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「ねえ、ちょっと! さっきここへ来た、黒い髪の男の子、どこへ行ったか知らない!?」

 息せき切って駆け付けてそう言ったヴァルカに、地下水道避難所の人溜まりの一番手前にいた男性は、若干面食らったように目を丸くした。

 先刻の振動が起きてから程なく、地上にディルクを置いて、崩れた研究所に開いた穴へ飛び込んだヴァルカは、真っ先にここへ足を向けた。

 エマヌエルと最後に別れたのは、ここだからだ。

 闇雲に探すには、この研究所は広すぎる。

「ええっと……黒髪のっていうと、あの綺麗な子かな。男の子だったの?」

「そう! 青い目で、下手な女優より綺麗なその子!」

 エマヌエル本人に聞かれたら、目の前の男性共々、無言でフォトン・シェルに消し飛ばされそうな会話だ。しかし、残念なのかそうでないのか、実際、彼は綺麗なのだ。多分、女の自分よりも整った容貌をしているのは間違いない。

 そういうヴァルカ自身の容姿も整った部類に入るのだが、彼女本人にその自覚がないのは、エマヌエルといい勝負である。

「さあ……どこへ行ったかまではちょっと……」

「そう……」

 一瞬落胆し掛けるが、(ほう)けている場合ではない。

「じゃあ、あの、何か言ってなかった? どこへ行くとか」

「うーん……スィンセティックがどうとか、裏の研究が何とかって話を、さっきしたけどね……」

 それが彼の行方と関係あるかどうか、と男性が自信なさげに呟く。

(スィンセティック……裏の、研究……?)

 男性の言葉を反芻(はんすう)して、ヴァルカは微かに目を見開いた。

「……ありがとう!」

「え、あの、ちょっと!?」

 何がどうなってるのか解らない、と言いたげな男性の声を聞き流し、ヴァルカは駆け出した。

 目指すは、地下研究所だ。

 この避難所には、研究所のスタッフしかいない。

 何故なら、ここアズナヴール半島は、丸ごとゴンサレスの所有地で、研究所近隣にはスタッフしか住んでいない。よって、ここにいるのも全員がスタッフだ。表も――裏も関係ない。

(だから、エマはここに残ったんだ)

 このまま、裏のスタッフを捜す為に。捜して、息の根を止める為に。

 それに思い至れないなんて、本当にどうかしていた。

 スィンセティック開発班に、ヴァルカだって報復したいと思っている。裏の研究を、欠片でもこの世界に残しておきたくない。

 彼らに向ける憎しみは、エマヌエルと何ら変わるものではなかった筈なのに。

(……軽蔑、されたかな)

 そう思うと、胸のどこかが軋むような気がした。

 たかが、男一人のことでこんなに動揺して取り乱した自分を、一緒に連れてなんて行ける訳がない。自分がエマヌエルの立場でも、同じことをしただろうと思う。

 目的を果たすのに足手纏いになるなら、いっそいない方がマシだ。

 そう理性では納得できるのに、一方で自分の気持ちで手一杯だったことが、ひどく恥ずかしかった。

(謝らなきゃ)

 何にかは解らないが、とにかく謝罪したい。

 けれど、そうする為にも、彼に無事でいて貰わないと意味がない。

 避難所の男性に聞いた以上の手掛かりなどある筈もなく、結局ヴァルカは地下一階の端から捜して回る羽目になった。

 端からと言っても、真ん中はひどく損壊している。それでも、全体の三分の一程が崩壊したに過ぎず、地下三階まで降りる頃には二時間が経過していた。

 改造された肉体は疲労をあまり感じないが、精神的には違う。

 電気系統が生きていれば、監視カメラが無事な部屋もあるのに、と思うと、この騒動を起こしたフィアスティックに対して微かな苛立ちを感じた。余計なことをしてくれて、という心境だ。

 ここまで来てもまだエマヌエルは見つからない。

 この下まで降りたんだろうか。そもそも、本当に彼は裏のスタッフを捜しに行ったのだろうか。

 限りなく自信がなくなって来たが、とにかく地下五階まで行ってみるしかない。そこまで行って、もし彼が見つからなかったら、一度地上へ戻ろう。

 ディルクの傍を離れないようにと言ったところからすると、地上へ戻る気はあるようだったから、多分帰って来るだろう。

 ここに研究員が潜んでいる確率も低そうだし――そう思った次の瞬間だった。

 下から突き上げるような、先刻とは比較にならない揺れが建物を襲った。

「なっ……!?」

 地下五階から地上まで穿たれた穴へ駆け寄る。

 途端、吹き付けた爆風に、思わず目を(すが)めた。底に穿たれた穴から、爆風は上昇気流となって吹き上げて来る。

 何があったのか、ここからでは解らない。けれど、今度こそ確実に何かがあった。

 そこにエマヌエルがいる確証はなかった。が、ヴァルカは迷わず、穴の(へり)を蹴って地下五階へ身を踊らせた。


***


「こ……れは」

 一体何が起きているのか、プリルヴィッツには理解できなかった。

 ベッドへ俯せに拘束された少年の身体から何かが放たれ、気付いた時には彼を取り押さえていたゴーレムと仲間の男三人が弾け飛んでいた。その状態は四者四様で、ゴーレムは身体を裂かれて倒れ、少年の左腕を押さえていた男は両腕を切断されて悲鳴を上げている。少年の足を押さえていた男達は、消滅したらしく、跡形もなく姿が消えていた。

 少年に触れていなかった残り二人の仲間は、それぞれ爆風で跳ね飛ばされたらしい。一人は男で、床に臀部(でんぶ)を付けて目を見開いている。もう一人は女性。壁にでも叩き付けられたのか、男のすぐ傍に倒れて気を失っているようだった。

 エネルギーの影響か、少年自身が着ていた服も無惨に破け、裂け目から白い肌が露出している。纏められていた極上の黒真珠を思わせる髪は(ほど)けて、彼の身体を中心に吹き荒れる風に煽られ、どこか(なま)めかしく揺れていた。

 露出した肌には裂傷が出来、血が吹き出している。

 しかし、少年は痛みも感じていないらしい。緩慢な動作ではあるが、彼は上体を起こし、ベッドの上で(ひざまづ)く格好になる。

 感情が()げ落ち、ガラス玉のようになった深い青色の瞳は、ヒタとプリルヴィッツを見据えている。

 少年を中心に吹き荒れる風に足を取られそうになりながら、プリルヴィッツも少年を見つめ返した。

「私の声が……聞こえるかしら」

 プリルヴィッツは、掌を上に向けて少年に差し出しながら、ソロリと彼に近付いた。道で出会った野良犬にするような仕草だ。

 マグネタインから抽出した洗脳薬を注射したゴーレム達は、こうすれば皆自分に(こうべ)を垂れた。だが、ゴーレムは死体がベースだ。洗脳薬をヒューマノティック、つまり生きた人間をベースにした実験体に投与したデータはまだ取っていない。目の前にいる少年――AA(ダブル・エー)8164が最初だ。

 少年は、プリルヴィッツに冷ややかな視線を投げると、優雅とも思える動きで右腕を水平に伸ばした。彼自身の身体に対して、直線上に伸ばされた腕に、弾けるように青白い閃光が踊る。

「ヒッ……!」

 綺麗に伸ばされた細い指の先には、ほぼ無傷で生き残った男がいた。

 男自身も、自分が標的になったと気付いているのだろう。臀部で後ずさろうとするが、中々上手くいかない。その間にも、少年の掌に生まれた、美しくも恐ろしい青白い閃光弾は、その大きさを増していく。

 何の準備動作もなく、その閃光弾は少年の掌から疾駆した。放たれたフォトン・シェルは、マグネタインの壁で幾分威力が()がれたものの、男をこの世から消し飛ばすのには充分だった。傍に倒れていた女も恐らく無事では済むまい。

 新たな爆風が室内を吹き荒れる。爆煙に遮られて見えないが、二人とも既に肉体は残っていないだろう。

「ま、さか……!」

 『暴走』の文字が、プリルヴィッツの脳裏に(ひらめ)く。

 フォトン・シェルは、人体に流れる微弱な電流を集め増幅し、破壊力を持たせて体外に撃ち出せるようにした、銃要らずの飛び道具だ。

 そして、マグネタインは本来、そのエネルギーを阻害する道具として着目した鉱物。そのマグネタイン製の壁に囲まれた上で、同じマグネタインから抽出した液体を、『生体』スィンセティックであるヒューマノティックに注入したらどうなるかは未知数だった。

 少年は、今や手足に移植されたナノサイズの射出口からだけでなく、全身に青白いスパークを纏っている。その余波で、室内には風が暴れ狂っている。

 本来出るべきでない場所からもエネルギーが出ている所為か、少年の身体は傷つき、血塗れだった。

 それでも顔色一つ変えない少年は、ゆったりとした動きでプリルヴィッツに向かってベッドの上で膝を摺った。プリルヴィッツは、反射的に一歩下がる。

 想像でしかないが、少年の体内では一種の相殺(そうさい)作用が起きているのだろう。今の彼は、阻害物質に囲まれた状態で、本来阻害物質であった筈のものから抽出した液体を体内に取り込んだ状態だ。その為、フォトン・エネルギーを阻害するもの同士がせめぎ合い、一時的にだがその阻害効力を失ったのかも知れない。

 能力の暴走は、詳しく調べてみないことには説明がつかないが。

「は、やく……」

 残ったゴーレムに命令を下す。

「早く、その少年を取り押さえなさい!」

 彼を調べたい。徹底的に謎を究明したい。

 こんな状態なのに尚プリルヴィッツの頭にあるのは、『知的好奇心』を満たしたいというそのことだけだった。

 けれど、彼女の命令に忠実に従ったゴーレム達は、少年に触れることも叶わなかった。エネルギーの余波だけで、ある者は斬り裂かれ、ある者は粉微塵になって消滅した。

 プリルヴィッツはまた一歩下がるが、そこはもう壁だ。逃げ場はない。視線を巡らせると、扉までは目算五十センチ前後。

 少年の方へ視線を戻すと、もう一度平和的な交渉を試みる。

「ね……落ち着いてちょうだい。何も、私は貴方を取って食おうとした訳じゃないんだから」

「随分、勝手な言い(ぐさ)ね」

 開いたままの出入り口から声が飛んで来たのは、その時だ。

「あんた、彼に……エマに何をしたの?」

 プリルヴィッツに確認できたのは、風に揺れる紅い髪の毛だけだった。


***


 ブロンドの髪をひっつめにした女性が、楕円形の眼鏡の奥から怯えた目線でヴァルカを見た。

 地下三階の床に開いた穴の縁から飛び降り、四階の床へ掴まって一度勢いを殺すという手順を経たヴァルカが地下五階へ辿り着いたのは、地震とも思える揺れが発生してから十数秒後だった。

 爆心を特定するのに更に十秒も必要なかった。

 穴の中心から左右を確認すれば、吹き荒れる風に弾き飛ばされたような扉を左手に見つけるのは簡単だったからだ。

 迷わずそちらへ足を向けて、扉の中を確認したヴァルカは目を剥いた。

 大抵の修羅場は(くぐ)って来たヴァルカだが、こんな光景は初めて見た。

 竜巻のような風の中心にいるのは、見知った少年だった。全身に青白いスパークを纏い、その為か服は裂け、露出した肌は血塗れだった。

 別れた時には纏まっていた筈の黒髪は(ほど)け、風に遊ぶように揺らめいている。

 表情という表情が殺げ落ちたような顔は、類稀(たぐいまれ)な美貌と相俟(あいま)って、この世のものと思えないほど恐ろしく冷酷に見えた。

 青の瞳が視線を向ける先にいた女に、ヴァルカは鋭く声を投げる。

「もう一度訊くわ。あんた、エマに何をしたの!?」

 吹き荒れる風に負けじと声を出すと、自然張り上げる格好になる。女も同じように叫んだ。

「何もしてないわよ! ただ……マグネタインから抽出した洗脳薬を投与しただけ!」

 『何もしてない』が聞いて呆れる。

 怪しげな薬を投与されただけでこんなことになるものか。

 しかし、女の愚行を責めたところで始まらない。

「元に戻す方法はあるんでしょうね!?」

「知らないわよ! こんなことになるなんて……」

 途端、こちらを伺っていたらしいエマヌエルが、足場のベッドを蹴った。

 全身にスパークを纏った彼がそうすると、フォトン・エネルギーに増幅された脚力が、いとも簡単にベッドを粉砕する。

 ヴァルカは咄嗟に床を蹴って、横っ飛びにその場から後退した。女を助ける必然性は微塵も感じなかった。

 コンマ一秒で、女が張り付いていた壁が粉々に吹き飛ぶ。多分、女も巻き添えを食らって既にこの世にいないだろう。

 穴の方へ着地したヴァルカは、壁を破って廊下へ飛び出して来たエマヌエルと対峙した。

「エマ……?」

 呼び掛けても答えはない。

 青白い閃光を纏ったエマヌエルは、まるで知らない人間を見るような瞳でヴァルカを見た。

 それが、死の間際のサイラスと重なる。

(……どうして、こうなるのよ)

 もう、こんなのは御免だ。だからこそ、彼を捜しに降りて来た筈だったのに。

「エマ……あたしよ。分からないの?」

 縋るように話し掛けても返答はない。

 サイラスとは、それでも時折会話が成り立っていたことを考えると、彼の時とは明らかに何かが違う。

 もしかしたら、エマヌエル自身の意識は、そこにないのかも知れない。サイラスも、彼自身ではなかったが、それでも操られた状態の意思が、必要なリアクションをしていた。

 ならば、今この時、エマヌエルの身体を動かしているのは一体何なのか。

 しかし、あれこれ考えている暇はなかった。

 エマヌエルのスパークを纏った足が、床を蹴る。その足下が陥没するのを確認する間も惜しく、ヴァルカも再び地を蹴った。

(――迅い!)

 目を見開く。エマヌエルの身体能力が普段の比ではない。そう理解した時には遅かった。

 彼が普段の状態なら、恐らく避け切れた筈の攻撃は、その倍以上の速度を以てヴァルカに迫る。振りかぶったエマヌエルの拳が、一瞬前までヴァルカの立っていた場所へ突き立てられた。

 スパークを纏った攻撃でそこも陥没し、爆発のような衝撃が起きる。

「きゃああああ!!」

 爆風に煽られたヴァルカの身体は吹き飛ばされて地下五階の天井に叩き付けられ、バウンドして床を転がった。受け身を取る暇もない。まともに衝撃を吸収した身体は、一拍遅れて鈍い痛みを全身に伝えていく。

「ッ、う……」

 投げ出された腕を引き寄せて、どうにか頭を上げる。霞んだ視界の向こうで、エマヌエルが顔を上げたのが見えた。

 ギシギシと軋むような身体を無理矢理動かして立ち上がる。一撃でヴァルカの身体はボロボロになっていた。既に息が上がっている。後どれ程持つだろうか。()して長くはないだろう。

 遅ればせながら、ヴァルカは脇下に吊っていたホルスターから銃を抜く。エマヌエルの敵意を刺激するまいと思ったのだが、どうやらそんな余裕はない。下手に手加減を考えれば、あっという間に自分の方があの世往きだ。

 だからと言って、彼を殺すつもりもない。立て続けに二人も大事な相手を自分の手に掛けるなんて、真っ平だ。

(でも、どうしたらいい)

 その時、エマヌエルが再び床を蹴った。ヴァルカは素早く踵を返して、全速力で走り出す。

 急所に銃弾を撃ち込めば、隙は出来るかも知れない。けれど、一歩間違えれば彼が死ぬことになる。だが、彼はどうやら痛みを感じていない。急所以外の場所に攻撃を加えても意味はないかも知れない。

 チラリと背後に視線を投げると、ヴァルカを追って走っていたエマヌエルが一気に間合いを詰めに来た。彼が蹴った床が、また陥没する。

 エマヌエルが中空で右手を振りかぶった瞬間、ヴァルカは急停止し、彼の方へ向かって突進した。彼の足下を走り抜けて、その背後へ回り込む。

 拳銃をクルリと手の中で回して銃身を握ると、彼の後頭部を狙って銃床を思い切り叩き付けた。

「あっ!?」

 瞬間、彼の後頭部へ振り下ろした前腕部に幾つもの亀裂が走り、血が吹き出す。同時に、まともに後頭部への打撃を受けたエマヌエルは前方へ投げ出され、地面へ倒れ伏した。

 彼が(まと)うフォトン・エネルギーの余波をモロに浴びた左腕は、この場ではもう殆ど使いものにならないだろう。

 肩で息をしながら、用心深く足音を忍ばせるように彼に近付く。これで何とか気絶でもしていてくれればいいのだが。しかし、まだ彼は暴風のようなエネルギー波を纏っている。

 銃を持ち替えた右手で顔を庇いながら、彼の傍らに膝を付く。直後、こちらに横顔を見せていた彼の目が見開かれた。

 反射で身を引こうとするが、間に合わない。跳ね起きたエマヌエルの右手が胸倉に伸び、そのまま容赦なくヴァルカの身体を床へ押し倒した。

「あぁっ!!」

 背中から床へ叩き付けられる。殆ど首を絞め上げられるような息苦しさの中で目を上げると、胸倉を掴んでいる彼の前腕部に青白い閃光が(ほとばし)った。そのまま策を講じなければ、ヴァルカの身体は木っ端微塵になっただろう。

 咄嗟に、エマヌエルの鳩尾(みぞおち)目掛けて蹴り上げる。ノックダウンには至らなかったが、締め付けていた腕の力が僅かに緩んだ。その隙を逃さずエマヌエルの腕をもぎ離して、逆に彼の身体を床へ押し倒す。

 身体を思う様叩き付けられたというのに、彼は悲鳴の一つも上げない。まるで痛覚が麻痺しているようだ。

「もうやめてっ……!!」

 血を吐くように絞り出した声は、みっともなく掠れていた。

 エマヌエルの放つエネルギーで、その彼に今密着しているヴァルカの身体もあちこちに裂傷が出来始めている。それでも、不思議と痛みを感じなかった。

 ただ、彼を止めたい。殺さずに、止めなければと思う。

『身体だけが殺人マシンとして人を殺してるなら、誰かに止めて欲しいと思う。止める方法が二度目の死しかないなら、そうして欲しい』

 不意に、つい昨日の彼の言葉が脳裏に響いて、ヴァルカは更に顔を歪めた。

 それは、彼がサイラスの立場なら、という仮定の話だった筈だ。つまり、エマヌエル自身がその立場に立ったら殺してくれという意味だったのか、今は判らない。けれど、どうして今、その瀬戸際にいなければならないのだろう。

「嫌よ! あたしにあんたを殺させないでッ……!!」

 鼻の奥が詰まるように痛んで、視界が歪む。泣いている場合じゃないのに、溢れる涙を止められない。昨日から、涙腺が壊れてしまったかのようだ。

「お願いだから、返事をしてよ!!」

 掴んだ彼の胸倉を揺すってその場に突っ伏す。引き金に掛けた指をそのままに、ヴァルカは半ば覚悟を決めた。

 このまま、彼の放つフォトン・シェルで消し飛ばされても本望だ。しかし、もしその後、彼が正気に戻ってヴァルカをその手で殺したと知ったらどうなるだろう。

 自分が彼の立場なら、今度こそおかしくなる。でも、エマヌエルの方は、ヴァルカを殺したからといって傷つくだろうか。

 エマヌエルが自分をどう思っているのか、ヴァルカには判らない。

 自惚れでもいい。彼を残して逝けない。もし、このまま彼がフォトン・シェルを発動させるなら、その刹那を見誤るような間抜けな真似だけは絶対にしない。

 その瞬間、(たが)うことなく引き金を引いてやる。

 突っ伏していた身体を起こして、彼の眉間に銃口を向けようとした。いくら痛みを感じなくても、脳を撃ち抜かれれば死ぬ。

 だが、ヴァルカの指は引き金を引くどころか、銃口をエマヌエルに向けることすらなかった。

 エマヌエルが、瞠目してヴァルカを見ていたからだ。

「……ヴァル、カ?」

 その唇が、呆然と自分の名を紡ぐ。

 深い青の瞳には、人間らしい表情が戻っていた。


***


 意識が朦朧としていた。

 視界がただ白くて、自分が何をしているのかも解らない。

 ここは、マグネタインで出来た地下五階の筈ではなかったか。どうして、自分はいとも容易(たやす)く能力を行使出来ているんだろう。

 何故かは解らないが、体内に許容出来る以上の力が溢れ返っていて、身体が爆発しそうだった。

 実際に、何かが身体を突き破って外へ溢れ出ているのは解る。周囲でものが崩れる音と、悲鳴が聞こえる。白い視界に、血の赤が飛び散る。けれど、その全てがどこか遠い場所――自分とは関わりないところで起きているような気がした。

 自分が何をしているのか、何かしているのかさえももう判らない。ふと気付くと、エマヌエルは白い空間でただ佇んでいた。

「――――」

 どのくらいの間そうしていたのだろう。

 不意に、何かが聞こえた気がして、エマヌエルはぼんやりと視線を巡らせる。

(……何だ……?)

 霧の向こうに、何かが見える。赤い、何かだ。

 けれども、血ではない。

 エマヌエルは目を()らした。その時、頬にパタリと落ちてきたものがある。

 無意識に頬に手をやって、拭った手を目の前に翳す。透明な液体だった。けれど、それが何なのか判らない。

「…………?」

 目を上げると、ようやく視界が晴れて来た。真っ先に目に飛び込んで来たのは、ヴァルカの泣き顔。

 だから、自分はまだ夢の中にいるのだと思った。意識がなくなる直前、ふと思い浮かべたその顔が目の前にあるのはおかしい。多分、ここは現実じゃないんだろう。

 けれど、その彼女は、エマヌエルの胸倉を思い切り締め上げながら叫んだ。

「嫌よ! あたしにあんたを殺させないでッ……!!」

 殺させる? 殺させるって、何の話だ?

 そう問おうとしたが、上手く声が出ない。

「お願いだから、返事をしてよ!!」

 戸惑うエマヌエルの胸倉を揺すって、ヴァルカは胸元に突っ伏した。

 もう何が何だか判らない。何故、彼女は自分に馬乗りになって訳の判らない懇願を繰り返しているのか。

 事態を把握しない内に、彼女は涙に濡れた頬を拭きもせず、決然と顔を上げた。右腕がピクリと震えたように見えたが、彼女はそれ以上腕を動かさなかった。

 ただ、唖然としてエマヌエルの目を見ている。

「……ヴァル、カ?」

 ようやく出た声は、思ったより掠れていた。彼女の耳に、それが届いたかどうかも判らない。

 だが、ヴァルカは涙を一杯に溜めた目をしばたかせて食い入るようにこちらを見つめる。

「エマ……?」

「ん」

「……あたしが……分かるの……?」

「ああ……」

 何故そんなことを問われるのか、さっぱり解らない。しかし、分かるかと問われれば答えは『イエス』だ。

 ヴァルカは何か言おうと唇を動かした。けれど、その口から言葉が出ることはなく、代わりのように涙がボロボロと溢れ出す。

「……何で、泣いてんだよ」

 ぼんやりと問うと、ヴァルカは気まずげに目だけを反らして口元を押さえた。それでも、嗚咽が時々しゃっくりのように漏れて、彼女の身体を震わせている。

「……あのさ」

「な、によっ」

 嗚咽の合間に答える彼女の声は、どこか尖っていた。

 泣いているのを見られているのが恥ずかしいのか、それとも別の理由があるのかは判らない。ただ、彼女の機嫌が下り坂気味であるのは判った。

 そんな時に今から問おうとしていることを口に乗せたら何が起きるか、考えるだに恐ろしい。恐ろしいが、今のエマヌエルには、前後の記憶がなかった。状況を把握しようと思ったら、分かる人間に訊くしかないのは自明だ。

 エマヌエルは、腹を括った。どうせ、この体勢からして不利なのだ。この先何がどう転んでも、これ以上不利になりようがない。

「……何があったか、訊いてもいいか」

 腹を括った割には瞬時躊躇ったが、それには気付かない振りをする。

 直後、ギッという擬音が聞こえそうな勢いで涙目のままこちらを睨み据えたヴァルカの答えは、それはそれは盛大な音量での、「バカ!!」――だった。


***


 研究所と同様に、人がいなくなった一般病棟。

 どの病室にも、今は月明かりだけが差し込み、室内を青く照らしている。

 その中の一室のベッドを無断拝借して横になっていたエマヌエルは、身体を硬直させて眉を顰めていた。いよいよ麻酔が切れたようで、全身がひどく痛む。

「ッ、(いて)……ッ」

 耐え兼ねて身体を起こしても痛みは柔らがない。

 あちこち切り傷とほぼ全身打撲で、寝ていても起きていてもその痛みに大差はなかった。

 特に痛むのは切り傷だ。今は裂け目は縫い合わされて、全身に包帯が巻かれている状態だが、それだからと言って痛みがなくなる訳ではない。その痛みと言ったら例えられるものがなかった。とにかく痛い。身の置きどころがないというのは(まさ)しくこのことだ。体中に裂傷が出来ているから痛みの発信源が特定できない。

 研究所と同じように崩壊した一般病棟から、どうにか手術の為の薬剤と機材を捜し当てて手当てしてくれた医師達は、

「痛み止めは今のところ見当たらない。麻酔が切れたら覚悟しておくように」

 という恐ろしい台詞をサラリと言い残して、取り敢えず地下へ戻って行った。エマヌエルが、もう少し安全な隠れ場所として提言した、地下五階のスィンセティック研究施設へ。

 あそこなら、今はマグネタインの磁場が結界と化していて、大抵のスィンセティックはそこへは踏み入れない。踏み入ったとしてもフォトン関連の能力は封じられる。特に五階では身動きもままならないのは、エマヌエル自身が身を以て体感していた。

 もっとも、地下五階を勧めた細かい理由を話す訳にはいかなかった。エマヌエル達が今回の騒動を起こしたフィアスティックと同じスィンセティックだと知れれば、応急措置に等しいこんな治療でも、手を貸しては貰えなかっただろう。

 人は、自分と違うものを受け入れられない。

 彼らにとっては恐らく、フィアスティックもエマヌエル達のような自我のあるヒューマノティックも、同じ『スィンセティック』で一括りにされるのだろうから。


 治療してくれたのは、地下水道避難所にいた医師達だ。

 あの後――ヴァルカから盛大に「バカ」呼ばわりされた後、エマヌエルとヴァルカが駆け込んだのは、例の地下水道避難所だった。

 エマヌエルのみならず、ヴァルカも全身のあちこちに切り傷と打撲を負っていた。彼女は特に、左前腕部の裂傷が(ひど)い。聞いたところによると、フォトン・エネルギーをフルに暴走させたエマヌエルと正面から取っ組み合ったらしい。

 ゴンサレス研究所は、そもそもは『拒絶反応のない人工臓器開発』研究所である。その為、研究所スタッフは、当たり前の資格として医師免許を持っている者ばかりだ。

 ウィルヘルムがいない今、二人が頼れるのはそこだけだったのだ。

 しかし、血塗れで駆け込んで来た二人をギョッと見つめた一同は、最初、二人の手当てをするのをひどく渋っていた。

 勿論、二人がスィンセティックと知れたからではない。

 手当てしようと思ったら、まず地上の研究施設へ行って、手当てに必要な薬剤や道具を確認しなければならない。つまり、この隠れ場所から外へ出ることになる。

 折角隠れているのに外へ出ては、また訳の判らない化け物集団に襲われるのではと怯えるのは当然のことだ。

 今はもうこの近辺にはスィンセティックはいない筈だから、と訴えても中々動いてくれなかった。

 最終的に手術して貰えることになったのは、ヴァルカがおもむろに銃を構えてニッコリ笑ってこう言ったのが決め手だった。

『外に出て殺されるかも知れないのと、今この場で確実に息の根止められるの、どっちがいいかしら?』

 立派な恫喝だ。

 そう思ったが、エマヌエルの方が彼女より重傷を負っていたし、何より彼女に命懸けで止めて貰った手前、口を出すことは出来なかった。


「自業自得ね」

 溜息混じりの声が聞こえて、そちらに視線を向ける。

 いつ来たのか、病室の戸口にヴァルカが立っていた。やや細められた紅の双眸(そうぼう)には、呆れと冷ややかな怒りが見て取れる。

 全身の痛みと格闘する独り言を聞かれていたらしい。

「……何でそうなるんだよ」

 エマヌエルはむっつりと口をへの字に曲げてヴァルカを半ば睨み返す。

 いくら彼女が暴走したエマヌエルを止めてくれたからといっても、言っていいことと悪いことがある。何を以て、自業自得などと揶揄(やゆ)されねばならないのか。

「あら、だってそうでしょ?」

 言いながらヴァルカは、ツカツカとベッドへ歩み寄ってくる。何故か、足音までが怖いような気がして、エマヌエルはベッドの上で気持ち後ずさった。

 そんな内心など知る由もなく、ヴァルカはベッドの端に腰を下ろして、エマヌエルに詰め寄るように顔をズイと近付けた。

「あたしには全く影響ないけど、今地下の五階ってマグネタインの結界状態だってあんた言ってたわよね?」

「……ああ」

「ってコトは、迂闊に足踏み入れたら、まともに動くコトも出来ないって解ってた訳でしょう?」

「……だから、何だよ」

「だから、自業自得だって言ったの。まともに動けないところでスタッフと遭遇して、逆に間抜けにもマグネタインの抽出液? なんかまんまと注入されちゃって、挙げ句暴走してれば世話ないわ」

 ぐうの根も出ない。要約するとその通りの目に遭ったのだから。しかし、である。

「……他に方法がなかったんだから、仕方ねぇだろ」

 どこかばつの悪い思いで、それでも反論を試みる。

 エマヌエルの中では、命と報復は天秤に掛けられるものではない。命あってこそ報復は実行できると言われればそれまでだが、命を惜しむ余り報復を諦めるくらいならいっそ心中でもした方がマシだ。

「何の為に手を組んだのよ。こういう時こそあたしを利用すればいいでしょ。あたしならマグネタインなんて関係ない。あんたも自分で()りたいって言うなら、六人くらいなら纏めて引きずって地上まで連れて来られたわよ」

 畳み掛けるヴァルカに、エマヌエルは反射で怒りを覚えた。

「あんた、自分の状態棚上げして何言ってやがるんだ?」

 彼女に対して腹を立てるなど、筋違いだと解っている。

 けれど、言わずにはおれなかった。

「あんたの精神状態がまともなら利用もしたさ。でも、そうじゃなかっただろ。そういう状態の人間連れ歩くってどういうコトか、解ってんのか? 足手纏いってんだよ、そーゆーの」

 これ以上は八つ当たりだ。それも解っていたが、止められない。

「足手纏い宛にして共倒れしてりゃ、それこそ世話ねぇよ」

 その時、彼女の顔が一瞬強張るのが解った。痛いところを突いたのは間違いないらしい。

 取り繕うこともチラと考えたが、()めた。そもそも、『お手て繋いで仲良く仕返し』が目的で手を組んだ訳でもない。これで切れるなら、それまでだ。

 そう思って、ふと伏せた視線の先に、包帯が巻かれた彼女の左腕が映る。

 後頭部を狙って攻撃した際に、無制御のフォトン・エネルギー波で裂けたと彼女が言っていたのを思い出して、またばつが悪くなる。

(……解ってる)

 本当は、全部彼女の言う通りだ。あそこに隠れていた研究者達は、恐らく後二、三日放置しても、あそこを動かなかっただろう。ヴァルカが落ち着くのを待って協力を求めるべきだったかも知れない。

 けれど、そもそも助けがあって当然、という前提が間違っているのだ。このところ、いつも彼女が助けてくれていた。彼女でなくても、いつも死にそうになると誰かが助けてくれた。それが当たり前になって、いつの間にか気が緩んでいたのは紛れもない事実だ。

「……悪い。言い過ぎた」

 気付けば謝罪の言葉が口を突いていた。顔を強張らせていた彼女が、微かに目を見開く。

「身体張って止めて貰っといて言うコトじゃなかったよな。ごめん」

「そんな、」

「俺のポカでああなったんだ。本当なら殺されたって文句言えねぇのに」

 自虐的な独白に、彼女が息を詰めた。

 彼女がどう思って、エマヌエルを殺そうとしなかったのかは判らない。自惚れた上で、単純に考えれば、殺したくなかったのだろう。その理由は、やはり判らないけれど。

 それでも、自分の息の根を止めてくれる相手が彼女なら本望だったと思う。自分の手で報復を遂げられなくなるのは些か心残りだが、ヴァルカなら残党も片付けてくれるだろう。

(結局死んだ後のコトまで頼ってるな、これじゃ)

 覚えず自嘲の笑みが漏れる。

 パシン、と乾いた音がしたのはその時だった。ふと気付けば視線の先に見えるものが変わっている。一拍遅れて頬が熱くなる感触に、そこを(はた)かれたのだと理解した。選りによって、裂傷を負っていた上から叩かれたものだから、痛みに軽く追い打ちが掛かる。

「……何……」

「……で、そんなコト言うのよ」

 自然、叩かれた頬に手をやりながら、いつの間にか立ち上がっていたヴァルカの顔を見上げる。その表情は泣き出す寸前のそれだった。

「どれだけあたしに大事な人間を殺させれば気が済むの?」

「ヴァル」

「いい加減にしてよ。ラスを手に掛けただけでもう沢山だったのに、何勝手なコト言ってんのよ、ふざけないで」

 別にふざけてなんかいない。真面目に言ってるんだ。

 そう思ったが、口には出せなかった。

 ヴァルカの瞳に盛り上がっていた液体が、そこから溢れてボロリとこぼれる。

「やられる(ほう)はそりゃいいわよね。何も解らない内に逝くんだろうから。でも、手を下さなきゃいけない人間の気持ちはどうなるのよ」

 喉から絞り出すような声は、途轍もなく低くて震えていた。

「あんた言ったわよね。あたし達は機械じゃない、感情があるんだって。それって上辺だけの言葉だったの?」

「…………」

「それとも何? あたしにだけは感情がないとか思ってた訳?」

「そんなコト、」

「簡単に殺せとか言わないでよ、冗談じゃないわ。どれだけ怖かったか知らないクセに!」

(怖い?)

 エマヌエルは眉根を寄せた。一体、何が怖かったのだろう。

 スィンセティックであることを差し引いても、ヴァルカは強い女性だ。昨夜、あまりにも意外な姿を見せたので、多少認識が変わった感があるが、そうそう彼女が『怖い』と感じるものがこの世にあるとは思えない。

 自分が容赦なく攻撃を仕掛けたのが、もしかしたら怖かったのだろうか。けれど、彼女なら殺す気で掛かれば勝てないこともなかったろうに。

「まだ殺せば良かったとか思ってるの?」

 すると、まるで見透かされたようなタイミングで、低くなった声が降る。

「や、だって……そうだろ。俺なんか、あんたにとってはたまたま見つけたフォトン・シェルを使える、報復の為の『道具』だった筈じゃねぇのか」

「あんたにとってもそうなの?」

「はぁ?」

「あんたにとっても、あたしは情報の為の『道具』? 今も、そう思ってるの?」

 咄嗟に、言葉が出なかった。何と答えたらいいか判らない。

 確かに初め、そう言って近付いて来たのは彼女の方だった。

『あたしはフォトン・シェルなんて便利なモノ、体内に持ってないの。貸してくれると助かるのよね。その代わり、あたしはあんたに情報をあげる。CUIO経由の情報よ。悪くない相談でしょ?』

 そんな出会いが、もう随分遠い日の出来事のように思える。もしあの日に、今日と同じように自覚のないまま力を暴走させたとして、彼女になら殺されてもいいと思えたかどうかを考えたら、『ノー』だろう。

 けれど、今は違う。

「少なくとも……『道具』と思ってる相手に殺されても本望だとは思えねぇけど……」

 口に出してみて、語尾が自然に尻窄(しりすぼ)む。

「じゃあ想像してみなさいよ。あんた、もしあたしが前後不覚に暴走して止めなきゃいけなくなったら、あたしを殺せるの?」

「……多分、無理」

 それは、考えるまでもなく答えが出た。

 恐らく、どうしてもどちらかが死ぬしかなくなったら、自分が死ぬ方を選ぶだろう。若しくは心中だ。残された方の気持ちを思えば、寧ろ心中が最良の道かも知れない。

 しかし。

「心中、となっても、自分で手ぇ下さなきゃいけないのは、やっぱキツいな……」

「理解できたら、何か言うコトは?」

「……すいませんでした。俺が悪かったです」

 思わず敬語になって、素直に頭を下げるしかなかった。

 暫し沈黙が続いた後、軽くベッドが軋む。顔を上げると、ベッドの端にヴァルカが腰掛けて涙を拭っていた。

「……あたしも、ごめん」

「え?」

「肝心な時に役に立たないんじゃ、道具以下よね」

「だからそんなコト、」

「解ってる。エマがそう思ってないコトは。でも、あたしが許せないのよ」

 こちらに視線を向けていない横顔は、ひどく辛そうで儚げに見えた。

「……過ぎたコトなんだからもうグダグダ言うなよ。お陰様で結果的には生きてるんだしさ。あんたも俺も」

 お世辞にも無事にとは言い難いが。それに、エマヌエルの負った傷の八割は彼女の責任ではない。正しく、『自業自得』だ。

 それでも尚、何か言いたげに口を開き掛けるヴァルカを制するように、エマヌエルは先に言った。

「それに自己嫌悪も大概にしとかないと、次も肝心な時に動けないぜ」

 相変わらず彼女は横を向いたままだったが、その横顔の中で瞳が微かに見開かれるのが判る。ややあって、再び目を伏せた彼女は、「そうね」と呟いた。

 納得したのかどうかは解らない。けれど、後は彼女自身の問題だ。こういうことは他人が外からとやかく言ったところで、本人が自分でケリを付けないことにはどうにもならない。

(そこまで面倒見てやる義理もねぇしな)

 脳裏で一人ごちた直後、ヴァルカがこちらを向いて口を開いた。

「ところで、この後はどうするつもり?」

 その顔は、初めて会った時と同じ無表情で、もう何を考えているかこちらからでは読めない。まだ多少心配ではあったが、エマヌエルは敢えて踏み込まず、話題の転換に乗ることにした。

「そうだな……ここの裏スタッフは全員死んだのか、確認するところからだな」

 この痛みが取れねぇことにはすぐには動けないけど。

 そう付け足して、ヴァルカを伺う。

「何?」

「あ、いや。あんたはこの三ヶ月、ここで何してたんだ?」

「初恋の名残に寄り添ってただけよ。悪かったわね」

 要するに動いてない訳だな、などと言えば話が蒸し返りそうだったので、エマヌエルは確認を取るだけに止めた。

「じゃあ、裏の連中が全員死んだかどうかまでは判らない訳か」

「そう言えば、リストは? 持ってるんでしょ?」

「う」

 ギクリと固まったエマヌエルを見て、ヴァルカが眉根を寄せる。

「……ドクターから受け取ってないの?」

「や、受け取るには受け取ったんだけど……」

 小型パソコンを受け取ってチェックを済ませ、レムエへ行った際にウィルヘルムに頼んでバックアップ用のUSBメモリも貰い受けて保存しておいた。

 両方ともウェストポーチの中にしまって持ち歩いていたのだが――

「多分、今日の暴走騒ぎで全部吹っ飛んだと思う……」

 何せ、フォトン・エネルギー波を撒き散らす自分の身体に触れただけの床を陥没させ、人間を裂き、ヴァルカの左腕を見るも無惨に傷つけたこの威力だ。ただの機械や記録媒体が無事で済んだとは思えない。

「あんた、俺とやり合った時、何か気付かなかったか? 俺のウェストにポーチが引っかかってたとか」

「そんな余裕なかったわよ! あったとしても、あんたの身体に密着してたとしたら……」

 そんなデータなんてとっくに破損済みね、という台詞は聞かなくても分かった。

「連中の人相とか名前は覚えてるんでしょうね」

「それは大丈夫だ。まだ生きてる奴は全部記憶してる。ただ、俺は暫く動けそうにないし……」

 当分、事は進展しそうにない、というところだ。

「まあ痛みが取れたらすぐに動くよ。放っとけば傷がくっつくのは時間の問題だしな」

 スィンセティックの自己治癒力は、常人のそれよりも遙かに高い。その上、エマヌエルやヴァルカの場合、大抵の菌やウィルスに対して耐性がある『全ウィルス・細菌免疫体質』だ。感染症の心配もなく、表面上の傷さえ縫い合わせて貰えば、後は自力で治せる。

 ただ、痛みだけはどうしようもない。ヒラヒラと手を振ろうとして、走る痛みにエマヌエルは顔を(しか)める羽目になった。

「明日になったら、下にいるドクター達に頼んで、痛み止めでも探して貰うわ」

 それを見たヴァルカが、気の毒そうな視線を向ける。そういう彼女も、彼女自身の負った傷の痛みを感じていない筈はないのだが、言っても痛みが消える訳ではないと解っているから言わないだけだろう。

(……まあ、コイツの場合、負ったのは身体の傷だけじゃねぇけど)

 彼女が初恋の男性を殺すことになった原因は自分にもあるので、エマヌエルはやや責任を感じている。昨夜、言えることは全て言ったと思うけれど、これ以上はどうにもならないし、してやれない。

 自己嫌悪しても、下手をすると自己陶酔にすり替わり兼ねない。それは、ある意味一番楽な懺悔の方法だ。

 堂々巡りに陥り掛ける思考をシャットアウトして、エマヌエルは膝を立てる。その上に肘を突いて、窓の外を見た。

「……眠らないの?」

 静かに問われて、もう一度ヴァルカの方に視線を向ける。深紅の瞳が、声と同じくらいの静けさで自分を見ていた。

 こんな彼女を見ていると、さっきまでエマヌエルを()(ぱた)くほど感情を高ぶらせていた女性と同一人物だと思えなくなってくる。

「眠れねぇよ。こんな状態じゃ」

 まるで痛みの中に漬け込まれているようだ。脈動に合わせてどこもかしこもズキズキと悲鳴を上げている。

 夜明けまではまだ遠い。やるべきことは山積していたけれど、この痛みがどうにかならないことには始まらない。

 ヴァルカも、それ以上何も言わなかった。

 言葉を交わすことはないまま、二人は窓の外を眺めながら夜を明かした。


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