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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
59/76

誘拐

 夜が明けて、何も知らない私と総華は朝食を食べながら今後の予定を打ち合わせていた。

「東に向かうなら、次の大きな街まで三日ほどかかる。野宿が続くかも知れないが、大丈夫か」

 街で買ってきた地図を見ながら、私は総華に問う。

 元々華奢な体つきの上に成長期真っ直中の総華に、無理をさせたくはなかった。

「大丈夫よ」

 総華がにっこりと笑う。私は路銀の残高を確かめると、毛布を買っておこうと心に決めた。

「食べて少し休んだら発つか。あと何か欲しい物は?」

「特に無いよ」

 これからの動きを思い浮かべつつ粥を啜る。野宿続きなら餅と干し飯も買い足しておいた方がいい。


 朝食を終えて荷物を纏めた私は、総華を連れ、馬を牽いて出発した。

 街の中央を南北に貫く大通りを中程で逸れ、東門へと向かう。

 総華と二人、他愛もない会話を交わしながら人通りの少ない路地を歩いていると、ばたばたと駆けてくる足音がした。反射的に総華を庇って身を引いた私の前に、横道から男が転び出てくる。

「た、大変だ。助けてくだされ」

 男は酷く慌てた様子で私に縋りつくように訴えた。よく見ると、衣服が所々破れている。

「どうしたんだ」

 あまりに必死な有様に眉を寄せながら問うと、男は泣きそうに顔を歪めた。

「暴漢が……暴漢が出て、女房が襲われておるんです。どうか助けてくだされ!」

 そう言うなり路上に平伏されて、私は慌てた。

「わかった、わかったから顔を上げろ」

 男の肩に手をかけて身を起こさせ、路地の奥に神経を向ける。

 ここからでは何も見えないし、聞こえない。

「助けてくださるので!?」

「いいからさっさと案内しろ。総華、すぐ戻る。そこから動くな」

 男を急かし、総華に言い残して、私は走り出した。無論、男を前に行かせて案内させる。男は先程の情けない様子からは考えられないほどの速度で走り、私は付いていくので精一杯だ。

 この逃げ足の早さで一人現場から抜け出して助けを呼びに来たのか。


 それはいいが奥さんが何かされていないか心配だ、と思いながら地を蹴っていた私は、前を行く男がほくそ笑んでいたことに気づかなかった。


 男がひょいと角を曲がる。

 すぐに続いた私は、その場に立ち尽くした。

「……え?」


 誰も、いない。

 今曲がった筈の男さえも。


 暫時困惑していた私は、すぐに感覚を研ぎ澄まして小刀を抜いた。

「そこか!」

 武術の腕を磨いたお陰か、気配も多少は読める。

 私が投げ上げた小刀は、過たず木の上に隠れていた男の顔をかすって幹に突き立った。男がぱっと身を翻して跳ぶ。民家の塀の向こう側に下りる気だ。

「逃がすか!」

 私は剣を抜こうとした。しかし一瞬早く男は塀の向こうに消えていた。

 追うべきか否か、一瞬迷う。

 数秒そのまま動きを止めていた私は、嘆息して剣を鞘に納めた。気配は既に塀から遠のきつつある。


 何だったんだ、あれは。


 注意を凝らして周りを探ってみても、他に誰かが潜んでいる様子は無い。危害を加えようとしていたわけではないようだ。だが、なら何故あんな芝居を打ったのか。

 考えた私は、その答えに思い当たった瞬間、全速力で駆け出していた。

 向かう先は、元来た道だ。

 どうしてすぐに気づかなかったんだ。

 内心で、己の鈍さを呪う。

 芝居をしてまで私を誘いだしたにも関わらず危害も加えずに立ち去るとすれば、目的は一つ。

「総華!」

 叫びながら角を曲がった私の目に映ったのは、ぽつんと道に取り残されてしきりに首を振っている馬だけだった。

「総華!」

 呼んでみても、答えは無い。

 総華が自分でこの場を離れるわけがなかった。明らかに誰かに連れ去られたのだ。目的はわからないが、それだけは確かだった。

「一体誰が……!」

「おい、兄ちゃん」

 私が歯噛みしていると、小さく呼びかける声があった。

 視線を巡らせれば、民家の扉からこそっと顔を出した男が目に入る。男は用心深く左右を見回してから、外へ出てきた。

「兄ちゃん、そこにいた女の子の知り合いかい」

「あの子を見たのか!?」

 私は勢い良く食いついた。誰に、何故さらわれたのか、何処にいるのか。知っているなら聞き出して、一刻も早く助けに行かなければならない。

 総華は大事な預かり物だ。なくすわけにはいかなかった。

「見たよ……」

「誰だ、誰に連れ去られた!?どっちへ行ったんだ」

 語気荒く詰め寄る私を、どこか痛ましげな目で見ていた男は、やがてゆっくりと首を振った。

「諦めな」

 続いたのは、そんな言葉。

「何言って……そんなわけには……!」

「諦めるしかないんだよ」

 そう言った男の声は、やけに沈痛な響きを帯びていた。

「目を付けられたら最後なんだ」

「どういう事だ。相手は誰なんだ」

 色濃い絶望を示す男に、私は厳しい声で問いただす。

 諦める?そんな事、出来ない。出来るわけがない。

 あの子に何かあったら、石氏の一家は勿論己凌にだって会わせる顔が無くなってしまう。

 切迫した私の様子を同情の眼差しで見詰め、男は溜息を吐いた。

「あの子は軍に連れて行かれたのさ」

 その口から発せられたのは、思いもよらない答え。

「軍……?」

「やたらと好色な将軍がいるんだよ」

 暗い顔で、男は言った。

「そいつに見初められちまったら、連れてかれちまうのさ」

 私は言葉を失った。

 仮にも一国の将軍ともあろう者が、そんな人さらい以外の何物でもないような行いをするというのか。

「どうしてそんな事が……」

「冒家は昏の国内でも最大の旧家だ。対抗できる家なんか無いからな」

 家柄という権力。冒家の権勢は昏王家を凌ぐ程だと言う。その絶大な力を以て、無法な行いも押し通されてしまうのだ。

「そんな……止めようとする者はいないのか」

 私が食ってかかると、男は首を振った。

「下手に意見なんかしたら潰されちまうからな。出来るとしたら王か、軍師の地位に登った峰氏だろうが、あの人達も関わろうとしない」

 諦めに満ちた声色で、男は言う。

 しかし、私は引き下がるつもりなど無かった。出来る限りの情報を得ようと、男に問いを発する。

「その将軍の名は?今どこにいる?」

 男は揺るがない私の様子に目を瞬かせていたが、すぐに視線を落とした。

「冒溢将軍だ。今は都の屋敷か駐屯地に滞在してる筈だ」

「冒溢……」

 どこかで聞いた名前だ。しかしそれを思い出す前に、男が私の肩に手を掛けた。

「くれぐれも馬鹿な事は考えちゃいけない。相手は軍隊なんだ」

 今にも乗り込みそうな私の気配を感じたんだろう。男は切々とした口調で私を諭した。

「でも俺はあの子を助け出さなきゃならない」

 約束したんだ。碧まで、無事に送り届けると。

 私の強い言葉に、男は悲しげに首を振る。

「俺だって、助けられるもんなら助けたいさ」

 深い悔恨と、絶望の籠もった声。

 思わず言葉を失った私に、男は呟くように言った。

「俺の女房も、連れてかれちまったんだよ……」

 私は、拳を握り締めた。

 こんな非道、許されていいわけがない。

「冒溢……」

 名前を呟いた私は、それを耳にした場所を思い出した。

「あのメタボか……!」

 私が初めてこの世界に来た時。私は昏軍に捕らわれて、メタボな将軍の幕舎に放り込まれた。そこから救出された際に春覇の口から出た名前が、冒溢だった筈だ。

 だいたいあのおっさん幾つだ。

 総華に手を出すなんて犯罪だろう。

「それでも、俺は助け出す」

 私は強い意志を瞳に籠めて、男と目を合わせた。

「どんな手を使っても……取り返す」

 その語気の強さに気圧されたように、男は口を噤んだ。私をまじまじと見て、憐れむように言う。

「死ぬぞ、あんた」

「死なない手を考えるさ」

 元より軍隊のど真ん中に殴り込むわけだから、まともにやって無事に済むわけは無い。周りの兵士に手出しさせない迅速さが肝心だ。それはタイミングと侵入方法次第で何とかなるに違いない。

 問題は、その後だ。

 そんな事件を引き起こした後で国境は越えられない。どんなに顔を隠しても、総華を連れていては無理だ。少女を連れた旅人なんて珍しいし、面も割れている。

「……無茶だ」

 思考を巡らせる私を前にして、男は呟くように言った。確かに、信じられないような無茶を、私はしようとしている。

「承知の上だ」

 そう言って、身を翻した。早いところ手を打たなければならない。

「もしも」

 私の背中に、男が声をかけた。

「もしも忍び込めたら……俺の女房に伝えちゃくれないか」

 私は肩越しに振り向いた。男は真剣な面持ちで、私を見ている。どこか苦しそうなのは、私が成功する可能性が低いと認識しているからかも知れない。それでも、縋らずにいられないのだ。

「俺は、待ってる」

 いつか、帰って来る日を。

 私は口角を上げた。

「確かに」

 男は預剛(よごう)と名乗った。奥さんの名前は、預桃(よとう)だという。

 ともかく逃走経路を確保する為に、私は走り出した。



 人目の無い街の端。

 城壁の麓に立って、私は深呼吸した。

 懐から紙に包んだ髪の毛の断片を取り出し、風に乗せる。

「風よ、風よ」

 言霊に力を籠める感覚も、何となくわかってきた。

「我が言の葉を聴け」

 風精霊が髪の毛を受け止め、吸収する。

「我が友に伝えよ」

 特定の人間への伝言は難しい。

 でも精霊の声に敏感なあいつなら、きっと受け取ってくれる。

「都城の南東……城壁の下で」

 私の言葉を聞き届けた風精霊が、わっと散った。

 くるくると踊るように風を巻きながら漂っていく。口々に囁き交わす言葉が遠ざかるのを聞きながら、私は城壁に背中を預けた。


 まだ何の償いも出来ていないのに頼るのは、身勝手かも知れない。

 でも、他に方法が思いつかなかった。


「迷惑、掛けてばかりだな……」

 自嘲気味に呟いて、私は言伝の相手が現れるのを待った。



 庵氏の私兵が滞在する部屋で、支源が豪快に欠伸をした。

 今回は普段より滞在が長い。相手方の荷の到着が少し遅れているらしく、まだもう数日は留まることになりそうだ。

 私兵達は暇を持て余していた。大半が街に遊びに繰り出している。

 そんな中で、函朔は相変わらず上の空だった。

 最初のうちは奇妙がって話しかける者も多かったが、満足な答えが返って来ないので皆諦めている。

「失恋でもしたのかね」

 庵覚もそう言って肩を竦めるだけだった。

 函朔はこの滞在中、日がな一日窓の外を眺めている。今日も例外ではなかった。

 他に部屋に居るのは、退屈そうに欠伸を繰り返す支源と、寝転がっている数人の男だけだ。

 そんな空間に、窓からふわりと風が舞い込んできた。

 この場の誰も気づかないが、その風の中に二匹の風精霊がいて、くるくると踊っている。

「我が友に伝えよ」

「伝えよ」

 囁き交わす言葉に、函朔の肩がぴくりと動いた。

「都城の南東」

「南東」

 函朔が勢い良く振り返る。支源が驚いて目を剥いた。

「何だ、どうした?」

 尋ねるが、答えは返ってこない。

 振り返ったもののその目は何かを見ようとしているわけではなく、ただやけに集中している様子で虚空に視線を留めている。

「城壁の下で」

「我が友に伝えよ」


 都城の南東、城壁の下で。


 伝言を認識した瞬間、函朔は走り出していた。支源が何か言ったようだが、振り返らずに屋敷を飛び出す。

 風精霊に伝言を命じるなんて無謀な事をする人間など、一人しか思い当たらなかった。

「鴻宵……!」

 小さく呟いた函朔は、迷わず南東の城壁に向かって走っていった。



 風精霊を放って程なく。

 城壁の下で待っていた私は、走ってくる人影を見て凭れていた背中を起こした。

 久しぶりに見る気がする姿が、まっすぐ向かって来る。

 やっぱり、来てくれた。

「函さ……」

「鴻宵!」

 声を掛けようとした私は、いきなり感じた衝撃と温もりに目を見開いた。

 背中に、函朔の腕が回って。目の前には函朔の肩。

 少し息苦しいくらいに強く、私は抱き締められていた。

「か、函朔……?」

 戸惑いの声を上げる私を抱き竦めたまま、函朔は深い息を吐いた。

「良かった……生きてた」

 心底安堵したような声で呟かれて、私は眉を下げた。

 こんなにも、心配をかけていたのか。背中に回された函朔の腕が小さく震えているのに気づく。

「ごめん……ありがとう」

 私は函朔の背中を軽く叩いた。

 私は、生きている。

 函朔の助けがなければ、白で処刑されて終わっていたかも知れない。

 やがて落ち着いたらしい函朔は、決まり悪げに目を逸らしながら体を離した。

「悪い……」

「いや、俺の方こそ心配掛けてごめん」

 私はそう返すと、表情を変え空気を引き締めた。

「迷惑ついでに、頼みがあるんだ」

「頼み?」

 函朔も目元に真剣さを顕す。私は念の為辺りを見回して誰もいない事を確かめ、声を潜めた。

「実は、俺の連れがさらわれた」

「連れ?」

 私は総華を連れ去られた次第を簡潔に話した。彼女が狐狼だという事は伏せ、ただ知り合いから預かった子だとだけ言う。

「さらったのは、昏の将軍だ」

 私がそう告げると、函朔は苦い顔をした。

「冒溢か……厄介だな」

 やはり、敵に回すには好ましくない相手のようだ。

「でも、助ける。……どんな手を使っても」

 言い切って、私は真っ直ぐに函朔を見据えた。

「手は考えた……力を、貸してくれ」

 私一人では、どうしようもないから。

 私が話し始めた計画に、函朔は黙って耳を傾けた。




 目を覚まして最初に見えたのは、木造の天井だった。

 狭い場所に横たわった体に振動が伝わる。どうやら輿の中のようだ。総華はゆっくりと何が起きたのかを思い出した。

 鴻宵が男と共に走り去った後、馬に乗った男達が現れた。彼らの手によって、総華は叫び声を上げる暇もなく拉致されてしまったのだ。

 ――鴻宵、大丈夫かな。

 ぼんやりと案じながら、何故さらわれたのかを考える。

 人買いの仕業にしては手が込んでいるし、輿も上等にすぎる。理由はわからないが、それなりに裕福な人間の指示で拉致された筈だった。

 手足は縛られているわけではない。総華は起き上がると、そっと輿の窓から外を窺った。

「目覚めたか」

 不意に声がかかり、窓にかかっていた簾が持ち上げられる。顔を出した男は身構えた総華を無表情に一瞥した。

「あなた、誰。どうして私をさらったの」

 総華が言うと、男は興味なさげに顔を引っ込め、簾を下ろした。代わりに輿の扉が開く。伸びてきた腕に噛みつくより早く、総華は口に猿ぐつわを噛まされて抱え上げられた。

 外は既に夕暮れ時で、どこかの屋敷の庭が視界に映る。

「冒将軍がお前をお気に召した。お前は都隊長から将軍に献上される」

 淡々と為された説明に、総華は目を見開いた。

 一国の将軍の気まぐれが、この拉致を招いたというのか。

 総華は手足をばたつかせたが、すぐに押さえられ荷物のように運ばれる。


 暴れた反動で首巻きが緩んだ事に、総華は気づかなかった。



 男に担がれて入った部屋は、執務室のようだった。

 書架に囲まれるように据えられた机に着いていた人物が顔を上げる。

「連れて来たか……」

「ご命令通り、この少女にも保護者の少年にも危害は加えておりません」

 報告した男が総華を床に下ろす。総華は内心胸を撫で下ろした。この男の言う事が確かなら、鴻宵も無事である筈だ。

「ご苦労。あとは私が……」

 言いかけた部屋の主が、総華を見て目を見開く。

「お前……!」

 驚愕に彩られた声を上げ、男は足音も荒く総華に近づくと緩んでいた首巻きを引いた。細い首に巻き付いた革の枷が露わになる。

「狐狼……!」

 総華は眉を寄せた。

 これで益々困難な状況に置かれる事になったのは間違いないだろう。

 心の中で、総華は側にいない鴻宵に詫びた。

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