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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之壱 泉と軍隊
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争う理由

 馬に乗った春覇の左側を私、右側を章軌が歩く。騎兵の集団が進む後ろから、歩兵の隊列が続いていた。春覇は騎兵の中心部にいる。近くにあの武将もいるから、ここが中軍なのかも知れない。

 因みに範蔵は歩兵らしく、見当たらない。当然ながら騎兵の方が位は高いようだ。

 昼頃に箕原と呼ばれる高原に辿り着いて昼食をとって以来、皆無言で歩き続けている。日は大分傾いて、周囲の空気にひっそりと茜色が混ざり始めていた。

「止まれ」

 やや広い草原に出た所で武将の声が響き、隊列が止まる。今日はここで夜を明かすという事だ。

 指示を受けた兵士達が簡易なテントを張り始め、春覇が馬を下りる。私と目が合うと少し目を細めた。

「疲れているようだな」

「いや、別に……」

 私は曖昧に答えて目を逸らした。

 疲れていないと言えば嘘になるが、そのせいで元気が無いわけじゃない。

 この世界について、歩きながら色々考えた。戦を繰り返す殺伐とした世界。女神の加護を失った混沌の世界。精霊の住まう神秘的な世界。様々な側面があって、私のいた世界とは大きく違う。でも、同じ人間が住んでいる世界だ。

「春覇」

 気が付くと、言葉がこぼれていた。

「何故戦うんだ」

 私も向こうでは時折この態度から、あるいは中津に巻き込まれて絡まれては喧嘩をしていたし、人間生きる上で他人との衝突は必定だと考えていた。国が分裂してしまったのなら、一つになろうと、それも自分の国を頂点として世界を纏めようと争うのは一種当然の指向なのかも知れない。

 でも、ここは女神の住まう世界だ。

 加護を失って国が乱れたなら、何故再び加護を得ようと考えないのか。

 何故人の血を流して土地を争わなければならない?

 嫌そうな顔をするか戸惑うかだろうと思っていた春覇は、意外にも冷静に私を見つめ返した。

 日が地平線に触れ、濃度を増した茜色の光が春覇の瞳を煌めかせる。

「灯宵」

 重みを帯びた春覇の声に引きずられるように、藍色の帳が人の高さまで降りてきた。思わず体を緊張させた私に、春覇が歩み寄る。すれ違う寸前で、彼女は立ち止まった。

「人はお前が思うほど優しくはない」

 それは呟くような声だったが、しっかりと私の耳に届いた。私の言葉が甘く受け止められたのだと考えて反論しようとしたら、春覇に腕を掴まれた。

「後でゆっくり話そう。酉戌(ゆうじゅつ)の経に私の幕舎へ」

 今度こそ意図的に潜めた声で言って、春覇は足早に去っていった。


 酉戌の経というのは要するに午後八時頃のことらしい。

 夕食を終えて休む準備に入っている兵士達の間を縫って、私は春覇のいる幕舎の前に立った。入り口に見張りとして立っているのは当然ながら章軌だ。章軌は私の顔を見るとすぐに中に入って春覇に知らせ、また出てきて私を中へ通した。章軌自身はそのまま見張りに立つ。

「来たか。座れ」

 鎧を解いた春覇は、それでも毅然とした雰囲気を失ってはいない。私は促されるままにむしろの上に座った。春覇は折り畳み式の寝台に腰掛けて足を組み、膝に肘を乗せて頬杖をつく。そうする事で近くなった私の顔をじっと見つめた。

「まず言っておく」

 揺らめく灯火に照らされた春覇は、やっぱり美人だと思う。しかしその瞳は痛いほどに真剣で、よそ見を許さない。

「今日一日お前を見てきて、私はお前は密偵ではないという結論に達した」

 やっぱまだ信用してなかったんですか、そうですか。まぁ当然といえばそうなんだろうけど……

 面と向かってお前を警戒していた、と言われるのはなかなか複雑だ。

「但し」

 ようやく信用はされたらしいが、そこで緩ませてくれないのが春覇だ。

「我が碧に害をなす事があれば即座に斬り捨てる。心に留めておけ」

 本気だよこの人!

 絶対本気で斬り捨てる。この人ならやる。

 短いつきあいでも大体春覇の性格が飲み込めた私は、一も二もなく頷いた。こういう真面目な人間というのが実は一番怖いかも知れない。有言実行だし。

「さて、先程の件だ」

 頬杖を外し、春覇は少し俯いて額に手を当てた。

「お前は何故私にあの問いを発した」

 春覇の質問に、私は頬を掻く。無意識に言ってしまったっていうのが正直な所だ。

 しかし敢えて言うなら。

「人間同士で争うより女神の加護の方が重要なんじゃないかって……方士のあんたなら考えるかと思って」

 方士とは精霊と対話し、彼らを使役して様々な術を行うものだと聞いた。そして方士の高い霊力は、女神が人の世に与えた力を色濃く受け継いだ事でもたらされるとも。

 私の言葉を聞いた春覇は、重い息を吐いた。

「確かにそうだ。しかし、この問題は根が深すぎる」

 女神の加護が失われたのは五百年も前で、それから春覇が生まれるまで人は幾度と無く争い、幾千幾百という血を流してきた。

 しかも今となっては何が女神の怒りに触れたのかすらわからず、方士達にも女神と接触する手段は無い。この状況で加護の回復を叫んでも、夢物語と笑われるのがオチだ。

「それに人は争いすぎた。もはや人の力による何らかの決着無しにはこの五国は纏まるまい」

 冷静な観察の中に諦めを滲ませた春覇の意見は、多分正しいんだろう。

「今、最も広く、最も強いのは昏だ」

 よりによってメタボのいる国か。

 私は首を傾げた。

「でも、この軍は勝ってたよな?」

 戦闘に要した時間の短さから見て、かなりの優位を保った勝利だった筈だ。当然の私の問いに、春覇は目を伏せた。

「所詮は局地戦だ。それに国の強さは単純な兵の強度で決まるわけではない」

 一息吐いて、前髪をおもむろに払う。再び上がった春覇の目には、憤りの炎が点っていた。

「昏は大陸王家の血胤を引く者を探し出してきて奉戴している。五国いずれも王家の臣から発生した国だ。主家を伐つとなれば難しい進退を迫られる事になる」

「え、でも王家って……」

 狐狼に皆殺しにされたんじゃ、という言葉を、とっさに飲み込む。しかし春覇には伝わったようで、彼女は小さく頷いた。

「だが僅かに免れた者がいたとしても不思議ではない」

 本音では、もう王家の血胤など気にしている段階ではないんだろう。下克上が五百年も続いているんだ。しかし建前をかなぐり捨てれば、他の国からここぞとばかりに集中攻撃を受けかねない。どの国も、世論を統一し士気を上げる為に大義名分を欲しているのだ。

「保守の濃厚な(とう)などは抗し得ずに領土を削られ続けている」

 腹立たしいのだろう、春覇の眉間に力が入る。

「だが私は……碧は、あの薄汚い昏にこの地を明け渡すつもりは無い」

 断言して、春覇は立ち上がった。

 わらわらと集まった精霊達が彼女の怒りに反応してぶるぶると震える。

「争うしかないのだ、我らは」

 悲しみを踏みしめた強い声で、春覇は言った。

「争う事をやめた者から食われていく。終わりがあるとすれば、勝利か屈服か…滅亡だけだ」

 引き返したくても、背を向けた瞬間に死を覚悟しなければならない。

 苛烈で、悲しい話だ。

 私は口を噤んだ。

「戦いを終わらせて大陸が再び一つになれば…女神の加護の回復に全力を尽くそう」

 それじゃ遅すぎる。それまでに何百何千という血が流れるだろう。

 春覇もわかっているんだ。でも、今は戦うしかない。終わりの見えない戦乱の世で、国を守り大陸の統一を目指すしかないんだ。

 私は仰向いて、嘆息するしかなかった。


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