Prologue
甲高い金属音を響かせるのは、海の上でホバリングする巨大な鳥だ。
猛禽類のような目を持つ鳥が、大きく開いた嘴の中には、スパークを纏った青白い閃光弾が生まれ、見る見る内にその大きさを増していく。しかも、そのような鳥は一羽だけではない。
全部で三羽の鳥は、逃げ場のない海上で立ち往生する哀れな客船に向けて、情け容赦のない一斉攻撃を加えた。
フォトン・シェルを発射するや、三羽はバサリと一つ羽ばたきを残して身体に似合わぬ素早さでその場を離れる。彼らが姿を消すのと同時に、三つの青白い閃光弾と客船に命中し、凄まじい轟音を立てた。
フォトン・シェル同士がぶつかり合い、白い塊になった一瞬の後、その白い塊はエネルギーの巨大さに耐え兼ねるように破裂する。辺り一帯が、目も開いていられない程の白さに包まれたのが、数秒だったのか、それとももっと長かったのか。やがて、光と爆煙が晴れて、青い空と海が元通り姿を現した時には、船は跡形もなく吹き飛び、船のあったそこには、激しい波が衝突した跡のような波紋が広がるばかりだった。
***
「わわっ!」
ズン、と突き上げるような振動に、一瞬身体を震わせて、ウィルヘルムは無意識に辺りを見回した。
揺れには当然、周囲の人間も気付いているのだろう。短い悲鳴に続いて、小波のように広がったざわめきは、数分も続かずに収まった。
その後も揺れは暫く続いていたが、既に皆慣れてしまったのか、地下へ移住した当初程のパニックは起きなくなっている。
フィアスティックの突然の反乱から、既に一年が経とうとしていた。
レムエ支部を放棄した支部職員は、一時CUIO本部へ身を寄せたが、西の大陸<ギゼレ・エレ・マグリブ>も程なくフィアスティック達に制圧されてしまった。
人々は地上を逐われて、地下へと逃げ込んだ。ギゼレ・エレ・マグリブ南部にあるアトラス湖の底に、古代遺跡の入り口があったのだ。
まだ世界がフィアスティックの驚異に晒されていない頃、アトラス湖のあるリヴァーモア州の湖底調査員が、潜水艇で潜った際に、その入り口を見つけていたらしい。今までその奥まで調査が為されなかったのは、そんなに深い場所にヒトが居住できるような空間があるとは思っていなかったからだろう。
だが、その湖底調査員はそれを思い出し、始めは家族だけを連れて州の潜水艇を持ち出し、その奥へ進もうと試みた。それが、見事に功を奏した格好になった。
人が住めそうな空間を見つけた調査員が、州に報告した為に、瞬く間にその避難場所の情報は人々の間に広まった。
最終的に避難を主導したのは、CUIOの本部だった。
湖底でも追い掛けて来ようと思えば、スィンセティックには可能だろう。だが、そこはこれまで人間も知らなかったような地下遺跡で、発掘が行われていた訳ではなく、名前も付いていなかった。人間が知らない、ということは、ネット上のデータベースにも載っていないということに他ならない。
逃げ込む瞬間さえ見つからなければ、知らない場所へは追い掛けて来ようもないのか、地下遺跡は今のところ平穏だ。
しかし、ここにいては地上のことは何も分からなかった。
時折、今のように地震がある。地震の原因も分からず、それが本当にただの地震なのか、それともフィアスティックの行動に因るものなのかさえ判断が付かない。
元々、地下都市は人々の居住スペースとして使われていたものらしく、食べ物を煮炊きしても空気が淀む様子はなかった。排泄物の臭いは、言うに及ばずだ。だが、いつまでも隠れている訳にも行かない。いつ、地震で崩落するか分からず、崩落しなかったとしても、食料はいずれ尽きる。
既に、餓えや、終わりの見えない避難生活からくるストレスが原因の死亡者が出始めていた。太陽光を思うように浴びられないことによる弊害も出始めている。食料を探しに地上へ行って、地下へ戻らなかった者も、もう何人もいた。
いつの間にか揺れが収まっているのに、ウィルヘルムは暫く気付かなかった。
ホッと溜息を吐いて、揺れが始まった際に抱えていたノート型パソコンを胡座を掻いた膝の上に戻す。
画面に映し出されているのは、見る人間が見れば一目で分かるだろう、プログラム製造画面だ。
このままでは、フィアスティックの餌食になるよりも早く餓死してしまうのは明らかだった。もう、殺すか殺されるかでしか、残念ながらこの状況を打破する手はないだろう。
フィアスティックを殺してしまわないまでも、どうにか行動不能にすることが出来れば――そう思いながら、ここへ逃げ込んだ日から少しずつ、プログラムを開発していた。
しかし、残念ながら、その対象であるフィアスティックに対してテストが出来ないし、プログラムを流せる環境でもない。何より、このプログラムには、ウィルヘルム個人としてはどうにか修正したい『欠陥』がある。
電気は、勝手に流れてきているものを使っているものの、いつフィアスティック側にバレるかと思うと、冷や汗ものだった。もっとも、それはウィルヘルムだけでなく、ここで電気を使用している全員が感じていることだ。
「ウィル」
ふと、横合いから掛かった声に顔を上げると、遠くからアスラーが歩いてくるところだった。
食糧難の折からか、地下へ逃げ込む前まではでっぷり太っていた彼の腹は、見る影もない。スマートになった訳ではなく、やつれていると言った方が正しい。
下膨れした卵のようだった顎から首に掛けてのラインは、落ち窪んでいるように思えた。お陰で、今は彼にも首があったというのが分かるのだが、あまり健康的な痩せ方でないのは確かだ。痩せた所為であちこちに皺が増え、実年齢より十歳は年を取って見える。
そう言うウィルヘルムも、右に同じだ。ウィルヘルムの場合は、標準体型だった分、アスラーよりも頬が痩けている印象を受ける。
「今、少しいいか」
近付いて来たアスラーは、見知らぬ男を連れていた。
ここへは、皆が着の身着のまま逃げ込んで来たから、TPOに応じて服を変えることなど出来ない。ウィルヘルムもアスラーも、ここへ来た時の服装そのままだ。それは、その見知らぬ男も同様だった。
すっかりよたってしまった白衣を羽織っているところから判断すると、医療か、何かの研究に携わる職業に就いていた人間だろうか。
濃いブロンドは服と同様、萎れたように力なく彼の頭部に張り付き、ブリリアント・グリーンの瞳も疲れを隠せていない。面長で顎の尖った輪郭は、頬がやや痩けている所為か、恐らく実際よりも鋭く長くなっているような気がした。
「どうだ、プログラムの開発の方は」
「んー。進展があるのかないのか、ちょっと何とも言えねぇな」
肩を竦めると、アスラーは男を振り返って頷いた。男も頷き返すと、ウィルヘルムの方へ足を進めて、膝を突く。
「見せて貰ってもいいかな」
「あんた、何のプログラムか分かってるのか?」
胡乱な目で男を見ると、アスラーが男の代わりに口を開いた。
「彼は、グレン=マイルズ=スペンサー。スィンセティック・プロジェクトに携わっていたスタッフだそうだ」
爆弾投下に等しいその発言に、ウィルヘルムは息を呑んだ。
「ッ、……何だって? それ、百パー確かなのかよ、おっさん」
「スィンセティックのデータを納めたUSBメモリを持っているそうだ。念の為、他にもこの数日尋問を繰り返したが、スィンセティックを制御する方法や、彼らの弱点も空で言えた。間違いないだろう」
ただでもやつれたその顔には、尋問の後の疲れが上乗せされているように見える。
「……この状況を引き起こした一端に、事態収集の協力を頼むってコトか。皮肉だな」
クス、と自嘲めいた笑いを零すと、アスラーも苦笑で顔を歪めた。
「仕方ない。彼だとて、このままでは死ぬしかないのは分かっている。外へ出て事態が終息したら、勿論牢へ入って貰うが、今回の件を納めるのに一役買ったとして、罪を減じられるよう計らうコトで、話は付いている」
「裏取引ってヤツか」
話をする間に、ウィルヘルムからパソコンを受け取って画面を眺めていた男は、話が一段落するのを見計らって顔を上げた。
「君……えっと」
「ウィルヘルム=ウォークハーマーだ。ウィルでいい」
「そうか。では、私もグレンと呼んでくれ。この駆除プログラムは、どこから知識を得て作ったんだい?」
『駆除』という単語に、ウィルヘルムは一瞬眉間に皺を寄せたが、今は倫理観を論じている時ではない。話の脱線を避ける為、反射で言いたいことをどうにか呑み込んで口を開く。
「この騒ぎが始まる前に、あちこちに侵入して調べた。今じゃ臨床に立ち会ってないだけで、スィンセティックに関する知識は、殆どあんたらと変わらないくらいあると思って貰っていい」
警察関係者であるウィルヘルムの口から、あっさり『データへの侵入』などという台詞が飛び出しても、男は動揺しなかった(アスラーはやはり苦い顔をしていたが)。ただ、感嘆の表情で、「ほう」と溜息に似た声を出す。
「賞賛に値する理解力だね。こんな状況でなければ、プロジェクト・チームに勧誘したいくらいだ」
「力一杯遠慮する。で、どんな感じだ」
「悪くない。ただ、君のプログラムの場合、フィアスティックだけでなく、スィンセティックを根刮ぎ駆除するものになってしまっているね」
「何か問題が?」
そう割って入ったのは、アスラーだ。
「ごく個人的な事情なので、説明は差し控えます。私も、この後の人生が懸かっている。折角の減刑の機会を無にしたくはないのでね」
グレンが言うと、アスラーはチッとあからさまに舌打ちを漏らす。
後半はウィルヘルムも全く同じリアクションをしたかったが、敢えて無表情を通した。自分にも、ヒューマノティックを巻き込んで殺したくない事情がある。
「話を戻そうか。私も、半年程前から隠れ住みながらプログラムの開発をしていた。これがそうだ」
グレンは、自分の懐からUSBメモリを取り出して見せた。
「これは、フィアスティックの言語理解プログラムに働きかけるようにプログラミングした、ウィルスのようなものだ。ネット機能さえ正常なら、一つのパソコンから流すだけで全てが終わる」
「けど、今はフィアスティックに乗っ取られてる」
「そう。そこが問題だ。試しにコピーをネット上に流してみたコトもあるが、フィアスティック達は、彼らが反乱を起こしてから以後にネット上に流されるモノに対して非常に敏感になっている。追尾されて破壊されたよ」
グレンは、悔しげに顔を歪めると、肩を竦めて続けた。
「電波だけを飛ばして駆除するコトも出来るが、半径五十メートル圏内でしか効果がない。加えて、このプログラムにもう期待は出来ない。先日、ネット上にプログラムを流したコトで、彼らは既にワクチンを持ったと思っていいだろう。そこで、君のそのプログラムが必要になる」
「これが?」
「そうだ。君もスィンセティックの脳内チップの破壊に着目したようだが、如何せん臨床に参加していなかったコトで、フィアスティックだけにどう的を絞っていいか分からなかったんだろう。私が手を貸す。このプログラムと、君のそれを使って変異させたウィルスを作るんだ。そうすれば、後はネットをどう奪還するかを考えるだけでいい」
ウィルヘルムは、チラリとアスラーに視線を向けた。目が合うと、アスラーは小さく頷いて見せる。
「分かったよ。けど、餓死しない内に勝負を付けないとな。あんまり時間は掛けてられねぇだろ」
「無論だ」
力強く首肯したグレンと、取り敢えず共同戦線を張る為に、握手を交わした。
「ところでさ」
「何かな」
「あんた、どこかで会ったコトねぇ?」
出し抜けに問うと、グレンは、そのブリリアント・グリーンの瞳を一瞬瞠って、次に「さてな」と苦笑した。
「君のような優秀な人間なら、一度会えば私は忘れないのだが」
「ふぅん」
しかし、その瞳を確かにどこかで見たことがある気がする。
ウィルヘルムは、もう一度脳裏で呟いたが、折からの空腹でか、どうにも頭が回らない。
(……まあ、生き延びられた後で考えてもいいか)
今は、一日も早く日光を浴びて、たらふく好きなモノを食べたい。
それは、ウィルヘルムのみならず、この地下遺跡に逃げ込んだ全員の願いに違いなかった。
***
「あーぶなかったぁ」
ダーク・グレイの髪の男と二人きりになるや否や、グレン――基、ハロンズは伸びをしながら零した。
「今も危ねぇよ。ここは個室じゃねぇんだからな。口に気を付けとけよ、グレン」
わざと偽名で呼びながら、肩を竦めるのはハワードだ。
「……ああ。分かっているよ、気を付けよう」
口調を『グレン』のものに戻したハロンズは、ハワードと同じように肩を竦めて彼のダーク・ブルー・グレイの瞳を見つめた。
彼らが二人でギゼレ・エレ・マグリブへ辿り着いたのは、三ヶ月程前のことだった。
実験動物――基、AA8164とS9910に出し抜かれる形で、今一番安全な避難場所であるリーフ・アイランドを逐われたのが、その更に三ヶ月前の話だ。その後、十日も待たずに南島国<サトヴァン>へ逃れ、そこから北の大陸<ユスティディア>までどういうルートで戻るかを検討した。
戦力的には正面突破で行っても良かったのだが、まず移動手段が限られている。その時点で、彼らが持っていた移動手段は、対マグネタインの特殊加工を施した、飛行艇が一機だけだった。
ヒューマノティックを全部連れて行くと、万が一の事態になった時、損害は計り知れない。かと言って、置いて行ってもどういう事態になるか、全く読めなかった。
これまでハロンズは、事態が読めないということはない、という信条で来たのだが、フィアスティックの反乱からこっち、想定外のことばかり起きているので、その自信は既に崩壊していた。
常に最悪の事態を予測して動かねばならない。もう、ミスは許されなかった。
取り敢えず、駆除プログラムを所々で流しながら、どうにか最後のパソコンの電池が切れる前に、サトヴァンの街中に辿り着いた。当然ながら人間はいなくなっていたが、電気製品は生きていたので充電し、暫くそこへ滞在していた。巨大鳥型フィアスティックを洗脳薬で捕獲し、ハワードと交代で近所の大陸に飛んだりして必要な情報を集めていたところ、奇妙な噂にぶつかった。
殺してもいないのに、人間が大量に消えたというのだ。破壊していない都市なのに、人間が逃げまどう様子がなく、調べてみたら無人だったということが続いているらしい。
その位置は、ギゼレ・エレ・マグリブの南部。
その辺りに、特にフィアスティック達の目を逃れられるような施設はなかったが、ハロンズには心当たりがあった。但し、不確かな噂を聞いたことがある、程度のことだった。加えて、予測の域を出ない。
しかし、その時腰を据えて研究を続けられる場所が必要だったハロンズは、そのあやふやな噂と予測に賭けるしかなかった。
アトラス湖の水深一キロを超える場所に、地下遺跡の入り口がある。そこは、ギゼレ・エレ・マグリブの東部の海と繋がっている筈だとも聞いたが、やはり確認したことはなかった。
サトヴァンに残されていた潜水艇を持ち出し、ハロンズはハワード、シュヴァルツ博士以下、部下とヒューマノティックを乗せ、ギゼレ・エレ・マグリブへ向けて出発した。だが、地図がある訳でもなく、当てずっぽうに捜して燃料も空気も食料も尽き掛けた頃、ようやくそれらしい洞穴を見つけたのが、三ヶ月前だったという訳だ。
「それにしても、表の顔もあるのは不便なモノだな。一般人にも顔を晒しているから、変装しないとこういう非常時には外も歩けない」
普段とはまるで違う口調で話すハロンズに、戸惑った様子もなく、ハワードはまた肩を竦めて相槌を打った。
「あの兄ちゃん、鋭かったよな」
ハワードはその場に同行していなかったが、数メートル後ろを付いて歩いていたのだ。
「目だけは変えようがないからな。でも、彼に出会えたのは本当に幸運だったよ」
ここに辿り着いて情報収集する内に、ここへの避難を主導したのはCUIO本部であることを知ったハロンズは、CUIOのスタッフを捜して共同戦線を持ち掛けることを思い付いた。
「けど、コトが終息した後はどうする。マジで牢屋に入る気か?」
「まさか」
クスッと漏らした笑いは、素のハロンズのそれに近い。
「元々、グレンって人物が存在しないんだ。フィアスティックの駆除が終わったら、僕は僕に戻って姿を消させて貰うよ」
と思う間に、口調も素に戻って言ったハロンズは、顔はグレンのまま、いたずらっぽい表情をそのブリリアント・グリーンに浮かべてハワードを見上げた。