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CODE;8 The chain to revolve

 瓦礫及び廃墟と化した研究所には、既にまともなライフラインも残っていない。それでもどうにか使える場所を探したヴァルカは、蛇口が壊れて微かに出続ける水道水を手で受けて顔を洗った。

 身体の内部が空洞になってしまったような虚脱感だけが残っている。何も考えられない。ただ、昨日は本当にみっともない醜態を晒してしまったのは解っていた。

 結局、昨夜は一晩泣いて過ごしたので、殆ど睡眠を摂っていない。もっとも、遺伝子レベルからの改造体なので、普通の人間ほど睡眠を摂らなくても平気ではあるのだが。

 割れた鏡に映り込んだ自分の顔は、またひどいものだった。顔は赤くて、特に目の周りは腫れぼったい。泣き過ぎた所為で頭が重くて、ガンガンと痛む。

 はぁ、と吐くともなく溜息を漏らした時、脇から静かに差し出されたものがあった。

「え……」

 タオルだ。

「宿泊施設の残骸ん中から引っ張り出してきた。あんま綺麗じゃねぇかも知れねぇけど」

 ぼんやりと視線を動かすと、端麗な顔の中で青の双眸が以前と変わらない無表情でヴァルカを見つめていた。

「朝飯……っても、もう研究所も宿泊施設にも食料は殆ど残ってなかったからまたお湯だけだけど。準備できてるから早く来いよ」

 惰性でタオルを受け取ると、エマヌエルは用件だけ簡潔に言って踵を返した。

 こんな時、普通の社会で普通に育った人間なら、「大丈夫か」とか「元気出せ」とか、親切のつもりで無責任な言葉を掛けるのだろう。けれど、エマヌエルは何も言わない。無理に普段通りにしようと振る舞っているのでもなく、昨日の出来事が彼の中ではなかったことになっているのかと(いぶか)るような態度だった。それが、人によっては冷たいと映るのかも知れないが、ヴァルカにはひどく心地よかった。恐らく、無意識にこうした時の距離の取り方を心得ているのだろう。エマヌエルに言えば、多分否定するだろうけれど。

 もう一度息を吐いて、手にしたタオルで顔の水気を拭う。

 いつまでもぼんやりしていられない。していられないけれど、いつになれば思考がいつも通りに動き出すのか、ヴァルカ自身にも分からなかった。

 ただ、今は、何もなかったかのように接してくれるエマヌエルの傍が居心地よく思えるのも確かだ。

 その心地よさだけ、今は感じていたい。何も考えたくない。質の悪い麻薬のように自分を甘やかしてくれる存在に依存する身勝手には敢えて蓋をして、ヴァルカはエマヌエルを追って歩を踏み出した。


***


 どこからどうやってこんな抜け道を造ったのかと思う場所から入り込んだ場所に、避難所はあった。

 ヴァルカによると、時折人間が地上へ出て来て、その度にその人間はゴーレムのフォトン・シェルで撃ち殺されて行ったらしい。人が出てくるということは、何処かに隠れる場所があるということに他ならない。

 見た目、二、三歳の少女は、自分が来た道はよく覚えていたようだ。少女に連れられるまま進むと、地下研究施設の更に地下にある下水道に人々が隠れていた。

 どうやら通路で生活しているらしいが、明らかに定員オーバーの様相を呈している。

 ここ、アズナヴール半島は、全土がゴンサレスの私有地で、ラボの近くには研究所のスタッフだけで構成された街があった。住宅街型の寮だ。

 住人は全て研究所のスタッフだから、この中に裏の研究班に属する人間がいてもおかしくない。

 エマヌエルは一度引き上げることを考えたが、すぐに打ち消した。ここまで案内してくれた少女だけ放置して一度地上に戻れば、その間に彼女は自分が見たことを周囲の大人に喋るだろう。表のスタッフには意味が分からずとも、裏のスタッフなら子供の話からでも何が起きたか想像するのは容易(たやす)い筈だ。

 ここで仕留めておかなければ、逃げられたら探すのが困難になる。

 フィアスティックがコトを起こす前ならそれでも探せたかも知れないが、今は北の大陸<ユスティディア>があらかたフィアスティックに侵食されている。その混乱は、やがて世界に広がるだろう。その中を、人間一人一人を捜して歩くのは至難の業だ。

「……エマ?」

 人が溜まっている数メートル手前で足を止めたエマヌエルを(いぶか)ったのか、ここまで共に来たヴァルカが、どうしたの? という疑問を含んだ声音で名を呼んだ。

 エマヌエルは内心でそっと溜息を吐いた。

 普段の彼女なら、すぐにエマヌエルと同じ考えに至っただろう。このまま地上に戻るなんて、言語道断。仇を生かしておくものかという思考は共通していた筈だ。

 しかし、今のヴァルカはまだ放心状態が続いているらしい。自分の足で歩いては来たけれど、ただ動いて息をしているだけと言ってもおかしくない精神状態だ。

「あんたは戻りな」

「え?」

 低く言うと、ヴァルカは一拍おいて首を傾げた。

「地上に戻ってディルクと一緒にいろ」

「ディルクって……あの、鳥のコトよね」

「そう。絶対あいつの傍離れるんじゃねぇぞ」

「……いかないの?」

 小声で言葉を交わしていると、いい加減立ち止まっているのに飽きたのか、ここまで送って来た(エマヌエルの方が案内されたのかも知れないが)幼子が、エマヌエルのボトムの裾を引っ張る。

「ああ、悪いな。今行く」

 幼子に手を取られて歩き出しながら、エマヌエルはヴァルカに目配せした。帰れ、の意だ。

 歩きながらも暫く目の端で見ていると、やがてヴァルカは踵を返して元来た道へ遠ざかっていった。ホッと息を吐いて、エマヌエルは視線を戻す。

 背を預けられると思った彼女は、今は足手纏いでしかない。非戦闘員のスタッフを相手に守り切れないことはないだろうが、不安要素はないに限るし、戦力にならないのなら一人の方が動き易い。

「で、お前、父さんか母さんは?」

「……とー……?」

 無造作に抱き上げながら訊ねると、幼子は可愛らしく小首を傾げた。『父さん』『母さん』の意味が解らないらしいと気付いて、エマヌエルは他の言い回しを考える。

「あー……パパかママは?」

「ママは……きゅうにいなくなっちゃった」

 改めて問うと、『パパ』と『ママ』は解ったらしく、幼子は俯いてボソボソと言った。ヴァルカの話では、一人ゴーレムに狙われていたらしいから、親と食料を探しに出て来て、親だけがフォトン・シェルで吹っ飛ばされてしまったのだろう。

 その現象がよく理解できないこの少女からすれば、一緒にいた筈の母親が『急にいなくなった』ように見えても不思議はない。

「じゃあ、パパは?」

「パパは……いない」

「ここへ来る前からか?」

 少女はコクリと顎を引いて頷いた。

 それが果たして『ここへ逃げ込む直前からいない』のか、それとも『既に亡くなっていて物心付いた時からいない』のかの区別が付かなかった。問い質しても、この子はまた首を傾げるだろう。その年齢故に、まだ理解力が成長しきっていないからだ。

 とにかく両親が共にいないという状況に、エマヌエルは天を仰いだ。

(どうしたもんかねぇ)

 その辺にいる大人達に預けてもいいが、皆こちらをチラチラと見ながらも、視線が合いそうになると慌てて顔ごと目を反らす。

 こんな時だ。自分と家族が生きるだけで精一杯というのは解らないでもない。

(いっそ、レムエまで預けに行くか)

 ディルクの背に乗ればひとっ飛びだ。パニック状態も幾分収まっているかも知れないし、CUIOならいくら何でも、孤児になったこんな幼子を見捨てることはまずするまい。

 どちらにしろ、一度戻らなくてはならない。こうなると、ヴァルカを先に地上へ帰してしまったのは失敗だった。彼女がいれば、預けて一緒に地上へ帰すことができたのに。

(まあ、言っても仕方ねぇか)

 まさか子連れで裏スタッフを探し回る訳にもいかない。

 この周辺には、リストで見た顔もない。一度戻ろうと踵を返し掛けた、その時だった。

「シェリル!」

 その叫びに、幼子が反応して顔を上げた。

「パパ!」

 人が所狭しと座り込んでいる通路をもどかしげに走って来る(正確には人を避けながらなので、とても走っているとは言えないが)男性を認めた幼子の顔が、パッと輝いた。

 何だ、ちゃんと父親がいるんじゃないか。

 きっと、この騒動が始まった時、研究所から直接別の避難所に逃げ込んだなどの理由で、今まではぐれていただけだったのだろう。

 そう思いながら、シェリルと呼ばれた幼子が『パパ』と呼んだ人物の顔を改めて確認したエマヌエルは、表情を凍り付かせた。

 が、勿論シェリルはそんなことにはお構いなく、エマヌエルの腕の中から『パパ』に手を伸ばしている。男も、泣き笑いのように顔を歪ませながら、我が子に手を伸ばしてエマヌエルの腕から抱き取った。

「ああ、シェリル……無事だったか……昨日、ユッテと出た切り戻らないと聞いてどんなに心配したか……」

「パパぁ……ママ、どこへいっちゃったの?」

「うん……そうだなぁ……」

「……何処へ行ったかなんて、あんたが一番よく解ってんだろ? ベナークさんよ」

「え?」

 そこで初めてエマヌエルの存在に気付いたと言わんばかりの顔で、ベナークと呼ばれた男が顔を上げた。

「ああ……えっと、」

「ありがとう。おねえちゃん」

 無邪気ににっこりと笑うシェリルに、男を前にささくれだっていた気持ちが若干挫かれる。おまけに、『ある単語』がエマヌエルを脱力させた。

「……お兄ちゃんだ」

 子供相手に大人気ないとも思ったが、反射的に訂正の言葉が口を突く。

 そうか、そんなに女に見えるか、コンチクショウ。

「この人に送って貰ったのかい?」

 内心でいじけるエマヌエルに構わず確認する父親に、シェリルは一つ頷きを返した。

「ありがとう。娘が世話になった。でも、何処で私の名を?」

 ベナークは、我が子を無事送り届けてくれたことに感謝の意を述べながら、自分の名を知っているエマヌエルに不審も抱いたようだった。

 問われたエマヌエルも、意識を切り替える。

「トラヴィス=エヴァン=ベナーク……だよな」

 違っていて欲しい、と心のどこかで思いながら、フルネームの確認を取る。しかし、無情にもベナークはその問いに首肯した。

「確かに私だが……」

「そっか。残念だな。そいつ、預けられる人間はいるのか。ちょっと顔貸して欲しいんだけど」

 親指を立てた手をクイッとしゃくると、ベナークは益々奇妙な表情をした。本当に呼び出される理由が解らないらしい。

(いい気なもんだな)

 微かな苛立ちが、シェリルという存在による迷いを完全に打ち消した。元々、幼い子供に惑わされて酌量するほど、エマヌエルの中で燻るものは甘くない。

 トラヴィス=エヴァン=ベナーク。

 裏スタッフリストの中にあった顔と、名前だった。リストには家族構成までは書いていないから、妻子がいても判らない。けれど、エマヌエルはそういったことは無意識に目に入らないように行動していた。

(関係ない)

 そう、関係ないのだ。誰に恨まれようと知らない。自分の憎しみを晴らすだけだ。自分は、彼を含む狂った研究者に、人生を奪われたのだから。

 身体の奥底でたぎるこの憎しみが少しでも癒えるなら、誰が泣こうと後悔しないと決めた筈だ。

 その時、乳白色の髪とアメジストの瞳を持つ女性が、不意に脳裏をよぎった。

『私にあの人を返してよ!』

 彼女の恋人も、裏に所属するスタッフであった上、内輪の被験体としてスィンセティックとなる為の手術を受けていた。

(……関係ない)

 言い聞かせるように、脳裏に刻む。

 この身体を思い出せ、と。もうヒトと呼べない身体になったのは、誰の所為だと。間違いなく彼も――ベナークも、その凶行に加わった一人なのだから。

「ああ。だが、君は……?」

「こっちの正体が判らないと動けないか?」

「当たり前だろう。娘を助けて貰ったことと、それは話が別だ」

「へぇ、奇遇だな。俺もそれとこれは別だと思ってたとこだよ」

 研究所はタガが外れるほど広かった。よって、被験体の数もそれに比例する。裏に関わったからと言って、被験体の顔と名前を全部覚えていられる人間はいないと思っていいだろう。

 もっとも、識別ナンバーを言えば、裏スタッフはイヤでも自分の所業に思いを馳せざるを得ないだろうけれど。

「俺が今名乗ったって、多分あんたは分からない。でも、ガキは置いて来た方が良いと思うぜ」

 そこでエマヌエルは、一度間を置くようにして言葉を切った。

「少なくとも、俺は巻き込みたいと思わない」

「何を言ってるんだ?」

 次第に警戒心を露わにしていく男に向かって、エマヌエルは無造作に足を踏み出す。

「ついでだからここらに知り合いはいないか?」

 そっとその肩に手を掛けると、男の耳元で囁いた。

「スィンセティックの研究に関わった連中の」

 男の身体が、ビクリと震える。

「パパ?」

「あ……ああ、何でもないよ、シェリル」

 怯えたように身体を震わせた父を不審に思ったのか、シェリルが幼い声で問うように父を呼ぶ。ベナークは、取り繕うように我が子に笑い掛けた後、改めてエマヌエルに視線を向けた。

「安心しろよ。彼女には何もしない。こいつだけじゃなく、『裏』と関係ない連中を巻き込むつもりはない」

「君は……一体、何が言いたい」

「それは今ここでする話じゃないだろ。取り敢えずそいつを誰かに預けろよ。『裏』とは関わりのない人間にな」

 エマヌエルは、再度男に耳元へ唇を近付ける。

「但し、シェリルの一生涯に責任持ってくれる奴に預けな。あんたはシェリルとはこれきりなんだから」

 男の耳元から顔を離すと、男の怯えた瞳と視線が交錯する。

 エマヌエルの正体には気付けずとも、こちらが自分をどうするつもりかは流石に解ったに違いなかった。

「っ、う、わあぁあっ……!!」

 途端、男は取り乱し、慌てて後退さる。けれど、足を踏み出した場所には人が座っており、「痛い!」という非難がましい声が挙がった。男は、予想しない地面以外の感触に、バランスを崩す。

「おっと」

 派手な水音と共に男が水路に転がり落ちる。その一瞬前に、エマヌエルは男が手に抱いていたシェリルを抱き取った。彼女が倒れた男の手から放れ、あらぬ場所に落下するのを防ぐ為だったが、脅迫に等しい言葉を掛けられていた男はそうは取らなかった。

「む、娘をっ……娘を返してくれ!」

「あ?」

 別にそんなつもりじゃない、と言っても今更通用しそうにない。

 お望み通りに彼女を人質に取ってもいい(というより、その方が手っ取り早そうだ)が、男が水音を立てたことで、図らずも自分達は注目を集めてしまっている。男はまだエマヌエルがヒューマノティックだとは気付いていないようだし、この衆人環視の中で自分が生体兵器だと暴露するのはできれば避けたかった。

 エマヌエルは一つ溜息を吐くと、「ほら」と言って男に手を伸ばす。

「取り敢えず立てよ。この子には何もしねぇから」

 エマヌエルの腕に抱かれたシェリルは、幼子独特のクリッとした瞳をキョトンと瞠って、取り乱し水路に落ちた父親を不思議そうに眺めていた。

 男は、自分の身の安全と、娘を取り返すことを天秤に掛けたかどうかは解らない。しかし、父親の風上にも置けないことに、僅差で前者が勝利したらしい。娘を取り返すこともせず、僅かに臀部で後退さると、叫びながら立ち上がって水路を走り出した。

「パパぁ?」

 自分を置いて去る父親に呼び掛けるシェリルの可愛らしい声も、命を持ってこの場を乗り切ろうとする男の耳には入らないようだ。

 それが、決定的にエマヌエルの苛立ちに火を付けた。舌打ちと共に、すぐ傍に座っていた女性に「こいつ頼む」と言って素早くシェリルを押し付ける。女性が何か言い掛けるのを敢えて無視して地を蹴った。

 普通の人間で、しかも頭脳プレイ系のベナークと、遺伝子レベルから戦闘に特化するよう改造を施され、訓練されたエマヌエルでは勝負にならない。あっという間に距離を詰めると、エマヌエルはベナークの襟首を掴んで引き倒した。

「うわあぁっ!」

 水飛沫と共に、ベナークが再び水路に背中から倒れ込む。エマヌエルは透かさずその上に馬乗りになって、動きを封じた。

「許してくれ、頼む……こ、殺さないで!」

「殺さないでだと!? どの面下げてそんな台詞が吐けるんだよ、あんた!」

 そのまま胸倉を引っ掴んで、地面に叩き付ける。水路には当然水が張っており、水圧が邪魔をして大したダメージにはならない筈だったが、そうせずにはいられなかった。

「さっき言ってた『ユッテ』ってのは、あんたの奥さんだろ? 彼女がどうなったか知ってんのか!」

 隠れ潜むその場所で、こんな揉め事は珍しいに違いない。注目を集めっ放しなのは承知していたが、エマヌエルは公衆の面前で事実を隠して取り繕うことを既に放棄していた。

「あの子だけが戻って来たってコトはどういうコトか、解ってるんだろ? 死んだんだよ! それも殺されたんだ。あんた達が開発した技術でな!!」

 ザワリ、と群衆がどよめくのが解る。

「開発? 開発って……研究所で開発してたのは人工臓器だろ?」

「殺されたってどういうコト?」

 そんな呟きが、改造された超聴覚に嫌でも飛び込んで来る。押さえ付けたベナークは、青ざめて小刻みに震えていた。

「家族が巻き添えになるなんて、思ってもみなかったんだろ。こんな殺人兵器開発しといて、そいつらがこうやって暴走した時に、自分達だけ避けて暴れてくれるとでも思ってたのかよ!」

「違うっ……! 私はただ……!」

「ただ? 『ただ』何だよ。弁明があるなら言ってみな」

 底なしに冷えた感情を、脳の醒めた部分で自覚しながら、エマヌエルは冷たく男を見下ろす。

 男は、黒の瞳を殊更怯えさせて、震えながら答えを口に乗せた。

「兵器だなんて聞かされてなかった……ただ、人工臓器の移植実験だと……」

「へえ。人工臓器ね。ただの人工臓器か? 『スィンセティック』って単語に反応できるってコトは、生体合成兵器について知ってるってコトかと思ったけど違うのか」

「それは……! それは……」

「下手な言い訳が今更通ると思うのか? 兵器開発に関わるどんな立派な理由があるって言うんだよ!」

 エマヌエルは言いながらフォトン・シェルを撃つ体勢に入りたい衝動を必死で堪えなければならなかった。この男をここで始末するのは簡単だ。彼の娘の目の前だからとて構いはしない。遠慮する理由はない。誰がどれだけ自分を恨もうと知ったことではない。

 けれど、組み敷いた男は仲間の居場所を知っている可能性がある。裏に関わったスタッフの隠れ場所を。

 最初にここへ妻子と逃げ込まず、家族とはぐれた理由は、もしかしたら裏の仲間と共に避難したからかも知れない。

「……言えよ」

「なっ、何を……」

「お仲間の居場所だよ。あんた達、もしかしてスィンセティックの攻撃が及ばない場所に逃げ込んでたんじゃねぇのか」

 男は何も言わなかった。ただ、ビクリと大きく身体を震わせて、僅かに目を反らした。『そうです』と意訳出来そうなリアクションだ。

「解った。言わなければこの場であんたの娘をあんたの目の前で殺してやる」

「ヒッ……」

 最低なことを言っている自覚も、考えている自覚もあった。

 自分のやっていることがそもそも不毛なのは解っている。こんなことをしたって、自分の身体が元に戻るわけじゃない。平穏な人生に還れる訳でもない。

 それでも、じゃあ、こんな身体になった責任は誰が(あがな)ってくれるのだろう。こんな身体にされて、否応なく殺人技術を叩き込まれ、体内に史上最凶の破壊兵器を埋め込まれて、拷問紛いの再調教を施された。普通の人生を送れた筈のエマヌエルの人生を引っ操り返したその責任は、誰に問えばいいのか。

 生まれた憎しみをその元凶に叩き付けることしか、エマヌエルには思い付けなかった。そうしたいとしか思えない。たとえ、そうすることで状況が変わらなくとも関係ない。相手に、自分が受けた以上の苦痛と屈辱と地獄を味わわせてやりたい。他ならぬ彼らに与えられたこの能力で、絶望の果てを見せてやった上で息の根を止めてやりたい。

 負の感情でドロドロになった内面に押されるように、男の胸倉を掴んだ手に覚えず力が入る。このまま、吹き飛ばしてやりたい。

 そう思ったエマヌエルの心の声が聞こえた筈はない。しかし、胸倉を締め上げられたことに対する恐怖心のあまりか、男は早口で言った。

「かっ、勘弁してくれ……娘はっ……娘は関係ない!」

 ベナークはつい先刻、娘を見捨てて逃げようとしたくせに、死の間際になった途端、理想の父親像を思い出したとでも言うかのように自分でなく娘の命乞いをした。そんな男にも、最低な脅迫をする自分にも吐き気を覚えながら、エマヌエルは低い声で最後通牒を突き付ける。

「なら選べよ。大人しくお仲間の居場所を吐くか、まず娘が消滅するのを見るか。断っとくけど、お仲間の居場所までちゃんと案内して貰うぜ。そこに仲間がいなかったら仕方ねぇ。娘が死ぬだけだ」

「わ、解ったっ……言うことを聞くっ……聞くから娘は……!」

「あんたが本当にお仲間の所まで案内してくれるなら、俺だって関係ない人間を巻き込むつもりは更々ねぇ。ところで、本当に裏のスタッフがいる場所は知ってるんだろうな」

 真実を言えと念押しするように繰り返すと、男はコクコクと首の関節部が壊れた人形のように、頭を必死で上下させた。

 エマヌエルは冷え切った目で男を一瞥すると、自分が先に立ち上がって、男の胸倉を掴んだままの手を引く。男を強引に立ち上がらせると、そのまま引きずって歩き始めた。

 成り行きを見守っていたギャラリーが、尚も視線だけで二人を追う。

「……なあ」

 人溜まりが途切れる場所で、果敢にもエマヌエルに話し掛けて来た一人の男がいた。

 返事をする代わりに足を止めて視線を投げる。見た目、二十代半ばだろうか。細面で特にこれと言った特徴のない容貌の男だった。

 こちらが睨んだように見えたのか、男はやや怯えた表情で後退さりしながら、それでも言葉を接いだ。

「君は……その、知ってるのか。あの、喋る狼のことを……」

「喋る狼?」

 エマヌエルは眉を顰めた。

「ああ。この騒動が始まった三ヶ月前のあの日……仕事をしてたらいきなりパソコンの電源が落ちたんだ。それから再起動して……狼が宣戦布告して来た」

 それが騒動の始まりだと聞いてはいたが、人間サイドの話を聞くのは初めてだった。

「妙なコトを言ってた……これからはスィン……何とかが支配者になるとか何とか……君がさっき言ってた言葉と同じだった」

「スィンセティック?」

「そう、それ。君は何か知っているのか。知っているなら教えて欲しい。もう、時間の感覚も吹っ飛んでるし、外へ出た連中は帰って来ないし、だから情報も……」

 ふと周囲を見渡すと、さっきは目を合わせようとしなかったくせに、今は皆縋るようにエマヌエルを見つめている。確かに、何の情報もなく長いこと隠れているのは厳しいだろう。

「三ヶ月前のあの日……あの狼が話し終わってまたパソコンが落ちて……急に沢山の動物が襲い掛かって来て……」

 恐らく、その狼に扇動されたフィアスティックだろう。ここへ逃げ込むことができたのは奇跡に近かったに違いない。

「襲い掛かってきたのは動物だけじゃない。人間も……それも、こっちの言葉は通用しないみたいだった」

 それは多分、フィアスティックの支配下に置かれた、ヒューマノティックかゴーレムだろう。話しが通じないのなら、ゴーレムの可能性が高い。

「我々はいつここから出られるんだろう……」

 男性は、声を掛けて来てから初めて、エマヌエルと視線を合わせた。周囲と同じ、縋るような目だ。

「さぁな」

 しかし、エマヌエルがすげなく返すと、知ってるって言ったじゃないか! と言わんばかりに男が噛みつく。

「さぁなって!」

「いつ避難生活が終わるのかなんて、俺が知るかよ。ただ言えるのは、今回の騒動はこいつらが元凶ってコトくらいかな」

 エマヌエルは、こいつら、と言いながら掴んだベナークの胸倉を揺するようにして示した。

「元凶? 彼も、ここのスタッフなんだろう?」

「そ。あんた達、自分らが働いてた研究所に表と裏があったって知ってた?」

 言った途端、再び周囲がどよめく。

「その裏っかわで、この研究所の所長がノワールって兵器開発組織と繋がってたんだよ。で、人工臓器の技術を人体内蔵型兵器開発の為に横流ししてたって訳。こいつはその裏の研究班の一人だったんだよ」

 どよめいたその場が、今度は一転、シンと静まり返った。最初に声を掛けて来た男性は、あまりのことに声も出ないような顔をして、ただ首を横に振っている。

「あんたが言ったその狼ってのは、多分フィアスティックの中の一匹だ。動物をベースにしたスィンセティック……内蔵型兵器を体内に持った生体兵器の総称だ。多分、何かの弾みで洗脳プログラムが吹っ飛んで暴走したんだろうぜ」

 言いながら、エマヌエルはベナークに冷ややかな一瞥を投げた。そのタイミングで全員がベナークに注目する。やはり刺すような視線があちこちから注がれて、ベナークは身の置き所がないような表情で身じろぎした。

「なあ……頼む」

 それでも、蚊の鳴くような声で、ベナークが言った。物音一つしない中で、その声は返ってよく響いた。

「最後に一度だけ……娘を抱かせてくれないか」

 ベナークがちらりと娘を見たのが分かった。けれど、エマヌエルにシェリルを押し付けられて迷惑そうにしていた中年の女性は、今やシェリルを守るように抱き締め、ベナークを汚物でも見るような目で睨み付けている。

「却下」

「そんな!」

 短く即答すると、ベナークは懇願と非難が入り交じったような色の瞳でエマヌエルを見た。

「どうせ君は私を殺すつもりだろう! ならせめて死ぬ前に……一度くらい抱き締めてもいいじゃないか!」

「そんなマトモな抗議ができる立場だと思ってる辺り、ホンット笑えるな。じゃあ、あんたに訊くぜ。俺じゃなくても誰でもいい。実験体用にって連れて来た人間が、改造手術なんて受けたくない、こんな訳分からん兵器になんてなりたくない、助けてくれって言ったら、あんたどうした? そんなの自分には関係ないって助けたりはしなかっただろ」

「何……」

 ベナークが瞠目する。

「じゃあ、君は……君は、まさか、」

 まさかヒューマノティックなのか。

 言葉にならないその台詞は、口に乗せなくても解った。だが、それについては肯定も否定もせずに、エマヌエルは言葉を接いだ。

「ヒューマノティックだって元人間ってだけで、改造手術に身体を提供させられる所から動物と同じ扱いだった。同じ人間の命乞いさえ聞く耳持たないあんたが、人の親だってんだから世も末だよな。一度だって考えてみたコトないのかよ。自分の娘を改造手術の為に差し出せって言われたら、あんたどうした? 全力で抵抗するだろ? でも、提供される実験体は自分や娘や、ついでに言えば奥さんと同じ人間じゃなかった訳だよな」

「それは……そんなコトは……」

 ベナークは目をウロウロと泳がせて、やがてエマヌエルから完全に視線を外した。どう言い訳しても結果が変わることはないと悟ったのかも知れない。

 けれど、今更反省されても、エマヌエルの身体は元に戻ることはない。

「そんな非人間的な奴の言い分に貸す耳は持ってない。シェリルは寧ろあんたみたいな人間にこの先育てられる予定がなくなってよかったと思うぜ」

 吐き捨てるように言うと、エマヌエルはベナークの胸倉を掴んだ手を引いた。ベナークは引きずられるまま、まるで市場に売られに行く牛のように、トボトボとエマヌエルの後を歩いた。


***


「遅いな……」

 ヴァルカは、誰に言うともなくポツリと呟いた。

 穴蔵の中からどこをどう歩いたのか、ヴァルカには記憶がない。ふと気付けば、崩れ掛けた研究所の深層部から地上に出ていた。

 ディルクに、「一人か? エマヌエルは?」と訊ねられ、「帰れって言われたから」と返して彼の脇に座り込んでからどれくらい経ったのか。

「気になるなら、見に行ったらどうだ?」

 その呟きを聞きつけたのか、背凭れ代わりにしていたディルクがそう言った。

「見に行くって言っても……」

 やはり独り言のように呟いて、ヴァルカは研究所の建物を見遣る。

 四ヶ月前、始めに事故が起きたその建物は、ドールハウスのように断面を露わにしたままになっていた。幼子を連れて地下に降りた時はそこからではなく、幼子が母親と来た道を戻った。普通の人間でも行き来ができる道だった。

 思い返すともなしに思い返して再度息を吐いた時、ふと先刻エマヌエルと別れた時のことを思い出す。

『あんたは戻れ。ディルクと一緒にいろ』

 そう言われたのは当然のことだっただろう。

 まだぼんやりとした思考を持て余しているヴァルカにも、今の自分が足手纏いでしかないことは解っている。

 何か、ものを考えるのも億劫だった。今は何も考えたくない。

(だって、ラスを殺してしまった)

 行き着くのはそのことだけだ。

 冷静に考えれば、元々サイラスは亡くなっていたのだ。意図せず蘇らされ、自分の意志とは無関係に人殺しの道具にされたのだと。だから、終わりにしてやったのが彼の為だったのだと。そのことは頭では理解している。

 しかし、エマヌエルにそう言われても、自分でも何度そう言い聞かせても、どうしても納得できない。何か、他の道があったのではないかと思ってしまう。或いは、もう少ししたら元のサイラスに戻ってくれたのでは、と考えてしまう。

(ラス)

 胸中で一つ呟くと、鼻の奥がキュッと痛んで、見る見る内に視界が曇る。枯れたと思っていた涙が、性懲りもなく頬を伝った。

 唇を噛みしめても、何度拭っても、嗚咽も涙も止まらない。自分がどうしたいのか、これからどうすればいいのか――正直、もう何も見えない。

(仇を討ったって、貴方は還らない)

 もうどこにもいないのだ。世界中を探し回っても、もう彼と会うことはできない。改めてその事実を突き付けられることになるなんて、思ってもみなかった。掛け替えのない人間を失う痛みは、一度味わえば沢山だったのに。

 それでも、自分以外の人間がゴーレムとなったサイラスを殺したなら、まだその人間を恨むだけで済んだ。そんな相手は存在する筈もないのは解っていても、そう望んでしまう。しかし、サイラスを殺したのが万一エマヌエルだったとしたら、それも苦しい。

(どうしたらいいの)

 泣いて、無為に時間を過ごすだけなんて、最も自分らしくない。

 こんな風にメソメソと泣いている自分を見たら、サイラスは何と思うだろうか。

(カッコ悪……)

 そうは思うものの、やはり理性で止まるような涙ではない。

 昨日までゴーレム達がそこここ座っていた瓦礫野原は、今は閑散として物音一つしない。殆どはエマヌエルの放ったフォトン・シェルで吹き飛ばされて遺体は残らなかったし、サイラスの遺体は昨日の内にエマヌエルが埋葬してくれたらしい。ヴァルカはやはりぼんやりしていたので、気付いたらサイラスの墓の前に座っていた記憶しかないが。

 春が近付いた北の大地に、時折静かに風が渡り、その中を自分が漏らす嗚咽だけがひっきりなしに響くのは、何とも奇妙な感覚だった。

 そうする間、背後にいたディルクは何も言わずにただそこにいた。何しろベースが『鳥(細かく言うと、猛禽類プラス何か別の動物の遺伝子を弄くって巨大化を試みたように見える)』なので、人の感情には疎いだけだとは思うが、黙ってそっとしておいてくれるのは有り難かった。

 やがてしゃくり上げるのが落ち着いて、涙が徐々に引いていくのにどれくらい掛かったのか、ヴァルカにも判らなかった。泣くだけ泣いたと思っても、いつぶり返すかも判らない。昨夜、一生分くらい泣き尽くしたと思ったにも関わらず、今日もこの始末だ。

 今朝、折角洗って多少冷やしたのに、また腫れぼったくなってしまった頬に触れて、溜息を吐く。

 いい加減、落ち着かなければ。

『考えても正解なんか出ないだろ』

 思うと同時に、昨夜、耳元でエマヌエルが囁いた言葉が脳裏をよぎる。冷たく突き放すような言葉だが、今は何よりヴァルカを落ち着かせるものだった。

(……うん……そうね)

 考えることは、いつでもできる。答えが出ないのなら、疲れるまで考えればいいし、納得できなくともそれはそれで仕方がない。でも、それまで動かないというのも問題だと思う。――それは、誰に言われずとも解っている。

 考えても正解などない。

 もう一度反芻して、ヴァルカは濡れた目元から頬にかけて乱暴に掌で拭った。今朝方、エマヌエルから手渡されたタオルを手に立ち上がる。

 すっかり気持ちが切り替わった訳ではないが、とにかく今後の行動も模索しなくてはならない。

 取り敢えず、また顔でも洗って来よう。

 後悔しようと自分を責めようと、サイラスは本当にいなくなったのだ。それを納得した訳ではないし、どうにかできなかったかと考えてしまうのも止められないけれど、ある意味で彼は本当にこれで研究所から解放されたのだと思うと、少しだけ羨ましかった。

 勿論、まだ裏の研究班が生き残っているのでは、彼の無念まで晴れた訳ではないのも解っている。

(……あたしが……やらなくちゃ)

 そうだ。その想いだけで今日まで生きて来たのだ。

 自分の遺伝子を弄くられたことに対する憎しみも、消えた訳ではない。けれど、自分の恨みを優先するのは、サイラスに対する裏切りのようにも思えた。

 視線を上に転じると、空の眩しい青さが目に沁みる。

 貴方の心残りは、必ず浄化するから。だからそれまで、貴方のことを考えるのを、棚上げさせてくれる?

 問うても答えは返らない。

 返らないけれど、サイラスなら笑って頷いてくれるような気もした。それは本当に、自分を納得させる為の自己満足というか、妄想に近いような気もしたが。

 目を閉じて深呼吸する。

 伏せていた目を上げれば、相変わらず青い空はそこにあった。

 とにかく、エマヌエルが戻る前に、少しでも顔を整えておかなければ。そう思って、建物の方へ足を一歩踏み出す。

 地中奥深い所で、身体の芯に響くような音が聞こえたのは、その時だった。


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