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CODE;5 And it's company,one person

 室内には、群青色の闇が横たわっている。

 森の木々の隙間を通して、わずかな月明かりが届く室内に視線を走らせる。元々、母が使っていたベッドには、今日は人が寝ている膨らみがあるのが見えた。

 その膨らみが、規則正しく上下しているのを確認すると、アルベルトは音がしないようにそっと窓を押し上げ、家の裏手へ危なげなく降り立つ。普通、アルベルトくらいの少年が、こともあろうに二階から飛び降りたりすれば、死ぬようなことはないかも知れないが、無事では済まない。しかし、彼は平然と立ち上がった。

 二階の寝室のみならず、今日は階下にも客がいた。わざわざ階段を使って下へ降り、玄関から出れば、誰かが起き出さないとも限らない。

 勿論、彼らにここへ泊まるよう進言し、また心から望んだのはアルベルト自身だから、それについて文句を言うつもりはない。ただ、彼らに限らず、他の人間には、アルベルト自身の『秘密』まで知られる訳にはいかなかった。

 ふう、と息を吐いて、自分が降りてきた窓を見上げる。開けっ放しにしてしまったが、閉めてしまったら、今度は入るのに苦労するので仕方がない。基より、外に長居するつもりはなかった。

 自宅裏手に設置してある、自家発電器に目線を向ける。今日は、普段より家にいた人数が多かった為か、予想以上に電力を食ってしまった。充電が足りず、外から明かりが射さない時刻になると幾度も電気が落ち、(しま)いには就寝時刻まで蝋燭で過ごした挙げ句に、早々に床に就く羽目になった。

(今度は多めに充電しておかないとな)

 父が行方不明になってから、もう半年以上になろうか。勿論、たった一人の家族が行方不明になったのだから、最初は捜しに出ようとした。が、捜すと言っても、どこをどう捜せばいいのか、皆目見当も付かなかった。結局、アルベルトにできたのは、時折浜辺に通じる海際に、もしや父が打ち上げられでもしていないか、確認することだけだった。今日の客人達を拾ったのも、父を捜しに出た先でのことだったのだ。

 ともあれ、その半年間、ずっと一人で過ごしていた為、一人分の電力を充電するという習慣がすっかり染み着いてしまっていた。

(でも、多めにってどれくらいだろ)

 うーん、と唸って眉間に皺を寄せながら、アルベルトは自家発電器の充電機器に手を伸ばす。

 パチ、と僅かな電子音と共に、その腕に青白い閃光が走った。物心付いた頃からできていたことだ。『これ』を初めて父親に見せた日の、彼の驚愕した表情はよく覚えている。

 但し、彼は「凄いな」とは言ってくれなかった。寧ろ、泡を食ったように、傍目にも明らかな程狼狽し、もう二度と人前で見せるな、と釘を刺した。

 けれども、あの『狼』の宣戦布告からこっち、島に流通する電力供給をこっそり受けることができなくなってからは、自宅に電気を通すことに関してのみ、父は『能力』を使うことを許可した。喜んで許可したのではなく、必要に迫られて渋々、といった様子だった。

 暫く放電を続け、これくらいか、というところで充電器にエネルギーを送るのを止める。

「――やっぱりな。そういうコトだったか」

 充電を終えて、ホッと一息吐いたところで、前触れなく背後から掛けられた声に、アルベルトの心臓は引っ繰り返り掛けた。


***


 時間は、少し遡る。

 エマヌエルは、与えられた寝床の中で目を閉じてはいたが、中々訪れない眠りに少々苛立っていた。

 改造手術を受けてからこっち、他人の気配がするとどうにも寝付けない。寝付けたとしても、ウトウトと浅い眠りを貪るのが精々だった。それでも健康を害することがないのだから、遺伝子レベルから改造されたことに感謝するべきか否か、真剣に悩む。

 傍にいても安心して眠れる他人と言えば、今は一人いるが、その相手は階下でファラン母子と眠りに就いていた。彼女を頭に思い浮かべるだけで、芋蔓式に初めて抱いた夜のことが思い出される。余計に眠れなくなりそうな流れに、エマヌエルは慌てて彼女を頭から閉め出そうとした。

 その時、ふと、背後で人が動く気配がした。

 同じ室内で眠っている者と言えば、アルベルトだ。小用だろうか、と考えるともなしに考えて、無意識に彼の動きを背中で探る。

 しかし、彼は階下へは降りる様子を見せなかった。コト、と小さな物音を立てて、室内から出て行く。十秒程して、起き上がりながら室内を見回すと、彼の姿はなく、裏庭に面した窓が開いていた。

 相手がごく普通の子供だと思っていたなら、ギョッと目を剥いているところだ。ここは二階で、アルベルトくらいの少年が戯れにでも飛び降りたりすれば、場合によっては骨の一、二本はアウトだろう。だが、エマヌエルの胸中には、特に驚きはなかった。寧ろ、彼ならこれくらいはやってのけられるだろうという確信めいたモノさえあった。

 静かに立ち上がって、万一、彼から見上げられた時死角になるようにしながら、下を透かし見る。彼は、瞬時こちらへ視線を投げたが、エマヌエルに気付いた様子もなく、その視線を庭へ転じた。やがて、その視線の方へ歩を進めた彼の姿は、完全にエマヌエルから見て死角に入り、見えなくなる。

 エマヌエルは、透かさず自分も窓から飛び降りた。音もなく庭先へ降り立つと、用心深く彼が消えた方へ向かい、壁を背にして顔を覗かせる。瞬間、アルベルトの細い腕に、青白い閃光が走った。

「ッ!」

 危うく声を上げそうになるが、すんでのところで呑み込む。

 薄々予想はしていたものの、目の当たりにするとやはり驚きを禁じ得なかった。教わらずとも能力を使いこなしている辺りは、天然ヒューマノティック故だろう。もっとも、気配を絶つ術だけは、全く知らないようだったが。

「……やっぱりな。そういうコトだったか」

 吐息と共に無意識に滑り出た言葉に驚いたのか、アルベルトが文字通り飛び上がって、弾かれたようにこちらへ顔を向ける。

 濃い茶色の瞳と視線がぶつかって、エマヌエルは軽く舌打ちした。彼がヒューマノティックの血を引いているのなら、超聴覚も受け継いでいて然るべきだ。それをすっかり失念していた。微かな呟きであろうと、この距離では、スィンセティックには耳元で囁かれたのと変わらない。

 ともあれ、見つかってしまっては、隠れている意味もない。エマヌエルは溜息と共に、壁の陰から歩を踏み出した。

「に、兄ちゃん……や、やっぱりって、何が?」

 一方のアルベルトは、大変な秘密を見られたと言わんばかりの顔でオロオロと周囲を見回している。隠れる場所などないのに、それを探している小動物のようだ。

 エマヌエルは、一瞬どうするべきか迷った。このままここにそっと暮らしていれば、研究者達やハロンズに見つかる気遣いは恐らくないだろう。

 だが、相手があのハロンズなら、『絶対』はない。何しろ彼は、常人とは比べものにならない頭脳の持ち主が、明後日の方向に狂ってしまったような人間だ。今後、どういう展開になるか読めない以上、アルベルトをここへ置いて行くのは、危ない確率の方が高い。

 それに、ここでエマヌエルが口を噤んでいても、アルベルトの方がもう納得しないかも知れない。基より、好奇心が旺盛な彼のことだ。彼自身に調べ回られては、却って厄介なことになる可能性も高かった。

 瞬時に覚悟を決めると、エマヌエルはアルベルトに向かって距離を詰める。

「何って、コレを見たって言えば、満足か?」

 言うなり、エマヌエルは右手を軽く持ち上げて意識を集中させた。チリッ、という音を発端に、稲妻のような青白い閃光がエマヌエルの上腕部を走る。アルベルトが、瞠目した。

「兄ちゃん、それっ……!」

 エネルギーを弾にすることなく納めると、アルベルトは、一杯に見開いたその目をキラキラと輝かせていた。

「すっげぇ! 兄ちゃんもできるんだ!」

「バカ、声がデカい!」

 囁くような音量で鋭く言うと、彼は慌てて自身の手で口を押さえる。

「ご、ごめん。兄ちゃんも誰かにナイショにしろって言われたの?」

「えっ?」

 眉根に皺を寄せて首を傾げると、彼は言葉を継いだ。

「父さんが言ったんだ。この『能力』は、誰にも秘密にしなさいって。ヒトに見せちゃ、ダメだって」

 ヒトにはない力だと、父親は息子に言い聞かせたらしい。

「でも、嘘だったんだ。兄ちゃんだって使える力なんだし」

「いや。お前の親父さんは嘘なんか吐いちゃいねぇよ」

 吐息と共に言うと、今度はアルベルトの方が首を傾げた。

「どういう意味?」

「言葉通りさ。この『能力』はヒトには使えない。元々備わってる訳じゃねぇんだ」

 それこそ意味深長に、そこで言葉を区切り、少年の反応を窺う。アルベルトは当然、訳が分からないのか、傾げた首を益々傾けそうになっている。

「――俺らの『仲間』でも、持ってない奴もいるしな」

 つい今し方、青白い閃光を這わせた右手に目を落とすエマヌエルの脳裏には、その一人、ヴァルカの姿が過ぎっていた。


***


 エマヌエルが、アルベルトに全てを語って聞かせてやったのは、その夜の内だった。

 自分と同じ力を有する存在を知ったことで、彼はすっかり興奮状態になってしまい、その後睡眠を続行するどころではなくなっていたのだ。だが、やはりお子様と言うべきか、真昼も近い時間になってウトウトと船を漕ぎ始めている。

「エマはいいの? 一緒に船漕がなくて」

 しっかり乾き切った自分の衣服を身に着けたヴァルカは、やや冷めた口調で言いながら、昨日アルベルトが買ってきたコーヒーを勝手に淹れて啜っていた。昨日のワンピースの方が可愛かったのにな、などと考えているエマヌエルの内心など知らぬ()に、彼女はきびきびとした動きで勝手知ったる他人の家の如く、もう一つマグカップを持ち出す。その動きを、追うともなしに視線で追うエマヌエルに、新しくコーヒーを注ぎ入れたマグカップを差し出した。

「慣れてるし。二、三日の完徹くらい、電気の拷問食らうよりは安いモンだろ」

 クス、と自嘲気味に笑みを浮かべると、彼女に渡されたマグカップを受け取る。

「それにしてもまた、思い切ったコトしちゃったわねぇ。全部バラすなんて」

 どうして自分に一言相談しない、と言わんばかりだ。

「それについちゃ、悪かったよ。けど、どっち道、ここに放置してく訳にいかないだろ?」

「それは分かるけど」

 アルベルトが、普通の一般人の少年であれば、エマヌエル達は昨日の夜中の内に、この家を()つことを選んだだろう。けれど、昨日の内にそうではないことが分かってしまったのだ。知っていて、彼をここへ置き去りにはできない。

「で、どうする気、って訊くだけ愚問かしらね」

「だな。一緒に連れてく。フォトン・エネルギーの制御は問題ねぇみたいだし、他の力についちゃ、道々教えればいいだろ」

 言うや否や、ファランの鋭い視線を感じたが、エマヌエルは敢えて無視した。

「でも、出発は当分延びそうね」

 同じくファランの視線を無視したヴァルカが、続ける。

「ああ。それは教授の調査の進捗状況に拠るだろ。どうなんスか、センセー」

 話題を振ると、こちらに向いていたアメジストの瞳と、ばっちり目が合う。途端、ファランはどこかばつが悪そうに目線を反らした。

「っ、……それは、……まさかあの量を一人で調べろって言うの?」

 ファランは、まるで逆ギレするように半ば詰問調で反問した。あの小さな書斎に、山と積まれた資料を思い浮かべれば、彼女が反射的にそうした気持ちも分からないではない。エマヌエルは、肩を竦めて苦笑する。

「そうは言ってねぇよ。ただ、俺達は実験体ではあるけど、それ以上でも以下でもない。研究資料を見たって、実験動物(モルモット)は意外とてめぇにされたコト以上の知識はねぇもんだぜ」

 だから結局、専門家が見るのが一番早い。言外に込められたその意味を悟れない程、ファランも鈍くはなかったようだ。

「……分かってるわよ。ただ、専門家って言ったって、私だって(にわか)勉強程度の知識しかないのよ。そこは忘れないで」

 ()の割には、基礎もできていないところから勉強して、随分深いところまで理解しているように見えるが、それは言わないでおく。

「それに、調べるって言っても、具体的には調べて何を知りたいの? それにも拠るわ」

 言われて、エマヌエルは「そうだな」と呟き、拳を口元に当てる。

「差し当たって、そいつのお袋サンがどういう種類のヒューマノティックだったか、ってトコだな」

 クイ、と顎をしゃくるようにして示した先には、寝息を立てながら、ソファに完全に横たわってしまったアルベルトがいる。そんな彼を、傍でレフィーナが物珍しそうに見ていた。

「Rナンバーなんて、聞いたコトねぇし。またロクデモナイこと考えてたんだろうけど、その辺を潰しといてこっちの損にはならねぇだろ。後は、そいつの親父さんの履歴が分かればベストだな」

「必ずクリアに分かるって保証はしないわ」

 やや和らいだ、それでいてまだ挑戦的に鋭い目をしたファランに、エマヌエルは神妙に頷く。

「分かってる。逃げて来た研究者なら、余計自分に繋がる資料は残してねぇだろうし、ネットはまだフィアスティックに押さえられてるみたいだしな」

「最終的にはどうするつもり?」

 それまで黙ってコーヒーを啜りながら聞いていたヴァルカが、会話に加わる。

「最終的ってな、どこまでのコト指してんだ?」

「取り敢えず、ここ出る時の話」

「あんたは、どうするのがベストだと思う?」

 反問すると、ヴァルカは考える間を置くように、またカップに口を付けた。

「……そうね。アルベルトのお父さん……デイヴィス博士がどういったスィンセティックに関する研究をしてたか、知っておいても損はないとあたしも思う。それが、今の研究にどう繋がるにしろ、ね。ただ――」

「ただ?」

「データは残しておかない方がいいんじゃない?」

「同感」

 再度、肩を竦めて短く言うと、エマヌエルはファランに視線を戻した。

「ってワケだから、ちゃっちゃと仕事に掛かってくれよ、センセー」


***


 久し振りに射す太陽光に、ウィルヘルムは目を眇めた。

 まともに外へ出るのは、いつ以来だろうか。もう、何年も出ていなかったような気がしている。

「早く。こっちこっち」

 クイ、と袖を引っ張られて、殆ど地面へ倒れ込むように体が傾く。転倒を避けようとすれば、自然と足が前に出た。が、地下生活が長い所為か、踏ん張りが利かず、膝から地面へ崩折れる。

 そのまま四つん這いで、ハロンズが手招きする岩陰へ潜り込んだ。

 そこには彼だけでなく、アスラーと、ハワードもいる。

「んで? 外に出たはいいケド、後どうすんだ?」

「どうするもこうするも、テスト一回はして見ないとどうにもなんないでしょ」

 言うとハロンズは、パキ、とどこか楽しげに指を鳴らした。

 『グレン』と名乗って変装していた時とは、まるで別人がそこにいる。グレンだった時と、輪郭はあまり変わっていないが、素顔の目元は丸みを帯びていて、実際の年より随分と若く見えた。

 その所為か、今も世界を人間の手に取り戻す為の闘いに挑もうとしている筈が、そんな緊張は感じていないように思える。まるで、十歳前後の少年が、掘った落とし穴にハマる誰かを待ち伏せてでもいるかのように、目をキラキラさせていた。その無邪気さが、何とも恐ろしい。

「というワケだから、ハイ!」

 という彼の台詞と共に、小振りのノート型パソコンが渡される。

 閉じられていた画面を開け、スリープモードを解除すると、既にプログラム画面が立ち上がっていた。

「僕がココまで獲物引っ張って来るからさ。タイミング見てポチッと宜しくね」

「……なーるほど。対フィアスティックの戦闘には戦力外のおれが、何でココまで付き合わされたかと思ってたけど」

「そゆコト。流石にハワードでも、殺さないように逃げるのは難しいからね」

 ってゆーか、ココに辿り着く前に死ぬ確率高いし、と付け加えて、ハロンズが続ける。

「僕がいなかったら、パソコン要員がいないから。ま、一応エンターキー押せばいいだけにしてあるけどね」

「で? あんたでも、フィアスティックをココまで引っ張って来られる確率はそう高くないと思うが?」

 茶目っ気たっぷりにウィンクして見せたハロンズに、ウィルヘルムはまだ疑惑の残る焦げ茶の瞳で、ブリリアント・グリーンを見つめ返す。

 見たところ、ハワードという男は、いつも小銃を携えており、どこか元傭兵のような空気を纏っている。普通の一般人は基より、軍人相手にも引けを取るようなことはないと思うが、ハロンズの言うように、フィアスティックを相手にして、向こうを殺さずに且つここまで連れて来るのは厳しいだろう。

 けれども、ハロンズはと言えば、まるきり研究者だ。格闘能力的に、ハワードより上とは思えない。

 口には出さないその疑問を、敏感に感じ取ったのか、ハロンズはうっすらと笑った。エマヌエルとは違う種類の整ったその容貌が、そうした笑みを刻むと、やはりあの少年とは違った意味で何とも妖艶だ。

「心配してくれるのは嬉しいけど」

 してねーよ、とコンマ一秒で返されたウィルヘルムの突っ込みをスルーすると、ハロンズは言葉を継ぐ。

「そーゆーコトは、結果見てから言ってね?」

「分かったよ。ここまでプログラムが上がってりゃ、おれ一人でも仕上げはできる」

 さっさと行って来い、とでも言うように、ウィルヘルムは片手をヒラヒラと振った。

「ひどいなぁ、僕はもう用済みみたいなその態度」

「白々しい。あんたにとっても、おれはそうじゃないのか」

 焦げ茶の瞳と、ブリリアント・グリーンのそれが、静かな火花を散らして交錯する。

 そうして数秒睨み合った末に、ハロンズはまたクスッと笑った。

「君、ホント面白いね。その頭脳も勿体ないし、やっぱりこの一件が片付いたら、僕んとこに来ない?」

「丁重にお断りする」

「うわ、ソッコー? 君、今自分で自分の死刑宣告したって分かってる?」

「あんたも随分率直に本性現したな。コイツは裏取引の筈じゃなかったのか」

 軽蔑するように目を細めて彼を睨むが、ハロンズにはやはり、その程度の睨みは脅威でも何でもないらしい。肩を竦めて、眉尻を下げる。

「さあね。じゃ、とにかく行ってくるよ。さっきの話、考えておいて」

 服従か死かってコトをか? と問い返す隙を、今度は彼は与えてくれなかった。トン、と一つ地を蹴って岩を飛び越すように彼が陰から出ると、その気配は即座に感じ取れなくなる。

 暫く、そこには静寂が落ちた。しかも、あまり心地の良いそれではない。緊張にヒリ付いた空気が支配している。いくら岩陰だからと言っても、地下の隠れ場所に比べれば、絶対の安全地帯ではない。

 息を吐く音さえ響きそうで、胸苦しさを覚える。

 見るともなしに視線を泳がせた先にいたアスラーも、漏れなく同感と見えて、銃を構えつつも呼吸をし辛そうな顔をしていた。

 一方のハワードは、涼しい表情だ。いつもの眠たげな目で岩に凭れ、足を前に投げ出す格好で座っている。ここが岩陰でなく、一面緑の草原だったら、ピクニックにでも来ているような風情だ。

(……ったく、気楽でいいよな)

 はあ、と溜息を吐くと共に、目を伏せたその時、ふっと地面が陰った。雲でも出たのか、と思うともなしに思って、反射的に上げた視線の先にあった『モノ』を見たウィルヘルムの脳内は、一瞬真っ白になる。

「ウィールー!!」

 何も考えられなくなったウィルヘルムを現実に呼び戻したのは、微かに自身を呼ぶ声だった。同時に、バサリと翼が派手に羽ばたく音がして、強風が吹き荒れる。身構える間もなくその風に煽られ、ゴツゴツとした岩肌に背中を思う様叩き付けられた。

「ってぇ……」

 呻く間にも風は吹き荒れ続け、まともに息も吐けない。体勢を立て直す隙もなく、次に音叉が連続して打ち鳴らされるような、透明な金属音がその場を満たす。

 眇めるように開けた目の前が、真っ白に塗り潰された。


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