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『彼は、S8917。君の交配相手だ』

 八歳になったばかりの頃、そんな言葉と共に一人の被験体に引き合わされた。しかし、それも『彼』と比べたら大変に印象が薄かった覚えがある。

 主治医として宛てがわれていた研究者・サイラス=クライトンに「コーハイって何?」と訊いたら、彼は首を傾げた。

『コーハイって……先輩・後輩の後輩のコトじゃないのか?』

 あんなところで仕事をしていた割に、彼は相当な天然だったのだろう。真顔で問い返してきた。

『ううん、そうじゃなくて、ほら、あそこにいる子』

 ヴァルカが指さした先に、S8917、と紹介された少年は、同じ室内にいながら所在なげに、それでいて無感動な表情で立ち尽くしていた。

『あたしのコーハイ相手なんだって』

 先輩後輩の『後輩』のことなら、『相手』という単語は付かない筈だ。

 丁度手にしていたティーカップを口元へ持っていったところだった彼は、そのままの状態で数秒考え込み、次の瞬間、紅茶を派手に吹き出した。その時は、ティータイムだったのだ。

 スィンセティックだからと言って、厳しい訓練に明け暮れていたかというとそうとばかりも言えない。

 少なくとも、ヴァルカが所属していた部隊は、確かに戦闘訓練もしていたが、時にこうした、一般人の生活を体験させるということもやっていた。

 赤子の頃、研究所に引き取られた子だけを集めた実験部隊だったので、研究所の内部しか知らない子供ばかりだからだ。

 ヴァルカには、研究者の考えることはよく解らないが、フィアスティックと違ってヒューマノティックは人の形をしているから、純粋な戦闘以外の使い道の為にもそうしたことは必要だと考えられていたのかも知れない。

 サイラスは、濃いブロンドの短髪に、藍紫の瞳を持つ、比較的整った顔立ちをした若い男性だった。年齢を聞いたことはなかったが、幼い頃のヴァルカは兄のように慕っていたものだ。

 吹き出した紅茶が気管に入ったのか、彼は暫く咳込んだ末に、何故そんなことを訊くのかと改めて問うた。

『ストックウィン博士に言われたの。あのS8917が、あたしのコーハイ相手だって』

 その答えを聞いたサイラスは、なるほどと頷いたが、また暫く考え込んだ。

 スィンセティックとはいえ、八歳の少女に、まさか露骨に、子作りの為の、所謂『セックス・パートナー』だという説明はできなかったのだろう。

 今にして思えば、赤ん坊の頃に遺伝子操作をしたヒューマノティック――Sナンバーの8000から10000までの被験体同士の間にできた子供がどうなるかを見る為の実験の一環だったことは、容易に想像できる。

 その真相も言うことはできなかったであろうサイラスは、恋人のことだと答えた。

『コイビトって何?』

 すると、また新たな質問が飛んで、サイラスは三度唸った。

『んー……ヴァルカから見たら、「好きになる男」のコト……かな』

『「好きになる男」? S8917は「男の子」だよ?』

『「男の子」は大人になれば「男」になるだろ? 解り難かったら、結婚相手って言い換えてもいい。もしくは婚約者』

 今なら理解できることばかりだが、当時は次々耳慣れない言葉が出てきて尚のこと混乱した。

 結婚とは、婚約者とは何か、そもそも好きとはどういうことかと質問責めにされた彼は、さぞ困惑しただろう。答えを保留にして、次に会った時に、恐らく辞書から調べたであろうメモを片手に説明してくれたのも、微笑ましい思い出だ。

 とにかく、その頃からヴァルカはS8917と過ごすことが多くなった。

 自然、サイラスと三人で過ごす時間も増えた。まるで兄妹か、親子のように。


 十三歳になったある日、初潮を迎えたヴァルカは、S8917――その頃には『ノエル』という呼び名で呼んでいた――と当然のように初夜を過ごし、子ができた。

 一般人で十三歳の少女が妊娠・出産というのはあまり例がない。様々不都合があるからだが、遺伝子操作されたスィンセティックには何の問題もなかったらしい。

 他の、Sナンバーも同じ年頃前後から続々と妊娠している。

 まだ人工子宮が完成を見ていないし、外部から代理母を入れる案も研究所側が躊躇っていたので、こうするしかなかったのだろう。

 何も知らなかったヴァルカは、幸せだった。少なくとも、その時は『幸せ』だと思っていた。もっとも、『幸せ』という単語も意味も知らなかったが、辛いと思ったことがないのは確かだ。

 けれども、懐妊を告げた時、サイラスは、『おめでとう』と祝福してくれながらも、どこか曇った顔をしていた。

 いつも柔らかな笑顔を絶やさない筈の彼が、そんな顔をしているのを見た覚えがなかったヴァルカは、思わず訊いてしまった。

『ラス? 悲しいの?』

『いや? そんなことないけど、何でだ?』

『だって、そんな顔してるから』

 サイラスは微かに目を見開いて、いつもの笑顔で首を振った。『ごめんな』と。『何でもないから』と。

 だが、今思えば、彼はいつもそんな、悲しみを秘めた笑顔をしていたのかも知れない。

 十月(とつき)十日を経て、ヴァルカは身体上の理由から、帝王切開で出産することになった。

 その『身体上の理由』とやらも、今考えれば怪しいことこの上ないが、最早確認する術はない。

 ヴァルカが全身麻酔から覚めたのは、手術から一週間ほどしてからのことだった。

 目を覚まして、最初に見たのは、自分が生んだ赤子でもなく、赤子の父親の筈のノエルでもなく、サイラスだった。

『ラス?』

『ああ、ヴァル……S9910。気が付いたか』

 ヴァルカは、ふと違和感を覚えた。

 彼が、自分を『名』ではなく、識別ナンバーで呼ぶ時は限られている。

 ヴァルカの名は、実は生まれた時からの名ではない。

 生まれた時、実の両親に名を付けられていたのかも知れないが、研究所へ被験体として提供された時に、ヒトとしての名はなくなった。

 ある日、サイラスに、どうして自分の名前は記号なのかと訊ねたら、やはり困った顔をした末に、彼は、じゃあ俺が名前を付けてやるよ、と答えたのだ。

『ホントに? ラスみたいな普通の名前?』

『ああ。ちょっと待っててな。次に会う時までに考えといてやる。でも、他の奴には内緒な』

『どうして?』

 当然の疑問を投げかけると、サイラスはやはり困った顔をして、少し間を置いて答えた。

『……事情があってな。皆に「普通の名前」を付けることはできないんだ。お前だけに名前があったら、皆が羨ましがるだろ? 他の研究者の人にもできれば内緒にして欲しいんだ。勝手なコトすんなって言われちまうからな』

 彼以外の研究者にとって、自分達は家畜と同じだったのだと、今なら解る。

 いずれ殺して食べることになる家畜に、名前など付けたら余計な情が移って、殺す時にひどい葛藤に苦しむことになる。それと同じ原理でもって、彼らは、自分達を記号化し、『モノ』として扱っていたのだ。

 ただ、易々と換えの利く『消耗品』とは意味合いが違うようだったが。

 サイラスだけが、自分をヒトとして扱ってくれたが、そんな彼も他の研究者がいる時は、自分を識別ナンバーで呼んだ。

『やあ、S9910。出産任務、ご苦労だった』

『……恐れ入ります』

 サイラスが視界から下がって、代わりにこちらを覗き込んで来たのは、ノエルを引き合わせてくれたストックウィン博士だった。

 型通りに答えたものの、違和感は続いていた。

 サイラスが、自分を識別ナンバーで呼んだ理由に思い当たったにも関わらず。

『あの……子供は』

『無事に生まれたよ。これから色々検査しなければならないので、暫くこちらで預かる』

『そう……ですか』

 自分で生んだ赤ん坊を見たい。抱きたい。

 そう思ったが、何故か言うことはできなかった。

 まだ、『研究者達に逆らう』という選択肢が、頭の中になかったからだ。

 研究者や、ノワールの訓練施設にいる教官は、育ての親であると同時に、上官だった。刷り込みとは恐ろしいもので、彼らに逆らわないことがヴァルカや、他の実験体の子供達にとって覆すことのできない、絶対のルールだった。

 しかし、『暫く』と言ったにも関わらず、赤ん坊とは中々会わせて貰えなかった。

 もう一ヶ月も経った、二ヶ月も経った、と事ある毎にサイラスに半ばグチめいたことをこぼしたが、彼はただ「ごめんな」と言ってそっと頭を撫でてくれるだけだった。彼には、何の権限も与えられていなかったのだろう。

『ノエルもこの頃会いに来てくれないのよ。あんまりだと思わない?』

『そうだな……』

 因みに、ノエルの名もサイラスが付けてくれたものだ。

 ノエルと引き合わされて三人で過ごすようになってから、彼にだけ名前がないのは可哀想、とヴァルカが訴えて、サイラスがこっそり与えてくれた名だ。

 出産の手術から目覚めてから、そのノエルの姿も見ていなかった。

 研究者達も、サイラスも何も教えてくれない。

 そうこうする内に、赤ん坊にもノエルにも会えない日々が続いて、一年が過ぎた。

 そんなある日、ストックウィンがヴァルカの元に一人のスィンセティックを連れて訪ねて来た。

 やはりヴァルカと同じ年頃の少年で、Sナンバーだった。

『S8481だ。これから彼が交配のパートナーになる』

『え……?』

 ヴァルカは、瞠目した。

 今までのヴァルカなら、「はい、解りました」と言って頭を下げただけだっただろう。

 しかし、納得できなかった。

 納得できなくとも疑問は持ってはいけないと解っていたけれど、言わずにはおれなかった。

『でも、あの……ノエ……いえ、S8917は? 私のパートナーは彼の筈です』

『彼なら別のパートナーとの交配作業に従事することになった』

 今度こそ絶句した。

 その言葉の意味が、理解できなかった。

『待って、下さい。どうしてそんな……』

『君が理由を知る必要はない。今後はS8481との間に子を成すよう勤めるのが交配作業に於ける君の任務だ』

 理由を知る必要は、ない?

 何故そんなことを言われなければならないのか。

 自分にだって意思はある。人形じゃない。それが突然、ノエル以外の男との間に子を成せなど――到底納得できなかった。

『承伏し兼ねます』

『何だって?』

『あなた方は、私とS8917との間にできた子も取り上げたままです。出産から一年以上経つのに会わせても貰えないなんて、おかしいですよね。それに、突然パートナーを変えろと言われても、納得できません。理由を教えて下さい。赤ちゃんに会わせて』

 叫び出しそうになるのを辛うじて堪えながら、これまで溜め込んでいた不満を吐き出す。

 これが、訴えた相手がサイラスだったら、この後何事もなかったかも知れない。

 しかし、ストックウィン博士は、まるで信じられないものを見るかのような目でヴァルカを眺めた後、近くにいた兵士に『拘留しろ』と指示を出した。

『待って、どうして!? 理由を教えてって言ってるだけよ! 赤ちゃんに会わせて欲しいと思うのがそんなに悪いことなの!?』

 両サイドから兵士に拘束されながら、ヴァルカは必死で言い募った。

『君達は疑問を感じる必要はない。ただ我々の言う通りに任務をこなし、ある時は子を成し、戦闘でその力を言われるままに振るえばいい』

『あたし達は人形じゃない!!』

 子供を成す道具でも、戦う為の無機質な兵器でもない。

 信じられない言葉に、思わず噛み付くように言い返す。

 すると、ストックウィン博士は、今度こそ氷のような目でヴァルカを見据えた。

『これはやはり、クライトン博士の責任も問うことになりそうだな』

『ラスが……何ですって?』

 サイラスの姿が脳裏に浮かぶ。

 そう言えば、今日は彼にも会っていない。毎日会う訳ではないが、三日に一度は会うのに――今日はその日の筈なのに。

 ストックウィン博士が、パチンと軽く指を鳴らすと、拘束された状態のサイラスが室内へ連れて来られた。後ろ手に縛られた彼は、突き飛ばされるように放り出されて、たたらを踏んでその場に崩れる。

『ラス!』

『彼には研究班から外れて貰うことになった。S8917の教育状態を見た時点でまさかとは思っていたが……君のその様子を見て決定的になったな』

『……何の、話?』

『S8917もおよそ似たようなものだった。再調教して元通りになったが、その手間を掛けさせ、著しく研究を阻害したことと、兵器を普通の人間を扱うように教育したこと。その罪状は窮めて深刻だ』

『ラスは何もしてない!』

『そう、彼は何もしなかった。自分の義務を怠った。自分が教育するモノが、兵器ではなくヒトだと錯覚したことが、彼の過ちだ』

 兵器……兵器?

 あたし達は道具と同じなの?

 特殊な子供だと言われて育った。戦闘訓練は厳しかったけど、特別イヤだと思ったことはなかった。

 それに、兵器はあたし達だって扱う。あれは、道具だ。戦う為の、『道具』。心を持たない『モノ』。

 この人達にとっては、あたし達もそれらと同じ『モノ』だって言うの?

 ヴァルカはこの時、自分の存在意義に人生で初めて激しく疑問を持った。

『彼を処分したまえ。S9910は処置室へ』

『は』

 しかし、混乱するヴァルカの思考が纏まらない内に、ストックウィン博士が兵士に命じる。

『待って! 処分って何を』

『一度この研究に携わった者を外部に出す訳にはいかない。研究班から外れるということは、死を意味すると、彼にも前もって言ってあった筈なんだがな』

『嫌! ラスは悪くない!!』

 ヴァルカの必死の制止を遮るように、兵士達が銃を構える音が無情に響く。

『ヴァルカ』

 それまで黙っていたサイラスが、研究者達の前にも関わらず、ヴァルカの名を呼んだ。彼が着けてくれた、大切な名前。ヒトとしての名前。

『忘れるな。お前は人間だ。誰の道具になる必要もない。お前にはお前の意思がある……!』

 瞬間、複数の銃声が轟いた。

 サイラスが死の間際の不気味なダンスを踊る。白衣のあちこちに赤いシミを滲ませた彼は、やがて糸が切れた操り人形のようにその場へ倒れた。

『ラス! 嫌あ!!』

 ヴァルカは、両側から自分を押さえ付けていた兵士の腕を振り解いて、サイラスの傍へ駆け寄った。

『ラス! 嫌だっ……死んじゃ、嫌……っ』

『……ルカ』

 彼の上半身を抱き上げて揺すると、その唇が喘ぐように動いた。まだ息がある。けれど、その命の残り火はほんの僅かであることは、嫌でも理解せざるを得なかった。

『わ、すれる、な……前、だけじゃ、ない……お、前達、は……き、かい、じゃ、な……』

『ラス……?』

 その声は微か過ぎて、きっとヴァルカと、そこにいたヒューマノティックにしか聞こえなかっただろう。それが、S8481の心にどんな影響を及ぼしたのか、または何の影響も与えなかったのか、ヴァルカには解らない。

 腕に抱いたサイラスの重みが増して、それきり彼は動かなくなった。

『ラス……嘘……起きてよ。ラス?』

 呼んでも揺さぶっても、彼はもう目を開けない。

『嘘……嫌だ。こんなの、嘘だぁ……っ』

 サイラスは、二度と起きてくれなかった。

 これが、『死』を初めて実感した出来事だった。

 それまでに、訓練で散々人を殺してきた。

 実戦訓練に放り込まれれば、自分が生き残る為に引き金を引いてきた。何の躊躇いもなかった。

 施設内でも、『訓練』と称して生きた人間と文字通りの殺し合いをしたことも、一度や二度では利かない。

 『死』とは、こんなにも重いものだったろうか。

 目を閉じた人が、二度とその目を開けてくれない。それが、こんなに、絶望に近いもどかしい喪失感を伴うものだったろうか。

 ヴァルカは声を上げて泣いていた。人生で、初めて流す涙が『悲しみ』という名の感情を伴っていたのだと、ずっと後になって知った。その悲しみは、あまり間を置かずに怒りに変わった。

『許さない……』

 そっとサイラスの遺体を床へ下ろすと、ヴァルカはフラリと立ち上がった。瞬間、その姿が掻き消えた。

 その場にいたのが普通の人間だけだったなら、ヴァルカはその怒りを憎い仇にその場で叩き付けることができただろう。

 けれど、もう一人、自分と互角に戦える者がその場に居合わせたのを忘れていた。

 床を蹴った瞬間、ストックウィンが『殺すなよ』と言ったのが、誰に向けての指示だったのか、気付くと同時に動きを封じられていた。

『離してっ! 離っ……!』

 何かが、身体の中を貫いた。何だったのか、この時のヴァルカには解らなかった。多分、スタンガンの類だっただろうと思う。

 途端、唐突に足から力が抜けて、ヴァルカは意識を手放していた。


 次に目覚めたのは、拘束具付きのベッドの上でだった。

 鏡を見ることはなかったが、一部髪の毛を剃られていて、頭部を切り開くことなくICチップを埋め込む実験を兼ねて、自分にチップが埋められたらしいと知った。

 ノエルもきっと、その手術を受けたのだろう。

 虐待に近い再調教の地獄と、Sナンバーの異性に強引に犯される毎日が始まった。催淫剤の類を投与されることさえあった。

 人工受精卵を子宮に移植する方が、研究者側には楽だっただろうにそれをしなかったのは、スィンセティックが意図的に自然妊娠を成立させる能力があるかどうかの統計を見る為もあったらしい。

 でも、どうせ子供ができて生んだとしても、また取り上げられる。子供の父親となる相手と心を通わせることも、ないだろう。

 けれど、最初に子を成した相手であるノエルとも、思えば心を通わせたことはなかったような気がする。一種の『家族』に似た感情はあったが、それだけだ。ふと懐かしく思い出しこそすれ、恋しいと思うこともなかった。

 恋しいのは。恋しいと思うのは、もどかしいほどに会いたいと切望するのは、サイラスだけだった。勿論、『恋しい』という言葉さえ知らなかったけれど、会いたくて焦げそうになる思いが向かう先には、彼しかいなかった。訓練と再調教と、毎回違う男に犯される日常に、正気でいられる限界が迫りつつあった。

 人間としての意思を持った時点で、ここでの特別扱いは終わるのだと思い知った。その特別扱いでさえ、そう思い込まされた刷り込みだった。

 死にたくはない。だが、このままの毎日ももう真っ平だ。

 自分は人間だとは言えない。散々人を殺しておいて、人間だと言い張るのも烏滸がましい。

 しかし、道具でもない。研究者にいいようにされるだけの、玩具でもない。

 サイラスの今わの際の言葉が、繰り返し脳裏に木霊するようになっていた。


 ――忘れるな。お前は人間だ。誰の道具になる必要もない。お前にはお前の意思があるんだ。


 ――お前だけじゃない。お前達はみんな機械じゃないんだ。


 彼のような考えの人間が、どうして裏の研究に手を染めていたのか、ヴァルカには今以て解らない。もしかしたら、裏の所行を暴く為にわざわざ入り込んだのかも知れない。

 だとしたら、彼は志半ばで命を絶たれたのだ。

(それなら、あたしが、やり遂げるから)

 いつしか、ヴァルカはそう思うようになっていた。

 大丈夫。

 ラスのやりたかったことは、あたしが必ずやり遂げる。ラスの無念はこの手で、彼らに与えられた『この力』で晴らす。

 だから、見ていて。どうか、力を貸して。

 そう思うことが、正気と狂気の狭間で踏み留まる力になっていた。

 それから程なく、研究所からノワールへの移送中の隙を見て、ヴァルカは脱走することに成功した。

 十六歳になる少し前のことだった。

 育ての親となるアスラーと出会ったのは、その逃亡の途中でのことだ。

 彼がCUIOのレムエ支部長をしているのを知ったのとほぼ時を同じくして、彼もヴァルカの素性を知った。

 以前から研究所のことを調査したがっていた彼には、正に渡りに船だっただろう。ヴァルカの能力を捜査に生かせれば一石二鳥と、アスラーはヴァルカに話を持ち掛けた。

 交換条件と共に潜入捜査で、今度は研究者として研究所に潜り込んだのは、更に半年後のことだった。


 ヴァルカがモルモット時代、主に身を置いていたのはセカンド・ラボの方で、ファースト・ラボで手術や訓練を受けるということは滅多になかった。その為か、眼鏡を掛けるなどの軽い変装をして潜り込んだ結果、例の爆破事故が起きるまで、研究所側がヴァルカに気付くことはなかった。

 その間に調べたところ、ノエルは意外にも処分されたヒューマノティックとして記録されていた。すると、ノエルの再調教もうまくいかなかったのではないか。

 当時の、ストックウィン教授を、心の中で嘲ることで、ヴァルカは少しだけ溜飲を下げた。

 けれど、それだけだった。

 マグマのように胸の奥で燻り続ける憎しみは、まだサイラスを忘れていない証のように思えた。

 アスラーの元へ来て、一般常識を学ぶ内、ヴァルカは初めてサイラスへの感情に『恋』という名がついていると知った。

 異性を思うこと。惹かれて惹かれて、理屈では割り切れない、憎しみとは違う焦げるような思いには、しかし名前など要らないような気もした。


 混雑するヒューマノティックの集団の中を、彼の姿を求めて縫うように走り出しながら、ヴァルカは彼の言ったことを考えていた。

『私はゴーレム・ナンバー1727だ。人間のような名前はない』

(ゴーレム・ナンバー……)

 調査の過程でデータを見た覚えだけはあった。

 ゴーレムとは、スィンセティック開発の一環で、死んだ人間の身体を兵器として再利用する為に研究開発されていた技術だ。

 成功した被験体は、まるでロボットの如く、自我も思考も感情も理性も持たない、使役する者の操るままにその能力を行使できる、文字通りの『自動兵器(オート・ウェポン)』だ。

 ただ、約半分の割合で生前の記憶か、自我・思考・感情・理性、或いはそれら全てを持ったまま蘇生する被験体もあるらしい。そういう者は、そもそも『死んだ身体の再利用』だから、フィアスティックやヒューマノティックと違って、どうにか再調教を施そうとしたりはせず、即刻廃棄処分となる。

 感情コントロールの面倒がない代わりに、やってみないと成功するか否かの判断が付かないという点で、大量生産は望めないリスキーな技術だ。

 そして、彼はヴァルカを知らない目で見つめた。まるで他人を見るような目だった。

(あんたは……死んでようやくあいつらに忠実になったって訳ね……)

 ひどく皮肉な話だった。

 ならば、追い掛ける理由などない。彼は自分を覚えていないのだ。

 もう、あの時死んだものと思って、今自分が成すべきことをすればいい。そう、頭では解っている。

 けれども、ヴァルカの足は止まらなかった。理性では割り切れない何かが、彼と会いたい、もう一度話をしたいと切望して収まりがつかない。

 会っても、あの冷たい視線をもう一度向けられるだけだ。でも、声を聞きたい。

 相反する感情を持て余しながら、ヴァルカはサイラスの姿を探して視線を彷徨わせた。


***


 フロリアンを出て、六時間が過ぎていた。

 そろそろ、時間通りならリーフェンに着く頃合いだ。

 あの後、また十分ほど掛けて意識のない人間五人と、ウィルヘルムを乗せて、エマヌエルはウィルヘルムの指示通りに運転していた。

 眼鏡がないとは言え、勿論全く見えない訳ではないらしい。加えて、六時間が経ってもまだ明るい時間帯であることも幸いした。

 記憶とほぼズレのない道を辿りながら、その道すがら、エマヌエルはウィルヘルムに念入りに釘を刺していた。

「途中でそのうるさいおっさんが目ぇ覚ましたら黙らせろよ。静かに乗車していて頂けないようならその辺に放り出すからな」

 言葉は至極丁寧だが、内容と言ったら物騒なことこの上ない。

「黙らせるってどうやるんだよ」

「そりゃあ、あんたが考えろよ。俺だったら鳩尾か後頭部に一撃喰らわせて寝て貰うけど」

「怪我人相手に乱暴だろ、そりゃ」

 もっともなツッコミが入ったが、エマヌエルはサラリと聞き流した。

「断っとくけど、俺はあんたに借りを返すとは言ったが、そのおっさん以下四名についちゃ助ける義理も義務もないんだ。忘れんなよ」

「……悪ぶって突っ張っても可愛くねーぞ」

「あんたに可愛いなんて思って貰ったって、嬉しくも何ともねーんですけど」

 ふんと鼻を鳴らしながら、エマヌエルは細く窓を開けた。数センチの隙間から、ヒヤリと冷えた風が入り込んで来る。

「おいおい、何窓開けてんだよ、寒いじゃねぇか」

「いちいちうっせーな。あんたも黙らせてやろうか?」

 空気を呑んだようにしてウィルヘルムが沈黙するのを確認する間も惜しく、エマヌエルは開けた窓の隙間から外の気配を探る。

 リーフェンの研究施設まで、後二キロほどだ。

 目の前の景色は、来る時と変わっていないように見えたが、目的地は判らない。

 神経を研ぎ澄ませながら、更に数百メートルほど走ったところで、エマヌエルは急ブレーキを掛けた。

「わっ!」

 悲鳴を上げたのはウィルヘルムだった。

 助手席でシートベルトをしていたものの、そのシートベルトが食い込むような衝撃を感じて、運転席のエマヌエルを非難がましい目で見た。

「おい、いきなり何……」

 続けて文句を並べる彼を無視して、エマヌエルは車を降りた。地面に立って、目的地に目を眇める。

 もうすぐそこに見えるセカンド・ラボからは、微かに煙が上がっていた。

(遅かったか)

 エマヌエルは舌打ちした。

 デジタル通信機能というものは、場合によっては非常に厄介な代物だ。戦争時となれば尚更である。

 味方同士の連絡が即取れる反面、その恩恵を敵にも与え、技術によっては相手の情報は取り放題。自分達の通信手段を確保した上で、敵の通信手段を奪うことも、最近は可能になっている。

「おい、エマ?」

 すぐそこに見えているセカンド・ラボの方角を向いたまま、表情を硬くしているエマヌエルに、ウィルヘルムが焦れたような声で呼んだ。

「あんたらはここから戻れ」

「ええ?」

「いや……戻っても危ねーな。とにかく、セカンド・ラボには近付かない方がいい」

「どういうコトだよ」

 ウィルヘルムは、唐突に言われたことの意味が解らないとでも言いたげに眉根を寄せる。しかし、次の瞬間、ハッとしたように表情を強張らせた。

「まさか」

「そのまさかだよ。もうセカンド・ラボにも連中の手が回ってる。ここからは俺一人の方が動きやすい」

「待った!」

 今しも走り出そうとするエマヌエルを、ウィルヘルムが呼び止める。

「何だよ」

「おれも行くよ。一分くれ。おっさん起こすから」

「はぁ?」

 今度はエマヌエルが盛大に眉を顰めた。

「おい。どういう意味だよ」

 問う間に、ウィルヘルムは素早くシートベルトを外して、後部座席に移動している。

「データの詳しい場所が知りたいんだろ?」

 そう答える合間に、「ほら、おっさん起きろって!」という呼び掛けが挟まれる。

「言ったろ。大体の場所が判ればそれでいいって。この状況じゃあんたがいると足手纏いなんだよ」

「じゃあ、言い方を変える。ここから逃げるにしても眼鏡がないと不自由なんだよ。度がもうちょっとキツメの眼鏡、あっちに置いてあるから、新調するまでの繋ぎでもいいから取って来たいんでな」

 忙しく後部座席の隙間からエマヌエルがいるかを確認する為に顔を出したり引っ込めたりしながら、ウィルヘルムは引き続きアスラーを叩き起こす努力を続けているようだった。

「ボディガードやってくれると助かるんだ。これでこっちの借り一つ。文句ないだろ」

 文句はないと言えばないが、あると言えばある。

 何で俺がそんな危険を冒さないといけないんだ。

 そう脳裏でぼやきながらも、エマヌエルは律儀にウィルヘルムがアスラーを起こすのを待っていた。見捨ててさっさと行ってもいいが、そうして多分追い掛けて来るだろうウィルヘルムがうっかり死んだりしたら寝覚めが悪いような気がしたからだ。

 もういっそ、最初から心も失くしていれば、どんなに楽だっただろう。他人のことなど思いやることを、いっそ忘れてしまえたらどんなに――。

(……面倒くせ)

 そう思ったが、それが何に対する感情なのか、エマヌエル自身にも解らない。

 一つ重い溜息を吐くと、エマヌエルは車体に凭れて暮れ始めた空を見上げた。


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