表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
65/76

朗報

 所変わって碧の王城。


 朝廷内で武官が身につける装束を纏った紀春覇は、軍の情報を取り纏めるべく、役所に通じる廊下を歩いていた。

 春覇は軍事を司る官に在る。

 太子が居ない今、軍にも動揺が走っており、戦が起こっていなくてもその職務は決して楽なものではない。そのせいで春覇が自室に留まっている時間は殆ど無かった。足早に朝廷内を歩く春覇は、いつもの通り章軌を従えている。


 そして、もう一人。


 物珍しげに周囲を見回しながら春覇の後ろについて歩く男がいた。

「あまりきょろきょろするな」

 春覇が苦々しげに言うと、男はへらりと笑う。

「仕方ないよ、面白いんだから。気にしない気にしない」

 気になるから注意したのだが。

 春覇は溜息を吐きたくなった。

 章軌が見かねて口を開こうとした時、慌ただしい声が春覇を呼び止めた。

「覇姫様!」

 声と同様に慌てた様子の男が駆け寄って来て、春覇の前に膝をつく。将達の間の伝達に当たる武官だ。何か大事が有ったかと、春覇は身を引き締めた。

「どうした」

「たった今、国境の衛兵から早馬が参りまして……」

 余程衝撃の大きな報せだったのか、武官の声は震えている。

 春覇が黙って続きを促すと、武官は心なしか涙ぐんだ目を上げた。

「太子が……太子がご帰還なされました!」

「何だと」

 さすがの春覇も目を見開いた。紅の領内で殺されたと言われていた太子が、無事に帰ってきたと言うのか。

「それで、どのようなご様子だ」

「お怪我も無く御無事だということです。ただ、供回りの方々はやはり……」

 武官が言葉を濁した部分は残念な報せではあったが、太子が無事だったという事実は春覇にこの上ない安堵を与えた。

 これで、無用の戦は避けられる。

「でも何で死んだって言われてた人が無事に帰って来るわけ?おかしくない?」

 そう暢気に疑問を提示したのは、言うまでもなく春覇の後ろに居る男である。伝令に来た男は一瞬問うような目を春覇に向けたが、説明を得られそうにない様子を見て口を噤んだ。

「それについてはご本人に確認すればいい」

 春覇はそう言って、さっと踵を返した。

「出迎える。馬を」

 歩き出す春覇の背中を見ながら、男が飄々と笑う。

「嬉しそうだね、春覇」

 章軌はそんな男をちらりと見てから、春覇に続いた。

 実の所、章軌でさえこの男について詳しいことは聞かされていない。春覇はただ、街から連れ帰った彼を暫く側に置くと言っただけだ。

 そして章軌も何も訊かなかった。

 春覇が決めたことならば、それに従うのが自分の役目。そう認識しているからである。

「面白そうな事になってきたね」

 春覇と章軌の後ろ姿をのんびりと追いながら、男は空を見上げた。




 夕闇が落ちる頃。

 小さな離宮の中庭に、一つの人影が有った。細い月の淡い明かりに辛うじて浮いたその姿は、微動だにせずに闇を見つめている。


 ばさり、と音がした。

 羽が空気を打った音だ。


 それを起こした張本人たるものが、滑るように中庭に降りてくる。

 漆黒の艶やかな羽毛に太い嘴。

 普通よりも一回り大きな、赤い目をした鴉だった。

 こんな夜中に飛ぶはずのない鳥である。

 それはまっすぐに人影に向けて滑空すると、滑らかな動きで人影の肩に止まった。小さく喉を鳴らし、何事か訴えるように頭を揺らす。

「ああ、俺もここまで都合良くいくとは思ってなかった」

 鴉の言葉を聞き分けたかのように、羽を撫でてやりながら人影が言う。

「うん……そう、あとは機会を伺うだけだ」

 囁くように告げて手を離すと、鴉は名残惜しげに人影に嘴を擦り寄せた。

「ああ、わかってるよ………姉さん」

 血縁者を示す呼称で呼ばれた鴉は、ぱっと飛び立っていった。後に残された人影は黙ってそれを見送り、踵を返す。


 静寂が支配する夜の底。

 ただ草花が微かな風にそよぐだけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ