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 フロリアンの面積は、約五十四平方キロメートル。

 その全てが、研究所と住宅街型寮、それと研究所スタッフが利用する為の商店街で構成されている。

 しかし、研究所は(おろ)か住宅街型寮も、商店街にさえ、今は人がいない。正しくゴースト・タウン状態だ。

「……ここもか」

 例に漏れず扉が破壊された家に踏み込んだエマヌエルは、溜息と舌打ちを同時に漏らすという器用なことをしながら吐き捨てる。

 能力を暴走させて自爆的に重傷を負ってから、約半月が経っていた。完治した訳ではないのか、油断すると未だに身体のあちこちで引きつるような痛みが走る。しかし、ともすればのた打ち回りたくなるようだった激痛は、四日程でどうにか治まった。動き回れるようになると、とてもじっとしていられなかったのだ。

 それから毎日、寮を虱潰(しらみつぶ)しに当たっているが、リストにあったスィンセティック研究スタッフのどの家も(もぬけ)(から)だった。

 それもただ人がいないだけではない。

 どの家も、大抵が大破していた。

 家の形が維持できていて、扉でも付いていればまだいい方で、大方は原型を(とど)めていない。

 今いるのは、まだ遺体を確認していない者の中では最後の人物の家だ。研究所から一番遠く、住宅街の外れにあった所為か、辛うじて家の形を保っている。上からただ降ってくるだけの、大人しいタイプの雨くらいは(しの)げそうだ。

 ただ、内部はまるで争った――というより、一方的に破壊されたと言っていい有様(ありさま)だ。

 室内を仕切る壁には、十中八九フォトン・シェルによると思われる穴が派手に空き、食器棚は引っ繰り返り、長方形の食卓は半分に割れて切断面は地に着いている。その周囲にあったであろう椅子はあるものは足が折れて倒れ、あるものは椅子であったかどうかすら定かではない。ダイニングは、春と言ってもまだ肌寒いこの季節に相応(ふさわ)しくも、風通しがよくなっている。

「これじゃ、家の(ぬし)が殺されたのか逃げ切ったのか区別できねぇなぁ……」

 いっそ『処理済み』の貼り紙でもしておいてくれれば世話ないのに。

 後頭部をガシガシと()(むし)りながら、エマヌエルは一人ごちる。

 ヴァルカとはこの半月ほど、別行動だった。

 彼女には、もう一度地下研究施設を洗って貰っている。何せ、地下研究施設の三階から下には、マグネタインの結界が出来てしまっている。よく見たつもりでも、エマヌエルには絶対見落としていないとは言い切れなかったからだ。


 沈黙が静かに落ちていた、あの夜。

 病室で話し合ったあの日以降、エマヌエルはヴァルカに遠慮、と言うより、変に一人で解決しようと意地を張ることを止めていた。

 他人はまだ、基本的に信用できない。けれど、彼女が信用に足る人間だというのは、もう解り切っている。いい加減、下手に突っ張ると疲れるだけで何の益もない。それどころか、却って事態が悪化するだけで、何の解決も見ないことを、不承不承ながら認識せざるを得なかった。

 それに、彼女自身が『利用しろ』と言ったのだし、精神状態も傍目(はため)には大丈夫のようだから、もう遠慮なく『利用』させて貰うことにしたのだ。(しゃく)だから、彼女に直接言うつもりは更々ないが。

 もっとも、今に至るまでに散々周囲に助けて貰っておいて、今更『ここまで全部一人で解決しました』と言うのは烏滸(おこ)がましいということも解ってはいる。

(……緩くなったモンだよなー、俺も)

 はあ、と先程と違う意味での溜息が漏れた。

 絶対に他人を信用するものか、心を許すものかと思って、実際その通りに行動していたのは、そんなに遠い昔のことではない。けれども、そうやって意固地になっても、何故か周囲は黙ってサポートしてくれた。『絶対に裏切らない』という彼らの言外の言葉は、上辺のお為ごかしとは違うのが嫌でも理解出来てしまった。

 だからこそ、エマヌエルの中の凍てついた猜疑心(さいぎしん)呆気(あっけ)なく溶けてしまったのだろう。

 溶けたことに気付きたくなくて、最近は半ば『自分はまだ誰も信じてないんだ』と言い聞かせ続けていた節がある。それはもう、心底必死で。それなのに。

(お節介共め)

 そう吐き捨てる先には、ヴァルカとウィルヘルムがいた。少なくともこの二人に関しては、疑って掛かるということがもう出来そうにない。

(絶っっ対言わねぇけどな、本気で癪だから)

 ふん、と鼻を鳴らして、踵を返す。

 ともあれ、この家にも人はいないのは確認できたので、長居は無用だ。これで、全てのスィンセティック研究スタッフがもうこの地にいないことだけは判明した。ただ、死んだのか、それとも逃亡したのか――それを確認するのは骨が折れそうだ。

(……ったく、余計なことしてくれたよなー、アイツらも……)

 フィアスティックへの文句を脳裏で呟きながら、入り口の方へ視線を向けて、一瞬身体が固まった。

 そこに、狼と見紛うような大型犬が立っていたからだ。

(いや……やっぱり狼か?)

 アイボリーを基調とした毛並みに、黒み掛かった灰色の縞が混ざった色の毛が覆う身体。顔の毛の中に埋まってしまいそうな瞳が、鋭くこちらを見据えている。

「貴様、ここで何をしている?」

 その目つきの悪い犬とも狼とも思える四つ足の動物は、口元をパクパクと動かして人間の言葉を喋った。フィアスティックも出会うのは二体目ともなると、流石に驚かない。

「聞こえないのか。何をしているのかと訊いているんだ」

 パキン、と何かを踏み締める音のした方へ視線を投げると、ダイニングに空いた穴から別の狼が入り込んで来ている。しかも一匹ではない。数匹はいる。

(あーあ。こりゃ囲まれてるな)

 狼は元々、群で狩りをする生き物だ。人間並の知能を与えられていると言っても、本来の性質は変わるものではないらしい。

「これが最後だ。何をしている? 五秒以内に答えなければ、塵も残さず消えることになるぞ」

 恐らく、目の前の狼がリーダーだろう。

 他の狼は、ジリジリと包囲網を狭めてくるだけで、口を開こうとしない。

「安っぽい脅し文句だな」

 嘲るように言うと、エマヌエルは不敵に笑って見せる。同時に、両腕に意識を集中させた。いつ飛び掛かられてもいいように、応戦出来る体勢を整える。

「俺が何をしていようと、お前達には関わりないことだと思うけど?」

「ほざけ! ここはもう我らの土地。人間は既にこの土地にはいない筈だ。貴様、どこから入り込んだ!?」

「どこからって言われてもねぇ」

 空から侵入して、半月くらい前に研究所の前で派手にドンパチやらかしてたんですけど。

 とは、勿論口には出さない。その割に、現場へ駆け付けて来なかったところを見ると、察するに、あの周辺には今もゴーレムを配置してあると思い込んでいるのだろうか。

「まあ、空からとだけ答えておくよ」

「空からだと!? デタラメを言うな!!」

「何を根拠にデタラメだなんて決め付ける?」

「当たり前だろう。人間の言うことなど信用できるか」

(……人間、ね)

 クス、と自嘲の笑みが漏れる。

 確かに、彼らから見れば姿形は『人間』以外の何者でもないだろう。けれど、もう自分はヒトだと言い張るつもりは、エマヌエルにはなかった。

「何がおかしい?」

 それを見咎めたのか、リーダーの狼が一歩足を踏み出して凄むように問う。勿論、エマヌエルにとっては威嚇にもなっていないが。

「いや? こっちの答えを信用しないなら、最初から質問なんてしなきゃいいのにと思ってさ」

「何だと?」

 先刻から安すぎる挑発にあっさり乗り続けて疲れないのだろうか、と妙にズレたところを内心で突っ込みつつ、本日何度目かの溜息を吐く。自分も大概瞬間湯沸かし器だという自覚はあるが、目の前の狼は更に沸点が低いようだ。獣本来の唸りに変わりそうな威嚇を軽く()なして、エマヌエルは口を開いた。

「それより俺も訊きたい。お前がフロリアン制圧の(あたま)か?」

「何?」

「人間は既にこの土地にいないって言ったよな。じゃあ、ここらの人間や、スィンセティック研究班は、もう全員あの世に送り込んだってことか?」

 そこで初めて狼が動揺を見せる。動揺というより、戸惑いだろうか。

「貴様……一般人ではないのか? 何故スィンセティックという総称がそうも自然に出てくる。……まさか、貴様!」

 自分の疑問を整理するように呟いていた狼は、どうやら違う方向に誤解したらしい。

「研究班の生き残りか! どこに隠れていたかは知らないが――」

 狼はその後の言葉を音にしなかった。代わりに、透明な金属音がその場に溢れる。四方八方からだ。

 チラリと視線を投げると、ダイニングの方から来ていた狼達も、ボスに倣ってパックリと開いた口に青白い閃光弾を膨らませていく。

「……問答無用かよ」

 舌打ち交じりに言うと、エマヌエルもやや腰を落として両腕に意識を集中させる。すると、近くに特大の雷が落ちた時のような、思ったよりも大きな音と共に青白いスパークが前腕部で跳ねた。

「!?」

 息を呑んだのは、狼達も同じだった。

 両者が同じタイミングで、互いの飛び道具を納める格好になる。

「き……さま……」

 呆然とした狼の呟きは、エマヌエルの耳には入らなかった。

(何……だ、今の)

 いつものように、『通常』とされる威力での発動をイメージした筈だったのに、嫌に派手な閃光が踊ったような気がしたのは、見間違いだろうか。

「貴様……ヒューマノティックか」

 リーダー格の狼が、やはり唖然としたまま問う声に、我に返る。

「ああ……まあな。好きでなった訳じゃねぇけど」

 肩を竦めながら答える。これで、もしかしたら無罪放免になるかと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。

「ヒューマノティックなら何故(なぜ)持ち場に待機していない。ここで何をしている。識別ナンバーは?」

 エマヌエルは沈黙した。言葉が出なかったのだ。

 振り出しに戻る、というのはこのことだろう。

 しかし、その沈黙をどう取ったのか、ボス狼はまた一歩分間合いを詰めて言った。

「こちらの質問に答えろ。ここで何をしている? 識別ナンバーは?」

 エマヌエルは、はあ、とこれ見よがしにまた溜息を吐いた。

「どこで何してようと俺の勝手だろ? 識別ナンバーなんてものはない。俺は殺戮兵器でも機械でもねーんだよ」

 前言撤回。沸点が低いのは自分も同じかも知れない。

 そう思いながらも、声に苛立ちが混ざるのは止められない。製造ナンバーであろうと識別ナンバーであろうと、あの研究者達に押された烙印など、わざわざ自分の口から言うなんて反吐が出そうだ。

 だが、その答えを聞いた狼達は、当然の如く色めき立つ。

「そちらこそ、勝手なことを言うな。研究所から解き放ってくれたのは誰だと思っている。我らが(おさ)、アダムだぞ」

 ボス狼が、更に一歩分間合いを詰めて低く唸る。

「残念ながら、俺を解放したのは俺自身だよ」

 エマヌエルはもう一度肩を竦めて投げるように言った。

 それは、真実だった。

 今からもう四ヶ月半前のあの日、自分で地下五階の手術室から地上施設まで半壊させ、逃げ出したのだから。

 しかし、当然それを知る由もないボス狼は、苛立ったように吠える。

「何を訳の解らないことを」

「それにしても、アダムってのはこの騒動を起こした狼のことか。そいつには何で名前が付いてるんだ?」

「黙れ、ヒューマノティック。我らと同様に貴様らも研究者達に理不尽な目に遭わされて来たからと、外見がヒトと同じでもアダムは特別に情けを掛けて我らと同じ扱いにと仰って下さったのだぞ」

「だから何だよ。今度はそいつを神様みたいに(あが)(たてまつ)れってか? 生憎だけど俺は誰に従う気もないね」

 加えて、エマヌエルの脳内にあるICチップは、そもそも洗脳プログラム部位が破損している。(ゆえ)に、そのアダムの通信とやらも一切届くことはなかった。

「いい加減にしろ! すぐその態度を改め、持ち場へ戻れ。今なら見逃してやる」

「だから、持ち場なんてねぇよ。それより俺の質問にも答えて貰えねぇかな」

「何を寝ぼけたことを言っているのだ。スィンセティック研究スタッフなど、とうの昔に殲滅(せんめつ)したではないか」

「殲滅?」

「そうだ。三ヶ月前に蜂起した日、その時は昼間だった。殆どの者は寮には戻っていなかった。我々は研究所から逃走する者達を端から片付けていった。勿論、表も裏も関係なくな。研究所の建物から出てくる人間に討ち漏らしはない。今も、あそこではゴーレム達が見張っているだろう。出てくる人間は誰であれ始末するよう通達が行っている」

 そのゴーレム達、殆ど全部俺が始末しちゃったけど。

 口には出さずに突っ込みを入れつつ、意外と軽い口に期待して更に問いを重ねる。

「じゃあ、寮に残ってた連中は? 非番の奴だっていたんだろ」

「寮も蜂起と同時に襲って一人残らず始末したではないか。貴様、本当にヒューマノティックか?」

「……さっき見ただろ。残念ながらそうだよ」

 低い声で返しながら、エマヌエルは考え込む。となると、研究所に残っていたスタッフはあの日始末した七人が最後ということだろうか。他に生き残りがいなければの話だが。

(あーあ、何か肩透かし食った気分……)

 ともあれ、ここでの作業は終わったも同然だ。後はヴァルカの捜索結果を見て、今後の行動を決めよう。

「じゃあ、用は済んだから、いい加減そこ通してくんない?」

「何を言っている。早く持ち場へ戻るんだ。行くぞ」

 ボス狼はクルリと踵を返すと、エマヌエルを振り返る。

「って付いて来る気かよ」

「当たり前だろう。貴様の性根では、目を離したらどうせさぼるんだろうからな」

 とことん噛み合わない会話に、エマヌエルは早くもうんざりしてきた。

 しかし、この狼が退かないことには外へ出られない。強制排除してもいいのなら話は別だが。けれど、さっきのスパークの強さが引っ掛かって、強硬手段に出るのも躊躇われた。

 エマヌエルは、黙って従う振りで、ボス狼の後に付いて外へ出た。その後を、まるで逃がさないようにとでも言うように、ダイニングから狼の群がゾロゾロと付いてくる。

 それには構わず、空を見上げて視線を彷徨(さまよ)わせるエマヌエルに、ボス狼が「早くしろ」とせっついた。だが、エマヌエルの方は狼達の言うことを聞くつもりは、初めからないのだ。目当てのものを見つけると、人差し指と親指で輪を作って唇に当てる。

 指笛が甲高く鋭く、空へ木霊した。

「何を!?」

 またしても色めき立つ狼達を横目に、今度は慎重に足に意識を集中させる。出力『中』くらいの雷鳴が響き、足が青くスパークを纏う。増した脚力で思い切り地を蹴って、そこへ滑空して来たディルクの足に手を伸ばす。

 呆然と空を見上げる狼達を尻目に、エマヌエルは暫しの空中散歩を楽しんだ。


***


「そう……じゃあ、ここでの作業は一区切りね」

 その日の夜、あれからねぐらとして利用している病室で昼間の一部始終をヴァルカに話すと、彼女も曇った顔でそう言った。

「地下の捜索は全部終わったのか」

「一応ね。地下水道の避難所から地下五階の方に結構な人が流れ込んでたから苦労したけど」

 誰かさんの所為(せい)で、と言いたげな視線を浴びて、エマヌエルは目を反らした。

「……悪かったよ」

 実は、エマヌエルも後悔したのだ。

 せめて、ちゃんと洗い直しが終わってから、人を移動させるべきだったと。

「それで、どうだった」

「結果から言うと、半月前に殺った七人が本当に最後だったみたい。あんたから聞いた名前を生きてた機械で打ち出してプリントアウトして聞いて回ったから、彼らが嘘さえ吐いていなければ生き残ってる奴はいない筈よ」

 ネット上に乗ってない、機械内部のデータが運良く残っていたのだろう。

「そうか……」

 加えて、あの狼達が言っていたことを考え合わせると、建物の中にいなければ、ファースト・ラボの中に詰めていたスィンセティック研究班のスタッフも全滅したことになる。

「それと、これ。頼まれてたもの持って来たわよ」

 ヴァルカがウェストポーチから取り出したのは、角が丸まった長方形のケースだ。受け取って蓋を開けると、中には三本のアンプルが収まっている。アンプルの中身は、透明度の高い、くすんだ緑色の液体だ。

「結局それは何なの?」

「あの時、ぶち込まれた怪しげな薬だよ。マグネタインの抽出液らしい」

 エマヌエルは、アンプルの一本を取り出して、窓の方へ透かすように掲げた。月明かりを反射して、その液体は毒々しく輝く。

「持ち出してどうするつもりなの?」

「ウィルに調べて貰う。もしかしたら、マグネタインを克服できるかも知れないし……」

 それに、昼間の『あの現象』がエマヌエルには引っ掛かっていた。

 自分が思う以上の出力でスパークしたフォトン・エネルギー。

 実は、あの日から今日の昼間まで、エマヌエルはフォトン・エネルギーを解放していなかった。理由として、単純に戦闘という事態に直面しなかったのと、傷に障るのを避けたかったというのもあるが、本音は少し怖かったのだ。

 以前、自分はマグネタインを加工して造られた弾丸をやはり撃ち込まれたことがある。その時は、時間が経つにつれ徐々に身体に力が入らなくなり、フォトン・シェルを使えなくなり、最後に意識を失った。

 しかし、今回は違った。

 同じマグネタインという素材を体内に注入されたというのに、今回は能力の暴走が起きた。自分の意識がない、ということに変わりはなかったが、今度は敵味方の区別も付かず暴れ回ったのだから始末が悪い。

 マグネタイン弾の時は、ウィルヘルムが策を講じてくれた。マグネタインの成分を調べ、中和剤を即席で創って投与してくれたので、徐々に能力も身体の自由も取り戻すことが出来た。

 だが、今回はマグネタインから抽出したという液体を注入されっ放しだ。

 だから、もしかしたらまだマグネタインの成分が体内に残っていて、下手をするとまだ能力が使えないのではないかと不安だったのだが、結果は全く逆だった。絶好調を通り越しているような出力具合が却って恐ろしかった。

 一体、自分の身体の中で今何が起きているのか。

 それを知る術は、現在のところないと言っていい。

「……エマ?」

 沈痛な面もちで黙り込んでしまったエマヌエルを覗き込むようにしながら、ヴァルカが名を呼ぶ。

「……あ、悪い。何?」

 我に返って顔を上げると、ヴァルカは何か言いたげに唇を開いた。けれど、結局「何でもない」と言って、彼女は口を(つぐ)んだ。

 あれから少し、ヴァルカの様子がぎこちない気がする。多分、自分もそうだろう。彼女が内面を晒け出したことで、寧ろ距離の取り方が判らなくなっている感は否めない。

 もう少し踏み込んでもいいものかどうか、それともその逆なのか。あれ以後、彼女の様子は一見以前通りのように思える。しかし、内部ではまだ何かが、渦巻いているのではないだろうか。

 利用すればいい、と言った肝心の彼女自身はこちらを利用するつもりはもうないのだろうか。ただ、メンタル面で相談を持ち掛けられても、巧く乗ってやれる自信はない。

 だからと言って、内面の距離を縮めたいかと訊かれたら、返答に困る。

 所詮、自分と彼女は、自分達の身体を好き勝手に(いじ)り回した研究者達への報復が完了するまでの間柄だ。今まで通り、必要最低限の事務的な関係でいいじゃないかと思う一方で、それにどこか寂しさを覚えるような気がした。傍に居て当たり前になっていた存在を、ふとした瞬間失う寂しさのような感情が走るのに、エマヌエルは見て見ぬ振りを決め込む。

「じゃあ、あんたはこの後どうするの?」

 不意に話題を振られて、エマヌエルは自然俯けていた視線を再び上げた。

「どうするって……そう言うあんたは決まってるのか」

「決まってるって訳じゃないけど……職務上、一度レムエへ戻った方が良いような気がするの。ラスのこともひと段落着いたし」

 『ラスのこと』。

 小さく付け加えられたその一言を胸の内で反芻して、エマヌエルはふと思い出す。

 自分と、彼女の憎しみの宛は、微妙にズレているのではないかと思ったことを。

 次の瞬間、エマヌエルは直感した。きっとこの先、彼女との道は重ならない。彼女にとっての復讐は、もうこれで果たされているのではないだろうか。

 そう思った途端、襲った暴力的とも言える寂寥感に、エマヌエルはやはり気付かない振りをする。そうするしかなかった。でなければ、感情のままに何を口走るか分からない。

「エマは、どうするの?」

 そんなエマヌエルの中の葛藤を知らぬげに、ヴァルカは微かに笑みとも思える表情を浮かべて首を傾げる。

「あ……あ、そうだな。俺は……」

 理性を喰い破りそうな感情に無理矢理蓋をして、エマヌエルは目の前の会話に集中する。そう、今後の予定だった。

 このまま、ノワールの本拠を目指すのも一つの手だろう。そこも多分、ここと同じ有様(ありさま)だとは容易に想像がつくが、どの程度の破壊具合なのか確認しておいた方がいい。

 だが、今後戦闘が予想される場所へ行くのに、今のままの身体の状態では不安が残る。

「俺も……レムエだ」

「え、何しに?」

 当然、目をキョトンと(みは)られて、エマヌエルは訳の判らないばつの悪さを感じた。

「ウィルに用があるんだ。アンプルの解析と、俺の今の身体の状態もちょっと調べて欲しいし……」

 そう言って自然反らす形になっていた視線を上げると、ヴァルカは益々怪訝そうに目を瞠っている。

「……何だよ」

「いや、だって……ねぇ」

 エマが積極的に他人を頼るなんて思わなかったし。

 揶揄(からか)うように言われて、居心地の悪さが増した気がする。

「うるせぇよ。俺も色々学んだんだよっ」

「あー、はいはい」

 クスクスと笑うヴァルカの掌が、頭に乗った。いい子ねー、などと言われながら同年代の少女に頭を撫で回されて、いい気持ちのする十代半ばの少年はまずいない。

「揶揄うなっ……」

 パシン、と軽い音を立てて、ヴァルカの手を払った瞬間、至近距離で目が合った。

 ただ、それだけだ。だのに、目が離せない。ヴァルカも同様のようで、大きく見開いた目をエマヌエルに向けている。

 時が止まったように感じたのは、数瞬か、それとも数秒か。

「……あ、」

 長い長い一瞬の後、時間を動かしたのはエマヌエルの方だった。

「と、とにかく! あんたが良いようなら明日発とうぜ。今日はもう寝る」

 言いながら思いっきり目を反らしたエマヌエルは、ヴァルカの返事も聞かずに、この半月占領しているベッドに横になった。

 当然、眠れる訳もなかったが、それでも目を閉じる。

 別に(やま)しいことなんか、ない。

 ただ、行き先が同じだけだ。

 そう、誰にともなく言い訳しながら、ひたすら眠りが訪れるのを念じていた。


***


「俺達は、ひとまずレムエへ行くコトにした。お前はどうする?」

 翌朝、最初の爆破で瓦礫になった研究所の建物の陰で寝泊まりしていたディルクを訪ねて、エマヌエルは開口一番、そう切り出した。

 ディルクの顔色は読めなかったが、一緒にそこへ来ていたヴァルカは、それを聞いた途端、「え?」と意外そうな声を出した。

「え? って何だよ」

「だ、だって――彼に乗っていくんじゃないの?」

 どこか自己中心に聞こえたその言葉に、エマヌエルは若干の不快感を覚えて眉根を寄せた。

「当たり前みたいに言うなよ。コイツは俺達のペットじゃない」

 勿論、自分達の都合の良いように動いてくれる道具でもない。

 その意を含んだエマヌエルの答えに、ヴァルカはバツの悪そうな顔になって目を伏せた。彼女の精神状態は、まだ少々元通りではないらしい。

(まあ、すぐ切り替えろっても無理なのは分かるけど)

 口には出さずに呟くと、エマヌエルは改めてディルクに視線を向けた。

「私の背に乗るのでないのなら、何故私の都合を訊ねるのだ?」

 すると、エマヌエル自身の自己中心な箇所を突くような問いが降って来て、エマヌエルは苦笑せざるを得なかった。

「何故って……まあ、今まで何だかんだで世話になったからな。ただのお義理の関係って訳でもないって思ってるのは俺だけかも知れねぇけど……ここで最初から『もうお前の好きにしろよ』って言うのも冷たい気がしただけだ。気に障ったなら謝る」

 肩を竦めて言うと、「いや」と即答で否定が返る。

「ここで別れるとしたら、私としても寂しい。他に行く宛がある訳でもないし、貴殿達さえ良ければ、同行させて貰う」

 表情こそ、鷹の仲間故に少々怖く見えるが、声音は柔らかで、真剣そのものだ。

 エマヌエルは微かに瞠目した後、もう一度肩を竦めた。

「サンキュ。そうして貰えると、正直助かる。お前が行かないって言ったら、今から車を探すとこだったよ」

 ただ――とエマヌエルは言いにくそうに言葉を継ぐ。

「この先、また戦闘にならない保障はない。そうしたら、それも協力して貰うコトになるかも知れねぇけど……」

「構わない。基よりこのような身体だ。戦いを避けて通ろうとするのが無理というものだろう」

 違ぇねぇ、とエマヌエルは再度苦笑した。

「ところで、貴殿達は確かレムエへ行くと言ったな」

「ああ」

 不意に方向転換した話題にやや面食らいながらも、エマヌエルは頷く。すると、ディルクはやはり真剣としか思えない表情で続けた。

「私はあまり勧めないが」

「へぇ?」

 エマヌエルは、どこか面白そうに言って、片眉をピクリと跳ね上げた。

「理由を訊いてもいいか?」

 問えば、ディルクは淡々と答えを口に乗せる。

「ICチップに入る定時連絡に依ると、北の大陸<ユスティディア>はほぼ手中に収めたようだ。中央部は、フィアスティックが決起する前から戦乱状態だったから、そこに我々が加わっただけで、あまり変わらないようだがな。レムエにも既に、ニンゲンはいないらしい」

 エマヌエルは、瞬時、その整った顔を強張らせた。ヴァルカにちらりと視線を向けると、彼女も息を詰めたような表情をしている。

「……だってよ。どうする」

 固まってしまったような舌先を無理矢理動かして問うと、ヴァルカもやはり目を見開いたまま、硬い声音で答えた。

「……被害状況の確認は、しておきたいわね。それに……ベンやドクター達がどこへ行ったか……もしかしたら、手懸かりを何か残してくれてるかも知れないし……」

「まあ、それも望み薄だけどな」

 エマヌエルは何度目かで肩を竦めると、改めてディルクを見上げた。

「ところで、お前、さっきICチップに連絡が入るって言ったよな」

「ああ。洗脳プログラムがデリートされて、私は決起を外れて私の意思で動くコトに決めたとは言え、ICチップが脳内からなくなる訳ではないからな。但し、連絡と言っても一方通行だから、単なる告知と変わらないが」

「じゃあ、こっちの居場所が向こうに知れるってコトは?」

「多分ない。一口にフィアスティックと言っても、無数にいる。その内のたった一体の離反くらい目を瞑るだろう。アダムも、一体一体の動向をいちいち見張る程暇ではない筈だしな」

(アダム……)

 その名は先日、廃墟となっていた住宅街型の寮で出くわした、狼型フィアスティックの口からも聞いた。

 彼らの口振りからすると、アダムという名の、今回の騒動の首謀者は、フィアスティックには寛容でも、ヒューマノティックには違うらしい。人間相手にするように、手当たり次第殺すつもりはないようだが、自分達と対等とも思っていないのだろう。良くて、人間より格上ではあるが、自分達よりは下に見ているに違いない。

 けれど、今そのことは、エマヌエルにはどうでもよかった。その狼を追ってどうこうする程、こちらも暇ではない。

「エマヌエル?」

 沈黙が少々長過ぎたのか、ディルクが首を傾げるようにしてエマヌエルを見下ろす。その視線に、エマヌエルは「何でもない」と告げて、続けた。

「……分かった。とにかく行こう。なるべく、フィアスティックがタムロしてない通路を頼む」

「了解した。努力はするが、あまり期待はしないでくれ」


***


 フロリアンから、レムエ支部のあるレムエ州の首都、ツァンガー・シティまで、直線距離にして約二千百十五キロメートル。

 その直線ルートを辿れば、レムエ支部まで半日前後で到達できる筈だ。

「ただ、途中でフィアスティックに出くわさない保障はできないぞ」

 というか、確実に出くわすだろうな、と続けられた言葉に、エマヌエルは肩を竦めた。

「わーってるよ。けど、わざわざ上に向けて、問答無用で対空砲火仕掛けてくる程暇な奴もいねぇだろ」

 言いながら、エマヌエルはディルクの背から眼下を見下ろす。

 地上から五十メートル程の高さを、ディルクは電動機駆動車並の速度で飛んでいた。

 流れるように見える地表に、所々で動物が歩いているのが分かる。フィアスティックなのだから当然だが、近くに寄ってみない限り、人間の言葉で話したり、物騒なものをぶっ放したりするようなどとは、想像もできない。

「対空砲火はないだろうな。但し、空中に検問がある」

「何?」

「私のように空を飛べるフィアスティックが、多分見張りに立っているだろう」

 空中を飛んでいながら、見張りに『立つ』というのも言葉が適切でない。しかし、エマヌエルはそこを指摘することは敢えてしなかった。

「……でも、待てよ。そんなの、前にレムエと半島行き来した時はいなかったよな」

「あの時は、まだ蜂起して間がなかった。我々も完全な警備を布くコトが出来ていなかっただけだ」

「ってコトは、そこでまたドンパチやらかさなきゃいけねぇってコトかよ」

 面倒くせぇ、と背に突っ伏したエマヌエルを宥めるように、ディルクが苦笑混じりに答える。

「まだ、闘り合うと決まった訳でもあるまい」

「どういう意味だよ」

「検問は、どうにかうまく言いくるめてみる。私が離反したコトは、まだ知られていない筈だからな」

 アズナヴール半島が含まれるオリエダ州と、隣接するグレアム州の境へ差し掛かって程なく、ディルクの不吉な予言は現実のものとなった。

 州境の延長線上に当たる空中に、ここでは二体、ディルクと同様、空を飛べるフィアスティックが見張りに立って(正確には空中で待機して)おり、州境を通るフィアスティックを厳しくチェックしていたのだ。そこを通るのは、大抵は反乱に当たって行動しているフィアスティックばかりだから、形式的な検問と変わらなかったが、エマヌエル達はそうはいかないだろう。

「念の為に訊くケド。俺達はいつまでお前に勝負預けてりゃいい?」

 前方に、はっきりと姿が見え始めた巨大鳥を見据えて、エマヌエルは口早に問う。

 今回の反乱に参加しているフィアスティックは、大概がボスの『アダム』に対して盲信的なところがある。エマヌエルも、昨日の狼の群と相対して思ったことだが、とてもまともに会話が成立するとは思えない。

 最初に会ったフィアスティックがディルクだった為にそれまで気付かなかったが――いや、彼は恐らく例外中の例外だろうと、エマヌエルは内心で呟いた。

「出来れば最後まで黙っていてくれ。――と言いたいが、難しいだろうな」

「俺も出来ればそうしたいよ。お前の離反がバレるのは、遅くなる程良いからな」

「もし、闘り合うコトになったら、どうするの?」

 ヴァルカが、作戦会議に割って入る。それを受けて、エマヌエルはディルクに向かって更に問いを重ねた。

「片付けた場合、この先検問は?」

「多分、グレアムとレムエの州境にもあるだろう。ただ我々は、トランシーバーのようなモノは持っていないし、テレパシーの能力もない。ここから次の州境までは五百七十六キロある。超聴覚と超視覚、どちらの射程からも外れているから、思い切りやっても問題はないだろうが、地上のフィアスティックの動きは読めん」

「ま、要するに出たとこ勝負ってヤツだな」

 そこで二人と一羽は口を噤んだ。

 前方でホバリングしながら、油断なくこちらを見ている巨大鳥に、エマヌエルもヒタと視線を据える。相手との距離は、既に二キロより短くなっていた。超聴覚の射程内で、これ以上の作戦会議は危険だ。

 相手は、ディルクより一回り程大きい、鷲のようなフィアスティックだった。

 エマヌエルは、いつ何が起きてもいいように身構えたが、それは表情には出さない。

 隣に乗ったヴァルカに、一瞬視線を投げると、彼女もまた見事なポーカーフェイスだ。

「任務、ご苦労」

 そう声を掛けてきた鷲に、ディルクは「ご苦労」と返した。

「これからどこへ行く」

「西の大陸<ギゼレ・エレ・マグリブ>だ。ガーティンの方へ様子を見に」

「そのような指示は出ていない筈だ。勝手な真似をしないで持ち場へ戻れ。それと、背に乗せている二人は何だ。人間か?」

 鷲は、居丈高にジロリとディルクを睨んだ。

「ヒューマノティックだ。ガーティンからフロリアンへの任務を済ませたので、送り届けるところだ」

 ディルクが答えると、鷲は不審げな様子で首を傾げた。

「指示にないコトばかり言いおって……お前、一体何を考えている? 識別ナンバーは?」

「……ここまでだな」

 エマヌエルは、ボソリと呟いた。

 スィンセティックの異常聴覚の前では内緒話など通用しないが、益々訝しげに睨め付ける鷲と違い、ディルクの方はその意味を正確に把握したらしい。

 前触れなく落下感を覚えた瞬間、ディルクは無言で鷲の足下を潜るように身を沈ませて相手を突破していた。

「何!?」

 鷲が慌てたように首だけを振り向けるが、その時にはエマヌエル達を乗せたディルクは相手の背後五メートルは後方にいた。

 巨大化して何が不便と言って、小回りが利きにくいことだろう。その鷲が急いで方向転換する時には、ディルクは更に先へ進んでいた。

 だが、もう一羽の巨大鳥が、進行方向へ立ちはだかり、「止まらなければ撃つぞ」と言う代わりに嘴を開いた。耳慣れた、音叉を連続で弾くような金属音と共に、目の前の巨大鳥の口腔に生まれた青白い閃光弾が、スパークを纏って肥大していく。

 エマヌエルも、舌打ちと共に、右腕に意識を集中させた。

 しかし、普段通りの感覚でその腕に意識を集中させれば、思った以上の勢いで青白いスパークが腕を跳ね飛ぶ。

 しまった、と思った時には遅かった。殆ど無意識だった為に、フォトン・エネルギーはエマヌエルの意思を無視し、一瞬で巨大な青白い光弾となった。直径にして五メートル前後だろうか。

「――ッ、ディルク!」

 煽られないように気を付けろ! と続ける余裕はなかった。こちらの敵意を見て取ったのか、前にいる鷲型フィアスティックが威嚇を攻撃に切り替え、フォトン・シェルを放ったからだ。

 今、自分の掌に生まれたフォトン・シェルをそのままバカ正直に撃てば、相手のそれに誘爆し、どれだけの威力を持った爆発になるか想像もつかない。かと言って、こちらの飛び道具を引っ込めれば、死ぬしかないのは明らかだ。

 エマヌエルは、歯を食い縛って意識を集中し直す。今からでは、威力を弱めようとしても間に合わない。自分の意図するより遙かに大きくなったフォトン・シェルを放たず、壁状に展開するのが精一杯だった。

 身体の芯に響くような空気の震動と共に、フォトン・シールドとフォトン・シェルが激突する。直後、衝撃で弾き飛ばされるのを覚悟したが、そうはならなかった。

「なっ……!?」

 目の前で起きたことに、思わず唖然とした。

 フォトン・シールドは、フォトン・エネルギーの壁と言っても、物理的な盾のように安心できる代物ではない。あくまでフォトン・シェルの直撃を食らうよりマシ、と言った気休め程度のもので、使役者の手を離れれば、相手の攻撃と共に爆発・消滅するのが常だ。

 ところが、今目の前では、エマヌエルが創り出したフォトン・シールドは、彼の手を離れても、まるで空中に浮いた楼閣のようにその場に静止し、鷲型フィアスティックの放ったフォトン・シェルを防いでいた。

 プラズマをあちこちに纏った、二十メートル四方程の薄青い半透明の壁に、遠慮なく衝突したフォトン・シェルは、爆音と共に白い煙となって破裂し、霧散する。数瞬の後、フォトン・ウォールとも呼ぶべき防壁にも亀裂が入った。

 同時に、身の内で鼓動が軽く飛び跳ねた気がして、エマヌエルは思わず胸元を押さえる。

「ディルク!」

 何とかしろ、と言いたげに声を上げたのは、ヴァルカだ。

「二人共、掴まれっ!!」

 彼女に応じるように叫ぶなり、ディルクはほぼ垂直に近い形で頭を下に向け、急降下した。壁の下を潜って向こう側へ出ても、爆発の残滓に巻き込まれるだけだからだ。

 だが、到底間に合わない。五メートル程上空で、フォトン・ウォールが砕け散り、垂直に地面を目指していたディルクは強風に煽られ、体勢を崩した。

「わっ……!」

「きゃあぁッ!!」

 天地がひっくり返り、ディルクの背中から振り落とされそうになる。

 悪いと思う間も、遠慮する余裕もなく、二人は彼の背の毛を鷲掴みにした。あっという間に目算三メートルまで近付いた地面に叩き付けられまいと、ディルクは無理矢理体勢を立て直して、鋭く羽ばたく。落下が唐突に止まり、背にいた二人の身体は、慣性の法則に従って半円を描くように回る。

 そのタイミングで、追い打ちを掛けるように心臓が大きく脈打つのが、今度ははっきりと自覚できた。

(な、にっ……!)

 それに気を取られ、エマヌエルは今度こそディルクの背から振り落とされる。

「エマヌエル!」

 ディルクの呼び掛けで我に返り、身体を捻って、辛うじて地面へまともに叩き付けられることだけは回避した。だが、殆ど四つん這いで着地したものの、起き上がることが出来ない。

「う、あッ……!」

 鼓動が弾けそうに走り、心臓が鉄棒で連続前回りでも始めたかのような錯覚に陥る。エマヌエルは自分を抱き締めるようにして身を縮め、地面に蹲った。

(これ、は……ッ)

 覚えのある感覚に、総毛立つ。

 体中が心臓にでもなったかのように脈動し、それがどんどん加速する感覚。

(マズいッ……!!)

 あの時と、同じだ。

 マグネタインの磁場が野放図に垂れ流しになった、ファースト・ラボの地下五階。そこで、マグネタイン抽出液を体内へ打ち込まれた――あの、時と。

(こんな、所でっ……!)

 こんな場所で、あの時のように暴走する訳にはいかない。止まれるかどうかも問題だが、それよりもフォトン・エネルギーが所定以外の場所からも放出されるあの現象を繰り返したりしたら、手当できる施設はないし、人もいない。

「エマ!?」

 自分のことで手一杯になり掛けたその時、鋭く聴覚へ入り込んで来た声が、エマヌエルを現実に引き戻す。

「……げろっ、早くっ……」

 この先の自分のコンディションも気掛かりだが、それよりも重要な問題を思い出し、エマヌエルは喘ぐように警告を口に乗せた。

 先日のように暴走してしまったら、ヴァルカ達を巻き込まない保証はない。だが、とにかく離れてくれれば、最悪、自分が死ぬだけで済む。

「……ルク、聞こえる、だろっ……」

 息が上がって、もう大きな声は出せない。けれども、スィンセティックの持つ超聴覚なら、射程内にいれば囁き声でも聞こえる筈だ。

「エマヌエル」

 思惑通り、上空五メートルの場所でホバリングしている筈のディルクは、答えるように名を呼ぶ。

「逃げろッ……すぐ、俺から、離れ、るんだ……ッ」

「しかし」

 戸惑うように反駁したディルクに、エマヌエルは半ば悲鳴を上げるように叫ぶ。

「早く、しろっ……! 俺が、『俺』でいられる内に!」

 暴走が始まれば、そこに自分の意識などない。何をするか、どうなるか、全く予想が出来ないのだ。

 我に返ったその時、目の前に仲間の遺体が転がっていた、などということになったら、目も当てられない。

 ディルク達が躊躇う間にも、呼吸がどんどんせり上がる。ダメだ、落ち着け、と自身に言い聞かせても、身体の中心からエネルギーが膨れ上がる感覚を止めることは出来ない。

 身体が内から破裂する錯覚を覚えた瞬間、意識が白く灼けた。


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