鬼子と白狐
「お早う御座います」
か細い一声が上がった。
「うおっ」
突然の声に驚き、した方を見ると真っ青を通り越して血の流れがあるかすら分からない肌をした少女がぶかぶかな久留米絣を着て正座していた。
「ああ、お前か」
ため息を吐いた。
少女の年は十二から十四歳前後で、切り揃えた前髪と長い睫毛、ばっさり切った姫カットがチャームポイントの可愛いロリだ
僕が目覚めたと分かると少女は口を尖らせ、その姿に似合わない般若のような顔をして言った。
「まだ生きていらっしゃったのですねぇ。
昨日御膳に入れた毒薬は。」
ああ、またその話か
やっぱりお前入れていたのか。
道理でお膳が出た時に少女の調子が良かった訳だ。
「お前のニタニタした笑みを見て食欲が出なくなった。」
さらっと言い返すと少女は一瞬膨れっ面になって片目を大きく見開き、口元を歪ませた。そしてもう片目を思いきり細くしている。眉はへの字でぎりぎりと奥歯を噛んでいた。俗にいう下衆顔の完成だ。躊躇なく怒りを露にする少女を見て僕も鼻で嗤ってやる。全くやることが単純なんだから...
御膳を出したかと思えば毒薬入り、僕が書いた仕事の資料は片っ端から読み潰し塵に、風呂を入れたかと思えば熱湯。
手伝いの度に嫌がらせをするものだから大体の内容は分かってくる。お子様の悪戯にそっくり...いやお子様か。
「嫌がらせ(暗殺)もちょっとは策を練って来いよ」
口元を右に寄せ、頬を釣り上げて余裕の表情をしてみる。
それを見た少女は「はっ」と鼻を鳴らして目を逸らした。
「予想通りですよ
貴方の気持ち悪い程の観察力にはダツボーします」
少女はため息を吐き一通りグチグチ言った後、掌を上にして肩と同じ位置にしている。少女から見ると僕には気持ち悪いほどの観察力があるらしい。人並みの観察力も推理力も持っていないが
__まぁ褒められたんだと思っておくことにでもしよう。
「まぁこのくらいの事で死ななくて良かったですーッ」
少女は僕を皮肉る。威嚇する時の猫みたいな声で。
そのくらいの事で死なれちゃ困るしね的な意味らしい。
僕も少女と同様にちょっと皮肉ってみた。
「それは、まだ戦いたいっていう?」
「その通りです。」
少女は獲物に飛びかかる鷹の勢いで言った。そして僕を穴が空くほど睨み付けている。
「ああ。そう」
少女の血気盛んな挑発をはいはいと聞き流してやる。
僕が欠伸をすると少女が絣の隙間から銀に光る物を取り出したように思えた。ああ、また殺し合いか、また相手してやらないとなぁ...。少女が銀の刃物を出した瞬間に少女の懐に強烈な一突きを喰らわせる。だが少女も負けじともう片方の隙間から新たな刃物を出した。
「俺を殺すにはまだ百年早いぜ」なんて中ボスみたいなセリフ、言ってないけどなぁ。
しかし、少女の身のこなし方もスピードも着実に上がってきている。跳躍的な早さ、流石、鬼の子だ
「死ね!」
少女はぶんぶん刃物を振り回してくる。
だがお子様の刃物ほど安全な凶器はない。ただ握った刃物を隙をついて落とせばいいだけだ。滅茶苦茶な方向に飛んでくる刃物を避け、少女の刃物を叩き落とした。
「痛ったいな!」
ちょっと強めに叩きすぎたかと思うと少女は壁を蹴り身軽な動きで僕の元まで来て、ぶん、と空中を断ち切った。
当たらない計算だったが頬が痛い。鋭利な刃物は僕の頬を浅く、だが確かに抉っていた。皮一つは持ってかれただろう。
「やったぁー!敵、討ち取ったり」
しかし所詮十二四歳の鬼に何ができる。刃物の進行方向に合わせて防御が手薄になるだけだ。僕は少女の腹を蹴り飛ばした。
「痛ったいな全く、漸く殺せそうだったのに」
畳で上手くブレーキを踏み、少女が呟いた。
「甘いな鬼の子。人は簡単には死なないよ」
出来てしまった頬の傷に右手で触ると、手の甲に赤い紋章が現れる。治癒の紋章だ。頬から手を離すと皮膚全体が傷口を塞ぎ完全な状態まで戻してくれる。前に邪獣達に右腕を切り落とされた時も同様に治した。何故か少女が泡を吹いて倒れていたが。
「人ではないお前が言うな。化け物」
化け物ねえ、鬼の子供が白狐を馬鹿にしちゃいけないよ。僕がそう返すと、少女はふんっとそっぽを向いて
口を尖らせた。畳を気にしているらしい。
「畳の修理費は加害者の自己負担です」
「畳に危害を加えた加害者が修理するってことか?」
僕の能力を使えば直せるけど、少女がやるって言うなら仕方ない、と深めに頷いてやると、少女に睨まれた。
「今すぐその喉を掻ききってやりたいですね」
少女の名前は桐。
何故か僕はこの少女に恨まれている。
九つの尾を持つ、九尾からも、邪獣からも助けてやったというのに。素直じゃないのか、ありがた迷惑だったのかは知らないが
感謝くらいはしてほしいものだ。まぁ、そこまで拘ることでもないけどね。
そして今日も少女は僕にこう言った
「歯ブラシは捨てておきましたので」
はぁ、またか。今日は、歯ブラシが捨てられた。
正直言って手伝いという名目でされた悪戯より、物がなくなるという嫌がらせの方が嫌になる。少女は僕の目覚める10分前にここに来て憎まれ口を叩いている。毎日毎日。丁度いい目覚まし時計だ。そして僕が起きると恨めしそうに今日した一番の嫌がらせを報告し、満足そうにするのだった。因みに二日前には鍋が無くなっていた...少女も料理が食べられなくなったが
なんて悟られたら最後、鬼の子は調子に乗るだろうし鬼の子を本気で追い出してしまいそうなので、少女を一旦怯ませておく。
「そう?なら今からは塩で磨くよ」
「なっ」
鬼のくせに好き嫌いが多かったんだっけ?厳しい旅で好きなものが肉しか無くなってしまったのやら。
「お前。勤め先の資料はどうした。」
「ああ。それなら問題ないですよ、連絡先に嫌がらせしましたから」
こりゃクビだな...人の世界と協力しようとする僕の意思まで悟りやがって。
「ふふ、悔しいですか」
俺の評判まで下げないでくれ...
「悔しいですよ 五十点中十三点」
「低っ」
嫌々言いながらも今日も僕らは一緒に生活するのだった。