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デス・ゲーム

作者: 北 洋

デス・ゲーム


2045年10月、アメリカ合衆国連邦議会において、合衆国憲法修正条項第34条が紆余曲折を経てようやく可決され、約250年ぶりにアメリカの基本的人権に新たな権利が追加された。その内容は「すべてのアメリカ国民は死ぬ時期と死ぬ場所と死ぬ方法を自ら選ぶ権利を有する」というものであり、アメリカ合衆国憲法権利章典の11番目に当たるため「11番目の基本的人権」、あるいは単に「死ぬ権利」と呼ばれた。


闘病に苦しむ難病患者等による切実な要求を受けて、二十世紀の終わりごろから、安楽死の是非をめぐる議論が先進各国の専門家の間でなされていたが、二十一世紀に入り人口の高齢化が一層深刻になってくると、老人医療・介護の問題も絡んで、安楽死の意味合いも徐々に変化し、安楽死は難病患者などに限られた特殊な問題としてではなく、高齢者を含めたより普遍的な問題として認識されるようになっていった。そして、2030年代に入る頃には、安楽死の是非という枠を越えて、いわゆる「死ぬ権利」が基本的人権に当たるかどうかが、世界的に大きな論点となっていた。

そのような中、人口の三十パーセント以上が70歳以上という超々高齢社会を迎えていた先進各国では、「死ぬ権利」の基本的人権への追加を求める高齢者によるデモが2030年代中頃から頻発していた。

そして、アメリカを除く先進各国はそのような世論の動きを反映し、「死ぬ権利」の具体的な内容については各国間で多少のばらつきはあったものの、早い国では2039年に、遅い国でも2043年には、「死ぬ権利」を認めるための憲法改正および関係法令の整備をすでに実施していた。

それに伴い、これらの国々では医学的治療を受けない「純自然死」を希望する高齢者がその旨を専門の登録機関に登録できるようになり、同時に、それまで法律上のグレーゾーンにあった安楽死も、公的機関による本人の意思確認など一定の条件を満たせば、完全に合法的なものとして扱われることとなった。


一方、アメリカでは、自死を神に対する冒涜と考えるプロテスタント系の一部の上院議員が、「死ぬ権利」を基本的人権に追加することに頑強に反対し、それがために憲法改正が遅れていた。

しかし、2044年に、複数の権威ある医療機関と大手製薬会社間の老人医療をめぐる大規模な癒着が発覚し、老人を可能な限り延命し薬漬けにして暴利をむさぼる製薬業界と、それを黙認してきた連邦政府に対する、マスコミによる徹底した責任追及キャンペーンが行われると、「死ぬ権利」を基本的人権に追加することを認めない連邦議会を非難する声が国民の間に瞬く間に広まっていった。

そのような状況下、憲法改正に強く反対していたプロテスタント系上院議員がついに妥協し、「死ぬ権利」を基本的人権として憲法に記載するという内容の合衆国憲法修正条項第34条が下院・上院ともに三分の二以上の多数で可決されたのだった。


 アメリカが「死ぬ権利」を憲法上明文化したことにより、アメリカを中心に世界中で、安楽死ビジネスが急速に発展した。それまで、安楽死幇助は医師が難病患者を対象に実施した場合でさえ、殺人罪の適用が問題になることがあったのだが、これ以降は、医師以外の者が健常者を対象に実施する安楽死幇助も、政府の許認可を受ければ、完全に合法的なビジネスとして認められることになったのである。

当初はビジネスとしての可能性について懐疑的に見られていた安楽死ビジネスだが、人口の30パーセント以上が70歳以上という超々高齢社会においては、予想をはるかに超えた需要があり、しかも、需要は年々増大していった。

また、安楽死の方法としても、単なる薬物の投与だけではなく、太陽系一周の宇宙旅行を兼ねたもの、酸素ボンベを使用しないエベレスト登山や徒歩によるサハラ砂漠横断や水深三百メートルでの素潜りなどの冒険を利用したもの、スカイダイビングによる墜落死の形を取ったものなどが次々と考案され、安楽死ビジネスの形態も多様化し、専業の上場会社も複数現れた。そうなると、もはや「安楽死(Euthanasia)ビジネス」という言葉は実態になじまなくなり、単に「デス(Death)・ビジネス」と呼ばれるようになった。そして、それら数多くのデス・ビジネスの中でも、もっとも大きな成功を収めていたのが、アメリカのマーシー社が主催する、高齢者たちが武器を手に取り、お互いに戦い、殺し合う「デス・ゲーム」であった。


マーシー社がこの企画を立ち上げた時、世界で初めての、参加者がお互いに殺しあうデス・ビジネスであったため、社内では反対する声のほうが圧倒的に大きかったが、創業者の強い希望で実施することになった。 

実は、当初はマーシー社創業者自身もこの企画の成功については疑心暗鬼だった。死にたいと思っている老人が多いのは事実だが、人は殺したくないと思っている人間が多いのも、また、まぎれもない事実だったからである。

しかし、薬物を使った苦痛を伴わない死を「受動的な死」と考え、これを潔しとしない老人たちが、マーシー社の予想をはるかに超えて多数存在した。彼らはスカイダイビングによる墜落死さえも消極的であるとして受け容れず、「戦場で男らしく戦って、男らしく死にたい」という強い欲求を持っており、サムライのような戦陣での討ち死にを「最高の死に方」としていた。そして、マーシー社の「デス・ゲーム」はそのような「UCHIJINI」の機会を提供する革新的なサービスとして、サムライライクな死を望む米国老人たちの間で大反響を呼び、大きな成功を収めたのである。


 なお、デス・ゲームの概要は下記の通りである。


デス・ゲームでは、70歳以上の老人だけが対象とされた。

アメリカ合衆国憲法修正第34条ではすべての成人に死ぬ権利を認めており、さらに、アメリカではデス・ビジネスは許可制になっているが、マーシー社が許可を申請した際、当局からは70歳以上という条件は求めなれなかった。それでも70歳以上という年齢制限をマーシー社が設けた理由は、参加者同士が殺しあうというこのゲームの性格上、年齢を無制限にしてしまえば、自分が死ぬためではなく、ただ人を殺したいという欲求のために参加する者がでてくる恐れがあり、その場合、殺人罪の適用を受け、ビジネスそのものが違法と認定される可能性があったからである。


デス・ゲームはアメリカ人以外でも参加は可能だが、参加するには、自国政府の承認を必要とした。デス・ゲームのような参加者が殺しあうゲームは、アメリカの法律上は合法だが、国によっては違法とされているところもあったためである。


デス・ゲームでは実質的に戦闘を遂行できる体力のない者は除外された。申込者の戦闘能力の有無については、特別に作成された運動・精神能力判定テストの結果で判断された。このテストに合格した者はたとえ癌の末期患者であろうと参加できた。なお、エイズ感染者は感染拡大防止の観点から参加を認められなかった。また、参加者は実質的に男性に限定された。女性の参加希望者は極端に少なく、ごくたまにいても、ゲーム開始前に棄権するケースがほとんどだった。ゲーム開催前の参加者事前説明会時に、参加の男性たちが「女性と子供は殺せない」と明言することも多く、女性は自分ひとりで、ほかはすべて男性という状況では、自分が希望する死に方ができるか不安だったのである。


デス・ゲームの1ゲームごとの参加者は30名とされた。会場のセッティング、武器・弾薬・水・食料などのデリバリー、遺体回収などに関するマーシー社の運営能力からいって、それが適正な規模だったためである。ただし、毎回、参加者の約三分の一はゲーム初日で棄権した。それは、実際に人が心臓を撃ち抜かれて、場合によっては顔や頭を撃ち抜かれて殺され、あるいは肺や膀胱を撃たれて苦しむ姿を目の当たりにし、死ぬことあるいは人を殺すことが怖くなった者が、初日で相当数発生したのである。


デス・ゲームの参加者は全員「UCHIJINI」を望んでいるが、決して、戦場のように不便で不快な生活環境を望んでいるわけではないため、ゲーム中でも快適な生活ができるよう、衣食住全般に亘る各種の施設がゲーム会場の中央に設置された。ジャグジーやシアタールーム、高級オーディオ機器などを備えた快適なスイートルーム、和洋中の三ッ星シェフばかりを集めた最高級レストラン、世界中の有名銘柄を取り揃えたバー、プール付きのアスレチックジム、ボウリング場などである。また、戦闘時間は午前9時から午後3時の間の昼休みを除く4時間30分に限定され、それ以外の時間帯は戦闘行為は禁止され、自由時間とされた。


問題は、参加者は全員「自分が死ぬこと」を目的に参加しているため、本当に真剣な戦闘が期待できるのかという点であった。

通常の戦闘は生き残ることが目的だから、黙っていても真剣勝負になるが、死ぬために戦闘に参加する者にはそのモチベーションがない。しかし、それがために、戦闘が投げやりなものとなってしまっては、真剣勝負での「UCHIJINI」を願う参加者の期待を満たすことができなくなってしまう。つまり、死にたいという願望と命がけの戦闘は本質的に矛盾するものであるはずなのに、デス・ゲームではその両立が求められるのである。

そこで、デス・ゲームではこの二律背反を克服するため、参加者に特別の動機付けを行うこととした。最後まで生き残った参加者(デス・ゲームではアンカーと呼ばれている)には、事務局が選定した美女(名称:マーシー・レディ)と好きな場所への1ヶ月の貸切クルージング旅行ができる権利が付与されたのである。(女性の参加者のために、一応、美男も用意された。)また、マーシー・レディは参加者の年齢層を考慮して、40歳代のアメリカ人女性を対象としたオーディション形式で選定された。

普段、美しい女性と二人きりで話す機会などほとんどない老人たちにとっては、これは意外に大きな、真剣勝負の動機付けになった。性的な交渉については、あくまでも個人間の合意に任されるとされたが、死を願う老人たちは性的な願望など持ってない場合がほとんどなので、美女と二人きりで旅行できることだけで、十分な動機付けになったのである。

なお、アンカーには、マーシー・レディとのクルージング旅行のあと、再度、デス・ゲームに無料で参加できる権利も付与された。


ゲーム会場はアリゾナ州ツーソンの近くに設置された。暖かく雨がほとんど降らないため、参加者の肉体的負担が少なく、かつ、ゲームの運営が容易だからである。また、税制上の優遇措置や土地の無償貸与など、産業の少ないアリゾナ州からの積極的な誘致活動があったことも、マーシー社がデス・ゲーム会場をアリゾナ州に決定した大きな要因であった。


・    ・    ・


「おう、危ねえじゃねえか。フラフラ歩いてるんじゃねえよ。この、耄碌ババア」

「そっちこそ真っすぐ歩きなさいよ。この、せん妄ジジイ」

「チッ、口の悪い婆さんだな」

「ちょっと、あんた、永井先生のこと聞いたかい?」

「いいや。何かあったのか?」

「先生、今度、デス・ゲームとか言うアメリカでやってる戦争かなんかに行くらしいよ」

「ええっ?デス・ゲームと言えば、死にかけた爺さんたちが殺しあうゲームじゃないか。先生はまだ70代のはずだけど。本当かい?」

「今日、お金を振り込みに行ってるらしいわよ」

「先生、最近ずっと元気なかったからなあ」

「奥さんが亡くなってから急にねえ」

「小説もあんまり売れてなかったらしいしなあ」

「私にはよくわかんないけど、きっと、生きるのが嫌になってきたんだろうね。かわいそうに」

「ゴミの日の朝、お前がゴミみたいな格好して、のそのそとゴミ出しにでてくるだろ。あれを見て、先生、将来を悲観したんじゃねえのか?」

「あんたこそ、足を引きずって歩く姿なんか映画に出てくるゾンビそっくりじゃないの」

「はは、それでか。いや、この間な、夜の1時ごろ散歩してたらさ、そこの角で出くわした若い女が俺を見てギャッて言って腰抜かしたんだよ」

「ややこしい時間に散歩してるんじゃないわよ」

「いや、眠れなくてさ」

「いいのよ。もう眠らなくても。どうせ、しばらくしたら永久に眠っちゃうんだから」

「そりゃ、そうだ」


自宅の近所の老人たちがそんな噂話をしていたころ、三菱UFJ銀行日比谷支店から出てきた永井は、アメリカのマーシー社にデス・ゲームの参加費用100万ドルを無事送金できて、ほっとしていた。

「これで、俺の余命もほぼ決まったな。」

そう思うと、永井はうれしいような寂しいような複雑な気持ちだった。

永井は昨年の暮れに第27回デス・ゲームへの参加をマーシー社に申し込み、先週、マーシー社からの書留郵便で当選を知った。デス・ゲームは参加希望者が多く、毎回、抽選で参加者が決定されるのである。第27回デス・ゲームの開催日は約1ヵ月後の3月21日であり、開催場所はいつもと同じく、米国アリゾナ州のベンソンである。ベンソンはツーソンから南東に50kmほど離れた、ソノラ砂漠のほぼ中央に位置する小さな街である。


永井は歴史小説家である。もうすぐ77歳になり喜寿を迎えようとしている。得意分野は戦国時代で、かつては年間30万部以上売るベストセラー作家だったのだが、ここ10年近くは新たな作品は発表していない。高齢のためなのかどうかは分からないが、創作意欲が全く湧いてこないのである。若かりし頃の華やかな日々と現在の侘しい日々のギャップが大きすぎて、気分はいつもすぐれない。その上、若い時に体力に任せて、徹夜での執筆とその後のはしご酒を繰り返したのが祟ったのか、最近は体力の低下が著しく、数年前は軽々とやっていた腕立て伏せも懸垂も今はほとんどできなくなってしまい、それがさらに永井の気分を落ち込ませている。妻の恵理子がいれば、何なりと気分が紛れそうな気がするが、恵理子はすでに9年前に他界している。子供はいない。

「このままいくと、俺は将来、介護施設で孤独な寝たきり老人になるかも知れんなあ」という思いが、今回、デス・ゲームへの参加を永井が申し込んだ動機だ。永井は長年、戦国時代の潔い武将の生き様・死に様を小説で書き続けてきただけに、介護施設でオムツをされて糞尿と床ずれにまみれて悪臭を放ちながら自分の人生が終焉するという事態は絶対に許容できなかった。また、認知症になり作家としての矜持を失うのも耐え難いほど怖かった。そんなことになるぐらいなら、デス・ゲームに参加して華々しく討ち死にしたほうがましだ。そう考えて、永井は今回、デス・ゲームへの参加を申し込んだのである。100万ドルの費用は、30年以上住んできた世田谷の敷地50坪の家を売って工面することにした。とりあえず、土地と家を担保に銀行から金を借りたが、これが売れれば、アリゾナのデス・ゲーム会場に移動するまで、ホテルで生活するつもりでいた。

「さあ、これからデス・ゲーム開催までの1ヶ月、どう過ごそうか」

永井は帰りの電車の中でこれからやるべきことについて、あれこれ考えた。


家財道具、車、蔵書その他もろもろの持ち物の処分、家土地の売買手続き、パスポート取得などの渡航準備、法務省へのデス・ゲーム参加許可申請、出版関係者その他の生前お世話になった人たちへの連絡と挨拶などで、1ヶ月はあっという間に過ぎた。そして、第27回デス・ゲーム開催3日前の3月18日夕方、永井はマーシー社から送られてきた航空チケットで成田からツーソンに向けて飛び立った。シートはファーストクラスだった。


永井がロサンゼルス経由でツーソン空港に着いたのは、日付変更線の関係で、同じ3月18日の夕方だった。永井がマーシー社から送られてきた案内状に記載されたゲートから出ると、マーシー社が手配したリムジンが予定通り待っていた。マーシー社の社員が永井を見つけると、荷物をリムジンのトランクに入れ、永井を後部座席に座らせた。リムジンのミニバーにはブランデー、スコッチ、バーボンの高級銘柄のミニボトルが並んでおり、「ご自由にご利用下さい。」と日本語で書かれていた。また、キューバ産葉巻もコイーバやモンテクリストなどの有名銘柄が豊富に用意されていた。

ツーソンは砂漠の中に造られた街で、1700年にスペイン人が教会を建てたのがその起源である。永井がツーソンに到着したときは、季節はずれの砂嵐が一帯を襲った直後で、部分的に交通規制が実施されたツーソン市街は、帰宅を急ぐマイカーなどで渋滞していた。

リムジンの中では、今後のスケジュールなどについて、マーシー社の社員が英語で説明してくれた。社員とは別に通訳も同乗しており、その通訳はアメリカ人と結婚してアメリカに長く住んでいる中年の小柄な日本人女性で、ゲーム期間中はずっと永井を担当するということだった。

永井の乗ったリムジンはツーソンから州間高速道路10号に入り、その上を東に向かって砂漠の中を1時間ほどノンストップで走ると、デス・ゲーム会場のあるベンソンに到着した。ベンソンはコロナド国立森林公園に隣接し、メキシコとの国境から100kmほど離れた場所に位置しており、その人口は5千人弱で、鉄道駅とウォルマートと数軒のモーテルがある住宅街である。なお、映画「OK牧場の決闘」で有名なトゥームストーンがベンソンから州道80号線を50kmほど南下したところにある。


永井がベンソンのデス・ゲーム会場に入ったのは午後6時30分過ぎだった。1階が事務室・会議室・レストラン・アスレチックジムなどの共用部分、2階が参加者の宿泊フロアになっており、永井が1階で受付を済ますと、担当者が永井を2階のスイートルームの1室に案内し、そこに永井の荷物が運び込まれた。

担当者が永井にキーを渡しながら、「食事はどうされますか?」と質問した。永井は時差ぼけのせいであまり食欲はなかったが、「1時間ほどしたら食べます」と答えると、担当者は1階にあるレストランの場所を永井に教えてくれて、「それではお待ちしています」と言って部屋のドアを閉めて、通訳と一緒に戻って行った。


永井はシャワーを浴びてしばらく横になってから、階下のレストランに向かった。レストランはテニスコートほどの広さで、30人の参加者には広すぎるほどだった。二人掛けのテーブルがまばらに配置してあり、窓の外には高さが10メートル近い巨大なサボテン、サワロ・カクタスが数本植えてある。すでに、参加者と思われる数名の老人が着席して、黙々と食事をしていた。

永井が窓際の席に座ると、すぐに若いウェイトレスが冊子になったメニューを持ってきた。メニューには和食、寿司、フレンチ、イタリアン、中華のさまざま料理が、日本語の解説付きで書かれていた。永井が料理を選んでいる間、ウェイトレスは永井のそばに立って待っていた。永井は寿司の盛り合わせと純米酒の熱燗を注文した。

しばらくしてウェイトレスが運んできた寿司は、鮮度もよく、味も日本の高級寿司店に劣らないものだった。また、熱燗も程よいつけ具合で、日本で飲むものと同様に美味しかった。長旅と時差ぼけで疲れていた永井はすぐに酔いが回り、食事を済ませ部屋に戻ると、着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。


翌朝、永井は事務室からの電話で目が覚めた。レストランの朝食の提供時間がまもなく終了しますという事務室からの連絡だった。永井は通常、午前6時には床を上げて、新聞を読んでいるのだが、この日はめずらしく寝過ごしてしまった。たぶん、時差の影響だろうと永井は思った。

永井は手早く顔を洗い歯を磨くと、階下のレストランに下りていった。レストランではまだ数人が食事をしていた。永井は席に座るとご飯と味噌汁に生卵と納豆を注文した。やはり、朝食も日本で食べるものと同じく美味しかった。

永井は朝食を済ますと、自室に戻り、新聞を読んだ。新聞は、USAトゥデイと日本の3大紙がかごに入れられ、部屋の外の壁際に置かれていた。

この日も、参加者が朝から続々と会場に到着してきた。そして、夕方までには参加者30名全員が会場に到着した。

永井は暇だったので、プールで泳いだり、アスレチックジムで汗をかいたり、一人でボウリングをしたり、周辺を散歩したりして過ごした。建物周辺は戦闘エリアだが、戦闘時間以外は参加者は自由に散策することが許されており、安全のため、毒蛇、サソリなどの害獣・害虫は駆除されていた。


翌日3月20日は、翌21日からのゲーム開始に先立って、参加者に対する事前説明会が午前9時から開催された。

説明会の会場は事務室内の大きな会議室で、そこにはマホガニー製の長方形のテーブルが口の字型に配置されており、永井は自分の名前を記載したプレートの置いてある場所に着席した。横には、リムジンに乗っていた通訳の女性がすでに座っていた。

永井が着席すると、隣に座っていた日本人らしい白髪の老人が話しかけてきた。

「日本の方ですか?」

「ええ」

「どちらからです?」

「東京です」

「わたしは大阪です。萩本です。よろしく」

「永井です。よろしくお願いします」

二人はお互いに自己紹介した。萩本は83歳で40代のころから自己資金による投資業を生業にしていた。中背でやや肥満気味だが血色がよく、髪の毛は真っ白だが若者のように豊かで、柔和で資産家特有の余裕のある顔をしている。永井が自分の職業を告げると、萩本は驚いた様子で、永井の本は読んだことはないが名前だけは知っていると言った。

「永井さんはまだお若いのに、また何でこんなものに参加されたんですか?」

萩本が、興味津々の様子でストレートに永井に質問してきた。

「なかなかピンピンコロリとは行きそうにありませんし、家族もないので、戦国時代の武将たちのように潔く人生を終わらせようかと思いましてね」

「そうでっか。私も恍惚の人になるのがいやでねえ。もうさんざん金儲けしたし、その金使って遊んだし、この世に未練はなんにもないんですわ。自分が死んでも誰も悲しむ者もおれへんし、ここらへんでさっぱりとこの世からおさらばしようかと思いましてな。薬物使うて安楽死するのも、何や野良猫が殺処分されるみたいで嫌やし、まあ、このゲームに参加して、せめて最後ぐらいは男らしゅうパッと散ろうと思いましたんや」

萩本はテーブルに置いてあるペットボトルの水を飲みながら、あっけらかんとした口調で言った。

しばらくして、3人目の日本人がやってきた。白髪を短く刈り上げて、ぴっちりとした白いTシャツにマッチした逞しい上半身を持ち、老人特有のくぼんだ眼窩から鋭い眼が覗いている。陸上自衛隊出身者なのだろう。陸上自衛隊の文字とロゴマークが入った腕時計をはめている。その男は名前を馬場と名乗った。馬場は永井らと二言三言挨拶を交わすと、会議室の隅に立っているウェイトレスの方に歩いていった。そして、コーヒーを自分の分だけ淹れてもらうと、自席に戻りコーヒーを啜りながら、憮然とした表情で説明会が始まるのを座って待っていた。


説明会開始時間になると、はじめに、事務局を務めるマーシー社の社員が自己紹介したあと、参加者のリストが配られ、各参加者の氏名と出身国が事務局によって紹介された。

参加者の国別内訳は次の通りである。

 アメリカ:9人、日本:3人、ドイツ:3人、イギリス:2人、フランス:2人、ロシア:2人、中国:2人、

インド、イタリア、カナダ、オーストラリア、スペイン、ブラジル、南アフリカ:各1人

「まるで、第二次世界大戦みたいやなあ」

 リストを見ながら、萩本が言った。

「なぜか、いつも大体こんな感じですよねえ」

 永井がうなずきながらそれに答えた。

「人口比率から言うたら、中国人とかインド人とかもっとたくさんおらなあかんねんけどなあ」

「やっぱりあれでしょうかね。こんなゲームだから好戦的な人種が集まるんですかね?」

「確かになあ。日本人は戦国時代以前から内でも外でも闘ってばかりやからなあ。せやから、聖徳太子も言わはったんやろう。和を以って貴しとなすと」

続いて、書類の入った封筒が配られ、その中にはデス・ゲームに関する各種説明資料とゲーム会場内のマップが入っていた。永井と萩本に配られた書類はすべて日本語で書かれていた。資料の配布が終わると、担当者がプロジェクターを使いながら資料に沿って、ゲーム会場の各施設や進行要領などについて説明した。説明の内容を要約すると次の通りである。


(ゲーム会場)

デス・ゲームの会場は半径0.5マイル(約800m)の円状になっており、周囲をコンクリート製のフェンスに囲まれている。これは脱走防止のためではなく、流れ弾による周辺住民の事故を防ぐためである。中心には居住エリアがあり、そこには、運営事務室、宿泊飲食施設、医療施設、スポーツ遊戯施設などが設置してある。そして、居住エリアの外側が戦闘エリアとなっており、プレイヤー(デス・ゲーム参加者のこと、以降も同じ表現を用いる)はそこで戦闘行為を行うことになっている。詳細は各プレイヤーに配布したマップに記載されている。


(ゲーム中の1日のタイムスケジュール)

朝食時間は午前6:30~8:15であり、プレイヤーはその間に、1階のレストランで朝食をとる。朝食後は各自、自由に過ごす。その間、各自好みの戦闘服に着替えておく。戦闘服は通常のミリタリースーツ、ヘルメットのほかに、中世ヨーロッパの騎士が纏っていたプレートアーマー、日本の侍が使用していた鎧兜、スターウォーズに出てくる銀河帝国軍の兵士が身に着けていた甲冑が各人の体型に合わせて作成され、クローゼットに準備されている。ミリタリースーツ以外はすべてジュラルミン製である。そして、午前8:30になると、全プレイヤーは1階のロビーに集合し、コンクリート製の壁に囲まれた中央の居住エリアから出て、戦闘エリアに散らばっていく。

戦闘エリアには武器保管庫が数十箇所設置してあり、プレイヤーはそこにある武器を自由に使用できる。保管してある武器の種類は次の通りである。  

•M16(ライフル銃)

•AK47(ライフル銃)

•M4カービン(ライフル銃)

•ベレッタ92(拳銃)

•M9コンバットナイフ 

•日本刀

 なお、すべての銃には標的を狙いやすいように、レーザーサイトが取り付けてある。

プレイヤーは朝、居住エリアを出ると、まず戦闘エリア内のいずれかの武器保管庫に立ち寄り、必要な武器を入手した後、それを持って戦闘エリア内を自由に移動する。

戦闘エリアにはフォートと呼ばれるコンクリートでできた屋根付きの建造物が等間隔で設けてあり、プレイヤーはここに身を隠しながら戦闘を行うのが通例である。

午前11:30~午後1:00は昼食とその後のコーヒーまたは昼寝のための時間であり、戦闘行為は禁止されている。昼食はデリバリー方式で、各プレイヤーが数十種類のメニューの中から事前に選択しておいたランチを、無人ドローンが各プレイヤーのいる場所まで届けてくれる。そして、午後3時になると、生存者は全員戦闘行為を中止し、武器を武器保管庫に戻し、住居エリアに帰ってくる。午後3時30分までに戻ってこなかったプレイヤーは戦闘で負傷または死亡した可能性があるので、事務局が状況を確認し、死亡が確認された場合は遺体を回収し、負傷の場合は付属の診療所で必要な治療を行う。なお、プレイヤーは全員GPS・心拍血圧測定機能付きのスマートウォッチを身に着けており、事務局が全プレイヤーの所在場所および生体情報を常時モニタリングしている。

なお、土日および休日はゲームは行われない。終日自由時間であり、プレイヤーたちはデス・バレーやトゥームストーンを観光したり、フェニックスのカジノで遊んだりと、思い思いに過ごす。


最後に、“デス・ゲーム参加に当たっての注意事項”というタイトルのペーパーが配られ、それに基づき担当者が内容を説明した。


(デス・ゲーム参加に当たっての注意事項)

•ゲーム中は自分が死ぬことではなく、あくまでも、相手を殺すことを目的とすること。(逆説的ですが、それが結局は「自分が望む方法で死ぬ」という本来の目的を達成することにつながるのです。)

•プレイヤーの中には、ゲーム開始と同時に、他プレイヤーの銃口の前に故意に出てくる方もありますが、このようなプレイヤーは即座にゲームへの参加資格を永久に剥奪されます。また、明らかに戦闘行為に消極的な方も参加資格を剥奪されます。


•攻撃の際はできるだけ心臓を狙うこと。顔や頭は極力避けること(死に際の苦しみを軽減し、かつ遺体回収を容易にするため)。


•攻撃した相手がまだ生きている場合は、心臓を撃ち抜くかナイフで頚動脈を切り、速やかに止めを刺すこと。


•戦闘中に負傷しても、戦闘時間が終了するまでは治療活動は行なわれない。午後3時30分以降に治療を開始し、戦闘可能な負傷者は翌日以降の戦闘に参加し、戦闘不可能な負傷者はその時点でゲームオーバーの扱いとなり、フェニックスのアリゾナ州立病院に移送される。


•ゲームの棄権はゲーム中はいつでも可能である。棄権の意思表示をしているプレイヤーを他のプレイヤーは絶対に攻撃しないこと。戦闘時間中の棄権は、戦闘開始時に毎日支給されるデイパックに入っている白い布を銃口に結んで高く掲げるか、各フォート内に設置してある白旗を掲げて意思表示すること。


•ゲーム期間中、ゲーム会場の外に出ることは、戦闘時間を除きいつでも可能である。ただし、戦闘時間が再開するまでに戦闘エリアに入場できなかった場合は、状況により参加資格を剥奪される場合がある。


•ゲーム開始日(今回は3月21日)以後は、参加資格剥奪、負傷による戦闘能力喪失、棄権によるゲーム不参加のいずれの場合でも、参加費は返還されない。ただし、初日の戦闘開始前に不参加の意思表示があった場合は、状況により、参加費は一部返還される場合もある。


資料に基づく説明がひと通り終わると質問の時間となり、プレイヤーからのさまざまな質問に対して、担当者が丁寧に回答した。そして、すべての質疑応答が終わると、小休止を挟んで、元アメリカ海兵隊員による、各種武器の取り扱い方法と心臓、頚動脈など人間が即死しやすい臓器の位置などに関するセミナーが開催された。セミナーでは、プレイヤーが覚えておくべきポイントとして、各銃の安全ロックの外し方が実物を使って繰り返し実演された。また、心臓の位置は胸骨の裏側、頚動脈の位置は喉仏の両サイドだと、元アメリカ海兵隊員が何度も強調していた。

そして、事前説明会は午前中に終わり、午後からはプレイヤー全員による会場内の見学とM16を用いた射撃訓練が行われた。


ゲーム開始を明日に控えたその日の夕方、会場では「デス・パーティー」と銘打って、豪華なパーティーが開催された。日本の生前葬式のような意味合いのものである。そこには、アリゾナ州選出の上院議員、ハリウッドの有名俳優、大リーガー選手、スーパーモデルなども招かれていた。

パーティーはマーシー社の創業者ジャック・リードの挨拶で始まり、各プレイヤーの紹介と上院議員によるスピーチが終わると、ジャズミュージシャンによる生演奏が流れる中、パーティー参加者は会場内に等間隔に配置された丸いテーブルを囲み、思い思いに歓談した。永井と萩本は会場の後ろのほうに置かれたテーブルの周りで、豪華な料理や酒を楽しんでいた。

しばらくして、パーティーの司会者がパーティー参加者に注目を呼びかけ、今回の優勝者と一緒にクルージング旅行する美女、第27代マーシー・レディの名前が「カレン・ウィリアムズ」と読み上げられ、マーシー・レディがステージの脇からスポットライトを浴びながら登場した。細身だがメリハリのあるプロポーションに襟元の開いた赤いドレスがよく似合う、アジア系アメリカ人と思われる知的な美女だった。

萩本がマーシー・レディを見てつぶやいた。

「いい女やなあ。あんな女と一晩でいいから一緒に過ごしてみたいもんやで。もっとも、わしのはもう役に立たんけどなあ、ははは。・・・うん?永井さん、どないしたん?」

 永井は目を大きく見開いて、マーシー・レディをじっと見つめていた。

「いや、死んだ家内の若い頃によく似ているなあと思いましてね・・・。交通事故で亡くなって、もう10年近く経つんですがね」

「そうでっか。えらい美人でしたんやな。奥さん」

「ええ。私が小説家としてここまでやって来れたのも、家内のおかげだと思いますよ。あいつが生きていれば、私もこんなところには来てないんでしょうけどねえ」

「それは気の毒なことしましたなあ。・・・しかし、永井さんは幸せ者でっせ。そんなに素晴らしい女性にめぐり会えたんやから。わしなんか本気で好きになった女はひとりもおらんもんなあ。・・・あ、いやいや、ひとりおったな。由美かおる」

 萩本がおどけた口調で言った。

マーシー・レディは司会者による紹介と会場内の拍手が終わるとステージから降りてきて、各テーブルを参加者らと談笑しながら周っていった。

しばらくすると、マーシー・レディが永井たちのいるテーブルに近づいてきた。

 永井にとって、間近で見るカレン・ウィリアムズは亡くなった妻の恵理子よりは背丈も大きく、顔の彫りも深かったが、切れ長の目元と明るく優しそうな雰囲気は、恵理子が若かった頃のさまざまな記憶を永井に思い起こさせた。

 カレンの自己紹介によると、カレンは父親が日本人で母親がアイルランド系アメリカ人だった。子供の頃、日本にも住んでいたことがあり、日本語も日常会話レベルなら話すことができた。カレンは永井らが日本人だと分かるとうれしそうにして、日本の様子などを質問してきた。

カレンは20代の頃、インディアナ州の地方紙の記者であった前夫と結婚したが数年前に離婚し、現在、オクラホマ州の広告代理店で働いている。独身だが高校生と中学生の2人の子供がおり、上の子は将来、日本企業で働きたいと考えていると話した。カレンが今回、マーシー・レディのオーディションに応募したのは、2人の子供の教育費を稼ぐためだった。

そして、カレンは永井らが囲んでいるテーブルでしばらく歓談したあと、二人に別れの挨拶をして、次のテーブルに移っていった。

「カレンさんは46歳にしては、若々しい肌してまんなあ。しかも、若い女にはない魅力がある。まさに熟れた女の魅力や。あの人と二人だけで旅行できる思うたら、なんや、張り合い出てきましたな。がんばって、最後まで生き残らなあかんな」

 カレンがいなくなったあと、萩本はそう言って永井の背中を叩き、大声で笑った。

パーティーは、その後も来賓による挨拶やパフォーマンスが行われる中、にぎやかに続き、最後にハリウッド俳優による全プレイヤーへのエールで締めくくられ、午後9時に終了した。

デス・パーティーが終わると、各プレイヤーはそれぞれ希望の場所に散っていった。ある者はゲーム会場内のバーに流れ、ある者は自室に戻り、ある者は酔い覚ましに建物の外へ散歩に行った。

永井と萩本はレストランに隣接するバーに行って飲みなおすことにした。そのバーはデス・ゲームプレイヤーのために特別に設置されたもので、バーの酒棚はカウンターの奥だけではなく、バーの4面の壁がすべて酒棚になっており、そこには世界中のあらゆる種類の酒が置いてあるように見えた。また、タバコと葉巻も日米欧玖の相当数の銘柄が棚にびっしりと並べてあった。

二人はバーのカウンターに座り、好みのカクテルを注文した。永井はマティーニを頼んだが、バーテンダー世界大会で優勝したことのあるバーテンダーが目の前で作ってくれたマティーニは、今まで飲んだ中で最高の味だった。永井は健康のためにタバコを50代のときにやめていたが、どうせ死ぬのだからと思い、バーテンダーに日本のセブンスターを注文した。久しぶりのセブンスターはうまかった。

「しかし、参加費が100万ドルとは結構ぼろい商売やなあ」

 萩本がジン・トニックを飲みながら言った。

「まあ、一般人にはちょっと無理ですよね」

「そら、施設も食事も酒もみな一流やし、毎晩、豪華なディナーショーやってくれるみたいやし、それなりにコストはかかってるんやろうけどなあ」

「マーシー社は時々プレイヤーの遺族から訴えられたりしてますから、そんな費用も入っているんでしょうかねえ」

「まあ、どうせ死ぬんやから、もう金はいらへんけどな」

「確かに」 

 二人はデス・ゲームに関する取り留めのない会話をしばらく続けると、日本の政治家の悪口や古い女優の艶話や新しい安楽死の方法や自分の遺産の処分などに関する話題に移っていった。そして、カウンターに座ったまま2時間ほど雑談したあと、二人はバーテンダーに礼を言って、自分の部屋に戻って行った。

永井が自室に戻ったのは午後11時過ぎだった。いつもは就寝している時間だが、永井は明日からゲームが始まると思うと神経が高ぶり、目が冴えてしかたがなかったので、部屋に備え付けられたオンデマンドのビデオ装置でマリリン・モンロー主演の古いハリウッド映画を見ていたら、いつの間にか深い眠りに落ちていた。


翌朝、永井はいつものように午前6時過ぎに目が覚めた。部屋のドアを開けると、今日もUSAトゥデイと日本の3大紙がかごに入れられ置かれていた。しかし、永井は今更、新聞を読もうという気も起きず、歯磨きを終えるとベッドの上に仰向けになって、今日はどんな日になるのだろうと考えていた。今日は何人生き残るだろう?俺は明日もこうやって目覚めることができるのだろうか?ひょっとしたら、今日が自分の最後の日になるかもしれないなあ。

そんなことを考えていると、デス・ゲームの申し込みをする時にあれだけ固めていた覚悟が揺らいできた。

永井はベッドの上で何度も深呼吸をし、「もう十分に生きたではないか。それに、日本に帰っても誰も待ってはいないし、介護施設の職員に見守られて惨めにひっそりと死んでいくだけなのだぞ」と自分に言い聞かせ、「戦国時代の武将たちのように華々しく闘って、潔く死ぬのだ」と、もう一度、自分を奮い立たせた。


しばらくして、永井が食堂に行くと、重苦しい空気が充満していた。すでにテーブルに座っているプレイヤーたちの顔は一様にこわばり、誰一人リラックスしているようには見えなかった。いつもはにぎやかな中国からのプレイヤーたちも言葉を忘れてしまったかのように黙っている。ウェイトレスたちが各プレイヤーのテーブルにカトラリーを並べるカチャカチャという音が、静寂を余計に引き立たせている。永井は心が乱れたのは自分だけではなかったのだと思った。そして、永井は昨日と同じ和食の朝食を注文し、味もよく分からないまま機械的に食べ終えると、誰とも会話せずにまっすぐに自室に戻った。


やがて、集合の時間が来たので、永井が1階のロビーに下りると、戦闘服に着替えた参加者たちがすでに20人近く集まっていた。ほとんどのプレイヤーはミリタリースーツを着て、軍用のヘルメットをかぶっている。永井も、動きやすいミリタリースーツを選んだ。

プレイヤーたちの間には、もう先ほどの重苦しい雰囲気はなく、全員が顔を引き締め、各自が自分なりの覚悟を決めたようだった。午前8時30分を過ぎ、全プレイヤーと通訳が集まると、マーシー社の担当者が大きな声で「Good morning,sir!」と挨拶し、戦闘中の注意事項について再度説明し、参加者からのいくつかの質問に答えると、全員にGPS・心拍血圧測定機能付きのスマートウォッチと小さなデイパックが配られた。デイパックの中には敷地内マップ、飲み水、コンパス、小型の双眼鏡、白布などが入っていた。そして、担当者は最後に「Good luck!」と大きな声で言って、プレイヤーたちを居住エリアと戦闘エリアを隔てる鉄製の大きな扉のある方向に誘導した。その扉はヘヴンズ・ゲートと呼ばれていた。

ゲーム開始に当たっては、特に派手なセレモニーなどなく、マーシー社の創業者であるジャック・リードが出てきて、プレイヤー一人ひとりと握手を交わし、各プレイヤーが戦闘エリアに出て行くのを見送った。当然のことだが、通訳は戦闘エリアに入ることは禁じられていた。

ヘヴンズ・ゲート付近で、萩本が永井のほうに寄ってきた。

「いよいよでんな」

「ええ」

「どないでっか?わしら、チーム組みまへんか?一人やと話し相手もおらへんし寂しいし、旅は道連れということで」

「そうですね。同じ日本人同士助け合いますか」

 永井は、いつかは萩本とも戦わなくてはいけないことは分かっていたが、とりあえず今は、戦闘中の話し相手ができたことにほっとしていた。

プレイヤーが他のプレイヤーと連携するのは特に禁止されていなかったため、他の多くのプレイヤーも誰かとチームを組んでいた。言語の関係で、やはり同じ出身国のプレイヤー同士のチームが多かった。馬場は生来の一匹狼なのか、単独で行動していた。


萩本が永井の着ている戦闘服を見て言った。

「永井さんもミリタリースーツですな。綿製やけど、動きやすいし涼しいし、やっぱりこれが一番やな。そやけど、鎧みたいに重いもの誰が着るんかいなと思うてたら、2~3人おりましたな」

「いましたね。侍みたいに討ち死にしたいと言うことでしょうかね。でも、いくらジュラルミン製でも重いでしょう。あれは」

実は永井も、戦国時代の小説を長年書いてきただけに、鎧を着て兜をかぶって闘おうかと一瞬迷ったのだが、あまりに重く、いかにも場違いな感じがしたのでやめたのだった。

「ほんまに。年寄りには向かんよ」

「ところで、どこの武器庫に行きます?」

永井はヘヴンズ・ゲートを出る前に事務局から配られた敷地内のマップを見ながら、萩本に訊いた。敷地内には40箇所の武器保管庫と280箇所のフォートが均等に設置してあった。

「そうやなあ、どこということもないけども、他のプレイヤーがあまり行ってない方にいきまひょか」

「じゃあ、西側の14番の武器庫でどうです?そっちの方向に歩いている人も少ないみたいだし」

「そうしまひょか」

 萩本がそう言うと、二人はデイパックに入っているコンパスを取り出し、西の方角に向かってゆっくりと歩き始めた。

10分ほど歩いて、二人は14番武器庫に着いた。

「どの銃がいいんかな?」

「セミナーの講師が、自分が働いていた海兵隊ではM16を使っているとかいいながら、AK47のほうを暗に薦めてましたよね。砂漠で故障しにくいとか言って」

「確かになあ。カラシニコフは世界的にも評価の高い銃やけどロシア人が開発した銃やさかいな。元海兵隊員がおおっぴらに薦めるのもまずいと思うたんやろ。まあ、M16もゴルゴ13が使ってる銃やさかい、ええはずやで」

「ぷっ、そうなんですか?萩本さん、よくそんなこと知ってますね」

「ふふ、昔、さいとう・たかをのファンやったさかいな。・・・まあ、わしはゴルゴと同じM16にしときますわ。どの道、射撃は下手くそやし」

「じゃあ、私はAK47にしときますか」

 二人は自分が選択した銃を取り、銃弾が詰まった箱をデイパックに入れた。

「ナイフと日本刀はどうします?」

永井が萩本に訊いた。

「重いし、わしはやめとくわ。第一、日本刀なんか振り回したら、こっちが倒れてまうで」

「じゃあ、俺も銃だけにしとこう」

 そして、二人は銃を担ぐと、14番武器庫から一番近い86番フォートの方に歩いて行った。空は雲ひとつない快晴で、日差しが徐々に厳しさを増していた。二人はとりあえず日陰に入りたかった。

14番武器庫から86番フォートまでは200メートルほどの距離だった。フォートにはドアや窓はなく、コンクリート製の建物の4面に出入りのための開口部があるだけだった。二人が86番フォートに入ると、驚いたことに、そこには、3人がけの大きなソファと冷蔵庫が置いてあった。冷蔵庫の中には各種のアイスクリームとソフトドリンクが冷やしてあったが、アルコール類は一切入っていなかった。プレイヤーの射撃能力が落ち、撃たれた側の苦痛を増大させる恐れがあるからであった。また、熱いコーヒーと紅茶と緑茶もポットに入れて用意してあり、ポットのそばにはクッキーとドーナツとチョコレートが置いてあった。

「至れり尽くせりでんな」

「本当に。何だか闘いたくなくなってきたなあ」

 二人はヘヴンズ・ゲートを出てから、かれこれ20分以上歩き続けていたため、この気配りは有り難かった。


 二人がフォートに着いて5分ほどすると、サイレンの音が響き渡った。これがゲーム開始の合図だった。二人はやや緊張したが、周りには自分たち以外は誰もいなかったので、とりあえず、ソファに座って紅茶を飲みながら甘いものを食べていた。

「さあてと、これから、どないしまひょ?」

「まだ始まったばかりだし、しばらく様子を見ませんか?」

「そうでんな。何も慌てることはありまへんな」

 そして、二人はそのままソファに座って、戦闘とは関係のない話題について雑談を始めた。

 しばらくすると、遠くのほうから銃声らしき音が聞こえてきた。

「今のは銃声ですかね?」

「そうかもしれませんな」

「誰か撃たれたのかなあ」

「でしょうな」

 そして、またしばらくすると、違う方角から同じような音が聞こえてきた。

「あちこちで、闘っているみたいですね」

「うん、何やら緊張してきましたな」

 そう言いながらも、86番フォートの周りには誰も来ず、時々鳥のさえずりが聞こえるだけだったので、二人はそのままソファに座って、雑談を続けた。

「今日は何人残るんやろな?」

「だいたい、初日で半分になるらしいですよ、棄権も含めて」

「そう言うてましたな。じゃあ、だいたい15人ぐらいになるいうことやな」

「我々は残っているでしょうかね?」

 永井は自分が残っていることを期待しているのか、その逆なのか自分でもよく分からなかった。

 すると、萩本が突然真顔になり、永井に質問してきた。

「永井さん、死体見たことありまっか?」

「自分の親と妻の葬式の時ぐらいですかね。」

 永井は萩本の質問にそう答えて、よくそれで、腹を切り首を刎ねるのが日常茶飯事だった戦国時代の小説を書き続けてきたものだと、我ながら思った。

「こうして座っていても始まらんし、さっき銃声の聞こえたほうに行ってみまへんか?ひょっとしたら誰かが死んでるかもしらんけど、死体を見とくのもよろしいやろ。いざいうときに慌てんですむし」

「そうですね。ここにお茶のみにきたわけじゃないですからね」

 そう言うと、二人は銃とデイパックを担いで、周辺に誰もいないことを確認して、銃声のした方角の最寄りの85番フォートに向かって小走りで行った。各フォートの間隔はだいたい80メートルであり、フォートの中に入っていないときは狙撃される恐れがあるので、フォート間の移動はできるだけ敏速に走って行うというのが、プレイヤーの基本行動であった。ただ、萩本は86歳のため、すでに走ることはできなくなっているので、本人は走っているつもりでも、客観的には早歩きと言ったほうが正確であった。

 85番フォートには永井が先に着き、中に誰もいないことを確かめると、永井は早歩きで移動してくる萩本にOKサインを送った。

 遅れて85番フォートに入ってきた萩本は、入口付近でM16とデイパックを降ろすとふらふらとソファに近寄り、崩れるようにソファに腰を下ろした。

「老兵は死なずとか言うけども、銃は重たいし、足は動かんし、やっぱり、年寄りは戦争には向かんなあ。休憩、休憩」

 萩本は自嘲的に笑いながら言った。

「萩本さん、向こうの84番フォートの前に誰か倒れているようですよ」

「うん?ああ、ほんまやな」

「私、ちょっと見てきます」

 永井はそう言うと、AK47を構え、周りに注意を払いながら、84番フォートに向かって足早に移動して行った。萩本がフォートの開口部からM16の銃口を出し、84番フォートの方角に向かってスコープを覗き、永井を援護する体勢を取った。

永井が84番フォートの前に着くと、一人の老人が胸から血を流して仰向けに倒れていた。ミリタリースーツの胸部に縫い付けてある名札には、「E.KING」と書かれていた。永井は状況をひと通り確認すると、また85番フォートに戻ってきた。

「キングがやられてました」

「ああ、あの無口なオーストラリア人ですな。誰がやったんやろな」

「さあ、やった奴はもうこの付近にはいないみたいですね」

「キングとは挨拶ぐらいしかせえへんかったけど、物静かで礼儀正しい人でしたな。何でデス・ゲームに参加したのか訊かんかったけど、もうおらん思うたら、なんやら寂しい気しまんなあ。線香の一本でもあげてやれたらええんやけどなあ・・・」

 と、萩本がしんみりと言った。

「ところで、永井さん、初めて見た生の死体はどないでした?」

「はあ、実は、あまりじっくりとは見ませんでした。だけど、確かに死んでましたよ。息してませんでしたし。・・・萩本さんは経験あるんですか?」

「昔、サラリーマンしてた時にね、2回ほど見ましたわ。首吊りと転落事故ですわ。どっちも生前よう知ってた人やったからね、その変わり果てた姿はちょっとショックでしたな。しかし、検視官なんかは毎日いろんな死体調べるんでっしゃろ。あれは慣れると何とも思わんようになるらしいですな」

 萩本が冷蔵庫に入っていた苺味のアイスバーを舐めながら言った。

 そして、二人は死体の近くにいつまでもいるのも気が引けたので、最初の86番フォートまで戻ることにした。

 二人が86番フォートまで戻ってまた雑談をしていると、しばらくしてサイレンが昼休みの時間になったことを知らせ、無人ドローンが昼食を運んできた。ドローンは二人の位置をGPSで正確に把握しているようだった。

 昼食の献立は各人が朝食時に選択するシステムになっていた。永井はえび天丼と赤だし、萩本は塩サバとご飯と味噌汁だった。運動して腹が減っていたのか、二人は早々と料理を食べ終わった。

 昼休みは午前11時30分から午後1時までなので、萩本はソファに座って食後のコーヒーを飲みながら永井としばらく会話すると、「ちょっと、失礼しますわ」と言って、座ったまま昼寝に入った。永井もすることがなかったので、ソファに座って目を閉じていると、知らない間に眠っていた。

 二人が眠っていると、突然、「Hello!」という声が聞こえた。二人が声のほうを見ると、白人の老人が入口から覗いていたので、英語を多少話せる萩本が「Come in!」と言って手招きし、老人が入ってきて、永井と萩本の間に座った。

 その老人の名はモリソンといった。モリソンはニューヨークから来た81歳の気さくな男で、昨日のデス・パーティーで二人と親しくなったのだった。萩本が片言の英語でキングがやられたと伝えると、モリソンがいる72番フォートの近くでも中国人のチェンがやられたとモリソンが言った。モリソンの話によると、チェンをやったのは日本人の馬場のようだった。弾は心臓の真ん中を貫通していたとモリソンが言った。モリソンはしばらく二人と話をすると、「Good luck!」と言って72番フォートに戻って行った。モリソンはロンドンから来たウッドラフと行動を共にしていた。そして、モリソンが帰ってしばらくすると、サイレンが鳴り、再び、戦闘時間に入った。

「さて、また始まりましたな。これから、どうしまっかな?」

「天気もいいし、気候も爽やかだし、散歩するのにはもってこいの日ですけどね」

「“今日は死ぬのにもってこいの日だ”とか言うたんは誰でしたかいな?・・・“Today is very good day to die.”そうそう、インディアンのナンシー・ウッドや。・・・今日みたいな日のことを言うたんやろうかなあ?」

「萩本さんも結構物知りですねえ」

「何をおっしゃいますやら、永井さんのほうがいろいろご存じでっしゃろ。長いこと作家やってはったんやさかい」

「戦国時代のことなら自信ありますけどね。それ以外は大したことありませんよ」

「まあそう謙遜せんでもええがな。・・・それじゃあ、散歩がてらぼちぼちと移動してみまひょか」

「そうしますか」

 そう言うと、二人はキングが倒れていた84番フォートは逆方向の、東の方角にある87番フォートに向かって移動することにした。移動はさっきと同じで、まず、永井が先にフォート内部の安全を確認した後、萩本が遅れて到着するという要領だった。87番フォートには誰もいなかったので、二人は続いて88番に移動して行った。

 88番にも誰もいなかったが、萩本が再び「休憩!」と言い、二人は荷物を床においてソファに腰を下ろした。そして、永井が外の様子を見ようとして開口部付近に立った時に、開口部近くのコンクリート壁に何かが飛んできてめり込み、同時に銃声が聞こえた。永井は「伏せろ!」と叫び、とっさに壁の後ろに隠れた。萩本もソファから下りて床に伏せた。

「どないしましたん?」

「誰かが撃って来たようです」

「物騒やなあ。どこから撃ってきてまんねん?」

「たぶん、北側の95番からじゃないかなあ」

 永井はそう言うと、デイパックから双眼鏡を取り出し、開口部の端から95番フォートを見た。

「誰か分かりませんけど、AK47を構えてます」

 萩本も自分の双眼鏡を取り出して覗いた。

「ああ、ほんまですな。誰やろなあ?」

 萩本がそう言いかけた時、再び銃弾が壁の外側に着弾し、ほぼ同時に銃声が聞こえた。

「あまり、射撃はうまいことないな。白内障ちゃうか?」

 萩本が馬鹿にしたように言った。

「そんならこっちも対抗しまひょか。ゴルゴも使うてるM16アサルトライフルの威力をためしてみたろうかい。命中精度はAK47より上のはずやで。永井さん、耳塞いどきや」

 萩本はそう言うと、M16のスコープを覗き、95番フォートの開口部からこちらの様子を窺っている男に照準を合わせ、引き金を引いた。同時に、銃声が響いた。

「当たったみたいでっせ」

萩本がスコープを覗きながら言った。

「一人だけですか?」

永井も双眼鏡で95番フォートの方を見ながら言った。

「そうみたいやなあ」

萩本はそう言うと、ポットに入ったお茶を2つのカップに注ぎ、一つを永井に渡し、もう一つのカップを自分の口に運んで啜った。

「誰かが言うとったなあ。こいつを殺したのは俺じゃない、銃弾だ。俺は引き金を引いただけだゆうて」

萩本は平静を装っていたが、手が微かに震えていた。

そして、二人はフォートの外に出ると、95番フォートに向かって歩いて行った。他に誰かいないか用心しながらフォートの中に入ると、一人の老人が頭を撃たれて倒れていた。名札には、A.Tamboと書いてあった。南アフリカからの参加者で今回のデス・ゲームプレイヤーの中でただ一人の黒人だった。額から上が吹き飛んでいた。永井は思わずさっき食べた昼食を吐きそうになった。

「あの位置だと、心臓は狙われへんからなあ。まあ、よろしいやろ。頭でも心臓でも、即死には違いないんやから」

萩本は自分に言い聞かせるようにそう言うと、Tamboのそばに立って、「南無阿弥陀仏・・・・」と念仏を数回唱え合掌した。永井もそれに合わせて合掌黙祷した。

萩本の念仏が済むと、二人はすぐにその場を離れ、96番フォートに向かって移動した。96番フォートには誰もいなかった。時刻はすでに14時30分を過ぎており、二人は今日はここでゲーム終了を待つことにした。

ゲーム終了を待つ間、萩本は口数が少なかった。やはりTamboを撃ち殺したことにショックを受けているようだった。永井は萩本の気を紛らせようと、デス・ゲームに関係のない話を続けた。萩本は、最初はあまり聞きたくない様子だったが、その内、元気を取り戻して、いつもの萩本に戻った。そして、しばらくするとサイレンが鳴り、その日のゲームは終了した。二人は、ライフルと銃弾を最寄りの武器庫に戻すと、居住エリアに向かって疲れた足取りで歩いて行った。

永井は自室に戻るとシャワーを浴び、ベッドの上で横になった。今日1日で生の死体を2つも見たことが効いていた。明日はわが身だと思うと何とも言えず嫌な気分だった。早くディナーショーが始まらないかなと思った。強い酒が欲しかった。そして、オンデマンドのビデオで日本のニュース番組を見ていると5時50分になったので、永井は着替えて、1階のレストランに降りて行った。


1日のゲームが終了すると、毎日午後6時からディナーショーが開催されることになっていた。ディナーショーには地元の歌手やミュージシャン、ダンサーなどが交代で招かれていた。

その日のゲームで何人のプレイヤーが死亡し、あるいは棄権したかについては事務局から発表されなかったが、永井がディナーショーに出席したプレイヤーの数を数えたら、14人だった。馬場以外は、全員が虚脱感に襲われているように見えたが、ディナーショーが始まり酒が入ると、生き残った老人たちは徐々に活気を取り戻していった。

会場ではプレイヤーたちは自由に杯を酌み交わし、懇親を深め、デス・パーティーに続く初日のディナーショーが終わった頃には、永井も萩本もほとんどのプレイヤーと交歓ずみで、言葉を交わしたことのないプレイヤーは一人もいなくなった。

萩本以外で永井が特に親しくなったのは、ヒューストンから来たジョンソン、モスクワから来たボドルコフスキー、ニューヨークから来たモリソンだった。全員、初日のゲームを生き残っていた。

3人のデス・ゲーム参加理由は、永井が各人から聞いたところによると、下記の通りであった。

78歳のジョンソンはヒューストン郊外で大きな牧場を営む裕福な男で、グレゴリー・ペックを彷彿とさせるハンサムな老人だが、2年前のハリケーンで自分の妻と一人息子とその妻子を全員亡くしており、生きる目的を見失い、デス・ゲームに参加したのだった。

モスクワから来た73歳のボドルコフスキーは、かつては世界中でコンサートを開く人気のピアニストだったが、10年ほど前から、小指と薬指が動かせなくなる局所性ジストニアを患い、ピアニストとしての人生に絶望して、ピストル自殺よりもデス・ゲーム参加を選んだのだった。

81歳のモリソンはウォール街出身者だが、3年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、最近は足や腕の筋力が急速に低下してきており、近い将来自力で呼吸することが出来なくなると医師からは告げられていた。昨年、妻が亡くなったため、マンハッタンの自宅を売ってデス・ゲームに参加していた。

なお、今回のゲーム参加者の最高齢者は、リオ・デ・ジャネイロから来たブラジル人ゴメスで、年齢は93歳だった。ゴメスは第24回デス・ゲームのアンカーで、今回は無料で参加していた。足元のおぼつかない90過ぎのしわだらけの老人ゴメスがデス・ゲームのアンカーになったのが永井には不思議でならなかった。ゴメスも初日をしぶとく生き延びていた。


ディナーショーは午後8時過ぎに終了した。そのまま、バーで飲み直すプレイヤーもいたが、永井も萩本もディナーショーで飲み過ぎたので、自室に直行した。

永井は自室に入るとソファに座り、昨日バーでもらったセブンスターに火を点けると、深々と吸い込んだ。そして、セブンスターを二、三服吸うと火を消して、バスタブに湯を張り、浸かった。明日はどんな1日になるのだろう?俺は明日もこうして生きているだろうか?永井はバスタブで首まで湯に浸かりながら、酔いと疲れで混沌とした意識の中で、昨日と同じ質問を繰り返していた。そして、そのままうとうとしながら1時間ほどバスタブの中で過ごすと、永井は浴室を出て、裸のままベッドに入り眠った。


翌朝、永井が目覚めると、すでに朝食の時間帯だったので、顔を洗って歯を磨き、永井は1階のレストランに降りて行った。レストランでは萩本がすでに食事中だったので、永井はテーブルを挟んで萩本の向かい側の席に座り、萩本と会話しながら一緒に朝食をとった。会話の内容はもっぱら昨日死んだプレイヤーに関することだった。昨日のディナーショーで永井と萩本が他のプレイヤーから聞いた情報を総合すると、昨日死亡したプレイヤーは9人で、棄権したのは7人だった。死亡したプレイヤーのうち少なくとも3人は馬場に殺されていた。

朝食が済むと、二人は昨日と同じように8時30分にロビーに集合し、ヘヴンズ・ゲートから戦闘エリアに出て行った。そして、昨日と同じく14番武器庫に立ち寄り、永井はAK47を萩本はM16をとると、昨日のゲーム終了をそこで迎えた96番フォートの方に歩いて行った。

96番フォートに着くと、二人はコーヒーを飲みながら、ソファに座ってゲーム開始のサイレンを待った。永井はセブンスターの残りを持って来ていたので、萩本にも1本分け、マッチを擦り二人でセブンスターを吸った。戦闘エリアで吸うタバコの味はバーで吸うのとはまた一味違い、永井の高ぶる神経を抑えるのに役立った。永井は、かつて、タバコが一種の通貨として戦場で流通していた理由が分かった気がした。

「さてと、今日はどないしまっかいな?」

 萩本がセブンスターの煙を吐き出しながら永井に言った。昨日の南アフリカのTamboを撃ち殺した時の精神的ショックはもう消えているようだった。永井には、萩本の顔が戦場慣れした古参兵のように見えた。

「まあ、今日もぼちぼちといきませんか?」

「そうでんな」

 そう言って、二人は昨日日本で起きた事件や今日の昼食の献立や馬場が昨日プレイヤー4人を射殺した件などについて雑談を始めた。そして、ゲーム開始のサイレンが鳴ったあとも、ソファに座ったまま雑談を続け、話題は戦国時代の武将に関することに移っていった。

 しばらくすると、二人は雑談するのにも飽きてきたので、昨日のように散歩がてら、隣のフォートにひとつずつ移動していくことにした。

 二人はデイパックとライフルを担ぐと、昨日と同じ要領で、永井が先行し萩本が続くという方法で、97番フォートに向かって移動して行った。

 97番には誰もいなかったので、さらに二人は98番に向かって移動して行った。98番にも人影はなく、二人はそこで小休止を取ることにした。二人がソファに座り戦闘靴を脱いでくつろいでいると、西の方から数発の銃声が聞こえてきた。

「早速、誰か撃たれたみたいですね」

「西部戦線異状ありっちゅうこっちゃなあ」

二人は特に驚くこともなく、靴を脱いだ足をテーブルの上に投げ出したまま、くつろぎ続けた。そして、20分ほど98番フォートに滞在すると、二人は再び隣のフォートに向かって移動を始めた。

そうやって、二人が101番フォートに近づいた時だった。フォートの中から、突然、馬場が飛び出してきて、二人とは反対方向に一目散に走って行った。二人が恐る恐る101番フォートの中を覗いてみると、男が二人、うつ伏せに倒れていた。それはニューヨークから来たモリソンとロンドンから来たウッドラフだった。

「モリソン!」

永井がそう叫んでモリソンのもとに駆け寄ったが、頚動脈が切られており、息はなかった。血が壁に飛び散っていた。

「また、馬場か。あいつ、殺しまくっとんな」

「あのやろう、ゲームを楽しんでるみたいだ」

 永井が悔しそうに言った。

 二人は、自分たちとは全く異質の人間がこのゲームに紛れ込んでいる可能性があることを悟った。プレイヤーは皆、他のプレイヤーを殺すことに苦痛を感じていると永井は思い込んでいたが、馬場はどうも違うようだった。

 二人はモリソンとウッドラフに向かって念仏を唱えると、馬場に注意しながら、再び、隣のフォートへの移動を続けた。

 二人は102番フォートを過ぎ、103番フォートに入った時には、時刻はまもなく午前11時30分になろうとしていたので、二人はそこで昼休みをとることにした。やがてサイレンが鳴り、ドローンが昼食を運んできた。その日の昼食は、永井が餃子とチャーハン、萩本がちらし寿司と赤だしだった。

「この昼飯はありがたいなあ」

「ほんまの戦場ではこうはいかんでえ」

 二人はそんなことを言いながら、あっという間に昼食を平らげ、また昼寝に入った。そして、昼寝から覚めると、二人はコーヒーを飲みタバコを吸いながら、また雑談を始めた。戦国時代は、普段は一汁一菜の一日二食だが合戦中は豪華な食事がたらふく食べられたとか、合戦時はサトイモの茎を乾燥させて縄にして腰に巻いておき、普段は縄として使い、緊急時には非常食にしたとかいう話をしていると、そのうちサイレンが鳴り、再び戦闘時間になった。

「じゃあ、ぼちぼち行きまっか」

 二人は、また隣へ隣へと移動を始めた。馬場の姿はなかった。

 しばらくして、106番フォートに差し掛かったときだった。先行していた永井の耳に、フォートの中から人間のかすかな鼾らしき音が聞こえてきた。永井は萩本に手で止まって伏せるよう合図を送ると、一人でフォートの中にゆっくりと入っていた。

永井がそのフォートに入っていくと、ソファにインドのピチャイが座っていた。永井が入って来るまで眠っていた様子で、永井に気付くと慌ててAK47を構えて、座ったまま永井に向けて引き金を引いた。永井も反射的にピチャイとほぼ同時に撃った。そして、大きな音とともに、ピチャイの体が後ろに反ったあとソファで押し返され、ピチャイは自分のひざの上に突っ伏して動かなくなった。永井はピチャイの放った銃弾が自分に当たったものと思ったが、当たってないようだった。二人の距離は5メートルに満たなかった。

永井はピチャイに駆け寄ったが、すでに、ピチャイは息をしてなかった。永井の弾はピチャイの心臓を貫いていた。ピチャイのAK47の安全ロックは解除されていなかった。

「理想的な死に方やな」

 遅れてフォートに入ってきた萩本がピチャイに近づいてそう言うと、両手を合わせて「南無阿弥陀仏・・・」と唱えた。萩本の後ろで合掌する永井の手が震えていた。

「かわいそうに、この人は脳腫瘍やったらしいで。・・・あの病気にだけはなりとうないなあ」

萩本がピチャイの背中を見ながら、つぶやくように言った。

 永井は初めて人を殺し、茫然自失していた。全員、誰かに殺されることは了解済みでこのゲームに参加しているのは分かっていたが、実際に自分の手で人間を殺すのはまったく別の問題だった。

 二人はピチャイへの念仏を済ますと、再び、隣のフォートに移動して行った。そして、109番に着いた時にはゲーム終了時刻が近づいていたので、その日はサイレンが鳴るまでそこで待機した。


 この日も午後6時からディナーショーが開催された。パーティーに出席したプレイヤーの数は8人だった。プレイヤーたちは通夜振る舞いを食べている葬儀の参列者のように、皆一様に静かだった。永井も萩本もディナーショーが終了すると早々に自室に引き上げた。

 その夜、永井は夢を見た。その夢の中では、ピチャイが頭に巻いている真っ白なターバンを、永井が自分の手にぐるぐると巻き取っていた。そして、永井がターバンを巻き取るに従って、ピチャイの頭のターバンは減っていき、永井がターバンをすべて巻き取ると、ピチャイの頭にはぽっかりと大きな穴が開いており、その中には脳がなかった。


翌日、デス・ゲーム3日目も、朝食を済ませ着替えをしたプレイヤーたちは、午前8時30分にロビーに集合し、ヘヴンズ・ゲートを通って、戦闘エリアに出て行った。戦闘エリアは、プレイヤーの数が8人になり、そのままだと広すぎてプレイヤー同士が遭遇する可能性が低くなるため、その日以降の戦闘エリアは本来のエリアの北側半分に縮小された。


 永井と萩本は昨日の109番フォートに向かった。

「永井さん、それにしても、今回のデス・ゲームに参加してきたのは全員訳ありの人ばっかりみたいやね」

武器庫に武器を取りに行く途中、萩本が永井に言った。

「そうみたいですね。まあ、孫もいて幸せな老後を送っている人は、こんなゲームには参加せんでしょう」

「ほんまやなあ。孫も悲しむやろうしな」

二人は武器庫に到着すると、いつもの銃をとり、肩に担いだ。永井は馬場との白兵戦も考え、念のためにコンバットナイフを取って、デイパックに入れた。馬場に殺されるのは嫌だった。


その日も、二人はいつものように隣へ隣へとフォートを移動して行ったが、二人の周りではゲーム終了まで何も変わったことは起きず、まったく平和な1日だった。ただ、時おり、どこかから銃声が聞こえてきた。


この日はディナーショーは開催されなかった。プレイヤーの数が5人になったためだった。

永井は戦闘エリアから戻ると、シャワーを浴び、夕食の時間までプールで泳いだ。そして、夕食の時間になったので、永井はレストランに向かった。レストランに入ろうとすると、萩本が窓側の席で食事中だったので、そのテーブルに相席し、永井はビールとサーロインステーキを注文した。

「萩本さん、ジョンソンの最後、聞かれました?」

「ゴメスからちょっと聞きましたんやけど、なんや、えげつなかったそうですなあ」

「ええ、ボドルコフスキーが撃った弾が膀胱と睾丸に当たって、相当苦しんだらしいですよ。しかも、ボドルコフスキーのAK47が珍しく弾詰まりを起こしてしまって、その上、ジョンソンのM16は弾切れで、ボドルコフスキーが新しい銃を武器庫に取りに行っている間、ジョンソンは止めを刺されないまま30分ほど放置されたらしいですよ」

「ほんまでっか。それはかわいそうになあ。AK47も弾詰まり起こしよりましたか」

 萩本が気の毒そうに言った。

「ボドルコフスキーにさっき会いましたけど、あいつもだいぶ落ち込んでましたよ」

「コンバットナイフ持ってたらよかったのになあ。でも、ナイフで人の頚動脈を切るのも嫌やろなあ。返り血浴びるやろし」

萩本は顔を歪めてそう言うと、話題を変えた。

「ところで、プレイヤーはとうとう5人になったらしいですな」

「ええ、私たちとボドルコフスキー、ゴメス、そして馬場」

「嫌やなあ。馬場はまだ生きてたんかいな」

「あいつは陸上自衛隊出身ですからねえ。銃やナイフの使い方で、あいつに勝てるプレイヤーはいないんじゃないかなあ」

「明日は真っ先にあいつを殺さなあかんな」

「たぶん、こっちが先にやられるんじゃないですか?」

 二人は食事が済んでもそのまましばらく雑談し、やがて、それぞれの自室に戻って行った。


 次の日、デス・ゲーム4日目、永井と萩本はいつものように朝食と着替えを済ませ、午前8時30分にロビーに集合した。他の3人もほぼ同時にロビーに下りて来た。そして、いつものように全員ヘヴンズ・ゲートから戦闘エリアに出て行った。チームを組んでいるのは永井と萩本だけで、ボドルコフスキー、ゴメス、馬場は単独行動だった。永井たちは馬場がついて来ないか心配したが、馬場は一人で皆と違う方向に歩いて行った。

 

「今日もいい天気ですね。殺し合いなんかやめて、どこかでビールでも飲みたいなあ」

「“本日天気晴朗ナレドモ波高シ”か、ははは」

 二人は取り留めのない話をしながら武器庫に立ち寄り、昨日と同じ武器を取って、昨日そこでゲーム終了のサイレンを聞いた123番フォートに向かった。


 しばらくして123番フォートに着いた二人は、今日の作戦について話し合った。

「今日は、とにかく馬場に気をつけなあかんな。昨日までみたいに、むやみに移動せん方がええんちゃうか?」

「私もそう思ってたんですよ。たぶん、こっちが仕掛けなくても、向こうから仕掛けてくるんじゃないかな」

「じゃあ、今日はとりあえず、ここで待ち伏せ作戦といきましょうかな?わしもそのほうが楽やし」

「ええ、そうしましょう。双眼鏡を使って二人で外の様子をモニタリングして、馬場が近づいてきたら撃ち殺してやりましょう」

「夕ぐれの街かど、のぞいた喫ちゃ店~か」

そして、二人はそれぞれ別の方角に作られた開口部のそばに座ると、双眼鏡をデイパックから取り出して、開口部の角から外の様子を伺い始めた。


やがて、ゲーム開始のサイレンが鳴ったが、123番フォートの周辺は静寂が続き、二人は開口部のそばに座ったまま、時折、コカ・コーラを飲んだり、アイスバーを舐めたり、タバコを吸ったりしながら、双眼鏡で外の様子を眺め続けた。

しばらくすると、遠くから銃声が聞こえてきた。

「誰がやられたんかな?」

「馬場だといいんですがね」

 二人はそう言って、フォート周辺の監視を続けた。

そして、再び静寂が続き、馬場がやって来ないまま午前中のゲームが終了し、ドローンがいつものように昼食を届けに来た。

今日の昼食は、永井がカツ丼とマツタケの吸い物、萩本が寿司の盛り合わせと茶碗蒸しだった。

二人は昼食を早々に食べ終えると、いつものように、しばらく昼寝をして、その後、雑談を始めた。

そして、午後のゲーム開始時間が近づいてきたので、二人が立ち上がって、再び開口部のそばに行き、双眼鏡で周辺を監視する準備をしようとした時、永井が「わっ」と大声を出した。

「どないしましたんや?永井さん」

「馬場です」

 永井は開口部の方を指差して、萩本に言った。

「なに?」

「馬場が外の壁際に立ってます」

体力に自信のある馬場は、遠くから狙撃し合うより、接近戦の方が自分に有利だと考えているのだろう。昼休み終了間際に永井たちが入っているフォートに近づいて来て、その壁の外側にもたれてじっとしていた。恐らく、サイレンが鳴ると同時に、あの銃身の短いカービン銃で一気にけりを付ける気なのだと永井は思った。

「どうしましょうか?」

「とりあえず、そこから離れなはれ」

 萩本にそう言われて、永井は馬場が立っている開口部とは逆の壁際に移動した。

「あいつ、サイレンが鳴ったら、あの開口部からカービン銃を撃ちまくる気じゃないですか?」

「うん、そうかもしれんな」

 萩本が真剣な表情で答えた。

「中にいるとやばいですよ。俺達も外に出ませんか?」

「そうですな」

 二人はそう言うと、馬場が立っている壁の反対側の壁の開口部からフォートの外に出て、馬場が隠れている壁の対面に立っている壁の後ろに回った。

「こうなったら、挟み撃ちで一発勝負でんな。2対1やから、わしらの方が有利やけど、永井さん、これはちょっと、お互い覚悟しといた方がよろしいで」

「ええ、やりましょう。モリソンの敵討ちだ」

 二人はそう言うと、壁の両サイドに別れて銃を構えた。

 しばらくして、午後1時のサイレンが鳴り響くと。それと同時に銃声が聞こえ、人が倒れたような音がした。

「永井さん、何が起きたんや?」

「私はこちらから周りますから、萩本さんはそっちから周ってください」

「オーケー」

二人はさっき馬場が立っていた壁を両側から挟むような形で、壁伝いに少しずつ進んで行った。そして、永井が建物の角から顔を出して馬場の様子を覗くと、馬場は胸を撃たれて倒れていた。

「馬場は撃たれてます。死んでるみたいですよ」

 永井が萩本に大きな声で伝えた。そして、銃弾が飛んできたと思われる方角を見ると、100メートルほど先にフォートがあり、誰かが開口部から顔を出していた。

「萩本さん、隠れて!ゴメスだ」

ゴメスの放った2発目の銃弾が、永井が顔を出している建物の角付近に着弾した。

「萩本さん、とりあえずフォートの中に戻りましょう」

「よっしゃ」

 二人はそう言うと、馬場が倒れている壁の対面の壁の開口部から、再び、フォートの中に入ってきた。二人が建物の中から馬場の様子を確認すると、先ほど見た体勢から変化していなかった。

「やっぱり、馬場は死んでるみたいやな」

「ええ、まさか自分がゴメスに狙われてるとは、馬場も思わなかったみたいですね」

永井は萩本にそう言いながら、ゴメスがデス・ゲームでここまで生き残って来れたのは、その弱さゆえなのかもしれないと思った。高齢により体力が低下し、一見、とても戦闘行為などできそうにないように見えるため、プレイヤーの誰もがゴメスに対して油断し、その存在さえ忘れかけていた。ゴメスはその油断を突いたのだ。ゴメス恐るべし。永井はそう思った。

「さてと、これからどないしようかいな」

「下手に動いてもゴメスに狙撃されますしね。ゴメスの射撃の腕はなかなかのものですから」

「しゃあない。まあ、持久戦っちゅうことやな」

「しばらくは、こうやって睨み合いを続けるしかないみたいですね」

 永井は、時折、開口部の端から顔半分を瞬間的に出して、ゴメスのいるフォートをすばやく覗きながら言った。

 そうして、時折散発的に発砲する以外は両者とも動きがないまま、やがて、ゲーム終了のサイレンが鳴り、二人は123番フォートを出て、居住エリアに戻った。


 永井は戦闘エリアから戻ると、いつものようにシャワーを浴び、しばらくベッドの上で横になった後、階下のレストランに降りて行った。すると、萩本が先に食事をしていたので、自分も同じテーブルの椅子に萩本と向かい合って座った。そして、二人がその日の戦闘について話しながら食事をしていると、デス・ゲームの担当者と通訳がやって来て、プレイヤーの生き残りは永井と萩本の二人だけになったことを告げた。ゴメスは馬場を狙撃したあのフォートの中で、ひとり脳出血で死んでいたのだった。ボドルコフスキーも馬場かゴメスに殺されていた。

残りは自分たちだけになったことを聞かされた二人は、急に寡黙になった。そして、料理はまだ残っていたがもう手をつけず、ウェイトレスに礼を言うと、二人とも言葉少なにレストランを出て、自室に向かった。


「永井さん、いよいよ、わしらだけになりましたなあ」

二人が2階の宿泊フロアへ続く階段を重い足取りで上がっている時、萩本が覚悟を決めた様子で、永井に向かって言った。

「萩本さんとだけは戦いたくなかったのに、本当にいやだなあ」

 永井はいつかこの時が来るかもしれないことはよく分かっていたのだが、こんなふうに、事態が突然その方向に進展したことで、感情の整理ができないでいた。また、永井は、萩本に殺される覚悟はともかく、萩本を殺すことについての覚悟はどうやっても定まりそうにないと思った。インドから来たピチャイを撃ち殺した時でさえ眠れないほど苦しんだのに、もしも萩本を殺してしまうとどれほど苦しむことになるのだろう?その苦しみのために自分も死んでしまうのではないだろうか?萩本さんを殺して死ぬほど苦しんだ末に、自分の頭をAK47で撃って死んでしまったとしたら、それは死ぬ苦しみを二度味わうことになるのだろうか?もしそうだとしたら、萩本さんと撃ち合いなどせずに、最初から自分で自分の頭を吹き飛ばした方がましだ。永井はそんなことを真剣に考えていた。

「何言うてまんねん。わしら皆、死ぬためにここに来ましたんやで。最後まで、正々堂々と男らしゅう戦わな。言うとくけど、わしは手加減しまへんで」

萩本は永井の弱気を叱咤するように、永井の背中をどんと叩きながら言った。

「萩本さんと戦うぐらいなら、殺されてもいいから馬場と戦ったほうがよかったな」

 馬場を殺しても、馬場に殺されても、いずれにせよこんな精神的な苦しみは味あわずに済んだはずだ。永井はそうも思った。

「ははは、馬場はゴメスにやられてしもうたがな。・・・まあ、明日はお互いに全力で闘いましょうや。どっちが死んでもハッピーやで。何度も言うけど、わしらそのためにここに来たんやから」

 萩本はそう言うと、昭和の古い歌謡曲を歌いながら、自分の部屋のほうへ歩いて行った。

 永井は落ち込んだ気分のまま自分の部屋に入ると、電気を消してベッドに横になった。永井はもう何も考えることができず、ただ、時間だけが経過して行った。


ベッドの上でいつの間にか眠っていた永井は、翌日、デス・ゲーム5日目、いつものように午前6時過ぎに目が覚めた。そして、いつものように顔を洗い歯を磨き、いつものように6時30分にレストランに降りて行って、朝食を食べた。味はほとんど分からなかった。萩本はまだレストランに来ていなかった。

 朝食を済ませた永井は自室に戻り、新聞に目を通すと、目を閉じて時間が過ぎるのを待った。そして、集合時刻が近くなると、永井はミリタリースーツに着替え、ヘルメットをかぶり、戦闘靴を履いて、ロビーに下りていった。永井がロビーに着くと、萩本はすでにロビーに来ていた。ロビーに集合した二人は言葉は交わさず、目を合わせて、お互いにかるく頷いただけだった。

 二人はデス・ゲームの担当者に誘導され、ヘヴンズ・ゲートに向かった。二人はヘヴンズ・ゲートに着くと、担当者の「Good luck!」という声に見送られて、ゲートを出て行った。

そして、ヘヴンズ・ゲートを通過して戦闘エリアに出ると、萩本が永井のほうを見て落ち着いた声で言った。

「グッドラック!」

「萩本さんも」

 永井がそれに答えた。

 そして、二人は別々の方向に、お互いに振り返ることなく歩いて行った。

 永井は最寄りの武器庫に寄り、AK47と銃弾の入った箱を取ると、それを持って、そこから一番近いフォートの中に入り、ソファに座ってサイレンが鳴るのを待った。

 やがて、戦闘開始のサイレンが鳴ったが、永井はすぐには動こうとせず、ポットからカップに熱いコーヒーを注ぎ、コーヒーを啜りながら、残り少なくなってきたセブンスターを一本取り出すとマッチで火をつけて、煙を胸深く吸い込んだ。これがこの世で最後の1本になるかもしれないな。永井はそう思いながら、セブンスターの味を噛み締めるように、一服一服ゆっくりと吸い続けた。萩本さんにも2、3本渡しておけばよかったな。永井はセブンスターの煙を吸い込みながら思った。

 永井がセブンスターを吸い終わろうとしていた時、遠くの方から銃声が聞こえてきた。恐らく、萩本さんが自分に居場所を教えるために撃っているのだ。永井はそう思った。そして、永井は銃を担いでフォートから出ると、銃声のした方向に向かって歩いて行った。

 永井がしばらく歩くと、フォートの前に萩本が立っているのが見えた。萩本も永井に気が付いた様子だった。二人は一瞬見つめ合ったあと、萩本がフォートの中に入り、永井もすぐ近くのフォートに入った。永井はしばらくソファに座っていたが、やがて意を決したように立ち上がり、開口部の横に立ち、時折、開口部から顔を出して、萩本に向かって散発的に発砲し始めた。萩本も同様に永井に向かって発砲してきた。

 そして、二人がフォートに入って撃ちあいをはじめてから30分ほど経過した時だった。

「おうい、永井さんよお」

萩本が自分が入っているフォートの開口部から顔を出して、大声で永井に呼びかけてきた。

「こんなところに隠れてちまちま撃ち合うのもみっともないし、荒野の用心棒のクリント・イーストウッドみたいに、男らしゅう一騎打ちで勝負をつけまへんかあ?」

「いいですよお。そうしましょう」

永井も、いつまでもフォートに隠れているわけにはかないとちょうど思っていたので、萩本の提案にすぐ賛同した。一騎打ちだと萩本との相打ちになるかもしれないが、永井は、この場合は相打ちが一番望ましいようにも思えた。

 二人はそれぞれ自分のフォートから出てくると、お互いに向き合った。

「ちょうどいいところまで近づきましょうや」

「ええ」

 二人は前方に向かって歩き、二人の距離は少しずつ縮まっていった。そして、二人の距離が15メートルほどになったとき、萩本が立ち止まって言った。

「この辺でどうでっか?」

「いいと思いますよ」

 二人のライフルにはレーザーサイトが付いているので、この距離だと問題なく心臓を狙えると永井は思った。

「それじゃあ、いちにのさんで同時に撃ちましょうや」

 萩本が子供がゲームでもするような軽い口調で言った。

「わかりましたあ」

 永井も覚悟を決めていた。

「永井さん、どっちが死んでも恨みっこなしやでえ。よろしいかあ?それじゃあ、いいち、にいの、さん!」

 萩本の掛け声が終わると、二人のライフルは同時に火を噴き、轟音が一帯に響きわたった。

そして、萩本が後ろ向きに倒れた。 

永井の体には萩本の撃った弾は当たらなかった。萩本が撃った弾は永井の体を大きく外れ、永井から5メートルほど左横の地面に当たり砂埃を舞い上げた。

永井は倒れた萩本に駆け寄った。永井の放った弾は萩本の胸の中央よりやや右側に当たっていた。萩本のミリタリースーツの胸部には真っ赤な染みが急速に拡がりつつあり、口から血が流れていた。

「萩本さん、大丈夫か?」

永井は仰向けに倒れている萩本のそばにしゃがむと、萩本の肩に手を置いて呼びかけた。萩本は永井の声を聞くと、閉じていたまぶたをゆっくりと開けた。

「萩本さん、あんたわざと外しただろう?・・・ずるいじゃないか!」

永井が泣きそうな声でそう言うと、萩本は苦しそうに微笑みながら、かすれた声で言った。

「イーストウッドみたいには行かへんかったなあ・・・、永井さん・・・カレンさんとうまいことやんなはれや、・・・グッドラック!」

萩本は銃弾の貫通した肺から最後の空気を絞り出すようにしてそう言うと、横たわったまま右手の親指を立て、ゆっくりと息を引き取った。

「萩本さん・・・」

永井は萩本の手を握り、その場にうずくまった。萩本の死に顔は、目的を達成して微笑んでいるように見えた。

永井の目から、このゲームに参加して初めての涙がこぼれた。

四月初めのソノラ砂漠に吹く爽やかな微風が、その涙を乾かすように永井の頬をやさしく撫で続け、近くに立っているサワロ・カクタスの幹の上からは、大きなサバクハリトカゲが無感情な眼で二人を見下ろしていた。


永井が萩本の遺体に別れを告げ、戦闘エリアから居住エリアに戻ってくると、マーシー社のスタッフや通訳、ウェイトレスなどがゲートに集まっていて、「Congratulations!」と叫んで、拍手で永井を出迎えてくれたが、永井にはその声に応える元気はなかった。永井は自分の部屋に戻って泣きたかった。ここで友達になった萩本もジョンソンもボドルコフスキーもモリソンも皆死んでしまった。永井はまるで戦友をなくしたような気持ちだった。自分だけが生き残り、置いてけぼりを食ったように感じた。


その夜、永井のための祝賀パーティーが催された。パーティーにはアリゾナ州知事夫妻も参加していた。また、地元のケーブルテレビ局のリポーターも来ていた。永井は沈んだ気持ちのまま、永井のために誂えられたタキシードに着替えて、パーティーに参加した。

パーティーが始まり、永井の名前が読み上げられ、永井がステージに上がると、来賓たちからおおげさな拍手が起こった。続いて、マーシー・レディのカレン・ウィリアムズの名前が読み上げられた。美しくドレスアップしたカレンはパーティー会場の入口付近にいて、カレンがスポットライトで照らし出されると、会場からひときわ大きな拍手と歓声が起こった。

永井はカレンを見て思った。

「本当に恵理子の若い頃によく似ているよなあ。ああ、恵理子に会いたいなあ」

そして、スポットライトに追いかけられるようにして、笑顔のカレンがステージに立っている自分のほうに向かってゆっくりと歩いてくるのを見ながら、永井は心の中でつぶやいた。

「萩本さん、いろいろとありがとう。俺もしばらくしたらそっちに行くからね。それまで待っていてくれよ」



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