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CODE;12 A reckless run,again

(遠いよなぁ……)

 そう脳裏で一人ごちた男は、大型バイクを超鈍足で走らせていた。ヘルメットも被らず、そのバイクのスペックには似合わない速度で進みながら、煙草をくわえている男の肩には、ライフルが担がれている。

 申し訳程度になびくダーク・グレイの髪の毛は、うなじよりやや長く、毛先が好き勝手な方を向いているタイプのくせっ毛だ。サイドだけを結い上げ、後頭部で纏めてある為に覗いている両耳には、ピアスがゴテゴテと踊っている。内訳としては、左耳にボタン型のピアスが三つに、リング型ピアスが二つ。右耳にはボタン型のピアスが二つ、唇にもリング型のピアスが付いていた。

 男が見上げた空には、二・五メートルはあろうかという鳥が、滑るように羽ばたいている筈だ。しかし、距離的な問題から、男に見えるその姿は、芥子粒にも等しい。

 男が追跡しているのは、とあるスィンセティックだった。

 人間の感覚と彼らの感覚は違う。こちらもスィンセティックでない限り、いくら気配を殺しても、読まれているのだと、友人は言っていた。

『但し、その射程は一キロ前後かな。それより外れると、ちょっと厳しいけどね』

 友人はそう言って微笑していた。

 その忠告通り、一キロのギリギリ外という距離を保ちながら追跡するのは、はっきり言って骨が折れた。フィアスティックの反乱が始まって間もなく、その混乱に乗じて捕らえ、味方に付ける為に洗脳薬を投与したフィアスティックとゴーレム達が協力者でなければ、とても友人から託された任務を遂行することはできなかっただろう。

 男にとっての『標的』は、アズナヴール半島とレムエ州をあちこち移動した末、今朝になってフロリアンを発った。報告して来たのは、配下であるカラス型フィアスティックだ。

 男は、崩れ落ちたファースト・ラボの前から『標的』が飛び立ったのを確認した後、きっかり一キロと数メートル後ろを尾行している。『標的』の方がほぼアズナヴールを横断してしばらく経った頃、通常の大きさのカラス型フィアスティックである、FB(フィアスティック・ビー)2561が飛んで来るのが見えた。通信機能がまともに働かない今は、彼が連絡係だ。

 走っているのか止まっているのか、分からないくらいの速度で走らせていたバイクを完全に停止させ、相手が自分の元まで来るのを待つ。

「何だ、どうした?」

「『暴走』が始まりそうだったので、避難して来ました。直にFB5571とFB1443も戻るでしょう」

 差し出した手に止まって報告するFB2561に、男は「ふぅん……」と気のないような返事をした。くわえていた煙草を空いた指先に挟み、溜息を吐くような所作で、煙を吐き出す。

 ちなみに、FB5571はライオン型フィアスティック、FB1443はねずみ型のフィアスティックだ。

 マグネタイン抽出液による洗脳薬の開発が始まったのは、実は今から二年も遡る。

 ICチップの洗脳プログラム異常の発生が、五百分の一の確率でとは言え発生している状態を見兼ねた、ゴンサレス研究所の長であるアドルフ=ゴンサレスの提唱で研究がスタートした。が、マグネタインを液体として安定して抽出できるようになるのに、丸一年半費やしたと聞いている。その時点で、その抽出液は、ノワールの方へも提供された。

 その後の開発に関しては、ノワールの方が早かった。

 ゴンサレス研究所は、そもそも研究が本業だったので、慎重に慎重を期している間に、最初の爆発事故が起きたらしい。

 だが、ノワールの方では、ゴーレムでの実験に着手したのは、抽出液を提供されて一ヶ月後だった。そこから、生体のスィンセティック――つまり、フィアスティックやヒューマノティックに実験の対象を移行するのに一ヶ月掛けた。

 しかし、そこでノワール側の研究も足踏みしてしまった。ゴーレムが実験対象段階の内は何の問題もなかった筈の抽出液は、生体に投与すると多大な問題が起きたのだ。その一つが、拒絶反応だった。

 拒絶反応を抑える方法を見つけ、確立した丁度その頃、リッケンバッカーも崩壊の憂き目を見たのである。

 男は暫しの回想に浸りながら、ニコチンを肺へ送り込んで吐き出すことを繰り返すと、やがて短くなった煙草を地面へ落として、足で火種を踏み潰した。

「んじゃー、行きますか」

 誰にともなく言うと、アクセルを吹かせる。FB2561は無言で男の手を離れると、バイクの後ろの空いたスペースにちょこんと止まった。

 相変わらずヘルメットを被らないままのくせっ毛をなびかせながら、男は先刻のノロノロ運転とは打って変わったフルスピードでバイクを発進させた。


***


(何が、起きてるの……!?)

 眼下で(うずくま)るエマヌエルの身体から、青白いスパークが放たれ、彼の身体に纏い付くように踊り飛び跳ねている。

 それを遠巻きにするように、地上でうろついていたフィアスティック達が集まって来ていた。撒こうとした鷲型フィアスティック二羽も、いつの間にか舞い降りてきて、威嚇するようにヴァルカ達を挟んでホバリングしている。

 しかし、ヴァルカは気にならなかった。

 周囲のことは視界に入ってはいるが、彼女が注視しているのは、地上に伏している少年だけだ。

「エマ!!」

 呼び掛けても、彼は最早反応しなかった。

 ゾワリ、と何かが背筋を伝う。

 ココニ、イテハ、ダメダ。

 そんな本能の警告に、ヴァルカは懸命に抗う。エマヌエルを、このまま放ってはいけない。

 しかし、身体のすぐ下にいたディルクは違った。元々が獣なだけに、危険予知に関しては人間よりも脊髄反射的なものがあるのだろう。それは、周囲にいたフィアスティック達も同じだった。

 地上に集まっていた四つ足のフィアスティック達――殆どは、狼、ライオン、虎といった肉食獣だ――は、我先にと回れ右して一目散に駆け出した。

 鷲型フィアスティック二羽と、ディルクがほぼ同じタイミングで大きな翼を羽ばたかせ、垂直に近い形で今度は頭を上へ持ち上げ、上空を目指す。エマヌエルを中心に爆発が起きたのは、その直後だった。

 爆風が吹き荒れ、視界がホワイトアウトする。

 ヴァルカは反射的に目を瞑り、上昇するディルクにしがみついた。

 上昇が止まったのが、いつだか定かではない。ただ、爆風がやや収まったのを感じて、眇めるようにして目を開ける。

 地上は、遙か下に遠ざかっていた。今いる場所から、百メートルはあるだろうか。それでも、エマヌエルから放出されるエネルギーの余波が、やや強めの風となって吹き付けてくる。

 超視覚能力によって、その姿は、ヴァルカの目にもはっきりと捉えられた。

 解けて揺らめく、長い黒髪。体中から放たれるエネルギー波。それによって、ズタズタに裂けた衣服に、傷ついた身体――まるで、あの日の再現だ。

「――そんな……」

 呆然とした呟きが、無意識に口から漏れる。

 まさか――まさか、あんなことがもう一度起きようとは。

「ヴァルカといったな」

 その時、自分の下にいたディルクに声を掛けられ、ヴァルカは我に返る。

「あれは、どういうコトだ? 一体、彼に何が起きている」

「……分からない。ただ、二週間前にも彼は暴走したのよ」

「暴走だと?」

「うん。マグネタインから抽出した液体を投与されたらしくて……」

 あの時、彼は一旦正気を取り戻した。正気にさえ戻れば、あの嵐のようなエネルギーも程なく収まった。そして、その後、何か問題があったようには思えなかったが――

(……そう言えば)

 考え込んでいたヴァルカは、ふと昨夜のエマヌエルを思い出した。

 ヴァルカが、地下の研究室から持ち出したマグネタイン抽出液を眺めながら、彼はどこか深刻な表情をしていた。けれど、その夜彼と話したことと言ったら、お互いの視察状況の報告だけだから、その日、他に何かあったかどうかを、ヴァルカは知らない。

 もう少し突っ込んで聞いておけば、と思ったが、今更言っても始まらない。

「……ディルク。あたしを降ろして」

「何をするつもりだ」

「彼を止めるのよ。いいから降ろして」

「どうやってだ」

「どうにかしてよ、早く!」

 ヴァルカは苛立った。何故、ディルクはこんなにも自分を止めようと――自分の邪魔をしようとするのだろうか。

 しかし、ディルクはヴァルカが思っているのとは全く違うことを言った。

「落ち着け。今、特攻掛けても玉砕がオチだ。いくら何でも、心中まで望んでいる訳ではないんだろう?」

「そりゃ、そうよ。でも、あんた……」

「誰が協力しないなどと言った?」

 ヴァルカは、瞬時口を噤んだ。まるで、自分だけがエマヌエルを心配していると思い込んでいた気がして、ばつが悪くなる。

「私は、貴殿達に同行すると決めた。それは、どういう不測の事態にも貴殿達を見捨てて逃げるコトはしないというコトだ」

 畳み掛ける口調は淡々としているものの、その口調がヴァルカにはやはりきつい皮肉にしか聞こえない。

「悪かったわよっ! じゃあ、お言葉に甘えるから、援護してよね」

 捨て鉢のように謝罪すると、ディルクはそれ以上前の話題を引きずらずに、目の前の事態に集中したようだった。

「しかし、具体的には彼に何が起きてるんだ?」

「分からない。ただ、今のエマには、彼自身の意識がないの。それに、多分痛みも感じてない」

 だから、いくら急所に攻撃を加えても無駄かも知れない。

 以前に、あの状態のエマヌエルと対峙した際、試さなかったので、そこは何とも言えないが。

「ならば、どうやって止める?」

「とにかく、彼を正気に戻す。そうすれば、どうにか……」

「おい、あれは何だ?」

 その時、不意に頭上から声が掛かった。

 見上げると、ここで州境の警備に当たっていた鷲型フィアスティックが二羽、こちらに厳しい視線を注いでいる。

「ヒューマノティックではないのか」

「何だっていいでしょう。あんた達には関係ないわ」

 言いながら、ヴァルカは脇下のホルスターから拳銃を抜いた。

 最初から臨戦態勢でいないと、今のエマヌエルには通用しない。それは、以前対戦した時に、イヤという程理解していた。

「口答えするな! あれは一体――」

 何なんだ、と鷲が言うより、エマヌエルが緩慢な動きで身体を起こす方が早かった。そのまま背筋を反らせた彼の視線が、自然上を向き、上空にホバリングする三羽の巨大鳥の姿を認める。

 途端、すぐ傍で雷が弾けるような音が空気を震わせた。同時に、百メートル下にいた筈の彼が、気付いた時には目の前にいる。

「な、」

 とんでもない跳躍力だ。

 フォトン・エネルギーで脚力が増幅するのは知っていたが、普段ならここまで飛ぶことは出来ないだろう。完全に、力のセーブが外れているとしか思えない。

 唖然とする間に、空中に浮遊したエマヌエルが、やはり青白い閃光を纏った右腕を、遠慮なく振りかぶった。

 考えるより先に、ディルクの背に伏せる。ディルクも同時に再度急降下していた。ディルクの首にしがみついたまま、チラリと背後に視線を向けると、空振りしたエマヌエルの拳が、その軌道上にあった鷲型フィアスティックの頭部にヒットした。

 頭部を失った鷲は、首から噴き出た血で、空中に赤黒い帯を描きながら、どこかゆっくりと身体を傾がせて落下を始める。 

「貴様!」

 残った鷲型フィアスティックが吠え、遠慮なくエマヌエルにフォトン・シェルを浴びせようと嘴を開く。

 しかし、やはりエマヌエルの方が早い。今し方片付けた鷲にはもう目もくれず、身体を強引に半回転させ、残った鷲の首筋へ蹴りを叩き込んだ。

 敢えなく、仲間同様首をもがれたその鷲の身体も地面へ吸い込まれるように落ちていく。

 瞬く間に二羽の鷲を片付けたエマヌエルは、急降下するディルクとヴァルカに当然のように視線を向けた。今の彼には、目に映る動くもの全てが敵なのだ。見慣れた深い青色の瞳には、あの日と同じように表情がない。

 既に引力に従って落下を始めていたエマヌエルは、自分の意思で頭を下に向け、ディルクに向かって降下を始めた。

 降下速度を上げる為か、エマヌエルは真っ直ぐに姿勢を正して落ちてくるが、いくらフォトン・エネルギーを纏っていると言っても、推進する為のジェット機能はない。先に地面スレスレまで降下したディルクは、バサリと一つ翼を羽ばたかせ、急停止し上を見た。

 待ち受け、彼が到達するギリギリを見極めて避けるつもりだったのだろう。しかし、頭上三メートル程の位置に迫ったエマヌエルは、何の準備動作もなく、雷鳴の音と共に、水平に構えた右手に巨大フォトン・シェルを出現させた。

 それを確認するなり、ディルクは慌てて翼を羽ばたかせ、低空飛行で横這いにエマヌエルの落下軌道上から身体を外した。同時に、ヴァルカはディルクの背からバック・ステップで地面へ飛び降り、ディルクとは逆方向へ駆け出す。

 途端、エマヌエルはどちらに攻撃を仕掛けるべきか迷ったようだった。その所為で、彼の動きにほんの一瞬隙が出来る。その一瞬を逃さず、彼の右側へ避けていたヴァルカは、エマヌエルの足を狙って引き金を絞った。

 彼との距離は、約三十メートル。充分に拳銃の有効射程範囲内だ。しかし、彼が身体に纏うように放出しているフォトン・エネルギーにどう防御されるかは未知数だった。

 これで勝負を決められるという甘い期待はしなかったが、予想通り、ヴァルカの拳銃から放たれた弾丸は、エマヌエルの足に着弾することなく、その寸前で破裂する。

 舌打ちすると同時に、エマヌエルの視線がヴァルカの方に向いた。青いガラス玉の瞳に、未だ癒え切らない過去の傷を抉られるような錯覚を覚えるけれど、今は感傷に浸るべき時ではない、とヴァルカは思考に蓋をする。

 フォトン・エネルギー波で着地の衝撃を吸収し、地面へ降り立ったエマヌエルは、まるでその場でバウンドするようにヴァルカに向かって突進した。

 急所は外して連続で引き金を絞るが、やはりエマヌエルの身体には届かない。相討ち覚悟で、あの時のように直接組み合うしかないのか――唇を噛み締めた、その時。

「ヴァルカ、伏せろ!」

 エマヌエルの後方から掛かった声に、殆ど思考することなく従う。エマヌエルがそちらへ視線を向けると同時に、ヴァルカの正面から飛んできたフォトン・シェルが彼を捕らえた。まるで容赦のないその一撃を、まともに食らったエマヌエルが弾き飛ばされ、地に伏せたヴァルカの頭上を飛び越え、背後へ叩き付けられる。その衝撃で、その場には土煙が上がり、あっと思う間もなく視界が利かなくなった。

「エマ!?」

 煙幕の中に油断なく銃口を向けながら、彼の名を呼ぶ。本来は敵でもない相手に銃口を向けなければならない現実の悲しさに、涙が出そうになった。だが、今は泣いている場合ではない。どうにかして、彼を正気に戻さねばならないのだ。

 瞬間、前触れなく強風が吹いて、土煙を吹き飛ばす。

 目を庇った腕の陰から目の前を状況を透かし見るように視線を据える。そこへ上空から突進して来たディルクが、晴れた視界の中、エマヌエルに鉤爪で襲い掛かるのが見えた。

「ダメ、ディルクっ……!」

 与えようとした警告は、一瞬遅かった。

 ヴァルカの叫びに被るように、ディルクが哀れな獣そのものの悲鳴を上げる。ディルクの足先は、エマヌエルが全身に纏ったスパークによって無惨に裂け、血が噴き出した。

 ディルクは多少ふらついたものの、着地すれば傷ついた足に障るのが分かっているのか、辛うじて空中に留まっている。ディルクが体勢を立て直す間に、倒れていたエマヌエルは、ネックスプリングの要領で跳ね起き、空中にいるディルクに飛び掛かった。

「こっちよ、エマ!」

 叫ぶと同時に、ヴァルカは、ディルクに向かって伸ばされたエマヌエルの腕を狙って引き金を絞る。

 彼の身体に届かないのは分かっていた。でも、今は彼の意識をこちらへ向けるだけでいい。

 そう思ったのに、意外にも彼の伸ばされた手は、ディルクの喉元に届くことはなかった。

「……!?」

 フォトン・エネルギー波が急速にその勢いを衰えさせ、エマヌエルは、前方に半ば投げ出されるように地面へ崩れる。

「エマ!」

 何だか分からないが、フォトン・エネルギーの暴走が収まったのか。そう思って、倒れ込んだエマヌエルに駆け寄る。

「エマ……?」

 解けた黒髪に隠れた顔の中で、唇が喘ぐように動くのが見えた。

「エマ、大丈夫? あたしが分かる?」

「……げろ」

 再度、彼の唇が小さく動く。

 確かに、彼自身の言葉が紡がれたのを確認して、ヴァルカはエマヌエルの傍に膝を突いた。ホッとして体中から力が抜けそうになるが、そんな暇はない。とにかく応急でもいいから、手当をしなければ。

 そう思いながら、彼の顔に掛かった髪を掻き上げれば、エマヌエルは苦しげに瞼を閉じて、浅い呼吸をしている。

(何……?)

 ヴァルカは、すぐに違和感を覚えた。

 以前、彼が暴走した時と、何かが違う。以前も、フォトン・エネルギー波で彼は重傷を負ったが、正気に返った時は普通に話をしていた。

「エマ?」

 慌てて、だがそっと彼の身体を仰向けようとする。すると、エマヌエルは息を詰めるように呻いて、ヴァルカの手の動きに抵抗する。

 よく注意してみると、彼が胸元を押さえているのに気付いた。

「ちょっと……エマ?」

「早く、逃げろっ……!」

 言うなり、彼は咳き込んで吐血した。

「エマ!!」

「あーあ。どっか内臓やっちまったかなぁ」

 途端、のんびりと間延びした声が、横合いから掛かって、ヴァルカは弾かれたようにそちらへ視線を向ける。

 数メートル離れた場所に立っていたのは、がっしりとした体格の、見知らぬ男だった。身長は、二メートル近いだろうか。

 癖の強いダーク・グレイの髪の毛は、毛先が好き勝手な方向へ飛び跳ねている。

 両耳にはこれでもかという程ピアスが並び、鼻筋も体型に倣うようにがっしりとしていた。細長い目元に縁取られた瞳は、ダーク・グレイに申し訳程度に青を落としたような色合いだ。

 黒い革製のロング・コートにボトム、白いTシャツを身に纏っており、首には革製の紐にビーズ数個と羽の付いたネックレスを掛けている。

 そして、その手には、たった今発砲したと言わんばかりに、白い硝煙の残滓が立ち上るライフルが握られていた。

「……あんたが、エマを撃ったの?」

「エマ? っていうのは、そこに転がってるAA(ダブル・エー)8164のコトか?」

 どこか気怠そうな表情をした男は、手にしたライフルの銃口でしゃくるようにエマヌエルを指す。

「研究者の生き残りね」

 ということは、相手は普通の人間だ。にも関わらず、声を掛けられるまで接近に気付けなかったなど、普段ならあり得ない失態に、ヴァルカは内心で舌を打つ。

「んー。まあ、当たらずとも遠からず、かな」

 男は側頭部をガシガシと掻きながら、目を伏せて肩を竦めた。

「でも、俺が何者かよりもさ。そいつ、どうにかしないとヤバいんじゃないの?」

(あんたに言われたくないわよ)

 即座に胸の内でそう返すと、男がいつ飛び掛かって来てもいいように気持ち身構えながら、ヴァルカはエマヌエルに視線を戻した。

 彼は相変わらず目をぐったりと閉じていて、呼吸が浅い。

(呼吸器系を傷つけられた……?)

 ヒヤリとした焦燥感が、背筋を這い上がる。そうだとしたら、申し訳程度に止血することくらいしか、ヴァルカにできることはない。

 どうしよう、と震え出しそうになる自分を叱り飛ばし、ヴァルカは着ていたジャケットを脱ぐ。

「……エマ、ごめん。傷、見せて」

「な、コト、よりっ……早く……ッ」

「喋らないで」

 警告を与えようともがきながら、また咳き込んで吐血する彼にピシャリと言うと、ヴァルカは今度こそエマヌエルが彼自身の胸元を握り込んでいる手を、強制的にもぎ取る。

 彼の身体には、他にもフォトン・エネルギー波で付いた傷が無数にあったから、下手をすると見落としそうだったが、明らかに切り傷でない傷口が目を引いた。

 脱いだ上着を裂いて、背中の方も確認すると、そこを押さえるようにして裂いた上着をしっかりと巻き付ける。

「ディルク、飛べる?」

 エマヌエルの腕を取って自分の首に掛け、肩へ担ぎながら、ディルクの方を見た。ディルクは、足から血を流しながらもまだ空中に留まっている。

「……ああ、何とかな」

 弱々しく言って、ディルクはそろそろと地面に足を着けた。ヴァルカはディルクに向かって歩を進めながら、早口に言う。

「悪いけど、できるだけ急いで。取り敢えずユスティディアを出て」

「おいおい、何俺抜きで話進めてくれちゃってんの?」

 すると、ディルクの背に乗ろうとするヴァルカを遮るように、背後から声が掛かる。

 視線を巡らせると、男はライフルを真っ直ぐこちらへ向けていた。ダーク・ブルー・グレイの瞳が、揶揄するような笑みを含んでヴァルカを見つめる。

「AA8164を止めたのは俺なんだぜ? それなりの報酬は頂かなくちゃな」

「頼んでないわ。それに、その記号の羅列で彼を呼ばないで。虫酸が走る」

「分かってねぇようだな」

 男は肩を竦めて、クスッと嘲るように笑った。

「そいつの身体ん中で、今何が起きてるか」

「何が言いたいの」

 弧を描くように動かしたライフルの銃口で、エマヌエルを指し示した男は、「そうだな」と言って、続ける。

「単刀直入に言おうか。そいつをこっちへ引き渡せ」

「何ですって?」

「そうしたら、責任持って俺がそいつを助けてやるよ」

「ふざけないで。彼を記号で呼ぶような男に預けたら、何されるか分かったもんじゃないわ」

 それでなくとも、自分達の識別ナンバーを知るのは、研究所の関係者だけだ。

「じゃあ、そいつが死ぬのを黙って見てるのか?」

(アテ)がない訳じゃないわ。それに、研究所の生き残りに身体預けるくらいなら死んだ方がマシよ」

「お前の意見は聞いてない。それに、お前の言う『宛』が何を指してるかは知らないが、多分、そのアテも今は役に立たないと思うぜ」

 どういう意味? と聞き返し掛けるが、ヴァルカはすんでで口を閉じる。この男と言い争っている時間はない。いくらスィンセティックがあらゆる改造手術を受けた末、不死身に近付いているとは言え、全くの不死身ではない。早く適切な治療を受けないと、エマヌエルは死んでしまうかも知れないのだ。

「これ以上、無駄なお喋りには付き合えないわ」

 言うやヴァルカは、エマヌエルの背に添えた手に握ったままだった銃口を男に向けて、躊躇いなく引き金を絞った。しかし、男は悠然と佇んだままだ。

 今のヴァルカに、それを(いぶか)る余裕はなかった。男が倒れるのを見届ける間も惜しく、踵を返す。

「ヴァルカ!」

 ディルクが鋭く叫んだのは、次の瞬間だった。同時に背後で、乾いた破裂音がする。

 反射で背後を振り向くと、男の前にカラスがホバリングし、その嘴が開かれ今しもフォトン・シェルを発射しようとしていた。このカラスが、銃弾から男を守ったのだと理解する間に、音叉を連続で叩くような、透明な金属音と共に、その口腔に生まれた青白い光弾が肥大していく。標準サイズのカラスの口腔では、その最大値も高が知れているが、まともに食らえばダメージは負うだろう。

 しかし、ディルクがそれを黙って見ていなかった。彼は、一つ羽ばたいて宙に浮くと、ヴァルカ達とカラスの間に割り込もうとする。

 彼の羽ばたきで生まれた強風に薙ぎ倒されそうになりながら、ヴァルカは目の前の光景に目を凝らした。カラスはその強風で体勢を崩したが、男の傍にいつしか立っていたライオンが、ディルクに襲い掛かった。

 傷ついた足が今度こそ噛みちぎられ、ディルクが甲高い悲鳴を上げる。そうしてできた隙を、相手が逃してくれる訳もない。宙に浮いていたディルクを地へ引きずり降ろしたライオンは、彼の喉元に容赦なく噛み付いて、そのままフォトン・シェルを放った。

「ディルク!!」

 叫ぶように呼んでも、答えは返らなかった。ライオンに押し倒されたディルクは、既に首を失い、物言わぬ肉片となり果てている。

「さーて。ここからお嬢さんはどうするのかな?」

 半ば楽しむような声が、すぐ近くから聞こえて、ヴァルカは反射で身を引こうとした。

「おっと。動かない方が良いぜ? 動いたら坊やの頭も吹き飛んじゃうよ」

 チラリと投げた視線だけで確認すると、肩に凭れ掛けさせるようにして抱えているエマヌエルの頭部に、男の持っていたライフルの銃口が押し当てられている。

「ま、もっとも、ここで(とど)め刺さなくっても、放っとけばその内あの世逝きっぽいけどね」

「何が、望みなの」

「言ってるだろ? この坊やは俺に渡して貰う。来たきゃ、お嬢さんも来れば?」

 但し、邪魔すればお嬢さんから先にあの世に逝って貰っちゃうけど、と続けられた脅し文句は、ヴァルカにとってはまるで脅しにはならなかった。

 自分の死など、怖くない。目的を遂げずに死を迎えるのだけが、心残りなだけだ。

 けれど、ここでエマヌエルを男の手に渡してしまったら、彼がどうなるか分からない。真実、治療して貰えたとしても、今度こそ完璧な――研究者達に忠実な、殺人マシンに変貌させられてしまうかも知れない。

 自分なら御免だ。ここで死んだ方がマシだったと思うだろう。だが、目の前で、彼が死ぬところまで見るくらいなら――。

「……どこへ、行こうって言うの」

 低い声で、事実上の降参を宣告したヴァルカに、男は唇の端を吊り上げた。

「今のご時世には快適な治療環境が整った場所さ」

 男は、ライオンを呼び戻すように顎をしゃくって、自分は踵を返す。ディルクの遺体の上から駆けて来たライオンは、ピタリと張り付くようにヴァルカの後ろに付いた。

(……ごめんなさい、エマ)

 不承不承、男の後ろに付いて歩きながら、ヴァルカはエマヌエルに詫びる。そのエマヌエルは、既に意識を失っているのか、自分で足を動かす様子もなくなっていた。

 仲間(ディルク)を、死なせてしまった。自分が一緒にいながら、みすみす目の前で。

 そして今、自分達は諾々と研究所の手に再び落ちようとしている。

(けど、あんたを死なせたくないの)

 その代わり、あんたの意識までは殺させない。もし、万が一、エマヌエルが彼自身でなくなった時には――その時には。

(責任持って殺してあげるから)

 その時には、もう迷わない。

 あたしの手であんたを殺して、全部片付けた後で、あたしも逝くから。

 悲壮な、冷えた決意を胸に、ヴァルカの深紅の瞳は、男の広い背中を射殺せそうな鋭さで見据えていた。


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