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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
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救出

 夕刻になった。

 預桃と他愛もない話をしていた総華の前に、侍女が現れる。

「来なさい」

 預桃の肩が強ばった。

 将軍が帰って来てしまったのだ。今日ここへ来たばかりの幼い少女が、毒牙に晒されようとしている。

 無意識に、預桃は総華の手を握り締めていた。気づいた総華が、安心させるように笑う。

「大丈夫よ」

 怖くないと言ったら、嘘になる。

 蔑みには慣れていたが、総華は肉体的に痛めつけられた経験はあまり無かった。昔は両親や兄が、彼らが居なくなってからは石氏の一家が守ってくれていた。

 しかし、総華はここで弱音を吐きたくなかった。既に辛い目に遭ってきた預桃の前で、そんな姿を見せたくはない。

「行ってきます」

 努めて明るく言って、総華は預桃の手を離した。



 侍女に連れられて行った先は、さっき居た部屋よりは狭いが贅沢に飾られた部屋だった。

 絹に囲まれた寝台の側に、一人の男が立っている。四十を越えた中年の男で、でっぷりと肥えていた。

「よく来たのぅ」

 男が目を細めて笑う。総華はまた表情を無くしていた。男が一歩歩み寄る。

「そなた、名前は?」

 総華は答えない。

 一歩、また一歩、距離が詰まっていく。

「答えぬのか?」

 すぐ目の前まで、男は近寄ってきた。

「そんな顔をしていては折角の愛らしい顔が台無しじゃ。笑うがよい」

 男は言いながら、総華の頬に手を滑らせた。ぞわり、と総華の全身が総毛立つ。


 刹那。

 派手な音を立てて、木製の窓枠が吹き飛んだ。



 木で出来た窓を蹴破って室内に踏み込んだ私は、総華の頬に手をかけたメタボと、怖いくらいに無表情な総華を見た。

 メタボが慌てて振り返るのを待ってやる気は、当然無い。

「な、何やつ……げふっ」

 私の渾身の回し蹴りがメタボ……冒溢の胴にめり込み、重そうな体がよろめく。

 ……吹き飛ばなかったのは体重差のせいだろう。私の倍くらいありそうだし。

「こ……」

 私の名を呼びそうになった総華の口を慌てて塞ぐ。名前はバレちゃまずいんだよ。

「お待たせ。怪我は無いか」

 私が言うと、総華は数回目を瞬いてから頷いた。私は安心してふっと微笑む。が、総華にはわからないだろう。今私は仮面を着けているのだから。ついでに言えば体にも布を巻いて大きめの服を着、傍目には元の体格がわからないようにしてある。若干動きにくいのはご愛敬だ。

「く、曲者じゃ!出合え!」

 総華を連れて逃げようとした時、冒溢が叫んだ。叫びながら、剣を抜いて切りつけてくる。

 私はそれを例によって鞘に入れたまま固定した剣で防いだ。

 冒溢の声に反応して駆けつける兵士の足音が聞こえる。

 まだそんなに多くない。二、三人。今なら逃げられる。

 私は冒溢の剣を弾き、浮き上がった手首を強かに撃った。冒溢が剣を取り落とす。

 ちょうどそのタイミングで、兵士が扉を開けた。

「堅貴将軍冒溢!」

 私は敢えて声を張り上げ、冒溢の称号を口にした。その声に気圧されたように、兵士の動きが一瞬止まる。

 追い打ちをかけるように、私は言った。

「軍の高位にある者が罪無き民、それも幼い少女を無法にさらい、あまつさえ無体をしようとするとは、非道でなくて何だと言うのか!」

 やや芝居がかった口上だが、正論であるが故に反論の声は無い。

 冒溢の日頃の行いに懲りているのか、兵士は戦意を喪失したようだった。私は更に続ける。

「このような非道は断じて認められない。軍に法無く、政に理無くしていかに国を治められようか!」

 一通り言って、ふっと息を吐く。

「建前はこんなものか」

 呟いた私を、総華が怪訝そうに見上げる。私は手首を押さえている冒溢を見据えた。すうっと息を吸う。

「大概にしろこのロリコンメタボがっ!」

 無論こっちが本音だ。

 怒鳴り声と同時に私の蹴りを受けた冒溢が今度こそ倒れ伏す。

 私は総華の手を握り、窓からでようとした。

「ぁ……ちょっと待って!」

 総華が慌てた様子で私を止める。何かと思って見ると、総華は扉の外を指さした。

「出してあげたい人が居るの……お願い、助けてあげて」

 悲しげに懇願されてははねつけられるわけもなく。

 私は扉に向かって走った。未だ戸惑いに支配されている兵士達を素通りして、総華の言う通りに進む。暫く走ると、広間に出た。沢山の女性が居て、私に気づくと驚き立ち騒ぐ。


 ……これ、全部あのメタボの妾だろうか。蹴りの二発じゃ足りなかったかも知れない。


 私が不穏な事を考えていると、総華が隅の方へ駆け寄っていった。

「預桃さん!」

「総華ちゃん……!?」

 そこにいた痩せた女性の手を、総華が掴む。

「逃げよう!旦那さんのとこに帰らなきゃ!」

 総華に手を引かれて立ち上がりながらも、彼女は困惑げに眉を寄せた。

「でも……」

「預桃さん?」

 声を掛けたのは、私だ。向けられた視線を受けて、私は言った。

「預剛から伝言を預かってる」

 預桃がはっと目を見開く。私は静かに告げた。

「『待ってる』」

 預桃の目が、これ以上無い程に開かれた。

「あんたの旦那は、そう言ったよ」

 背後から追っ手の足音が聞こえる。固まってしまった預桃の手を、総華が再度引いた。

「行こう!こんなとこ、逃げなきゃ!」

 預桃が意識を戻し、しっかりと頷く。

 二人を連れて、私は屋敷の外へと急いだ。異変に気づいたらしく屋敷中が騒然となっている。


 外に出ると、空は重い曇天だった。大気が湿り気を帯びて、天候の崩れを予感させる。

 私は総華を抱えて繋いでいた馬に跨り、預桃を後ろに乗せて思い切り馬腹を蹴った。出来うる限りの速度で馬を走らせる。馬術は己凌に習ったばかりだが、何回か馬に乗るうちに感覚が掴めてきた。慌てて馬を牽き出す兵士達には容易に追いつけないだろう速度で、私は一直線に馬を駆った。

 目指す先は、預剛の家だ。

 路地に入り込み、曲がり道を駆け抜ける。

「預剛!」

 目的の家の前で手綱を引いて馬を急停止させながら、私は叫んだ。馬を下りて戸を叩いている暇は無い。将軍の手勢が追って来ているのだ。一時まいたとはいえ、見つかるのは時間の問題だった。

 呼ばわる声を不審に思ったのか顔を出した預剛に向かって、預桃を突き飛ばす。

 ……悪いとは思ったが、気にしている余裕は無いんだ。

「……桃!?」

「あんた……!」

 目を見開く預剛に、涙ぐむ預桃。再会を喜ばせてやりたいが、生憎の事態がそれを許さない。

「すぐに国境を越えろ」

 馬上から私は言った。仮面を被った私に預剛が一瞬警戒を見せるが、すぐにはっと表情を変える。

「あんたは……」

「追っ手が来る。あんた達に目がいく前にこの国を出るんだ」

 説明を拒み、私は馬首を返した。

「俺達が注意を引きつけている間に行くしかない。急げ!」

 預剛夫妻の返事は聞かずに、馬を走らせた。

 路地を抜けて人通りの少ない道を縫うように駆け抜けていく。途中で追っ手に発見されて、背後から馬蹄の音が聞こえ始めた。

 ぽつり、と鼻先に冷たい滴が当たる。

 そうかと思えば、今度は頬にぽつり。

 瞬く間にそれは間隔を狭め、降りしきる雨となった。それもかなりの勢いだ。

「ついてるな」

 私は呟いた。

 豪雨は追っ手の視界を制限し、こちらの足音も消してくれる。私は総華に、用意していた蓑を被せた。昏という極寒の地にも関わらず降っているのが雪でないのがせめてもの幸いではあるが、それでも霙混じりの冷たい雨だ。長く当たっていれば凍えてしまう。

「総華、よく聞け」

 走る馬の上で、私は総華に言った。

「これからお前を俺の知り合いに預ける」

 総華が目を見開くが、言葉を切っている暇はない。追っ手との距離を測りながら、私は続けた。

「信用出来る相手だ。彼らと一緒に一度橙へ行け」

 碧まで連れて行くと石氏に約束したが、今は国境を越えるのが先だ。そう説明して、私は二本提げていた剣のうち一本を総華に渡した。鴻耀に貰った方だ。

「これが俺の証明になる」

 これを鴻耀に見せれば、悪いようにはしない筈だ。

 馬の速度を上げて追っ手との距離を離し、角を曲がる。

 横道の手前に馬を立てている函朔が視界に入った。

「必ず、迎えに行く」

 だからそれまで、待っていてくれ。

 私は速度を緩めないまま少し体を浮かし、総華を抱えた。じっと待っている函朔とすれ違いざまに思い切って投げ渡す。

 半分残像のように、総華を受け止めて横道に馬を走らせていく函朔が見えた。

 蓑だけが手元に残る。私はその蓑を、あたかも総華がまだそこに居るかのように抱えながら僅かに速度を落とした。追っ手が角を曲がって来るのがわかる。


 そうだ、私を追ってこい。


 追っ手を撒いてしまわないよう、だが決して捕まらないように心がけながら走る。路地を抜ける手前で、また速度を上げた。馬が潰れかけているが、もうすぐだから頑張って貰うしかない。

 路地から出ると、川の畔に出た。堤の上を走りながら、タイミングを計る。

 堤の上は見通しがいい。どこから見られているかわからないから、見えない一瞬を狙わなければならない。

 チャンスは一度。

 対岸の木とこちら側の建物に姿が隠れた瞬間。私は蓑と仮面を投げ捨て、馬から飛び降りた。



 将軍の屋敷に侵入して少女を奪い去った曲者を追ってきた兵士達は、通りから川の堤に出た瞬間に大きな水音を聞いた。慌てて焦点を合わせると、堤の上を走っていく馬には誰も乗っていない。

 駆け寄って川面を覗いてみれば、彼の者が着けていた仮面と蓑とが浮かんでいた。


 川に飛び込んだのか。


 騒然とする彼らは、背後の路地をそっと駆けて行く人影に気づかなかった。




 数刻後。

 何食わぬ顔で、私は町中を歩いていた。

 体格をごまかす為に巻いていた布は勿論既に外して遺棄し、全く違う服装に着替えてある。宿で衣服を換えてからすぐに出てきたのだ。

 勿論、私は川に飛び込んだわけではない。あの深さの川に飛び込むなんて、特にこんな寒い土地では自殺行為だ。

 仮面と蓑を川に向かって投げ捨てると同時に、私は反対側に飛び降りた。大きな水音がしたのは、水精霊に頼んでおいたからだ。敵の目さえ眩ませば、都には家が密集しており従って路地も多いので、身を隠す場所には事欠かない。


 そうして逃げおおせた私だが、これで一件落着とは考えていない。仮にも将軍職にある冒溢のプライドから考えても、血眼になって私を捜すだろう。顔を隠し体格を偽りはしたが、どこから足がつかないとも限らない。

 だから。

「応募したいんだが」

 手出し出来ない場所に、入ってしまえばいい。

 現在この国で冒溢以上の権力を持つ人間は二人。国王、そして軍師峰晋。

 以前見かけた受付所に私が申し出ると、受付の男は怪訝そうな顔をした。

「応募?お前がか?」

「そうだ」

 肯定した私を、胡乱げに見る。この男、暇そうに受付をしているだけに見えるが武人らしく、目つきに虚偽を逃さない鋭さがあった。その目を真っ直ぐに受け止めていると、男は目を眇めた。

「ここは兵士を募る場所だ。お前のような細っこい童の来るところではない」

 はっきり言ったよこの人。

「……人を見た目で判断するなと教わらなかったか?」

 そんなに頼りなく見えるのか、私の体格は。そりゃあこれでも一応女だから、男みたいにがっしりしてはいないけれど。

「自信があるようだな」

 男は私を見定めるように眺めてから、短冊型の紙を差し出した。

「字は書けるか?氏名と年齢、出身地を書け」

 差し出された筆を受け取った私は一考する。字は書ける。言葉と同様、何故かわかるようになっていた。

 問題は出身地だ。私はこの世界に生地を持たない。

「子どもの頃から流れ者なんだ。出身地と呼べる場所は無い」

 私がそう言うと、男はちょっと眉をしかめてから仕方ないというように頷いた。

「ならいい。峰晋様は出自には拘られない方針だ。氏名と年齢を書け」

「どうも」

 鴻宵、十六歳。

 私がそう書いた紙を渡すと、男はそれを別の紙に書き写し、割り印を押して私の手元に返した。

「それを持って峰晋様の屋敷へ行け」

 そう言われて、私は反射的に了承の返事をしたが、すぐに問題点に気づいた。

「……お屋敷の場所を知らないんだが」

 躊躇いがちに申し出る。不審がられるかと内心冷や汗をかいていたのだが、どうやら峰晋の屋敷というのはあまり知られているわけではないらしく、すぐに簡単な図を描いて示してくれた。

「ありがとう」

 礼を言って、私は歩き出す。


 総華はちゃんと庵氏の荷に紛れ込めただろうか。

 預剛夫妻は無事に国境を越えられるか。


 別れた者達の平安を願いながら、私は自身も安全な居場所を得る為に足を踏み出した。




 一方その頃、総華を抱えて馬を走らせていた函朔は、追っ手が無い事を確認しながら馬の速度を緩めた。顔を伝う水滴を拭う。雨足は幾分弱まったようだ。

 追跡を警戒して迂路を取っていた進路を正しく修正しながら、函朔は腕の中の少女に目を落とした。

 まだ十二、三だが思慮深い瞳をした愛らしい少女である。鴻宵とはどういう関係だろうか、という疑問が頭をよぎった。

 白を旅していた頃このような知り合いがいるという話はついぞ聞かなかったし、兄妹という風にも見えない。

「……俺は函朔。鴻宵の友達だ」

 とりあえず名乗ってみる。少女は顔を上げると、小さく口を開いた。

「総華」

 端的に名前が告げられる。彼女に目を向けた函朔は、顔を上げたことで露わになった少女の首を見て目を見開いた。

「狐狼……」

 思わず呟くと、少女の視線が警戒を含む。函朔は慌てて手を振った。

「いや、驚いただけだよ。俺は鴻宵の信頼を裏切るような真似は絶対にしないから安心してくれ」

 実の所、函朔は狐狼を見るのが初めてだったのだ。

 今の世の中で普通に暮らしていれば狐狼に遭遇する事など殆ど無いと言ってよい。それで驚きの声を上げてしまったのだが、元来現実主義者の函朔は、会った事もない狐狼に対してどんな偏見も差別意識も抱いてはいなかった。

 総華は暫し函朔の顔を見上げていたが、やがてこくりと頷いた。納得してくれたらしい。

 函朔は胸を撫で下ろしながら、弛んでいた蓑を総華に深く被せた。

「もう少しの辛抱だ」

 馬を早足に歩かせ、函朔は庵氏の元へと向かって行った。

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