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CODE;16 Cheat each other

「……で、何で君もまた一緒にいるのかな」

 先刻の実験室にヴァルカと共に現れたエマヌエルに、ハロンズは呆れたように目を細める。

「うるせぇよ、俺の勝手だろ。それとも見送りも許されない訳?」

 無造作にポケットへ手を突っ込んだまま返すと、ハロンズは「まあいいけど」とだけ言って、肩を竦めた。

「これが、同行するゴーレム二体。ゴーレムナンバー・2130と、1461だよ」

 ハロンズが、まるで友人を紹介するかのように示したゴーレムは、人形のような生気のない無表情で、頭を下げることもなく佇んでいる。

 その場には、エマヌエル達がこの実験室を辞してから来ていたのか、他に兵士(ライフルを肩に掛けているところを見ると、恐らく普通の人間だろう)が二人と、ハワード=グウィンの姿もあった。

 彼とは、ここで意識を取り戻してから一、二度会った(と言うより、姿を見ただけで話をしたことはないが)だけの男だが、近くで相対すると思わず見上げてしまう程大きい。そして、いつもどこか気怠そうな表情をしているのが印象的な男だった。

 今日も例外なく気怠そうな顔をして立っているその男は、やはり兵士と同じようにライフルを肩に担いでいる。

「任務遂行の為に訊きたいんだけど、質問いいかしら」

 ハワードが、どこか張り詰めたその場に似合わぬ大欠伸をしたのと同時に、ゴーレム達に負けない無表情で、ヴァルカが学校の授業中にそうするように手を挙げた。するとハロンズは、「そういうコトなら何でもどうぞ?」とおどけたように応じる。

「リーフ・アイランドから出る為の所要時間と、彼らが動けるようになるまでに掛かる時間を知りたいの。ここへ来る時は外が見えなかったから」

 表情を変えることなくヴァルカが訊ねると、ハロンズはうっすらと、目だけが笑っていない笑顔で反問した。

「参考までに訊くけど、それ、何の為に知りたいのかな?」

「動けないモノ二体も引き連れて動かなきゃならないって、か弱いレディには結構な重労働なの。あんたには他人事でしょうけどね。どれくらいそうやって移動すればいいのか、知っておきたいのは当たり前でしょ?」

「か弱いレディが聞いて呆れるけど……まあいいや。フツーのヘリコプター一機貸すから、何もわざわざ彼らを引きずって歩くって訳じゃない。リーフ・アイランドは孤島群だから、実際は外海まで陸続きじゃないのは知ってるよね。ヘリの操縦経験は?」

「昔、訓練で何回かやったけど、シュミレーターでだけね。実地経験はなし」

「随分心許ないねぇ」

 フィアスティックの駆除が済んだらその辺は改めなくちゃ、と挟んでハロンズは言葉を継ぐ。

「じゃあ、このハワードも操縦士として貸すよ」

 ハロンズが言った途端、当のハワードは苦虫を噛み潰したような顔をした。口には出さないが、「面倒臭い」と顔にデカデカと書いてある。しかし、彼の前に立って話をしていたハロンズには、それは見えなかったらしく、ハワードのリアクションには綺麗に無視を決め込んだ。

「ヘリ一機って言っても、フィアスティックが暴走してからは貴重品だからね。孤島群全体で、リーフ・アイランドは全体で楕円っぽい形になってるから、長方形で換算すると縦七百六十九キロ、横千百三十五キロってトコかな。具体的には、一番最初にどこへ行くつもり?」

「そこまで言う義理はないわ。とにかく、フィアスティックの侵食具合を調べて報告する。それが、こないだエマの自我を殺さないで置いてくれたコトへの貸しを返すってコトでしょ? 過程にまで干渉しないで」

「干渉されたら痛い腹があるって吐いたようなモンだねぇ。君、脱走してから結構長いんだっけ? 今はCUIOで働いてるそうだけど、外の犯罪者はそんな甘い詰めで捕らえられるくらい緩いってコト?」

「無駄口叩いてないで、質問に答えてくれる? 出発が遅くなるわ」

「はいはい」

 ハロンズは肩を竦めて、先を続けた。

「ま、とにかくこの中央聖堂の中庭から、最短で北に三百八十四キロ飛ぶと外海だよ。時間にすると一時間ちょいくらい。でも、天然のマグネタインの阻害派有効範囲は、それぞれの石によって異なる。だから一概には言えないけど、最大でも半径十キロ圏内は彼らは行動不能と思って貰っていいかな。外海出てからなら、ゴーレムが動けるようになるのに五分前後でしょ」

「了解」

 抑揚のない声で言ったヴァルカに、ハロンズは「あ、そうそう」と付け加えた。

「ゴーレムの不可動区域内で彼らを始末して逃げようなんて思わないコトだね。ゴーレムが破壊されたらこっちにはちゃんと分かるようにしてある。まあ、リーフ・アイランド出ちゃうと内線が使えないから分からないけど、流石に動けるゴーレム二体相手にして無事に済むとか思ってないでしょ? 君が妙な動きしたら大事なAA8164の自我は永久に失われるから」

「しつこいわね。そんなに言われなくても分かってるわよ。お礼に一つ忠告してあげる。くどい男は嫌われるわよ」

 冷ややかに落ちた声音に、ハロンズは堪えた様子もなく、「それはご丁寧にどうも」と言っただけだった。

「質問事項は以上かな? なければ、ヘリポートにそろそろ操縦士呼び出すけど」

「ええ、もういいわ。行きましょう」

 頷いたハロンズは、踵を返して部屋の扉に手を掛けた。

 そんなハロンズに続いて歩き出したエマヌエルは、同じように歩を進めていたヴァルカの肩を引く。

『本当に好きにしていいぜ』

 廊下を歩きながら唇の動きだけで言えば、ヴァルカは『どういうコトか』と訊き返すように首を傾げる。

『ゴーレムの不可動領域に入ったら、遠慮なくヘリジャックしちまえってコト』

『でも、そんなコトしたら』

『ヘーキだよ。ここでは詳しく言えねぇけど、策はちゃんとある』

 尚も泣き出しそうな顔で躊躇う様子を見せるヴァルカに、顔だけ軽く乗り出すようにして唇を掠めると、大丈夫だから、と重ねて言う。

『万一失敗したら、死んでまで張り倒される予定だからな。死なないように気を付ける』

 それを差し引いても、自分はまだ死ねない。残った研究者は、彼らだけではないかも知れないのだ。

 ヴァルカは、エマヌエルの命と天秤に掛けたらエマヌエルの方が大事だと言ってくれたのに、自分は報復の方も諦め切れないのだと思うと、少し申し訳ない気がした。

 だから、それは口に出さずに深紅の瞳を見つめると、ヴァルカはそれをどう取ったのか、仕方ないなとでも言うように肩を竦める。

『……分かった。じゃあ、死なない程度に好きにやって』

 苦笑した彼女は、同じようにエマヌエルの唇を啄む。すると同時に、前方から咳払いが聞こえた。

「……あのさぁ。野暮なコトは出来れば言いたくないんだけど、そういうコトはヒトがいないトコでやってくれる?」

 咳払いの元に視線を向ければ、立ち止まったハロンズが、彼には珍しい渋面を浮かべてこちらを見ている。

「言葉を返すようだけど、俺らにそんな場所あるのか?」

 どこもかしこも見張りだらけじゃん、と言えば、ハロンズは肩を竦めた。

「じゃあ訂正するよ。僕がいないトコでやって」

「へいへい。それで、何か御用だったんスかー、隊長」

「そうそう。君は本当にここまでだよ、AA8164。ヘリポートまで見送りに来る理由がないでしょ」

 立ち止まった場所は、回廊の中間地点で、どこまで行けば地上に出られるのかはよく分からない。

「理由がねぇと見送っちゃダメな訳?」

「そ、ダメな訳。君、一応タダのモルモットなんだよ? 勝手に彷徨(うろつ)かれちゃ困っちゃうし、本来なら改良ICチップのテストもさせて貰いたいんだよね。そこの彼女が煩いから今は比較的自由にさせてるけど、あんまり外に出したくないのは解ってよ」

 ハロンズが、いかにも大事にしている宝物を独占したい子供のような表情で訴えるのへ、エマヌエルは「ケッ」と吐き捨てて返した。

「解って堪るか、マッド・サイエンティストが。本当のところは、俺にここの間取りが知れるのが嫌ってだけだろ」

「解ってるじゃない。とにかくそういうコトだよ」

 ふん、と鼻を鳴らしてエマヌエルは肩を竦める。

「じゃあな。本当に気を付けろよ」

「分かってる。そっちもね」

 つい今し方釘を刺された手前、キスだけは辛うじて思い留まり、エマヌエルはヴァルカと一時の別れの挨拶を交わす。

「じゃあ、ハワード。後宜しく」

「イエッサー」

 力なく言ったハワードは手を挙げると、ヴァルカとゴーレム二体を伴って歩を進め、やがて長い廊下の向こうへ姿を消した。

「じゃ、僕達も戻ろうか」

 彼が言うなり、背後に控えていた兵士が、エマヌエルの両脇へ素早く回り、両腕を取る。

「……戻ろうか、で何でいきなり連行体勢になんだよ」

 胡乱な目を向けて訊ねれば、クスッと楽しげな笑いが漏れた。

「実質彼女の目が離れたからね。手術の時と違って」

 間を置くように言葉を切ると、ハロンズはエマヌエルの方へ目を向けた。その顔には、嬉しくて堪らないと言わんばかりの微笑を浮かべている。

「バカ正直に彼女が戻るまで、君に手出さないでおくと思ったの?」

「……思わねぇな」

 瞬間、エマヌエルは強く床を蹴った。後方宙返りの要領で中空へ飛び上がることで兵士達の手を強引に逃れると、着地寸前に二人の兵士の顔に、同時に蹴りを入れる。

 兵士がそれぞれ床へ崩れるのを見届ける間も惜しく、エマヌエルは着地した反動を利用し、ハロンズの顔を狙って殴り掛かった。

 しかし、読まれている。ハロンズは、エマヌエルの拳を、顔を反らして()なすと、腕に軽く手を触れて膝を蹴り出す。体勢的に避けることが出来なかったエマヌエルは、鳩尾(みぞおち)へまともに膝蹴りを喰らって、咳き込みながら足を折った。

「随分大振りな攻撃だねぇ。これで不意打ちのつもりだった?」

「……る、せぇよ!」

 遠退きそうになる意識をどうにか掴み戻すと、無理矢理身体を動かす。床へ突いた手を軸に、ハロンズの足を払いに掛かるが、これも読まれていた。

 ハロンズは、軽くジャンプすることでエマヌエルの蹴りを逃れると、空中でそのまま足を蹴り出した。けれども、今度はエマヌエルも姿勢を低くすることで(かわ)す。そのまま蹴り出された足を掴んで、ハロンズを思い切り地面へ叩き付けた。

 流石に受け身を取る以外に対処法がなかったらしいハロンズは、背中から床へ叩き付けられ、息を詰める。だが、空かさず自由の残った足がエマヌエルに向かって突き出される。覚えず緩めた拘束から、強引に足が逃れるのが分かった。

 後転の要領で一回転し、立ち上がったハロンズは息も切らしていない。

 エマヌエルも舌打ちを漏らしながら、おもむろに立ち上がる。身動きすると、忘れていた鳩尾の痛みがギクリと身体を強張らせた。

「結構やるね。顔の割には」

 ハロンズの顔には、心底楽しそうな微笑だけが浮かんでいる。

「顔は関係ねぇだろ」

 無意識の内に鳩尾を押さえて、一つ息を吐く。

(そういうコイツも随分出来る)

 エマヌエルの知る科学者と言えば、殆どが頭脳プレイのみに特化し、戦闘においては散々な能力しか持たない者ばかりだった。戦闘どころか、単純に『走る』という行為さえ、碌なモノではない。けれど、このユーリ=ハロンズという男は違う。

 あのウォレス=パターソン博士もそうだったが、改造手術を自ら受け、スィンセティックとなった故だろう。単純な殴り合いだけで言えば、エマヌエルと互角か、下手をするとそれ以上の能力があるのは、認めざるを得ない。

 すると、まるで考えていることを読んだように、ハロンズが口を開いた。

「僕は、この世界に入った時からこうだよ。そもそも、戦闘が日常の世界だからね。普通の格闘だけでも出来なかったら、あっという間にあの世往きさ」

 けど、と言って、ハロンズは右手を斜め三十度程の角度に構えながら続ける。

「ここまでにしておいてよ。君を粉々か、何分割かにするコトだけは、流石に止めておきたいからね」

 乾いた音と共に、青白い閃光がハロンズの腕でうねるように跳ね飛ぶ。

「折角の五体満足な実験体なんだし、君みたいな素材を刻んじゃうのは勿体ないんだよね」

「面白ぇ。やってみろよ」

 ハロンズの降伏勧告を、鼻先で笑って退けると、ハロンズは肩を竦めた。

「呆れた。君、自分の今の状況解ってるの? 君のそのセリフ、はっきり言って、ハッタリにすらなってないんだよ?」

「ハッタリになってないって?」

 クス、と笑いを零したのは、エマヌエルの方だった。

「ハッタリかどうか、見てから言えよ」

 雷鳴の音がその場に響いて、ハロンズの表情が初めて動く。

 能力を封じられている筈のエマヌエルの腕に、青白い小さな龍が弾けて踊った。


***


「しっかし、お前も随分酔狂だな」

「何が」

 ハワードが口を開いたのは、中庭に設えられた臨時のヘリポートから飛び立って数分もした頃だった。

 既にフォトン・エネルギー製造装置内蔵型のスィンセティックであれば、動けなくなる領域に入っており、ゴーレム達はダラリと四肢から力が抜け、(こうべ)を垂れている。

「大事な男置いて、わざわざ敵の言うコト聞いてやってるって当たりが」

「うるさい。今すぐ頭ぶち抜かれたくなきゃ、操縦だけやってて」

 へいへい、とおざなりに返事をするハワードに構わず、ヴァルカは、フロントガラスの向こうと、サイドウィンドウから見える景色を交互に眺めた。

 窓ガラスのすぐ横に座っていれば、もうちょっと正確に外の様子が見えただろう。しかし、ヴァルカは二体のゴーレムに挟まれる形で、後部座席の真ん中に座らされていた。警察に連行される容疑者そのものである。

 だが、その状況にヴァルカは頓着しなかった。

(まだだ)

 騒ぎを起こすには、まだ少し早い。

 後五分。

 そう言い聞かせて、永遠のような五分間が過ぎ去るのを、ジリジリしながら待つ。

 けれども、本当にそうしてしまっていいのだろうか。一抹の不安が胸を過ぎる。何としても、エマヌエルの傍を離れるべきではなかったのかも知れない。

(別に、エマを信用しない訳じゃないけど)

 だが、彼は遂に彼の考えている『策』とやらを、ヴァルカに言うことはなかった。彼の場合、そうやって黙秘する時は、彼自身にもその『策』が自信の持てないものであることがままある。

「それにしても、お前、割とあっさりユーリのコト信用したよな」

 目まぐるしく脳内を回転させている最中、再度ハワードが口を開いた。彼は、ヒトが二人以上いる空間で、沈黙が落ちているのに耐えられない性分らしい。

「バカ言わないで。信用する訳ないじゃない、あんな男」

 ただ今回は、取引材料があるから、それに縋るしかないというだけのことだ。

「そうかぁ? アイツさぁ。割といつでもニコニコ笑ってるし童顔だし、だから皆警戒緩くなるみたいだけどさ。あの顔に騙されて痛い目見た奴、結構知ってるぜ」

 リーフ・アイランドのマグネタイン阻害波有効領域内で、正面から飛んでくるものがない所為か、ハワードは操縦桿を握りながらも、顔だけチラリとこちらを向ける。

 その顔に浮かんだ笑みが、ヴァルカの埋み火のような焦燥を煽った。

「ま、今更どうにもならないけどな」

「どういう、意味よ」

「さあ? そこまではノーコメント」

 相変わらず、口が軽いのか固いのか、よく分からない男だ。

 しかし、最後の一言が、ヴァルカを決断させる起爆剤になったことは確かだった。

 瞬間、ヴァルカは抜く手も見せずに愛銃の引き金を絞っていた。両脇にいたゴーレムは、元々ぐったりとしていたが、次の瞬間には頭に穴を空けて完全に沈黙した。もう、マグネタインの影響外のエリアに抜けたとしても、息を吹き返すことはないだろう。

 ハッとしたハワードが、助手席に置いていたライフルを手にしようとするが、それよりも早くヴァルカの手がライフルを引っ掴み、最初に手にしていた拳銃の銃口をハワードの頭部へ向けた。

「あんた程、『口は災いの元』を地で行ってる人間もいないわよね」

「今この瞬間、肝に銘じた」

「遅いわよ。このまんま頭に風穴空けるか、ナンナ=リーフ島へ引き返すかくらいは選ばせてあげる」

「どっちもお断りだ」

 言うなり、ハワードは躊躇いなくドアを開け放った。背中から落下する彼が、何かのスイッチを押すのを辛うじて目の端に捕らえるや、ヴァルカも彼が開けたドアから素早く身を踊らせる。

 背後で爆音と共に爆風が膨れ上がって、身体が勢いよく煽られた。


***


 ズン、とどこかで空気が揺れた気がして、ファランは顔を上げた。

 ハロンズが部屋を辞して行ってから、ずっとレフィーナを抱いてぼんやりしていたらしい。

 娘はまた泣き疲れてしまったのか、ファランの腕の中でいつしか寝息を立てていた。あれから、どれくらい時間が経ったのか、よく分からない。

 選びようのない二択を迫られて、ファランの思考回路は停止寸前だった。

 けれど、考えなければならないのは解っている。

 ハロンズが提示したどちらの道でもなく、第三の道を。

 娘を手放す道であれ、生体兵器研究に協力する道であれ、どちらを選んでも破滅なら、出口は作るしかない。作る力がなくてもだ。

 最悪、今度は本当にもっとうまくやって、娘と心中するしかないのかも知れないとも思う。

(ウォレス)

 助けて、ウォレス。

 祈るように脳裏で愛しい男性の名を呼んで、娘を抱く手に力を込める。

(私一人じゃ、レフィーナを守れない……悔しいけど、力が足りな過ぎるわ)

 気持ちだけなら、ハロンズに負けない自信がある。

 絶対に嫌だというその気持ちだけで、あの男を退けられるのなら、とっくに願いは叶っているだろう。ファランに今圧倒的に足りないのは、物理的な力だ。

 あの男の狂気に抗する為の、絶対的な『力』。

(……いっそ、私自身もその『スィンセティック』になってしまえれば)

 一瞬、良からぬ考えが頭を()ぎる。だが、その考えを振り払うように、ファランは懸命に首を振った。

(ダメよ。それだけは、絶対にダメ)

 理由はどうあれ、その研究に手を染めたが為に、ウォレスはあんな最期を迎える羽目になったのだ。

 彼を失った直後は、その悲しみが大き過ぎて、とてもその事実を直視することは出来なかった。他の誰かを、何かを恨むことで、辛うじて自分を保っていたのだ。けれども、あれから既に一年近くが経とうとしている。娘が生まれ、否応なく生体兵器研究を間近で見る内に、ファランも少しずつ彼のしたことを認める余裕も出てきた。

 そして、我が子を実験動物扱いする研究者達に対して、憎しみとも怒りとも付かない不快な感情を(いだ)くにつれ、あの二人の少年・少女の憎しみも理解とまでは行かないが、思いを致せるようにはなったような気がする。

 今なら、彼らにウォレスのしたことを、心から謝罪できる。そうする為にも、彼らに早く再会したい。

(……そうだ)

 ふと見えた『光』に、ファランは、そのアメジストの瞳を瞬かせた。

 そうだ。彼らに、協力を求められないだろうか。彼らは、研究所の全てを相当に憎んでいるらしいから、話の持って行き方によっては、力を貸してくれるかも知れない。

 問題は、最後に別れた時、彼らとはほぼ喧嘩別れに近い状態だったことだ。勿論、頭を下げて彼らの協力を得られるのなら、いくらでも下げる。レフィーナが――娘が幸せに、普通の人間としての人生を歩めるのなら、彼女の普通の人生を守る為なら、今の自分は何だってする。

 しかし、その前にもう一つ大きな問題があった。それは、ファランが彼らの居場所を知らないことだ。

 あの時は、セカンド・ラボの入院施設にいた筈だが、いつまでも同じ場所に留まっているとは考え辛い。

 ハロンズの、断片的な話を総括し、推測すると、今このリーフ・アイランドの外は動物ベースのスィンセティック――フィアスティックが人間に反旗を翻し、大変な混乱に陥っているらしい。そんな状況下で、あの少年達がどうしているのか、想像も出来ない。

(振り出しに戻る、かぁ)

 はあ、とファランは、今日何度目になるか分からない溜息を吐いて、再びがっくりと肩を落とした。

 その時、再度、何か爆音のような音がしたような気がして、顔を上げる。次の瞬間、背後で何とも形容し難い轟音がして、ファランは思わず身を縮めて悲鳴を上げた。


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