬燵に置いた。

 無地のグレイのニットに黒のパンツ。露出も派手さも抑えられた服装だが、フレイム・オレンジのマニキュアが効果的なアクセントになっている。同じ色の石がついた細い指輪が、右手の人差し指にはまっていた。

 その手で、梓葉は前髪をかき上げると、利玖に向かって微笑んだ。

「久しぶりね。利玖さん」

「はい。お元気でしたか、梓葉さん。もうじき今年も終わりますね」

「そうね……」

 梓葉は、わずかに目を細める。

「実はね。ここに伺ったのも、そういう理由なのよ」

「はい?」

 聞き返そうとして、利玖はそれを思いとどまる。

 梓葉の顔に、一瞬、ひどく疲れているような表情がよぎったからだ。何か頭に引っかかっている事があるかのように、眉間に皺を寄せて、窓の外を見つめている。

 しかし、利玖に向き直った時には、表情も口調も、元の溌剌(はつらつ)としたものに戻っていた。

「温泉同好会の皆さんを旅館にご招待したいの。今年の冬至を、とびっきりの柚子湯で過ごすつもりはない?」

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