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Epilogue

 耳障りな金属音を立てて遙か高い上空を横切っていく『それ』を、エマヌエルは横たわって見ていた。

 視界に入るのは、天井に開いた穴と、木々に遮られて見え隠れする薄青い空。その更に上を、黒い影が甲高い金属音を連れて空の青を切り裂くように通過した。

 後でヴァルカに聞いたところによれば、それは飛行艇で、影だから黒く見えた訳ではなく、特殊な薬品を塗られている為に元々黒かったらしい。

 ようやく身動きが取れるようになったのは、仇敵を乗せたその毒々しい黒い飛行艇が去って、数十分も経った頃だった。


***


「エマ」

 一声掛けられてそちらへ視線を向けると、ヴァルカが湯気の立ったマグカップを持って立っている。

「ミルクだけど……カップ持てる?」

 バカにするな、と言いたかったが、あれから半日経った今でもどことなく身体に力が入らない感じは続いていた。

 彼女の手にしているマグカップもその中身も、恐らくこの民家に残っていたものを勝手に持ち出したのだろう。出所はさておき、意地を張って受け取った途端、貴重なミルクは台無しになるのは間違いないような気がした。

 いや、と、結局正直なところを力なく口にしながら、ノロノロとベッドの上へ上半身を起こす。

 今エマヌエル達がいるのは、ナンナ=リーフ島の端にあった民家の中の一つだった。

 エマヌエルが取り敢えず動けるようになってから、ヴァルカがざっと周辺を見て回って、ハロンズ達が本当にいなくなったらしいのを確認した後、空いていた民家の一つを拝借したのだ。

 元々が民家の為か、調度類はあまり立派ではなかったが、こんな身体になってからはもっと劣悪な環境で過ごしていたエマヌエルやヴァルカには不満はない。まともに屋根と壁があって、ベッドに横になれれば御の字だ。ファランはどうか知らないが、彼女も文句を言わなかった。

 彼女が抱えている赤ん坊さえいなければ、野宿でも問題はない。けれども、いくらヒューマノティックとの混血とは言え、赤ん坊に野宿は流石に厳しいだろう。そう狭い島ではない為、島の中全てを点検することは出来なかったが、拝借しようとする民家の周辺を徹底的に調べたのは、そうした理由からだ。もし、伏兵がいるような気配があれば、建物の中の方が潜む場所が多いだけ危険度が高い。

 しかし、ハワードは『取引』と言った自身の言葉を忠実に守ったらしい。或いは、騙し討ちするだけの余裕が本当になかったのか、いずれにせよ、伏兵の一人もいる様子はなかった。

 ヴァルカは、起き上がるだけでも一苦労といったエマヌエルの様子を見て取ったのか、傍にあった丸テーブルの上にカップを置くと、ベッドの脇に腰掛けてエマヌエルの上半身を支えてくれた。

「あいつは?」

「ファランのコト? いるわよ、そこに」

 ちょっと狭いけど、と言ってヴァルカが示した方を見ると、ベッドの反対側の椅子に腰掛けたファランはチラリとこちらへ視線を向けた後、抱いている赤子にその視線を戻した。

 少なくともこの家の周辺には伏兵は潜んでいないのは念の為に調べておいたが、それでも足手纏いを別室にするとどういう事故が起きるかは、エマヌエルにも想像できる。

 それにしても、すぐそこにいる筈の一般人の気配も感じ取れないなんて、どれだけ体調が戻っていないのか。

「……悪い。これじゃ回復にどれだけ掛かるか、ちょっと読めねぇな」

 自嘲的に言って肩を竦めると、ヴァルカからは「ホント、バカよねあんた」と溜息混じりに返って来た。

「何だよ、それ。失礼だな」

「本当のコトじゃない。あんた毎回毎回死ぬ寸前まで追い詰められて、今日だってあのタイミングであたしが来なかったらどうなってたと思うのよ」

 う、とエマヌエルは言葉を詰まらせた。毎回毎回、と言うのがいつを指すのかは心当たりが多過ぎて分からない。が、今日は確かにあのタイミングで割り込まれなかったら、今頃ハロンズの思惑通り、四肢が吹っ飛びついでに意識も吹っ飛んで、自我は永久に失われていたかも知れない。

「出会った時からそうだったわよね。どっか詰めが甘いのよ、あんたって男は。出血多量になったり、腹ぶち抜かれたり、今日は電圧地獄に自分から突っ込むなんて、バカ以外にどう言えばいいのよ。実は留め刺されそうになるのが好きなんじゃないの?」

「……留め刺されそうになるのが好き、の下りは誤解だけどよ……」

 エマヌエルはボソボソと口の奥で反論すると、後は押し黙った。ぐうの音も出ないとはこのことだ。

 再会して、ここへ落ち着いた後、互いが離れていた短い間に起きた出来事の報告は済んでいた。だから、エマヌエルも、ファランが同行することになった経緯は、簡単には聞いている。ファランが抱いている赤子の親と、特殊能力についてもだ。

「ホラ。これ飲んで、もう寝ちゃいなさい。今日はあたしが寝ずの番してあげる。後のコトはあんたが全快してからまた考えればいいわ」

 ヴァルカは、エマヌエルの上半身を抱いたまま器用に腕を伸ばしてマグカップを掴んだ。

 それを見て初めて、上半身は自分で支えているつもりが、実際にはほぼヴァルカの腕に凭れる格好になっているのに気付く。どうにか少しでも彼女に体重を掛けないようにと奮闘するが殆ど力が入らず、エマヌエルは諦めて彼女の腕に身体を預けたまま、口元に運ばれたマグカップから、ミルクを少しずつ啜った。

「……私が診るわ」

 半分程ミルクを飲み干した時、右手から声が掛かって、反射的に視線だけそちらに向ける。

「何の話?」

 眉根を寄せて言葉を返したのは、ヴァルカだった。

 随分間が空いた所為か、ヴァルカにもファランの言いたいことが分からなかったようだ。すると、ファランは気を悪くした風もなく、言葉を重ねる。

「彼の身体よ。もし、明日になっても体調が元通りにならなかったら、私でよければ診察するわ。ハロンズ達がいなくなってるなら、この子が定期検診を受けてた部屋がそのままになってる筈よ。医療器具も揃ってると思うし」

「持ち去られてなきゃな」

 投げ出すように言えば、流石にファランも怯んだ表情になった。

「……でも、考えるって言ったって、考えたところで体調が戻るとは限らないでしょう?」

「それはないね。あんた、スィンセティックの自己治癒能力を随分甘く見てるみてぇだけど、こういうのは俺らの場合、放っておいても元通りになる。ただ、今回は時間が掛かってるってだけだ」

「だからって放っておく訳にいかないじゃない。スィンセティック程劇的じゃなくても、普通の人間にだって自己治癒能力はあるわ。けど、病院には掛からないといけないコトもあるでしょう? ちなみに、今回みたいな高電圧を長時間浴びた経験は?」

「三日三晩やられ続けて、本当にまともに動けるようになるのに三日くらい掛かったかな。ただ、電圧が段違いだった気がするから、今回は三日で回復する自信ねぇけど」

 あっさり言うと、ファランは何に気分を害したのか、不快そうに眉根を寄せて、自分の抱いている赤子に視線を落とした。

 赤子の頬に、愛おしむように指を這わせながら、ファランは何事か言いたげに唇を開いては閉じる仕草を随分長いこと繰り返した末に、「ごめんなさい」とポツリと呟いた。消え入りそうな声だったが、スィンセティックの超聴覚なら聞き逃しようがない音量だ。

「……それ、何に対する『ごめんなさい』なんだ?」

 瞬時、ヴァルカと目を見交わした後、問い掛けたのはエマヌエルの方だった。

 ファランは、顔を上げずに伏せた瞼の下で目をウロウロと彷徨わせた後、やはりどこを見ているのか分からない方へ視線を向けたまま口を開く。

「私……私、この子を産んで、初めて解ったの。あの人が……ウォレスが犯した罪がどんなモノだったか……私はあの人とこの、スィンセティックの研究に関して結局話さなかったから、あの人が何を思ってこの研究に手を染めたか分からない。こう言ったら、あなた達は気分を悪くするかも知れないけど、私だけは勿論、あの人を信じてる。彼はきっと悪い目的を持ってこの研究に加担したんじゃない。彼には、彼なりの深い事情があったんだと思う。それを、あなた達に解れとは言わないし、言えないけど……」

 反応のないエマヌエル達に不安を覚えたのか、ファランはチラリと目を上げた。室内が薄暗い今は、色の判別できないアメジストの瞳と一瞬視線が交錯するが、すぐにまた彼女は目を伏せて言葉を継ぐ。

「この子を産んですぐ、この子を取り上げられたわ。二日掛かってやっと産んだのに、一週間も逢わせて貰えなかった。ようやく逢わせて貰えたかと思えば、その後は週に一度しか逢わせて貰えなくて、逢わない間には訳の分からない検査されてるみたいだったし……この子をあるスタッフがM0001(エム・トリプル・オー・ワン)なんて呼んでるのを聞いた時は、本当にゾッとしたの。彼らにとってこの子は人間じゃなく、実験動物(モルモット)と同じなんだって」

 エマヌエルは、不快感を隠しもせずに眉根を寄せた。

 彼ら――研究所のスタッフならありそうな話だと、頭の隅の冷めた部分が呟く。だが、生まれたばかりの何も知らない、何の罪もない赤子さえも実験対象としてしか扱わないその狂った科学者達に改めて覚えたのは、嫌悪と憎悪だけだ。

「私は、自分の身体を改造された訳じゃないから、あなた達と同じ気持ちだなんて言えないし、本当にはあなた達の憎しみを理解出来てないと思う。けどやっと解った気がしたの。彼を含む、スィンセティック・プロジェクトに関わった研究者達が、どれだけ惨たらしいコトをして来たか」

 ファランは、そこまで一気に言うと、赤子を抱えたまま深々と頭を下げた。

「矛盾してるようだけど、彼を奪ったあなた達を、正直今も許すコトは出来ない。でも、私個人としては、彼のしたコトを容認も出来ない。何か理由があったと信じてはいるけど、彼が亡くなった今となってはそれは分からないから……この子を巻き込むような研究に手を染めていたコトだけは、許せないの。だから……彼に代わって謝ります。本当に……ごめんなさい」

「アイツらがやったコトをあんたに謝られても、俺達はどうしようもねぇんだけど?」

 冷ややかに返すと、ファランは下げていた頭をゆっくりと上げた。視線は、やはり床の方へ落ちたままだ。

「第一、謝ってどうしようって訳? あんたの気が済むだけじゃねぇの? それとも、謝罪すれば俺達の身体も人生も、元に戻るとでも思ってんの?」

「思ってないわ。ただ……あなた達の人生と生まれ持った臓器を戻すコトは出来なくても、身体の中を普通の人工臓器に換えるコトは出来ると思う。あなた達が望むなら、今すぐには無理だけど、将来的にはいずれ環境を整えてそう出来るようにするわ」

「俺らの身体がフツーと違うのは、何も臓器に限ったコトじゃねぇよ。いい感じにミックスされた遺伝子なんて元通りに出来るか? それに、今更フツーの身体に戻されても困るね。俺はスィンセティック・プロジェクトに関わった連中を全員、この能力であの世に送り付けてやりたいんだから」

 肩を竦めて言うと、ファランは顔を上げて何か言いたげに唇を震わせた。言おうか言うまいか、と彼女が悩んだのは、一瞬だったらしい。

「復讐が生むのは、次の憎しみだけよ」

「そんな薄っぺらい説教、されるまでもないね。覚悟の上だ」

 きっぱりと返せば、ファランは瞠目してエマヌエルを真っ直ぐに見た。その視線を横目で捉えて、エマヌエルは続ける。

「アイツら全部片付けるまで生きていられりゃ、それでいい。全部が終わった後でなら、誰にどんな風になぶり殺されても文句は言わねぇ。それが因果応報ってヤツだからな。自分の復讐だけ済ませて『はい、めでたし』だなんて思っちゃいねぇよ。ただ、アイツらを片付ける前に向かってくる奴は、誰だろうと遠慮しねぇけど」

「そんなのって……虚しいだけじゃない。それこそ、彼らを殺したからってあなたの身体が元通りになる訳じゃないでしょう?」

「それも覚悟の上だよ。あんたにとやかく言われる筋合いはねぇ」

 そうする以外に、この負の感情のやり場はない。この生き方を変えるつもりも更々ない。

 憎しみの連鎖を断ち切る立場になれる程、聖人君子でもないのだ。

(大体、あんたに何が解る)

 微かに沸いた苛立ちで、無意識にベッドの上へ手を突きファランに向き直ろうとするが、やはり腕に思ったように力が入らず、ヴァルカの腕の中に崩れる。結局、彼女の腕に凭れたまま、エマヌエルはその深い青の瞳に険を宿らせてファランを見据えた。

「ここまで日溜まりでヌクヌク生きてきたお嬢のあんたに、何が解るってんだよ。第一、あんた一体何が言いたいんだ? 筋の通らねぇ謝罪したかと思えば今度は勘違いした説教始めやがって。そんな上っ面の正義感で俺を止められると思ってんなら甘いぜ」

 瞬間、ファランはばつが悪そうに視線を泳がせる。

「……確かに……ウォレスが亡くなるまでは、あなたの言う日溜まりの人生だったかも知れない。けど、上っ面の正義感なんかじゃないし、筋は通ってるわ。籍こそ入れず終いだったけど、私にとってウォレスは夫も同然だもの。彼が亡くなった以上、夫の不始末は妻の私が負うべき責任なの。だから、あなた達が全てを許せるまで私は頭を下げ続けなければならないと思ってるし、あなた達が望むなら、私に出来るコトは何でもするわ。……見ていられないの。まるでこの子の将来を見るようで……居た堪れなくて」

「そーいうの、余計な世話っつーんだよ。全てを許せる日なんて、絶対に来ないね」

 投げ出すように吐き捨てると、途端、泣き出しそうに顔を歪めたファランは、腕の中で眠る我が子に目を落とした。

「この子も大きくなったら……あなたのように言うのかしら」

「は?」

「こんな身体に産んでくれなんて頼まなかった。余計なコトだったって」

 ファランは、娘に愛しさと哀しさが入り交じった複雑な瞳を向けて、彼女の頬を撫でながら、最早独白のように呟く。

「私は……この子が普通に平凡に生きていけるなら、本当に何でもするのに……」

「やっと本音が出たわね」

 それまで黙ってファランとのやり取りを聞いていただけのヴァルカが、溜息混じりに口を開いた。

「え?」

「さっきも言ったと思うけど、今基本的に自己中よね、あんた。その子が普通に生きて行けるなら、そう言われても本望だって言ったわよね。いい子ぶらないで、そろそろ本音で話しなさいよ。その子の為に、あたし達を利用したいってコトでしょ?」

 再度、ばつが悪そうな表情をしたファランと、何度目かで視線が合う。エマヌエルは、クスリと嘲るような笑いを零した。

「……何だ。始めからそう言ってりゃ、俺も考えたのによ」

「……どういう意味よ」

 珍しく用心深くこちらを探るような目を向けたファランに、覚えず笑いがこみ上げる。

「パターソンの代わりの謝罪だの、俺達への償いだのより、てめぇの子を実験材料にしたくないから力貸してくれ、て言われた方が分かり易いって言ってんだよ」

 その言葉の内容を理解するのに、ファランはたっぷり十秒程掛かったらしい。ややあって、見る見る内に彼女の瞳は大きく見開かれ、半ば顎が落ちたような表情で口を開いて唖然とした。

「あたしも一応協力するってコトは言ったんだけどね」

「あんたもコミュ力低いから通じてなかったんじゃねぇの?」

「……当て身で眠りに就きたいみたいね、エマ」

 滅多に浮かばない満面の笑顔付きの一言が、心底恐ろしい。

「勘弁してくれ、三日は意識不明になりそうだ」

 丁重に辞退すると、「そお? いい眠剤代わりになるのに」というこれまた恐ろしい一言が返ってくる。

「あの……」

 一方、漫才のようなやり取りから完全に弾き出されたファランが、恐る恐るといった様子でそろりと探るように割り込んでくる。

「あ?」

「本当に……助けてくれるの? あなた達には多分、何の得もないのよ?」

「随分弱気ね。さっきは『自己中って呼ばれても本望なのー』なんて啖呵切ったクセに」

「だ、だって、あなた達だって、私のコト良くは思ってないでしょ?」

「勘違いすんな。あんたの為じゃない。そのガキの為だよ」

「あたしもそう言ったんだけどねぇ」

 これもまだ通じてなかったみたい、と付け加えたヴァルカに、エマヌエルは何か言うのは止めておいた。


***


「うーん……やっぱり、この方法しかないかぁ」

 南島国<サトヴァン>北部に位置する平原で、着陸した飛行艇の出入り口に腰掛けたハロンズは、地面に転がったモノと小型パソコンを前に頭を抱えていた。

「けど、地道すぎだろ」

 足で軽く死体の一つを蹴飛ばしたのは、ライフルを肩に担いだハワードだ。

「だよねぇ……」

 ハワードとハロンズが話し合っているのは、勿論地面に転がったフィアスティックの死体についてだ。今ここにあるのは全部で五体。種類はバラバラのフィアスティック達の駆除は、例の新開発したプログラムで行った。

 AA(ダブル・エー)8164、及び、(エス)9910の取り込みに失敗したハロンズ達は、フィアスティック駆除作戦に際しての人員の欠如を補う方法を他に試行錯誤している最中だった。

 リーフ・アイランドを離れて、数日が経っている。

 最初、このサトヴァンの北部に到達した際、試験も兼ねて十メートル上空からプログラムを流してみたが、駆除できたのはたまたまそこに巡回で飛んでいた巨大鳥型フィアスティックが三体だけだった。

 地上に降りて何度か試したところ、有効範囲は大体直径にして一キロ前後しかないことが判明した。以後、フィアスティックの駆除は、地道に延々とプログラムの電波を垂れ流し、その網に向こうが掛かるのを待つという方法で行っている。――が。

「このやり方だとさぁ。フツーに武器で殺して回っても大差なくない?」

「だよな。俺もそう思う」

 だが、普通の武器と言っても、普通の銃弾もマグネタイン弾も無限に在庫がある訳ではない。だからこそ、一度に駆除できるプログラムをわざわざ開発したというのに、有効範囲が一キロ前後では話にならなかった。

 パソコンの電池も充電式で永久に持つ訳ではない。早いところ、フィアスティックの反乱以前にかつて人間が住んでいた居住区域を捜さなければならない。

「ですが、接近に気付けなくても、半径五百メートル圏内なら駆除電波を流していれば駆除出来る点は、普通の武器で仕留めるより効率的だと思います」

 話し合いにさり気なく入って来たのは、シュヴァルツ博士だ。

「その点は否定しないよ。ただもうちょっと改良出来たらいいんだけど……」

 ハロンズ達が、全部で三つ所持していたノート型パソコンの内、既に二つは電池切れで沈黙していた。今、ハロンズが持っているパソコンの電池が切れたら、プログラムを流すことさえ出来なくなる。

 それは、ハロンズのみならず全員が分かっていることだ。シュヴァルツも、形の良い眉根を寄せ、「それには同意見ですが」と挟んで言葉を継ぐ。

「今すぐには難しいでしょう。それに、ここまでに駆除・確認出来たフィアスティックは全部で五十体程ですから……」

「つまり、今日でサトヴァンに入ってから五日くらいだから、一日に十体ずつ?」

「しかも、全部で何体いるか把握出来てねぇんだよな」

「ちょっとハワード。何サラッと止め刺してくれちゃってんのさ」

「だって本当のコトだろ」

 この絶望的な状況を本当に分かって言っているのだろうか、こののほほん男は。

 頭の隅で呟くと、ハロンズはデータを整理した手元の小型パソコンに視線を落として頭を掻いた。

「戦力拡大にまずはヒューマノティックの捕獲に駆け回った方がいいかなぁ……」

「申し上げ難いのですが……それはそれで穴のある作戦かと」

 恐る恐るといった様子でソロリと口を挟むシュヴァルツに、「どういう意味?」と訊ねる。

「フィアスティックの反乱の始まりは、インターネット回線の乗っ取りと、洗脳プログラムの書き換えでしたよね」

「うん、それが?」

「つまり、フィアスティック達は何らかの方法でその書き換えプログラムを手に入れているというコトです。いくらヒューマノティックを捕獲して再プログラムしたとしても、作戦を実行する為に彼らを単独行動させたら、また向こうに取り込まれてしまって意味がなくなるのでは、と」

「……あー……」

 そうだった、と冷静な指摘を受けたハロンズは、片手を顔全体に当てて俯いた。

 どうやら、想定外の事態に、自分でも思う以上に動転しているらしい。普段の状態なら簡単に思い付くことだというのに、指摘を受けるまで気付かないなんてどうかしている。

「……となると、やっぱりネット回線を奪回するトコから始めないとだめか……」

 しかし、それでは『振り出しに戻る』だ。

 それが出来そうにないからこそ、AA8164達を取り込み、リーフ・アイランド内で徐々に味方を増やし、有効範囲から要所要所での一斉反撃を考えていたというのに。

(でも、待てよ)

 ふと何かを思い付いたかのように、そのブリリアント・グリーンの瞳が見開かれる。

「……わざわざ奪還する必要はない、よね」

 ゆるゆると当てた手を外して顔を上げ、ポツリと呟く。

「どういうこった?」

 その呟きを耳敏く聞き付けたのか、ハワードが首を傾げるようにしてハロンズを見た。

「まあ、奪い返すって表現にしちゃえば同じコトなんだけどさ。今フィアスティックが押さえてる回線に乗っかっちゃえばプログラムを流すコトは出来るかなぁって」

「ですが、プログラムが行き渡る前に気付かれたら」

「うん、問題はそこだよね。だから、そろそろ里帰りでもしてみようかと思って」

 クスクスと笑うと、シュヴァルツとハワードが揃って目を丸くしてハロンズを見つめ、次いで互いの目を見交わした。

 どういうコトか、と互いに目と目で器用に会話する二人に向かって、ハロンズはにっこりと満面の笑みを浮かべて言った。

「さぁて。久し振りに帰ろっか」

 リッケンバッカーへ。

 北の空を見つめて目を眇めたハロンズは、膝に置いていたパソコンを飛行艇の出入り口に下ろして大きく伸びをする。

 けれど、帰ると一口に言ってもそう簡単ではない。さて、どうやって帰ろうか。

 戦力は、普通の人間の兵士が十八人、とそれに付随する武器弾薬。プラス、再調教済みのヒューマノティックが十体。フィアスティックの方は、プログラム開発の過程で使い切ってしまった。

(それと僕とヒューマノティック並みのハワードか……この戦力でどうやって北へ上るのが安全かなぁ)

 簡単ではないが、悲壮感もない。これまでも、どうにか難関を切り抜けてきたという自負も手伝って、方法を模索するハロンズは実に楽しそうに微笑んだ。


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