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 しくじった。

 そう思ったのは、これで何度目だったか。

 しかし、今この時ほど心の底から『しまった』と思ったことはないような気がする。

 せめて、ヴァルカが気をしっかりと持ってくれている状態なら、エマヌエルとてそもそも彼女を地上へ帰したりはしていないのだが。

 けれども、そんな彼女でもいないよりはマシだったかも知れない。

 彼女に知れたらまず自分に銃弾が飛んで来そうなことを考えたのは、襟首を掴んだ男に前を歩かせながら、十五分もした頃だろうか。

 引き立てるようにして前を歩かせている男・ベナークは、地上へ出ることなく地下道をそのまま進み、更に下へ降りていく。

 考えてみれば当然だ。彼らだって、恐らく地下に潜んでいたのだろうから。加えて、自分が口走ったことを冷静に咀嚼すれば、『ある可能性』にもっと早く気が付くべきだったのだ。

 明確に言葉にするのもはばかられる、嫌な予感。

 身体の内側からジリジリと灼けるようにせり上がる焦燥感は、ある地点で早くも飽和状態になった。

 嫌な――それでいて馴染みのある、できることなら自分で自分の身体を抱き締めて回れ右してしまいたい、肌をチリチリと刺すような、感覚。

 エマヌエルは、警戒警報レベルになった本能の叫びに、遂に足を止めた。

「おい」

 馬の手綱でも引くように、襟首を掴んでいた手をグイと引いて男の足も止めさせる。

「本当にこっちなのか」

「……何だ。お前が来たいと言ったから案内して来たのに、ご不満なのか?」

 エマヌエルが襟首を掴んだままでいる状態の為、男は首だけを捻ってこちらを見た。その男が浮かべているのは、先刻までの怯えた表情ではない。打って変わった余裕の伺える、見る者を苛立たせるような笑みだ。

 エマヌエルは、必死で後悔を表情に出さないように努めるが、唇を噛みそうになるのはどうしようもなかった。

『スィンセティックの攻撃が及ばない場所』

 そんなもの、この研究所には必ずある。少し考えれば判ることだった。

 セカンド・ラボの方にもあるにはあるが、あちらはどうやらそこまで逃げ込む時間はなかったらしい。それでなくともセカンド・ラボは、このファースト・ラボと比べて規模が小さい(とは言え、あちらもバカみたいに広いことに変わりはないが)。

 セカンド・ラボに詰めていた裏スタッフは、全て始末できた。討ち漏らしはない筈だ。直接手を下していなくとも、死体を確認している。

 セカンド・ラボの裏スタッフは、『そこ』へ逃げ込むのに時間というよりも意識的な余裕がなかったのかも知れない。

 人間、非常事態にはとにかく外へという思考が働く生き物だからだ。それに、騒動が始まってすぐ『そこ』へ逃げ込もうとすれば、スィンセティックと鉢合わせしただろう。

 しかし、そう考えると、ファースト・ラボに詰める裏スタッフだけが『そこ』へ逃げ込めたというのも、矛盾がある話だ。

 それに――

「あんたら……本当に『そこ』に隠れてるのか」

「『そこ』ってな、どこの話かな」

 クスクスと耳障りな笑い声を漏らしながら、ベナークは問い返す。

「とぼけんな。『あそこ』は……あの場所は、もっと深い場所にある筈だ。何で……」

 エマヌエルは、その先を言葉にすることを躊躇った。

 しかし、言葉にせずとも目の前の男にはこちらの言いたいことは解っている筈だ。エマヌエル自身も漠然とではあるが、この感覚が何に因るものであるかを悟っている。

 マグネタインだ。

 それは、フォトン・シェル製造装置を体内に埋め込まれたスィンセティックを制御する方法を模索する過程で、研究者達が着目した鉱物の名である。

 このマグネタインが発する特殊な磁場が、主にフォトン・シェル製造装置に作用することで、基本的にスィンセティックはこの物体がある場所では能力を行使できない。

 ヴァルカのように体内にフォトン・シェル製造装置を持たないスィンセティックは例外だが、使用方法によっては、無敵に近いスィンセティックを全くの無抵抗にすることも可能な代物だ。

 スィンセティックを纏めて拘束しておく場所と、手術する際に使用する部屋は全てマグネタイン製だ。研究所がまともな姿を保っていた頃、それらの部屋は、全て地下五階にあった。

 しかし、ここは地下の三階だ。何故、この場所で既に、マグネタインの力の余波を感知出来るのか。

 因みに、先刻の地下水路は、地下一階部分にある。

「この騒動が始まった三ヶ月前、何があったか知っているか?」

 その時、その脳内の疑問に答えるかのようなタイミングで、男が口を開いた。

「何?」

「大体は、さっきあの若いスタッフが言った通りのことが起きた。唐突に狼型フィアスティックの宣戦布告があり、電気系統が全てやられ、研究所に保管してあったスィンセティックが全て解き放たれた。そうして、研究所は四ヶ月前の爆発事故の時よりも遙かにひどい状況になった……」

 『保管』という言い方に、エマヌエルは不快感を覚えた。まるで道具を扱うような言い(ぐさ)だ。解っていたつもりだが、改めて言われると無性に腹が立つ。

 しかし、勿論ベナークはそんなエマヌエルの苛立ちに気付くことなく、まるで独白のように言葉を継いだ。

「電気系統がやられたということは、(すなわ)ち研究所がマグネタインの力を制御することが不可能になったことを意味した。保管庫のマグネタイン波の放出が全てどこか外部からの操作で遮断されたおかげで、スィンセティック達は暴走できたのさ。特にフィアスティックがな。奴らは暴れ回り、能力を好き放題に行使し、この研究所を破壊し尽くした。だが、弾みで制御盤そのものがやられたらしくてな。騒動開始から一ヶ月経った頃、私を含めて生き残っていたスィンセティック研究班はこの地下三階から下へは、奴らが近付けなくなっているらしいことに気付いたんだ」

(成る程な……そういうコトか)

 疑問が一つ解消して、エマヌエルは口に出さずに呟く。

 セカンド・ラボの方は、その大元の制御盤が無傷で残っていたに違いない。

 反乱を始めるに当たり、恐らく北の大陸<ユスティディア>全土の電気・通信系統を乗っ取ったフィアスティックは、真っ先にマグネタイン波の放出をオフにすることを狙ってそうしたのだろう。勿論、研究所に宣戦布告する際に、マグネタインのコントロール装置をネットから侵入してオフにした上で、人間側から制御に干渉出来る手段を遮断したのだ。

 セカンド・ラボではそのオフ機能が未だに生きているから、マグネタインで出来た元牢獄へ逃げ込んでも無駄だったのだ。

「じゃあ……まさか、この付近には」

「ああ、お察しの通り。この一体はマグネタインが無制御に垂れ流す磁場が出来上がっている。言うなれば、マグネタインの結界だ」

 エマヌエルは、漏らしそうになった舌打ちをどうにか呑み込んだ。つまり、自分はここから先へは踏み入ることが出来ない。

 この男が大人しく従ったのは、あの場で命を絶たれることへの恐怖からでも、娘の命を盾に取られたからでもない。案内したところで、エマヌエルには何も出来ないことが解っていたからだ。

「さあ、どうする? ヒューマノティック。お望み通り案内したいが、貴様はここから先へは踏み込みたくないんだろう?」

 男が、再び耳障りな笑い声を立てる。

「お仲間を全員連れて来い。って言っても、あんたは従わないんだろうな」

「当たり前だろう? 誰がそんな面倒なコトをすると思う? 第一、私がそう言ったからといって、殺されると解ってて従うバカがいるものか。私にしたって、ここから一センチでも踏み込めば私の勝ちだ。フォトン・シェルを放っても、ここを境にそれは消滅する。何の意味もないさ」

 エマヌエルは、男の襟首を離さないまま沈黙した。男は言葉通り、先程から力を入れて(しき)りにその境界線を越えようとしているようだったが、一見華奢(きゃしゃ)に見えるエマヌエルの腕はビクともしない。

 男の襟首を掴んだ力を緩めず、エマヌエルはどうすれば良いか、必死で頭を巡らせた。

 この辺りを地下まで根こそぎ吹き飛ばすことは可能だ。だが、そうしたとしても、フォトン・シェルの力が無効化される一帯は残ることになる。地下三階から下ということは、地下四階部分が完全に盾になり、そこから下へはフォトン・シェルの爆破能力が及ばない。マグネタインの盾の下へ潜り込まれたらアウトだ。

 どこか、フォトン・シェルの力を捩じ込める隙間でもあればいいのだが、今の地下五階はマグネタインの有効空間と無効空間が制御されていない状態だ。

「じゃあ、質問を変える。お仲間は全部で何人いる?」

「訊いてどうするんだ? 知ったところで貴様には何も出来ないんだぞ?」

 反問されたエマヌエルは、男を引きずってそこから離れ始めた。途端、強気に見えた男の顔から余裕が消える。

「あっ、待っ、待ってくれ。何を」

「何をじゃねぇよ。てめぇ、それで俺が諦めると思ったら大間違いだぜ」

 エマヌエルはそこから、知った経路を一度地上へ向かって上り始めた。三ヶ月前、まだヴァルカと出会う前まで地下に潜んでいた時に、地上との出入りに使用していた道へ出て、地下一階まで足を止めなかった。

 そこまで来ると、ようやくマグネタインによる緊張から解放されて、ホッと息を吐く。

「さーてと」

 言うなり、エマヌエルは男の襟首を掴んでいた手を素早く胸倉に持ち換えて、壁際に押し付ける。

「もう一度訊くぜ。お仲間は全部で何人だ?」

 一時、その顔に浮かべられていた腹立たしい笑みは消え去り、男は「ヒッ!」と短い悲鳴を上げた。

「し、し、知らないっ!」

「知らない、ねぇ。答えたくなるようにしてやろうか? 生憎ここまではマグネタインの磁場の波動も届かねぇだろ」

 エマヌエルは、妖艶な笑みを浮かべてそっと男の右手首を握った。いっそ優しいと言えるようなその仕草も、今の男にしてみれば威嚇以外の何者でもない。

「うわあぁあ! 放してっ……放してくれ!!」

「右手がなくなる前に答えろよ。お仲間はどの辺りに何人いる?」

「ほっ、本当に知らないよ! じゃあ、逆に訊くが、スィンセティックは全部で何体あると思ってるんだ!? 答えられないだろう!! それと同じだ!!」

 エマヌエルは、再び沈黙した。出来るだけ考えていることが表に出ないように努めながら、男の顔を観察する。

 全部が演技なら見事だが、青ざめて震えているその顔から偽りは見つけられない。

 つまり、裏スタッフで生き残っている者の殆どが地下に隠れていると思っていいだろう。それも、各々がそれぞれに思い思いの場所で生活しているということだ。

 けれど、あれから三ヶ月。こんな事態は研究所側にしても完全に想定外だった筈だし、食料などは尽きている筈だ。時折外へ出てくる人間が殺されていたという話も考え合わせると、全ての裏スタッフが生きているとは思えない。

「なら、あんたが判る範囲でいい。他の裏スタッフの居場所と名前を言え」

「知ってどうする気だ? 言ったところでお前はあそこへは入れないだろう」

「俺がどうする気かはあんたの知ったこっちゃねぇ。これが最後だ、答えな。答えなかった時の罰則くらいは選ばせてやる」

「ば、罰則?」

「ああ。あんたの右手を粉々にするか、それとも――あんたの大事な娘を消し飛ばすか」

 さっと男の顔色が変わった。

「む、娘は……まださっきの避難所にいる。ここからどうにか出来るものか!」

「へぇ?」

 エマヌエルは、嘲るような笑みを浮かべて感嘆の声を漏らした。

「まだ一応娘を案じているフリくらいは出来る訳だ。でも、あんたらが開発した技術はそんなに甘いモンだったか?」

 フォトン・シェルの有効射程は、無限に近い。その気になれば大陸一つ、一瞬で粉々にすることも出来なくはない。

 その研究データを思い出したのだろう。男の顔色が、更に青ざめる。

「それに、忘れてるみたいだから改めて教えておいてやる。あんたが娘を案じる気持ちは本物かも知れないが、あんたの妻は、あんたが生み出した技術で死んでるんだ。それを自覚しとけよ」

 エマヌエルは、低く冷たい声音で追い打ちを掛けるように言った。

「さあ、どうする? お仲間の居場所を言うか、それとも……」

 続きを言う代わりに、男の手首を握る掌に、力を込める。パシン、と乾いた音を立てて、エマヌエルの腕に青白い筋が走った。

「も、元のっ、元の手術室があった場所だ!」

「手術室?」

「そうだ! 四ヶ月前にっ……よ、四ヶ月前に、爆発事故が起きた……あの、あの部屋の辺りに……」

 エマヌエルの攻撃をどうにか止めようと必死なのだろう。言おうとしているのは解るが、言葉を紡ごうと焦る余りか、男の呂律(ろれつ)は上手く回っていない。

「その部屋には誰がいる?」

 掴んだ手首を、男の目にも見えるように上げて、青白い筋を走らせながらエマヌエルは問いを重ねる。

 男は、相変わらず舌をもつれさせながら、六人の名を挙げた。

「他に生きているスタッフはいるのか?」

「わ、判らない。本当だ。廊下を歩いていれば行き合うことはあったが……正確に今現在生きているかどうかも判らん」

「行き合った連中の名前を言え。覚えてる範囲でいい。行き合った場所もだ」

 男は、更に四人の名を挙げ、彼らとは四階部分で会ったことがあると言った。

「なあ、もう、いいだろう? 放してくれよ」

「じゃあ、一応最後に訊いておく。マグネタインを制御できるような他の方法は?」

「あ、ある訳がないだろう。元々、マグネタインはただの鉱物なんだ。たまたまそこにあってそれだけでフォトン・エネルギーを阻害する磁場を発生させることが判った。それを加工して磁場を加減は出来ても、か、完全に、その磁場を遮断するのは、制御装置が生きていないと不可能だ」

「じゃあ、そのデータは?」

「で、データベースには残っている筈だ。ただ、今はネットはフィアスティックに押さえられていて……」

「なら、ネットにアクセスできれば探せるってコトだな」

「あ、ああ」

 でもどうやって、と言い掛ける男に、エマヌエルはもう構わなかった。訊くだけ聞いてしまうと、胸倉を押さえつけていた拳から腕に掛けて、力を込める。

 両腕に忙しく這っては明滅する青白い光を見た男は、口をパクパクとさせて目を見開いた。

 やめてくれ。そう叫ぼうとしたかどうかは判らない。しかし、その場に爆音が響いて、結果的に彼は何か言う間もなく、一瞬にしてその場から消えた。塵一つ、残すことなく。

 爆煙が晴れた後、男を消し飛ばす巻き添えに抉れた壁を、エマヌエルは無感動に深い青色の瞳で見つめた。

 一人、そしてまた一人。

 殺しても殺しても、気持ちが晴れることはない。

 この憎しみも、空しさも、もしかしたら浄化される日は永久に来ないのかも知れない。

 それでも、()める訳にはいかない。

 今更この生き方を止めるつもりはないし、狂った研究者達を許すつもりもない。この先、彼らが生き延びて、自分達の身勝手で散々人の身体を(もてあそ)んだことを忘れてのうのうと、しかも幸福に生きていくようなことになったら。考えるだけで、身が焦げそうになる。きっと、煮え(たぎ)るありとあらゆる負の感情に灼かれて死ぬような思いを味わうだろう。

 それだけは、許せない。

 何故、こちらだけが理不尽な目に遭わされて黙っていなければならないのか。

(この気持ちだけで、充分だ)

 黒い上着の下に身に着けたシャツの胸元を縋るように握り締めると、拳を中心に複雑な皺が刻まれる。

 不毛な前進を続ける理由は、たった一つだ。

 自分の平凡だった筈の人生を引っ操り返した人間に、残酷な死を。この能力を以て、報復を。それが叶えば、後はどうでもいい。誰がどれだけ泣こうと、誰に恨まれようと関係ない。

 血塗(ちまみ)れになったこの手で、今更幸福を得たいなどとは微塵(みじん)も思わない。

 彼らを道連れに出来るなら、地獄に()ちても文句は言わない。どれだけ空しくてもいい。

 けれど、本当は。

「……して、くれよ」

 お前達こそ、返せよ。

 俺に普通の身体を、普通の人生を。エレミヤを――。

 不意に、鼻の奥が詰まるように痛んで、視界が歪む。

 涙が出る前触れだ、と気付くと同時に、エマヌエルは拳を抉れた壁に叩き付けた。そのまま、壁に沿うようにズルズルと崩れ落ちる。

 唇を噛み締めても、一筋伝った涙は止められなかった。


***


 ズン、と身体の芯に響くような音がして、地面が微かに揺れる。だが、それは数秒で収まった。

 地盤の弱い場所を大きな車が走ると、地面が揺れたりするが、丁度あんな感じだった。気にしなければ大した事象ではない。

 しかし、場所が場所だ。

 ヴァルカは、強張らせた表情をそのままに、研究所の建物の方へ視線を向けた。

「何……今の」

 思わず呟いて、切り崩されたケーキのようになった断面へ足を運ぶとそこから下を覗く。そこは四ヶ月前、爆発事故があった日の翌日以降見に来た時と同じように、暗い穴が底なしに広がるばかりだ。

 暗闇から一筋の風が吹き上がり、ヴァルカの紅い髪を揺らす。

「何か、あったようだな。様子を見に行くのか?」

 背後から、陰がさすと共に声を掛けられて、ヴァルカは思わず飛び上がりそうになった。

 仰ぎ見ると、そこには巨大な鷹と見紛うばかりのディルクの顔がある。彼(?)も鳥の形をしているとは言え、大別すればスィンセティックだ。声を掛けられるまで気配を感じなかったのは、当然だろう。

「見に行くのか……って、他人事みたいに言うのね。あんたは行かないの?」

「本当なら私が行きたいのは山々だがな。この図体の私が行くと、いつどこが崩れるか判らん。彼なら巻き込まれず上手く脱出するとは思うが」

 その言い分を聞いて、ヴァルカは若干気分を害したように眉根を寄せた。

「本当ならって、どういう意味よ。まるで、あたしに行かせたくないみたいな言い種ね」

「その通りだが?」

 人並みの知能を与えられているとは言え、鳥は鳥だ。オブラートに包むということを知らないのか、ディルクの言葉は少々心に傷がある時に聞くには真っ直ぐで辛辣(しんらつ)過ぎる。

 すると、心を読まれたようなタイミングで、更に辛辣な問いを重ねられた。

「そなたの今の精神状態で、いつも通りに動けるのか? いざという時、エマヌエルの足手纏いにならないと言い切れるのか?」

 ヴァルカは言葉に詰まって、唇を噛んだ。

 確かに、ディルクの言う通りだ。

 だからこそ、エマヌエルもさっき自分を地上に帰したのだろう。エマヌエルが何をするつもりで地下に残ったのか、それに思い至れなかったところからして、まだ『普段通り』でないことも解っている。

 それでも。

(あたししかいないなら、あたしが行かなくちゃ)

 足手纏いになるのを恐れてここで何もせずにいた結果、エマヌエルを失うようなことになったら、その方が耐えられない。

 もう、大事な人間を失いたくない。サイラスを二度も失っただけで沢山だ。

「……あたしが、行かなくちゃ」

 もう一度、声に出して繰り返す。自分に、深く刻んで言い聞かせるように。

 ディルクからは、何の答えもない。(もと)より、ヴァルカも彼の返答を期待してはいなかった。

 暗く、ぽっかりと開いた見知らぬ怪物の口のような穴の底を、(くれない)の瞳が見つめる。

 ヴァルカは瞬時、目を伏せた。

 いつもと同じように、頭を真っ白にする。一瞬の判断が生死を分ける場所へ飛び込むのだ。つまらない躊躇(ためら)いの所為(せい)で、エマヌエルまで巻き込んではならない。

(……いいえ)

 これから、自分は彼をサポートに行くのだ。いつものように背中を預かりに行く。――いつものように。

 深呼吸する。

(あんたを死なせない為に行くの)

 もう、失う痛みは沢山だ。それが、自分のエゴだろうと構わない。

 これまでだって、ヴァルカは自分のエゴの為に動いて来た。これからも、そうするだけだ。

 開いた瞼の下から現れた紅の瞳に、迷いはなかった。


***


「は……ッ」

 ドン、と音を立ててエマヌエルは壁に(もた)れた。

「くっ……そ、」

 何にともなく悪態をつきながら、エマヌエルは重力に逆らえず、ズルズルと壁に沿うようにして座り込む。

 呼吸が上がる。


 地下一階でベナークを爆破した後、エマヌエルはどうするべきか迷った。ヴァルカが、確か拳銃を持っていた筈だから、一度地上へ戻るべきかと。

 けれど、それを借り受けて下に降りてしまったら、彼女の方が丸腰になる。そもそも、彼女を(アテ)にしようと思うところからして間違っているのだ。

 確かに、彼女には幾度となく助けて貰っている。が、それを宛にし、当たり前と思うようではダメだ。元々は一人で始めたことだし、協力が欲しいと近付いて来たのは彼女の方だった。

 その彼女は今、自分のことで手一杯だ。

 彼女もエマヌエルと同じく研究所を憎んでいると思い込んでいたが、その憎しみの宛は微妙に異なるのが、今回の件で明らかになった気がする。

 誰も宛にできない。宛にしない。

 自身に言い聞かせるように胸の内で反芻(はんすう)すると、エマヌエルは一つ息を吐いて頭を切り替えた。

 だが、このまま地下へ向かうのは、丸腰で虎の巣穴に特攻を掛ける愚行にも等しい。地下も三階まで降りれば、フォトン・シェルの能力は完全に封じられる。

 そこで、エマヌエルはふと、地下一階の入り口付近に兵士の詰め所があったのを思い出した。

 研究所には武器であるスィンセティックを『警護』する為、研究所の提携組織であるノワールから屈強な兵士が派遣されていた。その詰め所になら、何か銃火器があるかも知れない。

 そう思って一度そこへ足を向けたが、その行動は徒労に終わった。恐らく、この騒動が始まった時に、誰かが自分を守る為に全ての武器を持ち出してしまったようだ。詰め所には拳銃はおろか、手榴弾の一つすら残されていなかった。

 仕方なく、エマヌエルは結局丸腰のまま先刻ベナークに案内された地下三階の辺りまで引き返した。

 途端に、胃の辺りから焦燥にも似た不快感がせり上がる。

 ベナークと引き返した地点で更に歩を進めると、水中から上がったばかりの時のようにズシリと身体が重くなるのを感じた。試しに、右腕に意識を集中してみるが、青い火花すら散らない。

 本格的にフォトン関連の能力は封じられたが、体術まで封じられた訳ではない。それに、地下の三階では、身体がいつもよりだるいと感じただけで、普通に動くことは出来た。これなら、全員が頭脳プレイ専門と言っていい研究者と仮に行き合ったとしても、捻り潰すことだけは出来る。

 そう思ったが、地下四階まで来ると、場所によっては虚脱感で立っていられず、這い摺るように進まなくてはならない場所もあった。マグネタインの磁場は場所によって広がり方や効力の強さが均一ではないらしい。

 何度か意識が遠退きそうになりながら、四ヶ月前に自分が開けた穴を迂回したりした為、地下四階全てを見て回った時には二時間が経過していた。

 意識がはっきりしないまま見た場所もあるので定かではないが、恐らくこちらを発見すれば向こうが何らかのリアクションをしてくれるだろう。だが、何事もなかったところを見ると、四階には既に誰もいなかったと思って良さそうだった。


 その後、いよいよ出来ることなら避けて通りたいと思っていた地下五階に踏み込むことになった。

 けれども、地下四階の身体への影響状態から、自分でも思っていた以上に高を(くく)っていたらしい。

 マグネタインで出来た地下五階が肉体に与える影響は、想像を遙かに越えていた。

 身体がいつもの倍以上の重さに感じられ、歩くのがやっとだ。マグネタインによる作用が内臓にまで及んでいるのか、心臓が普段よりも早く鼓動を打ち、脂汗が流れ、息が上がる。

 正確に言えば、この近辺の廊下はマグネタイン製ではない。だからこそ、当時、手術室からファーストラボの何分の一かを破壊することができた。

 それでも、身体がだるいのは、今は手術室の方のマグネタインが野放図にその強力な磁場を発揮しているからなのだろう。地下三階までその余波が届くということは、それだけ無制御のマグネタインが作り出す阻害波は強いということだ。

 おかげでいくらも行かない内に、座り込んでしまい、今に至る。

(……どうする……)

 一度、地上へ戻るべきだろうか。だが、戻ってどうする? 解決策があるのか?

 内なる問いに対する答えは『否』だ。

 彼らが確実にくたばるという保証があるなら、籠城戦にもつれ込むのも一つの手段だろう。けれど、他に抜け道があったりしたら目も当てられないし、エマヌエル自身、それほど気が長い方ではない。

 第一、四ヶ月前にここを爆破するまで、どれだけ待ったのか。気が遠くなるかと思うくらい、その機会を待っていた。

 それに、彼らの飢え死になんかで決着をつけてなるものか、と思う。

 彼らがただ『死』を迎えればいいのなら、何もわざわざ手を汚す必要はない。でも、それでは何の意味もない。

 ブレそうな視界の中で、掌を見つめる。

 この手で、この能力で。

(あいつらを直接ブチのめさなきゃ、意味ねぇんだよ)

 力の入らない手を、握り締める。

 この忌まわしい力で、直接彼らに引導を渡してやることにこそ、意義があるのだ。

 はぁっ、ともう一度息を吐いて、前を見据える。

 ノロノロと、重く感じている腕を持ち上げて、壁に頼るようにして身体を引き上げた。その時だった。

「そこで何をしているの?」

 そんな声が横合いから掛かって、エマヌエルは左手に視線を向けた。

 相手が一般人にも関わらず、気配を感じなかったのは体調が優れない為だ。

 そこにいたのは、楕円形の眼鏡を掛けた女性スタッフだった。見た目、三十代後半から四十代前半だろうか。ブロンドの髪をひっつめにして纏め上げている所為(せい)か、どちらかと言えば四十代に突入しているように見える。輪郭は小振りで、切れ長気味の目元に縁取られた瞳は丸い。

 ヒルデグント=カミラ=プリルヴィッツ。

 年齢までは覚えていないが、そういう名前の筈だ。確か、ベナークが挙げた中にもいた。

「スタッフじゃないわね。迷い込んで来たの?」

 プリルヴィッツは、全く警戒する様子を見せずに歩み寄って来る。彼女に限らないが、この研究所はスィンセティック研究の被験体が多過ぎる所為で、自分の担当した個体以外は覚えていないという研究者が殆どである。

 ベナークが挙げた名前の中には、エマヌエルを担当した者はいなかった筈だ。

「真っ青よ。どこか具合でも悪いの?」

 悪い、どころの騒ぎではないが、エマヌエルは答えなかった。

 沈黙を返しながら、今すぐにでも彼女に掴み掛かりたい衝動を必死で押し殺す。こちらの正体が相手にバレていない以上、がむしゃらに動くのはバカのすることだ。

「どうしましょう。歩ける? 生憎(あいにく)、ストレッチャーも車椅子もなくて」

 顎を微かに引くことで、是の意を示して見せる。

「じゃあ、肩に掴まって。貴方、名前は?」

 エマヌエルは、自分より少し身長の低い彼女の肩に縋るように歩きながら、やはり沈黙を返した。名前など言えば、バレる可能性もゼロではない。

「私はヒルデグント=プリルヴィッツよ。貴方は?」

「……ラインハルト」

 丁寧に名乗られて尚も問いを重ねられ、エマヌエルは渋々ミドルネームを答える。滅多に名乗ることはないが、まさかこんなところで役立つとは思わなかった。

 プリルヴィッツにはファーストネームしか答えていないように聞こえただろう。しかし、「じゃあフルネームは?」と訊ねてくることはなかった。

「もう少し行くと、仲間が一緒にいる場所に着くわ。そこまでの辛抱よ」

 知ってるよ。

 口に出さずにそう答えながら、エマヌエルは考えを巡らせる。

 今、「それよりも外へ出たい」と訴えれば、彼女だけでも外へ連れ出すことが出来るだろう。けれど、それを後五往復分も繰り返すのは些か効率が悪いし、意識と身体が持つ自信がない。

 第一、今回彼女が通り掛かったのもたまたまだ。後五回、同じことが起きる道理もない。

 途中、一番最初に爆破した手術室の前を通った。ここから逃げ出したのが、随分昔のことに思える。

 穴が開いた部分は、地上からの空気が入り込んで来て、気持ち的に若干身体が軽くなったような気がした。しかし、右手に意識を集中してみても、ジッ、という音と共に申し訳程度に青色が跳ねただけで、攻撃する程の威力は出そうにない。

 余りに小さくてその音には気付かなかったのか、プリルヴィッツは何も言わずに歩を進めた。

 フォトン・シェルで出来た空洞部分を抜けて、再び建物内に入ると重力が倍になったような錯覚に陥る。そこから数メートル進んだ場所にある扉の前で、彼女は足を止めた。

「ここよ。さ、入って」

「……そういや、あんたは元気だな」

「え?」

 ふと疑問を覚えたエマヌエルは口を開いた。

「さっき、地下水路に避難してた連中は、結構薄汚れてたしかなり疲弊してた……食べ物も、あまりない筈だろ? どうやって、調達してる?」

 浅くなった呼吸を悟られないように努力するが、それでも言葉は途切れがちになる。

 すると、プリルヴィッツは、うっすらと微笑した。その時になって、違和感を覚える程赤い唇が、どこか薄ら寒い笑みを刻む。

「彼らが、運んでくれるわ」

 彼ら?

 彼らとは、誰のことだ。

 その疑問を口に乗せる前に、彼女の手がドアノブを(ひね)った。

 開いた扉の向こうには、崩れ掛けた手術室があった。その中に、ベナークが挙げた六人のスタッフの内、残りの五人が思い思いの場所に座している。

 今更ながらに警戒しながら、彼女に引き()られるように室内へ足を踏み入れて、エマヌエルは瞠目した。

 入り口側の壁に、ズラリと『ヒト』が並べられていたのだ。ヒトと思える者達は、目を閉じてそこに微動だにせずただ立っている。

「この室内は、マグネタインの影響が薄いらしいの。だから、このゴーレム達はここで立っていられるのよ」

「何っ……!」

 彼女の口から『ゴーレム』という単語が漏れた途端、エマヌエルは、プリルヴィッツの身体を押し退けるようにして離れた。

「残念。もう少しだったのに」

 彼女にこちらの正体は知られていない筈だ。ヒューマノティックと普通の人間を外見で見分けられる者は、研究者にもいない。

 だが、直感的に彼女から離れたのは正解だったようだ。

 クスクスと耳障りな笑い声を立てる彼女が右手に握っているのは、注射器だった。中には透明度の高い、淡くくすんだ緑色の液体が揺れている。

「あんた……」

 彼女の言う通り、ここはマグネタイン製の部屋と言っても比較的磁場の力が弱いらしい。先刻よりも多少動き易くなっていることに感謝しながら、エマヌエルは問いを口に乗せる。

「あんた達、ここで一体何してやがるんだ? このゴーレム達は一体どうして……」

「何って、簡単に言うと避難生活ね。それと、研究」

「研究だって?」

「そうよ」

 緑色の液体が入った注射器を(もてあそ)びながら、プリルヴィッツは言った。

「これ、何だか解る?」

 エマヌエルは、眉根を寄せたまま、彼女の指先で揺れる液体を注視する。

 解る訳がない。解るのは、あの液体はすこぶる(タチ)の良くないものだということだけだ。

 プリルヴィッツも別段エマヌエルの答えを期待していた訳ではないらしく、淡々と言葉を継ぐ。

「マグネタインよ」

「何だって?」

 マグネタインは鉱物の筈だ。

 三ヶ月前に、CUIOレムエ支部副部長が持っていた弾丸状のものならともかく、液体になったものなど見たことがない。

「抽出して液体にする方法を、ここが始めに崩れるより前から研究していたのよ。ここに保存してあった分は運良く残っていてね。それを更に改良して、フィアスティック達に操られたゴーレムを、ICチップを介さずに操る方法を模索していたの。この三ヶ月でね」

 エマヌエルの疑問を読み取ったように、プリルヴィッツは得意げに成果を披露する。

「まともな設備が残っていない状態だったから、かなり苦労したけどね。そろそろ次の段階に移りたかったから、貴方を見つけたのはちょうど良かったわ」

「次の段階だと?」

 もうひたすらに嫌な予感しか覚えない。

 その予感が的中したのを教えたのは、プリルヴィッツの次の言葉だった。

「とぼけなくてもいいのよ。貴方も、ヒューマノティックでしょう? 確か、識別ナンバーは、AA(ダブル・エー)8164。だったわよね」

 一瞬、息を詰めるようにして、エマヌエルは唇を噛んだ。

 この女は何故、エマヌエルがヒューマノティックだと知っているのだろうか。しかも、識別ナンバーまで。

 こちらはリストでこの女の顔と名を知っているが、彼女に直接何かを担当された記憶はない。担当外の被験体の顔と識別ナンバーを知る研究者など、いない筈だ。

「何で自分を知っているんだ、って顔付きね」

 その疑問は、全て顔に出ていたらしい。

 まんまとエマヌエルの考えていることを言い当てた女は、歌うように答えを提示した。

「最初の爆破事故を起こしたのは、貴方でしょう? 爆心とその時間帯に手術が行われる筈だった手術室を考え合わせれば、その時そこにいた被験体は貴方だと突き止めるのは難しくない。CUIOにデータを見られる前に消去するのは間に合わなかったけどね」

 答え合わせが済んだとばかりに言葉を切った女が、パチン、と指を鳴らした。

「起きなさい」

 その瞬間、まるでそれが言霊だったかのように、壁際に並んでいたゴーレム達が、カッと目を見開く。

「そこにいる彼を捕らえなさい」

 女が無慈悲に命じた途端、マグネタインの影響下にあるとは信じられない俊敏な動きで、ゴーレム達は一斉にエマヌエルに襲い掛かった。

 エマヌエルは鋭く舌打ちしながら、床を蹴ってその場を飛び退()く。

 空中に飛び上がってから着地点を探すという、若干間抜けな行動を取ってしまったが、どうにか身体を捻って室内中央にあるベッドの上へ着地した。元々手術室として機能していたらしいそこは、今は手術道具の他に、試験管やビーカーが雑然と並んだ机がそこここにある。迂闊にその上に足を着ければ何が起きるか分からない。何もない場所はそこにしかなかったが、これがまた失敗だった。

「あ!」

 着地した刹那、足を引っ張られ、ベッドへ押し倒された。いつの間に背後に回ったのか、身体の上に()し掛かった一体のゴーレムが右腕を背後に捻り上げる。

「ぅあッ……!」

 肩が外れそうな痛みが走って、思わず悲鳴が漏れる。

 やはり、普段より動きが鈍くなっているのは否めない。

 呆気(あっけ)なく俯せに押さえ付けられ、足にも誰かの手が拘束する意味合いで触れ、その体重が掛かる。

 唯一自由が利いていた左腕も、白衣を着たスタッフの男に押さえ付けられる。

 その男が、左腕の上着の袖を捲り上げた。十代半ばの少年のものにしては、白くて華奢な腕が露わになる。

「……な、にをっ……」

「そろそろ、本当に生きた実験体が欲しかったところなの。つまり、ヒューマノティックのね。でも、ヒューマノティックは外見じゃ普通の人間と区別ができないでしょう? 顔が分かっている貴方と出会(でくわ)したのは、神が与えた幸運ね」

 相変わらず耳障りな笑い声と共に、プリルヴィッツがアルコールを染み込ませた脱脂綿を腕に擦り付けた。アルコールが塗られた面が、ヒヤリとした、嫌な感触を与える。

「……何が、神だよ。あんたらも、懲りねぇな。自分達がやらかしたことで、あんたらは今こんな所で潜伏してなきゃいけないんじゃねーのかよ」

 ゴーレムが押さえ込む力は流石(さすが)だ。互角の能力を持っている筈のエマヌエルが、マグネタインの影響下にあるとは言え、ピクリとも身体を動かせない。

 悔し紛れと、どうにか時間稼ぎができればと憎まれ口を叩いてみた。だが、プリルヴィッツは気にした様子もなく、手にした注射器を指で弾いている。

「直に外へ出られるわ。この研究が完成すればね」

 見ていて気分がいいとは言い難い笑みを浮かべたプリルヴィッツは、容赦なくエマヌエルの腕に手にした注射器の針の先を突き刺した。

「……ッ!」

 チクリと小さな痛みがあって、怪しげとしか言えない緑色の液体が体内に注入される。

 為す術なし、とはこういう時の為の言葉だと、エマヌエルはどこか冷静な部分で思った。

「さあ、楽しみね。どういう結果が得られるか」

 プリルヴィッツが、唇を一舐めした。

 その様と言ったら、まるで獲物を前に舌なめずりする肉食獣そのものだ。

 エマヌエルがこれで死のうがどうしようが、恐らく彼女には関係ないのだろう。死んだら死んだで、きっと「ああ、失敗しちゃったわね」の一言で済ませるに違いないのだ。

(……くっそ、ベナークの奴……こんなクソみてぇな研究してたコトなんか、黙ってやがって!!)

 今更ながらに、死んだ男へ恨み言が口を突きそうになる。

 ここを生きて乗り切ったら、この女、真っ先にぶっ殺してやる。

 心底から思うものの、身体の方は相変わらず押さえ込まれていて動けない。無理に抜け出そうものなら、多分、要所要所の骨が残らず折れるだろう。

 それでも、早く何とかしなければ。正気でいられる内に、この拘束を抜け出して、取り敢えず地上へ戻らなければならない。

 けれども、レムエまで正気でいられるとは思わない。ウィルヘルムがここにいれば。

 そう思ってしまって、実際には周囲にかなり精神的に寄りかかっていたのを改めて認識する。だが、ここには誰もいない。自分一人だ。

(……畜生!)

 一人で全て出来るつもりでいた。何もかも、自分一人でやり遂げようと。

 助けなどない。この憎しみを晴らしたければ、自分一人でやるしかないと腹を括っていた筈だ。

(早くっ……!)

 グッと左手に力を入れようとするが、それは左手を押さえた一般人の男に遮られている。周囲のマグネタインの所為で多少動き辛いが、一般人の拘束も解けないなんて、そんなバカな。

 焦る気持ちに追い打ちを掛けるように、不意に目眩が襲った。

 意識が、急速に遠退いて行く。

(嘘、だろ……こんな……)

 視界がぼやける。

 次に目覚めたら、自分は自分でなくなっているのだろうか。ヴァルカの研究担当者だったサイラスのように、自分の意識がないまま操られ、研究者達の意図通りに誰かを殺すくらいなら、死んだ方がマシだと思う。

 その時、前触れなく脳裏をよぎったのは、ヴァルカの泣き顔だった。

 初めて恋い慕った男をその手に掛けてしまって、エマヌエルにしがみついて一晩中泣いていた、弱々しい肩の感触が思い出されて、覚えず苦笑が漏れる。

(俺が死んでも……やっぱりあいつは泣くのかな)

 反射的に唇を噛み締める。死ねない、と思った。出し抜けに強く突き上げてくる思いに、霞む意識の中で戸惑う。

 自分でも驚くほど強烈にそう思った理由は、恨みを晴らさないまま死ぬのが無念だからか、それとも紅い髪の少女を残して死ぬのが心配だったからか。

 判断出来ないまま、左手の拳を握って力を込める。

 爪で、掌に傷でも出来れば取り敢えず意識を手放すことくらいは免れるかも知れない。だが、もう上手く力が入らない。

 自分で自分を傷つけることさえ出来ないなんて――自分に軽く失望しかけたその時、造りものの心臓が大きく脈打った。

「ッ、ア……!」

 今まで経験したこともない程、心臓が大きく脈打ち続ける。呼吸がどんどん浅くなって、息が()けなくなる。

(くっ……そ……)

 もう死ぬのか。そう思う暇もない。

 混乱する意識は、それを最後にブツリと途切れた。


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