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「あれこれってなんですか!? 何もされてません! 捕食されかけましたけど!」
「捕食!? 殿下には人肉嗜食がありましたの!?」
「違います!」
色々と、それはもう色々と誤解が生じていた。
「セシリー!」
遅れて駆けつけたパトリシアとクラレンスにも抱きつかれ、押しつぶされそうになる。はっとして体を離したクラレンスが、所在なさげに佇んでいたギルバートを見て目を見開いた。
「貴殿は――」
何かを言おうとした彼は、しかし口を閉じる。
「……セシリー、彼は」
その問いに顔を上げる。
クラレンスの瞳を見つめ、セシリアはしっかりとした声で答えた。
「孤児院にいた時に良くしてくれて、迎えに来て欲しくて、迎えに来てくれた人です」
そして、花冠を贈って欲しい人だ。
「家を出たのは、彼のため?」
「はい、って言ったら怒りますか?」
「……怒らないよ。怒れない」
ぽつんと呟いて、彼はギルバートに目礼した。セシリアから体を離したヴィヴィアンと視線を交わし、心得たように頷く。夫婦間でなにやら会話が成立したらしい。
「……セシリー」
きょとんとしていると、背後から声がかけられる。
「お祖父様」
パトリシアに体を離してもらって振り向けば、エドマンドがぽつねんと佇んでいた。ギルバートやラッセルの言うように、たしかにやつれているように見える。
「お祖父様、家出してごめんなさい」
駆け寄って抱きつくと、エドマンドは榛色の瞳を細めた。
「……理由があったんだろう?」
そう訊ねる彼は、どこか遠くを見るような眼差しをしている。
「エメリンもそうだった。わたし達が話を聞かないで意見を押しつけたから、あの子は出て行ってしまった。そのせいでセシリーは孤児院に捨てられてしまった」
「孤児院、好きでしたよ?」
「知っているよ。
でも、それでも、わたしはずっと後悔しているんだ、セシリー。エメリンを追いつめなければ、わたし達はもっと早くに会えたのだから」
だから、と彼は呟く。
「何も言わずにいなくならないで、セシリー。本当に、本当に心配したんだ。
何か理由があるのなら話して欲しい。望みがあるなら、言って欲しい。わたし達にできる事なら、なんだって叶えてあげるから」
ああ、本当に心配されていたのだ。
心の中がじわっと満たされ、目に涙が浮かぶ。
「……セシリー、本当の事を話すべきですわ」
ヴィヴィアンの声が割り込んできたのは、その時だった。
「……え?」
体を捻って振り向くと、ヴィヴィアンは拳を握りしめ、強い眼差しでエドマンドを見据えている。
その瞳では、メラメラと闘志が燃えていた。
(……お義姉様?)
一体どうしたのだろう。
「お義父様、実はセシリーは、とある方と恋仲なのですわ」
ぎょっとして目を見開く。
(何で知っているの!?)
「……は?」
間の抜けた声を出したエドマンドに詰め寄り、彼女はかしましく訴えた。
「お相手の方はセシリーを心から愛していますし、本当に立派な方なのですが、婚姻には少々問題があるのです。その方との婚姻を手助けいただくべく殿下の元へ乗り込んだそうですが、逆に殿下に気に入られてしまい、やむを得ず王宮を抜け出す事に――」
(……待って待って待ってお義姉様!)
どうしてそこまで知っている!?
混乱していると、クラレンスが手招きしている事に気づいた。エドマンドの元を離れて近寄ると、彼は人差し指を唇に当てて微笑む。黙っていろという事らしい。
「……実はシルワ子爵から書簡をもらっていてね。うちと仲良くしたいという事だったのだけど、――ようやく納得したよ」
(……まさか)
ギルバートが言っていた手とは、この事だろうか。
「だから、ここはヴィーに任せておいて」
こくこくと頷いて、セシリアはヴィヴィアンとエドマンドを見守る事にした。
「――という事で、セシリーは思い詰めて家を出てしまったのですわ。その方はセシリーを心配して王宮まで様子を見に行って下さいましたし、セシリーが王宮から抜け出した後も探し出して当家まで送り届けて下さいました。けれどお義父様と顔を合わせる事はできないと言って――」
滔々と語り続ける彼女に気圧されたように、エドマンドが後退る。反対にヴィヴィアンはエドマンドに詰め寄り、憂いもあらわにほうとため息をついた。
「どうしましょうお義父様、セシリーは彼を心から愛しているのです。もし婚姻に反対したら、きっとまた家出をしてしまいますわ。わたくし、二人の仲を認めて差し上げるべきだと思いますの……」
「いや、唐突に言われても、大切な孫をそう易々と――」
エドマンドから視線を外したヴィヴィアンが、何かを求めるような視線を向けてくる。
今ですわ、と言われたような気がした。
「します。家出」
クラレンスに背を叩かれたセシリアは、はっきりとした声で言い放った。
「反対されたら、あたし、家出します!」
エドマンドが目を瞠る。
「セシリー!?」
「家出するだけじゃないです。お祖父様の事を嫌いになっちゃいます!」
だめ押しのように付け加えると、エドマンドはぐっと言葉に詰まった。
「いやしかし、まだセシリーはまだ十六だろう? 少し早い気が――」
「あらエド、わたし達だってそのくらいの頃に婚約したのでは無かったかしら?」
パトリシアの言葉に、彼はぴしりと固まる。セシリアが視線を向けると、彼女はエドマンドからは見えない角度でウインクしてみせた。
「ク、クレア……」
助けを求めるようにクラレンスへと視線を向けるが、彼はひょいと肩を竦める。
「お手上げです。セシリーに家出されるくらいなら、その相手とやらを認めてしまいましょうよ」
急な展開に、エドマンドは目を白黒とさせている。
ところで、とパトリシアが口を開いた。全員の視線を受けて、彼女はにっこりと微笑む。
「お相手は誰なの? そちらの殿方?」
指摘されて初めて、エドマンドはギルバートに気づいたようだった。
「……っフォルテ家の若造!?」
驚愕の叫びが、カルデローネ邸に響き渡る。
「ええまあ……そうですね」
曖昧に苦笑するギルバートに駆け寄り、セシリアはその腕にしがみついた。ぱくぱくと口を開いているエドマンドへと顔を向け、あたしは、と口を開く。
「あたしはギルバート様と結婚したいです! 反対されたら駆け落ちします!」
「フォルテ家の若造と!?」
「ギルバート様!?」
エドマンドの声にかぶさるように、使用人達の中から声が上がった。
ばたばたと数人がセシリア達の元に駆け寄り、二人を取り囲む。
「セシリーはギルバート様の恋人だったの!?」
「ていうかギルバート様ようやく告白したの!? 何年越し!?」
「そうだセシリーおかえり! ギルバート様お久しぶりです! お菓子下さい!」
言うまでもなく、孤児院出身の仲間達である。
ぽかんとするエドマンドの肩を、歩み寄ってきたパトリシアがぽんと叩いた。
「面白そうじゃないの、エド。認めちゃいましょう」
「しかし、相手はフォルテ家の……」
「……エド?」
パトリシアが満面の笑みを浮かべる。
その途端、エドマンドはびくっと肩を跳ね上げた。輝くばかりの笑顔は、なぜだかとても怖いのだ。
「できる事はなんだって叶える、でしょう?」
念を押すように言葉を紡ぐ妻を眺め、エドマンドは深々と嘆息した。妙に強かなこの女性に、彼は一度として勝てた試しがない。
「……分かった」
途端に、その場にいた全員が口を閉ざした。エドマンドへと視線を向け、彼の言葉を聞き漏らすまいと息を詰めている。
「……セシリーがそれを望むなら」
彼との結婚を認める。
言葉を紡ぎ終えた瞬間に、二人を取り囲んでいた使用人達が歓声を上げた。
セシリアは拳を突き上げ、呆然としているギルバートに声をかける。
「やりましたギルバート様! カルデローネ家の許可をもらいました! お家掌握です!」
視線を下げてセシリアを見つめた彼は、ややあって口を開いた。
「……カルデローネ家の女性は皆強かだね……」
敵う気がしないよ、と苦笑するギルバートを見つめて、セシリアは首を傾げたのだった。




