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CODE;18 Evacuate

 爆発する寸前のヘリコプターから脱出し、爆風に煽られて激突した城館と、先刻までいた聖堂の地上部分は、森を挟んでほぼ同じ平面上に建っていた。だが、下に降りて見ると、聖堂の正面出入り口までは結構な距離がある。ざっくり目算すると、一キロ弱だろうか。

 のんびり歩いていたらいつ着くか分かったものではない。

 やはり、彼の傍を何としても離れるのではなかった。そう思うと、気持ちばかりが(はや)り、足はちっとも進んでいない錯覚に陥る。

 本音は走りたいが、途中、意外なお荷物を背負い込んでしまったので、ヴァルカは半ば苛立ちながら早足で歩いていた。それでも、お荷物――(もとい)、ファランには小走りでないと付いて来られない速度らしい。

 だが、感心なことに、彼女は一切不平不満を口にしなかった。ただ、ハアハアと喘ぐ声が背後――予測するに数メートル後ろから聞こえてくる。

「もう少し速度上げられないの?」

「……ごめ、んなさい」

 足は止めずに顔だけ振り向けて問うと、如何(いか)にも息継ぎの合間に返事をしていると取れる声が返って来る。舗装もされていない森の、足場のあまり良くない地面の上を、ずっと小走りに付いてくる所為か、その頬は紅潮していた。

 彼女とは、一年近く会っていない計算になるが、その間に、出産以外の何があったのだろう。謝りはするものの、やはり『出来ない』だの、『そっちこそ私に合わせてもっとゆっくり歩いてくれ』だのという類の自己中発言は一切なかった。

(ちょっとは度胸据わって来たみたいだけど……)

 それにしても、彼女の覚悟と度胸だけでは、歩く速度は如何(いかん)ともし難い。

 彼女一人のことなら容赦なく見捨てているが、彼女の腕には、ヴァルカやエマヌエルの同胞とも呼べる赤子が抱えられている。

 それなら赤子だけ抱えて走れば良さそうなものだけれど、我が子と引き離される、何とも表現しようのない感情には、ヴァルカも痛い程覚えがあった。我が子の顔さえ見たことがないとは言え、ヴァルカも出産経験者なのだ。それも手伝い、レフィーナと名付けられた赤子に、どこか自分の子の面影を見た気になってしまうのは、どうしようもなかった。

(……バカね、あたしも)

 自分の子って言っても、男か女かも知らないクセに。

 クスリ、と自嘲の笑みを零して立ち止まると、踵を返す。

 一方、前触れなく振り向いて、自分たちに向かってくるヴァルカを視界に捉えたであろうファランは、案の定、そのアメジストの瞳を一杯に見開いてヴァルカを見つめた。

「あ、あの」

「ちょっと失礼するわよ」

 言うなり、ヴァルカはまずファランの抱いていた赤子を自分の腕に抱える。次いで、ファランに背に負ぶさるように仕草で促し、「絶対に放すんじゃないわよ」と警告を与えて、猛然と地を蹴った。

 どの点が意外だったのか、ファランは声も出せずにただただ必死でヴァルカの首に回した手に力を込めてしがみついて来る。

 進む速度が倍以上になる。

 だが、すぐそこに聖堂が見えているのに、エマヌエル達の気配は欠片も感じられない。

 相手が普通の人間であれば、ここまで近付いて気配も感じられない、なんてことはまず有り得ないのに。

(エマ)

 唇を噛み締めて、音に出さずに彼の名を呼ぶ。

 返事をしてと叫びたい。もっと早く、駆けることが出来たなら。

 けれども、ヴァルカは焦る思考を懸命に押し殺そうとした。焦れば焦るだけ、全く進んでいないような錯覚を覚えて、余計に焦る。

(早く……!)

 早く、辿り着かなければ。

 そう思った、次の瞬間、地面が揺れた気がして、ヴァルカは反射で足を止めた。

「な……何?」

 そう言ったのは、背に負ったファランだ。だが、答えられない。

 周囲を見回す。バサバサッ、と音を立てて、鳥達が一斉に羽ばたいた。

(――ヤバい)

 何か――予測しようもない何かが起きる。そんな気がした。急いでここを離れなければ。

 本能の警告に従って踵を返しながらも、この退避動作が到底間に合わないであろう予感もあった。

「何!? どうしたの!?」

 急に回れ右して全力で駆け出したヴァルカの行動を、当然ファランは理解出来なかったのだろう。だが、彼女の問いに丁寧に答える暇はない。叫ぶように問いをぶつけるファランを無視して、とにかく全力で走る。しかし、数メートルも行かない内に足下が盛り上がり、前方へ投げ出される。

 背中で悲鳴を上げてしがみつくファランは放置し、赤子を庇うように抱き締める。地面へ叩き付けられる感触を覚えるより早く、視界は白一色になった。


***


「……ッ、つぅ~……!」

 エマヌエルは低く呻いた。視界が薄暗い。意識がどこかぼんやりしている。

 前後の記憶が咄嗟には見つからなくて、エマヌエルは一瞬混乱した。

「ここ、は……」

 一つ息を吐いて、視線を巡らせる。

 やがて、瓦礫がドーム状に折り重なった空間の中で倒れていると分かった。無意識に立ち上がろうとして、身体にうまく力が入らないことに気付く。

(……流石に、やり過ぎたか……)

 はあ、とまた一つ溜息を吐いて、苦労して仰向けになる。

 ある一定以上のフォトン・エネルギーを感知すると、高圧電流が流れるように仕組まれた制御装置を破壊する為、少し無理をし過ぎたらしい。最初の、一瞬の電撃と比べれば、ダメージは段違いだ。意識こそすぐに戻ったものの、身体の方は当分言うことを聞きそうにない。

 こんな所を攻撃されたら、今度こそ終わりだ。などと考えているところへ、前触れなく瓦礫が取り除かれ、外の光をバックに背負ったハロンズが顔を覗かせた。

「あー、いたいた。AA(ダブル・エー)8164、見ーっけ」

 まるでかくれんぼをしていた子供の口調だ。

「全く、やってくれるよねぇ。流石に、ちょっと堪えたかも」

 クスクスと笑うその声は、セリフとは裏腹にまるで堪えていないように思える。だが、電撃で煤けたその顔には微かにダメージが見え、呼吸も先刻より上がっているようだ。

 相手も、全くの無事とは言えないものの、未だ指先さえ動かすことの出来ないエマヌエルよりは有利なことに違いはない。

「さーてと。どうしてくれちゃおうかな、ホントに。面白い素材だから、出来たら五体満足のままで色々実験したいんだけど……」

 ガラガラと音を立てながら瓦礫を除いていくハロンズの動作は、ひどく鈍い。エマヌエルも普段通りなら、この隙に逃げることは充分可能だが、逃げようと足掻く意思に反して、身体からは力が抜けたままだ。

「っく……!」

(早くッ……)

 早く、動け!

 そう思うのに、床を引っ掻くことさえままならない。

 動けない自分を引きずり出す為に、ハロンズが焦る必要は特段なかったに違いない。動きの鈍いハロンズが瓦礫を除去する時間は、万全の状態の人間ならひどく長く感じられただろう。しかし、為す術のないエマヌエルには、あっという間に思えた。

「温厚な僕も、ここまでされて甘い顔する程優しくないんだ」

 脱力した人間を、床の上で引きずる為の障害を取り除いてしまうと、ハロンズは、言葉とは正反対にニッコリ笑いながら、エマヌエルの胸倉を掴んで引き寄せる。高電圧に、許容を超えて長いこと晒された所為で、まだ回復し切っていないエマヌエルは、されるままになるしかない。

「とにかく、反抗的な手と足は、ちょん切っちゃおうか?」

 満面の笑みで恐ろしいことを口に乗せながら、ハロンズはエマヌエルの肩口に両手を置く。

「くッ……」

 ハロンズの腕に青白い光が走るのを見て、流石に血の気が引いた。

「大丈夫。後でちゃあんと縫い付けてあげるから、安心して?」

 安心できるか、マッド・ドクターが!

 口には出さずに叫びながら、思う様そのブリリアント・グリーンの瞳を睨め付けても、その行動を止めることは出来ない。

「それとも、命乞いとか謝罪とか、するなら今の内だよ?」

「誰が!」

 吐き捨てるように返す。

 それだけは絶対に御免だ。こんな奴に――研究所や兵器開発組織のメンバーにみっともなく命乞いするくらいなら、それこそ死んだ方がマシというものだ。ましてや謝罪など、する筋合いもない。

「そう。残念だね」

 ジジッ、と電子音を立てて、金属音が耳を突く。訪れるだろう痛みと衝撃に備えて、エマヌエルはギュッと目を閉じる。

 やがて、瞼の外が白く染まって、肩から先が吹っ飛ばされる――のを覚悟したが、そうはならなかった。代わりに聴覚に滑り込んで来たのは、甲高く乾いた音だ。次いで、身体の上の重みがなくなる。

 抱き起こされる感覚に、そろりと目を開けると、左斜め上、それもひどく近い場所に、ついさっき別れた彼女の顔があった。

「……ヴァルカ……?」

 やや遅れて、床へペタンと座り込んだ彼女に、上半身だけ起こされる形で抱かれていると理解する。

「言った筈よね」

「え?」

「死んだら、あの世まで追っ掛けてって張り倒すって」

 怒ったような口調とは裏腹に、その瞳は今にも泣き出しそうに見えた。

 悪い、と謝罪する寸前の唇は、彼女のそれで塞がれる。息を呑んだが、ピクリとも動けない今のエマヌエルに、彼女の口吻けを拒む術はなかった。

 諦めて再び目を閉じるも、その唇は数度啄むように触れ合っただけで離れる。瞼を上げると、深紅の瞳と至近距離で視線が絡んだ。唇の動きだけで「バカ」と言った彼女には、苦笑を返すしかない。

「……ったく……僕も言ったよね? そーゆーコトは、僕がいないトコでやってって」

 しかし、二人だけの時間は長く続かず、横合いから馬に蹴られるのも辞さないような茶々入れが入る。軽口を叩いている割には、ハロンズはやっとという様子で立ち上がった。白衣の右腕には血が滲んでいるが、彼はそこではなく胸元を押さえている。大方、そこをヴァルカに蹴り飛ばされでもしたのだろう。

 そんな彼の言葉に、ヴァルカが冷たく切り返す。

「知らないわよ。あんたの指示に従う義理なんか、もうないわ」

 言うなり、彼女はエマヌエルを腕に抱いたまま、空いた左手に握っていた愛銃の銃口を素早くハロンズに向けて、引き金を絞った。だが、その弾道は、上から降ってきた銃弾によって無情にも曲げられる。

 直後、天井に開いた穴から、男が降り立つのが分かった。

「よう。無事か? ユーリ」

「お陰様で」

 そこでライフル銃を構えているのは、ハワードという名のあの男だった。

「ハワード、だったかしら。余計な邪魔しないでくれる?」

「お、嬉しいね。名前、覚えてくれたんだ」

「茶化さないで。邪魔すると折角拾った命、捨てるコトになるわよ」

「俺のセリフだね。そっちこそ、その坊やを渡して消えるなら、ここは見逃す」

「前にもこのやり取りはしたわね。答えは変わらないわ、お断りよ」

「だろうと思ったよ。じゃあ、取引と行かないか?」

「取引ですって?」

「そ。お互いの為の取引」

「ちょっとちょっと。僕抜きで勝手に話進めないでくれる?」

 ハワードが言葉を切ったところで、ハロンズが割り込む。

「じゃあ訊くケドよ。お前、今まともに動けんの?」

 反問されて、ハロンズはぐうの音も出せずに黙り込んだ。若干動きは鈍っているものの、平気で動き回っているように見えたので、殆どダメージを受けていないのかと思っていたが、そうでもないようだ。

 完全にハロンズが沈黙するのを見て取ると、ハワードはヴァルカに向き直る。

「今日のところは、俺達はお前らに一切手出ししないでここから引き上げる。その代わり、お前らも俺達を追わない。高くない相談だろ?」

「バカ言うんじゃないわよ。あたしに背中向けて、ここから無事に出られるとでも?」

「やってみろよ。タイマンなら、お前らヒューマノティックにも負けない自信はあるぜ。ただ、今はお互い足手纏い抱えてるし、深追いしねぇのが利口だと思うけどな」

 ヴァルカは、悔しげに唇を噛んだ。エマヌエルを抱き締める腕に、力が籠もるのが分かる。

 どうにかしてこの場でハロンズを仕留めたいが、動けないエマヌエルをここに置いて行ったら、またどんな不測の事態が起きるか分からないと思っているのが、普段ポーカーフェイスな彼女には珍しく、ありありと伝わって来た。

「……ヴァルカ」

「何」

「好きにやれよ。俺に構わなくていい」

「嫌よ」

「あのな」

 さっきも言ったけど、俺はあんたの枷になるのは御免なんだ。と続けようとしたが、ヴァルカの鋭い視線に遮られて音にならなかった。

「絶対に嫌よ」

 普段よりもやや低い声が、決然と告げる。

「んじゃ、商談成立だな」

 ハワードが、唇の端だけを持ち上げる笑い方でヴァルカを見た。

「ユーリも、それで良いだろ。今回は痛み分けってコトで」

「……仕方ないね」

 ハロンズも、苦い笑みを浮かべて肩を竦める。どうやら本当に余裕はないらしい。

「じゃあな。縁があったら、また会おうぜ」

「せいぜい残りの人生楽しむのね。次に会う時が、あんた達の最期よ」

 悠然と踵を返した二人を撃ち殺したくて仕方ない表情で言ったヴァルカに、ハワードは背を向けたままヒラヒラと手を振った。


***


「あのさぁ、ハワード」

「何」

 先の場所から充分に離れたと思える地点で、ハロンズが口を開く。

「念の為に言っとくケド、僕的にはこの措置、痛み分けなんてモンじゃないからね」

「って言うと?」

 のほほんとした口調で問うハワードに、ハロンズは珍しく反射で殴り掛かりたくなった。

「内訳は君があっさり爆破してくれたヘリ一機でしょ。それから、あの二人。(エス)9910は分かんないけど、AA8164なんか大損だよ。滅多にない素材だったのに!」

 指折り数えて突き付けると、たった二つじゃん、という答えが、やはりのんびりと返ってくる。

「第一お前さぁ。あんな一体か二体のヒューマノティックにかかずらってる場合なワケ?」

「う……」

 黙り込むと自然、唇が尖ってしまう。

 今でこそ、ハワードはハロンズの部下というポジションにいるが、北の大陸<ユスティディア>でストリートチルドレンをやっていた頃は、兄のような存在だった。正直なところ、兄兼父といった感じで、どうにも昔からの習性で、頭が上がらないことがある。

 ハロンズが沈黙したタイミングで立ち止まったハワードは、自分のコートの裾を裂いて即席の止血帯を作り、ハロンズの負傷した腕を取る。

「確かに、研究も必要なんだろうよ。お前の場合、半分は趣味っていうか道楽みたいなモンだと思うけど、お前が本当に欲しいのは、その向こう側にある目標であって、マフィアとか軍事国家相手の商売は、資金繰りに必要なだけだろ」

「……まあ、そうなんだけどさ」

 撃たれた傷をきつめに締め上げられて、痛みに小さく身体を震わせながらハワードの言葉に渋々頷く。

 彼は、学校にこそ通っていなかったが、頭が悪い訳ではない。こう懇々と理詰めで諭すのが、昔から寧ろ得意だった気がする。こうなると、最早彼の独壇場だ。

「余裕があれば、あれはまた捕獲すればいいだけだろ。今はお前の身体のダメージも相当だし、()り合って得るのはリスクと怪我だけだと思ったんだけど、違うのか?」

 違いません、その通りです。と思ったが、目が泳ぐばかりで口には出せない。

 しかし、その視線の微妙な泳ぎを、ハワードが見逃してくれる筈もなかった。

「納得したら、さっさと行くぞ。次の目的地は決まってんのか?」

 話は終わったとして話題を転じながら、ポン、と応急手当が終わった腕の傷の上を叩かれて、覚えず足下がふらつく。そんなハロンズに、ハワードがさり気なく肩を貸した。

「……うーん……取り敢えず、ココが一番安全だと思ってたんだけど、ココ放棄するとなるとなぁ……」

 押し付けでない好意に甘えて、その肩に掴まりながら、ハロンズは考え込んだ。

 フィアスティックの反乱が起きてから、正確には十ヶ月程だ。

 確か、半年前の時点では、フィアスティックの侵食はユスティディア、西の大陸<ギゼレ・エレ・マグリブ>とその間にあるオッティールド諸島、ラークリンデ島、ジークリンデ島、ギルモア島、東の大陸<トスオリア>のロスヴィータ公国と、ロベルティーネ公国の半分まで進んでいたと記憶している。

(けど、あれから四ヶ月経ってるってコトは、もうほぼ全世界全滅て思っていいよね)

 それは、実を言うと調べるまでもなく予測が立っていたことだ。だが、詳細を把握したいと思ったからこそ、S9910を偵察に出したのに、それも見事におじゃんになってしまった。

「あ、S9910に預けたデータもだ」

「お前、結構ネに持つな」

 無意識に漏れた呟きが、先刻の『損害リスト』の続きだと分かったのか、ハワードが透かさずボソッと返す。

「まあ、あれはコピーだったし、原データはこっちにもあるし、彼女達がどうこうしようとしたからってどうにかなるモンじゃないからいいんだ。だから、別に嫌味とかじゃないんだけど、聞こえたらゴメンね?」

 満面の笑みでハワードを見上げると、ダーク・ブルー・グレイの瞳が呆れるように細められた。

「はいはい、俺が悪ござんしたよ。んで、どこに行くんだって?」

 おざなりに言ったハワードに答えようとした時、数メートル先と思える場所からヒールを鳴らす足音が聞こえて来た。

 やがて曲がり角から姿を現したのは、イェニー=ビアンカ=シュヴァルツ博士だった。いつも冷静沈着な彼女には珍しく、どこかひどく慌てているように見える。

「所長! こちらにいらしたのですか」

 あちこち探し回ったらしく、シュヴァルツ博士は息を切らしていた。

「あー、ゴメンね。内線通じなかったかな」

 懐に入れていた間に合わせの機械は、さっきの電気ショックで壊れてしまっただろうことは想像に難くない。『損害リスト』がさり気なく増えたことを、ハワードは当然知る由もなかった。

「はい、その……それもそうなのですが、実は、お知らせしたいことがありまして」

「うん、何?」

「あの……」

 どうにも歯切れが悪い。これも、普段必要最低限のことだけを淡々と言う彼女には珍しい。どこか、嫌な予感がする。

「先程、ザクサー教授の部屋のある棟から爆発音がしまして……」

「爆発音?」

 ハロンズは、鸚鵡返しに言って眉根を寄せる。

 ザクサー教授と言えば、ファラン=ザクサーのことだ。

「様子を見に行きましたところ、壁が壊れていて、ザクサー教授の姿が消えていました」

「ファランが……消えた?」

 嫌な予感は往々にして外れないものだ。

 呆然とした呟きが、その場に落ちる。

「レフィーナは……M0001(エム・トリプル・オー・ワン)はどうしたの?」

 辛うじて気を取り直して、肝心なところを訊く。

 ファランを手放したくない気持ちもあるが、彼女とは別にレフィーナも大事な素材だ。AA8164と並ぶ程貴重だと言っていい。

 しかし、シュヴァルツは、無情にも首を横に振った。

「それが……彼女も行方不明です。目下、全力で行方を捜索中なのですが……」

「……どーするよ。そっち、捜してから出るか?」

「いや……」

 ハワードに預けていない側の掌を、顔に当てて俯く。

 何故にこう、想定外のことが、次から次へと起こるのだろう。躓きは、あのフィアスティックの反乱だということだけは分かるのだが。

 ハロンズは、暫くそうして俯いた後、重い溜息を吐いて顔を上げた。

「ユーリ?」

「……行こう。ビアンカ。二人の捜索は中止して、島にいる兵士を全員召集して貰える? 島にあるスィンセティックを全部持って島を離れる」

 何か言いたげに唇を震わせたシュヴァルツだったが、結局は「はい」とだけ言って、硬い表情で頭を下げ、ヒールの音を響かせてハロンズ達の前を辞した。それを見送りながら、ハワードが訊ねる。

「いいのか」

 彼女を捜さなくて。

 音にならなかった彼の問い掛けの内容は、聞かなくても分かった。ハロンズ自身、心は揺れたけれど、迷いを払うようにただ首肯する。欲しいもの全て抱えようとして、どれも抱えた腕から零れ落ちていくのでは話にならない。

「全部が終わってからにしよう。世の中が落ち着けば、捜し出すコトは出来ると思う」

 取り敢えず、今はフィアスティックの駆除が最優先だ。そう続けて、ハロンズはクスリと笑う。

「全く……どうしてこう、誰も彼も、思う通りにならないかなぁ」

「ユーリ?」

「何でもない。行こう。この借りは、必ず突っ返すよ」

 高い利子付きでね。

 そう付け加えられた言葉の向かう主が誰だったのか。楽しげに笑うその声は、どこか昏い色を宿して空気を震わせた。


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