24度の冷房と24分の恋人
『夏の夜の恋物語企画』参加作品です。
勢いで書いて勢いで投稿したので、加筆修正を予定しています!
今回も使いまわしのキャラクターでございます<(_ _)>
八月上旬の二十一時。夜になっても快適に過ごせるほどの気温にはなってくれなくて、いつもエアコンに頼り切っている。今日はデリバリーで正解だった。暑いなか冷房が効きにくいキッチンで料理なんか出来たもんじゃない。
横浜の住宅街にある2LDKのマンションが私の住居だ。ここに引っ越して一年が経つ。
エアコンが風を送る音だけがする部屋で何をするでもなくボーっとしていると、かちゃんとリビングのドアが開いた。リビングに入って来たのは、背が高く程よい厚みのある身体でクールビズを着こなす男だ。男は丸いローテーブルにコンビニの袋を置く。
「ああ、ありがと」
「うん、ちょっと風出てた」
「ああ、そうなの」
適当な会話をしながら男は私の隣に膝を立てて座った。小麦色の手がコンビニ袋を漁って、紙パックのフレーバーティーにストローを刺す。
ストローを咥えようとした厚みのある唇が、「あ、」と声を漏らす。エスプレッソが染みこんだサヴォイアルディのように、ざらっと甘苦い声だった。
「悪い、こっちのがよかった?」
五百ミリサイズの紙パックを軽く振って聞いてくる彼に「ううん」と答えた。
「あたし水が良かったから」
「そっか」
私はレジ袋に取り残された軟水を取り出した。
冷えた部屋は相変わらず、エアコンの音が聞こえる。さっきまでは花火が打ちあがっていて、ベランダから下を覗くとがやがやと賑やかしい声も聞こえていたのに。
「レイと夜店行った?」
彼が唐突に聞いてきた。
「行ってない。嫌だったみたいだから」
「ああ、なるほど」
彼は、ストローで何かを飲むとき、ストローの先端をぐるりと舐め取る。出会ったときからずっと変わらない癖で、この仕草を見るといつもどっきりする。
「髪また明るくしたな」
私の髪を軽く引っ張りながら彼が言った。気分転換にカラーリングしたアッシュグレージュの髪は、筋張った指先に巻き取られている。
「ねえレイにも髪引っ張られた」
「マジで? じゃあ気に入ったんじゃん?」
「たぶん」
肩から落ちたキャミソールのストラップを定位置に戻す。私の髪をまだ弄っている彼が「でもさ」と切り出した。
「ん?」
「子持ちのアラサーがする髪色ではない気がする」
「ああ、確かに」
私の髪を後ろに流す左手がちらちらと視界に入る。夢だと錯覚しそうな私に現実を教えるかのように、薬指のプラチナが輝いていた。
「やっぱお前いい女だよな」
コト、と呼ぶ彼の声は、少し掠れた甘い声で。
子どもがいても、自分の好きなファッションが出来るのは、やっぱり夫が協力してくれるからで、私がサロンや買い物に行っている間に夫が子どもを見てくれている。なんなら私より夫の方が子どもを溺愛しているところがあるように思う。私と子どもを大切にしてくれる。
夫は私と出会うずっと前から、この世で一番好きな人がいたのに。
そんなことを考えていると、ジュッ、とストロー音を私の耳が捉えた。音の方に目を向けると、彼が紙パックを振っていた。
「飲むの早くない?」
「いや普通だって」
彼がローテーブルに置いた空の紙パックが、コロンと軽く音を立てた。
二十四度に設定したエアコンは、私たちを快適にしてくれるよう働いている。
「淳くん寒くない?」
「ん? うん大丈夫」
「……くっついて来んの?」
私がからかい混じりに言うと「シャワーまだだから」と冷静に返された。
「おいで」
「おいでって……子どもじゃあるまいし」
私の言葉にそう返しながらも、彼は私の胸に頭を預けた。ワックスのない、ふわふわと癖のある髪はいつも梳いていて楽しい。
「楽しそうだね、毎回毎回」
「楽しいよ」
彼は私に髪を梳かれるがまま、切れ長の目を閉じた。
彼の体温は、平熱より少し高い。
「なあ、どんくらいぶりだっけ?」
「へ? 一年半……そんな長くない?」
「うん」
「だって淳くん、私が誘っても応じてこなかったじゃん」
不平を言い終わったタイミングと、彼が身体を起こしたタイミングは同じだった。
「いや、お前だって……日中はレイにつきっきりなんだから、俺のこと別に気にしないでいいんだよ」
「うん……でも、少しの間でいいから恋人でいたいよ。あたしはね?」
フレームレスの眼鏡の奥にある目が、真っ直ぐと私を見ていた。
「乗れよ」
彼が自分の太ももを軽く叩くから、私は素直に乗った。
彼がかけていた眼鏡が煩わしくて外す。涼しい部屋で眼球が汗ばむように、切れ長の目が潤んでいた。彼は「年くった」と言うけど、小麦色の肌にエキゾチックな顔立ちは変わっていなくて、やっぱりカッコいいと思う。
「琴美、レイは?」
甘苦いテノールが囁く。
「……もう大丈夫」
「…わかった」
筋肉質な腕に腰を抱かれながら、彼のワイシャツのボタンを開けていると、
ぇぇん…ふぇえん…ふぇえーん…
……と、赤ちゃんの泣き声が、半開きにしたドアの向こうから聞こえてきた。
「え?」
さっきまでの熱を孕んだ空気が消えて、
「あー、レイまってー!」
「俺行くよ」
「え? ありがと」
彼――夫がワイシャツのボタンを閉めながら「はいはい行くよー」と泣き声がする部屋へ向かった。
夫がリビングに戻ってきた。夫が腕に抱いているのは黒岩麗。半年前、横浜に雪が降るほど寒い日に生まれた私たちの息子。
「どうした麗? まだおむつじゃないだろー?」
ああ、どうしてこの人は、そんなとろけそうなほど甘い顔と声を息子に向けられるんだろう。娘ならまだしも。
私が「いつか出ていくんだよ」と言ったとき、「出すわけねえだろ」と冗談か本気かわからない返事が来たことを思い出した。
息子の部屋にはエアコンがないため、冷風扇をつけていたけど……。
「暑かったかな?」
「多分な。麗~、れーくん」
ゆりかごのように麗を揺らしながら息子をあやしている夫は、息子を愛おしそうな目で見ていた。
父親の顔をして息子を泣き止ませている夫の姿が愛おしくて、しばらくこの姿を見ていたいと思っていたところに、夫が近づいてきた。
「ん?」
「……麗が寝たらな」
「え?」
夫がさっきの汗ばんだ目で見ていると気づいて、私は落ち着きを失っていった。
ありがとうございました!
大人の恋愛と叙述トリック修行中です……。