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かしまし姫の謀  作者: さいふぁ
2 かしまし姫は逃げ出した
10/27

 カーテンの隙間から漏れ入る月の光が、部屋の中に細く白い筋を描いている。

 寝台の上で、セシリアはごろんと寝返りを打った。ぐしゃぐしゃになった毛布を頭の上まで引っ張り上げ、抱え込んだ枕と共にまた寝返りを打つ。

「……うーん……」

 しばらくの間寝台の上でのたうち回り、セシリアは体を起こした。

(……寝れない)

 目元に落ちかかる髪を掻き上げ、のそのそと寝台から這い出る。手探りでカーテンを開けると、月明かりが室内を照らし出した。その光を頼りに燭台を探して隣室に移り、まだほんのりと熱を帯びている暖炉へと近づく。

 埋められていた火種を掘り返して薪をくべると、少ししてぽっと炎が灯った。燭台にも火を移してから、ほっと息をつく。

 春先とはいえ、夜の寒さは厳しい。染み入るような炎の温かさが心地良かった。

 人目が無いのを良いことに、ぺたんと暖炉の前に座り込む。上等な敷物が敷き詰められているおかげで、石造りの床から冷気が伝わってくる事はない。

 ちろちろと薪をなめる炎を眺め、セシリアは膝を抱えた。膝頭に額をぐりぐりと押しつけると、なぜか心が落ち着く。孤児院時代にも同じような事をしていたからだろうか。

 そのままの体勢で、ふう、とため息をつく。

 どうにも寝付けそうになかった。

(……ギルバート様、頷いてくれたけど……何するつもりなんだろう……)

 昼間、アーネッド邸で別れた彼との会話を思い返し、うーんと首を傾げる。

『あたしの家を、乗っ取って下さい!』

 そう言い放ったセシリアを見上げて、彼はしばらくの間ぽかんとしていた。少しして我に返り、何やら色々と言ってきたが、内容が難しくてよく分からなかったので覚えていない。

 とりあえずそんな事をすればセシリアの家族やカルデローネ領の領民に迷惑がかかる、自分が別の手を考えるから、迂闊な行動は取らずに大人しく待っているように――と端的に説明され、セシリアは渋々その言葉に頷いたのだった。

 ちなみに、愛しているとはまだ言われていない。その事は大いに不満だったが、セシリアを迎えに来るつもりである事は分かったので、とりあえず黙っている事にした。

 事の顛末を聞いたリタは苦笑していたが、何も言わなかったので信頼しても良いのだろう。セシリアの事が遊びだというのなら、ギルバートはきっと手を打たずに「さようなら」をしたはずだ。

 だからセシリアはただ待っていれば良いのだが――

(……本当に、待っているだけで良いの?)

 心の中ではずっと、その疑問が渦巻いていた。

 だって、ギルバートはセシリアのためにがんばると言ったけれど、セシリアはなにもがんばらずにただ待っているだけなのだ。

 セシリアだってギルバートが好きで、彼のためにがんばりたいのに。

 しかし、セシリアは彼のために何ができるのか分からない。リタに相談しても、答えは出てこなかった。パトリシアやヴィヴィアンなら答えをくれる気がしたが、追及されてギルバートの事がばれるのはまずい。だって彼はフォルテ家の次期当主だ。

(うーん……)

 これは一体、どうしたものか。

(いっそ、本当に駆け落ちしちゃったら楽なのかなー)

 しかしそれは現実的ではない。セシリアはそれを、身をもって知っている。

 あの孤児院は、子どもを育てられなくなった親が「いつか迎えに来る事」を前提に訪れる場所だ。それを厭う親は子どもを教会の前に置き去りにしたり、貧民街に放置したりする。

 クラレンスに見つけられるまで、セシリアを迎えに来る人はいなかった。孤児院に自分の子どもを迎えに来る人なんていなかった。

(家を出たお母さんがあたしを孤児院に捨てたって事は……)

 駆け落ちした先に待っている生活は厳しいものだという事だ。ギルバートがそれに耐えられると思わない。

 彼は生粋の貴族だ。畑仕事を手伝う事も、満足に家事をこなす事もできない。追っ手から逃げて日雇いの仕事を探し、貧民街をさまようのはセシリアだって嫌だった。一人ならどうとでもなるが、ギルバートと二人で生活しながらなんて無理だ。

 レイラが協力すると言っていたが、アーネッド家はカルデローネ家やフォルテ家と繋がりがある。何かの拍子に感づかれてしまったら、隠しようがない。

 それに、ギルバートが突然消えてしまったら、孤児院はどうなるのだろう。彼の領地は誰が管理するのだろう。新しく管理してくれる人物は、ギルバートのように孤児院に寄付をしたり、農民に会いに来てくれるだろうか。

(だから、駆け落ちしないのは正しいんだ)

 自分が何もできないという事実が歯がゆいだけで。

 きゅっと唇を噛む。貴族でさえなければ「好きです、結婚して下さい」で済むのに、セシリアはギルバートのために動く事すらできないのだ。

 考えれば考えるほど、気分がずぶずぶと沈んでいく。

 しばらくもだもだとしていたが、セシリアはぶんぶんと頭を振って、勢いよく立ち上がった。考え込んでいるなんてセシリアらしくない。ギルバートが「待っていて」と言ったのだから、セシリアは良い子で待っていれば良いのだ。

 そう決めてしまうと、なんだかとてもすっきりした。ついでにお腹がぐうと鳴る。

「……食べ物」

 再び燭台を手に取り、セシリアは廊下に出た。足音を立てないように注意して廊下を進み、階段を降りていく。なぜ自分の部屋は三階にあるのだろう。厨房まで遠すぎる。大いに不満だ。

 時折聞こえる物音に足を止めつつ、厨房を目指す。そこからさらに階段を下りた先にある食料庫に潜り込んだセシリアは、燭台を棚に固定してから息をついた。すぐに食べられるものを見繕って腕に抱え、速やかに脱出する。

 ひそひそと話し合うような声が聞こえたのは、書斎の前を通った時の事だった。

「――ら、セシリアが――」

 その言葉に、セシリアはぴたりと足を止めた。この声はクラレンスだ。そして先程聞こえたのは、間違いなく自分の名前である。

(……お義兄(にい)様?)

 内心で首を傾げつつ、すすすっと扉に寄る。

 ぴたりと耳を押しつけて、セシリアは聞き耳を立てた。

「セシリアの相手は――」

 エドマンドの声だ。セシリアについて、何やら話し合っている。

「早めに――婚約――」

「セシリアの相手――」

「――見つからない――」

「探している――」

 早めに。婚約。セシリアの相手。探している。

 漏れ聞こえた言葉を繋ぎ合わせ、その意味を理解した瞬間に血の気が引いた。

(え……待って、これって……)

 もしかしなくても、セシリアの縁談について話し合っているのだ。

『縁談が来たらどうするの?』

 リタの言葉が脳裏を過ぎる。

 ギルバートの事は、エドマンドやクラレンスに話せない。絶対に反対されるからだ。もしかしたら、彼から引き離すために知らない相手と縁談を組まされてしまうかもしれない。

 けれどこのまま黙っていても、縁談を押しつけられるのではないだろうか。

(……待ってるだけじゃ、だめだ)

 何もせずに待っていたら、ギルバートが迎えに来られなくなってしまう。

 ギルバートに会えなくなってしまう。

 どきどきと鳴る胸がうるさかった。口の中がからからに乾いて、指先が冷たくなる。

 カルデローネ家は、セシリアの家だ。セシリアはエドマンドやパトリシア、クラレンス、ヴィヴィアンが大好きだ。

 でも、ギルバートはもっともっと大好きだ。

 ここで震えているだけではだめだ。ギルバートが迎えに来てくれた時にその手を取れるように、彼の隣にいられるように、セシリアは動かなくてはいけないのだ。

(決めた)

 ある事を決意して、セシリアは踵を返した。部屋に戻り、少しの間思考を巡らせる。

 そして、行動を起こした。


 ――翌朝、カルデローネ邸に悲鳴が響き渡る。

 カルデローネ家当主の孫、セシリア・カルデローネの姿が忽然と消えていたのだ。

 その事に最初に気づいたのは、彼女の侍女であるリタ・クリスティ。

 主を起こすために寝室を訪れた彼女が目の当たりにしたのは、空になった寝台に何枚かドレスが消えた衣装棚、火種が消えた暖炉、床に転がるビスケット。

 そして「探さないでください」とたどたどしい文字で綴られた、一枚の紙だった。


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