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かしまし姫の謀  作者: さいふぁ
2 かしまし姫は逃げ出した
14/27

 ぎょっとしたような表情を浮かべるギルバートを見て、セシリアは首を傾げた。

(どうして、って……)

「働いているからに決まっているじゃないですか」

 見れば分かるだろうに、一体彼はなにを言っているのだろうか。

 ラッセルに頼まれた用事をこなしていたら、ギルバートが廊下を歩いているところを見つけた。嬉しくなって思わず声をかけたのだが、彼はなぜかひどく驚いて――今に至る。

「働く!?」

「しーっ。ギルバート様、他の人達の迷惑になりますよ」

 素っ頓狂な声を上げる彼に人差し指を突きつけ、適当な部屋に押し込む。廊下で騒いでいたらうるさい事この上ない。ついでに仕事中の私語がばれたら、ヴェロニカにお小言を言われてしまう。

「どうして君がこんな所で働いて……?」

 ぱたんと扉が閉まるやいなや、ギルバートが口を開いた。

「家出したからですよ。匿ってもらえそうな知り合いは、王子様しかいなくて」

「家出!?」

「はい、家出です」

 こくりと頷くと、彼は眉をひそめてセシリアを見下ろす。

「……いつから?」

「一月と……半分くらいです」

「ご家族はこの事は……?」

「知りません。あ、でも『探さないで下さい』って置き手紙を――」

「帰りなさい、セシリア」

 硬い声音で遮られ、セシリアは声を途切れさせた。

 恐る恐るギルバートを見上げると、彼は見た事がないほど怖い顔をしている。まるで知らない人のようだ。

「ギルバート様、今、何て……」

 小さな声で問うと、がっと肩を掴まれた。指が食い込む痛みに顔をしかめる。

「もう一度言うよ、セシリー。今すぐ家に帰りなさい。家に帰って、君のお祖父様とお祖母様、叔父様と叔母様に『ごめんなさい』を言うんだ」

「……っ、でも」

 家に帰れば、縁談が待っているかもしれなくて。

 そうしたら、ギルバートが迎えに来られなくなってしまうかもしれなくて。

「わがままは駄目だ、セシリー。良い子だから、家に帰って」

 それなのに、彼は家に帰れと言うのだ。

「あの、聞いて下さい、ギルバートさ」

「言いわけは聞かないよ、セシリー」

 セシリアの話を、聞いてくれないのだ。

(……ギルバート様は、迎えに、来てくれるんだよね……?)

 不意に芽生えた不安が、心に疑いの根を張る。

 彼は迎えに来てくれると言った。だからセシリアは、彼の手を取れるように、迎えに来てもらえるように、家を出た。

 でも、彼は家に帰れと言うのだ。

 そうしたら、迎えに来てもらえなくなるかもしれないのに。

(……それでも良いと、思ってるの?)

 分からない。

 分からないけれど。

「……や、です」

 きっと顔を上げ、琥珀の瞳を睨み据える。

「いやです! 帰りません! 絶対、絶対帰りません!」

 セシリアはギルバートと一緒にいたいのだ。家がそれを阻もうとしても、ギルバートがセシリアを拒絶したとしても。

 だから今は、絶対に帰らない。

「セシリー!」

 ギルバートの表情が、ますます怖いものになる。

「いい加減にしなさい! 帰りなさい! 帰れ!」

 きんと耳が痛んだ。いや、痛いのは耳ではなくて、胸なのかもしれない。

「いや、です……!」

 じわっと涙が滲んだ。

「……そこまでに、してもらおうか」

 ため息混じりの声が聞こえたのは、その時だった。

 はっとして顔を向ければ、扉の前にラッセルが佇んでいる。背後にはヴェロニカが控え、感情の読めない眼差しをセシリア達に注いでいた。

「セシリア、仕事中の私語は厳禁だ。せめてもっと小声にしろ。廊下にまで響いていたぞ。

 そちらは……シルワ子爵か。先程の議会でも顔を合わせたな。俺の侍女に手を出すのはやめてもらおう、これでも大切な預かりものだ」

 黄金の瞳を向けられたギルバートが、はっとしたようにセシリアから手を放す。すかさずラッセルに手を掴まれ、引き寄せられた。

「大丈夫か」

「え? ……は、はい」

 危害を加えられたわけではない。

 戸惑いつつも頷くと、彼はほっとしたように息を吐いてセシリアを解放した。

「殿下、彼女は……」

「言っただろう、『預かりもの』だ」

 ギルバートの言葉を遮って、ラッセルが強い調子で答える。

 気圧されたように口を閉ざしたギルバートを見て、彼はふんと鼻で笑った。

「ヴェロニカ、彼を玄関広間(エントランス)まで案内して差し上げろ。久方ぶりの議会だったからな、道に迷ってしまったそうだ」

「かしこまりました。……シルワ子爵、こちらへ」

 淡々とした調子でヴェロニカが答え、半ば強引にギルバートを連れて行く。彼は何度かセシリアを振り返っていたが、それも扉が閉まると見えなくなった。

「セシリア」

 二人きりになった部屋の中で、何とも言えない表情を浮かべたラッセルがセシリアを見下ろす。

 目元にハンカチを押しつけられ、セシリアは自分がぼろぼろと泣いていた事に気づいた。

 受け取って目元を押さえると、ぐりぐりと頭を撫でられる。

「……シルワ子爵とは顔見知りだったか」

「……はい」

「孤児院にいた時に世話になったのだったな」

「……そうです」

 ぎゅっと目を閉じる。

「王子様。……わたし、家に帰れって、言われました」

 彼のために、家を出てきたのに。

「……わがまま言うなって、言われました」

「そうか」

 唇を噛みしめて俯く。

 彼にとって、セシリアの行動は迷惑だったのだろうか。彼と一緒にいたいというセシリアの思いは、わがままなのだろうか。

 それとも――

「そうだな。お前はもう少し、周りを見るべきだ」

 その言葉に、セシリアは顔を上げた。

 目の前の王子様は、厳しい表情を浮かべている。

「……セシリア。たしかにお前は、一度家に帰るべきだ」

 息を詰めるセシリアを見下ろして、彼は「誤解するな」と呟いた。

「お前を追い出したくて言っているわけではない。

 ……社交界では今、お前が出奔しただの、病気療養で領地に引っ込んでいるだの、根も葉もない噂が広がっている。シルワ子爵は心配していたんじゃないのか」

「……心配」

 されていたのだろうか。

「それと、もう一つ。カルデローネ家は、お前がここにいる事を知っている。俺の元には、毎日のようにお前を家に戻すようにと懇願する手紙が届いている」

「知って……!?」

 よろめくように後ずさる。

 頭から冷水を浴びせられたような気分だった。

「辺境伯とは先程の議会で顔を合わせたが、ひどく憔悴していたぞ。パトリシア夫人は寝込んだというし、クラレンス夫妻もここ最近は社交界に姿を見せていない。

 ……俺の言いたい事が分かるか?」

「わたしのせいで、王子様にも、お祖父様達にも、迷惑をかけて……」

「違う」

 苛立ったような声が言葉を掻き消す。

 やや乱暴に体を引き寄せられ、セシリアはラッセルの胸に額をぶつけた。

「……心配しているんだ」

 ため息混じりの言葉に、目をしばたたかせる。

「カルデローネ家は心配しているんだ、お前が何も言わずに出て行ったから。『探さないで下さい』と書き置きして姿を消したら、心配するのは当然だろう。ましてやカルデローネ家は、かつて実際に令嬢が出奔している」

「……あ」

 いまさらのようにその事を思い出す。

 途端に後悔が押し寄せ、セシリアは歯を食いしばった。

(あたし、ばかだ……!)

 なぜ、今まで平気でいられたのだろう。彼らが心配しないはずがない。

 彼らだけではない。リタ達も、きっととても心配している。

 だってセシリアは、何も言わずに出てきてしまったのだから。

(……そっか)

 だから、ギルバートは怒ったのだ。セシリアが勝手に家出して迷惑をかけているから。縁談の事について話し合いもせずに、一人で逃げ出したから。

 だから、ラッセルはカルデローネ家に連絡したのだ。心配している家族が、少しでも安心できるように。

「カルデローネ家の者だけでは無いぞ。ヴェロニカも心配していた」

 しゃくりあげていると、大きな手があやすように背を叩いていく。子どものころに戻ったような気分だ。

「もちろん、俺もだ」

 顔を上げると、彼の顔が思った以上に近くにある。

 とっさに下がろうとすると、背を叩いていた手がセシリアを引き寄せた。

 もう片方の手で頬を撫でられ、さらに顔が近づく。

「お前は、大切なことは何も話さない。だから俺は困っている。

 ……セシリア・カルデローネ」

 金色の瞳が、榛色の瞳を捕らえる。

(……鷹だ)

 鷹の王子様は、狙いを定めたのだ。隠れる前に見つかった獲物(セシリア)は、逃げられないのだ。

「お前は何を考えている。何を望んでいる」

「何、って……」

 ギルバートと一緒いたいと考えている。それを強く、望んでいる。

 けれど、なぜだろう。

 それを、この人には言っていけない気がする。

「……言わないのか」

 ふっと彼が笑った瞬間に、金色の瞳が剣呑な光を宿す。王子様はいつも優しいのに、今日は少しだけ怖かった。何を考えているのか分からなくて、不安になるのだ。

「……王子様こそ」

 掠れる声を絞り出す。

「王子様こそ、何を考えているんですか……?」

「俺か。そうだな。お前を心配している。お前が何を考えているのか考えている。それと――」

 目の前がかげり、周囲の空気がぐっと重たくなる。焦点が合わないほど近くに迫ったものが彼の顔だと、一瞬理解できなかった。

 動けないセシリアの唇に、唇が触れる。

(……捕食された!)

 セシリアはぎょっとして目を見開いた。

 我に返って身をよじるが、いつの間にか身体が押さえ込まれている。身体の奥から恐怖が込み上げてきて、鳥肌が立った。

 僅かに唇が離れた瞬間に思い切り顎を引き、彼の顔に頭突きをお見舞いする。

 ぱっと体を離され、セシリアは飛び退くようにして距離を取った。ドレスの袖で唇をごしごしとこすっていると、ラッセルは平然とした様子で口を開く。

「――シルワ子爵とお前が話しているのを見て、気に入らないと思っている。お前が彼に泣かされているのが、腹立たしいと感じている。

 セシリア。俺はどうやら、お前の事をずいぶんと気に入っているらしい。ずっとここに置いて、いずれ妃にしても良いと思うほどには」

 なんだそれは、という言葉が喉の奥で凍り付く。

(…………嘘でしょぉおおおおお!?)

 心の中で絶叫しているセシリアをしばらく見つめてから、彼は踵を返した。

「額にけがをしている。ヴェロニカを呼ぶから、彼女の指示に従え」

 一方的に告げて、ラッセルはさっさと部屋を出て行く。

 ゆったりと歩み去る彼を、セシリアは呆然と見送った。思い出したように額に手を当てれば、指先に何かぬるりとしたものがつく。

 血だった。どうやら、切れてしまったらしい。

 体から力が抜け、セシリアはへなへなとその場に座り込んだ。

(……まずい)

 この状況は色々とまずい。カルデローネ家にいるよりまずい。

 まさか王子様があんな事を言い出すなんて思わなかった。

「殿下から手当てをするようにと言われましたが……何かあったのですか?」

 戻ってきたヴェロニカが首を傾げていたが、何も答えられなかった。


 セシリアを置いて部屋を後にしたラッセルは、その足で執務室に戻った。

 書簡をしたため、侍従に命じて封蝋を押させる。

「こちらはカルデローネ家へ。そしてこちらは――」

 淡々とした声音で命じ、全ての手配を終えてから、ラッセルは笑みを浮かべた。

 血の味が残る唇を押さえる。

 目を閉じると、臆することなく見つめ返してくる榛色の瞳がまなうらに浮かんだ。

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