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CODE;7 Strategy starting

 リーフ・アイランドの全体地図に拠ると、エマヌエル達の現在地は、ナンナ=リーフの北東にある、ブロムダール島だった。その南西の端にある海岸から、直線距離にして一キロ弱の場所に、アルベルトの自宅がある。

 デイヴィス家の庭先には、(おびただ)しい量の書類や本が、山のように積まれていた。デイヴィス博士の書斎にあったものの、ほんの一部だ。

「……本当に、構わないな?」

 エマヌエルが確認すると、アルベルトはまだ不満そうな顔をしながらも、顎を引いた。

「だって、オレがやだって言っても、やるんだろ?」

 まあな、と応じる代わりに、エマヌエルは眉根を寄せて苦笑に近い表情を浮かべる。

 アルベルトにとって、それらが父親の形見であることは分かっている。故に、彼に内容が分からないとしても、大事なものであるということも。

 けれども、置いておく訳にはいかない。これらが、万が一ハロンズの手に落ちたらどういう結果になるか、分からないからこそ、この世に存在させておくべきではないと思う。

 エマヌエルは、改めて周囲を見回した。森や家に延焼することがないよう、それらから充分に離れているのを再確認する。デイヴィス家にあったマッチを擦って、紙に火を付けた。勢いよく燃え出したその紙を、本の山の中へ突っ込んで、マッチもその中へ投じる。

 それを見守る者の中にいたファランが、不穏なデータをその手に握り締めているのに、エマヌエルもヴァルカも気付かなかった。


***


 膨大なデータを処理し終えるのには、更に数日が必要だった。結局、一ヶ月近くをデイヴィス家で過ごした計算になる。

 予想だにしない時間を喰った感覚はあるが、先天的(インボーン)ヒューマノティックであるアルベルトを拾えたのは運が良かった。気付かずに通り過ぎていたら、彼も後々、ハロンズの餌食になっていた可能性は、ゼロではない。

 一方で、新たな引っかかりも生まれた。

 『Rナンバー』とは何なのか。

 研究の最初から参加していなかった所為なのか、ファランには詳しい所はよく分からなかったようだ。

(……いや)

 デイヴィス家を出てから、少し後ろを歩く彼女に、チラと視線を向ける。

「何か、隠してるわよね、彼女」

 すると、そのタイミングで、横を歩いていたヴァルカがボソリと呟いた。スィンセティックの超聴覚でなければ、まず聞き取れない音量だ。

「ああ」

 やっぱり、あんたもそう思うか。

 そう付け加えたところへ、アルベルトが会話に加わる。

「もしかして、ウチの母さんのコト?」

 やはり、声量は抑えられていた。一見、何も知らずに育った脳天気そうな少年だが、肝心なところの空気を読む術は心得ているらしい。

「まあな」

 そこで、エマヌエルはふと、以前から気になっていた疑問をアルベルトへぶつけた。

「お前さ」

「何?」

「あのパソコンの中身、俺らが来る前に見たことあっただろ」

 それは、問い掛けではなく確認だ。

 アルベルトは、言葉に詰まったような沈黙を返す。どう答えて良いか迷っているのが、ありありと分かった。

「別に、責めてる訳じゃねぇよ」

 苦笑混じりに言って、彼の硬質な髪の毛を掻き混ぜるように頭を撫でる。

「ただ、前から引っかかってたんだ。お前、お袋さんの右手のタトゥーを『知ってるコト』って言ったろ。『覚えてる』じゃなくて」

 あ、とヴァルカが微かに瞠目し、アルベルト本人はしまったと言うように顔を歪ませた。

 けれども、根が正直なだけに、隠すこともできなかったらしい。

「……父さんがいなくなってから……ちょっとだけ。父さんがいた頃は、書斎なんてドアも開けさせてくれなかったから」

 でも、父さんがいなくなったから、何か手掛かりでもあるかと思って。わざとじゃないんだ。

 そう必死に言い募る様は、もう既に、叱られて自己弁護している幼子そのものだ。

「母さんの写真て、それまで見たことなくってさ。あのパソコンの中で、初めて母さんに逢ったんだ」

 言い訳の合間に、必死の形相だったアルベルトの顔が緩む。

(母さん、か)

 エマヌエルは、内心で呟いて目を伏せた。

 彼自身に、母親の記憶はない。母親どころか、両親共に、どこの誰であったのかを、エマヌエルは知らなかった。

 母親に関しては、近所の下世話な噂話を聞いたことはある。世話好き、と言えば聞こえは良いが、要するに不要なお喋りをして、噂の渦中に他人を無責任に叩き込んだ挙げ句に不快にする人間は、どこにでもいるらしい。

 そんな女性の一人が、頼みもしないのに語ってくれたところに拠れば、エマヌエルと、彼の双子の姉・エレミヤの母親は、元々娼婦だったという。

『それが、ある日突然この村に現れて、どこの誰とも分からない男の子供を、この教会に預けてったのさ』

 あんたら可哀想にねぇ、と言って、幼かったエマヌエルとエレミヤを見下ろした彼女の顔には、あからさまな侮蔑があったのを、今更のように思い出す。それが、果たしてエマヌエル達姉弟に向けられたものなのか、それともエマヌエル達を生んだ母に向けられたものだったのかは分からない。

 エレイン――エレイン=シルベストレ=アルバ。それが、エレミヤとエマヌエル姉弟の母親の名だ。だが、それ以外に、彼女についてエマヌエルが知っていることはない。

 顔さえ知らなかったが、エマヌエル達が一卵性双生児のようによく似ていることを鑑みれば、二人共母親似なのかも知れない。ならば、母は自分と似た顔をしているのか、と考えたこともある。

「――エマ?」

 沈黙が長過ぎたのか、ふと呼ばれた声に顔を上げると、ヴァルカとアルベルトが両脇から覗き込むようにエマヌエルを見つめている。

「どうか、したの?」

 まだ声量を抑えたまま、訊ねるヴァルカの紅の瞳が、どこか不安げに揺れる。

「……別に」

 エマヌエルは苦笑を返すと、声量を普通の大きさに戻して言った。

「母親のコトを思い出してただけだ」

「お母さん? って、エマの?」

 すると、ヴァルカもそれに合わせて、通常の声量に戻す。

 それまで会話に加わっていなかったファランが、訝しげにこちらを見たのは分かったが、特に取り繕うことはしない。

「全然覚えてねぇけどな」

 自嘲混じりに吐き出して、肩を竦める。

「じゃあ、お父さんは……あ、訊いて良かった?」

「いいよ。親父のコトも、知らないって言った方が適切かな。物心付いた頃にはもう孤児院にいたから」

 じゃあ、と尚も訊きたいことがあるような表情を浮かべたヴァルカは、次の瞬間には言葉を呑み込んだ顔をした。それ以上は踏み込んではいけない、とでも思ったのだろう。それでも、彼女が何を訊きたかったのかは察しが付いた。

 また一つ苦笑を落とし、エマヌエルは彼女の頭に手を乗せて、クシャクシャと掻き混ぜるように撫でる。

「一人だけ、肉親がいたよ。双子の姉貴が」

 物心付く前から――生まれるより前から一緒にいた、愛しい片割れ。

 売られた時に無理矢理引き離されてから、もう何年も経った。彼女はどうしているのだろうと、今になってふと思う。

「……逢いたい?」

 そろりと伺うように言ったヴァルカに、エマヌエルは黙って首を振った。

 逢いたくない、と言えば嘘になる。けれども、もう逢えない。

 自分自身の憎しみと、人の血で穢れてしまったこの手と心で、彼女に逢うことはもうできない。

(……ミヤ)

 胸の内で一つ、姉の愛称を呟く。彼女が、それに答えることはない。きっと、もう二度と。

 あの時の――十歳の時の別れは、死別に等しかったのだ。

 ふ、と短く息を吐いて、目を伏せる。瞬間、手に温もりが触れて、エマヌエルは瞠目した。視線を落とすと、ヴァルカの指先が自身の指に絡まるように握られているのが分かる。

 次いで、目を上げると、その紅と視線が噛み合う。ヴァルカは、何も言わなかった。言えなかったのかも知れない。何か言えば、空々しく響くのを危惧したのだろうか。

 けれど、『傍にいる』と言われた気がした。姉の代わりではないけれど、彼女が傍にいる、と。

 エマヌエルの美貌に、ゆるゆると苦笑が広がる。自嘲と、何とも特定できない他の感情がない交ぜになった、複雑なそれだ。

 思わず、その唇に自分のそれを押し付けそうになったが、寸前で思い留まる。ファランだけならまだしも、今日はギャラリーが多過ぎる。

 内心で自分の理性を褒めた直後、「ねえ」と向かって右から声が掛かった。

「……何だよ」

 半ば睨み付けるように視線を向けたその先には、アルベルトがいた。

「オレも前から気になってたんだけどさぁ」

「何?」

「エマ兄ちゃんとヴァルカ姉ちゃんて、デキてんの?」

 ヴァルカの顔が固まった。エマヌエルも、瞬時無表情になったが、直後には何故か満面の笑みを浮かべる。しかし、目が笑っていないその笑顔は、なまじ容貌が整っているだけに却って恐ろしい。

 本能的に危険を察知したのか、アルベルトも一歩エマヌエルから離れようとした。刹那、がっしりと頭頂部を掴まれる。

「……取り敢えず、それ意味分かって言ってんだったら」

 クス、と漏れた笑いは、先刻までの哀愁を帯びたそれとは程遠い。

「馬にでも蹴られとくか?」

 すいません。

 小さく怯えるように漏れた少年の謝罪は、風に吹かれて消えた。


***


 ウィルヘルムは、まだ半信半疑だった。


 あの後、ハロンズが『最終兵器』と称して持ち出したのは、フィアスティック対策とは別のプログラムの入ったUSBメモリだった。

『もう時間ないのはホントだからね。早く支度して』

 ウィルヘルム達を急かすようにして、一度地下の隠れ場所へ戻ったハロンズは、撤収用意をするように言った。

 もう戻ることはないから、忘れ物がないようにと。

 とは言え、他の一般人と同じく、着の身着のままでここへ逃げ込んだ為、支度をすると言っても、持ち出すものはない。

 それはともかく、フィアスティックの反乱が起きて、かれこれ一年半が経とうとしている。この間、誰も為す術もなく彼らに蹂躙されてきた。

 それが、ここへ来て、こんなにあっさりと解決の目途が立っていいのだろうか。

 ともあれ、CUIOの職員に必要なことを伝達して、ウィルヘルムは地下都市を後にした。

 アスラーは、何だかんだでここに逃げ込んだCUIOの指揮官を兼ねているので、残ることになった。

 ハロンズは、そんな彼に、『今からきっかり十日経ったら、事態は収束している筈だから、そうしたら外へ出てみて』と言い残した。

 そんなハロンズに対して益々半信半疑――いや、もう懐疑的になる一方のウィルヘルムを、アスラーは、『死ぬなよ』という一言だけで送り出してくれた。あっさりしているようで、本当に精一杯だったのだろうと思う。また逢える保証など、どこにもない。

 ハロンズに対する人質として、シュヴァルツ博士も共に地下都市に残った。アスラーは、そう露骨な言い方をしたが、ハロンズの方は、『うんまあ、通信機器のテスト要員としては必要だよ』と寧ろ彼女が残ることを歓迎していた。


 かくして、ハロンズ、ハワードと共に地下都市を出て、三日。

 ハロンズが『作戦』に『適合』としたフィアスティックに、洗脳薬搭載の弾丸を叩き込んで捕獲し、今に至る。

 相手は、飛行型のフィアスティックだ。巨大な猛禽類のそれを見ていると、ディルクを思い出す。

「これで、『こっち』のテストは完了だね」

 上機嫌で言ったハロンズは、手にしたレーダーに視線を落とした。

 急拵えだったので、レーダーと言っても、小型のノートパソコンを若干縮めた程度の、長方形の機械だ。大きさとしては、横が二十五センチ程で、縦が十センチ程だろうか。それには、全てのスィンセティックの脳内に移植されたICチップの電波を捉える為のプログラムがインストールされている。

「これで、世界中のスィンセティックを捕捉できるようになった訳か?」

 いつの間にそんなものを開発していたのか。全く以て、油断も隙もない。

「仕上げしたのがあの地下都市でなければ、そうできたかもだけどねぇ。これ、半径十キロ圏内のスィンセティックしか捕捉できないんだ」

 それでも、今の僕らの目的には充分だよ、と続けたハロンズは、それをウィルヘルムに手渡す。

「……これをおれにどうしろと?」

「ハワード貸すからさ。今からちょっと、リーフ・アイランドまで飛んでくれる?」

 すると、ウィルヘルムの後ろに立っていたハワードは、「面倒臭い」と言いたげに眉根を寄せた。

「はい?」

 それとは別の意味で、思う様眉根を寄せたウィルヘルムにお構いなく、ハロンズは携えていたバックの中から、注射器と何かの薬品を取り出す。

 薬品を注射器で吸い上げると、今は薬の効果で従順になった巨大鳥型フィアスティックに注入した。

「何の薬だ?」

「リーフ・アイランド対策。あそこねぇ。訳ありで、スィンセティックはどーしても近寄れないんだ。でも、これでこの子も抵抗を受けるコトなく島に降りれる筈だよ」

「で、何でその島に行かなきゃならないんだ?」

 そもそも、そんな島に寄り道している場合ではないのではなかろうか。

 そう続けると、ハロンズは、そのブリリアント・グリーンの瞳を、キョトンと瞠った。

「あれ、言ってなかったっけ?」

「何を」

「多分、その島にまだいる筈なんだよ。AA(ダブル・エー)8164とS9910が」

 今度は、ウィルヘルムが目を瞠る番だった。

 AA8164とS9910――スィンセティックとしてのそのシリアル・ナンバーが誰を指しているのか、ウィルヘルムには瞬時に理解できた。

 以前、あの美貌の少年を最初に手当した際に、彼について一通りは調べたからだ。

 AA8164とは、エマヌエルのことだ。S9910については知らないが、エマヌエルとセットで出てくるということは、十中八九ヴァルカのことだろう。

「遠距離移動の道具が何にもないからね、あの島。島間を移動する手段って言えば、泳いで渡るしかないんだ。船があるかどうか分からないしね。まあ、リーフ・アイランドの端っこまで行くくらいなら可能だろうけど、その先がねぇ。一番近いのがヒルトラウト島なんだけど、そこからリーフ・アイランドの端っこにあるトールヴァルド島までが、五百キロ以上あるから」

 ヒルトラウト島と言えば、東の大陸<トスオリア>・フォル公国領の離れ小島だ。

 如何なスィンセティックと言えど、途中休憩も取らずに一気に五百キロを泳ぐのは、不可能とまでは言い切れないが、やってみなければ何とも言えない。

「今頃、どうやって島を脱出したらいいかって頭悩ませてると思うんだよねぇ。だから、そろそろ迎えに行ってあげてもいいんじゃないかなって」

「本当にそんな親切心からの理由か?」

 ジロリと薄茶の瞳で睨み上げると、ハロンズのデフォルトのような笑顔が、緩やかに無表情になる。

「……ああ、ホントやだ。君さぁ。あの生意気なAA8164に似て来たんじゃない?」

「御託はいーんだよ。迎えに行きたきゃ、あんた自身で行けば一番早かったんじゃねぇか?」

「聞いてなかったの? 僕だってヒューマノティックなの。スィンセティックはどーしても、あの島群には近寄れないんだよ。中央島だけは別だけどね」

「じゃあ、ソイツに今注入した薬品は何なんだ? それくらいで、その『どーしても近寄れない』島に降りられるようになるのか、本当に」

 ソイツ、と言いながら、ウィルヘルムが巨大鳥を指さす。

「疑り深いなぁ。まあ、開発したばっかでテストもしてないのは認めるけどさぁ」

「あっさり恐ろしいコト言ってくれるな。もし効き目がなかったらどうなる訳? 海のど真ん中に墜落とか、勘弁して欲しいんだけど」

「効き目だけはダイジョーブだと思う。しつこいようだけど、テストしてないだけでね」

 それが一番怖いじゃねぇか、と返ったウィルヘルムの文句はサラリと無視される。

「ただ、グダグダ言わないで今すぐ出発するコトをお勧めするね。効果持続については、言った通りデータ採ってないから」

 それに素早く反応したのは、意外にもハワードだった。

「んじゃー、とっとと行くぜ、センセー」

 無造作にウィルヘルムに近付くと、グイとその襟首を掴む。

「だあぁっ、待て待て! まだ話は終わってねーんだっつの!」

 ハワードの手を振り解こうともがきながら、ウィルヘルムはハロンズに向き直る。

「何?」

「もう一度訊くぜ。何で今更エマ達が必要なんだ?」

 ハロンズが、無表情のような、それでいて微笑を浮かべたような顔で、ウィルヘルムを見つめる。その視線をしっかりと捕まえて、ウィルヘルムはブリリアント・グリーンを睨み返した。

 永遠のような一瞬の後、沈黙を破ったのは、ハロンズの方だった。

「……マトモに動いてくれそうなヒューマノティックって、彼らだけなんだよね」

「何だと?」

 肩を一つ竦めて、ハロンズは続ける。

「この世界が今、フィアスティックの洗脳プログラムで汚染されちゃってんのは知ってるでしょ?」

「ああ」

 正確には、世界の通信機器が、と言うべきだが、細かい指摘はせずにウィルヘルムは頷く。

「だから、こっちの手駒も今動かせないんだ。目の届く範囲ならまだしも、単独行動させたら、フィアスティック側に取り込まれちゃう確率が、限りなく百パーセントに近い訳」

「……で、フィアスティックに匹敵する力を持って、尚且つ洗脳される心配がないのが」

「そ。彼らだけなんだよ。多角的に駆除プログラムを流して、この世界をフィアスティック支配から取り戻す為には、どーしても彼らが必要なの」

 それが心底面白くない、と言いたげに、珍しくハロンズの表情はむっつりとして見えた。

 成る程ね、とウィルヘルムは息を吐く。

「ついでだから、もう一ついいか」

「何? 本当に早くした方がいいよ」

 これも珍しいことに、苛立ち始めた声で言ったハロンズに、ウィルヘルムは頓着せずに口を開く。

「そんなに必要なら、最初から恨まれるようなコトはしねぇ方が賢明だぞ」

 ウィルヘルムは、瞬間、唖然としたハロンズに背を向けつつ、ハワードを促した。「ホラ、行くぜー」と軽く言いながら、巨大鳥の背によじ登る。

「……そういう次元の話をしてるんじゃないんだよ、今は」

 ハロンズの呟きは、負け犬の遠吠え以下の効果を持って、その場に空しく落ちた。


***


 トールヴァルド島までは、案外スムーズに進んだ。

 何故と言って、アルベルトの自宅のあったブロムダール島から、リーフ・アイランドの最東端・トールヴァルド島の間には、島は一つしかなかったのだ。

 ブロムダール島から次のイェッセ島、そして、トールヴァルド島の間は、その近辺で活動する漁師達に交渉して、船に乗せて貰った。

 しかし、トールヴァルド島東部に住む漁師達は、リーフ・アイランドの外へ船を出すのを頑強に渋った。

「勘弁してくれよ。おれ達ゃ、一年半前の騒動以来、外海には出ねぇって決めてんだ」

 以前、アルベルトに聞いた話からすると、これは充分に予測された事態だ。

 しかし、港から順に巡って、今はもう浜辺だ。ここが恐らく最後の砦だろう。

「じゃあ、船だけ借りれねぇかな」

 頼む、とエマヌエルにしては珍しく下手に出る。ここで断られたら、本当に泳ぐしか手立てはなくなるのだ。だが、主に魚を捕って、今は物々交換することで生計を立てているらしい漁師は、ぶんぶんと頭を振る。

「今残ってるだけでもギリギリなんだ。返って来ねぇのが分かってて船を手放せる余裕はねぇよ」

(……だろうな)

 ヒルトラウト島まで渡っておいて、返しに来ていたのでは、堂々巡りを繰り返すだけでちっとも前へ進まない。返せないものを返すとは言えずに沈黙するエマヌエル達に、漁師はあっさりと背を向けた。

「……っあー……クソ!」

 遠ざかる漁師の背が見えなくなるや、その美貌とギャップのあり過ぎる悪態が口を突く。

「……どうするの、って訊くだけ愚問ってヤツ?」

 恐る恐るといった調子で、アルベルトがエマヌエルを見上げた。

「また遠泳するしかないみたいね」

 これまた珍しく、遠い目をしたヴァルカが、ポツリと呟く。

「って言ってもなぁー……」

 情けなく溜息と共に吐き出したエマヌエルは、頭を抱えて砂地にしゃがみ込んだ。

 デイヴィス家に滞在してから確認した地図に拠って、実は中央島からブロムダール島までは、実に百十五キロもあったことが判明している。

 距離を知らずにいたからこそ、どうにか泳ぎ切れたのだ。最初から距離が分かっていたら、やれたかどうか自信はない。

 更に、トールヴァルド島からヒルトラウト島までは五百キロはあるのが分かっている。途中に島でもあれば別だが、休憩なしで五百キロ遠泳は、本当に本気で自信がない。

 あの疲労の五倍。考えただけで目眩がする数字だ。

「……いや、待てよ」

 しかし、エマヌエルはそこでハタと気付いたように手を打った。

「確か、マグネタインの影響は、半径十キロ前後って話だったよな」

「そう言ってたけど」

 何が言いたいの? と見上げた視線の先で、ヴァルカが首を傾げる。

「なら、十キロ強! それだけ泳げれば後はどうにかなる!」

 ガバッとばかりに勢いよく立ち上がったエマヌエルに、全員が注目する。

「マグネタインの影響下から離れれば、俺もフォトン・エネルギーの制御が普通にできるようになる。そうしたら、フィーナと同じように、球体状のフォトン・ウォールが展開できるかも知れない」

「でも、それはあくまで可能性でしょ。やったコトあるの?」

 そこで冷ややかに口を挟んだのは、ファランだ。

「それは……」

 エマヌエルは、言い返せずに押し黙った。試したことがないのは事実だからだ。

「それ以前に、十キロ遠泳、アル君ができるかどうかが問題でしょ」

 言われて、反射的にアルベルトの方を見ると、彼は申し訳なさそうに竦めた肩の間に首を縮めた。まるで、天敵に出会った子亀のようだ。

「……念の為に訊くけど、泳ぎに自信は?」

 一縷の望みを掛けて訊ねると、少年は無情にも首を振った。

「自慢じゃないけど、オレ、ほぼ引き籠もりだったから……海だって、父さんがいなくなってから初めて波打ち際まで出て、見たくらいだし」

 ファランが、それ見たことかと言わんばかりにアメジストの目を細め、ヴァルカは何度目かで遠い目をして海に視線を投げる。エマヌエルは、「マジか」と小さく呟いた後、目眩を起こしたように僅かに後ろへ背を仰け反らせ、再び浜辺にしゃがみ込んだ。

「万事休す……いや、八方塞がりか?」

 微かに何か聞こえた気がしたのは、何の解決にもならないことを口の中でぼやいた直後だった。

「……?」

 不思議に思って顔を上げる。

 周囲を見れば、ファラン以外の全員が空を見上げていた。レフィーナもだ。

「え……何? 皆、どうしたの?」

 ファランだけが、訳が分からないと言いたげに、周囲を見回す。

「あ……いや」

 何か聞こえた気がして、と言いながら、エマヌエルは立ち上がって空に目を凝らす。

 空には太陽が眩しく光っているだけで、他には何かあるようには見えない。だが、やがて空色の背景に黒い点が生まれ、それが小さな鳥の形を(かたど)る。

「――マ! ヴァルカ!」

 その鳥が、何か叫んだように思えた。

 最初の方は何か分からなかったが、ヴァルカの名前ははっきり聞こえた。覚えず、彼女と目を見交わして、空に視線を戻す。

 まだ常人には見えない距離にいる巨大な鳥の背に、見覚えのある顔が覗いた。


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