狐ぼんじゅーる編22
チーの名前を付けた後。
僕たちはお昼休みになる前に場所を移して、今の時間は誰もいない、画材の香りが染み付いた美術室に移動した。美術室にしたのは場所が近かったからだ。
美術室には複数の上半身だけの真っ白の石膏が後ろの棚に並んでいて、夜に見たら怖そうだ。とくに力は感じないから物に宿る“つくも神”とかは憑いていないみたいだけど。それでも動き出しそうなリアルな肉付きをしている。
「チー」
「はい!モフフ様」
「チー」
「はい!モフフ様」
美術室に来てからとりあえず、僕は名前を覚えさせるために繰り返しチーの名前を呼んだ。
僕が名前を呼ぶとチーはそれに合わせてか、自然にそうなってしまうのか分からないけど耳を上げ下げして何度も礼儀正しく返事を返した。
こうしてちゃんと指示に従うのは鼠ながら優等生って感じだ。
…けど、モフフ“様”か。
「ねえチー今更だけどさ。別に僕のことは様付けしなくていいよ」
「ちゅう。そんなっ。それはチーには恐れ多いです。モフフ様を呼び捨てだなんて!」
ふと思った僕の提案にチーは首をびゅんびゅん横に振って僕の提案を断る。
…うん。別に提案を断られたのはいいけど。自分から言ったことだけど。
「なんで、様付けからいきなり呼び捨てになるの。さすがに君から呼び捨てにされるのは嫌だよ」
「ヒエッ、ちゅっ、ごめんなさい」
「いいけどさ」
僕を呼びつけにすると言ったチーに僕はわざと声のトーンを落として厳しめにチーに注意した。
妖怪の上下関係における礼儀作法は少し人と違っている。妖怪は名前を人間よりも大切にするから、例え会話はため口にしても自分より上級妖怪には一般的に敬称を付けるのだ。
妖怪は敬語より敬称の世界だ。
だから、さすがに名前を呼び捨てにされるのは困る。
ぶっちゃけ僕としてはそこまでこだわりはないけど。僕を呼び捨てなんてしたらチーだってそれほど強い妖怪なのかと勘違いされたり、僕を呼び捨てにしたことで上下を大切にする妖怪に怒られることだってある。
それ以上に僕以外の妖怪にやらかしたらもっとまずいし。
だから次は気をつけさせるために僕は性格が悪く思われることは覚悟でチーに厳しめに言ったのだ。そう指導するやり方は僕の師を真似ている。
ちなみにこれは妖怪同士のことだから、人間は問題ない。だからりっちゃん達が僕の事を呼び捨てにしても問題はない。
人間には適用されないのは妖怪を視られる人間の例えが少ないから、これに関しての決まり事がないだけだと僕は考えているけど。もしかしたら人間についてはどうでもよく決まり事を作る必要もないって考えなのかもしれないし。実際のところはわからない。
理由が無いかもしれないものの理由を考えるのは難しいことだね。
とにかく人間に関するそういうルールは無いってことだ。
「呼び捨てじゃなくてさ、さん付けとか」
「そんなっ、それでもチーには恐れ多いです。どうか様付けでお願いします」
さん付けにして欲しいという提案にチーは力強く首を横に振って拒否した。
…真っ先に呼び捨てを考えた癖に。
本当に鼠は奥が深い。
「様付けはあまり、今お世話になっている大好きな人間に聞かれたくないから“さん”付けで呼んで欲しかったけど。チーがそこまで言うならいいか」
僕は仕方なく諦めて、息を吐いてそう言う。
すると僕の言葉にチーは元々丸い目をより丸くして、驚いた様子で小さい体を跳び上がらせた。
「えっ。人間の好きな人ですか!?モフフ様は人間に恋をしていらっしゃるのですか」
「……恋の好きじゃないよ。そもそも、チー。恋だとしてもそういう危うい事は様付けするような妖怪に聞いちゃダメでしょ」
「ちゅっ!?ごめんなさい」
僕がまた少し厳しく言うと、チーはすぐに失言を詫びて両手で頭の上の耳を押さえて反省したポーズを取る。
本当に、僕が普段の倍増しで賢く見られてしまいそうなくらいチーは危うすぎる鼠だ。まあ僕は普段からとっても賢いけど。
でもチーはこうやって話していても姿は揺らがないし。会話は成立するし。まったくのお馬鹿さんという訳でもないみたい。
もしかしたら思っているよりはチーは時を経ているのかもしれない。
僕がじっとチーを見つめているとチーは恐る恐ると僕を見上げる。
「あ、あのモフフ様。怒っていらっしゃいますか?」
「怒っていないよ。考え事していただけ。チーは鼠にしては頭悪くないよね」
「えっ!?」
僕の言葉にチーは声を上げて驚いた。
そしてどこか照れた様子で小さな頬に両手を添えた。
「チーはそのようなお言葉をはじめて言われました」
もしチーが人間だったら顔を真っ赤に染めていたかもしれない。それくらい嬉しそうにチーの小さな尻尾や耳が揺れていた。
まあ、チーという学校にいる間の遊び相手ができたことは僕としては喜ばしい。
チーにとったらどうなのか分からないけど。




