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かしまし姫の謀  作者: さいふぁ
プロローグ ある過ぎ去りし秋の事
1/27

 それは、収穫期も終わりに近づいた夕暮れの事だった。

「あれ?」

 クリスティ孤児院の前に馬車が止まるのを見て、田園を歩いていたセシリアは声を上げた。

 六頭立ての馬車は、一目見て貴族のものだと分かる。マッチ棒ほどの大きさにしか見えない人達がぞろぞろと孤児院の中に入っていく様は、なんだか変な感じだった。

(院長先生のお客様かな? でも、大きな街に出掛けちゃったし……)

 一体なんの用だろう。

 孤児院を援助してくれる親切な貴族は数日前に来たばかりだし、こんな田舎の孤児院を訪れる物好きはあまりいない。

 少し考えてみたが思いつかなかったので、セシリアは考えるのをやめた。行ってみれば分かるし、元々考えるのは苦手だ。

 ぼろぼろの革靴を手にぶら下げたまま、泥まみれの素足でぺたぺたと歩く。昨夜の雨のせいで舗装されていない道はぬかるみ、歩くたびに泥水が跳ねた。

(ずいぶん汚れちゃったなあ……)

 服を汚してしまった事をちょっぴり申し訳なく思いつつ、ずんずんと道を進んでいく。いまさら気にしたって仕方がない。洗濯班の子達には素直に謝ろう。

「あ、セシリー! おかえり!」

 泥水を跳ね飛ばしながら歩くセシリアに気づいたのか、孤児院の前で小さな子ども達を見守っていた少女が顔を上げる。

「リター! ただーいまー!」

 手に持った靴をぶんぶんと振りながら叫ぶと、少女――リタが呆れたように肩をすくめた。赤茶けた髪を一つに括ったリタは、セシリアと同じく孤児院を仕切る年長組だ。

「ちょっとセシリー、あんた泥だらけじゃない! ていうか靴! 振り回さない!」

 駆け寄ってくるなり小言を口にし始めたリタに頷いて、セシリアは靴を持った手を下ろした。彼女はセシリアの全身をくまなくチェックし、きりきりと眉を吊り上げた。

「何でこんなに泥まみれなの!?」

 リタは泥水が染み込んだエプロンやスカートを見て、うわあ、と顔をしかめる。

「洗濯するのはあたし達なんだよ!?」

「ごめん」

 素直に謝ってから、セシリアはたった今歩いてきたばかりの道を指差した。

「昨夜の雨で、あっちこっち滑るんだもん」

「……転んだの?」

「うん」

「……なるほど」

 セシリアの肩越しにぬかるんだ道を眺めて、リタが納得したように呟く。

 それよりも、とセシリアは口を開いた。

「……あれ、何?」

 近くで見るとより一層豪華な馬車と、周囲を取り囲む男達へと顔を向ける。

 ピカピカと輝く靴やきらびやかな刺繍が施された胴衣は見るからに高そうでで、セシリアの目には眩しかった。あの胴衣一枚、いや靴片方でも売りさばけば、孤児院の生活はものすごく楽になりそうだ。

(あれ売ったら、パンが何個買えるかな……)

 舐めるような視線に気づいたのか、男達はじろりとセシリアを睨めつけてくる。

 しかし、セシリアが視線を逸らそうとした瞬間、彼らは雷にでも打たれたかのように硬直した。

(……ん?)

 内心で首を傾げていると、くわっと目を見開いた男達は、値踏みするようにセシリアを眺めてくる。頭のてっぺんから泥まみれの爪先までじろじろと観察されたセシリアは、たじろいで後ずさった。

 年の割には背が高いし、やせっぽちだし、金茶の髪と榛色の瞳は珍しいけれど、お貴族様にじろじろと見られるような心当たりはない。

 それともあれか、彼らはセシリアが考えている事でも分かったのだろうか。身ぐるみを剥いで売りさばきたいと思ったのは認めるが、本気ではないし、孤児の考える事なのだから大目に見て欲し――

「……おい、そこの娘」

 男達の中でも、一番年嵩に見える男が口を開く。

「赤銅色の目のお前じゃない、田園から歩いてきた泥まみれの方だ」

 その声に、いまだにぶつくさと文句を言っていたリタが振り返り、男達の視線に気づいて悲鳴を上げた。彼女は孤児院の中でも飛び抜けた美人だが、男が大嫌いなのだ。

 リタを自分の後ろに追いやったセシリアは、ツカツカと歩いてくる男の姿に息を飲んだ。

 丁寧になでつけられた白髪交じりの髪やしわを刻んだ顔は、厳しそうな印象を与えている。体は細っこいのに、日雇い先で面倒を見てくれた頑固親父よりも怖そうだった。

 セシリアが足を引く前に、男は目の前まで来てしまう。

「……田園の方から歩いてきたが、この辺りの者か」

 セシリアはきょとんとして瞳をしばたたかせた。この辺りも何も、セシリアは孤児院の者だ。

「え? ……はい、この孤児院に住んでますけど」

「親は」

「知らないです。捨て子なので」

 どうしてそんな事を聞くのだろうと訝りながらも、素直に答える。偉い人の機嫌は損ねないに限る、と孤児院の創設者であり院長でもあるクリスティが言っていた。彼女の教えは、大抵において正しい。

 セシリアの答えに、男はふむ、と頷いてから顎に手を当てた。何かを思案するように黙りこくったまま、彼はセシリアを見下ろす。

 落ち着かない。

「……えっと、あのー?」

 視線に耐えられなくなり、愛想笑いを浮かべて首を傾げる。

 その瞬間、男はかっと目を見開いた。

「その角度、その声、そしてその表情、まさにお嬢様……!」

 わけの分からない事を口走ったかと思うと、彼はおもむろにセシリアの両肩を掴んで揺らす。

「お前の! 母は! 母親は! 今どこに!」

 ぐるんぐるんと世界が揺れた。

「答えろ娘! 母は! お嬢様は! どこに!」

「だ、から! 知りませっ」

 舌を噛んだ。涙目で痛みに耐えていると、先程よりも強く体を揺らされる。気持ち悪くなってきたのだが、そろそろやめてもらえないだろうか。

「――何をしているんだ」

 呆れたような声がかけられたのは、その時だった。

 ぱっと手を放される。

 足元がおぼつかなくなったセシリアは、その場にぺたんと座り込んだ。ぐるぐると回る世界に翻弄されていると、目の前に手袋に覆われた手が差し出される。

「家の者が失礼をしたね。院長先生を訪ねて来たのだけれど、今日はいらっしゃらないのかな?」

 どうやら彼が、男達の主人らしい。孤児院の子どもに謝って、あまつさえ手を差し出してくれるなんて、ずいぶんと変わり者のようだった。

 慰問や視察という名目で孤児院を訪れる貴族達は、たった一人を除いて皆「触れるな下賤」とかなんとか言って顔をしかめていたのに。

 泥の中についてしまった手をエプロンで拭いて、自分よりも一回り大きな手を取る。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 そろそろと顔を上げ、セシリアは手袋の主を見た。

 癖のある金茶の髪が、端正な面差しにかかっている。すべすべとした肌は日焼けを知らないかのように白くて、僅かに垂れた榛色の瞳がくっきりと際だって見えた。

 年は二十代の後半から三十代といったところだろうか。雰囲気は落ち着いているのに、外見は幼く見える。貴族の人の年齢はよく分からない。

 身につけているのはやたらと高そうな服で、装飾があちこちにしてあるけれど――そんなのは、今は問題ではない。

 目の前にある顔を、まじまじと見つめる。

 目の前に佇む青年も、セシリアをまじまじと見つめた。

(……あれ?)

 珍しい金茶の髪といい榛色の瞳といい、この顔には見覚えがある。

 いや、見覚えがあるというよりも――

「……あたしと、そっくり?」

 びっくりだ。背の高いところまで似ている。

「……え、さ……?」

 呆然とした表情で、青年が呟く。

「……え?」

 セシリアが首を傾げた次の瞬間、彼は素っ頓狂な声で叫んだのだった。

「姉さん!?」


 数日後、とあるニュースがハヴェスト王国の都ロンディアを席巻する。

 十年以上前に失踪したカルデローネ辺境伯の令嬢、エメリン・カルデローネの忘れ形見が孤児院で見つかり、引き取られた、と。

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