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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
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前夜

 灯火に照らされた部屋に沈黙が降りる。

 その場に居るのは私と函朔、そして私と向かい合って腕を組んでいる庵覚の三人だけだった。

「……なるほどねぇ」

 沈黙を破ったのは、庵覚だ。私の申し出た頼み事に、一応の理解を見せる。

「確かに策としては有効な手だ。だが危険も大きいね」

 いつも浮かべている飄々とした笑みが、苦みを帯びていた。

「俺達は商人なんだよ。商人は利益が無いと動かないもんさ」

 もっともな理屈に、私は拳を握り締める。

 十分な対価を見つけられないまま、ここへ来てしまった。

「わかっている……俺に出来る事なら何でもするつもりだ」

 私が言うと、庵覚は顎に手を当てた。

「と言ってもねぇ……」

 私が出来る事はそう多くない。庵覚が渋るのも当然だった。

「頼む」

 私は床に手をつき、頭を下げた。

 時間が無い。

 早くしなければ、総華がどんな目に遭うかわかったものじゃないのだ。

 他に良い方法が思いつくわけもなかった。

「……荷に子どもを紛れ込ませるってのはねぇ……兄者に気づかれずにやるのは一苦労なんだよ」

 庵覚が言う。

 私が頼んだのは、救出後の総華の身の安全の確保。庵氏の荷に紛れ込ませてなんとか橙まで送り届けてしまえば、あとは鴻耀がうまく計らってくれるだろうという魂胆だ。

「それにね……子どもの方は荷に紛れ込ませるとして、お前さんはどうするんだい」

 さすがに護衛に入れるのは露見する危険が大きすぎる、と言われて、私は頷いた。

「俺の事は別に方法を考えてある。とにかく、総華を頼みたいんだ」

 この際碧でなくてもいいから、一刻も早く国外に出してしまわなければならない。聞く限り、昏の国内で冒溢の手から逃げきるのは無理がありそうだ。

 私一人なら手はある。だが総華を庇い通すのは難しいのだ。

「お前さんの腕は気に入ってるし、鴻耀とも縁があるしねぇ……」

 暫し考え込んでいた庵覚は、よし、と膝を打った。

「こうしよう。今回の事は貸しにしとくよ。後日返して貰う」

 それが相当の譲歩の末に下された決断である事を感じ取って、私は深く頭を下げた。

「ありがとう」

「安くはないよ。荷の護衛なら一月程ただ働きだね」

 高っ。

 さすが商人、抜け目は無いようだ。

「庵氏がツケにしてくれるなんて前代未聞だ。運がいいな」

 函朔が感心したように呟く。

 私はもう一度庵覚に頭を下げると、早速打ち合わせにかかった。



「そうだ、鴻宵」

 話し合いを終えて私が立ち去ろうとした時、函朔が私を呼び止めた。

「これ」

 言いながら、腰に提げていた剣を解いて差し出す。

 私は目を見開いた。見覚えのある剣だ。柄には琥珀色の佩玉が揺れている。

「これは……」

「お前の剣。……親父から、預かってきた」

 それは間違いなく、私が鴻耀に与えられ、白で捕らえられた際に失った剣だった。

「……ありがとう」

 礼を言って、私は剣を受け取った。佩玉がきらりと光る。

 新しい剣を持ってはいるけれど、この剣が手元に戻ってきて良かった。

 佩玉は土精霊の媒体だし、何より私が初めて手にした、始まりの剣だ。

「お前の連れの子、必ず助け出そうな」

 剣を眺める私に、函朔がぽつりと言った。

「俺はお前に、出来うる限りの力を貸してやりたい」

 真面目な顔で呟かれて、私は苦笑を浮かべる。

「ありがとう。……お前には、助けられてばかりだ」

 函朔は一瞬何かを言おうとするような素振りを見せたが、口を噤んで笑い、軽く首を振った。

「俺が望んでやってる事だし。気にしなくていい」

 私の頭に手を乗せ、ぐしゃぐしゃと撫でる。

「わ……っ?」

「死ぬなよ、鴻宵」

 思いの外重く響いた函朔の言葉に、私はしっかりと頷いた。




「冒将軍、都隊長がお見えです」

「通せ」

 夜分の訪問は、普段なら追い返すところだが、今都洋には一つ命令を下してある。

 その首尾を報告に来たのならば聞いてやっても良い、と冒溢は大きな体を椅子に沈めた。

「夜分に申し訳ありません」

「構わぬ。首尾はどうじゃ」

 急かす冒溢に、都洋は一瞬言葉に詰まり、目を泳がせた。

「何じゃ、まだ捕らえられぬのか」

 それを不首尾と見た冒溢が声音に不機嫌な色を滲ませる。都洋は否定を口にした。

「既に我が手中に……しかし将軍、厄介な事が」

「何じゃ」

 訝しげに問う冒溢に、都洋は躊躇いがちに告げる。どんな反応が返ってくるか、今一つ読み切れないのだ。

「あれは……あの少女は、狐狼でございます」

 天帝からの罰として、生まれながらにその身に負った枷。

 人が忌み嫌う種族の少女を、近づけて良いものかどうか。

 都洋の言葉を聞いた冒溢は、見開いた目を瞬かせた。

「狐狼……じゃと」

「はい。この目で枷を見ました」

 頭を深く下げたまま、都洋が言う。冒溢は暫し思案した。

 彼としても予想外だったのだ。よもや狐狼が町中で人間に紛れていようとは。

「面白い」

 沈黙の後に冒溢が漏らした言葉に、都洋は思わず顔を上げた。

「面白いではないか。狐狼を我が物にするなどそう機会のあることではない」

 冒溢はそう言って、にやり、と笑みを浮かべる。

 都洋は内心眉を寄せた。この将軍の発想は、やはり好きになれない。

「連れて参れ」

「……では明日にでも」

 拝礼しながら、都洋はそっと溜息を吐いた。



 決行は明日の夕刻に決まった。

 出来ればもっと早く助けたいという思いはあったが、庵覚達の方にも段取りというものがあるし、私も総華の居場所や侵入経路を探らなければならない。

 首巻きに顎を埋めて顔を隠しながら、私は市を歩いた。雑貨の類を扱う一角で足を止める。

「その仮面を」

 策は虚実を弄するもの。真実を隠すもの。

 別の店で、私はやや大きめの衣服と布、それから蓑を買った。


 虚を実と見せ、実を虚に見せかける。

 化かせるか、否か。

 賭の始まりだ。




 都洋の屋敷の一室に軟禁されて独り夜を明かした総華は、翌日になるとまた輿に乗せられてどこかへ移された。揺れる輿の中で、ぼうっと虚空を眺める。

 鴻宵は、心配してくれているだろうか。それとももう、諦めたか。

「諦めそうにはないね……」

 呟いて、総華は微かに笑みを浮かべた。彼ならきっと、助けだそうとしてくれるだろう。

 でも、危険な目には遭って欲しくない。

 揺れる思いを抱えた総華が目にしたのは、広大な屋敷だった。

「降りろ」

 促されて輿を降りると、総華を送ってきた男は彼女を屋敷の侍女らしき女に引き渡し、さっさと帰って行った。

「ついて来なさい」

 女は冷たく言って、総華を奥へと連れて入る。広間のような場所に、沢山の女達が集まっていた。

「まぁ、みすぼらしい」

「どうして将軍はあんな子を……」

「見て、あの枷。狐狼よ」

 口々に囁き交わされる蔑みの言葉。どうやら彼女達はこの屋敷の主たる将軍に仕える者達らしい、と総華はぼんやりと思った。

 正直、そんな事はどうでもいいのだ。

 悪意を持って囁かれる言葉も、久々ではあるが慣れている。

 ただこれからどんな目に遭わされるのか、鴻宵が危険に飛び込んで来はしないか。それだけが気に掛かる。

「将軍は夕刻にお戻りになるわ。それまでここでおとなしくしていなさい」

 嫌悪も露わに言われ、総華は辺りを見回す。居並ぶのは着飾った女達。こちらに向けられる視線は、どれも剣呑なものばかりだった。

「そこな小娘」

 一際飾りたてられた女が、扇で総華を指す。

「そのみすぼらしい形は何とかならぬのか。そのような格好で将軍に見えようなど許されぬ事」

「けれど艶妃様、ここには子犬に合うような衣裳はございませんわ」

 くすくすと嘲笑いながら、傍らの女が言った。

「いっそのこと何も着ずにお目見えしたらいかが?」

「あら、貧相すぎて将軍に失礼ですわよ」

 女達の笑い声が部屋に満ちる。

 嫌な声だ、と総華は思った。

 思いながらも、総華の表情は動かない。石氏の一家や己凌、鴻宵達と居た時には笑顔を絶やさなかったその顔は、今は見る影もない無表情だった。

「何てふてぶてしい子かしら」

 嘲っても貶しても眉一つ動かさない総華に、女達が苛立ちを見せ始める。一人の女が投げた扇が、総華のこめかみに当たった。それでも、総華は顔をしかめる事すらしない。

 蔑みには慣れている。

 石氏に保護される前は、それが日常だった。だから、心得ている。


 閉じてしまえばいいのだ。

 何も感じないよう、心に蓋をしてしまえばいい。そうすれば、痛くない。


 しかしそうして心を閉鎖しかけていた総華の耳に、異質な声が届いた。

「やめておやりよ。まだ子どもじゃないか」

 同時に、腕を掴んで引っ張られる。

「おいで。あたしと一緒に居よう」

 女達が何やら喚くのを意に介さずに腕を引いていく女の背を、総華は呆然と見上げた。

 とても細い女だ。痩せているというよりは、やつれていると言った方が正しい。

 女は総華を部屋の隅に連れていき、隣合うように座った。女達はまだ罵声を投げつけていたが、取り合わないでいるとやがて飽きたのか無視を始めた。時折突き刺さる視線や耳をかすめる罵り声はあるが、危害を加えられる事はない。

「……ありがとう」

 総華が言うと、女は寂しげに笑った。

「あたしにはこのくらいしかしてあげられないけどね……可哀想に、こんなに小さいのに」

 総華の手を取って、目を伏せる。総華は彼女の顔を覗き込んだ。

「あなたも、さらわれたの?」

 問いかけると、女は頷いた。

「市で買い物してた時に目をつけられちゃってね……」

 悲しげに首を振り、総華の頭を撫でる。

「もう旦那に合わせる顔も無いよ……」

 それは泣きそうに小さな声だったが、女は泣かなかった。総華は眉を下げ、女の手を握り返す。

「私ね、総華っていうの。あなたは?」

 女は小さく笑った。

「桃。預桃だよ」

「預桃さん……」

 総華は握った手に力を籠めた。他の女達に聞こえないように声を潜めて、囁く。

「大丈夫。きっと、旦那さんは待ってるよ」

 勿論、根拠らしい根拠は無い。しかし、この純朴な預桃が伴侶に選んで、こんなにも切なげに語る相手ならきっと待っている筈だ、と総華には思えた。

「絶対、鴻宵が助けに来てくれるから」

 そうしたら、一緒に逃げよう。

 総華の言葉に目を見開いた預桃は、すぐに泣きそうに顔を歪めて総華を抱き締めた。

「馬鹿言っちゃいけないよ」

 細い肩が震える。

「助けになんか来たら、殺される。ここには兵隊がたくさんいるんだよ」

「大丈夫」

 預桃の背中をさすりながら、総華はきっぱりと言った。

「鴻宵は強いのよ。必ず、助けてくれる」

 預桃は総華の肩に顔を埋めて、啜り泣くばかりだった。




 風精霊に総華の居場所を探らせるのは存外簡単だった。

 皮肉な事だが、総華が狐狼だという事が幸いしたのだ。精霊に固有名詞を言っても特定してはくれないが、狐狼ならば彼らにもわかる。彼らは狐狼には近づかないのだから。

 私は傍らの鳥の足に、最終的な計画を記した紙を括り付けた。

 この鳥は、庵覚から借りたもの。初めて会った時に庵覚が肩に乗せていた、あの鳥だ。よく訓練された賢い鳥で、庵覚は普段から伝書鳥として使っているらしい。普通よく使われる伝書鳩と違って猛禽類だから、かなり迅速な伝達が可能だ。その代わり、庵覚以外には懐かないそうだ。

「行け」

 短く言って鳥を放った私は、空を見上げた。


 総華、私が行くまで、どうか無事でいてくれ。

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