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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
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訣別

 城へ戻った私達を待っていたのは、諭伴だった。

 黒零の姿を見ると最大級の礼をとって詫びを口にする。

「大事無い」

 黒零がそう言って赦すと、もう一度礼をしてから危謄と虚廉に向き直った。

「お手を煩わせ、申し訳ない」

「構いませんよ。我々も深追いはしませんでしたし」

 頭を下げた諭伴に、虚廉が穏やかに答える。

 最後に、諭伴は私の方を見た。

「護衛の任、ご苦労だった。これより兵舎に戻れ」

 突然の解任に、真っ先に反応したのは私ではなかった。

「どういうことだ。鴻宵は身を挺して吾を守ったのだぞ」

 言うまでもなく、黒零だ。私は勤めを果たしたのであり、解任される謂われは無い、と噛みつく。

「この度の事で王も危機感を覚えられたのでしょう。璃氏様の警護には近衛の兵が当たる事になりました」

 諭伴が宥めるように言った。しかしそんな説明で納得する黒零ではない。

「吾の側に置く人間を決めるのに吾の意思を無視すると言うのか」

「上意ですので、我らには如何とも」

 頭を下げる諭伴に更に言い募ろうとする黒零を、私は止めた。正面に回って膝をつき、礼をする。

「お気に掛けて頂き光栄の至りです。しかし私は飽くまで峰軍師の私兵ですので」

 上官の命令に従うという立場を込めて黒零に辞意を告げた。

 正直言って、私も黒零の護衛についていたい。けれども、私は遠征にかこつけて出来るだけ早くこの国を脱し、総華を碧に連れて行くという役目がある。黒零の側についていれば、その機会を失う恐れがあった。

「鴻宵……」

 少し寂しそうに呟いて、黒零は押し黙った。私はもう一度深々と礼をして、黒零の前から引き下がる。


 ごめん、黒零。


 多少後ろ髪を引かれながら兵舎に戻った私を迎えたのは、どこか落ち着かない、熱の籠もった感じのする空気だった。峰晋の私兵として雇われた男達が、皆興奮した様子で周りの者と喋っている。

「何か有ったのか」

 手近にいた男を捕まえて尋ねると、男は私が戻って来た事とこの状況の原因を知らない事の双方に驚いて見せてから、教えてくれた。

「戦があるのさ」

 なるほど、今回雇われた彼らにとってはこの職場での初陣だ。ここでどれだけの働きを見せられるかが、これからの待遇を左右する。

「どことの戦だ」

 私も、国外に出られる事を密かに喜んでいる。出来れば白でない方が良い。

「碧だってさ」

 私は目を瞬いた。

「碧?峰軍師も従軍なさるのか?」

「らしいぜ」

 これは珍しい、と言うより、多分初めての事だ。

 これまで、峰晋は碧との戦には姿を見せていない。私が思うに春覇との対峙を避けていたのだろうが、今回は一体どういう風の吹き回しなのか。

「冒将軍は覇姫にやられっぱなしだからな。業を煮やしたんじゃないか」

 男はそう推測を述べると、にやっと笑った。

「碧の覇姫ってのは大した美人らしいな。会うのが楽しみだぜ」

 ……その脂下がった顔を見せた瞬間に消されそうだけど。

 兎も角、うまく姿を眩ませれば碧に入れるという事だ。碧に入ってしまえば、鴻耀達と連絡を取って総華を招き入れる事も難しくない筈。

 しかも碧は、私に手を貸すと言ってくれた青龍の守護する地だ。

「出発はいつだ」

「三日後に閲兵式だとさ。それからすぐに動くんじゃないか?」

 詳しく聞いてみれば、今回の戦の発端は、国境の守備兵達のいざこざだと言う。

 無論それがきっかけ、もっと言えば口実に過ぎない事は誰もがわかっている。

 碧の太子が生還したという報せが広まり、碧と白が同盟に向かって動き始める事が予想される今、昏としてはこの二国の力を出来るだけ削いでおきたいのだ。更に、碧の太子の最も強力な輔翼とされるのが春覇だから、今回峰晋が乗り出す目的は春覇の排除にあるかも知れない。

 ――まずいな。

 私は内心眉を寄せた。春覇がいかに天才と呼ばれる方士でも、相手は玄武だ。人の身で太刀打ち出来る筈がない。

 とにかく、戦場では峰晋から目を離さずにいよう。

 そう心に決めて、私は蕃旋の斬撃で欠けた剣を研ぎ始めた。



 諭伴に呼び出されたのは、その翌日だった。

「璃氏様をお守りした功績により、峰軍師から鎧が下賜された。この度の戦に甲士として参戦する事を認める」

 甲士というのは、鎧甲を着けた兵士のことだ。普通私達のような雇われたばかりの下級兵は鎧を着けない軽装の歩兵になる。それが歩兵とはいえ鎧を下賜されたというのは、褒賞として十分なものだ。

「光栄の至りです」

 膝をついて腕を組み、私は深く頭を下げた。

 下げ渡されたのは石板を綴って作った簡素な鎧甲。決して上等なものではないが、歩兵としては十分な地位を保証してくれる。

 それは即ち、峰晋の近くに張り付いていられるという事。

「働きに期待する」

 諭伴の言葉に礼で答えて、私は退出しようとした。

「ああ、待て」

 思い出したように呼び止められる。何事かと思いながら振り向くと、細い短冊状の紙を渡された。

「出陣の前に、璃氏様にご挨拶申し上げて来るといい」

 紙に記されているのは、離宮への立ち入り許可。私に打ち解けた様子を見せた黒零への気遣いだろう。何しろ、戦へ赴けば再び帰って来る保証は無いのだから。

「……お気遣いに感謝します」

 元より、私は此処に戻ってくるつもりはない。

 だから実質上別れを告げに、私は離宮へと向かった。



 離宮の門番に許可証を見せ、回廊を歩いていく。

 警備の兵が大分増強されたようだ。名目は黒零を守る為だが、これでは黒零は益々籠の中の鳥でいるしかなくなってしまう。

 黒零のいる部屋の前にも兵士が付いていた。私が許可証を見せて名乗ると、中にいる黒零に取り次ぐ。

「通せ」

 短い言葉が聞こえて、扉が開かれた。部屋に入る前に一度膝をついて挨拶をしてから、私は歩を進めた。

 室内には三人の兵士が直立している。

 黒零はまたつまらなそうな顔をして頬杖をついていた。その虚ろな瞳が、私の姿を映してやや輝きを取り戻す。

「鴻宵。随分久しぶりな気がするぞ」

「まだ一日しか経っておりません」

 私は僅かに苦笑した。何もする事が無く事実上軟禁状態の黒零にとっては、まさに一日が千秋にも感じられるに違いない。

「戦へ行くのか」

 一応の情報は届いているらしく、少し表情を曇らせながら黒零が言った。私は肯定の礼をする。

「峰軍師に従って出陣する事になりましたので、ご挨拶に参りました」

 私が言うと、黒零は不安げに瞳を揺らした。

「必ず戻って来てくれるのだろう」

 その言葉は、どこか縋るような響きを帯びている。私は曖昧に笑んだ。

「安請け合いは出来ません」

 寧ろ戻って来る気が無いのだから、安易に頷く訳にはいかなかった。

 しかし不安げな黒零を見て気が咎めないわけも無い。

 そこで私は、懐から小さな石の付いた繊細な鎖状の腕輪を取り出した。綺麗な翠色が気に入って市で購入したものだ。鴻耀がくれた佩玉みたいに媒体に出来ないかと思って木精霊に頼んでみたら、案外あっさりと宿ってくれた。

 私はその腕輪を、黒零に差し出した。黒零は水精霊を使うから、相性は悪くない筈だ。

 差し出されたそれを見て、黒零は目を瞬かせた。

「木の媒体ではないか」

「はい。寸志ですが、璃氏様に差し上げます」


 峰晋の正体を知った時から、疑問に思っていた。

 今、昏の氷神と呼ばれているのは峰晋だ。しかし、その正体は玄武だった。そうすると、昏の氷神は人間でないのだから当然方士ではなく、昏には五国方士に匹敵する方士がいない事になる。

 そうだとしたら、どうも不均衡だ。

 しかし、黒零が力を発揮したところを見て、私はようやくわかった気がした。

 昏の方士として他国の方士達と拮抗し得る力を持って生まれたのは、きっと黒零だったのだろう。

 これまで、その力に気づかなかっただけで。


「……無事を祈っておるぞ」

 腕輪を受け取って握り締めながら、黒零が低く言う。私は礼をして感謝を伝えると、辞去した。

 王家の血を引くが為に様々な制約を強いられ、たったそれだけの理由で命すら狙われている黒零。

 どうか、強く生きて欲しいと願う。



 閲兵式は、郊外の野で行われた。事実上今回の戦の為の任官だ。

 流れてきた噂や諭伴が私達に伝えた所によると、碧の帥将は絃鞍。北辺の守将を勤める人物だそうだ。そして国境近くに駐屯して守備を行っている彼らに中央からの軍が合流する。碧の都から派遣された兵を率いているのは角融という人物で、その軍の中に無論紀春覇がいる。王族にも関わらず春覇が決して軍の最高司令官にならないのは、方士だという自覚からだと聞いた。

 対して昏軍の司令官は叡循貴。二字名という事からわかるように、昏の王族だ。今の王の末子だと言う。その補佐に峰晋。私は峰晋の兵車に従う甲兵になった。

 号砲が轟き、軍が一斉に動き出す。小競り合いに等しい野戦とはいえ、双方王族を出陣させる戦だ。兵数はそれなりに多い。

 昏軍五万、碧軍三万。

 昏の首都から碧に向かうこの軍と、碧の都を既に出発している碧軍は、普通に進軍すれば国境より少し昏側で出会う筈だ。しかし、下された命令は走れというもの。

「碧軍は進軍が速いことを特色としている。今回、我々はそれ以上の速度で進まねばならない。碧の領内でぶつかるのが公子のご意向だ」

 そう解説してくれたのは諭伴だ。

 驚いた事に、私は諭伴のすぐ側に配置されている。無論諭伴は馬に乗っているのだが、共に峰晋の兵車を囲む兵団にいるという事だ。

 因みに鎧の着けられない他の私兵達は、もっと兵車から遠い所に居る。

 土埃を巻き上げて、軍が進んでいく。


 今のこの大陸は、こういう戦が日常茶飯事だ。

 ――これでいいのか?圭裳……。

 姿を隠してしまった女神に心中問いかけながら、私は走っていた。


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