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かしまし姫の謀  作者: さいふぁ
1 かしまし姫は恋を知る
9/27

 アーネッド家は、カルデローネ家と「仲良し」の家である。

 元は豊かな土地もなく、これといった特産品も持たない、貧乏な領地だったらしい。海沿いの領地だが大きな港も無く、積み荷を運ぶような街道もない。

 しかし数年前、東の果てにある国から一人の令嬢が嫁いできた事により、事情が大幅に変わったそうだ。令嬢の力添えで、アーネッド領はハヴェスト王国で唯一、東の果ての国と交易が行えるようになった。ここ数年は港や街道の整備に奔走しており、そのためここ数年は社交シーズンもほとんどロンディアにはいない。

 大きな商業都市を有するカルデローネ領とは、これからもっと「仲良し」になる家でもあった。

 ……はずなのだが。

(……えっと?)

 凍り付いた空気の中、セシリアはぎこちなく首を巡らせる。

 うららかな昼下がり、アーネッド家のテラスではささやかな茶会が開かれていた。

 テーブルには真っ白なクロスがかけられ、その上に異国から取り寄せたという茶器や軽食が置かれている。焼きたてのスコーンは香ばしい匂いを漂わせ、添えられたジャムとクリームは艶やかな光を放っていた。茶器から立ち上る湯気も優しい香りで、注がれている赤褐色の液体は吹き込んだ風に波打っている。

 そこまでは良い。

「いやあ、ここ数年のシルワ領は豊作で、作物の収穫量が上がっているとか。それなのに我が領では出回らなくてですな。商人達が言うには、我が領に売る時だけ、法外な値段が付けられるそうで――」

「それは大変ですなあ、しかしカルデローネ家こそ、アーネッド家を抱え込んで異国の品物を独占ですか。先代の領主のようにがめつい事で――」

 この嫌味の応酬は何とかならないのだろうか。

 目の前で繰り広げられる舌戦に、セシリアはげんなりとため息をついた。

(……まさか、ギルバート様のお家も来ているなんて)

 仲の悪さは有名ではなかったのか。なぜこうなると分かっていながら、アーネッド家はフォルテ家とカルデローネ家を呼んだのだろう。

 気まずさを隠すために茶器を手に取ったところで、視線を感じて顔を上げる。

「……」

「……」

 数秒の間ギルバートと見つめ合い、セシリアは再びため息をついた。

 エドマンドとクラレンスについてアーネッド家を訪問し、案内されたところまでは良かった。

 侍従に屋敷を案内され、テラスでアーネッド家の人々と挨拶を交わし――そこにフォルテ家の人間がいたおかげで、その場の空気が一気に凍り付いたのだ。

 話を聞いていると、どうやらアーネッド家はどちらの家とも仲良くしたいらしい。そのために両家を呼んだが、案の定というべきか、当主達の間には火花が飛び散っているのだった。

(……そりゃあそうだよね)

 王子様ですら困っているほどの仲の悪さだ。そう簡単に仲良くできるはずがない。

「……ごめんなさいね、セシリア様。あの人ったら、ずいぶんと要領が悪くて」

 不意に声をかけられて顔を向ければ、黒い髪と瞳、象牙色の肌の女性が苦笑している。たしか彼女が、東の果ての国から嫁いできたという令嬢だ。

「大丈夫ですわ、レイラ様」

 何とか笑みを浮かべ、セシリアは視線を手元に落とした。この茶会はいつまで続くのだろう。思いがけずギルバートと会えたが、今すぐ帰りたくてたまらない。

「そうでしたわ」

 あまりの居心地の悪さにもぞもぞと体を動かしていると、そんなセシリア見かねたのか、レイラが立ち上がった。

「わたくし、セシリア様に庭を案内したいと思っていましたの。退席しても宜しくて?」

「え?」

 思わず声をあげる。通常ならばとても失礼な事だ。

 しかし彼女はすばらしい勢いで当主達を言いくるめ、あっさりと退席の許可を取り付けてしまった。

「さあ行きましょう、セシリア様」

 彼女に促されるように席を立ち、セシリアはテラスを後にした。ギルバートとクラレンスがうらめしそうな視線を向けてきたが、心の中でごめんなさいと謝って無視する。

 無言で廊下を進むレイラを追いかけると、彼女は人目が消えたあたりを見計らって立ち止まった。くるりと振り向いてセシリアを見上げる彼女は、ずいぶんと小柄だ。

「……ごめんなさい、居心地悪い思いをさせて。あの人――夫は後でわたくしが締め上げておきますから」

 笑顔で何やら不穏な事を言い放ち、レイラはふうとため息をついた。長い髪がはらりと頬に落ちかかる様は、どきっとするほど色っぽい。

「い、いえ、おかまいなく……」

「何を言っていますの?」

 しどろもどろに口を開くと、レイラが首を傾げた。セシリアの答えが意外だとでもいうかのように、漆黒の瞳でまばたく。

「セシリア様はギルバート様と恋仲なのでしょう? お家同士の争いの場なんて、目にしたく無いはずですわ」

 その瞬間、セシリアは凍り付いた。

(え?)

 たしかに自分達は仲良しで、セシリアはギルバートの事が好きだが、なぜ彼女がそれを知っているのだ。両家の当主達だって知らないのに!

 セシリアの様子をまじまじと眺めていたレイラが眉をひそめる。

「ギルバートから聞いていませんでしたの?」

 何をだ。

 セシリアが首を振ると、彼女はまあ、と驚いたような声を上げた。

「ギルバートったら、肝心なところが抜けてますのね。今日の茶会はあなた方のためのものですのに」

 まったく殿方というものは肝心な事が抜けているんですのよね、とぼやきながら、レイラはセシリアの手を引く。

「わたくし、昔、ギルバートに助けていただいた事がありますのよ」

 てくてくと廊下を歩きながら、彼女はそう言った。

「夫の元へ嫁ぐ際に、一悶着ありまして。その時に、ギルバートが助けてくれたのですわ」

「……そうなんですか?」

 唐突な告白に戸惑っていると、レイラは「ええ」と弾んだ声を上げて頷く。

「だから」

 目の前の扉に手をかけて、彼女はいたずらっぽく微笑んだ。

 磨りガラスの扉が音もなく開かれる。濡れた空気と共に、濃密な花の香りが押し寄せた。

「わたくし、あなた方に協力したいのです」

 温室に佇む人影を見つけて、セシリアはぱちぱちと瞬きをした。

「お待たせしましたわ、ギルバート」

「ありがとう、レイラ」

 軽やかな声で告げるレイラに微笑み、テラスにいたはずのギルバートがゆったりと歩を進めてくる。いつの間にこの部屋に来たのだろう。というか仲裁役の彼がいなくなったテラスは今頃どうなっているのだろう。想像したくない。

「セシリア」

「……ギルバート様?」

 いきなり手を握られ、セシリアは首を傾げた。手が痛みを訴えるほど力を込められ、思わず眉をひそめる。

 真剣な表情を浮かべた彼が、ぐっと顔を近づけてくる。その眼差しに追いつめられたような光が浮かんでいる事に気づき、セシリアは後退りそうになるのを必死に堪えた。

「いつでも準備はできているわ、ギルバート。わたくしは味方よ」

 楽しそうなレイラの声を聞き流しつつ、ギルバートの目を見据える。彼の瞳はとても綺麗だけど、見ているとだんだん不安になってきた。

『ギルバート様ってちょっと頭がふわふわしてるから――』

 出掛ける前にリタと交わした言葉が脳裏を過ぎる。

「ギルバート様、あの」

「セシリア」

 強い声で名を呼ばれ、セシリアは言葉を途切れさせた。近づいてくる琥珀の眼差しには知らない感情が渦巻いているようで、吸い込まれてしまいそうな気がした。

 彼の瞳の中に自分の姿を見つけた瞬間、頬が熱くなる。今のセシリアは、きっと、林檎のように紅くなっているだろう。

 香水の甘い香りと掴まれた手から伝わる彼の温度に、頭がぼうっとする。

 熱に浮かされたように、セシリアはギルバートを見つめた。彼の瞳に自分が映っているだけで満たされてしまうセシリアは幸せ者で、ずっとこうしていたいと願う自分はわがままだ。

 心の奥がぽかぽかとして、温かいものが溢れ出す。

「セシリア」

 唇に吐息がかかりそうな位置で名を呼ばれた。

 ああもう、それだけでセシリアは何も考えられなく――

「セシリア、駆け落ちしよう」

「…………はい?」

 一気に目が覚めた。

 ぽかんとしてギルバートを眺める。いきなり何を言い出すのだ。

「駆け落ちしよう。僕はフォルテ家の人間、君はカルデローネ家の人間。どんなに恋い焦がれても、恋の女神は僕達を引き裂いてしまう。

 それならいっそ全てを捨てて、手に手を取り合ってどこか遠くへ行ってしまおう」

「え、あの、ちょ」

(本当に『駆け落ちしよう』って言い出した――――!)

 話をさえぎる隙も与えずに、ギルバートは語り続ける。

「誰も引き裂けない場所へと行ってしまおう。爵位なんていらない。身分もいらない。君のためなら僕は全てを捨てる。君がいればどこまでも行ける」

「あの、ギルバートさ」

「だからセシリア、どうかこの手を取ってくれ。美しい花々の咲き誇るこの場所から、僕達はロマンに溢れた新たな人生を歩み出そう。そして温かな家庭を築こう」

(いやいやいやいや)

 落ち着け。とにかく落ち着け。常識的に考えて色々と無理があるだろう。あと温室に案内されたのはまさか「ロマン」があるからなのか。そうなのか。突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込めば良いのか分からない。

 熱い口調で語り続けるギルバートとは対照的に、セシリアの頭は冷えていく。

 そもそも、なぜいきなり駆け落ちなのだ。自分達の関係すらはっきりしていないのに。

 ギルバートがで片膝をつき、恭しくセシリアの手を取った。セシリアの指先に口づけ、乞うような眼差しで見上げてくる。

「――君とならどこでだって生きていける。駆け落ちしよう、セシリア」

 ぷつんと、頭の中で何かが切れた。

 聞き分けのない子どもを見るような微笑みを浮かべて、セシリアはギルバートを見下ろした。

「ええ、あなたとならどこまでも行けます、ギルバート様」

「セシリア……!」

 ギルバートが感極まったように声を上げて身を起こす。

 しかし。

「……とでも言うと思ったんですか、あなたは」

 次の瞬間、空気がぴしりと凍り付いた。

 掴まれた手を振り払い、ぐわしっと彼の両肩を掴んで笑いかける。

「え」

「脈絡がない上にどう考えても無理でしょう!」

 セシリアは遠慮容赦なく彼の体を揺さぶった。

「生活力も労働力も無いギルバート様と駆け落ちしたって、あっさりとのたれ死ぬだけじゃないですか! それともあたしに養えって言うんですか!? レイラ様が助けてくれるって言うんですか!? それってヒモじゃないですかあたしはいやですよ!」

 ぐらんぐらんと彼の体が揺れる。

「良いですかギルバート様! 現実を! 見るのです!」

 手を放すと、ギルバートはがくんとその場に座り込んだ。

「現実……ロマンもへったくれもない現実……」

「何言ってるんですか、さっさと現実に戻ってきて下さい。ロマンでお腹は膨れませんよ」

 ふわふわしていた思考がすとんと落ち着き、一気に頭が冴えてきた。リタに腑抜けていると言われるわけだ。

「じゃあセシリア様、あなただったらどうするのかしら?」

 二人の様子を観察していたレイラが、瞳をきらめかせて口を開く。頬を上気させて問う彼女からは、楽しんでいる様子がありありと伝わってきた。

「そうですね……」

 彼女の言葉に、セシリアはうーんと首を捻る。

「まず、わたし達の関係をはっきりとさせます。わたし、ギルバート様に愛していると言われたわけではないですし、わたしもギルバート様に愛していると言ったわけではないので」

「まあ、そうでしたの?」

 レイラが驚いたような声を上げ、ギルバートに責めるような眼差しを向ける。

「そんな事、言わなくても瞳を見れば……」

「ギルバート様、けじめって言葉を知ってますか?」

 冷静に問えば、彼はぐっと言葉に詰まった。その横で、レイラがうんうんと頷いている。

「それから……そうですね……」

 少ない知識を総動員して考える。

 ギルバートと一緒にいたいのなら両家にそれを認めさせるしかないが、そう簡単にいかないだろう。

 と、なると――

「……掌握?」

「え?」

 ぽつんと呟いた言葉に、レイラが目をしばたたかせた。ギルバートは頭を抱えており、なにも聞いていない。

 掌握。手に入れる事。自分のものにする事。

 頭の中で、ぱっと道が開けた。

「掌握します。わたしの家と、ギルバート様の家を」

 要するに、反対されないようにすれば良いのだ。仲を取り持つか、手に入れてしまえば良いのだ。

 しかしセシリアは貴族社会に疎い。爵位を継ぐ可能性も低いし、土地を治める知恵もない。

 それができるのは――

「ギルバート様」

 彼の正面に座り込んで、セシリアはにっこりと笑った。ぴくりと反応した彼の腕を掴み、ぐっと体を寄せる。

「もしあたしの事が好きで、結婚したいと思っているんでしたら。あたしの事が遊びではなくて、本気だと言うのなら――」

 琥珀色の瞳を見つめ、セシリアは真面目な表情で告げた。


「――あたしの家を、乗っ取ってください!」


「…………は!?」

 間の抜けたギルバートの叫び声と、レイラの爆笑が温室に響き渡る。

「ギ……ギルバート、あなたの負けですわ!」

 その言葉に、セシリアはきょとんと首を傾げたのだった。


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