7
ギルバートと手を繋いで花畑を爆走し、きらきらした飴をポケットいっぱいにもらう夢を見ていた。
「セシリー! あんた何寝てるの!?」
うとうととしていたセシリアは、ノックもせずに入ってきたリタに叩き起こされた。
問答無用で寝台から引っ張り出され、淡いラベンダー色のドレスと光沢のある白のペチコートを押しつけられる。着替えろという事らしい。
急き立てられるままに着替え、顔を洗う。寝起きのせいでのろのろとした動きに苛立ったのか、リタの眉が時を追うごとに吊り上がっていった。
(……あれ、今日って何かあったっけ?)
化粧台の前に腰を下ろすと、リタが手慣れた動きでもつれた髪を梳いていく。そのまま結い始めたところをみると、この後に来客か、外出があるようだ。
真剣な顔で髪を結うリタを眺め、セシリアは内心で首を傾げた。思い当たる事がない。
「リタ、今日って何かあったっけ?」
考える事を放棄して尋ねれば、リタがさらに険しい表情へと変化する。小さな頃、孤児院の院長が話してくれた物語の怪物みたいだった。
「あんたね……」
ため息をついて、リタが口を開く。
「今朝エドマンド様に言われたでしょ、アーネッド家のお茶会に誘われたって」
(そうだった!)
一気に眠気が吹っ飛んだ。そういえば、セシリアも一緒に行く事になったのだ。
「ご、ごめんリタ! 起こしてくれてありがとう」
冷や汗をかきながら礼を言うと「頭を動かさない!」と叱られてしまった。
「時間が無いんだからね、大人しくしててセシリー!」
「……はい」
セシリアが椅子の上で身を縮こまらせている間に、リタは髪を結い、手早く化粧も施してくれる。その後に小物や装飾品を取り出し、てきぱきと並べ始めた。
「あんた、この間の夜から腑抜けすぎなのよ。何を聞いても上の空だし、そのくせいつもの倍は食べるし。そろそろ現実に戻ってきなさいっての」
「え、あたし腑抜けてた?」
「エドマンド様やクラレンス様が心配するくらいにはね」
まったく自覚が無かった。道理でここ最近、お腹が苦しいわけだ。食べ過ぎだったのか。
「ていうか、いい加減に話してくれても良いんじゃないの?」
セシリアの髪にラベンダー色のリボンを結わえながら、リタが顔を覗き込んでくる。
「どうせギルバート様と何かあったんでしょ? ていうかそれしか思いつかないんだけど」
確かにあった。
口づけられた。気持ちを聞かれた。恋心を抱いている事に気づいた。
しかし。
「うーん……」
よく考えてみれば、好きと言ったわけでも言われたわけでもないのだ。
「あったのかな……?」
「なんであんたが聞くのよ」
ぺちっと額を叩かれ、セシリアは眉を下げる。よく分からないのだから、仕方がないではないか。
「えっとね――」
どう説明しようか迷ったが、セシリアは結局、そのままを話す事にした。かいがいしく動き回るリタに先日の事を説明すると、彼女の顔はどんどん呆れを滲ませていく。
「あんたもギルバート様もアホだわ」
全てを聞き終えたリタが真っ先に口にしたのは、そんな感想だった。
「アホ……」
「だってそうでしょ、あんた達はお互いをどう思っているかを伝えてないじゃない。おまけにお家が仲悪いですよ、二人共それを知ってますよ、って確認してさようなら? アホ以外の何て言えば良いわけ?」
セシリアの寝台に音を立てて腰かけ、「それで?」とリタは見上げてくる。この部屋の主はどちらだと言いたくなるほどのくつろぎっぷりだ。主従関係などないに等しいが。
「あんたはどうしたいの?」
「どうって?」
「ギルバート様とどうなりたいのかって事よ。結婚したいの?」
「け、結婚!?」
話が飛んでいる気がする。
「え、なに驚いてるの?
こっそり会って話すのだって、そのうちばれるでしょ。そうでなくても、縁談が来たらどうするの? 断るの? 理由、エドマンド様達に言える?」
言えるはずがない。
「密会してるだけじゃあんた達は結ばれないし、そもそもあんた、ギルバート様の気持ちをはっきり聞いてないでしょ」
「……キ、キスされたけど」
「甘い。それだけじゃ、ギルバート様がセシリーに恋してるのか――もっと言えば結婚したいと思ってるのか、それとも遊びなのか分からないじゃない」
「あ……遊びって……」
あのギルバートに限って! ……と思いたいが、残念ながらなぜ自分が好かれているのか理解できないセシリアである。遊びの線が否定できない。
なにせセシリアは田舎育ちの小娘なのだ。ちょっと引っかけられそうな女がいたから引っかけてみました、と言われたら納得してしまう。
「そこははっきりさせないと、けじめがつかないよ、セシリー。
それにね、もしギルバート様がセシリーと結婚したいと思ってるなら、なおさらはっきりさせないと。ギルバート様ってちょっと頭がふわふわしてるから、勝手に突っ走るかもしれないし……」
心配するような表情で、リタが呟く。
「昔も孤児院の床に大量の薔薇を敷き詰めたり『青い鳥を手に入れて幸運を掴むんだ!』とか言って孤児院の鶏を青く染めようとして止められてたじゃない。あと何だっけ、すっごいきらきらした塊を孤児院の屋根からぶちまけたり……」
「そんな事もあったねー」
あの時は「ギルバート様現実に戻ってきてー!」と必死に叫んでいた記憶がある。あときらきらしたものは飴だった。べたべたするし地面に落ちたものは食べられないし蟻が大発生するしで、院長が怪物みたいな顔をしてギルバートを怒っていた。
ギルバート曰く「ロマンがある」行為だったらしいのだが、ロマンで腹は膨れない。ちょっと面白かったが、セシリアもその時ばかりはギルバートに呆れてしまったのだった。
(……そういえばそれ以外にも、なんか色々『ロマンチックだ』とか言って変な事してたよね……)
孤児院時代の事を思い出すと、だんだん不安になってくる。たしかにはっきりさせないとまずいかもしれない。「駆け落ちしよう」とか言い出されたらどうしよう。
彼の眼差しや温かさや声やその他諸々を頭の隅に押し込めて、セシリアは拳を握りしめた。そうだ、好きだと気づいただけで、自分達の関係は何も変わっていないではないか。
ここははっきりさせなければ、セシリアはギルバートに抱きしめてもらっても良いものか、それとも「さようなら」をしなければいけないのかも分からない。
「……分かった、リタ」
赤銅色の瞳を見つめて、セシリアは雄々しく宣言した。
「今度ギルバート様に会った時は、腹をかっさばいてくるね!」
「……え?」
リタが顔を引きつらせていたが、よく分からなかった。