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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之漆 草萌の国
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兄妹

 都の城門に辿り着くと、私は春覇に貰った手形を見せ、馬を牽いて都内に入った。

 他の街よりも更に活気に満ちている。市を覗くと、新鮮な農作物が目立った。

 活気は有るが、橙のそれより幾分牧歌的な風合いだ。商業と言うよりは、農業を基盤とした取引が中心だからだろう。

「お嬢ちゃん、どうだい。新鮮だよ」

 果物の売り声に、総華が興味を示す。伺うようにこちらを見上げるので、行っていいよと背中を押してやると、嬉しそうに走って行った。

「これなぁに?」

諒果(りょうか)さ。甘くて美味しいよ。ちょっと食べてみな」

 果物屋と会話する総華を見守る位置に立ちながら、街を見渡す。

 多分、街の中で商売をしているのは一握りで、多くは郊外の畑で汗を流しているに違いない。

「お前さん……!」

 不意に、和やかな空気が乱れた。目を戻すと、総華に果物を渡そうとした果物屋が目を見開いている。受け取ろうと手を伸ばしていた総華が俯いた。

 手を差し出した事で、狐狼の枷が見えてしまったのだ。

 異変に気づいた周囲の温度が急速に下がっていくのを見て、私は総華の肩に手を掛けた。

「行こう」

 碧にも差別が無いわけではない、と言った己凌の言葉を思い出す。

 総華を促して歩きだそうとした私の行く手を、数人の男が塞いだ。少し大きな街ならどこにでもいる、ならず者体の男達だ。私は総華を背後に庇った。

「何か用か」

 後ろからも何人か来ている。囲まれたようだ。

「お前余所者だろ。狐狼なんざ連れて来てどうするつもりだ」

 一人の男が言う。私は目を眇めた。

「別にどうもしない。俺はこの子を安全な場所で暮らせるようにしてやりたいだけだ」

「ふざけんな!」

 いきなり、拳が飛んできた。私はそれを身をかわして避ける。

「覇姫様はあの狐狼が使えるからお側に置いてんだ!ぞろぞろと縋って来られても迷惑なんだよ!」

 話が見えてきた。

 春覇が章軌を側に置いている事で、庇護して貰えると思った狐狼達が何人も訪れたに違いない。それに、街の人々は憤っているのだ。

 私がそんな事を考えている間に、また一人殴りかかってくる。私はその拳をかわし、腕を掴んだ。

「庇護してくれなんて、厚かましい願いは持っていない」

 覚悟の上で、私達はここへ来た。

「迫害されなければそれでいい」

「知るかよ!」

 男達が一斉にかかって来ようとした時。

「何をしている!」

 野次馬の向こうから鋭い声が響き、人だかりが割れた。

「やべぇ、役人だ」

 男達が慌てて逃げていく。私が腕を放してやると、掴まれていた男も私を一睨みしてから逃げていった。

「待て!またお前等か!」

 何人かの役人が走って追う。それを眺めていた私のもとに、役人の一人がやって来た。

「旅の者か?狐狼には居住区が設けられている。案内しよう」

 そう言って、先に立とうとする。私は慌てて呼び止めた。

「いや、俺達は先に城に行かなければならないんだ」

 春覇には関所に何の用で行くのか告げていないが、戻ったら説明するのが筋だろう。その時には、総華が居た方がいい。

 しかし、そう言う私に役人は冷たい目を向けた。

「狐狼を連れて行っても覇姫様はお会いにならないぞ。狐狼をだしに使おうなどと考えない事だ」

 私ははっとした。

 間違っていた。春覇の元に続々と訪れるのは、縋りに来た狐狼だけではないのだ。そもそも、こんな世の中を狐狼が自分だけで旅出来るわけがない。

 狐狼を理由に春覇に面会して、あわよくば取り立てて貰おうと、そう目論む者が居たのは明らかだった。

 そのために捕らえられた狐狼も居たに違いない。

「そんなんじゃない」

 しかし、役人は信じなかった。押し問答になり、野次馬が集まる。

「……灯宵!?」

 不意に名前を呼ばれて、私は振り向いた。野次馬を掻き分けて、男が現れる。驚愕と戸惑いに揺れる顔に、私は見覚えがあった。

「範蔵!」

 最初に春覇に保護された時に、世話役兼監視として付けられた兵士だ。懐かしさがこみ上げて、私は範蔵に駆け寄った。

「範蔵!久しぶりだな」

「ああ……で、何なんだこの騒ぎは」

 もっともな疑問だ。

 私は手短に事情を話した。春覇の所へ行きたいんだと言うと、頷いて役人の元へ向かう。

「彼は覇姫様の知人だ。疑わしければ城に人を遣って確認してみるといい」

 範蔵が身分証明になるらしい札を示すと、役人は一度疑わしげに私を見てから引き下がった。

「ありがとう、助かった」

「いや……しかしお前、一体これまでどうしていたんだ」

 範蔵が奇異なものを見るような目で私を眺めた。

 無理もない。紅軍にさらわれていった私がこんな所を彷徨いているのだから。

「色々転々とな……事情があって、碧で仕官することになりそうだ」

 言ってから、庵覚に借りを返しに行かなければならない事が頭を掠めた。一ヶ月でも二ヶ月でも働いて返すつもりだったが、昏で一暴れしてしまった私が護衛に使えるだろうか。もしかしたら、他の埋め合わせを考えなければならないかも知れない。

「仕官?つてはあるのか……ああ、覇姫様か?」

「まあ、そんなものかな……とりあえず、これから会いに行こうと思って」

 そう言った私は、総華を促して歩きだした。範蔵も私と肩を並べる。

「その子は?」

 首を傾げる範蔵に、私は軽く唸った。どう説明するのが一番適当なのだろうか。

「……預かりものだよ」

 結局、そんな曖昧な答えに落ち着く。先ほどの騒ぎから元気を無くしてしまった総華の頭を軽く撫でて、私は範蔵と世間話をしながら城に向かった。



 城の門番に春覇がくれた書き付けを見せ、中に入る。

「今の時間なら、覇姫様は恐らく執務室だ。うまく仕官できるといいな」

 範蔵が春覇の居場所を教えてくれ、激励の言葉もくれた。春覇は軍事を司る官位に就いているらしく、日中は大抵執務室で仕事をしているのだという。

 普段兵舎に住んでいるらしい範蔵と門の近くで別れ、私は教えられた建物に向かった。扉の側にいた兵士に書き付けを見せると、取り次ぎ役が来るから待てと言われる。いくら春覇が直々に出した書き付けが有っても、さすがに部外者に勝手にうろうろさせる訳にはいかないらしい。

 暫くして現れたのは、背筋のきりっと伸びた三十代くらいの男だった。

「こちらへ」

 余計な口はきかず、書き付けを見て私の名前だけ把握するとすぐに歩き始める。私と総華はその後ろについて回廊を歩いていった。

 やがて男は一つの部屋の前で立ち止まると、扉越しに声を張った。

「失礼致します。灯宵様のお見えです」

 総華が不思議そうに私を見上げる。名前が違うのを不審に思ったのだろう。私は曖昧に笑った。

「入れ」

 間を置かずに春覇の声が届いて、男が扉を開ける。私と総華が中に入ると、一礼して扉を閉めた。


 執務室は十畳くらいの空間で、正面にこちらに向いた机があった。そこで何やら書類を改めていた春覇が顔を上げる。

 軍中の時と違って勿論鎧は着けておらず、武官の装束らしい緑色っぽい服を着ていた。いつもは首の後ろで束ねてある髪も、今日は高い位置で結ってある。今ここにいるのは春覇一人で、章軌は見あたらなかった。

「戻ったか。……その子は?」

 春覇が怪訝そうに総華を見る。私は総華の肩に手を置いた。

「この子を引き取りに行ってたんだ」

 そっと総華の首巻きに手を掛け、解く。春覇の目が見開かれた。

「狐狼か……」

 呟かれた言葉に、総華が俯く。春覇がふっと目元を弛めた。

「そう脅えなくてもいい……まぁ座れ」

 そう言って立ち上がり、片隅にある小さな卓へ向かう。椅子が四つほど付いた小さな円卓だ。多分、来客用にしつらえてあるのだろう。

「あまり構いも出来ないが」

 言いながら、脇にある炉で自ら湯を沸かし始めた春覇に少し慌てる。仮にも王族なのに、従者にやらせたりしないのか。

「そう言えば、章軌は?」

 いつも春覇の側にいるイメージのある章軌が見当たらない。思うほどいつも一緒というわけではないのだろうか。

「しょうき……?」

 総華が私を見上げる。私はああ、と呟いて説明してやった。

「春覇の所にいる狐狼だ。話は聞いたことあるだろう」

 私が言うと、総華は心当たりがあるようで、何やら考え始めた。首を傾げていると、春覇が急須に茶葉を入れながら振り向く。

「章軌なら今各部所の報告を取り纏めに行っている。ところで、その子はどこから連れて来たんだ」

 総華の為を思ってか、口調は幾分柔らかい。私も軽く答えた。

「昏である一家に保護されていたのを預かって来たんだ。碧の方が暮らしやすいだろうから、って」

 続けて、私が碧での狐狼の生活について訊いてみようとした時。部屋の扉が開いた。

「……、来客か」

 春覇以外に人がいた事に驚いたらしく、一瞬息を詰めて言葉が吐かれる。私達は一斉に振り返った。

 取り次ぎも無くこの部屋に入って来たのは、当然、章軌だ。

「章軌」

 私が呼びかけを発したとほぼ同時。

 隣で椅子ががたんと音を立てた。

「兄様!」

 目を見開く章軌に、琥珀色の髪を翻した総華が飛びつく。

 反射的に受け止めた章軌は、信じられないという顔で、胸元に飛び込んだ少女を見た。

「総、華……?」

 私と春覇は思わず顔を見合わせる。


 ……今、兄様って言った?


「総華……どうして、ここに」

 動揺も露わに、章軌が問う。その声は震えていて、どこか泣きそうにも聞こえた。

「匿ってくれた家族がいたの」

 総華が言うと、章軌は彼女を強く抱き締めて、深い息を吐いた。

「良かった……無事で」

 その様子を見ながら、私は石氏に聞いた話を思い出していた。総華は嘗て両親と兄とひっそり暮らしていたが、人間に迫害されて両親を亡くし、兄とも離れ離れになってしまったという。

「章軌、今日はもう仕事はいい」

 歩み寄った春覇が、章軌が携えていた報告書の束を受け取って言った。

「積もる話もあるだろう」

 ゆっくり話をして来い、と言う春覇に、章軌が戸惑いを見せる。それに対して春覇が構わない、と重ねると、暫しの逡巡の後軽く頭を下げて総華とともに出て行った。

「驚いたな」

 私が言うと、春覇は書類を机に置きながら振り向いた。

「知らずに連れてきたのか」

「ああ」

 総華が章軌の妹だなんて、全く知らなかった。ただ総華が安住出来る土地を求めてこの国に来たに過ぎない。

 春覇は数回目を瞬くと、私に向かい合って座った。

「お前はつくづく色々なものを引き寄せるな」

 ……否定出来ないかも知れない。

 私が苦笑していると、春覇が思い出したように言った。

「そういえば、妙な男がお前を訪ねて来たぞ」

 普段春覇の側に置いているのだが執務中は暇を持て余して出かけていくらしく、今はまたどこか彷徨いているようだ、と春覇は言う。

「妙な男?」

 私が首を傾げると、春覇は頷いた。

「お前と同年くらいだが、とにかく妙な男だ」

 同年の知り合いというと蕃旋くらいしか思いつかないのだが、まさかあいつではないだろうし。

「名前は?」

「それが名乗らない」

 名乗りもしない者を、よく春覇が側に置いているものだ。そう思って思わず春覇を凝視していると、視線から疑問を感じ取ったのか春覇は僅かに眉を寄せた。

「妙ではあるが害意は無さそうだからな。それに、名を訊いたところ、こう言った」


『吾輩は人間である。名前はまだ無い』


「何だそれ」

 笑い飛ばそうとした私は、ざっと背筋が凍るのを覚えた。


 この言葉は、ある小説のワンフレーズをもじったものだ。

 日本人なら大抵知っている有名なフレーズ。

 そう、日本人、なら。


「私にはさっぱり意味が分からないのだが」


 この世界の人間は、知り得ない事。


「春覇、そいつ、今どこに!?」

 いきなり顔色を変えて立ち上がった私に春覇が目を瞬かせる。

「今は……どこを彷徨いているかわからん。気紛れな男だ。しかし、夕刻には戻る筈だ」

 今すぐにでも探しに行きそうな気配を感じ取ったのか、春覇が宥めるように言う。座れ、と手つきで促されて、私は仕方なく座った。

「どうした、急に」

「いや……」

 茶を口に含み、混乱した頭を落ち着ける。

 思わず取り乱してしまったが、よくよく考えれば別に単なる偶然でそういう言い方をしただけという可能性も無いではない。大体、日本から来た人間が他にいるものだろうか。


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