6
一台の馬車が、朝靄の中をロンディアへと向かっていく。
「大きな問題は二つ。カルデローネ家に婚姻を許してもらう事と、殿下を諦めさせる事だ」
ギルバートの説明を聞きながら、セシリアはもぐもぐと口を動かした。街を出る前に買った丸いパンを飲み込み、瓶に入れられたブドウジュースに口をつける。
再会した後、セシリアはギルバートと共に雇い主の元に赴き、仕事を辞めてきた。せめて〈春告げの祭〉が終わるまでは働いて欲しいと頼まれたが、そこは無理を承知で頭を下げる。
最終的にはギルバートが何人か使用人を手伝いに寄越すという事で納得してもらい、その後は領主館で湯浴みをさせられた。
使用人達にぴっかぴかに磨き上げられ、少し古いが上等な胴衣とスカートを着せてもらい、ロンディアに向かうべく夕方にシルワ領を発ったのである。
馬車は夜通し駆け続けたが、すぐに睡魔に襲われたセシリアは、その辺りの記憶がさっぱりと抜け落ちていた。清々しい気持ちで目覚めたらあと数時間でロンディアに着くと聞かされ、ずっと起きていたらしいギルバートに苦笑された。
「よく寝られたね。僕がいたのに」
「広いし快適でしたよ? 寝心地も良かったですし」
「……そう」
何やらよく分からない会話を交わした後に現状を説明され、今に至る。
「カルデローネ家はともかく、殿下がね……」
「王子様ですか?」
眉間にしわを寄せたギルバート見て、セシリアは首を傾げた。
「カルデローネ家はセシリアの家出がそうとう堪えているみたいだったから、意外と簡単に丸め込めそうな気がするんだよ。効果があるかは分からないけど、手も打ってみたし。
でも、殿下はそうはいかない。最悪セシリアに自分と結婚しろって命令ができるし、僕達が結婚しようとしても、邪魔とか取り消しとか、そういう事ができちゃうからね」
「そ、そんな事ができるんですか!?」
恐るべし王子様である。
「うん、貴族同士の結婚は、書類を王家に通さなきゃいけないからね。殿下のところで書類を止めてしまえば、いくらカルデローネ家が許してくれても結婚できない」
それは、何としてでも王子様に認めて貰わなければいけない。
「でもあの殿下が、簡単に諦めるとは思えないんだよね。……何せ君を閉じこめてしまうくらいなんだから」
「……たしかに」
他にも色々とされたり口説かれたりしたのだが、それは黙っておく事にした。なんだか言うのはまずい気がする。
「どうしようね……」
困り切ったように笑うギルバートを見つめて、セシリアも考える。
(うーん……)
セシリアを諦めて、認めさせる。どうすれば――
「あたし、王子様にギルバート様との婚約を認めるようにお願いします」
それが一番手っ取り早そうだった。
というか、それしか方法が無いような気がする。
ぐっと拳を握ったセシリアを見つめ、ギルバートがなんとも言えない表情を浮かべる。
「……セシリア、自分が何されたか分かってる?」
もちろんだ。
「閉じこめられて捕食されかけました」
「捕食!?」
「こう、頭からがぶりっと」
食べられたような気分だった。
「……えっと、それは何かの比喩だよね?」
ぶつぶつと呟いているギルバートを見て首を傾げる。嘘は言っていないつもりだ。
「だって、なにをしても結局王子様が書類を見るんですよね? だったらやっぱり、王子様と話すしかないじゃないですか」
正攻法あるのみだ。立ち塞がる壁に門が無いなら、よじ登れば良いのだ。
「……今度は閉じこめられたら、迎えに来てくれますよね?」
上目遣いにギルバートの顔を覗き込むと、彼はぐっと言葉に詰まる。
しばしの沈黙の末に頷き、彼はセシリアを胸に抱き込んだ。
とくとくと鳴る心音を聞いていると、不思議と落ち着いてくる。
「もちろん。でもやっぱり、君に危険な目には遭って欲しくないんだよ」
小さく笑って、セシリアは彼の背に腕を回した。
「いまさらです」
「……それもそうだけど」
ギルバートがどこか不服そうに呟く。
馬車が一際強く揺れた。慌てて体を離すと、御者がカルデローネ家に着いたと教えてくれる。
「……とにかく、殿下の事は後で一緒に考えよう。まずはご家族に会わないとね、セシリア」
その言葉に頷いて、セシリアはギルバートの手を取って馬車から降りた。扉を開けてくれた御者は、馬を替えてくると告げて走り去っていく。
「セシリー! ……と、ギルバート様!?」
門の前に降り立った二人を見て、門のすぐ傍に立てられた詰め所から少年がすっ飛んできた。なんだか嬉しくなったセシリアは、ぶんぶんと手を振って笑う。
「久しぶり! ただいまー!」
彼はセシリアと一緒に引き取られた少年で、現在は門番として働いている。つまりギルバートとも顔見知りである。
「え!? お前王子様に誘拐されたんじゃないの!? なんでギルバート様と一緒なの!?」
「誘拐されてない! 家出して王子様に匿ってもらおうとしたら閉じこめられて、そこから脱走してギルバート様に迎えに来てもらった!」
「わけ分かんねーよ!」
「あたしも実はよく分かってない!」
堂々と胸を張って言う事ではないが。
「驚かせてごめんね」
埒が明かないと思ったのか、ギルバートが二人の間に割り込むように口を開く。
「カルデローネ家の当主殿に、セシリアが帰ってきたって伝えてくれないかな」
「え? ……あ、そうかセシリー家出してたっけ! このばか!」
目を白黒とさせていた少年はセシリアを罵ると、弾かれたように屋敷へと駆けていった。
「あ、勝手に入って下さい!」
その言葉に頷いて、ギルバートの手を引いて門をくぐる。
飛び出して来た使用人達に手を振りながら、セシリアは屋敷へと歩を進めた。彼らにも挨拶をしたいが、まずはエドマンド達だ。
(「ごめんなさい」って言ってから、ギルバート様の事を話そう)
あとついでに、王子様の事も。
「セシリー!」
悲鳴のような声に顔を上げると、視界一杯にドレスが広がる。
「お義姉様!」
周囲を蹴散らすような勢いで駆け寄ってきたヴィヴィアンに抱きつかれ、セシリアはよろめいた。何とか踏み止まって彼女の背に腕を回すと、ヴィヴィアンはぐずぐずと鼻をすすっている。
(……な、泣かせちゃった……!)
「で、殿下に拐かされて侍女の格好を強要されたと聞いて、わたくしは……!」
「え?」
どうやって彼女を宥めようかと内心で焦っていたセシリアは、眉をひそめた。
たしかに侍女の格好はしていたが、それは実際に侍女として働いていたからだ。
「その上閉じこめられてあれこれされてしまったのでしょう!?」
…………待て。




