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CODE;6 Crossroads

 既視感を覚えた。こんな場面は、以前にも経験したことがある。

 ああ、そうだ。

 フィアスティックの反乱が起きたあの日、狒々のようなフィアスティックにこうして()られ掛けたっけな。あの時はどうしたんだっけ?

「ボーッとしてないでよ!」

 うん、ああ、そうだ。こうやって怒りながら、何だかんだ言いながらも助けてくれたツンデレ少年が――

「聞いてるの、ウィル!!」

 ハッと目を瞬くと、白い光はいつの間にか消えて、目の前には白衣が翻っている。

 濃いブロンドの短髪、腕に残る青白い残光――

「……あんたも同類だったワケだ」

「どうでもいいでしょ、そんなコト今は!」

 珍しく苛立ったハロンズの声と共に、強風が吹き荒れる。激しくはためく彼の白衣の向こう側に見え隠れするのは、その大きさを差し引いても、ただの鳥ではない。否、その姿は鳥ですらない。

 頭が鰐に似ているが、二本の太い髭が生えている。角が二本に長い首。胴体には手と足があり、羽ばたいているのは横に合計して三十メートルはあろうかという背中に生えた翼――どう見ても、恐竜とドラゴンの合いの子としか思えない生き物だ。

「こんなモンまで作ってたのかよ!?」

 化石から遺伝子を抽出して、ただの恐竜を復活させる方がまだ可愛い気がする。

「僕の管轄外だよ! それより、パソコンは!?」

 いい具合に思考が停止した脳は、何を突っ込むよりも先に、言われた通りパソコンを探している。最初に風に煽られた時、弾き飛ばされたのか、当然手には持っていない。

 走らせた視線の先に、ウィルヘルムが見つけた目標のモノは、見るも無惨に真っ二つになっていた。

「悪い、お釈迦になった」

「――で済むとでも思ってんの!?」

 ブチ切れたハロンズの叫びに被るように、再び音叉の音が響く。

「ッ、しょうがないなぁ! 早く胴体だけでも確保して!」

 言われるまでもなく、ノート型パソコンのキーボード部分だ。あれには、プログラムデータの保存されたUSBメモリが差しっ放しになっている。要は、USBが無事ならいいのだが。

 はいはい、と脳内でだけ返事をして、夢中で割れたパソコンの片割れ――胴体部分に走る。それに飛び付いた、と思った瞬間、向かって左側が(まばゆ)い光に包まれる。確認も出来ずに、手にしたパソコンの残骸を縋るように抱き締める。まるで、そうすればパソコンが助けてくれると言わんばかりに。

 次の瞬間、鋭い電子音と共に、辺りに静寂が戻った。そろそろと目を開ける。

 視界の中では、飛びすさり、身構え直したドラゴンもどきとハロンズが、先刻と同じように睨み合っていた。

「――貴様は、ユーリ=ハロンズだな」

 ドラゴンもどきが口を開く。地獄の底で地を這いずるような、ザラザラとした低い声音だ。

「うわ、やだなぁ。僕ってホント有名なんだね」

 クス、と余裕の笑いを零して、ハロンズが肩を竦める。

「我々の中には、貴様のデータは周知されている。見つけたら、真っ先に始末すべき対象だ」

「うぁっちゃあー……凄いや。僕、全世界で賞金首ってコト?」

 おどけるように言うと、ハロンズは、また一つ指を鳴らした。

「でも、残念。君達は産みの親には勝てないようになってる」

「誰が産みの親だ。我々の意思を無視し、体を好きにいじくり回すコトのどこが――」

「ああ、ハイハイ、ストップ。それ、耳にタコができるくらい聞かされたからもういいよ」

 何かを追い払うように手を上下させた彼が、チラリとウィルヘルムに目配せする。取り敢えず、隠れ場所へ戻れの意だ。

 目で頷いて、ハワードとアスラーの方を見やる。

 ハワードの方は、どういう事態になっても自力でどうにかするだろう。ウィルヘルムは、アスラーに手で合図を送る。地下へ戻るという意図を、彼も察したのか、やはり目で頷き返して来た。

 しかし、ドラゴンもどきは、そんな作戦はお見通しとばかり、鼻で笑う。

「他の人間達も逃がさんぞ。ハロンズ共々、消し飛ばす」

 俄会議の強制終了の合図は、やはり甲高い金属音だ。ドラゴンの口が大きく開き、そこに青白い閃光弾が生まれ、肥大していく。

「走って!」

 ハロンズの叫びに、ウィルヘルム達三人はそれぞれに反応した。

 先刻、簡単に転び掛けたのが嘘のように、足は力強く地を蹴る。火事場の糞力という言葉はこういう時に使うんだろうな、と頭の隅で思いながらウィルヘルムは隠れ場所へ向かって走る。

 だが、問題なく走れている筈なのに、何故かスピードが出ている気がしない。それでも、ウィルヘルムは半ばもがくようにひたすら前へと足を踏み出した。

 背後から、強い光が射す。遅れて発生した爆風が、否応なくウィルヘルムの身体を突き飛ばした。


***


「……おーい。生きてる?」

 ぼんやりと目を開けると、焦点の合わない視界の中で、整った容貌が覗き込んでいるのが分かる。

「……ッ……()……」

 それを無視して身じろぎすると、身体の節々が悲鳴を上げた。

 ノロノロと上半身を起こして、全身を軽くチェックする。フォトン・シェルの爆発に煽られて、思う様地面へ叩き付けられたものの、幸いなことに骨は折れていないらしい。

「ドラゴンもどきは?」

「お釈迦に決まってるでしょ」

 呆れたように言うハロンズが、周りをよく見ろと言わんばかりに顎をしゃくった。

 言われるままに視線を上げる。確かに、あの大きな影はもう見当たらない。眼鏡が吹っ飛んでどこかへ行ってしまったが、ドラゴンもどきがいないことだけは分かる。

「あーあ……眼鏡もお釈迦だよ」

 フィアスティックの反乱が起きた時とは違い、もう眼鏡の替えなどない。世界中が、通常生活を送れなくなっているのだから、あったとしても取りに行くことは不可能だ。

 埃を軽く払いながら立ち上がる。すると、目の前にすっとしなやかな手が差し出された。

「……一応訊くけど、こいつは一体何の手だ?」

 まさか、手を貸してくれる気でもあるまい。そう思いながら見上げる目付きは、覚えず胡乱なものになる。

 そんなウィルヘルムの内心に、気付いているのかいないのか、ハロンズはある種のトレードマークとも言える満面の笑顔で、相手を気遣うものとは言えない台詞を吐いた。

「決まってるでしょ。データは?」

 データ……ああ、データね。

 まだぼんやりとする頭で、ウィルヘルムは周囲を見回す。

 手にも勿論、パソコンの残骸は持っていない。

「今度こそどっか行ったな」

「――で、済むとでも思ってるの?」

 目が笑っていない笑顔は、多分はっきり見えたら底なしに恐ろしかっただろう。けれども、今はピントが合わない所為で、半分も分からない。

「あんたのコトだから、プログラムくらい全部頭に入ってんだろ?」

「にしたって、組み直すのにどんだけ掛かると思ってんのさぁー」

 もうー、とむくれる様は、まるで幼い子供だ。

 それに敢えて構うことなく、ウィルヘルムは踵を返した。視線の先に、ちょうど先刻の自身と同じように、緩慢な動きで身を起こすアスラーがいる。

「よう、おっさん。無事か?」

「お世辞にも無事とは言い難いがな……」

 どうにか生きてるよ、と言いながら、アスラーは土埃を落とすようにパタパタと身体を叩いている。

 最後にさっと視線を走らせて、ウィルヘルムはアスラーと共に、地下都市への入り口を潜った。


 少し狭過ぎて、まともに立ったままでは潜れないような隙間を通ると、地下へ降りる坂道がある。

 そこを用心深く下りながら、アスラーが口を開いた。

「しかし、本当にプログラムはなくなってしまったのか?」

「って言うと?」

 反問すると、アスラーは(やつ)れた顔に、影を落として続ける。

「おれも珍しく奴に同意見だと思ってな」

「プログラムをもう一度組むのに、時間が掛かるってあれか?」

 確認を取りつつ、坂を下り切る。続いて坂から、平面上になった地面へ降り立ったアスラーは頷いた。

「お前はどうなんだ。プログラムはもう一度組み直せるのか」

「組み直す必要ねぇよ」

 先に歩き出しながら、ウィルヘルムは小さく笑う。

「何故だ。これも、珍しく奴と意見が合うが、あまり時間はないぞ」

「そんなこった、百も承知だよ」

「では、何故――」

 言い掛けたアスラーの言葉を遮るように、ウィルヘルムはアスラーの目の前に、USBメモリを翳した。

 唖然と目を見開いたアスラーの表情をチラと確認すると、ウィルヘルムはそれを即座にポケットへ納める。

「いつまでもパソコンに挿しっ放しにしとくよーな、鈍いコトする訳ねぇだろ」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた、直後だった。

「あー、良かったぁ。安心したよ」

 いつ追い付いて来ていたのか、アスラーの数メートル後ろに、ハロンズが立っていた。いや、実際彼だったのかは、薄暗い地下に戻ってしまった上に、視界のピントが合わないウィルヘルムには分からない。

 だが、その人を食ったような話し方をするのは、彼に間違いなかった。

「もー、人が悪いなぁ、ウィル。寿命が十年は縮んだよ」

「……そりゃ良かった。人類の脅威が終わるのが十年は速まる訳だな」

 舌打ちしながら皮肉を返す。しかし、それがウィルヘルムにできる最大級の意趣返しだ。

「そんな意地悪言わないでさ。ホラ、早くこっちに渡して?」

「断るって言ったら?」

「僕に、無理矢理奪うって選択肢がないとでも?」

「こちらも貴様を殺さない選択肢がないとでも?」

 反問したのはアスラーだ。同時に、ハロンズに拳銃の銃口を向けている。

 けれども、ハロンズは動じず、寧ろ微笑さえ浮かべた。

「撃ちたきゃ撃ってみれば? 断っとくけど、それって核爆弾を紙の盾で防ごうとするようなモノだよ?」

 それがハッタリでないことは、聞けば分かる。先程、この男の正体は露呈したばかりだ。

「だけど、まだおれ達が必要な筈だな」

 試しに言ってみれば、ハロンズが初めて、怯んだように息を呑んだ。

「……本当に意地悪だね」

「お互い様だろ」

 ふん、と鼻を鳴らす。腕組みをして、手近な壁に背を預けた。

「で? おれ達には何をさせる気だった?」

 問えば、瞬時、相手がキョトンと目を瞠ったような沈黙が落ちる。

「……うわぁ。分かってて言った訳じゃなかったんだ?」

 思った以上の策士だなぁ、と珍しく情けない声で付け加えたハロンズに、ウィルヘルムは、無言で不遜な笑みを返して見せた。


***


 明かりが落ちた室内に、カタカタとパソコンのキーボードを叩く音が響く。

 アルベルト少年の住まう家に来てから、二十日余りが過ぎていた。

 アルベルトの父だという、アリヴィアン=メイナード=デイヴィス博士の持っていた資料の量は、見た目通り膨大だった。紙の資料の整理をエマヌエルとヴァルカに任せたファランは、パソコンに納められていた資料のチェックに勤しんでいた。

 だが、そもそも紙の資料をパソコンの中へ移したものらしいというのが分かったのは、調査を開始してから一週間程経った頃のことだ。

 事細かく調べれば、データが移動していないものもあった。それは、ファランの判断で今パソコンに入力する作業をこなしている。

(もう少し……)

 ふう、と溜息を吐いて、ファランは眉間を押し揉んだ。

 連日、一日中パソコン画面と睨めっこをしていたことなど、随分久し振りだ。

 そっと書斎の扉を開けると、そこに二つあるベッドの内、一つが塞がっているのが分かる。横になっているのは、ヴァルカと、その腕に抱かれたレフィーナだ。

 ファランにとっての仇敵に我が子を任せるのは癪だが、今は致し方ないと思う。何でも、この島は天然のマグネタインでできているそうだから、そう簡単にはハロンズも手出しはできないだろう。しかし、不測の事態に備えて、ヴァルカとエマヌエルは戦力外を守って就寝していた。

「……まだ起きてたの?」

 ぼんやりと娘の方を見ていると、不意に声を掛けられた。危うく、ファランは飛び上がって悲鳴を上げそうになる。

 やがて、隣のレフィーナを起こさないようにという気遣いからか、緩慢な動作でヴァルカが身を起こした。

「……あ、あなたこそ」

「眠ってたわよ。ただ、基本的に他人が同じ室内にいると熟睡できないの」

 その貴重な浅い微睡みを邪魔された所為なのか、ヴァルカの目付きはどこか不機嫌そうだ。

「ご……めんなさい。今、何時頃かと思って」

 時計がないかと扉を開けたのだ。パソコンに備え付けの時計は、とうにその機能を失ってしまっているのか、表示は『0:00』のまま微動だにしない。

「さあね。多分下まで行かないとないわよ。でも、まだきっと夜中だわ」

「……そうね」

 ヴァルカの視線に釣られるように、窓の外を見る。彼女の言うとおり、外はまだ群青色の闇に沈んでいた。

「あんたも少し休んだら? あたし達と違ってあんた、フツーの人間なんだし」

 皮肉なのか気遣われているのか、判断に迷う。その物言いが何だかおかしくて、ファランは苦笑した。

「……そうね。キリのいい所まで終わらせたら寝るわ」

 そうは言っても、レフィーナを出産前――つまり、まだ研究所が健在だった頃は、二徹三徹は当たり前だった。加えて、今回は、一日に三、四時間の仮眠を摂っているという意味では、まだ貫徹はない。今日一日くらい徹夜したところで、どうということはないだろう。

 けれども、ファランはそれを口に乗せることなく、一度階下へ降りた。ヴァルカが自分の背を追って視線を張り付かせているのは分かったが、敢えて無視する。

 手洗いを済ませ、二階へ戻る前に、リビングに視線を泳がせる。直角に繋がったソファには、それぞれエマヌエルとアルベルトが横になっていた。

 恐らく、エマヌエルもファランがいることに気付いているだろう。だが、ファランはエマヌエルの方は見ずに、アルベルトの毛布を直してやる。

 それから室内を見回して、目的のものを見つけた。時計の針は、二時過ぎを指している。

 ふ、と息を吐いて、螺旋階段に足を掛けた。


 できるだけ足音を忍ばせて二階へ戻り、書斎に滑り込む。

 周囲を淡く照らし出すパソコンの前に腰を下ろすと、その脇に置かれたUSBメモリに視線を落とした。

 他の場所を家捜ししたエマヌエル達が見つけてきたものだ。この中には、パソコンにある資料のバックアップが取られていた。これで取り敢えずは、パソコン本体を破壊しても大丈夫だろう。

 エマヌエル達は、データを残しておくのにあまりいい顔をしないだろうが、ファランは個人的にこのUSBメモリだけは残しておくつもりだった。

 新たに入力したデータのバックアップも取ってある。古いもののようなので、流石に新しくデータを保存するのは無理かと思われたが、幸い、何の支障もなく保存ができた。後は、この騒動が収まった時に、できるだけ早く、新しいものに入力し直さなければ――

(ウォレス……)

 胸の内で、愛しい男の名を呟き、USBメモリを握り締める。

 この研究は、希望だった。

 冷静に考えれば、恐ろしい研究だ。倫理も自然の摂理も度外視した、悪魔の研究にも等しい。けれども、そうと分かっていながら、ファランはどうしてもそれを破棄する気持ちにはなれなかった。

 画面には、アルベルトの母親である、ミラベル=シドニー=オグデン――もとい、ミラベル=シドニー=デイヴィスが映し出されている。

 デイヴィス博士が、彼女の夫だったのかは知らない。だが、その研究へ彼を駆り立てた動機が『愛』だったとしたら。寧ろその気持ちは、今のファランには痛い程理解できる。

 ファランは、握り締めていた手を開き、USBメモリを見つめた。この研究は、彼にもう一度逢えるかも知れない希望を秘めている。

 たとえ、それがハロンズに荷担することになったとしても、そんなことは構わない。

(……いいえ)

 しかし、それは瞬時に否定した。

 ハロンズに頼るということは、レフィーナを恐ろしい研究に供するということに他ならない。それだけは駄目だ。

 だが、これだけ膨大な資料があれば、ファラン一人でもやってやれないことはない。成功すれば、レフィーナを父に逢わせてやることもできる。

 扉の向こうにいる娘を思って、ファランは一人微笑した。


***


「えっ、この家を出る?」

 アルベルトが、落胆したような声を上げたのは、翌日のことだ。

「ああ。粗方調査が終わったっぽいからな」

「もっとも、これだけ時間掛けて、なーんにも成果なしみたいだけど」

 ヴァルカが付け加えてファランの方を見ると、ファランはどこかばつの悪そうな表情で、目を伏せた。

「最初に言った筈よ。私は俄勉強程度の知識しか持ってないって」

「へいへい、悪ござんした」

 エマヌエルはベッと舌を出して、アルベルトに向き直る。

「って訳だから……その、言い辛いんだけどさ」

「何?」

「親父さんの書斎にあるもの、……全部、処分させて貰っていいか」

「えっ?」

 アルベルトが、再度目を瞬く。

「処分って」

「ごめんな。でも、残しておく訳にはいかねぇんだ。親父さんがどういう研究をしてたかは、前に説明したよな?」

 半分も理解できていないかも知れないが、と一瞬危惧する。しかし、アルベルトはそう頭の回転の鈍い子供ではない。ましてや、先天的(インボーン)・ヒューマノティックとなれば、脳の出来は同じ年頃の、一般人の子供よりも遙かにいい筈だ。

 それが証拠に、アルベルトは表情を複雑に歪ませて下を向いた。

「アル」

「……分かってるよ。人体改造なんて……それも、兵器として戦争に使えるようにする研究なんて、絶対ダメだって、頭では分かってる」

 でも、と挟んで、彼は俯けていた顔を上げた。

「本当に父さんがそんな……研究をしてたのかって……まだ、信じられないんだ」

 そう言うと、アルベルトはまた俯く。

「それに……それに、兄ちゃん達が行っちゃったら、オレはまた一人になるんだ」

 傍にいてよ。一人は嫌だよ。父さんが戻るまでの間でいいから。

 勝手なことを言っている自覚はあるのか、今度はアルベルトは顔を上げずに泣き出す寸前の声で呟く。

 膝で握った拳に、トテトテと駆け寄ったレフィーナがそっと手を触れる。そのまま、首を傾げるようにしてアルベルトの顔を覗き込んだ。

 エマヌエルは、片手に持っていたマグカップをカウンターに置く。アルベルトの傍へ歩み寄り、レフィーナの後ろに膝を突いた。

「アル」

 レフィーナに倣って覗き込むと、アルベルトは弾かれたように顔を上げた。

 まだ泣いてはいないものの、その瞳は、今にも泣き出しそうに潤んでいる。それでも、それ以上我を通してはいけないと思ったのか、アルベルトはやはり泣きそうな声で絞り出す。

「……ごめん。いいんだ。言ってみただけ。……今まで、ありがとう」

「……アル。それなんだけどさ。……一緒に行かないか?」

「えっ?」

 意外な申し出だったのだろう。アルベルトは、瞬時それまでの感情を忘れたと言わんばかりに、目を一杯に見開いた。

「……だ、ダメだよ。父さんが戻ってオレがいなかったら、今度は父さんが一人になるし……心配するし……そりゃ、できれば行きたいけど」

 それこそ無理、とアルベルトは首を振った。

 簡単には、承知しないだろうとは思っていた。予想通りのリアクションに、エマヌエルは内心で嘆息する。

(どうするかな)

 以前にも考えたことだが、このまま隠れ住み続けるのなら、彼をこのままここに残しておいてもまず問題はないだろう。

 けれども、相手はあのハロンズだ。出方は、全く予想できない。できない以上、どうしたってアルベルトをここへ置いておく訳にはいかない。

 それに、彼の父親はもう生きてはいまい。いつまで待ったとしても、父親が戻ることは百パーセントない。その残酷な事実を、どうやって彼に納得させるか――

「ねぇ、アル君」

 頭を悩ませていると、それまで黙っていたファランが口を開いた。

「何?」

「あなた、お父様を捜したことはある?」

 歩み寄るファランに場所を譲るように、エマヌエルは立ち上がる。それまでエマヌエルが膝を突いていたところへ、入れ替わってファランが座り込んだ。

「……ある、よ。でも……どう捜したらいいのか分からなくて……オレにできたのは、あちこちの海岸を見回るコトだけで」

 まるで薄情な息子だと言われた気にでもなったのか、アルベルトは気まずげにウロウロと視線を泳がせる。そんな彼の腕に、ファランがそっと手を添えた。

「なら、私達が手を貸すわ。一緒に捜しに行かない?」

「えっ?」

 目を瞠ったアルベルトの視線をしっかりと捉えて、ファランが続ける。

「はっきり言うのは申し訳ないけど……あなたはここにいても、これからもお父様を捜すのにはやっぱり海岸を回るコトくらいしかできないでしょう? なら、もう少し足を伸ばしてみない?」

「足を伸ばすって?」

「島の外へ捜しに出るのよ。そうだ、ヴァルカちゃんはああ見えてもCUIOの刑事なのよ」

「CUIOって?」

「国際連邦捜査局――要するに、世界の警察組織ね。そこの、レムエ支部で刑事をしていたの。よね、ヴァルカちゃん」

 急に話を振られて、ヴァルカは何とも形容し難い複雑な顔をした。しかし、それには頓着せずに、ファランは続ける。

「それにね、彼女のお父様もそこの警部さんなのよ。もし、私達だけで捜せなかったとしても、警部さんにお願いすれば、きっとお父様を見つけられるわ」

「……ホントに?」

「勿論」

 力強く頷くファランに、アルベルトの気持ちは、自宅を後にする方向に傾き始めたようだ。だが、まだ何か引っかかりがあるのか、でも、と反駁する。

「ん、何?」

「前にも言ったけど、オレ、父さんに絶対、街や人前に出るなって言われてるんだ。あんまり広い範囲で父さんを捜しに行けなかった理由に、それもあって……」

 もし、捜しに出た先で父親に出喰わしたら、今度はどう説教されるか分からない、と言ってアルベルトは身を縮めた。

 失踪した父の安否は心配ながらも、親の保護下にある(と信じている)子供としては、親の言い付けを破った末に降り懸かる災難にも思いを致さない訳にはいかないらしい。

 だが、ファランはサラリと受け流した。

「いいじゃない」

「ええ?」

「叱られて喧嘩したって。もしそうできたら、最高よ?」

 だって、そうできたら、お父様と無事に再会できたってことなんだから。

 含みのある表現に、エマヌエルはヒヤリとしたものを覚えた。けれど、アルベルトは気付かなかったようだ。

「そうかな……そうだよね」

 自身に言い聞かせるように言って頷くと、エマヌエルに視線を向ける。

「分かった。オレ、兄ちゃん達と行くよ。行って、父さんを捜す」

 エマヌエルは、無言で唇の端を吊り上げた。ほろ苦い笑みだったが、その意味するところは、アルベルトには伝わらなかったらしい。「すぐ支度するよ!」と元気よく立ち上がると、螺旋階段を駆け上っていった。

「……あんたも中々能弁だな」

 二階へ目を向けるようにしながら、エマヌエルはボソリと呟いた。

「そう言うあなたは、意外にバカ正直よね」

「は?」

 レフィーナを抱き上げながら言ったファランに、エマヌエルは思わず間抜けな声を出してしまった。

「真っ直ぐバカって言うのかしら。どう言えば、傷付けずに本当のコト言った上で、彼を連れ出せるか考えてたんでしょ」

 開いた口が塞がらない体で、沈黙を返すエマヌエルに構わず、ファランは言葉を継ぐ。

「敵認識した相手にはすっごく弁が立つクセに、庇護対象には弱気なのが弱点みたいね」

「……訂正。あんた、意外に策士だな」

 半眼で睨み据えると、ファランは見たことのない不敵な笑みを浮かべた。

「周りにいる人に影響されたのもあるけどね。母親になると、強かにならざるを得ないのよ」

 堂々と言い放ったファランに、エマヌエルは今度こそ開いた口が塞がらない気分を味わう。言い返す為の巧い台詞は、残念ながら見付けられなかった。

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