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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之漆 草萌の国
73/76

正体

 夕刻。


 春覇の執務室に、私と中津、章軌、そして総華が集まった。

 今後の行動を話し合うのが主な目的だが、私にとっては中津の不可解な言動を問い詰めるという意味も持つ。

 机に着いた春覇の向かい側に、私達四人は椅子を並べた。私と中津が知り合いだという事は春覇一人に簡単に説明しただけなので、章軌と総華は不思議そうに私達を見ている。

 逆に中津は、総華を見て首を傾げた。

「その子は?」

「総華。章軌の妹で、俺がここまで連れて来た」

 私が答えると、中津はへぇ、と呟いて総華に笑い掛けた。

「初めまして」

「……初めまして」

 おずおずと、総華が挨拶を返す。

 その視線が、中津から逸れて私に向いた。

「鴻宵」

 呼びかけに反応して私が目を合わせると、総華は訝しげに言った。

「兄様が言ってたわ。鴻宵は本当の名前じゃないの?」

 どうして名を偽っていたのか。

 責めるでもなく、疑うでもなく、ただ純粋な疑問として向けられた問いに、私は苦笑を返した。

「まぁな……俺の名前は神凪灯宵。長いからな、鴻耀が今の名前を付けてくれた」

「鴻耀?」

 その名前に反応したのは、総華ではない。

 視線を向ければ、目を見開いた春覇が私を凝視していた。

「鴻耀とはまさか……橙の轟狼か」

 私は頷く。春覇は暫く目を瞬いていたが、やがて深い溜息を吐いた。

「お前の行動は突飛すぎてわからん。また別の機会に詳しく聞かせて貰おう」

 話を脱線させないように枝葉を切り捨てる所は春覇らしい。

 軽く頭を振った春覇は、中津に目を向けた。

「それで、結局その男は何者なんだ」

 何か疲れたような口調に思えるのは気のせいだろうか。

 ……ある程度慣れている私でもげんなりするんだ。根が真面目そうな春覇なら尚更中津との会話は疲れるだろう。

「俺と同郷なんだ。名前は中津誠一」

 私が紹介すると、中津はへらりと笑って手を振った。

「改めてよろしく。神凪が鴻宵って名乗るなら俺は鴻誠とかにしようかな」

「同姓にする必要無いだろうが」

 別の名前にしろ、と邪険に突き放す私に不満げな声を上げる。

 当然だろう。何が悲しくてこいつと同じ姓を名乗らなければならないんだ。兄弟でもあるまいし。

「長い名前が不便なのは確かだけど。春覇、鴻の他によくある姓って何がある」

 私が唐突に問うと、春覇は少し考えてから言った。

「慎というのはどうだ」

「慎……慎誠か。まあいいだろう」

 そう呟きながら目を転じれば、中津も頷いていた。

「いいよ、それで」

 さらりと言って、中津は椅子に座り直した。

「ちょっと訊きたい事があるんだ。誰か知ってたら、教えて欲しい」

 存外真面目な様子で切り出した中津に、私は内心首を傾げる。一見いつも通りだが、やけに声音が硬い。

 他の三人の視線も、一斉に中津に集中した。

「五百年前の事なんだけど」

 この世界が狂い出した事件のあった時の事だという。

 何を、知りたいと言うのだろう。

「俺が知ってるのは、王家が女神の力を利用しようと企んで、結果璃誠藍が死んだ事と、後は表向きの歴史……その後狐狼が王家を滅ぼした事」

 狐狼にとっては辛い話題なのだろう、章軌と総華が心持ち俯く。それにちらりと目を遣りながらも、中津は続けた。

「知りたいのは……璃宵藍がどうなったかって事なんだ」

 何でそんな事を訊くのだろう。

 訝しく思う私の横から、疑問の声が上がった。

「腰を折るようですまないが、璃誠藍や璃宵藍とは何者だ」

 発言者は春覇だ。

 その質問を聞いて、私は五百年前の詳細について歴史書が黙して語らない事を思い出した。

「王族の方士だ。当時中霊山に出入りしていた」

 私が問いに答えると、中津が後を引き継ぐ。

「双子の姉弟だよ」

「誠藍は女神と恋仲だった。彼が殺された事が、今の乱世の発端だと言っていい」

 更にそう付け加えたのは私だ。春覇は軽く眉を寄せて、与えられた情報を整理しているようだった。

「なるほど……それで人は女神の怒りを買ったわけか」

 春覇が諒解したのを見て、中津が私に視線を向ける。

「よく知ってるね」

「知り合いに狐狼の老人がいるんだ……お前こそ、よく知っていたな」

 一瞬、妙な空気が流れる。

 しかしそれを妙だと思うより前に、中津が話を進めた。

「じゃあ神凪は知ってるかな。宵藍がどうなったか」

「……ああ」

 私は狐狼の兄妹をちらっと見た。

 彼らにとっては、あまり心地よい話ではない筈だ。しかし逃げているわけにもいかないだろうと結論付けて、私は口を開く。

「死んだ……狐狼に殺されたそうだ」

 中津の目が大きく見開かれた。

「死んだ……?」

 呆然と呟く。

 私は首を傾げた。何をそんなに驚いているのだろう。

「狐狼に……って事は、王家抹殺に巻き込まれたわけ?」

 中津の問いに、私は首を横に振る。

「誠藍を宵藍が殺したと思い込んだ狐狼の長に殺された。それも結局、王家の陰謀だったらしいけど」

 私が言った途端、がたんと音がした。中津が蒼白な顔をして立ち上がっている。その表情に、いつもの脳天気さは微塵も無い。

「中津……?」

「そんな……」

 怪訝に思った私の呼びかけにも答えず、中津は何やら呟くと、私の肩に手をかけた。

「そんな……何で、宵藍が……!」

「中津、どうしたんだ?落ち着け!」

 俯いて声を震わせる中津の様子は、どう見てもただ事ではない。

 私は慌てて中津の肩を掴み返し、揺すった。春覇や章軌も異変を悟って立ち上がる。

「死んだ……?何で、何でそんな……せっかく……」

 私の肩にかかった中津の手に、急に力が籠もった。私は思わず小さく呻く。

 中津が不意に顔を上げた。苦しそうな表情で、叫ぶ。


「せっかく俺が代わりに死んだのに!」


 何でだよ、と続く言葉は、耳に入らなかった。


 どういう事だ。

 代わりに、死んだ……?


 私は呆然と中津を見た。

 中津は確かに生きている。死んだ経験がある筈がない。

 何を言っているんだ、と紡ぎかけた舌が、力を無くしてゆっくりと下がる。


 苦しげに叫んだ声には、偽りも冗談も感じられなかった。


「どういう意味だ」

 混乱から一歩早く立ち直ったらしい春覇の問いが飛ぶ。中津は震える手を押さえ込むように深く息を吐き出すと、私の肩から手を離した。

「ごめん、取り乱して」

 くしゃりと髪をかき混ぜ、小さく笑う。

「どこから話そうかな……」

 中津の口から語られた事は、私達を唖然とさせるのに十分な真実だった。


「俺の名前は璃誠藍」


 あまりにも突飛な言葉に声を失う私達に、軽く苦笑する。

「正確には、璃誠藍の生まれ変わりってやつかな。誠藍としての記憶を取り戻したのはつい最近だけどね」

 中津は私と目を合わせ、含むように笑んだ。

 こちらの人間だと知っていたというのは、そういう事か。私と一緒にこちらに飛ばされるより前に、既に中津の中には誠藍の記憶が蘇っていたに違いない。

「五百年前」

 中津の声が少し沈む。

「当時の王は俺を利用して女神の力を手に入れようと企んだ」

 当事者しか知らない、事件の真実が語られる。

「それにいち早く気づいたのは宵藍だった。宵藍は王の企みを阻止しようと奔走したんだ……と、思う。俺は結局、彼女が殺されそうになるまで気付けなかった」

 多分、誠藍には知られないよう、何とか解決しようとしていたんだろう、と中津は言う。しかし彼女の力は及ばず、王家の兵に殺されそうになった。

「その時にね、俺は宵藍を庇って死んだんだ」

 その感覚さえ覚えているのか、中津が己の掌を見下ろす。

「宵藍なら、圭裳達に事情を話して、うまく事を納めてくれると思ったから」

 ふぅ、と息を吐いて、中津は目元を手で覆った。

「元々ね、俺が死ねば片づく筈の問題だったんだよ」

 私達は黙って中津の独白を聞いていた。

 何も、言えはしなかった。

「王家が歪んだのはきっと、女神の力が弱まったせいだ」

 元より女神と遠く血で繋がっている王家は、影響を受けやすかったのだろう、と中津は言う。加護を強く受けた者は、その加護が弱まれば却って他者よりも脆い存在になる。

 そう推測を述べた中津は、自嘲気味に笑った。

「女神の力を弱めたのは、俺なんだよ」

 笑みを浮かべているのに、その瞳は酷く暗く、辛そうだ。

「女神は、恋をしちゃいけなかったんだ」

 人間の男に恋をした事が、女神の力を弱めた。私は拳を握り締めた。

 恋をしてはいけない、なんて。そんな悲しい理由で、この世界は乱れてしまったのか。

「……何で宵藍は、真っ直ぐ霊山に行かなかったんだろう」

 中津が呟く。誠藍の考えでは、宵藍はすぐに神々と力を合わせて王家の陰謀を阻止し、混乱を収拾してくれる筈だった。

 真っ直ぐ霊山に向かって事情を話したなら、狐狼の長に殺されるという結末も訪れなかっただろう。

 明かされた真実と現れた謎が、部屋の空気を重く濁らせた。

「まぁ、そういうわけなんだよ」

 ぱん、と手を叩いて重さを振り払ったのは、当の中津だった。

「考えても仕方ないし、とりあえず俺達に出来るのはまずこの戦乱をどうにかする事だね」

 正直思いがけない中津の話についていけない状態だが、確かに考え込んでいてもどうにもならない。

 仕切り直した中津は私と目を合わせた。

「混乱の収拾……高らかに宣言しちゃったみたいだけど、考えは有るの?」

 鴻耀にも訊かれた事だが、具体案の纏まらない私としては痛いところを突かれて、思わずうっと呻いた。

 自ら統一に乗り出した玄武を退けたんだ、当然私には具体策を考え、実行する責任がある。

「混乱を収めて女神を呼び戻すには……五国を統一するしかないだろうな」

 急速に具体性を帯び、実行に移さざるを得なくなった方策を、口にする。

「現状から統一に向かうにはどうしても軍事力が必要だ」

 今ある国を滅ぼしていくのが、最短の道。

 戦を終わらせる為とは言え戦は本当なら避けたいところだが、大地の守護神が痺れを切らすような現状では、他の道を選ぶのは難しい。

 とはいえ、軍事力で五国を統一する事もまた、並大抵の事ではない事も重々承知している。何しろこの五百年の長きに渡って、この大陸を統一し得た国は無いのだから。

「どう立ち回るつもりだ」

 私と同じような思考を辿ったのだろう、難しげな顔をした春覇が問う。私はぐっと手を握り締めた。

「まずは、碧で仕官する。それからが、大変だろうけど……」

 私の思いが春覇に確実に伝わるように、真っ直ぐ視線を合わせる。

「どう勝つかは、これから考えなければならないが……統一に少しでも近づくように、戦う。……やらなければ、始まらないから」

 春覇もしっかりと私を見返してきた。数秒視線を噛み合わせ、ふっと溜息を吐く。

「あまりに難しい……だが確かに、やらねばどうにもならんな」

 そう言って立ち上がると、時計の役割を果たす水盤を覗いた。

「話はこれまでにしよう」

 解散を告げ、私と中津を見る。

「明日、鴻宵を王に引き合わせよう。恐らく、処遇は私に任せられるはずだ」

 具体的な処遇は王に謁見してから決めさせてもらう、と言った春覇は、章軌に私達の案内を託して部屋を出ていった。

 既に夜が更けてきている。

「困難な道だね」

 章軌に促されて部屋を出、回廊を歩きながら中津が呟くように言った。

「でも、俺達がやるしか無い事だ」

 夜風がふわりと髪を撫でていく。


 先の見えない、だが進まなければならない道へ、私達はついに踏み出したのだった。




 あてがわれたのは、客舎の一室だった。

 中津は隣の部屋で、暫く前から滞在しているらしい。すっかり勝手知ったる有様だ。

「何か有れば、入り口脇に詰めている宿直の者を通して俺に報せてくれ」

 丁寧に案内をしてくれた章軌に礼を言い、部屋に入る。

 中津もついて来た。

「神凪はさ」

 どうやら話があるらしく、備え付けられていた椅子に座った中津が口を開く。

「何で、この世界の為に必死になってんの」

 言われてみれば、そうかも知れない。元々私はこの世界の事は何も知らないわけだし、このままこちらで生きていくにしたって、わざわざ自ら困難に飛び込むような真似をする必要は無いように思える。

 私は少し考えてから、言った。

「私にもよくはわからない」

 だけど、と紡いだ私の胸に、こちらへ戻ってきた時の決意が去来する。

「どうやら私はこっちの人間らしいし、天帝が私を喚んだのにはそれなりの意味が有るんだと思う」


 何故私が選ばれたかなんて、わからない。全くの偶然だった可能性もある。

 だけど、青龍は言った。私はこの混乱を収拾するためによばれたと。

 だとしたら。


「出来うる限りの事をする義務が、有るんじゃないかと思うんだ」

 もう引き返せない所まで来てしまったわけだし、と私は苦笑した。中津は少し困ったような顔をする。

「律儀だね……」

「放っておけ」

 軽く笑い交わして、私はふと気になった事を尋ねてみた。

「ところで、誠藍の記憶というのはいつ戻ったんだ?」

 最近の事だ、と中津は言った。少なくとも私が二回目にこちらに来る時までには思い出していたんだろうが、どういう経過があったのか。また、璃誠藍の魂を持ちながら、中津が喚ばれたわけではない事も気にかかる。

「あぁ、それね……神凪が消えて暫くした頃だったよ」

 私が消えたのは、五月を目前にしたある日だった。中津は忽然と消えた私を、随分探したと言う。

「あの時は焦ったよ。何日経っても音信不通だし、皆はあっさり神凪の事を忘れて、学校で神凪が居た筈の場所にはいつの間にか神代が居たし」

 神代が言っていたところによると、それは私とあの世界の縁が薄いが故の現象。私があそこに居るべき人間ではなかったから。

 しかし自分は正確な記憶を持ちながら、それを目の当たりにした中津は、さぞや不気味に思ったに違いない。

「兼谷さんや結城まで忘れてたんだもんな……」

 まるで神隠しに遭ったかのような失踪。

 一月もすれば、中津も諦めかけたらしい。

「そんな時にね、夢を見たんだ」

 夢の内容は語らずに、最初は何の夢だかわけがわからなかった、と言う。

「だけど妙に引っかかって……ある時、ふっとね」

 あれは過去なんじゃないかって、思ったんだ。

「それで思い出したんだ。何もかも」

 その時から、いつかこちらに喚ばれる日が来ると予期していたらしい。

「なるほどね……」

 生まれ変わった誠藍が、この世界を元に戻すために呼び寄せられた。それは至極自然な話だ。

 納得した私は、この複雑なパズルに未だはまらないピースがある事に気づいた。

「だったら、私は?」

 私には前世の記憶なんて無いし、何かを思い出すような兆候も無い。中津が璃誠藍だというなら、何故彼より先に私が喚ばれたのか。

 こちらの世界の人間だとは言われたが、どう考えても二度も喚ばれる必然性は無さそうだ。

「さぁ……いずれわかるんじゃない?」

 曖昧に笑みを含んだ中津は、椅子から立ち上がって軽く伸びをした。

「とりあえず、鴻宵は明日頑張らなきゃだし、早めに休みなよ。俺も何か疲れちゃった」

 そう言って、欠伸を一つ。私も息を吐いて思考を切り上げた。考えても答えは出ないのだから、わかる時が来るのを待つしかない。

「神凪」

 部屋を出ようとした中津が、ふと振り返って言った。

「謁見の時は、当たり障りのない対応をしといた方がいいかもしれないよ。春覇以外の人間がどういう目で神凪を見るか、まだわからないんだから」

「……ああ」

 私は頷いた。

 現在の所私も中津も、春覇は信頼できると判断しているが、朝廷が陰謀渦巻く場所だというのは、いつの世でも、どの世界でも同じである。況してや私達には、碧王の人柄すら分からない。初めて踏み込むそういう世界で、破天荒な計画を口にするわけにはいかないのはわかっている。

「まぁ春覇がうまく立ち回ってくれはするだろうけどね。彼女も陰謀向きじゃないから。気を付けなよ」

 諭すように言って、中津は私の目を覗き込んだ。

 その目は、驚くほど深い色を湛えている。


 王家の陰謀によって死んだ璃誠藍。

 その経験が、こういう忠告をさせたのかもしれない、と漠然と感じさせるような、そんな色の瞳だった。


「うん」

 その真剣さに圧されるように、私は素直に頷いた。中津がにこりと笑う。

 その時にはもう、あの深い色は消えていた。

「じゃあお休み」

「うん、お休み」

 今度こそ背を向けて、中津は部屋を出て行った。私は寝台に腰かけ、ぼうっと灯を見つめた。


 咄嗟に春覇を庇って、青龍を呼んで、成り行きで碧に仕官することになっている。

 行き当たりばったりもいいところで、本当にこれでいいのかと不安はつきなかった。

「でも、変えるには力が必要だから」

 一人の力には、限界がある。どんなに武芸の腕を鍛えたって、たとえ青龍を、神を喚ぶことができたって、この世界を変えることは出来ない。出来るのなら、もう青龍なり玄武なりがやってしまっていたに違いない。

 それが出来ないのは、結局この世界を動かすのが人だからだ。


 争うのも人。

 手を取り合うのも、人。


 ならば出来るだけ多くの人を動かせるように、その力を手にできるように、私は行動しなければならない。

 多くの人、世界中の人を動かす最もわかりやすい力は、権力だ。

 一歩扱いを間違えれば諸刃の刃となる、危険な力。

 それでも、手にしなければ始まらないほど、私の目的は遠い。


 私は首を振って、軽く伸びをした。うじうじ悩んでいてもはじまらない。

 まずは目の前の問題から解決して、少しでも上へ、這い上がる努力をするべきだ。

 そうと決まったら、明日の謁見に備えて早めに休もう。

 漸く割り切った私は、髪を解いて寝台に倒れこんだ。


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