来訪
蕃旋と共に黒零に付けられて早三日。
何事も起こらず、黒零が離宮から出ることもなく、暇を持て余す日々が続いていた。黒零にとってはこれが常なのだと思うと、よく耐えられるものだと感心する。もっとも、黒零には他にどうしようもないのだろうけれど。
「暇だ!」
一番に耐えられなくなったのは、やはりこいつだった。
「うるさいぞ番犬」
私がばっさり切り捨てると、蕃旋は苛立たしげに頭を抱えた。
「だってもう三日も缶詰じゃねぇか!」
「まだ三日だろうが。堪え性の無い奴だな」
蕃旋にきつい言葉を投げつけながらも、私だってこの無為な日々を耐えがたく思っているのは事実だった。けれどもそれを黒零の前で表に出すほど、私は無神経じゃない。
「無理だっつの!黒零様、外には出られねぇんですか」
敬語を使うのか使わないのかどっちかにしろ。
「吾にはどうにも出来ぬな。そなたが許可を貰って来てくれるなら別だが」
黒零は相変わらずつまらなそうに言った。
彼とて外に出たくないわけではないに違いない。しかし大陸王家の血を引く黒零を手中に置いておきたい昏の政府としては、不用意に外出されては困る筈だ。万一の事があれば、大きな大義名分を失うことになる。見る限り黒零の護衛は私達二人だけだ。どう考えても、現状で外出するのは危険過ぎる。
「許可って誰のですか」
心なしか蕃旋の目が据わっている。そんなに缶詰めが嫌か。
「さあな……峰氏か、将軍どもか……或いは王か」
対する黒零は自棄気味に笑いながらそう言った。
つまり、誰の許可で外に出られるのかもわからない、即ち出られないという事だ。蕃旋が口を尖らせる。
「黒零様は出たくないんですか」
「蕃旋、口を慎め」
私はそう窘めたが、素直に聴く蕃旋ではない。
「黒零様は最初から諦めてんじゃないですか。許可取ろうとした事有るんですか?」
「蕃旋!」
喧嘩腰になり始めた蕃旋を咎めようとした私を、黒零が手で制した。
「……鴻宵、紙と筆を」
私は目を瞬いた。黒零がいたずらっぽく笑う。
「使いには蕃旋が行ってくれるのだろう?」
……それが狙いだったのか。
まんまとはめられた蕃旋がまた噛みついているが、黒零はどこ吹く風だ。
私は軽く息を吐いて、言われた通り紙と筆、それから墨を黒零の前に置いた。黒零が筆を執り、さらさらと文を書き付けていく。
「峰氏に認められたのだ、そなたらは腕が立つのだろう?」
どうやら護衛は心配無いから外出を許可してくれるようにと請願する文を書いているらしい。書き終えると袋に入れ、蕃旋に渡した。
「これを峰氏に渡して嘆願して来るがよい。吾も外を見てみたい」
蕃旋はまだむくれていたが、そう言われると言い返せないようで、おとなしく文を受け取って出かけて行った。
「首尾よくいくでしょうか」
「案外うまくやるかも知れぬぞ」
幾分楽しそうに、黒零は言った。
彼は蕃旋のあの単純さが気に入っているようだ。いじりがい有るしな。
とにかく筆記用具を片づけようと、筆と硯を手に部屋を出る。飲み水は朝部屋の甕に汲んでおいたものを使うが、こういう物を洗う時には井戸まで行かなければならない。とはいえ、今は蕃旋もいない。護衛としては黒零をあまり長い間独りにするのは好ましくない。
心持足を速めた私の周囲から、不意に音が消えた。
ふっと空気が変わったような違和感に足を止める。元々静かな場所とはいえ、風の音や鳥、虫の声、木々の葉の擦れる音はいつも存在している。さっきまでは確かに聞こえていたそれらの音が、全く無くなった。
どう考えても妙だ。
私は注意深く辺りを見回した。見たところ、何も変わった事は無い。
さっきと全く同じ廊下。
壁。
庭。
しかし、違う。
ここには私しかいないような、得体の知れない感覚。
同じ場所にいる。
でも同じ場所じゃない。
「どこか、別の空間みたいな……」
「その通りだ」
小さな呟きに肯定を返されて、私は反射的に振り向いた。いつの間にか、誰もいなかった筈の背後に人影がある。
「誰だ」
見たことの無い相手だった。長身で、藍に近い深い青という奇抜な色をした髪が目に付く男。瞳は深く澄んだ青翠色だった。
「いきなり済まない。『あいつ』に感づかれると面倒なんでな。引き込ませて貰った」
男の言葉からして、この異空間と呼ぶべき場所を作り私を引き入れたのは彼らしい。空間を探った私は、そこに精霊が居ない事に気づいた。警戒を解かず、右手を剣把に添える。
目の前に居る男に視線を据えたまま、私は軽く目を眇めた。
精霊が居ないから、彼が方士か否か判断するのは難しい。しかしそれ以上に、彼の雰囲気は一種独特だった。強い力を感じるが、それは決して禍々しくない。この気配に、私はどこかで出会った気がする。
記憶を探った私は、よく似た気配に出会った場所に思い当たった。
「あんた……」
私が思わず漏らした言葉に応えて、男は静かに名乗った。
「俺は青龍。東方を預かっている」
やっぱり。
私の中で、ぴたりと記憶が一致する。
彼の気配は、白で出会った白虎のそれに酷似しているのだ。
自ずから性質は異なるものの、根本は同じ。同じく神たる者。
「東方の守護神が何故昏に?」
警戒を崩さずに私が問うと、青龍は少し視線を落とした。
「お前は気づいているだろう……この国の軍師は……」
言葉を濁す青龍に、私はつい最近感じた違和感の正体に気づいた。
似ている。
よく似た感覚だったのだ。あの峰晋を見た時の違和感は。
「……玄武……」
導かれる答えは一つ。
私は眉を寄せた。何故土地の守護神が人間に混じって政界に居るのかわからない。本来なら、必要以上に人間社会に踏み込まない存在である筈だ。
「どういうことだ」
話の流れからして、感づかれるとまずい相手というのは玄武だろう。だとすれば、青龍は玄武を止めに来たのか。しかしそれなら私に接触する理由がわからない。
「玄武はこの乱世を終わらせようとしている」
目的自体は望ましいものの筈なのに、青龍の表情は苦い。
「自分で軍に力を貸して昏に大陸を統一させるつもりだ。……我々の役割を逸脱している」
「……それが俺に何の関係がある」
私が問うと、青龍の目がまっすぐに私を射抜いた。
「手を貸して欲しい」
予想外の答え。私は思わず一瞬唖然としてしまった。
だってそうだろう。土地の守護神たる彼らが、人間に手を貸して欲しいと言うなんて。
「玄武を止め、人間であるお前がこの乱世を収めるんだ」
続く言葉に、私は完全に混乱する。
「何で、俺?」
当然の疑問。それに対して、青龍は淀み無く答えた。
「お前がその為に喚ばれた人間だからだ――神凪灯宵」
私ははっと身を固くした。
知っているのか、私が此処の……この世界の住人ではないという事を。
「そう不安げにするな。この世界にはお前が必要なんだ」
静かに言うと、青龍は音もなく私に歩み寄って頭に手を乗せた。
「俺の役目はお前を補佐する事。必要な時は、喚べ」
頭に触れた手から、何かが流れ込んでくる感覚がある。涼やかな気配。多分、それは青龍の霊力で。これは一種の契約であるに違いない。
「何、で……」
全てが唐突過ぎて、何が何だかわからない。
どうして私が喚ばれた?
どうしてそんな役目を負わなくちゃならない?
しかし私の混乱をよそに、手を離した青龍は言葉を続けた。
「天帝からこの事を聞いているのは俺だけだ。もっとも、白虎は薄々感づいている節があるが」
それは心当たりが有る。私は今一度青龍の目を見た。視線がぶつかる。
「他の連中は知らないから気をつけろ。俺を喚びたい時は精霊を使う要領で名前を呼べばいい」
そう言った青龍は、ふと思い出したように瞳を揺らがせた。
「お前、妖怪の事は知っているか」
「妖怪?」
唐突に切り替わった話題と聞き覚えの無い単語に、私は首を傾げた。
「妖魔とは違うのか?」
「違う。妖魔は加護の薄れた地で邪気が凝り固まって発生する、いわば変異体だ」
苦々しげな口調に、妖魔が土地神の加護を持たない橙にしか出ないと聞いた事を思い出す。蕃旋と最初に会った時、昏にも小さな妖魔が発生しつつあるとわかったが、あれはもしかしなくとも玄武が人間に紛れているせいだろうか。
「じゃあ、妖怪は?」
「妖怪は加護のある地にも居る……寧ろ我々に近い存在だ」
青龍の説明に依ると、妖怪は動植物などが長年自然の気を浴びて霊力を得たもので、普段人間に化けて暮らしていることが多いと言う。彼らは一族を成しているものもあり、土地神も元々は同じように発生したものらしい。よって妖怪の中には土地神の眷族もいるそうだ。
「へぇ……で、それが何か?」
これまでの話とはあまり関連が無い。私がそう言うと、青龍は目を逸らした。
「いや……ただ、そういう存在もあると覚えておいた方がいい」
言いながら、私に背を向ける。
「突然悪かったな。今日の用件はそれだけだ」
青龍の言葉が終わると同時。
私の周りに、風の音や虫の音が戻ってきた。
「取ったぞ!」
私がまた何事も無かったように黒零の傍に控えていると、峰晋の元へ使いしていた蕃旋が賑やかに戻ってきた。すたすたと部屋に入ってくると、黒零の前に短冊型の紙を差し出す。
「外出の許可取れ……ました!」
お前仕える相手が黒零で良かったな。普通の高官相手にそんな不器用な敬語使ったら首が飛ぶよ。
呆れる私をよそに、蕃旋は得意げだ。
その手から紙を受け取った黒零は、珍しく口角を上げた。
「上出来だ」
外に出られる。
それは黒零にとってどれ程久しぶりの事なのだろうか。
「明日、郊外に出かける。供はそなたら二人だ」
私と蕃旋は、了承を示す礼をした。黒零が満足そうに頷く。
「蕃旋、何ぞ面白い場所を知らぬか」
楽しげな声で、黒零はそんな話を始める。私は茶を入れながらふと窓の外を見た。
大陸の統一、か。
青龍に言われた事が頭を掠める。この大陸を元に戻すという大事の為に、私はひょっとすると、こういう小さな幸せを一度破壊しなければならないのかも知れない。
出来れば、何も壊したくはないのだけれど。
儚い願いを溜息に混ぜて、私は炉に薪をくべた。




