Prologue
一人――また一人。
殺しても殺しても、気が晴れることなんてない。
自分の身体をこんな風に作り替えてしまった科学者を全て殺して回っても、この身体が元通りに戻る日など来ないのは百も承知している。
だが、どれだけ不毛でも、どれだけ空しくても、この生き方を止めるつもりはない。
彼らに与えられた『能力』で、やり場のない憎しみを叩き返すより他の生き方など、もう分からない。
***
患者の横たわる手術台の前に立った青年・ウォーレン=パターソンは、凛々しい眉をピクリと震わせた。青緑色をした手術用の帽子とマスクに挟まれたモスグリーンの瞳が、表情を決め兼ねるように見開かれる。
(バカな)
そんな筈はない。ウォーレンは、胸の内で無意識に呟く。
目の前にいる『患者』は――手術台の上にいる端正な顔立ちの少年は、とっくに麻酔が効いて意識を手放している筈だ。だが、目の前では、少年の青の瞳は見開かれ、ウォーレンを鋭く見据えている。緑と青の視線が激しく交錯したのは、ほんの一瞬のことだった。
とにかく、何とかしなければ。ウォーレンは、手術を開始する為に少年から外した『枷』を、少年の手首に急いではめ直そうとする。しかし、少年の手が一瞬早くウォーレンの手を払った。流れるような動きで、ウォーレンの手首を、細く長い指先が絡め取る。
乾いた雷鳴の音を立てて、少年の華奢な腕を、青白い閃光が走った。その音を聞きつけて、手術準備をしていた男達が一斉にこちらへ目を向ける。次の瞬間、少年の掌から白い光が溢れ、ウォーレンを呑み込み破裂した。
***
身体の芯に響くような、凄まじい轟音と爆発が起きる。爆心付近にいた何人かは吹き飛ばされ、各々壁へ叩き付けられた。非常事態を周囲へ報せるサイレンが喧しく悲鳴を上げ始める。
手術用のベッドへ寝かされていた少年――エマヌエル=アルバは跳ね起きるなり、ラバー製の透明なマスクを素早く外した。麻酔を自分の体内へ送り込む為に装着させられていたものだ。
マスクを外した拍子に、手術の為に頭に被らされていた緑色の帽子が外れ、極上の黒真珠の色合いの長い髪が露わになる。
手術が終わった後では、思うように行動できない可能性が高い。しかし、毎回『バージョンアップ』の為の手術前には、四肢に取り付けられた『能力』の制御装置が外されることも知っていた。だから、それを待っていたのだ。マスクを着けられた瞬間から、今この時まで麻酔を吸い込まないように息を止めて。
時間無制限でプールに頭から突っ込まれる拷問も、たまには役に立つもんだ。
皮肉るように脳裏で吐き捨てて、咳込まないように気を付けながら、エマヌエルは三十分振りに空気を吸い込んだ。
ぼさぼさになってしまった頭を振って、髪を掻き揚げると、恐ろしく整った美貌が改めて周囲を見回す。しかし、残念ながら室内には何の変化もない――いや、あると言えばある。
自分が手を掴んでいた男が消滅し、爆発の余波で、固定されていた手術台以外の器具はひっくり返っていた。他の科学者達も全員壁際まで吹き飛ばされ、床にうずくまって呻いている。けれども、手術室自体は破壊を免れていた。覚えず、舌打ちが漏れる。
もしかしたら、という期待があったのだが、やはり特殊な鉱物・マグネタインで出来た室内では、体内内蔵型兵器であるフォトン・シェルも形無しだ。
だが、まだ勝負は判らない。今この室内にいるのは、戦闘慣れしていないただの医師が数名だけだ。室内だけを制圧するのはさして難しくないだろうが、問題はその後だ。
ここは、電子錠でロックされており、内と外、どちらからでも鍵を掛けられる。解除も同様だ。しかし、エマヌエルは解除パスナンバーを知らない。ここにいる数名の男達の誰かに吐かせれば済む話だが、エマヌエルには生憎時間がなかった。
この我鳴り続けている非常アラームが、警備の兵士と完璧に洗脳された生体合成兵器を連れて来る前に、ここを出なければならない。兵士だけならともかく、自分と同じように改造手術を受けたスィンセティック達は、自分と同等か、あるいはそれ以上の戦闘能力を持っている。自我のないスィンセティックは、科学者達に忠実な最強の『兵器』だ。そんなものを大量に相手にしていては、流石に命がいくつあっても足りるものではない。
裸足の足を床へ下ろすと、途端に虚脱感に襲われる。
体内内蔵兵器――フォトン・シェル製造装置は、体内の微弱な電気を凝縮し破壊力を持たせ、体外に撃ち出すことで今のような爆発を起こせる代物だ。それを制御する為の材質・マグネタインに直接触れると、スィンセティックは自由な動きをいくらか阻害される。手術中は身体に直接装着した制御装置を外さなければならない為、万一の事故を考え、マグネタインで出来た手術室が使用されるのだ。
形の良い眉を顰めながら、エマヌエルは完全にベッドを降りた。逃げなければならないのに、ベッドの上にい続けることは出来ない。両足を床へ付けたことで、水でも吸ったように身体が一気に重くなった。ここまでで、爆発から五分は経過している。急がなければ、と思ったその時、プラスチックが擦れるような微かな音が、改造を施された聴覚へ飛び込んで来た。
音源へ顔を振り向けると、何とかダメージから立ち直ったらしい男の一人が、非常用の内線に手を伸ばしているところだった。エマヌエルは再度舌打ちする。自分と男の距離は一・五メートルほどだったが、普段通りの動きが出来ないエマヌエルにとって、その距離は果てしなく遠い。咄嗟にベッドへ戻ると、右手に意識を集中させる。雷鳴の音が弾ける。その音に気付いた男は、怯えた顔をこちらへ向けた。
そのまま内線を操作してりゃいいのに。バカな奴。
指先の空間に白い光弾を従えて、エマヌエルはうっすらと微笑した。鋭く一振りされた指先から光弾が、離れる。青白い尾を引いて鋭く疾駆したそれは、男の左腕を直撃した。男の悲鳴と共に、彼の二の腕で爆発が起きる。
ベッドを飛び降りると、内線の受話器を取り落とした男の元へ、出来る限り素早く歩み寄る。血が吹き出す二の腕を押さえて呻く男に容赦のない蹴りをくれて、その傷口を踏み付ける。足裏がヌルリと血で滑って、エマヌエルは純粋な不快感に眉根を寄せた。
男が仰け反り、声にならない悲鳴を上げる。
マグネタインの作用で普段ほどの力は出ないが、開いたばかりの傷口は触れるだけでも相当な痛みを伴う筈だ。しかし、感心なことに、男は喘ぎながらもエマヌエルを睨み付けた。
「……な、…とをしてっ……タダで、済むと……!」
エマヌエルは常套句を遮るように、男の傷口を踏み付ける足に体重を掛ける。力を入れる必要はなかった。たったそれだけでも効果は覿面で、男は苦痛を堪えるように歯を食い縛った。
「悪いが、あんたとお喋りしてる暇はねぇんだ。ここの扉を開ける為の解除パスナンバーを言いな」
「…っパス、ナンバー……だと……」
「ああ。チャンスは一度きりだ。あんたを殺してもまだ訊ける人間はいる。その辺で転がってるおっさん方の内、一人が答えてくれりゃ、俺には事足りるんだからな」
「何を……!」
だが、男は口を閉じざるをえなかった。
冷静に考えれば、既に少年はマグネタイン製の床へ身体の一部を触れさせている。フォトン・シェルの使えないスィンセティックなど、戦闘能力が異常に秀でただけの人間と変わらない。
しかし、少年の深い青の瞳は何の感情も映していなかった。なまじ顔立ちが整っているだけに、無表情で冷然と睨まれると、返って恐ろしいと男は初めて知った。
要求を拒めば、自分はこの場で死ぬ。それが、イヤでも理解できた。
生存本能に急かされて、喘ぐように答えを口に乗せようとした正にその時、重い音を立てて出入り口が開く音がした。男にとっては、待ちわびた救いであった。
エマヌエルは鋭い舌打ちと共に、無造作に男の身体に乗り上がった。男が悲鳴を上げる。男の骨が折れる感触が、裸足の裏へ容赦なく伝わった。けれど、ベッドまで戻る時間はない。ここからフォトン・シェルを撃つにはそうするしかないし、男に苦痛を与えたといって、痛むような良心は持ち合わせていない。ただ、その感触が不快なだけだ。
ゆっくりと開いていく出入り口は、今のエマヌエルの位置から見て、左斜め前、四十五度ほどの場所にある。直線距離にして、約三メートル。射程は余裕だが、角度的にうまく撃ち込めるかどうかは賭けるしかない。
開き切ってから攻撃したのでは遅い。人が一人、通れるか通れないかの隙間が開いた瞬間、フォトン・シェルをぶち込む。
しかし、下手をすれば、マグネタインで出来た扉でエネルギーは吸収され、不発に終わる。
エマヌエルにとって幸いだったのは、手術室の外はマグネタイン製でないことだ。そこまでは被験体には直接制御装置を付けているが常なので、科学者達もマグネタイン製にする必要を感じなかったのだろう。
エマヌエルは伸ばした右腕に左手を添えて、意識を集中させる。先頭にいた兵士が、目を見開くのが見える。携えて来た武器が何なのか、エマヌエルには判らない。しかし、もたもたと結果的に扉が開くのを待っているところを見ると、片手では扱い辛いものを持っているのだろう。
雷鳴の音を立てて、稲妻が右腕に纏い付く。透明な高音と共に、掌に青白い光弾がスパークを周りに踊らせながら肥大していく。
あと、五センチ。四センチ。三、二、一……。
――頼む!
半ば祈るような気持ちでエマヌエルがフォトン・シェルを放つのと、兵士が腰溜めに構えたサブ・マシンガンの引き金を引くのとは、ほぼ同時だった。
刹那、中心から世界が消し飛ぶ。
世界の最北端に広大な敷地を持つゴンサレス研究所の、広大な施設は、正しくど真ん中から破裂した。