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「その後の状況はどうだ」

 ヴァルカとの通話を切ったアスラーは、第二仮本部の中で他の刑事と共に通信機と格闘しているウィルヘルムへ問う。

「さあな。相変わらず寸断状態。ウンともスンとも言わねぇわ」

 何故か通信障害の回復班へ回されたウィルヘルムは、アスラーを振り返ってお手上げのジェスチャーをして見せると、すぐにまた画面へ視線を戻した。

 レムエ支部は、北の大陸<ユスティディア>全土を管轄下に置いている為、各地にCUIO諜報機関・CCA(ダブル・シー・エー)の諜報員達が散って、常に監視を行っている。が、警察組織のクセに、既にマフィアなどの犯罪組織が蔓延(はびこ)るユスティディアに手を入れるのは面倒と言わんばかりの本部が戦力を出し渋るので、監視するだけが精一杯だというのが現状だ。

 数分前に、その監視班の一つ、トロス派遣班から連絡が入った。

 表向きにはトロス政府が公式に所持しているとされるリッケンバッカー在所の軍事施設が、三日ほど前に爆発炎上した。すぐに連絡を入れなかった理由を問うと、入れ『なかった』のではなく、入れ『られなかった』のだという。

 通信が何かに妨害されていて、繋がったのも奇跡に近かったらしい。現に、そのやり取りだけで、通信は再び途絶えた。

「一体どうなっている……」

 それでなくとも、このフロリアンでも、つい三日前に女性が一人拉致され行方不明になっている。それも、自宅の玄関が爆破された上でだ。

 次から次へと起こる事件と、それでも腰を上げようとしない本部への苛立ちを押さえ切れないのか、アスラーは空いた空間を無意味に行ったり来たりしていた。

「しっ、支部長!」

 通信機器に向かっていた部下の一人が悲鳴を上げたのは、その時だった。

「どうした」

「それがっ……フロリアン内部の通信も繋がりません!」

「何だと!? どういうことだ!!」

 先刻まで、自分はヴァルカと確かに携帯端末でやり取りをしていたのだ。ほんの一、二分の間に一体何がどうなったというのか。

 ウィルヘルムも、普段の飄々とした様子と打って変わって真剣に画面を睨み、キーボードに指を滑らせているが、何も言わないところを見ると彼にも原因は判らないらしい。

 アスラーも、手にした携帯端末でもう一度ヴァルカの番号を呼び出すが、先刻は苦もなく繋がったものが、今は電子音も聞こえない。

 何らかの原因で繋がらない時は、例の『お客様のお掛けになった番号は――』というアナウンスがある筈だが、それすら流れない。

 その時、ノイズ音がした。端末ではなく、外部だ。

 音のした方へ顔を振り向けると、第二仮本部としているボックス・カーの中に設えられている通信機器の画面が一斉に砂嵐状になり、数秒後に画面が切り替わった。

 画面に映っているのは――犬? いや、狼だろうか。

 正面からのアングルなので、何とも様にならないが、人間でないことは確かだ。

『ゴンサレス研究所にいる全スタッフに告ぐ。こちらはリッケンバッカーの軍事施設から話している。私の名は、アダム』

 だのに、犬だか狼だか判らない動物は、何と人間の言葉を話した。

『三日ほど前にここを占拠させて貰った。すぐにでも連絡したかったが、そちらの被験体を掌握するのに少々手間取ってな。連絡が遅れたのは申し訳ない』

 内容は詫びだが、とても謝罪しているようには聞こえない。第一、連絡を待っていた訳ではないから、その点について謝罪されてもこちらとしてはリアクションしようもなかった。

『さて、本題に入ろう。既にそちらも我が同胞が制圧しつつあると思うが、身体を遺伝子レベルから(いじ)くられたり、身体を開かれたり実験されたりするのにはいい加減うんざりしているのでね。もうそういうことを考える人間がいなくなるよう取り計らおうと思う』

 今目の前で起きている事態に全くついていけない。

 これまで、数々の修羅場を潜って来たアスラーからしてそうなのだから、彼より若い刑事に至っては、何をか言わんや、だ。

 この研究所の裏プロジェクトについて、大半の下調べが済んでいる筈のウィルヘルムでさえも、相手の言うことを理解するので精一杯だった。

『人間は食物連鎖の頂点に立っていると思い込んでいるのか、動物や自分より弱い立場の人間には何をしてもいいと思っているらしい。ならば、その理屈通りにしてやろう。君達に与えられた最凶の能力で、人間より優位の力を持つ我々スィンセティックが今から支配者となる』

「一体……どういうことだ」

 アスラーは我知らず呟いていた。しかし、恐らくこちらの音声は向こうには届いていまい。

 にも関わらず、まるでアスラーの問い掛けに答えるかのようなタイミングで、画面の向こうの動物が言葉を()いだ。

『主導権はフィアスティックにある。だが、人間の姿をしていてもヒューマノティックは同胞だ。我々と同じく身体を暴かれ、苦しんで来た。これからは安らかに生きる権利がある。また人間であっても、我々に絶対服従する者には生きる権利を与えよう』

 だが、ただ生かしておいてやるだけだ。息をしているだけ有り難いと思え。

 その言葉は、動物の口からは漏れなかったが、その表情がありありとそう語っていた。まるで人間のように、豊かな表情だった。

『このユスティディア最西端・リッケンバッカーと最北端のフロリアンから制圧は始まる。だが、感謝するんだな。研究所に勤める諸君は、は少なくとも「始まり」を知ることができたのだから。では諸君。健闘を祈る』

 瞬間、地響きが轟いて、アスラーの意識は闇に放り込まれた。


***


「――ということだが……そう言えば、貴殿らには伝令が届かなかったのか?」

 巨大鳥型フィアスティックは、話を締め括ると、先刻と同じように首を傾げてエマヌエルとヴァルカを見た。

 しかし、エマヌエルはあまりのことに言葉が出て来ない。

 ユスティディアを――()いては世界を制圧する? フィアスティックが?

「伝令ってどういうコトだ」

「何を言っているんだ。脳内のICチップを通じて指令があった筈だろう」

 ギクリとして思わず頭に手をやる。

 そのICチップは、全てのスィンセティックの脳内に埋め込まれている。それに組み込まれているプログラムによってフォトン・エネルギーを操ることが可能になっているもので、エマヌエルとて例外ではない。

 ちなみに、体内にフォトン・エネルギー発生装置を持っていないヴァルカや彼女と同タイプのスィンセティックの場合、通常、ICチップは埋め込まれない。赤子の時に改造を施された上に施設で育つので、基本的には必要ないと見なされるからだ。

 ただ、ヴァルカはその成長過程で造反した過去を持つ為、例外的に脳内にICチップがある。

 そして、フォトン・エネルギー発生装置を体内に持つスィンセティックのチップには、洗脳プログラムが平行搭載されている。だが、幸か不幸か、エマヌエルのものはたまたまその洗脳プログラムだけが飛んでいた。おかげで、エマヌエルは未だに自我を保ったまま現在に至っている。

 ヴァルカも、研究所に反抗した際に、洗脳プログラムのみを搭載したものを脳内に埋め込まれたらしい。

 だが、彼女のものも欠陥品で、プログラムによる洗脳はうまくいかなかった。それ(ゆえ)に、研究者達は仕方なく、どちらの場合も急場凌ぎ的に後付けで外から服従するよう『再調教』したのだ。あまり益はないことではあったが。

 そのICチップを通して伝令があったとは、どういうことだろう。

(……まさか)

 一つの可能性が脳裏を()ぎる。

 洗脳プログラム部位に、遠隔操作で命令を上書きするプログラムの開発でもしていたのかも知れない。

(どこまでヒトの身体を弄くり回せば気が済むんだよ)

 唾棄したい思いで目を伏せる。

 そんなエマヌエルの内心を知らぬ巨大鳥は、小首を傾げたまま、こともなげに言った。

「まあここは研究所から大分離れている。電波が届かなかったのなら知らなくても仕方がないな。大分遅れてしまったが、大丈夫だ。私から取りなしてやろう」

 随分上から目線だな。と思ったが、エマヌエルは黙って巨大鳥を見上げた。

(まあ、正しく『上から』見下ろしてんだから仕方ないっちゃ仕方ないけど)

「さあ、行こう。そろそろ研究所の制圧はあらかた済んだところだろう」

 この『反乱』さえも、殆どが彼らの意思ではないとすれば、いっそ哀れだ。

 昨日までは人間の意思で、今日は研究所に憎しみを持つ『何者か』の意思で動かされているのだとすれば。研究所への恨みすら操られているのなら――。

(それは、俺も同じコト……か)

 クツ、と自嘲の笑みが漏れる。

 勿論、エマヌエルの『憎しみ』は自分のものだと自信を持って言える。操作されてなどいない。

 『復讐』は自分の意志だ。

 けれど、それは結局研究所に身体を改造されたことから来ているものだから、考えようによってはやはり操られているのと大差はないのかも知れないと思う。

「どうした? 二人とも背中に乗るといい」

 と言いつつ背中を差し出した鳥にちらりと視線を投げた後、ヴァルカと一瞬目配せし合う。

 瞳の中に何が書いてある訳でもない。

 それでも、『誰の指図も受けるものか』という意思は共通していた。

「いや。俺達は後から行く。車があるしな」

 しかし、それを真っ正面から言わないだけの分別は、エマヌエルも持ち合わせていた。

 或いは、研究所に服従するフリをしていた経験が、そうさせたのかも知れない。

「そうか。では私は先に戻ろう。研究所跡で待っている」

 あっさりとそう言って翼を広げ掛けた巨大鳥は、「ああ、そうだ」と再びその翼を畳んだ。

「二人の名前を聞いておこうか。取りなしてやる、などと言っておいて名前も判らんではどうしようもない」

 瞬間、エマヌエルは息を呑んだ。そこまで考えていなかったのだ。要らないところで素早い回転を見せる頭に、内心で舌を打つ。

「必要ないわ」

 凛と言い放ったのは、ヴァルカの方だった。

「ほう? どういうことかな」

「自分でどうにかするってコトよ。いいから行ってちょうだい」

 普通の『人間』なら、こう言われたら流石(さすが)に気分を害するところだろう。だが、巨大鳥は「そうか」の一言で、今度こそ翼を広げた。

 大きな翼の一振り二振りで生まれる強風に煽られそうになる。こちらが足を踏ん張る内に地を蹴ったらしい巨大鳥は、三振り目で宙へ舞い上がり、風に乗った。

 残された強風が収まってから目を開けると、あの巨大な影はもうどこにもなかった。

「……あたし達も戻りましょう」

 数瞬、空を見上げた後、ヴァルカがやはり無感動な声音で告げる。

「何をしに?」

 愚問だと思ったが、訊かずにはおれなかった。

「あたしはね、復讐の意志さえ操られてる連中に易々と機会を譲る気はないのよ。冷たいようだけどね」

 苦いものを含んだ笑みを浮かべて、鮮やかな深紅の瞳がエマヌエルのコバルト・ブルーの瞳を射抜くように見据える。

 もしそれが、洗脳を受けていない、本来の自分の意志ならば。自分達と同じく純粋に自らの意志で報復を望むのなら、逆に手を貸すくらいはするだろう。

 けれど。

「あんたはどう? 操り人形みたいに号令掛けられてはいそうですかって攻撃する連中に、標的奪われて嬉しい?」

「……いいや」

 エマヌエルは、肩を竦めて、彼女の紅い瞳を見つめ返す。

「っとに、とことん気が合うよな」

 訳も判らず、ただ闇雲に辺りを破壊して回る、人形の様な同胞にその機会を奪われるくらいなら。

「俺も同じコト考えてたところだ」


***


 何が起きたのか、解らなかった。

 映像が途絶えた途端、背後で爆音がして天地が引っ繰り返った。身体のどこをどこにぶつけてどこが痛いのかすら理解できない内に、意識が吹っ飛んだ。

 だから、どれくらい気を失っていたのか定かではない。

 硬い板の上に寝ているような感覚が、徐々に脳に伝わる。

 身体の節々が鈍い痛みを訴える。

 ああ、もう暫く寝ていた方がよかったかもな。

 そう思いながら、ウィルヘルムは、仕方なく瞼を上げた。

 目の前が、暗い。確かに瞼を開けた筈なのに、薄暗い。ショックで視力を失ったかと思ったが、暗がりに目が慣れると、程なく折り重なった丸椅子に焦点が合った。

 どこかに閉じ込められたのだろうか。

 とにかく、自分の真下に手を突いて、起き上がろうとしてみる。

「う、痛てっ……」

 全身に痛みが走ったが、幸い何かの下に埋まっていた訳ではなかったらしく、思ったよりも簡単に身体を起こすことができた。

 起き上がると同時に、身体の上に乗っていたらしい何かの破片が落ちる音がパラパラと軽く響いた。

 軽く頭を振ってもう一度辺りを見回す。やはり薄暗い上に、ピントが合わない。

(……あー、眼鏡がないのか)

 どこかへ弾き飛ばされたのだろう。あれだけの衝撃があって、無事に顔にくっついたままというのがそもそも有り得ない。

 ふと横を見ると、外は明るかった。ボックス・カーの中にいる状態らしいが、完全に車の天地が入れ替わっており、自分は、意識が飛ぶ前には天井だった場所にペタンと座り込んでいることが解った。

 普段より動きの鈍い身体を引き擦るようにして、どうにか車の外へ這い出す。

 立ち上がって辺りを見渡して唖然とした。言葉も出ない。

 一ヶ月半前、滅茶苦茶に崩れた研究所跡を見た時と同じ景色が目の前に広がっている。

 つい先刻まで、ここには研究棟が建っていた。

 中には仮本部として借り受けた一室もあった。それだけでは足りず、すぐ外に第二仮本部としてマイクロバスサイズのボックス・カーを停めていたのだ。

 それが、今は砂上の楼閣のように崩れ、雪の積もった地面は茶色く薄汚れてしまっている。助かった人間がいるのかどうかさえ判らない。

 後ろを見ればそのボックス・カーは無惨に引っ繰り返り、その上には謎の生物がのっそりとウィルヘルムの方を見下ろしていた。

(……え、謎の生物?)

 ピントの合わない目を必死に凝らす。

 身体は人間のようだが、深い毛に覆われているところを見ると、猿の類だろうか。その上に乗った頭は、一見して狒々(ヒヒ)のように思えた。

 目つきは凶悪で、とても友好的とは言い難い。

 その狒々のような生物は、無言でパクッと口を開いた。透き通った金属音は、どこかで聞いた覚えがある。

 と、見る間にその口の中に、プラズマを纏った青白い光弾が生まれ、肥大していく。

(嘘だろ?)

 『それ』も、見た覚えがある。

 何だかんだ言って、ウィルヘルムは、一般人としてはかなり危険な距離で、しかも短期間に、多くのヒューマノティック同士の戦闘を目の当たりにして来た。

 今この時に至るまでに調べたところ、『フォトン・シェル』という、銃要らずの飛び道具だったと記憶している。まともに喰らえば、人間の一人くらい、死体も残さず吹っ飛ぶという恐ろしい代物である。

(ちょっ……ちょっと待て!)

 何故、初めて会った人物(動物?)にいきなり敵意を向けられなければならないのか、さっぱり判らない。

 とにかく逃げなければと思うが、こんな状況でも冷静な部分が、射程を考えると逃げても無駄だと囁く。相反する思考に支配された身体は、その場にフリーズしてしまった。

 青白い光弾が輝きを増して、ウィルヘルムは眩しさと訳の分からない恐怖から、思わずきつく目を閉じた。

 ああ死ぬのか、と思った時、少し離れたところで爆音が聞こえたような気がした。が、いつまで経っても覚悟した瞬間は訪れない。

「おい。いつまで目ぇ瞑ってる気だ?」

 代わりに、鋭く尖った声が遠慮なくぶつけられて、反射的に目を開けた。

 やはり視界のピントが合わない上に、状況は把握できなかったが、肌色の輪郭の中に、青い二つのサファイアと、通った鼻筋と唇があるのは判った。

「えーと……エマヌエル、だっけか?」

「そーだよ。つか、わざとらしく確認するのヤメロ。エマでいい」

 苛立ったように吐き捨てると、美貌の少年が足を大きくスライドさせて近付いて来る。

「取り敢えず、礼言った方がいいか?」

「これでこっちの借りが三分の一くらいチャラになっただけだから気にすんな。それに、助けて貰ったとかおめでたいコト考えてるなら大間違いだぜ」

 借り、というのは、先にエマヌエルが重傷を負った際に治療してやった時のことを言っているらしい。と理解する間に伸びて来た少年の手が、無造作に胸倉を掴んだ。

「あんた、例のデータまだ持ってるよな」

「データ?」

「そうだ。確か俺が最初にあんたに世話になった時に取り上げられたUSBメモリから抽出した、あのデータだよ」

「ああ……」

 懇切丁寧な説明をされて、あれかと思い当たる。

 接続部が少年の血をたっぷり吸っていたので、復元にやたら苦労させられたUSBメモリのことだ。

「今は持ってない」

「だろうな。どこにある? 簡潔に三秒以内に吐きな。さもねぇと、折角伸びた寿命が縮むコトになるぜ」

 ハッタリや脅しではないのだろう。胸倉を掴んでいる少年のしなやかな腕に、乾いた音を立てて青白い筋が跳ねる。

 容赦のないカウント・ダウンが始まって、ウィルヘルムは早々に白旗を揚げた。

「解った、解ったよ、言えばいいんだろ。あのデータなら、まだ小型パソコンの中にある分だけで、バックアップは取ってねぇ。リーフェンのセカンド・ラボのCUIO仮宿舎に置きっ放しだ」

「あんた、携帯持ってるよな」

「今度は何なんだよ」

「いーから出しな。三秒以内だ」

 三秒が好きだな、三秒ルールの信者かお前は、などとブツブツ言いながら懐に手を伸ばそうとした瞬間、掴まれていた胸倉を唐突に、突き飛ばされるような勢いで放された。

「わっ!」

 突然のことでその場に殆ど仰向けに倒れる形で投げ出される。瞬間、何かが弾けるような音がした。

 首だけ起こして視線を転じると、エマヌエルが右手を前方に突き出す形で構えて、そちらを睨み据えるように見つめている。

「……貴殿はさっきの」

「また随分早い再会だな」


***


 フロリアンと一口に言っても、存外に広い。

 同じ土地にいる以上、いずれ出会(でくわ)すだろうと予測してはいたが、まさかこんなに早くはち合わせることになるとは思わなかった。

「一体、こんな所で何をしている」

 問うて来たのは、先刻郊外で別れたばかりの巨大鳥だった。

「こっちに来たはいいけど、何したらいいか判らなくってね。……って言ったら、信じるか?」

「信じると思うのか」

 こちらを見る目が、先刻より若干険しい。

 エマヌエルは、内心で舌打ちした。元は動物と言っても、人間並の頭脳を与えられたというのは情報だけではないらしい。

「もう一人いるな。さっきのレディか?」

「まあね」

「では、この攻撃を避けられる筈だな。貴殿が何もしなくとも」

 嘴がパクリと開いて、耳に馴染んだ金属音が木霊する。

「止めとけよ。彼女はフォトン・エネルギー製造装置が体内にない。下手すると消し飛ぶぜ」

 視線だけがこちらを向いたが、言葉は発さない。フォトン・シェルを口から吐く仕様の為に、攻撃態勢に入ってしまうと口が利けないのだろう。

 しかし、言いたいことは解った。

 試してみれば判る、だ。

 エマヌエルは、舌打ちと共に地を蹴った。右腕にフォトン・エネルギーを纏い付かせて、巨大鳥の口腔に生まれつつある光弾を弾き飛ばそうとする。

 だが、読まれていた。

 照準が、エマヌエルに切り替わる。しかし、光弾が放たれる刹那、エマヌエルは青いプラズマを纏った拳で光弾を殴り付けた。

 軌道がそのまま攻撃を跳ね返された巨大鳥は、瞬時に首を捻って自ら放ったフォトン・シェルを避けざるを得なかった。

 標的を失ったフォトン・シェルは、空中へ疾走し、やがて見えなくなった。

 巨大鳥と、その足下に着地したエマヌエルは、瞬時睨み合う。

「……貴殿は何故、人間を庇う」

「別に人間を庇うつもりなんかねぇさ」

 エマヌエルは肩を竦めてあっさりと言った。

「じゃあ訊くけど、何であんたらは人間を襲う?」

「それが上の意思だからだ」

「へぇ。上の、ね」

 クス、と笑みが漏れる。嘲りのそれだった。

 それが、相手にも解ったのだろう。険の籠もった目で見下ろされる。

「何がおかしい」

「いや? それがあんたの意思なら放っておいてもいいんだけどよ」

 薄く引き締まった唇が、不遜な笑みを刻む。

「結局、操られ状態は変わってねぇんだよなって思ってさ」

「何?」

「だって、そうだろ? あんたは今、『上の意思だから』って言った。あんた自身の、じゃなくてな」

「それは」

「違うって言えるのか? あんた自身はどうしたいんだ。人間は十把一絡げで全部が憎いのか? 全滅させたいほどに?」

「それは……」

 巨大鳥は言葉を詰まらせて沈黙してしまった。

 上の命令だからと答えそうになる自分と、本当に自分は人間が憎いのだろうかというところで葛藤しているのだろう。

「あんたの答えが出るまで付き合ってやるほど俺も暇じゃねぇんだ。後は自分が納得するまで考えな。その上で次に俺の邪魔をするようなら、遠慮しない」

 淡々と言い捨てて、エマヌエルは踵を返した。

 つい今まで敵として相対していた者に背中を向けるなど愚の骨頂だが、多分彼は攻撃してこないだろうと思った。少なくとも、今この場では。

 それでも警戒を解くことなく、先刻立っていた場所まで戻る。

 ウィルヘルムはウィルヘルムで、まだその場にヘたり込んでいた。

「おい、あんたもいつまでも呆けてんじゃねぇぞ、全く」

 彼の胸倉を無造作に引っ掴んで立ち上がらせる。

「で、さっきの続きだけどな」

「携帯だろ。でも残念だったな。多分通じないと思うぜ」

「何?」

 先刻は懐から端末を出そうとしていたくせに、今更何を言っているのだろう。

 しかし、言いたいことを察したのか、ウィルヘルムは焦るでもなく誤魔化すでもない静かな口調で続ける。

「今思い出したんだよ。こういう事態になる直前から通信ができなくなってその後爆発が起きたんでな。もしおれが攻撃し掛けた側だったら、わざわざ敵の通信網を復旧させてやる筋合いはねぇから、多分まだ通じないままだろうな」

 エマヌエルは、唇を噛み締めるようにしてウィルヘルムを睨んだが、彼に嘘を吐く理由がないのは明らかだった。

 苛立たしげに舌打ちして、彼の胸倉を軽く突き飛ばすようにして手を放す。

 同時に、そういうことだったのかと納得した。

 先刻、ヴァルカとこちらへ取って返す前に、彼女がアスラーの携帯端末に連絡を入れたが、ウンともスンとも言わなかったらしい。電子音もしないし、例の『お客様のお掛けになった電話番号は――』というアナウンスもなく、全く沈黙していたという。

 てっきり一時的なものだとばかり思っていたが、それもフィアスティックの反乱の一部だったとは。

「ところで、お前さん、あのお嬢さんはどうした。一緒じゃないのか」

「ああ。二手に分かれたんだよ。一緒にいても効率悪いからな」

 エマヌエルは標的の手掛かりがあるUSBを取り戻す為にウィルヘルムを探すというと、ヴァルカは最初の――エマヌエルが一番最初に爆破したあの跡地の地下に潜って、何か見つからないか探してみると言い出した。すぐにリストが手に入らない時は、端末に連絡して一度合流するつもりだったのだ。

(……でも、待てよ)

 連絡が取れないとなると、逆に考えればチャンスだった。

 CUIOの支配下から、自由になる為の。

 確かに彼女やウィルヘルムに借りはあるし、ツテを失うのも惜しいと言えば惜しい。しかし、彼らと一緒に行動するとなると、漏れなくあのアスラー他、CUIOの干渉が付いて回る。それはあまり有り難くないことだ。

(……姿を消すなら、今しかない)

 戦闘能力が互角の、ヴァルカの妨害を気にすることなく、今ならすんなり姿を消せる。

 焦燥に似た寂寥感には、敢えて蓋をした。

 心に開きそうな空洞は、見ない振りで目を伏せる。数瞬、そうして伏せた瞼を上げると、感傷を振り切るように、エマヌエルは元通りその視線をウィルヘルムに転じた。

「それより、あんたさっき、小型パソコンの中にはデータがあるって言ったよな」

「ああ」

 確認の意味で問うと、彼はあっさりと首肯する。

「じゃあ、あんたも一緒に来て貰う。小型パソコンまで案内して貰わねーとな」

「行かねぇって言ったら?」

「この場で詳しい場所を吐いて貰ってあんたを始末する」

 息を呑むようにして言葉を詰まらせたウィルヘルムを見て、エマヌエルは吹き出したい衝動を堪える。

「――って言ったらどうする?」

「おい」

「無駄な殺生なんかする筈ないだろ。あんたもその辺まだ勘違いしてるみたいだけど、俺達ゃ快楽殺人者でも、人間と見れば見境なく襲いかかるような殺人マシーンでもねぇんだぜ」

 苦笑と共にヒラヒラと軽く手を振って、エマヌエルは続けた。

「第一、恨みもない人間殺しちまったら、あいつらの意図する殺戮兵器と変わらねーからな。それだけは御免だ。あんた殺したって詳細な場所が判る訳じゃないし、あんたにはまだ借りがあるコトだしな」

 不本意だけど、と付け加えて、エマヌエルは肩を竦めた。

「それで? おれがお前さんの思い通りになる他の手段を考えてあるのか?」

 踵を返したエマヌエルの背に、ウィルヘルムの声が追い掛けて来る。

「いいや、考えてない。詳しい場所を知りたいって言ったのは、時間が惜しいからだ。あんたがそこまで吐く義理がないってんなら、無理にとは言わねぇ。リーフェンならまだ攻撃の手も及んでないだろうし、大まかな場所さえ判れば充分だ」

 言いながら、エマヌエルは引っ繰り返ったボックス・カーへ歩を進めた。

 腰を屈めて中へ上半身を突っ込むと、内部をざっと確認して人が残っていないか探る。

 元々そのボックス・カーの中に設えられていた備品が、無惨に折り重なり、或いは散乱している所為で、人体は埋もれてしまって、普通の人間なら見過ごしにしそうだった。が、気絶していても、そこにいれば、何らかの気配は感じられるものだ。

(四、五人ってトコかな)

 脳裏で独りごちると、衝撃で使いものにならなくなって積み重なっている機材を無造作に掴んで外へ放り出す。

「って、おい、何やってんだ?」

 外にいるウィルヘルムが、戸惑ったような声で問うた。

「案内してくれないならあんたにもう用はねぇから、とっととどこでも避難してくれ。そこまで面倒見切れねぇから」

 後そこにいると危ないぜ、と付け加えて、エマヌエルは作業を再開する。

 見たところ、中の機材その他は使いものにならないが、車そのものは引っ繰り返っているだけで、正しい位置に戻してやれば走ることはできそうだ。

 いくら改造された身体でも、足で六百キロも走れば相当な時間を食う。その間に、リーフェンも制圧されるのは、火を見るよりも明らかだ。

 リーフェンまで反乱分子の手が伸びる前に、データを手に入れてこちらへ戻る必要がある。

(……いや、もう手が伸びてる可能性もあるけど)

 あまり考えたくない可能性に気付くが、エマヌエルはそれを頭の端に追いやった。

 瓦礫と化した機材と、その下に埋まっていた人間――掘り出してみたらアスラーも一緒に埋もれていたのでそれには少々びっくりしたが――総勢五名を、十五分ほど掛けて車外へ放り出すと、一旦自分も外へ出る。

 そこにはまだウィルヘルムが突っ立っていたが、エマヌエルはもう彼には構わなかった。

 腹を見せた車の前方に当たる角に手を添えて、まるで机でも引っ操り返すかのような要領でヒョイと持ち上げる。すると、鉄の塊の筈の車体は、その動きに逆らうことなくクルリと反転して、正しい立ち位置に戻った。

 何事もなかったかのように、というにはあちこち派手に煤けていたが、運転席に座ってキーを回すと、すぐにエンジンがうなりを上げた。

「おい」

 扉を閉じると同時に、ウィルヘルムの声が掛かる。

「一応訊くけど、お前、リーフェンに行く道知ってんの?」

 覚えず、言葉が喉に詰まる。

 リーフェンからこちらには一度来たきりだ。

 正確に言えばリーフェンへも何度か行っているが、例によって外が全く見えない車で護送されたので、道は知らない。脱走後も往復している筈だが、行きはエマヌエル自身は意識がなかったので、当然リーフェンからの道は、初めてだった。

 多分一本道だった――と思うのだが、絶対の自信はない。

「運転してやってもいいぜ」

 沈黙を『知らない』という答えと取ったウィルヘルムの口から、色々な意味でありがたいのかありがたくないのか判らない申し出が飛び出した。

「で、また借りが上乗せされんのか。ちょっと遠慮してぇな」

「気にすんな。おれも、早めにここは離れたいんでな。ついでにこの怪我人も一緒に乗せてくれると助かるんだが」

 と言いつつ、ウィルヘルムが、先刻エマヌエルが車の中から救出した、今は意識不明の五名を示す。

「それに、今はおれの運転も安全の保障はない。眼鏡がどっか行っちまって、ピントが合わないもんでな」

「謹んで遠慮するわ。俺も命惜しいし」

 秒速の素早さで、エマヌエルが「じゃっ!」と手を上げる。

 しかし、今にも走り出そうとする車の窓枠を、ウィルヘルムの手が縋るように引っ掴んだ。

「あーっ、待て待て! 分かった、言い直す! おれ以下、この五人も乗せて下さい、お願いします!」

「……お願いしますな割には投げやりっつーか、ヤケクソだなぁ、おい」

 半眼でやや呆れたようにウィルヘルムを見下ろすが、ここで乗せる乗せないの押し問答をして要らぬ時間を喰うのも本意ではない。

「分かった、乗せてやる。但し、これであんたからの借りはチャラだからな」

「……ちなみに内訳は?」

 恐る恐ると言った様子で問うウィルヘルムに、エマヌエルは指折り数えながらきっぱりと告げる。

「最初に大猿から助けてやった分で三分の一だろ。次にあそこで今呆けてる巨大鳥から助けてやって三分の二。で、今一緒に車に乗っけてやる分で完済!」

 その内訳はないんじゃないのか。

 という顔をしていたウィルヘルムだったが、それ以上何も言わなかった。


***


(……後見てない部屋はっと……)

 地上があれだけ暴れ回るスィンセティックと逃げ惑う人間――研究所のスタッフでごった返しているのに、地下は相変わらずガランとして無人同然だった。

 廊下で多少出遅れた者――大抵はフィアスティックで、ごく稀にヒューマノティック――とすれ違ったりはしたが、ヴァルカは胸元の識別ナンバーをわざと見せびらかして歩くことで、見咎められることなく自分の作業を進めていた。

 もしそれでも自分に向かって攻撃する者があれば、それは研究所のスタッフだ。しかも、スィンセティックのことを知っているのなら、百パーセント裏のスタッフと思っていい。遠慮なく銃弾をお見舞いしながら進むだけだと思っていたが、流石にこの最初の爆破跡の地下に残っていたのは、拘束されていたスィンセティックだけだったらしい。

 研究所の方にも、ここを制圧できるだけのスィンセティックがまだいたことに、ヴァルカは意外な思いだった。しかし、研究所が制圧されようと、ヴァルカには関係ないし、関心もない。

 自分がすべきは、全裏スタッフの抹殺だ。それさえ自分の手でできれば、後はどうなろうと知ったことではない。残りは他のスィンセティックに全部くれてやってもいい。

 例え、それが表のスタッフであろうと、他のスィンセティック全てが憎しみすら操られていようとも。

(それにしても遅いわね……)

 ヴァルカは自分の端末を見て、そっと息を吐いた。

 先刻、郊外から戻る際に、エマヌエルとは一度この手前で別れていた。

 とにかくリストを探す。彼がウィルヘルムに取り上げられたUSBには、もう始末したスタッフの情報も入っているから、その方がいい。

 そう言った彼に、その間、地下で何か手掛かりを探すと言ったのは自分だ。万が一、ウィルヘルムを探せなくても、研究所の原記録を探せるかも知れない。

 ウィルヘルムは恐らくアスラーと共に、仮本部か、外の第二仮本部代わりのボックス・カーにいる筈だという情報も与えて、ウィルヘルムが見つかったら一度自分の端末に連絡をくれるように頼んだ。

 しかし、あれから優に一時間は経つのに、一向に連絡はない。

 最初の爆破跡から仮本部のある場所までは、五分もあれば着く距離だ。何かあったのだろうか。

 今時の携帯端末は、地下にいるからと言って電波が届かないようなことはまずない。

 とにかく、最下層まで行って戻るまでに連絡がなければ、自分も一度仮本部まで様子を見に行こう。

 今後の予定をそう決めると、ヴァルカは、地下二階の荒れた室内を後にする。

(最下層って、確か地下五階、だったよね)

 脳裏で無意識に呟きながら、ヴァルカは無造作に足を踏み出す。

 ここから下には、十中八九スィンセティックしかいない。

 だとすれば、気配を探っても無駄だ。皆、気配を絶つ術は嫌というほど叩き込まれている。

 対スィンセティック戦となると、視認によってしか相手の動きや位置を探ることはできないのだ。

 それでも用心しながら階段を下ると、階下から上って来る誰かの頭が見えた。明らかに人間の頭部にしか見えないので、ヒューマノティックだろう。

 それも一人ではない。集団で上がって来るのに足音一つしないのは流石としか言い様がなかった。

 しかし、ヴァルカも慣れたもので、これまでと同様、胸元の識別ナンバーを通行証代わりに擦れ違う――つもりだった。

 けれども、その内の一人の顔がふと視界に入って、ヴァルカは息を呑んだ。

 地下は薄暗い。

 スィンセティックの視界は、周囲の光量に左右されない筈だが、それでも薄暗い所為で見間違えたかと思った。

 だが、間違いない。間違えようもなかった。

「……ラス……?」

 震えるようにか細い声だったが、それに反応したのか、『ラス』と呼ばれた青年が、その視界にヴァルカを捉える。

 面長の輪郭に、切れ長の目。真っ直ぐに通った鼻筋。

 周囲が薄暗い為に、色彩の判別はできないが、刈り込まれた短い髪の毛は濃いブロンド、瞳は藍紫の筈だ。

「私はゴーレム・ナンバー1727だ。人間のような名前はない。S9910、か。早くしろ。作戦に遅れる」

「待っ……!」

 止める暇はなかった。

 口早に言うと、『ラス』らしき青年は、その背後を追い抜くように通り過ぎるヒューマノティックの集団の中に紛れて見えなくなった。


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