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CODE;1 The beginning of…

 メール送信ボタンを押して、ウォレス=パターソンは手にした携帯端末を閉じる。

 閉じた端末で送った文章を思ってか、モスグリーンの瞳が、柔らかく微笑した。自然唇も緩み、そうすると普段、やや角張った輪郭と凛々しい眉の所為か、「少し怖い」と言われがちな顔立ちが優しく見える。

 このところ、彼女とはずっとすれ違いだった。

 自分が休みの時は彼女、彼女が休みの日は自分に仕事がある状態が続いている。

 明日――と言っても既に当日の夜明け前だが――は久し振りに定時で上がれそうだったので、彼女を夕食に誘ったのだ。勿論、OKの返事が来た。宿泊施設のベッドの上で、覚えず笑みが零れる。

 今日の昼間も、たまたま研究所の中で行き合って、少しだけ話した。他愛のない世間話を、二言三言――肝心なことは、今も言えず仕舞いだ。

 いや、言える訳がない、とウォレスは目を伏せる。

 いくら双子の兄を一人にしない為だったとは言え、――いくら研究所の裏を白日の下へ晒す為とは言え。『こんなこと』に手を染めている、なんて、彼女に打ち明けられる筈もなかった。物事には裏側がある、なんて、十九歳にもなって考えてもみないような、今時珍しい天然記念物並みの神経の持ち主なのだ。話せば衝撃を受けるだろう、とか、彼女自身も研究を重ねることで片棒を担いでいることに気付かせたくない、とか、そんなものは建前だ。本音は、やはり彼女に軽蔑されたくないという一点に尽きるのかも知れない。

 何だかんだと言い訳を並べたところで、自分も既に『こんな身体』だ。胸元を握り締めると、寝間着代わりのTシャツに皺が寄る。


 一卵性の双子の兄であるウォーレン=パターソンに裏プロジェクトチームへの打診が来たのは、一昨年の冬だった。

 パターソン兄弟は、ゴンサレス研究所の遺伝子工学班で研究を重ねていた。遺伝子配列を後天的に操作することで、人工臓器を埋め込まなくても疾病の治癒を目指すことが出来るようにするというのが、彼らの研究テーマだった。

 拒絶反応のない人工臓器を創り出したのは研究所の快挙だが、臓器を移植しなければならない以上、開腹手術は避けられない。より、患者の負担を減らしたい。それを目指したプロジェクトチームの中に、彼女もいた。

 充実した研究の日々と、愛する女性。しかも、研究を理解し、補佐してくれる、理想的なパートナー。そして、生まれる前から共にある半身――双子の兄、ウォーレン。

 価値観を同じくする仲間に囲まれて研究に打ち込む日々は、幸福だった。幸福を幸福と認識出来ないほどに幸せだったのだと、今にしてみれば思う。

 けれど、二年前の冬、それは唐突に破られた。

 優秀だったのが災いしたのか、兄・ウォーレンが裏プロジェクトへの参加を打診されたのだ。打診と言っても、考える余地などない。本来存在する筈のないことを知った以上、拒否は死とイコールだった。誰に相談することも出来ず憔悴していく兄に、ウォレスが気付かない筈もなかった。ウォレスだけでなく、母親も気付いていたが、兄は母には頑として口を割らなかった。

 しかし、問い続ける弟に隠し切れなくなったのか、それとも誰かに聞いて欲しかったのか、ウォーレンは遂に裏への参加を強要されていることを弟にだけ打ち明けた。

 逃げよう、と言えば良かったのかも知れない。けれど、表の研究を放り出すことは出来なかった。志半ばで研究所の事故で急死した父の研究を成し遂げたい。そして、父が成し得なかった、患者の負担を減らす研究をいつか完成させたい。その思いだけで、今日まで研究を続けて来たのだ。

 それに、ウォーレンが引き抜かれる以上、ウォレスにも遠からず声は掛かっただろうことは想像に難くなかった。二人は、ことの真相を母には打ち明けぬまま、『裏』への転属を受諾した。そうして、思い掛けない事実に直面する。父の死因となった事故は単なる『事故』ではなく、裏プロジェクトの産物であるスィンセティックの暴走に因るものだった。

 そこから、兄弟は互いと母を守る為よりも大きな目的を持つことになる。父の復讐――この『裏側』を白日の下へ晒すことで、それを成そうと。

 その為に、内輪での実験体の候補にも名乗りを上げた。機会があれば、この身体を提供するだけで、悪事の証拠になると考えたからだ。

 ただ、血に濡れた理由で彼女に寂しい思いをさせていることだけが、ウォレスの心の奥にいつも引っ掛かっていた。

 もう、別れるべきなのだろう。こんなことをしていては、自分との未来などないに等しい。まだ引き返せる内に、自分ではない誰かと幸せになってくれるなら――けれど、身勝手にも『人間』であることを希求する心は、彼女を欲して止まない。

 どっちつかずな欲に引きずられるようにして、今も彼女と会う約束を取り付けた。

(重症だな)

 何に、ともなく自嘲の笑みが零れた、その時だった。微かな違和感を覚えて、目を瞬く。

(……何だ?)

 何か、空気が振動したような、そんな感覚。もっとも、『この身体』を手に入れていなければ、感じ取れはしなかっただろう。

 数瞬遅れて、非常サイレンが鳴り響く。

 反射的にベッドから飛び降りて、部屋のドアを開ける。廊下に出ると、泊まり込み用の宿泊施設に詰めたスタッフが、各々扉を開けて、不安げな表情で辺りを見回していた。

「何があった?」

「さあ」

 そんな会話がひそひそと囁くように交わされている。

 ここにいても、事態は判らない。ウォレスは、完全に部屋を出て、右手に進路を取った。手にしたままだった携帯端末のサブディスプレイを確認する。時刻は、午前四時過ぎだった。

 兄のウォーレンも、確か今日は研究所に詰めていた筈だ。予定は確か――そこまで考えを巡らせた瞬間、地面が揺れた。

 実際にはここは地下施設の三階だから地面ではない。揺れたのは床だ。周囲の悲鳴と爆音が絡まり合って耳を突いたと思った時には、身体が弾き飛ばされていた。


***


 身体の芯に響くような振動と、遠い場所から聞いてもけたたましいとしか表現しようのないサイレンの音に、アドルフ=ゴンサレスは文字通り跳ね起きた。

 外はまだ暗い。室内も、同じように薄墨を流したような闇に沈んでいる。時計を確認すると、デジタル表示は午前四時過ぎだ。

(……地震か?)

 まだ半分寝ぼけた頭でそう考えるが、既に地面の揺れは収まったにもかかわらず、サイレンの音は相変わらず続いている。

 ならば、火事だろうか。

 もしも火事なら、こうしてはいられない。

 ゴンサレスは天然パーマのかかった頭を軽く振って眠気を追い払う。

 枕元の黒縁メガネに手を伸ばし、手早く身支度を整える。万一外へ避難しなければならなくなった時の為に、寝室の壁に掛けてある厚手のコートを手にしたその時、枕元の携帯端末が着信を告げた。

「私だ」

 端末を耳に宛てる。ツーコール程で出たのだが、それでも遅いとでも言いたげな部下の声が噛み付くように飛び込んで来た。

『所長! 大変です!!』

「……何があった」

 これだけやかましくサイレンが鳴り響いているのだから大変なのは判っている、と言いたいのをかなり苦労して呑み込んで説明を促す。

『爆発です! 研究所が爆破されました!!』

「研究所が?」

 では、このサイレンは自宅ではなく、研究所から聞こえるものか。

 ゴンサレスは端末を耳に宛てたまま、急いで寝室から廊下へ出た。室内で聞いていた時よりも僅かにサイレンの音が大きくなる。

 廊下に設置されている大きめの窓に掛けられたカーテンは、この冬場の寒さを多少なり防ぐ為に厚手のものになっている。それを引き開くと、普段は少し遠い所に見えている研究所の建物が炎に包まれているのが嫌でも確認できた。

「どういうことだ」

『まだ詳しいことは……爆心は地下研究棟らしいとしか』

「地下研究棟だと?」

 普段滅多な事では動かない無表情の中で、ゴンサレスは目を見開く。

「とにかく、まずは消火だ。私もすぐそちらへ向かう」

 簡潔に指示だけすると、一方的に通話を切った。端末を懐へしまい、廊下を大股で進む。

 嫌な予感が、胸奥深い場所で蜷局を巻いている。しかし、それを脳裏で明確に形にする事はせずに、ゴンサレスはガレージへ通じる裏口へ足を向けた。


***


 フロリアンを含んだ、アズナヴール半島は、北の大陸<ユスティディア>最北の地で、広さは約千百平方キロメートル。

 その広大な敷地全てがゴンサレスの私有地だった。

 半島を丸ごと買い上げるなど無茶のように見えるが、ユスティディアに限って言えばそうでもない。ユスティディアは世界一治安の悪い大陸として知られており、金と力――種類は暴力や権力など様々だが――があれば大抵のことは解決する。

 アズナヴール半島を研究施設として購入したゴンサレスは、その半島の中でも更に最北端に位置するノース・エンド・シティに、本拠であるファースト・ラボを建設した。以後三十年に渡って、その地で人工臓器の権威として研究所と付属の病院を維持している。――あくまで、表向きにはの話だが。


 ようやく火勢が下火になったのは、ゴンサレスが爆破の報告を受けてから四十八時間以上経ってからのことだった。

 ファースト・ラボの敷地面積は、地上だけで約三百平方キロメートル。

 その地下に建設された地下五階プラス地下通路から成る研究棟はそれよりも広大だ。

 未だ完全な鎮火には至っていないが、ゴンサレスは取り敢えず仮眠を摂る為に、爆発の被害を免れた付属病院に設えられた仮眠室へ疲れた身体を引きずって来た。

 今現在出来る範囲で調べたところ、爆心は地下五階にある第一手術室。爆発があった日の午前四時頃、その手術室で行われた手術の患者が『AA(ダブル・エー)8164』と聞いた途端、ゴンサレスは自らの嫌な予感が的中したことを悟った。

 ベッドに身体を投げ出すも、約二日間、碌に睡眠を摂っていないのにもかかわらず、眠りは訪れない。代わりに頭を渦巻くのは、どうする、という自問だけだ。

 アズナヴール半島は、北半分がファースト・ラボとその付属病院、そこに勤める従業員の住宅街型の寮が占拠している。中間地点のリーフェンには、DNA研究所であるセカンド・ラボとやはり付属病院、そしてその従業員の居住区という、ゴンサレス帝国と呼び換えても良い土地だ。

 内、『裏』プロジェクトに携わるのはファースト・セカンド両ラボ全体のほぼ半数に当たる。

 今回のような緊急の場合には、『裏』のスタッフにはことを内々に処するよう厳命してある。――が、今回は些か被害の規模が大き過ぎた。

 火災発生から二四時間も経たない内に、その日定時に出勤して来た『表』のみしか知らないスタッフが、『裏』スタッフの制止を振り切り外部に応援を求めたのだ。

 何かが綻び始めている感覚が、どうしても拭えない。ゴンサレスの頭の奥で、何とも付かない、焦げ付くような感情が燻っていた。

 とにかく、まずは『AA8164』の所在を確認する事が重要だ。そもそもあれはダブル・ハーフ・ナンバーの付いた欠陥品だった。もっと早くに――欠陥が発覚した時点で始末してもよかったのだ。

 自らの判断の甘さに舌打ちした時、仮眠室のドアを控えめにノックする音が静寂を遮った。

「……お休みのところ申し訳ございません、所長。起きていらっしゃいますか?」

「……何だ」

 ノックと同じく控えめに呼びかける女性の声に、ゴンサレスはやや不機嫌な声で応じた。別に眠っていた訳ではないが、今は誰かと談笑している気分ではない事だけは確かだ。

「……申し訳ございません。玄関にお客様がお見えですが」

「客だと?」

 睡眠不足で重くなった身体をベッドから引き剥がすようにして起き上がると、ゴンサレスは出入口へ向かう。

 扉を細く開けると、気の弱そうな、見た目二十代くらいの女性スタッフが、困ったような顔をして立っていた。白衣の上に防寒用のカーディガンを羽織っているところからして、どうやら研究所のスタッフではなく病院に勤める看護士だろう。

「誰だ、こんな時に」

「……あの、警察の方だと……玄関でお待ちですが」

 ゴンサレスの不機嫌な様子にすっかり気後れしてしまったのか、それとも生来の性格なのか、女性の言葉は何とも要領を得なかった。

 ゴンサレスは様子に違わず苛立った溜息をこれ見よがしに吐くと、女性を半ば押し退けるようにして廊下へ出た。警察になら、既に十二分に事情を説明した。これ以上話すことなどない。

 何に対する怒りなのか判らないまま、沸々と沸いて出る負の感情に任せて大股で廊下を歩く。

 玄関に辿り着いたゴンサレスを迎えたのは、確かに警察官と思しき数名の男達だった。

 ゴンサレスの到着に先に気付いた一人の警官が、自分の方を向いて話をする上司らしき男に背後を見るよう促す。

 促された男は、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 ぽっこり突き出た腹に合わせたような太り気味の体躯の上に、ぽっちゃりと下膨れ過ぎた卵のような頭が乗っている。鼻は丸く、口元には年齢とともに色褪せ始めた灰色の髪の毛と同じ色の口髭が豊かに生えていた。下顎にも些か肉が付きすぎて、首を全て見るにはもはやダイエットが必要不可欠なようだ。

 ただ、中年太りした身体とは裏腹に、灰色掛かったグリーンの瞳には、今でも敏腕刑事と呼べそうな鋭い光が一瞬見え隠れした。

「――やあ。アドルフ=ゴンサレス所長ですな」

 と見る間に、鋭利な眼光は即座に消え去り、肉付きの良い顔には人好きのする笑みが浮かんだ。

「……失礼ですが、貴方は?」

 今は幻と思えた刹那の本質に警戒するように、ゴンサレスは男に問うた。

「お、これは申し遅れましたな。私――」

 勿体を付けるように男は言葉を一旦切ると、懐へ手を伸ばす。

 その手が、引っ張り出して来たものを確認して、ゴンサレスは足が勝手に後退さりしそうになるのをすんでのところで踏み留まった。

「私、CUIO・レムエ支部の支部長をしております。ベンジャミン=アスラーと申します」

 名乗った男の手に掲げられていたのは、警察手帳だった。

 しかし、地元の警察のものではない。

 手帳にあしらわれた紋章は、細長い葉で編まれた冠の輪の中に、天使の翼と、その上に王冠を模した意匠だ。CUIO――言わば世界全てが管轄と言っても過言ではない警察組織・国際連邦捜査局のものが、見間違いようもなく刻まれている。

「お疲れのところ、申し訳ございません。今回の爆発事故の件で少しお話よろしいですかな」

 と続いたアスラーの声が、どこか遠いところから耳に届いたような気がした。


***


「で? そこまで行っといて手ぶらで戻ったのかよ。そのまま引っ張ってくりゃよかったのに」

 他人事のような口調でのんびりと曰ったのは、見た目二十代半ばの青年だった。

 青年の名は、ウィルヘルム=ウォークハーマー。

 やや童顔で、下手をすると二十歳を越したばかりにしか見えないという人もあるが、実年齢は二十九歳である。

 見ように依っては黒から茶色へのグラデーションのようにも見えるダーク・ブラウンの頭髪と、同じ色合いの瞳が、楕円形・縁無しの眼鏡の奥で理知的な光を帯びている。その目元は切れ長、鼻筋は真っ直ぐ通り、真横から見るとそれはもう見事な細身の直角三角形を描いていた。

「そういう訳にもいかん。この上なく怪しいが、動かぬ証拠はまだないんだからな」

 アスラーは、ウィルヘルムの横顔を眺めるともなしに眺めながら、彼を軽く(たしな)める。

「だってもう何年も前からマークしてたんだろ?」

「まぁな。だが、どうにも尻尾を出さん」

「研究所のデータには?」

「ハッキングは試みているが、今のところ成功はない。もし成功したとしても、データだけでは証拠にはなり得ないしな」

 データは所詮データでしかない。人の手で幾らでも造り出せるものだから、シラを切られればそれまでだ。

 ゴンサレス研究所は、現在のところ、有史以来世界で初めて拒絶反応ゼロの人工臓器開発に成功した研究所として名を馳せている。

 殊に、その所長・アドルフ=ゴンサレスは、私財を投げ打って研究に身を投じ、世界中からの移植手術のオファーに応じている。手術代が払えない患者には無償で移植手術を行うなど、まさに篤志の人として研究所の名と共に世界でも有名だ。

 おかげで、今まで移植を待つより他に治療法がなく、時にそれを待ち切れずに世を去っていた筈の病の患者を残らず助けられるようになった。

 だが、研究所の名声も、ゴンサレス所長の善行も、あくまで表向きだけの話であることに、世界の大半が気付いていない。研究の為とは言え、世界で最も治安が悪いと言われている北の大陸<ユスティディア>に研究所を構えているのかを疑問に思う人間も、当然居なかった。患者からしても、自分を救ってくれる希望の光だ。自分の身の安全が守られれば、立地については些末なことだったかも知れない。

「連中が裏の所行に手を染めたという情報が入ったのも、拒絶反応のない人工臓器が出回り始めた頃のことだ。以後、レムエ支部で独自の監視を行って来たが……」

「遂に綻びが生じたってトコだな」

 嘲り半分、茶化し半分の笑い声が、アスラーの言葉を引き取る。

 アスラーは無言で溜息を吐くと、不意に話題を転じた。

「ところで、おれに話というのは?」

「ああ、この遺体だ。ちょっと見てくれるか」

 アスラーが否も応も言わない内に、ウィルヘルムはさっさと手元にあった死体袋のファスナーを開けた。

 白衣の下にワイシャツとスーツパンツ、靴を身に付けた遺体が露わになる。体型から判断するに男性のものであるのは判ったが、首の付け根から上だけがなかった。

「爆破跡から見つかったそうだ。俺は現場にはまだ足運んでねぇから、ここに担ぎ込まれて来た遺体だけ検分したんだけどよ」

「何か不審な点でも?」

 やはり、爆破に巻き込まれて亡くなったのだろう。よく見れば、着衣が煤で汚れているのが判る。ならば、運悪く首がなくなったとしても何ら不思議はない。――少なくとも、検死については門外漢のアスラーはそう思ったが、専門の検死官であるウィルヘルムの見解は若干違った。

「もし、本当に爆発に巻き込まれて死んだなら、残った身体の方にもその痕跡が何かしら残ってていい筈だろ。服を着てる上から見てもよく判んねーかも知んねぇけど」

「その痕跡が見つからなかったと?」

「服の下はほぼ無傷だ。首がもげてなきゃ、こいつは今もピンピンしてたろーぜ」

 アスラーは無意識に、ふむ、と声を漏らすと、顎に手を当てて考え込んだ。

 爆発に巻き込まれた訳ではないのに、首を失った状態で発見された――となれば、自ずと死因は知れる。

「爆発からは助かったのに、別のトラブルで死んだ……か?」

「その可能性は高いだろうな」

「ちなみに、こういう遺体が見つかったのはこの件では今日が初めてか?」

「ああ。俺が見る限りでは初めてだ」

 普段は冗談か本気か区別の付かないダーク・ブラウンの瞳は、いつになく真剣だった。

「この一件……ただの爆発事故じゃ終わらないぜ。……多分」

 ウィルヘルムの口から溜息混じりに吐き出された一言が、何故かアスラーの耳の奥にはひどく厄介な予言のように随分長い事こびり付いていた。


***


「……こりゃあひでぇな……」

 ウィルヘルムは現場に着くなり開口一番そう言った。

 無意識の言葉だった。

 もっとも、彼でなくともこの場に立てばそれ以外の言葉は出ないだろう。もしくは、開いた口が塞がらない体で沈黙するに違いない。

 ウィルヘルムの目の前には、荒涼とした景色が広がっていた。

 元は研究施設の巨大な建物群が軒を連ねていた筈だが、今はそれを連想させるモノさえ残っていない。

 事故発生からほぼ三日。ようやく鎮火が終わったばかりなのか、地面からは真夏の太陽に灼かれたアスファルトよろしく、熱気が漂っている。ここが北の大陸<ユスティディア>最北の地で、季節は真冬だなどと、俄かには信じ難い。

 殆ど更地と化したそこには、建物の残骸と思しき瓦礫が、大小入り混じり、雑然と敷き詰められている。例えるなら、まるでピンポイントで研究所の建物だけを狙って炎でも纏った竜巻が通り過ぎた痕のようだった。

 CUIO・レムエ支部総指揮の下、まずは瓦礫を撤去するところから始められているが、当然ながらまだまだ元通りの姿になるには至らない。

 ウィルヘルムは、爆心と目されている建物へ歩を進めた。内部から外装がこそげ取られたように崩れかけた建物の内へ足を踏み入れると、数メートル先に巨大な穴が口を開けているのが判る。

 落ちないように気を付けて穴の底を見下ろしたが、ウィルヘルムの目にはっきり見えるのは地下一階部分くらいまでで底の方はよく見えなかった。かなり地下層が深い施設だ。その地下一階部分も、床には大きな穴が開いている。

 上を見上げると、それこそ建物内で噴火でも起きたのかと訊きたくなるような傷跡が確認出来た。

「ウォークハーマー先生! 何か動きがあったようです」

「ん」

 一緒に来た検死官に促されて、ウィルヘルムは底なし穴に背を向け、建物の外へ出ると、軽く人だかりが出来た場所へ、検死官の後ろについて歩いた。

 近付くと、ざわめきの中から戸惑うような声が聞こえる。新しく遺体が見付かっただけにしては様子が妙だった。

「何があったんだ?」

「あ、ウォークハーマー先生。これを……」

 ひょいと無造作に人垣の外から顔を覗かせたウィルヘルムに、捜査官の一人が自分の目の前を示す。

 指の先に導かれて視線を向けた場所には、やはり遺体があった。但し、右腕だけでその先に通常ある筈の身体が欠片も見当たらない。

 そして、遺体の指先の延長線上にある地面には、赤い文字で何かが書き付けてあった。

「『Synthetic(スィンセティック)』……?」

 赤い文字を読む声を音に出して、ウィルヘルムは眉根を寄せた。

 どこかで聞いた言葉だ。直訳すると合成物とかそういった意味の言葉の筈だが、何か他に意味があっただろうか。

「ダイイング・メッセージか?」

「そう……とも取れなくもないですが、不自然でしょう。第一、ここには腕しかない。腕だけになる前に書いたのだとしたら――」

 ウィルヘルムの言葉を拾う形で答えた検死官は、自分の言葉にハッとしたように口を噤んだ。

「……どっちにしても昨日の遺体と何か関係あるかもな」

 爆発事故と、連続殺人かも知れない事件。

 この二つの出来事は果たして繋がっているのか。

「それにしても、スィンセティックって何のことだっけ」

「ここで研究してた生体合成兵器の総称よ」

 自分の記憶を探るより前に、凛とした声音が響く。

 声のした方へ視線を向けると、声の主はしゃがみ込んでいた姿勢から立ち上がるところだった。

 その人物は、俯いていた所為で顔が隠れるように下に流れていた深紅の髪を、首を振ることで後ろに回す。残った髪をしなやかな指が無造作に掻き上げ、隠れていた顔が露わになった。くっきりと整った目鼻立ちと、華奢な体つきは、一見して少女のものと断定出来る。伏せていた瞼の下から現れた、髪色と同色の瞳が、物怖じすることなくウィルヘルムを正面から見据えた。

「……生体合成兵器……だと?」

「そう。ここで人工臓器が研究されていたのは知ってるでしょ? その技術を応用、横流しして行われていた裏プロジェクトの産物」

「ふぅん……で、あんたは何でそんな重要事項を知ってんだ?」

「企業秘密」

 取り付く島もなく無表情に締め括ると、少女は踵を返す。肩先に掛かる程度の長さの髪が、少女の動きに合わせてふわりと舞った。

「――……誰だ、あれ」

 ウィルヘルムは遠ざかる少女の後ろ姿を見送りながら、誰に問うともなく不機嫌な声音で吐き捨てた。初対面の人間に理由もなく無愛想な態度を取られたら、彼でなくとも気分を損ねるだろう。

「今日から現場に加わったヴァルカ=クライトン捜査官だよ」

 野太い声に疑問を拾われて振り返ると、視線の先にいたのはベンジャミン=アスラー警部だった。

「彼女には、先日までラボの方で潜入捜査を受け持って貰っていた。その所為で、爆発に巻き込まれてな。と言っても軽い打撲と裂傷で済んだんで、一通り治療を受けた後、今日から捜査に合流したんだ」

「捜査官? それにしちゃ随分若いな」

 そういうウィルヘルムも、まだ辛うじて二十代だ。直に五十を迎えようというアスラーから見れば充分若いのだが、それを棚に上げた彼の発言にアスラーは苦笑した。

「詳しい事情は大きな声では言えないがな、まだ十七だ」

「は? 十七!?」

 若さの割にものに動じないウィルヘルムには珍しく、反射的に素っ頓狂な声が上がる。けれど、それも無理はない。

 その年頃の少年・少女と言えば、ハイスクールへ通っているのが普通だ。ウィルヘルムはそのずば抜けた頭脳故に飛び級で大学へ行ったが、それにしてもまだ社会の責任を負う心配をしなくていい学生だった事に変わりはない。

 それがどうして、こんな治安の悪い土地で捜査官などしているのかという疑問は当然のものだ。

「まあ、詳しい話は追々にな」

「んー、それはまあ後でもいいんだけど。今、彼女も言ってた生体兵器の研究って、前からおっさんがマークしてたっていう裏の所行のことか?」

「ああ。噂の段階だったからおれの独断で、CUIO本部からの支援はなかったがな。これで、と言ってはなんだが、やっと本格的な調査が出来そうだ。本当なら、こんなことになる前に調査に入れればよかったんだが……」

 トップに近ければ近いほど石頭で、体裁を重んじる余り初動で二の足を踏む。それは、古今東西どんな組織や国家でも似たり寄ったりらしい。

 と言ったことをブツブツと呟くアスラーの独り言を余所に、ウィルヘルムは少し別のことを考えていた。

 『スィンセティック』という単語を、つい先刻ここで目にするよりも前に、どこかで見た覚えがあった――それがどこでだったのか、ようやく記憶の底から探し当てたのだ。

 確か、父が亡くなった時に、その父の親友だという一人の男が、祖父に渡したUSBメモリがあった。それを、当時七歳だったウィルヘルムは、祖父の目を盗んでこっそり開封したことがある。その中に、確か、『スィンセティック』という単語があったのだ。

 ただ、たった一度素読みしただけでそのデータはバックアップも取らずに随分長いこと放置してあるから、既に読み返すことは困難だろう。よしんば読み返せたとしても、そのデータは東の大陸<トスオリア>にある、今は無人の自宅のどこかに埋もれていて、今すぐ確認するのは不可能に近い。

 ともかく、父の親友を名乗る男は、父の死因はそのUSBメモリの中身について調べていた所為だと言っていた。今思えば、そんな物騒な代物をわざわざ置いて行くな、と言いたいところだが、それから保護者代わりだった祖父母が亡くなるまで、怪しい連中に付き纏われたりだとか、危険な目に遭ったりなどといったことは別段起きなかったので、結果オーライというしかないだろう。

 それは、保護者代わりだったと言っても、母方の祖父母であったことと、ウィルヘルム自身がまだ幼かったこと、祖父母とウィルヘルムが生前の父と疎遠であったことも関係しているかも知れない。母は、ウィルヘルムが記憶も残らないほど幼い頃に病死した。兄弟姉妹もなく、父はそんな我が子を妻の両親に預け、亡くなる――正確に言えば殺されて死ぬ間際までに数えるほどしか会いに来なかった。けれど、祖父母が愛情たっぷりに接してくれたおかげか、遺体と対面した時も、特に悲しみはなかった。幸いなことに、自分を放り出していたことに対する恨みも。

 だから、ウィルヘルム個人としては、躍起になってその死因を追求しようとも思わなかった。

 しかし、今その単語と正面から向き合う必要性を感じて、ウィルヘルムは内心で舌打ちした。


***


「これが初めに発見されたもの。これが三日前、二日前、昨日、今日の順だ」

 最初に赤い文字で『Synthetic』と書かれた文字が見付かって四日。

 その後、次々とダイイング・メッセージと思しきものがあちこちで発見される事態が続いた。

 普通は法医師も現場に立ち会うものだが、メッセージが書かれるからと言って遺体も怪我人も減る訳ではない。ウィルヘルムはメッセージが発見されたらその写真と傍にあった遺体とをセットにして運んでくれるようにアスラーに頼んで、自分は遺体の検分と怪我人の手当の他、『Synthetic』の調査に専念することにした。

 今目の前には、アスラーが付き添ってきた遺体――中には全身ではなく身体の一部のみのものもあったが――と、その上にメッセージの書かれた地面を撮った写真とが並べられている。

 最初に書かれていた『Synthetic』も重複してあったが、他、『Hyumanotic(ヒューマノティック)』『AA(ダブル・エー)8164』『Double(ダブル) Half(ハーフ)』『No.0010』と書かれた写真がウィルヘルムにとっては目新しい情報だった。

「……何かまた専門的になって来やがるな。あの紅い髪の小娘に訊いた方がいいんじゃねぇのか」

 その方が実際早いだろう。そう思ったウィルヘルムが訊ねると、アスラーは、困惑と苛立ちをない交ぜにしたような表情で溜息を吐いた。

「そう思って、既に訊いたよ。だがヴァルカは、それについてはあまり協力的でなくてな」

「どういう意味だよ。潜入捜査官じゃなかったのか?」

 ならば、捜査に協力するのが筋だろう。そんな含みを持った、至極もっともな問いに、アスラーは何か言い掛けるように唇を開いたが、巧く言葉にならなかったらしい。結局、何も言わずにただ首を振った。

「とにかく、彼女は彼女の個人的な目的の為に動いている。その目的を阻むと判断すれば、あの子は我々に積極的に協力しなくてもいいんだ。それが契約だからな」

「契約?」

 ウィルヘルムが眉根を寄せる。その先を問う表情でアスラーを見たが、その場ではアスラーは口を閉ざしたままだった。

「……まあ、いいけど」

 それ以上待っても、今はアスラーは口を割らないだろう。そう判断し、ウィルヘルムは脱線し掛けた話を、元に戻した。

「おれも、少し調べてみた。このヒューマノティックってのは、人間ベースのスィンセティックだって話だ」

 『Hyumanotic』と書かれた写真を指して言うと、アスラーがホッとしたような顔でウィルヘルムの戻した話に乗った。

「人間ベース? ということは、人間を改造でもしたということか」

「らしいな。言うなれば、人体改造した、軍用キメラみたいなモンだと思う」

 生体合成兵器というからには、生き物がベースだ。

 人間ベースをヒューマノティック、動物ベースをフィアスティックと呼んで大まかな区別をはかっているらしい。

「でも、それ以外については調査はこれからだ。……この赤い文字の成分は血液だってところは判ってるんだけどな」

「個人の特定は?」

「最初に血文字を見付けた日に傍にあった腕の持ち主のDNAとは一致しなかった。やらせかとも思ったが、そう決め付ける訳にはいかねぇ理由がある」

「……例の遺体のことだな」

「ああ」

 頷くと、今度はアスラーが報告をする様に口を開いた。

「こちらの方でも捜査はしてる。と言っても、瓦礫撤去と怪我人の救出以外は差し当たって監視カメラの映像解析だけしか現場で出来る事はないが」

「監視カメラもやられてんのか」

「何せ、かなり広範囲に爆発の被害が及んでてな。とは言え、今時は旧暦時代の書物やデータから始まってるから、技術も進んでる。復元が可能だと思いたいが、今はまだ何とも言えんな」

「ふぅん……肝心の研究所の親玉は?」

「任意同行を散々渋った挙げ句に、トンズラこきやがった。全力で行方を調査中だが、まだ芳しい報告はない」

 だから、始めに引っ張っときゃよかったのに。

 そう思ったが、ウィルヘルムは勿論口には出さなかった。

「八方塞がりってヤツだな。怪我人の方からも何か訊けねぇのか」

 肩を竦めて溜息混じりに問うと、アスラーも先刻から渋かった表情を益々渋くして半ば吐き捨てるように言った。

「殆どが重傷で、まだ意識不明の者も多いからな。今は我々だけで出来ることをやるより他ないだろう」


***


 ()が落ちて、研究所跡からあらかた人が引き上げたのを見計らうと、ヴァルカは崩れおちた施設内へ足を踏み入れた。

 一階部分の床で、大きく口を開けた爆心の穴付近に屈み込む。片手で自分の体重を支えると、やや勢いを付けて地下一階部の床の無事な部分に飛び降りた。

 普通の人間であれば、道具もなしにそんな真似はまず出来ない。

 あまり人間離れしたことを衆人環視の中でやると、後々面倒なので、ヴァルカの個人的な現場検証はいつも陽が落ちてからだった。もっとも、他人を基本的に信用していないので、調べものをするのに他の捜査官を頼ったことなどついぞないが。

 同じ要領で地下二階に降りると、迷いなく歩を進める。

 スパイとして潜り込んでいた間に、ヴァルカはこの広大な研究施設の内部を全て記憶していた。

 右手に進路を取ってさほども行かない内に、左手に見えた扉に手を掛ける。

 そこは、施設内で唯一無事な監視室だった。

 勿論、監視カメラがずらりと並べられており録画もされている筈だ。だが、CUIOの捜査班の手はここまで回っていないらしく、破壊されたカメラの記録を復元するのに躍起になっている。

 けれど、無事な監視室が残っていることを報告する義務は個人的には感じていない。ヴァルカにはCUIOに積極的に協力しようという気は欠片もなかった。

 CUIO傘下の諜報機関CCA(ダブル・シー・エー)への勧誘を受け入れたのは、自分の目的を果たす為に有利だったからに他ならない。もし、今自分が組織に属している状況が、目的を果たす為の足枷になるなら、いつでも切って捨てられる。

 そう、考えるともなしに考えながら、ヴァルカはそっと扉を押し開けると、室内へ足を踏み入れた。

 電気が通っているか不安だったが、幸い送電線まで被害は及んでいなかったらしい。スイッチを押すと、室内はあっさり明るくなった。

 電気が通っていなければ、いくら監視室が無傷でも意味がない。

 内心ホッと安堵しながら、機械の電源を入れていく。

 ヴァルカのしなやかな指の動きに逆らうことなく、全部で十二ある画面が次々とリアルタイムの施設内の様子を映し出していった。

 普段なら画面の中も明るいのだろうが、研究所がまともに機能している時にここへ入ったことはないから判らない。今は、どの画面も薄暗く、人の姿はない――。

(……えっ!?)

 ――ない、筈だった。

 だが、自分から見て左端、一番下のモニターに映ったものに、ヴァルカは目を疑いながらも注視した。

 視界に入ったのは一瞬で、今見たものが定かであったか自信がない。

 咄嗟に他のカメラ映像に視線を走らせると、左端、下から二番目のモニターには確かに走り去る人間の後ろ姿が確認出来た。


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