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CODE;15 Sweet strategy meeting

 地下階の別室にある実験室らしきで見せられたのは、『面白いモノ』などではなく、おぞましい光景だった。

 強化ガラス張りに改装された壁の向こう側にあるのは、即席で作られた実験室らしい。室内には家具の類は何もない。殺風景なそこに徘徊しているのは、複数のフィアスティック達。種類としては、巨大鳥とライオン、虎、狼、そしてネズミだ。

 その実験室を監視する為の部屋は、机と椅子、そして、ノート型パソコンと簡単な周辺機器があるだけの、素っ気ないものだった。

 ガラス越しに実験室を眺めて、ハロンズは、うっすらと笑みを浮かべた。その笑みは、まるで悪戯で落とし穴を完成させた子供のように無邪気なだけに、見る者を(かえ)って震撼させる。

「じゃあ、始めてくれる?」

「はい」

 赤い縁取りの付いた楕円の眼鏡を掛けた女性が、短く答えてノート型パソコンのエンターキーを押す。タン、という軽い音と共に、ガラスの向こうにいたフィアスティックが一斉に痙攣するようにビクリと仰け反った。やがて、彼らは一様に空気を求めるように口をパク付かせると、一瞬で床に倒れ伏し、動かなくなった。

「良かった。これで一応完成と思っていいね」

「はい。ですが、第一段階をクリアしただけです」

 フィアスティック達の見開かれた目には、最早生気が感じられない。息絶えているのは一目瞭然だ。

 たったついさっきまで生きていたものを前に交わされる会話は、余りにも事務的で恐ろしかった。

「北西半島<アルスイーデ>にある第二倉庫へ保管してあったものを、ナンナ=リーフ島へ避難して来る時に、フィアスティック対策用として何体か持って来たんだ。巨大鳥は君達が来た時にここへ持ち込んだものだけどね」

 ハロンズが、エマヌエルとヴァルカを振り向いてにっこりと笑った。

 何を、考えてるんだ。

 思ったが、それを口には出せない。意識して出せないのではなく、唖然とする余り声が出ないのだ。恐らく、ヴァルカも同様だっただろう。

 しかし、顔色からこちらの言いたいことを読んだかのように、ハロンズは言葉を継ぐ。

「世界を救う気なんて更々ないけど、今の状況を打破しないと、僕だって何も出来ないからね。取り敢えず、フィアスティックを駆除するコトから始めようかと思ってさ。こっちに来てから、ずっとこのプログラムの開発に勤しんでたんだ」

「……あんた、どこまで狂ってるんだよ」

 吐息と共に、やっと出た声はいつもの倍以上トーンが低い。

「どういう意味?」

「だってそうだろ? 自分で作り出しておいて、制御出来なくなったら殺すなんて、腐った思考以外の何だって言うんだ」

 吐き捨てるように言うと、ハロンズはクスリと笑った。

「人聞き悪いな。自分の責任を果たしてるって言ってくれよ。制御し切れないモノを放置しておく方が、よっぽどタチ悪いだろ?」

「モノは言い様ってヤツだな」

「見解の相違だね。それとも、もしかして、自分達がその内、同じテで葬られるんじゃないかってトコが気になってるの?」

「うるせぇよ。そうなる前に、必ずてめぇを先に始末してやる」

 刺し殺せそうな視線で見据えれば、ハロンズはやはり幼子を宥めるような口調で言う。

「まあ、そう(とんが)らないで。大丈夫。当分その予定はないよ。それに、今回フィアスティック制圧の為に作ったプログラムだけど、これはフィアスティックのICチップにだけ作用するんだ。言語理解プログラムに遠隔操作で働き掛けるように仕組んだウィルスみたいなモノだからね」

 それにスィンセティック全部駆逐するようなコトしたら、僕まで死ぬ羽目になっちゃうし? と言いながら、ハロンズは肩を竦めた。

「だけど、このプログラムも完璧じゃない。有効範囲がそもそも不明なんだ。希望的観測として、半径十キロって言いたいトコだけど、多分あんまり広範には作用しないと思う。実験が出来る状況でもないし、今フィアスティックの勢力がどの辺りまで及んでるのかも判らないんでね。どうしても協力者が要るんだ」

 エマヌエルは、無言でブリリアント・グリーンの視線を跳ね返すように睨み返す。この話の行く先が、何となく見えた気がした。

「って訳だから、まずはその辺をちゃっちゃと探って来てくれるかな、(エス)9910」

「……あたし?」

 しかし、意外にもハロンズはヴァルカに話を振った。

 記号の羅列で呼ばれたヴァルカは、返事をするのも不本意だという意思を、眉根を思い切り寄せることで示しながら、ハロンズに視線を向ける。だが、ハロンズはヴァルカのそんな視線にはまるで無頓着に首肯した。

「そう、君。君は確か、フォトン・エネルギー製造装置非内蔵型だったよね。面倒な準備なくここを出入り出来て、しかもフィアスティックにある程度対抗出来るのは君だけだ。ちょこっと外まで様子見に行ってくれないかな」

「拒否権はあるのかしら」

「あるよ。但し、その場合、大~事な彼氏が自我を失くすコトになるけど?」

「ヴァルカ。嫌なら断れよ。後で責任持ってあんたが殺してくれりゃ、俺はそれでいい。あんたの枷になるくらいならな」

 『彼氏』という単語が若干引っかかったが、エマヌエルは敢えてスルーしてヴァルカに言う。けれども、ヴァルカは「いいえ、行くわ」と短く答えた。

「ヴァルカ!」

 反射で叫ぶ。ハロンズの言うなりになろうとするヴァルカを止めようとするエマヌエルを、しかしヴァルカは無視した。

「とにかく、フィアスティックの侵食具合を調べて報告すれば良いんでしょ?」

「そう。やけに素直だね。却って気味悪いなぁ」

「白々しいわね。でも、これで借りは返したわ。この後はあんたの命令通りに動く義理はない」

「はいはい。でも、とにかくそれは帰って来てから改めて言いなね。それと、念の為に言っとくケド、AA(ダブル・エー)8164はこっちで預かっとくよ」

「何勝手に話進めてやがんだよ、俺は」

「解ってるわ。その代わり、あたしが帰って来た時にエマの自我が失くなってた時には……そっちこそ解ってるんでしょうね」

「解ってるよ」

 ハロンズが肩を竦めると、それで話は本当に纏まってしまったらしい。

「あ、ついでだから、これ」

 そう言ったハロンズは、USBメモリをヴァルカに差し出した。

「駆除プログラムのコピー。もし可能なら、どっかでテストして来て貰える? 有効範囲を知りたいんだ」

「これで貸し一つね」

「それは、彼氏の自我を保つコトでチャラだよ」

 ヴァルカは、フン、と鼻を鳴らして、ハロンズからUSBメモリを奪うように受け取る。

「おい、ヴァルカ!」

「出発前にエマと二人きりで話したいの。それくらい、いいわよね?」

「いいよ。いつもの部屋へ戻る?」

「そうね」

「じゃあ、出発は一時間半後で。出入り口まで案内するから、話が済んだらもう一度ここへ来て。それと、島から出る時は、見張りのゴーレムを二体、付けさせて貰うよ」

「あら。フォトン・エネルギー製造装置内蔵型だと、準備が面倒なんじゃなかったの?」

「ご心配なく。ゴーレムならちょこっと我慢して貰うさ。リーフ・アイランドの外へ出さえすれば、動けるようになる筈だから」

「あっそ」

 仕方ないわね、と付け加えると、ヴァルカはエマヌエルに有無を言わせる間を与えず、手を引いて実験室を辞した。


***


「おい、ヴァルカっ! ちょっ……待てって!」

 少女らしからぬ力で、ついて歩くというより引きずられる勢いで引っ張られながら、元いた部屋へ着くまでにエマヌエルは何度か話し掛けた。が、ヴァルカはいっかな立ち止まるどころか振り返る気配すら見せなかった。

 約二十分掛かって元の部屋まで辿り着いた時、エマヌエルは強引に足を踏ん張って彼女の手をようやく振り払う。

「あんた、一体どういうつもりだよ!」

 手を振り払われたヴァルカは、気分を害する様子もなくエマヌエルの方を向くと首を傾げるようにして無表情に問い返した。

「どういうって?」

「さっきのアイツの話だよ! 本気で協力するつもりか!?」

「本気よ」

 静かに返されて、唖然とした。次の瞬間には、もう考えることもなく、切り裂くような言葉が口を突いて出る。

「何でだよ! 嫌なら断れって言ったよな。あんたに守って貰わなくても、今は意識があるんだ。一人でだってどうにでもなる」

「だから?」

 ひたすら静かな湖面のような瞳をして見返す彼女に、何故か無性に苛立つ。

「あんた、ディルクの最期を話してくれたよな。アイツだってフィアスティックだ。アイツが生きてればアイツも巻き込むような計画に加担するなんて、何考えてんだよ。それに、折角向こうがわざわざ外へ出してくれるって言ってんのに、逃げないなんてどうかしてるぞ! 絶好の機会だろ!? 俺のコトなんて捨てとけよ!!」

 彼女の枷になりたくなかった。

 彼女とは、初めて会った時に同盟を持ち掛けられて、その時からの付き合いだが、同盟とは、そもそも対等の立場で、利害の一致を見た上で結ばれるものだ。どちらかが相手の足を引っ張るようになったら、もうそれは同盟ではない。足を引っ張っている側が寄り掛かる形になった、ただの依存だ。寄り掛かられている側が同盟破棄を宣言するには、充分過ぎる理由になる。

 いざとなれば、本当に自分でどうにかする為の策は考えてあるが、今のエマヌエルのこの状況は、公平に見れば立派に彼女の足手纏いだ。それは、彼女にもよく解っている筈だった。

 しかし、それでもヴァルカは黙ってエマヌエルを見据え――やがて音もなく歩を進めた。伸びた白く細い指がエマヌエルの胸倉を掴む。一瞬、殴られるかと半分目を瞑って首を竦めた瞬間、柔らかなものが唇に触れた。

「!?」

 何が起きたのか、瞬時に判断するのは難しかった。ただ、瞠目した視界一杯に、ヴァルカの顔があるのは分かる。――いや、彼女の顔しか見えない。

「ッ、――……!」

 息が詰まる。刹那とも永遠とも付かないほんの数秒の後、ヴァルカの顔がようやく少し離れた。唇に触れていた温もりが共に離れて、やっとその正体が彼女の唇だったと理解する。

 至近距離でその紅の瞳と視線が絡み合った途端、じわじわと頬に熱が上った。

「あっ、……んた、何」

「捨てられないわよ」

「は?」

「何があったって、もうあんたを捨てられないって言ったの。あたし一人で逃げる? 冗談じゃないわ。死んでもお断りよ」

「ヴァル、」

「第一、あたしがその気なら、前にも機会はあった。ハワードって男にあんたが撃たれた後よ。あんたを差し出せば、あの男はあの場ではあたしを追わないって言ったわ。いずれ追われただろうけど、その間に行方を眩ますくらいは出来たわよ」

 エマヌエルは、声も出せずにただ唖然とヴァルカの顔を見つめる。頭が真っ白になるとは、正しくこの状況のことだ。

 しかし、ヴァルカは構わず、縋るようにエマヌエルの胸元を掴んで捲し立てた。

「フィアスティックを殺す計画に加担する羽目になるコトだって、ちゃんと解ってるわよ! それでもあんたを失うくらいなら知ったこっちゃないわ! あんたを失うコトに比べたら他はどうだっていい、アイツらへの復讐を諦めても構わない!!」

 普段の物静かな彼女からは想像も出来ない程の剣幕で、激情をぶち撒けるように叫ぶ。それは、悲鳴か慟哭に近かった。

 過去に、恋い慕った男性を、研究者達の都合で一度失っているが故に、彼女はそういったことにはエマヌエルよりも敏感なのかも知れない。

「……じゃあ、あんたは何? 逆の立場だったらあたしを捨てて逃げるって言うの?」

 感情のままに捲し立てていた口調は、一転静かになる。だが、その声は、今にも泣き出しそうに聞こえた。

(……コイツを見捨てて、俺だけ逃げる?)

 多分無理だろう。

 順序立てて理屈を思考することなく、反射でそう思うが、それは音にならない。

「そうだって言うなら最低だけど」

 その沈黙をどう取ったのか、ヴァルカは自嘲的な微笑を浮かべて、俯いた。

「そんな男に惚れたあたしは、更に最低ね」

 その場に完全な沈黙が落ちたのは、数瞬のことだった。

「そろそろ行くわ」

 力なく肩を竦めたヴァルカが、エマヌエルの胸元から手を放し、その横をすり抜けて、出口へ向かう。

「あたしはあたしのやるべきコトをやって、必ずここへ戻る。でも、それはあんたの為じゃない」

 ノロノロと振り返ると、顔だけこちらに向けた彼女と視線が合った。

「あたし自身が、惚れた男をこんなトコに置いていく最低な女にならない為よ」

 冷ややかにこちらを一瞥して踵を返す彼女を、エマヌエルは呼び止められなかった。相変わらず、舌が咥内に張り付いたようになってしまって、上手く声が出ない。代わりに身体が勝手に動いた。

 彼女の手首を掴んで強引に振り向かせる。目を見開いた彼女の唇に自らのそれを荒々しく重ねて、彼女の後頭部に空いた手を回して引き寄せた。

「ッ、ンッ……!」

 苦しげに呻く彼女に構わずそのまま抱き竦めて、彼女がエマヌエルにしたよりも深く口吻ける。殆ど無意識だった。

 それまで彼女をどう思っていたのか――女として見ているのかさえ意識したこともなかったというのに、口吻けてみれば、こうするのがまるで長い間の望みだったような気がする。

 重ねた唇は途方もなく甘くて、思わず夢中になった。何度も角度を変えて、啄んで深く口吻けることを繰り返し、ようやく一度唇を離す頃にはお互いに息が上がっていた。

「……ッ、何、すんのよ」

「何、って……先に仕掛けたのはあんただろ」

「だからって、こんな……」

 唇溶けちゃうわよ、と言ってふてくされるように伏せられた紅の瞳は、キスの所為かどこか潤んでいる。それが、今まで感じたことがないくらい可愛く思えて、エマヌエルはまたその唇に噛みつきたくなる衝動を、理性を総動員して堪える羽目になった。

「もう、いいでしょ。離してよ」

「やだね」

「エマ!」

「言われっ放し、ヤられっ放しで俺が納得すると思ったら大間違いだぜ」

「何言って、」

「惚れてんのが自分だけみたいに言うなよ。言い逃げする気か?」

 瞠目した紅と視線が噛み合う。

 その視線をしっかりと捉えて、エマヌエルは低く言った。

「少なくとも俺なら、惚れた女も仲間も両方助ける方法を考えるけど」

「な、何の話よ」

「何って、俺とあんたの立場が逆ならって話」

 彼女の後頭部に押さえ付けるように添えていた手を、そのまま撫でるようにヴァルカの側頭部に回して、瞳と同じ色の髪の毛をサラリと梳く。

「俺が惚れた女は、最低じゃねぇんだろ?」

 ――惚れてる。

 言葉にすればたった一言で、下手をすると陳腐に響く。けれども、それは奇妙に腑に落ちる答えだった。――彼女と離れたくないと思ったのは何故かという自問に対する、胸奥深い場所に埋もれていた、しかし、素直に直視するのは憚られる、答え。

 でも、気付いてしまえばもう、誤魔化すことは出来そうにない。

 真摯にその深紅の瞳を見据えると、見る見る内に真っ赤になったヴァルカは、どこか悔しげな顔をして唇の両端を思い切り下げた。

 けれど、考えるよりも早く口吻けることで思いを自覚してしまえば、もうどんな顔で睨まれても可愛いとしか思えない。

 そして、彼女はともかく、自分はやっぱり最低なのかも知れない、と頭の隅の冷静な部分が呟く。時と場所を考えろ、という理性の叫びは綺麗に脳裏を素通りし、エマヌエルは腕に抱いたままだった彼女の唇に再度蓋をした。


***


「策が……何かあるって言うの」

 一頻り口吻けた後、ヴァルカはまだ潤んだ瞳で、どこか悔しげに口を切った。

 エマヌエルは、チラリと出入り口に目を向ける。

 ハロンズに(いざな)われてここを出る前からそこに立っている見張りは、向こう側を向いてはいたが、自分達の会話には聞き耳を立てている筈だ。

 そのことに、ヴァルカも思い至ったのだろう。口を噤むと、彼女はエマヌエルの唇を注視した。

『策があるのは、あんただろ』

 出入り口から見て自分の顔がヴァルカの陰に隠れるように、少し背を屈めて、唇だけを動かす。見張りからすれば、自分達は未だにイチャ付いているようにしか見えないだろう。

 一瞬目を瞠ったヴァルカも、『……一応ね』と唇だけで言った。

『だけど、上手くいくとは限らないわ。見張りも付くしね』

『それでも、拘束されてる俺よりは自由が利くだろ』

 一応でも何でも策があるなら話せ、と目で促すと、ヴァルカは肩を竦めた。

『ベン達に連絡を取る方法を探してみようと思ってるの』

『あのおっさんにか?』

『そう。あたしが一人で探るよりも、CUIOの方が状況を把握出来てると思う。フィアスティックの侵食具合もね』

 こんな時に職権乱用しないでいつするのか、とでも言いたげに、ヴァルカは唇の端を吊り上げる。しかし、その表情はすぐに曇った。

『ただ、ベンに言えば、フィアスティックを殲滅するのは、寧ろ諸手を挙げてハロンズと手を組んじゃいそうなところが心配なんだけど……』

『分かった。じゃあ、ソイツは俺の役目だな』

 言えば、ヴァルカは案の定、意味を掴み兼ねると言うように眉根を寄せた。

『どういうコト?』

『言ったろ? 仲間も助ける方法を考えるって。どうにかあのプログラムを一つだけ残して、後は始末してみる。ここの研究者達諸共な』

『でも、そんなコトしたら、根本の問題は解決しないんじゃない? フィアスティック達の望みは人間の服従か死なんだから』

『ディルクに通じた言葉が、他のフィアスティックに通じないとは思えないね。ちゃんと話せばどうにかなるかも知れない。あのプログラムは、話し合いがどうしても決裂した時の、最後の切り札に残しておくだけだ。あんまりやりたくねぇけどな。それか――』

 そこまで言って、エマヌエルはふと口を噤んだ。

『それか――何?』

『ああ、いや……ちょっとな』

 思い付いたそれを、彼女に伝えるべきか否か、エマヌエルは迷った。しかし、逡巡する間もなく、内線電話が着信を告げる。

 扉を開いた見張りのヒューマノティックが室内に入って来て、受話器を取った。短いやり取りの後、見張りはヴァルカに向かってハロンズの所へ行くようにと告げると、退出して行く。

「……そろそろ、本当に行かなきゃ」

「戻って来た時、連中が片付いてても文句言うなよ」

「まあ、仕方ないわね」

 非常時だから、と付け加えて、ヴァルカは踵を返した。

「あ、ヴァルカ」

「何?」

 振り向いた彼女に、顔を近付けて、再度見張りから見えないようにすると、唇だけで口早に言う。

『ウィルに会えたら、プログラムの上書きして貰えるように頼んでみろ』

『どんな風に?』

『反乱勢力の上書きプログラムを破壊するような内容で』

 そうすれば、本当に彼らは彼ら自身の意思で生きることが可能になるだろう。彼らが彼らの自我を取り戻せば、話し合いも通じるかも知れない。

 分かった、と頷いて、今度こそ背を向ける寸前のヴァルカの唇を軽く啄む。

「……生きて戻って来いよ」

 いきなり唇を奪われて一瞬キョトンとしたように目を丸くしたヴァルカは、すぐに小さく笑ってエマヌエルの唇を啄み返した。

「そっちこそね。あたしが戻った時、死んでたらただじゃおかないから」

「死んだら文句言われても分かんねぇけど?」

「何言ってんのよ」

 ヴァルカは獰猛に微笑すると、冗談とも思えない恐ろしい一言を残して、部屋の扉に手を掛けた。

「あの世まで追っ掛けてって、張り倒すに決まってるでしょ」


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