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CODE;1 First laboratory

「もう二十分経ったぜ」

「まだ君が何も言ってないだろう」

「言うコトなんざ何もねぇのに、何言えってんだよ」


 北の大陸<ユスティディア>、アズナヴール半島最北端から、約六百キロメートルほど南下した場所に、リーフェンという街がある。

 そのリーフェン在所のゴンサレス・セカンド・ラボ付属病院の一個室で、今日も不毛な取り調べは行われていた。

「大体、俺、一応怪我人だぜ? おっさん、そこんとこ、理解してるか?」

 怪我人を名乗る割には不遜な態度で、寝心地の良さそうなベッドに上半身を起こしているのは、一見しただけでは男女の判別が付き辛い容姿を持った十代の子供だった。

 見た目は、十五、六歳だろうか。

 肩先に掛かる程度の長さの漆黒の髪は、極上の黒真珠のような光沢を放っている。澄んだ深い青色をした瞳を、やや切れ長気味の目元が縁取り、綺麗に通った鼻梁と、薄く引き締まった唇が、絶妙な配置で品良く逆卵形の輪郭に収まっていた。

 入院患者着から剥き出しになった腕は華奢で、肌も抜けるように白いが、その体つきは、十代の『少女』と断じてしまうには、ラインの柔らかさにいささか欠けている。加えて、十代半ばを過ぎた少女には付き物の、胸元の膨らみが、どう目を凝らしても見当たらないことが、辛うじて見る者に、相手が少年であることを教えるのだ。

「元気そうじゃないか。こないだギプスが取れたのは知ってるぞ」

 呆れたように溜息を吐いているのは、五十代半ばほどに見える男性だった。

 輪郭は下膨れし過ぎた卵のようで、首をまともに見るにはダイエットが必要と言わざるを得ない。下腹も見事な中年太りとしか言えない丸みを帯びている。顔にも人生の年数を思わせる皺が刻まれ始めているが、眼光だけは相対する者に油断のならないものを感じさせた。

「知ってるも何も、見りゃ判るじゃねぇか、何を偉そうに」

 しかし、少年はビクともせずに応酬する。顔だけ見れば、超絶美少女と言っても通りそうな整った容貌なのだが、いかんせん言葉遣いとのギャップが凄まじい。

「偉そうなのは君だろう。自分が被疑者だという自覚はあるのか」

「何もしてねぇのに被疑者扱いされてんのは解る」

 延々と続く無限ループのような問答を端で見ているのは、ダーク・ブラウンの髪の青年と、紅い髪を持つ少女だ。

 少女も、見た目は十六、七歳で、ベッドにいる黒髪の少年と同様、中々整った類の容姿を持っている。しかし、その表情は、『無』そのもので、外からは何を考えているのか、推し量るのは難しい。

 青年の方は、髪色と同じダーク・ブラウンの瞳に、眼鏡を掛けた面長の容貌を、何かに堪えるように俯かせて、何故か肩を震わせていた。

「とにかく、二十分て約束だったろ。今日の用事は済んだんじゃねぇのか」

「いいや、君が我々の欲しい回答をくれるまでは、用事は済んだことにはならんな」

「何も知らねぇのに答えようがねぇだろ」

「知らない筈ないだろう。それでなくとも、君はヴァルカと同じ、改造人間だというじゃないか」

 紅い髪の少女――ヴァルカ=クライトンは眉一つ動かさなかったが、少年はその整った容貌を隠そうともしない不快感に歪めた。

「なるほどね。改造人間だからもう人間扱いする必要もない。濡れ衣着せられても何も感じない、とか思ってる訳だ」

 嘲るように吐き捨てれば、普通の人間なら焦った弁明が口から出そうなものだ。しかし、長年刑事として生きてきた男は、残念ながらそれくらいでは動じなかった。

「そうは言っていない。君には、一ヶ月半前の爆破事故を起こす力があるということを言っているだけだ」

「それだけで犯人扱いかよ。所詮状況証拠って奴じゃねぇの?」

「他にいないだろう。ウチのヴァルカにはその特殊能力は備わっていないらしいし」

「他にいないって? おっさん、頭大丈夫か? 改造人間は、ヴァルカと俺だけかよ。その他大勢がいるだろうが、ファースト・ラボの方によ」

「動機を持つ者がいない。研究所を爆破したいほどスタッフを憎んでいる者がな」

「正気なら全員憎んでるだろうよ。ダブル=ハーフ・ナンバーなら、尚更何かの拍子に正気に戻るコトも充分有り得るんだぜ。それでもヴァルカは容疑者から外しちゃう訳だ。身内エコヒーキって言わねぇのか、それ」

「言わないな。彼女には無理だ」

「何で無理だなんて言い切れんだよ。爆弾でも使えば不可能じゃねぇだろ。おっさん、辞書引いてみたら? 無理っつーのは〇・〇一パーセントの確率もないのが無理ってゆーんだぜ」

「屁理屈を聞きたい訳じゃない。それに、君だけにかかずらっている訳にもいかないんだがな」

「んじゃー、そろそろお帰りになったらどうだ? センセー、理不尽な取り調べで傷が開いたっぽいんですケドー」

 明らかに自分に向けられた棒読みの救援要請に、青年――ウィルヘルム=ウォークハーマーは遂に吹き出した。

「あっはっはははは! は、はは、……あー、おかしいー……ッククッ……おっさんよー、今日はもうその辺にしとけば?」

「……ウィル。お前、一体どっちの味方だ?」

 じっとりとした目線を向ける『おっさん』こと、ベンジャミン=アスラー警部に、ウィルヘルムは、笑いの残滓を引きずりながらしれっと返す。

「どっちって、……おれは、いつでもおれ自身の味方だぜ? このままじゃおれの腹筋が捩れるんで、コントもその辺にしといてくれると有り難いかな」

「別に見学してくれとは言ってないぞ」

「や、だって、こんな面白い見せ物、無料(タダ)で披露して貰ってんのに、見ない訳いかないだろ。世界一治安の悪いユスティディアを預かるCUIOレムエ支部の鬼支部長が、ガキ一人落とせずに振り回されてるなんてっ……」

 腹を抱えて小さく肩を震わせ続けていたウィルヘルムは、ふと上げた顔を強張らせた。

 笑った表情のまま凍り付いた彼の目の前には銃口があり、その延長線上には、怒れるアスラーの座った目。

「ああ、どうも最近更年期の所為か耳が遠くてな。何か言ったか」

「……別に何モ」

 最近、男性にも更年期があるのは判明しているが、それと耳が遠くなるのとは関係ないのではなかろうか。という至極もっともな突っ込みが脳裏を過ぎるが、ウィルヘルムはそれを聞かぬ振りで押し通した。

 目の前の銃口から、弾が飛び出て来ては叶わない。命あっての物種だ。

「――ベン」

 それまで黙って成り行きを見ていたヴァルカが、不意に声を差し込む。ただ名を呼んだだけのその声音は、鋭い刃のような冷ややかさを以てその場に凛と響いた。

 名を呼ばれて、瞬時彼女と視線を絡ませたアスラーは、珍しく苛立ったような舌打ちと共に銃を下ろすと、足早に病室を出て行った。

 それを見送って数秒後、ウィルヘルムも若い二人を振り返り、無言で肩を竦めて、アスラーの後を追うように部屋を後にする。

 病室には、約二十分(正確には三十分)振りに静けさが戻った。

「あー、疲れたっ!」

 美貌の少年――エマヌエル=アルバは、吐き捨てるように言って、背中をベッドへ沈める。

 起き上がったまま(もた)れられるように上半身の部分を折り曲げられていたベッドの、背凭れの部分に下がっているクッションの利いた枕が、バフン、という音を立てて少年の背中を受け止めた。

「しっかし、鶴の一声みたいで中々爽快だねぇ。本当はレムエ支部の陰の支部長なんじゃねぇの、あんた」

「……そういう訳じゃないけど」

 揶揄するように言うと、ヴァルカが、面白くもなさそうに息を吐く。

「やっぱり、ベンも結局はあたしの『能力』だけが目当てってコトね」

 ヒューマノティックであるヴァルカの戦闘能力を欲しがったCUIOは、彼女を強引にCUIOの諜報機関・CCA(ダブル・シー・エー)のエージェントにした後ろめたさから、彼女の言うままに交換条件を飲んだという。

 その条件とは、彼女の目的を最優先にし、彼女がその気になればいつでもCUIOを離脱できるというものだ。

 彼女の逆鱗に触れれば彼女の戦力を失う、と一部の幹部は戦々恐々としているらしい。

「ところで、本当に傷が開いたの?」

「ンな訳ねぇだろ。もう開く余地もねぇくらい治ってるのに」

 エマヌエルは、吐き捨てるように言って『ベッ』と舌を出した。

「じゃあ、本当のところ、事件に関してはどうなの。あんたが関わってるの?」

「あーあー、悲しいね。同盟相手にまで疑われるなんて」

 大仰な仕草で溜息を吐いて、答えにならない答えを返す。ヴァルカは即座に何か反論しようとしたようだったが、結局何も言わずに押し黙った。

 エマヌエルは、行儀悪く片膝を立てると、その上に頬杖を突いて、ヴァルカから目を背けるように、窓の外へ視線を泳がせた。

 世間では、そろそろ年明けを迎えようという時季だったが、季節は判っても今は何月かというような時間の感覚など、とうに消し飛んでいる。

 今日はよく晴れていた。空は青さが眩しいが、どこか薄ら寒いような寂しさがある。きっと、外へ出れば身が切れそうな冷たい風が吹いているのだろう。ましてや、ここは世界の最北端に近い場所にある。

 ただ、ヒューマノティックとして改造された所為で、エマヌエルはもう随分前から寒さも暑さも、まともには認識できなくなっていた。感覚が鈍くなったのではなく、衣服なしで調整できる身体になっただけだ。(ひとえ)に改造遺伝子のおかげで、それがいいのか悪いのか、真剣に悩むところだが。

(あーあ、かったりぃ……)

 手を組むだの借りを返すだの、そんなことを口走った気もするし、このままここを去るのは後ろ髪引かれるような気もするのも確かだ。

 けれど、うっかり差し出された手を握ってしまったその時の自分を、エマヌエルは心底殴り倒したい気分だった。

 先日、脱臼した肩を固定していたギプスは取れたし、腹部の傷もほぼ完治している。その気になれば、見張りがいようが、いつでもここから出て行けるのだ。体調さえ万全な今なら、『ただの人間』であるCUIOの見張りなんて、いていないようなものである。同じヒューマノティックのヴァルカだけが障害と言えば障害だが、素手対素手の勝負に持ち込めば、時間稼ぎくらいの傷を負わせることはできるだろう。

 もっとも、絶対の自信はなかった。戦闘能力はほぼ互角と思っていい。それも、自分で言うのも何だが、最大能力値が普通の人間の比ではない。そんな相手と本気で()り合って、無傷で済む保証などどこにもなかった。

 それを差し引いても、自分で口にした厄介な約束だけが、妙にエマヌエルの気持ちを縛ってここから消えることを躊躇(ためら)わせていた。

 情けないが、動くのもままならない傷を負って、どこか心に隙があったであろうことは否めない。

 その隙に突け込まれた――などと言ったら、被害者じみているだろうか。

(何か……悩むのもアホくさくなって来たな)

 胸の内で呟いて、目を伏せる。

 いっそもう、隙を見て黙って消えてしまおうか。

 そうしたところで、何の不都合もない筈だ。エマヌエルが、彼らに協力する義理など本来ない――

(……いや、義理ならあるけど)

 彼らが――というより、ヴァルカとウィルヘルムがいなかったら、自分はとっくにあの世往きだった。半分も目的を果たせず、間抜けにもあの世で地団太踏んでいたに違いない。

 だから、一応手を組もうということになった筈だったが、あの刑事――確か、アスラーとか言った――だけが、エマヌエルにとってはもう鬱陶しくて仕方がなかった。

(ああ、そうか。あのオヤジだけが問題なんだ)

 大体、自分はヴァルカと手を組むとは言ったが、CUIOと協力するとは一言も言っていないのだ。

「……ヴァルカ」

 気まずく会話を途切れさせた後で少々ばつは悪かったが、エマヌエルは彼女の名を口に乗せる。

「うん?」

 一方のヴァルカは、そんなことはまるでなかったかのように、短く先を促した。

「俺――」

 ここ出ようと思う。と言い差して、エマヌエルはふっと口を噤んだ。

「……エマ?」

 言い掛けて急に黙ってしまったエマヌエルを不審に思ったのか、ヴァルカが問い返すように名を呼ぶ。

 エマヌエルは、数瞬視線を泳がせた後、ヴァルカと視線を合わせると、不自然に見えないように口元を指した。

『ここ、監視カメラ付いてるよな』

 言葉は音にせず、唇の動きだけで問う。

 束の間ではあったが、あまり周囲を警戒しない生活が二週間も続いたので、どうにも平和ボケしていたようだ。ついうっかり普通に内緒話をするところだった。けれど、ここはそもそも敵地だ。

 そして、今自分は不本意ながらCUIOの監視下にいる。

 この病室を選んだのも向こうだし(というより、意識朦朧としている内にここへ放り込まれたので、エマヌエルには選択の余地などなかったのだが)、ここに元々付いている監視カメラを、CUIOが利用しない筈がない。

 微かに怪訝(けげん)そうに眉根を寄せたヴァルカも、すぐにそれに気が付いたのだろう。

『多分ね』

 と、やはり唇だけで応じた。

 読唇術は、戦闘訓練の一環として叩き込まれるので、ヒューマノティックは皆修得している。ただ、フィアスティックのそれを読み解く自信は流石(さすが)にない。動物ベースであるが(ゆえ)に、人間の口元と作りが違いすぎるのだ。

 遠方にいる仲間と意思疎通を図る為のものは、軍隊式手信号という手もあるが、それはどんな軍隊にも通用するもので、内緒話には向かない。読唇術なら修得している軍人も少なく、尚且つヒューマノティックなら最悪二キロ先からでも相手の唇が読めるのだから、こちらの方が適していると指導部が判断したのだろう。

『集音マイクは?』

『さあ……多分、ないと思うけど、用心に越したことはないわね』

 確かにそうだ、とエマヌエルは思う。

 あのアスラー警部のことだ。見張りの刑事に聞き耳を立てさせていない可能性もなくはない。

 病室内にはほぼ一日ヴァルカが張り付いていてくれるので、それ以上のこと、例えば、盗聴機を仕掛けるようなことは流石に出来ないだろうが。

『それで、何だったの?』

『あ? あ、ああ……』

 監視カメラのことで、一瞬最初に言おうとしていたことを忘れ掛けていたが、程なく記憶は巻き戻った。

『あのさ……』

 本題に入ろうとしたタイミングで、ノックの音が割り込んで来た。

「誰?」

 内心で舌打ちしながら、普通に声を掛けて誰何する。

「おれ。ちょっと出掛けるぞ」

 答えと同時にドアをスライドさせて、ウィルヘルムが顔を出した。唐突な言葉に、エマヌエルもヴァルカも目を丸くするしかない。

「お前もだ。エマヌエル、だっけ。名前」

「は?」

「何の用なの?」

 キョトンと目を瞠ったエマヌエルの代わりに、ヴァルカが疑問を口に乗せる。

「またファースト・ラボで一悶着あったらしい。おっさんもおれもあっちに一度戻らねぇといけなくなった。ヴァルカも連れて行くんで、そうするとお前の見張りが手薄になる。また逃がすくらいなら一緒に連れて行く方がいいから来い、だとさ」

「あのオヤジ、本当に刑事か? 被疑者を拘留しとくより連行する方が遥かに見張りは神経使うんじゃねぇの?」

 ま、見張るのは俺じゃねぇから、関係ねぇけど。

 そう付け足して肩を竦めると、ウィルヘルムが怪訝そうな視線を向けた。

「お前、今まで世間から隔絶されてたんじゃねぇのか? そういう知識はどこで仕入れてくるんだ」

 普通に育った十代なら刑事ドラマの見過ぎじゃねぇのか、って突っ込むんだけどな、と言われて、エマヌエルは露骨に軽蔑した表情を隠さなかった。

「隔絶されてたけど、何回か軍事施設と研究所の間、連行される形で行ったり来たりしてるからな。ダテに連行される側の苦労は味わってねぇよ」

 ちょっと考えれば解るだろ、天才さんよ、と投げるように言ってもう一度肩を竦める。

 スィンセティックは人間の形をしてはいるが、開発者や研究者にとっては兵器だ。危険物と同じ扱いで、軍事施設や研究所内にいる時よりも拘束は厳重だった。それだけ、向こうが『運送』に気を使って神経をすり減らしているだろうことは、容易に想像が付いた。もっとも、『運ばれる側』の疲労度合いも相当なものだったが。

「それはともかく、俺はあのオヤジに従う義理はねぇな。あんたにもヴァルカにもそれぞれ借りはあるけど、CUIOに協力するとは一言も言ってないし、ましてや服従する義務もない」

「行った方がいいと思うけど」

「あ?」

 意外にもヴァルカにそう言われて、エマヌエルは眉根を寄せた。

「どういう意味だよ」

 不機嫌になった声を取り繕いもせずにぶつけるが、ヴァルカはそれには答えず、ウィルヘルムの方を向いた。

「で、この子、このまま出掛けないといけないのかしら?」

 エマヌエルの服装を示すと、ウィルヘルムも流石に入院患者スタイルで外出はまずいと思ってくれたらしい。

 おれの服でよければ貸してやる、と言い置いて、一旦病室を後にした。

「……それで?」

 ウィルヘルムの気配が完全に遠ざかるのを待って、エマヌエルは疑問を再度口に乗せようとした。が、ヴァルカは、指先を自分の唇に持って行って、静かにしろという仕草をした。

『ベンがあたしを連れて行くって言う時は、研究所絡みで何かある時よ。行って損はないと思うけど』

 唇の動きだけでそう言われて、彼女の思惑を飲み込む。エマヌエルは目だけで了承の意を返して、口を噤んだ。

 何だかんだ言って、ツテがあるのは便利だ。有益な相手となら(つる)むのも悪いことばかりじゃない。と言っても、ついさっきまで、他人といるのは面倒くさい、などと考えていたことを思うと、ひどく複雑な気分だった。


***


 北の大陸<ユスティディア>の最北端、アズナヴール半島は、かつてゴンサレス研究所の長、アドルフ=ゴンサレスの私有地だった。

 正確に言えば土地の持ち主は、今でもゴンサレスだ。

 しかし、彼には有力な証拠がないながら、様々な罪状により複数の容疑が掛かっている。端から上げると、人身売買、人体改造、死体損壊、エトセトラ。

 そして、『はい、私は確かに悪いことを致しました』と言わんばかりに本人は逃走中である。

 よって、今、土地の所有権は一時預かりの形でCUIO・レムエ支部が握っていた。

 という経緯はともあれ、今まで個人が管理する土地だった事情柄、直線距離にして六百キロメートル以上あるその地には、鉄道が通っていない。故に、唯一にして最速の移動手段は自動車だ。

 リーフェンからフロリアンまで、車で約十時間。

 アスラー以下ウィルヘルム、ヴァルカ、エマヌエル、他数名の捜査官を乗せたボックス・カーがファースト・ラボへ到着したのは、その日の夕方六時を回っていた。

 一体、ファースト・ラボで何が起きたのか。

 ヴァルカが出発前に訊ねたが、アスラーは『詳しいことは現地に着いてから確認する』と言ったきりで、道中の車内でもずっと(だんま)りだった。その表情は、渋柿と東島国原産の塩酢漬け梅を同時に食べたかのように渋り切っていた。


 北の最果ては、陽が落ちるのも早く、周囲は既に闇に沈んでいる。もっとも、エマヌエルとヴァルカ、車内にいるヒューマノティック二人には、周囲の明るさはあまり視界に影響を与えない。

 ファースト・ラボに用がある、というから、てっきりラボへまっすぐ行くのかと思っていたエマヌエルの考えを裏切り、アスラーの運転する車は、ラボ付属の住宅街型寮のある方角へ進路を執った。

 エマヌエルも、一ヶ月半前には、ラボの潜伏場所から散々通い慣れた道だ。とは言え、それを顔に出すようなヘマはしなかった。

 車の速度でおよそ五、六分。

 辿り着いた先は、寮の中の一つだった。

 そこには、何もなければ見落としそうな、周囲と変わり映えのしないドアがあったに違いない。ただ、今は、玄関にキープアウトのテープが張られており、通常ならある筈の扉が、何かで吹き飛ばされたかのように跡形もなくなっている。周囲が既に暗い中、そこだけライトアップされているので、その家は嫌でも目に付いた。

「あ、アスラー警部! ウォークハーマー先生も」

 ちょうど、エマヌエル達が車の外へ出た時、家の中から張られたテープを潜るようにして出て来た若い男性が、こちらへ気付いて声を掛けて来た。

 白衣を羽織っているところからすると、CUIOに所属する法医師らしい。

「よう。今度は何があったんだ?」

 全く立て続けに爆破事件が起きる土地だなここは、と言い飽きて口もきけないらしいアスラーに変わって、ウィルヘルムが男性に問う。

「あれ、ラボの仮捜査本部に寄って来なかったんですか?」

「ああ。明日になる前に現場に寄りたいっておっさんが」

「おれは何も言ってないが」

 むっつりとした声音が返って来たが、ウィルヘルムも男性も思いっ切りスルーした。

「詳しいことは、本部で聞いた方がいいと思いますよ。証人もそっちにいますし」

「証人? 目撃者か?」

「いいえ。何でも、ここで爆発が起きた時、この家に住んでいた女性と通話中だったとか」

「通話?」

「はい。ここで爆発が起きた時間――つまり、昨日の夜十一時十五分頃、丁度電話があったというんです」

「ふぅん。随分遅い時間だな」

 そのやり取りにさり気なく耳を傾けながら、エマヌエルはヴァルカと共に、玄関へ歩み寄った。ヴァルカが一緒のおかげか、近くにいた鑑識官も、特にエマヌエルの行動を咎めるようなことはしない。

「……どう?」

 戸口の爆破跡に指を滑らせるエマヌエルに、ヴァルカが周囲に聞こえないよう注意を払いながら、そっと囁く。

『触っただけで判るかよ。俺もフォトン・シェルの残り滓感じ取るような能力はないし』

 ヴァルカの方に顔を向けて、唇だけで告げた。

 彼女が、微かに肩を竦めて答えるのを目の端に捉えながら、背後の会話に聞き耳を立てるのも怠らない。

「で、ここに住んでた女性ってな誰なんだ?」

「えーと、確か――ファラン=ザクサー、とか言ってましたっけ」

 聞き覚えのある名前に、エマヌエルは瞠目した。反射的に振り向いた先で、ヴァルカとその視線が合う。彼女もまた驚いた顔をしていた。

「ファラン……ファラン? 聞いたコトがあるようなないような」

 ウィルヘルムは記憶の底を探っているが、まだ思い出せないでいるらしい。それには構わず、男性は後を続けた。

「で、その証人の方は、サラ=パース。彼女と同じ研究棟で働いてる友人だそうです」

 これ以上のことはよく判らない、という男性と別れて、ウィルヘルムとアスラーは顔を見合わせた。

「おっさんは、ファラン=ザクサーって誰か判るか? 最近聞いた名前だと思ったんだが」

「うん……」

 アスラーの方も首を捻っているが、思い出せないようだ。既に五十のアスラーはともかく、今はギリギリではあるが二十代のウィルヘルムが、半月前に聞いた名を思い出せないのはどういうことだろう。

「とにかく、ラボの方へ行きましょう? そのサラって人に話を聞いた方が早いと思うけど」

 首を捻る男二人の間に、ヴァルカの冷ややかな声が投げ込まれる。

 ああそうだな、と顔を上げたアスラーにぞろぞろと従いて、一行は再び車上の人となった。


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